近況 4題

1.

最近、コンビニへよく行く。主目的はタバコなのだが、

なぜか、ついで買いをしてしまう。

水や雑誌類ならまだ良いが、コーヒーに始まり、おにぎり、

サンドイッチ、肉まん、唐揚げと、私の食べるものは進化している。

おかげで、どこのコンビニのなにが美味いかが分かるようになった。

また、これらをクルマの中で食しながら、iPadでネットをしたり、

メールをチェックしたり、ついでにコーヒーを頂き、タバコを吸ったり…

こうなると、もう自宅の居間の感覚。仕事のデスク感覚ですから。

ケータイもあるし、もう内も外もなし。ONもOFFもない。

これが自由なのか不自由なのか、自分でもよく分からないが、

コンビニの罠にはまっているのは確かだし、確実に太っていることは

自分でも分かっている。

街中へでかけても、同じような行動、形態、食生活。

知らない間に、確実になにかが変わっている。

2.

ちょっと古くなってしまったが、映画館で「三銃士」、

「タンタンの冒険」を観て、レンタルで「ツーリスト」、

「ナルニア国物語3」を鑑賞。

でドキュメンタリー映画「ライフ」と立て続けに観た。

先の「三銃士」とタンタンは、封切り中に行ったにもかかわらず、

なんだか面白くなかった。

三銃士は、ラストに近づくに従い、

パイレーツ・オブ・カリビアンとどこか似ていて、

海から空へ舞台を置き換えただけのような気がした。

ストーリーにも映像にも新鮮さがない。

タンタン…は、スピルバーグが永年あたためてようやく実現した、

という触れ込みになのに、肩すかしをくったように面白くない。

主人公の探偵の少年は、とにかくとんでもない事件に巻き込まれるのだが、

彼と連れの元船長が超人的な生命力で、ビックリ。絶対に死なないし、

疲れない。こうなるとハラハラドキドキを通り越して、安心して観てしまった。

3G映像は秀逸なのに残念だ。

ツーリストはジョニー・デップの正体がラストまで分からず、

思わず唸ってしまった。がナルニア…は、イカン。

で、思ったのだが、神話や童話を原作にしたハリウッド映画は、

奇想天外で特撮も凄いが、こちらがもう驚かない程に、来るとこまで

来てしまったのではないだろうか。

3.

一方、「ライフ」はドキュメンタリー映画。

副題に、いのちをつなぐ物語、とある。

オープニングは、草原に一本の木が立っていて、

背景に美しい星座が回るところから始まる。

そして北極の果てしない氷の大地を空から観たシーン。

カメラは或る一点にフォーカスされる。

四方数キロに誰もいない氷の上で、オットセイがただ一頭で子供を産む。

そして、この親子をモーレツなブリザードが襲う。

母親は子供を守るため、氷ついた体で、吹雪と風の盾となる。

なぜこんな所で子供を産むのか? 答えは簡単だった。

天敵がいないからだ。

アザラシは、いつも集団で生活するものと思っていたが、

そうとも限らないらしい。

さすが、イギリスBBC放送の製作だけあって、

映像が鮮やかかつ精緻。カメラワークを観ても、

どうやってどこから撮ったのかという驚きのシーンが続く。

時間もお金もたっぷりかかっているな。

撮影は、世界にまたがり、

南米、アフリカ、アジア、アメリカ大陸、中国、ヨーロッパ。

海、陸、空それぞれの映像とさまざまないきものが主人公だ。

この映画のメッセージが秀逸だ。

生きるとは、

食べること、愛すること、家族をつくること、そして守ること。

とてもシンプルなメッセージ。

ひねくれた私に、なぜ生きるか、という問いに、

この映像は明快に答えてくれる。

あと、いきものは、みんな分け合って生きている、といこと。

この分け合って、というのが大事な点で、

我々人間の営みに? がつくところだ。

うまく言えないが、人間以外は皆バランスを知っているように思える。

知らないのは、人間だけなんだろうな…

また、映像のなかの主人公は、ときに強烈な愛をみせる。

それは、時にいのちをかけて闘う覚悟であり、

身を犠牲にしても子供や仲間を守ろうとする強さだ。

それは私たちといういきものも同じだろうが、

遠い何処かへ置いてきたもののような気がしてならない。

たとえば、私たちが普段喰っているタコも、感動の対象だ。

タコのメスは、生涯一度っきり卵を産むが、

この一度にいのちのすべてを賭けている。

卵がふ化し、泳ぎ始めるまで6か月間、

母親はここをピクリとも動かない。

子供がやがて泳ぎ始めると、タコの母親はそれを見届け、

そこでいのちを閉じる。

これは本能だけれども、愛でしょう。

そう思えてくるなにかがある。

理屈を簡単に超えるとは、このことだと思う。

4.

