日本のメシ

外出が続くと、ついパンとコーヒーとかで

軽く済ませている場合が多い。

が、これが続くとなんだか違和感が出てくる。

体が、違うぞと言っているように思う。

で、ご飯とか蕎麦が無性に食いたくなる。

飯系はおにぎり、蕎麦系はたぬきそばとなる。

なぜおにぎりとたぬきなのか、そこは判然としないが、

この2種を摂取すると、

なんだか体がリセットされた気になる。

不思議。

西洋に行くと(表現が古いな)、朝食は、パンだ。

安宿に泊まると、朝食に出されるパンもかなりまずい。

まず堅いし、なにより素っ気ない味。

シンプルといえばそうだが、私には馴染めない。

紅茶もティーバック、で薄いのばっかり。

運んでくれる女の子も、なんだかふて腐れているから、

余計にまずい。

日本で食う安い食パンのほうが、よっぽどうまいのだ。

で、東南アジアはどうだろう。

私はまだ東南アジアへ行ったことはないが、米系はありそうだ。

が、辛かったり香辛料が入っていたり、汁物の飯のイメージ。

きっと味噌汁もお新香もないんだろうな。

ムカシ、南の島へ行ったときも、数日で米が食いたくなり、

日本から持って行った農協の温めて食えるご飯と

即席の味噌汁に救われたことがある。

あっ、梅干しもね。

これから海外を考えている私にとって(?)、

食い物の問題はかなり深刻だ。

最低、数日に一度は、正しい日本の飯でなければならない。

向こうの日本食をいくつかチェックしたが、

かなりの高額。

全然お財布にさやしくない。

うーん。

向こうの言葉とか気候とか習慣とか、

まあクリアすることはいくらでもあるが、

私の場合は、まず飯なのである。

飯の問題をクリアすると、だいたい大丈夫。

生きていけそうな気がする。

そこんとこのみ、柔軟性に欠けるな。

特に、朝の飯にはこだわるね。

まず、寝起き。

うまい緑茶を一杯飲みたくなる。

コーヒーは後ね。

で、味噌汁は、味噌と具のコラボに期待する。

海苔でも卵焼きでもうまいのが食いたい。

魚はアジの干物だろう。

佃煮はどうだ。

濃すぎず、薄すぎずがご飯に合うんだよな。

とまあ、私の場合は面倒くさいのです。

いっそ向こうで日本食の朝飯屋をやるか。

と、これはやけくそ的ビジネスの発想。

閑話休題

以前は我が家も、朝飯はパンの時代がありました。

しかしです。もう、朝からバターだのジャムだのと、コテコテ。

もっと遡ると、ケロッグとかそういうもの。

シリアルしか食わないときもありましたね。

が、年がいくと米です。

米に戻ります。

米はいいですね?

なんといっても味噌汁とのマッチングが素晴らしい。

これは、日本人の知恵ですね。

皆さん、日本のメシ、食ってますか?

或る秋の日に

懇意にしている方の有機栽培農場へお邪魔する

元設計技師のT氏が定年後に拓いた農場は

今年で12年になるそうだ

現役時代のT氏は

東京の会社で工場のライン設計をしていた

現在はその緻密な頭脳を農業に傾ける

農場の片隅にあるT氏自慢の小屋は掘っ立て小屋だが

中は農業に関する本やノートがずらっと並ぶ

土がこぼれている机に足を投げ出し

二人で缶コーヒーを飲んで一服する

馬鹿っ話でお互いの疲れを癒やし

程々に政治の話なども飛び出すが

この美しい景色の中では

やはり収穫ものの話が似合う

たばこの煙がアケビの弦に絡まり

そして秋の空へと消えてゆく

聞けば

近くの荒れた農地は作り手が不在で

毎年草のみが刈られて地肌をさらす

どこも農業を放棄する

理由は食えないからだと…

T氏はずっと

農業への可能性を探っている

それは効率ではなく

なにか人が感動するような農業

そして

食べることを慈しむことができるような

豊かな農作物の収穫だという

T氏の農場では

すべてが実りの秋だった

雑多なつくりもののなかに

理知的かつ

農業に対する崇高な思想が流れる

東に山が迫り

小川を挟んで陸稲と畑に分けられ

細長い耕地は西に伸びるが

その先の広がりのある農園には

たわわに実った稲穂が光る

秋の夕陽はオレンジ色に景色を照らすが

それでもまだ汗ばむほどの勢いで

私たちを照らす

T氏が再び草刈り機を回し

山々へエンジン音がこだまする

最近は保護政策で増え始めた

山の野猿との知恵較べだと笑う

幾種もの名も知らない虫が飛び

数え切れない程の数のバッタが跳ねる

栗の木の下に

いくつものイガグリが転