私が尊敬する職業に、登山家というのがある。

登山家はすげぇーと思うのだ。

近所の山へハイキングに行くだけでへたばっている自分がいる。

ああ、情けない。

登山家は、冬山へでもアタックする。

私の知り合いだった方は、ロッククライミング中に事故に遭って

亡くなってしまったが、生前のこの方の日頃のトレーニングは半端なかった。

仕事時間中も、常に小さな動作で、腕・足を動かし、

筋トレを繰り返していた。

自宅の壁には石を埋め込み、そこで毎日崖登りの練習を繰り返していた。

酒はいつも程ほどで、楽しい酔い方をする方だった。

彼の目に、登山家に、山はどのように映っているのだろう。

登山は、帰りの余力を計算に入れ、ぎりぎりの体力と選択のなかで、

前に進む。

冬山のマイナス20度のなかを行くとは、どうゆう世界か。

私のずっと年下だが、登山家の栗城史多さんは、自書のなかで、

こう語っている。

「苦しみを受け入れると楽になる」

ちょっと分かるような分からない言葉とも受け取れるが、

きっと登山家がもつ精神の強さなのだろう。

彼は、日本人初の、単独・無酸素エベレスト登頂を果たしている。

他、世界の山々も単独登頂で制覇。

しかも、自分の行動を逐一ネットで世界に配信する機材も、

自ら運ぶ。

これは、並の登山家にも不可能だと思う。

彼は、選ばれた人間かも知れないし、少し表現を変えれば、

神に一番近い人なのかも知れない。

が、彼の肉体は、日本人男子の標準以下だし、

登山のエリート教育を受けた訳でもなく、

金なしコネなしの普通の大学生から登山のスタートを切った人だ。

彼の本のなかで、満天の星を見下ろす、というくだりがあるが、

これこそ常人には見ることのできない景色。

富士山のご来光も見た方も然り。

羨ましくも、凄いなと思う。

私はこれから死ぬまで、果たしてこうした景色を見ることができるのか?

すべては、まず挑戦しなくてはなにも始まらないのだが、

まずは、コンビニ通いをやめることから始めなくてはと思う。

裏街

私が生まれ育った横浜の或る街は

物心ついた頃からいろいろ変な奴がいて

小学生の頃すでに同じ学校内に

万引きのグループが存在し

数々の悪行を繰り返していた

友達のなかの何人かは

ガキのクセにすでに学校をサボる奴や

毎年のように苗字が変わる奴とか

山を火事にしちゃうのとか

いろいろいた

外国籍の生徒も多く

そんな仲間同士の争いも多々あったし

女の子もとてもませていた
U

私も大きくなってその街を引っ越し

新しい街で学生を始めた頃

横浜は相変わらずヤバイところで

行くところ行くところで喧嘩が始まる…

ひとことで言えばそんなところだった

当時の私は、遊ぶといえば

横浜の街しか知らなかったので

ざっくりいえば

日本中どこもそんなもんだろうと思っていた

みんなでクルマに分乗し

行き着くところは厚木基地側のディスコか

本牧のディスコと相場は決まっていた

ジルバ、チャチャ

仲間はみなオドリが達者だった

ステージで一列に並んで踊る

とにかくぶんどって踊る

格好つけるだけの夜に

その頃は賭けていた

当時、私たちにとって

伝説と言われていた

ケンタウロスという集団は

ハーレーの野太い音を轟かせ

街を疾走する謎のグループだった

こいつらの正体が分からず

絶対に遭遇したくない存在だった

後に女優の余貴美子さんが

この方たちと遊んでいたときいて

ホントに驚いた

そのケンタウロスが

いまでも活動していると知ったのは

最近のことだ

本牧からほど近い中華街はその頃

夜ともなると豹変し

伊勢佐木町の裏通りと同じように

かなり危ないところだった

それでも私たちはここで酒を飲み

福富町の地下の店にしけ込み

何度も朝を迎えた

チンピラに絡まれ

マンションの屋上で争いになり

もう少しで刺されそうになったことがあるが

いま思えば私も相手のチンピラも

事件にならずにホントに良かったと思う

去年あの辺りを歩いたが

中華街は観光地として明るく生まれ変わったものの

伊勢佐木町の裏通りはやはり廃れ

別の意味で不気味な雰囲気が漂っていた

街の臭いとは不思議なものだ

横浜駅周辺も一歩裏へ入ると

とんでもない奴らが溜まっていた

チンピラに薬漬けの危ない奴

狂ったロックンローラーに

男か女かよく分からない格好をした集団

そんななかをかき分けて

私たちがいつもめざす場所は

横浜駅西口のディスコ「ソウルトレイン」だった

ここのステージも何度か仲間とぶんどって踊ったが

やはりと言うべきか

周りからいろいろ目をつけられ

狙われた

一度ここで他のグループから襲撃にあい

怪我を負った嫌な思い出がある

いまは結構な事件になることだろうが

こんなことが当時は割と多かった

このディスコで知り合った横須賀の友達が

俺の街へ遊びに来いよ、という

その街は横須賀中央駅近くのどぶ板通り

店は「サンタナ2」

名前だけは有名なディスコだった

ここでパーティーだったのだが

踊っているうちにどうも外の様子がおかしい

店にいる連中もザワザワしている

後で聞いた話だが

その日のパーティーを狙った他のチームの連中が

襲撃にくるという話がすでにあったらしい

私がなにも知らずにはしゃいでいると

いきなり入り口から数人のヤバそうな奴らがなだれ込み

そこからいきなり殴り合いが始まり

音楽が止まって騒然となったことがある

事はそれで終わったのだが

まあロクな事ではない

或る日

仲間うちの誰かが「東京ってどうよ」というひと言から

みんなで東京へ遠征することが決まった

国道246を北上し

きったないシャコタンのボロ車の集団が

夜の新宿へと繰り出した

事前情報では

めざす場所に東京の西部一帯を牛耳っている連中が

集まっているということだった

要はなにも知らないガキの集団が

新宿の或るディスコに乗り込み

敵さんと一戦交えて勝利し

調子に乗ってしまったということだ

以来

私はコイツらと距離を置き

自分に嫌悪し

焦り

塞ぎこみ

とにかくなにかを始めなくてはと考え始めた

数年後

私は奇跡的に就職試験で或る一社にパスし

自分を変えた

いや

このままでは絶対に世の中に受け入れられない

みんなに教えられ

いや怒られながら

必死に自分を社会へ馴染ませようと

毎日が必死だった

他からみればどうでも良いことでも

こっちは緊張の連続

精神的にも肉体的にも

追い詰められてゆく毎日だった

いまとなっては笑える話だが

私はここで別の世の中を教えてもらった

ガキの頃の友達も

就職してからの友人も

いまは良いつきあいをさせてもらっている

裏街から出てきた自分の価値観や世界観は

いまでも相当ズレていて

そこは自分でも承知しているつもりだ

しかし人生も後半を過ぎて

老後を考える時期に来た

このズレは死ぬまで治らないし

育ちは消せないものだと最近分かった

せめて残りの人生を

このズレが良い方へと誘ってくれないかと

いつも思っている

  

幸せ以前

闘鶏は、鳥と鳥を戦わせるゲームのようなものだ。

主にシャモという鳥の短気な性格を利用した。

だから、シャモは軍鶏とも呼ばれている。

闘鶏用の鳥は、大事に育てられる。

環境、食事など、それこそ最高のものが与えられる。

トレーニングは、もっぱら鏡に映った自分の姿。

自らの姿に闘志を燃やし、戦意を高める。

そして、戦いに勝てば、生きながらえ、

次の戦いが待っている。

が、一端負ければ、総てが終わり、

人さまの食用に変わる。

ブロイラーは、生まれながらに食用として育てられる。

環境は良くない。

狭いスペースで一生を過ごし、

ほぼ餌を食すだけの毎日を過ごす。

例えば仮に、

私は生まれてどの位経ったのか、という問いがあるとする。

が、彼らにそんな感覚は分からない。

きっと一定の明かりの下で飼われているので、

昼と夜の違いさえ知らないのだろう。

鳥に、そもそもそんな感覚はないという考え方もある。

この場合は、そうした話以前のことを言いたかった。

鳥にそうした時間感覚があるのかと問われれば、

それはないとは言い切れない。

自然に過ごす鳥のなかには、夕暮れに山に帰るものもいれば、

或る決まった日数に帰巣するものもいる。

季節ごとの渡り鳥も、

きっと時間感覚のようなものを備えているのだろう。

先日、或るドキュメント番組の再放送を観た。

舞台は中国の山中。

秘境と呼ばれているこの地での撮影は希少らしく、

カメラの存在に慣れてない、村人のはにかみ様が印象に残った。

生活はとても貧しいらしく、土地は痩せ、

村全体が丘陵地帯に傾いて建っているようにみえる。

家は土を練ったもので固められ、当然、電気もガスもない。

食べるものは粗末にみえ、イモばかりの毎日だという。

カメラを構えると、村人全員が正装で現れた。

正装といっても、それはどこか見窄らしいが、

そこはかとない威厳に溢れている。

それは、彼らの表情だった。

特に男の人の顔は眼光が鋭く、一様に口元が引き締まっている。

これは年寄りに顕著で、そのなかの一人に通訳が尋ねる。

年寄りは、自分の過去を語る。

それによると、彼はこれまで5回奴隷に売り飛ばされ、

動物のように扱われた様を語った。

話のなかで、彼の奴隷仲間の一人は目のまぶたを縫われ、

一生その目が不自由になった者もいると話した。

以上の3点の話。

どれも憂鬱だ。

鳥も人もやっと生きている。

幸せなんていうものは、別の世界の生き物が感じる

とびきり不思議で高度なものらしいことが分かる。

それをほんの少しでも感じられる私たちは幸せだ、

なんてことは、この場合言いたくもないし、

比較してなにになるのかとも思う。

ただ、

神という存在が、

生けとし生きるもの総てに平等を与えたか、

という空虚な問いだけが、

私の「逃げの思考」として、

時々頭を駈け巡る。

それが余計に自らを苛々させる、

そんな具合だ。

符合

ヒトラーはユダヤ人を迫害し、

殺戮を繰り返した歴史に名を残す独裁者だが、

一方で彼は、芸術愛好家であり、

自身もアーティストの素養があった。

また彼はペットを可愛ることでも有名で、

動物愛護にも熱心だったという。

変といえば変、奇妙と言えば奇妙だが、

彼のなかには、誰にも分かり得ない、

彼なりの或る一定の法則があったのだろう。

これは、ヒトラーを理解しているとかそういう意味ではない。

単に心理を想像しているに過ぎないのだが。

ヒトラーと同年同日に生まれた、かの喜劇王チャップリンは、

映画を通して、世界に笑いと愛を振りまいてくれた。

喜劇と悲劇は、よく紙一重だという。

彼の作品のなかに「街の灯」があるが、

主人公(チャップリン)は盲目の女性に恋をする。

が、その女性は浮浪者のチャップリンが、大富豪だと思っていた、

という設定。

やがて、ひょんなことからお金をつくったチャップリンは、

目の治療費にと、女性にお金を渡す。

このお金で目が見えるようになった女性は、

やがて、街で貧しい主人公に会い、

哀れみからお金を恵んであげることになるが、

このとき、

女性が手の感触でチャップリンの存在に気がつき、とても驚ろく。

照れる主人公の幸せそうなおどけ様は秀逸で、

このラストシーンは深く脳裏に焼き付いた。

さて、

アメリカの初代大統領リンカーンは、奴隷解放を宣言して暗殺された。

それから、ちょうど100年後、ジョン・F・ケネディが生まれ、

彼もまた人種差別撤廃に熱心だったが、

リンカーンと同じく暗殺された。

リンカーンとケネディは、

それぞれの父親が駐英大使という同職に就いており、

同じく4人の子供に恵まれ、

お互いの秘書が、リンカーンはケネディ、

ケネディはリンカーンという名だったらしい。

で、それぞれの暗殺犯の生まれも、

ちょうど100年違いという念の入れよう。

ここまでくると、都市伝説なのかとも思えてくる。

以上、

奇妙な符合だが、同時にアメリカの病巣と闇のようなものは

いつも謎に包まれていて、それはいまもって

くすぶっているように思える。

続いての話。

大劇作家で詩人のオスカー・ワイルドは、

後に続く作家たちに多大な影響を及ぼし、

日本においても、

森鴎外や夏目漱石、芥川龍之介、谷崎潤一郎など

蒼々たる先人に影響を与えたとさえ言われている。

彼の作品は数少なく、いまではそれ程メジャーな印象も与えない。

が、彼は作品より、その破天荒な生き方と彼の性癖に

目がゆくこととなる。

彼はまぎれもない同性愛者でいろいろな殺傷沙汰を起こし、

生活は堕落し、服装もかなり奇抜だったとある。

そして最後は梅毒にかかり、孤独のなかで死んでいった。

彼の名言に、

   
     「外見で人を判断しないのは愚か者である」

というのがある。

少しだけ、僕もそう思います(?)

で、それからちょうど100年後の同月同日に、

何故か僕が生まれたのだ(笑)

僕はいま現在のところ、早寝早起きを心がけ

仕事に精進している(?)

現在まで、同性に性的な興味は一切なく、

奥さんも子供もいて、一応仲良く暮らしている。

がしかし、いまひとつ納得できるものとか、

すげぇと言える良いものが書けていない。

ここが悩みの種で、

そろそろ同性の魅力というものを研究し、

海パンでも履いて街へ繰り出し、

ちょっとヘンに

堕落してみようかなと考えている。

ツイテルツイテナイ?

ゴールドの輝き、消えました

神奈川県人ドライバーとしては恥ずかしい、

あの警察がウヨウヨしている小田厚道路で、

捕まってしまいました!

速度規定内で走っていましたが、

前に走っているクルマがノロノロしていまして、

ああ、迷っているのかなと思い、さらにスピードが落ちて。

で、どうしようもなく抜きまして、でですね、

だが、なんとそのクルマが覆面パトカー。

捕まった原因は、車線変更違反でした。

引っ掛けられたという訳です。

で、切符を切られまして、かなりイライラしています。

素直に反省ができません(爆)

減点1、罰金6,000円也。

こんなのはどうでもいいんですが、

ゴールド免許が消えました。

ここが悲しいですね。

「あんたら、いつもこうやって捕まえているの?」と私。

「私たちは規則どおり50㌔走行しておりました」と警官。

小田原の空は綺麗なのに、こいつらときたら、と思いましたね。

紅葉と駿河湾

箱根へ来た目的は、もちろん紅葉でして、

一号線・湯本から宮ノ下へ向かう道は、

葉が、なかなか良い色をしていました。

が、大渋滞はいただけません。

めちゃくちゃ混んでいます。

平日でもカンケーねぇんです。

しかし、芦ノ湖あたりへ来ると、杉の木が多いので、

紅葉は、イマイチ美しくない。

やはり、箱根は裏道に美しさあり。

自然が織り成す彩りは、極上のアートです。

仙石原の一面のススキも圧巻でした。

箱根スカイラインから見る景色も、

かなりのスケール感。

目線と雲の高さが同じ。

ポカンと浮かんで、遠くに駿河湾が見渡せます。

箱根はゲージツだ!

ピカソの作品は、

ポーラ美術館と彫刻の森美術館にありまして、

私的にはポーラ美術館の雰囲気が好きです。

紅葉の森の中に、沈み込むように建てられた外観はモダン。

エスカレーターでもぐり込むように入ると、

館内は白一色。

光は充分に差し込む設計です。

で、ピカソですが、わぁという存在感。

なかでも、「Salle Pablo Picasso」という作品は、

存在感が凄いです。

他とはまるで違う。

他に、ルノワール、ダリ

シャガールとか巨匠の作品がズラリと並びます。

わざわざ来る価値はあります。

あと、ゴッホって、すげぇです。

ここで観るのは二度目ですが、

パワーが凄い!

グイグイと迫ってきます。

ともかく、後はぐったりしてしまいますので、

ケーキでも喰わないと後がもちません。

ここにも、ピカソ

彫刻の森美術館にもピカソはいます。

ピカソコレクション館。

この人の作品を観るにつけ、ホント多才というか

いろいろな作品に巡り合えます。

版画なんかもガンガンありました。

私は、彫刻も絵も、学問的に何も知りません。

が、そんなことはドーデモいいと思っています。

好きなので、それで良しとします。

しかし、回りで凄いといわれても、

好きじゃない作品は好きにはなれない。

それで良いと思います。

な訳で、再び大渋滞の箱根を後にしました。

楽しいような、悲しいようなドライブでした。

清里にて

風が冷たいので、Gジャンを羽織る。

それにしても空がデカい。

以前、清里の清泉寮に来たとき、確か

長男を馬に乗せてあげた記憶があるので、

確実に15年以上は経っているだろう。

遠くに、アルプス連峰が鎮座し、

その後ろに富士の峰が光る。

流れる雲が映像のように、

草原とその背後に広がる森が絵のように、

相変わらず清泉寮からの景色は飽きることがない。

途中、

中央高速の双葉S.Aでコーヒーを飲みながら

ハーブ園を歩いているとき、

今日の日差しはミラーボールのようだなと

感じた。

木々の葉が、ハーブが、

クルクルと角度を変えて光っていた。

須玉インターを降りて紅葉の道を

駆け上がってきたのだが、

ワインのような濃い赤色の葉と

黄色く光る葉のコラボレーションが

微妙に濃淡を変え、

やはり風に揺れていた。

だが、途中訪れた清里の町は、閑散としている。

日曜日だというのに、あまり人影もなく、

もちろん賑わいとは程遠い衰退ぶりだった。

お洒落な洋風の建物も、

おとぎの国に出てきそうなお店も、

ひと気がない。

売り物件の看板も目立つ。

(みんな、どこへ行ってしまったのだろう)

思えば、80年代に清里ブームがあり、

ここは、とにかくいつも観光客でごった返していた。

そういえばあの時代、

旧軽井沢も同じような様相を施していたことを思い出す。

る・る・ぶという旅雑誌が飛ぶように売れ、

みんなが高原をめざした。

(あの頃のみんなは、どこへ行ってしまったんだろう)

いまは山ブームだが、

その流れに乗った方たちは、

もうこんな時代遅れの場所へはこないのかも知れない。

しっかりキメた山スタイルで、

私の後ろにそびえる八ヶ岳あたりを

ハードにストイックに

歩いているのとでも言うのかな。

(ツクリモノ。ニセモノ)

閑散とした町に、皮肉にも

ユーミンの古い歌が流れている。

陽気な日差しが、

この町をあざ笑っているかのようだ。

蕎麦屋へ入って、

ノンアルコールビールとてんぷらと

月見そばを注文する。

ジャズが流れる店内に3組の客がいたが、

その客が帰るともう誰も入ってこない。

私は、

蕎麦屋のジャズがあまり好きではなく、

要するに安易だと思う性質なので、

iPadをひらいて情報を遮断する。

ネットの世界では、

相変わらず、

刻一刻といろいろな出来事や情報が、

嫌というほどに溢れている。

そこに安堵する自分という生き物の変遷について、

やはり時間というものは、なんというか

人を変えてゆくものだなと、

今更ながらにハッとしてしまった。

思えば、初めてこの地に来たのは、

ボロボロのフォルクス・ワーゲンに乗っていた頃だから、

二十歳そこそこか。

ガールフレンドを乗せて、

夏の信州へと向かう途中に寄る清里だった。

この頃、ペンションブームがあり、

私たちの上の世代が脱サラを始め、

ペンションのオーナーになった頃だ。

私のビートルはもちろんキャブ仕様だったし、

カーナビなんかある訳がないし、

雨漏りも頻繁だった。

ガールフレンドとの会話にも、

どこかぎこちなさがあったし、

そして何より、

私も誰もが若かった。

さて、今回は友人のクルマでと相なった。

彼曰く、このクルマはすでに古いと言うが、

3000ccの躯体は楽に高速を飛ばし、

急な登り坂でもストレスがない。

現代のミニバンの底力だ。

翻って、

二十歳の頃の私のビートルは、

1300ccの非力で、

とにかくバタバタとうるさくて、

確かこの先の蓼科で雨に降られ、

ガールフレンドと二人で、

後部座席の下に溜まった雨水をかき出すハメとなり、

そのことが良い思い出にもなっている。

時代が交錯する、私の高原の町。

(ツクリモノ。ニセモノ)

いまはホンモノの時代かというと、

いやいやそんなことがある訳がない。

相変わらずみんな嘘をつくし、

政治家は都合の悪いことを隠しているし、

なんたって、

いろいろな場面で、

誠意なんてないじゃないかと思うことのほうが、

増えたような気がする。

生き物の変遷については認めざるを得ない私だが、

ツクリモノ。ニセモノの美しさも、

心得ている。

そこに思い出が詰まっている限り、

私のなかでは、

日差しを受けたそれのように輝やき、

そのまぶしさは、

今日のこの光にも勝る美しさを放つ。

自分の記憶を辿る旅も悪くない。

それは、

まだまだ地図の上に無数に転がっている思い出を

拾い集めるという、

新たな旅の始まりでもあった。

或る秋の日に・・・

夏の終わりに

キャンプに出かけた

ディレクターズ・チェアに腰をかけ

コーヒーを飲みながら語らい

その日は

いつまでも湖面を眺めていた

あのとき

時間は幾らでもあるような気がした

夜明けに目が覚め

例のチェアでタバコを吸い

ふと見上げると

赤富士の姿が悠然と広がる

湖面も鏡のように

その姿を映し出す

それはつかの間だったが

いにしえからのいわれ通り

私は幸せになれるような気がした

キャンプから帰って数日後に

おふくろが倒れた

仕事を放り出して

いろいろやったような気がする

おふくろはいま

病院を無事に退院したものの

介護なくしては暮らせない

難しい問題も山積している

時間が足りないなと思った

一度だけ

なんとかやりくりして

再度行きたいと思っていた

出雲大社の分社へ足を運ぶ

雨上がりの日差しがまぶしい

気持ちの良い風が

社内の笹林を揺らしている

少し気が晴れたと思った

天気も良いので

そのまま海へ向かう

茅ヶ崎で渋滞にはまり

都合良く

ゆっくり考え事をする

(幸せは

相対的なものか絶対的なものなのか?)

それは

きっと自分の価値観に沿って

感じるものなのだろうと・・・

久しぶりの江ノ島は

なにかイベント事があったようで

人でごった返していた

ここからの夕景が見たかった

弁財天は行かず

おみやげ屋も覗かず

橋の近くに置かれた椅子に座り

海と空をじっと見ていた

それは飽きるまで

暗くなるまでそうしていた

あまり知られていない裏通りの喫茶店で

オリジナルブレンドだという

コーヒーを飲む

うまいかまずいかよく分からないが

独特の苦味と香りは良いものだった

秋の虫が鳴いている

人の雑踏がさらに消えてゆく

(幾ら生きても年を重ねても

分かったようで分からないこと

分からないようで分かったことが

増殖する)

私は

幸せの正体を掴んだような気がするが

果たしてその実相は

また駆け足で逃げてゆくような気もする

(まるでチルチルミチルだ)

打ち寄せる波

何も釣れていない釣り人

孤独そうな老人が

ベンチからじっと

暗く揺れる海を眺めていた

記憶の街

親父の七回忌を終えた。

忙しさにかまけ遅れて申し訳ない…親父。

お経を聴いて、胸のつかえがとれたようだ。

寺は高台にある。

墓前に立ってこうして見ると、墓からの景色も悪くない。

遠くは横浜スタジアムまで見渡せる。

秋のやわらかい日差し。

木々の葉は、色づいているものもある。

一駅手前の奥さんの実家へ寄り、礼服からGパンへ着替える。

今日はこの地域の秋祭りだ。

クルマが混雑して、山車も出ている。

露店でポテトを買い、懐かしい神社をぐるっとしてみる。

こんなに狭かったかな?

しかし、いずれガキの頃に走り回った所だ。

みんな元気かな。

かつての仲間の顔がよみがえり、

自分が毎日歩いた通学路を歩くことにする。

自転車を漕いで毎日水泳部の練習へと向かったあぜ道も、

いまは家が建ち並び、

蛇行した細い道が、辛うじて記憶を呼び起こしてくれた。

近くのマンホールから水の音が聞こえた。

ああ、あのおたまじゃくしの小川の水路だと思った。

ここに、木の橋があって、と当時の場所を思いだす。

通りすがりの若い親子が、こちらを怪訝な顔で見ている。

あっ以前ここに住んでいた者です。

とは言わず、細い道を山の方へと向かう。

私が住んでいた所に、白いアパートが建っていた。

あの青い屋根の家は、もうないんだなぁ。

入り口の門柱は親父がつくったもの、それはそのままだった。

親父、念願叶って建てた最初のマイホーム、無かったよ…

近所の表札に見覚えのある名前。

友達の名前も連鎖的に、次々に思い浮かんできた。

秋になると、農家が畑でなにかを燃やし、

よく煙がたなびいていた丘からの景色は、

一大分譲地に変わっていた。

が、この頃の季節に栗を落としたあの山は、

市民の森として、いまも残っていた。

農家も幾ばくか残っているが、

建物はお洒落になり、ガレージには高級車が鎮座する。

うーん、と唸ってしまった。

ずっと歩いていると、秋といえど汗が吹き出す。

思えば、我が家はいつも高台にあった。

一件目の住みかを除くと、後は高台ばかりだ。

再び駅前に出ると、改めてこの街の猥雑さが際だつ。

人が多いのは昔からだが、どうも真っ直ぐに歩けない。

道が狭い所にクルマやバスが行き交い、その間を自転車が飛ばし、

人がごちゃごちゃになっている。

表通りの洒落た店構えが並ぶ隙間に、

見覚えのある古い豆腐屋があったり、

一歩裏へ入ると、

崩れそうな錆びたトタン張りの飲み屋街があったりと、

気ままに時を重ねたこの街らしいテキトーさに笑ってしまった。

僕はこの街で育ったんだ。

いまお袋は、年の病で入院している。

たぶん、今日の事を話しても、分からないだろう。

いずれは、みんなそうなる。

親父は、墓の中。

僕がこの街を歩いて、

見たもの聞いたことをぜひ親父とお袋に伝えたいが、

どうすればいいかな。

あまり切なくなるといけないので、

親父とお袋には、

とりあえず「ありがとう」とだけ言っておくよ。

テレパシーで、いいだろ?

男のスペック

「女性がグラッとくる男性のスペック9パターン」なるものが、

mixiに書いてあった。

クルマじゃあるまいし、人にスペックってどうよと思ったが、

女性は、男のスペックが気になるらしい。

男は女性のスペックなんて気になるのかな?

例えば、スリーサイズとか?

うーん、微妙。

で、そのスペックだが、

【1】誰でも聞いたことがある有名な企業に勤めている

-有名企業の男性に対してテンションが上がる女性もいるようです。
結婚を意識する年齢だと余計に安定感を重んじるのでしょう…」(mixiより引用)

ふーん、トヨタとかソニーとか、ですかね?
いや、ソフトバンクとか電通とかかな?

そう、世の中ってそういうもんなんだ。

弱小企業経営者は、問題外の外でした(笑)

【2】カッコいい高級車に乗っている

「ちょっとゴージャスなドライブデートへの期待が膨らむ女性もいるようです。…」(同引用)

ベンツとかポルシェなんかがモテモテ、こんなクルマがいいのかな?

ボロッボロのボルボに乗っている私ですが、

走行中は、回りから、かなり奇異な目で見られます(涙)

【3】甲子園に出場したことがある

「甲子園ってすごく大きな舞台。一度でもそんな大舞台に上がったことがある人なんだと思うと尊敬」(20代女性)…(同引用)

ヒーロー扱いですな。
私が通っていた高校は、甲子園でも優勝経験があるところでしたが、野球部の連中はみんな裏で、
とんでもないことをしていました。普通の学生の場合は、退学ものです。

ちなみに私は、野球が下手! 

少年野球のとき、捕ろうとしたボールを顔にぶつけて辞めました。以来トラウマで、いまでも好きになれませんな。

そうそう、応援で呼ばれて、甲子園でトランペットは吹いていましたが、それだけです。直接野球とは関係ないです。

【4】医師、弁護士など知的な国家資格を持っている

「お金もありそうだし、すごいステイタス。結婚のことを考えると…」(20代女性)など、
将来の自分の人生を考えて、ときめいてしまう女性もいるようです。…(同引用)

知的な国家資格か? そう言えばMBAとかいうアメリカの資格をもっている奴もいたな。

サラ金専門の弁護士、知っていますが、コイツは金の亡者。全然知的じゃないけど…

国家資格といえば、私、調理師の免許もってました。が、つくるものはみそ汁のみ。

それしかできない!

最近、炊飯器の水の量を初めて知りました(爆) 飯ごうの方がよく分かる。

【5】一等地にマンションを持っている

「持ち家がある安定感はすごい! しかも場所がいいとセレブへの夢が膨らみます(笑)」(20代女性)など、
女性は将来一緒に住むことまで考えて、グラッときてしまうようです。…(同引用)

ふーん、そういうこと… 相変わらず私の知人ですが、
都内の一等地の高層マンションに住んでいる奴がいますが、コイツは確か変態だったな…

田舎の一軒家なら私も持っています。最寄りの駅から歩いて半日です(クソッ)

【6】数種類の外国語をマスターしている

「そんな人と一緒に旅行できたら楽しいだろうな」(20代女性)など、
語学力が生きる瞬間を想像して、魅力を感じる女性もいるようです。…(同引用)

そうそう、そう思います。外人とペラペラ話しているのを見ると格好いいよなー。

またまた、私の知り合いにもバイリンガルがいますが、外人の女なら誰にでも声をかけています。

要するに、語学堪能のスケベです。

私は知り合いが多く、その人達の出身地も様々なので、関西弁とか東北弁とかは、少し真似できます(フザケルナ)

【7】一流大学を卒業している

「ベタだけど、一度は東大生と付き合ってみたい」(20代女性)というように、
ネームブランドにクラクラしてしまう女性も。
将来性のある知的な男性に魅力を感じるのは、もはや本能かもしれません。…(同引用)

本能ね? 仕事仲間には、フツーにこういう一流大学出の奴らが混じっています。が、

コーヒーをペンでかき回したり、

酒を飲むと絶叫したりと、割と手に負えないのが多いんですがね。

私は2流大学の出身ですので、全くブランド性なし。同級生には失業者も多いよ!(悲)

【8】モデル、芸能人、タレントなど有名人である

「優越感! そんな人に好かれたら、自分に自信が持てそう」(20代女性)など、
才能ある有名人から愛される自分を想像してグラつく女性も。…(同引用)

有名人って、割と知っていますが、ほぼ家庭崩壊してます。末路は厳しいよ!

↑ところでこの調査ってホントなのかよって思い始めました(疑)

【9】1000万円級の貯金がある

「お金とかで選ぶのはよくないけど…でもやっぱり(苦笑)」(20代女性)というように、
やはりお金の力は絶大。女性の心を揺り動かすパワーがあるようです。…(同引用)

私の親戚に億万長者がいます。家はどう見ても100坪はあり、玄関だけで、

ウチの居間くらいはあります。

すげーです。が、自分の持ち物が多くて、始終心配ごとが尽きないそうです(哀)

ちなみに、私は毎月奥さんから3万円とかもらっています。それだけです。預金?

そんなものより借金が多いに決まってるでしょ。

では、良い一日をお過ごしださいね

出典)スゴレンより

テレビを観ていて…

ここのところ、世界陸上を観ている。

最近のテレビは、映りが鮮明。

で、薄型テレビにハイビジョン。

驚いた。

で、世界陸上だが、よーく観ると、

結構美人のアスリートっているもんだと、

変なところで感心してしまった。

室伏広治も金メダルをとったし、

あの面構えも体格も外人選手並み。

負けてない。凄いと思う。

で、いろいろな競技を観ていて、

わたし的に気になることがある。

それは、あのダイナミックなスポーツ、棒高跳びだ。

飯を喰いながら、あの競技をじっと観ていたのだが、

何かが変だと思ってしまった。

私の疑問は、

棒高跳びの選手達はいつから何を思い、棒を持って走り始めたのか?

である。

もっと言えば、いろいろな競技があるなかで、

何故、棒を持って走ろうと思ったかだ。

足の速い人は走るだろう。

力がある人は何か重いものでも投げると遠くへ飛ぶなとか、

ありきたりの事を思うのだが、

棒高跳びの選手は、何故棒高跳びの選手になろうと思ったのか、

そこを想像するのだが、私にはよく分からない。

で、飯を喰いながら奥さんにこの質問をしたら、

「高く飛びたいからよ」と

あっさり言われてしまった。

いやいや違う。

私が言っているのは、何故棒を持って走ろうと思ったかだ!

ひーひー(興奮している)

走り高跳びとかは、普通に理解できる。

私も学生時代は、ベリーロールとか背面跳びとかやったこともある。

だが、棒を持って走って跳ぶ?

テレビを観ていて、あの長くてデカイ棒を持って走る姿を観ていると、

何故か、奇妙に思ってしまう自分がいた。

しつこいが、あの棒高跳びのアスリートの方々は、

何がきっかけで、あの棒に命をかけようと思ったのか?

そこがどうしても分からないのだ。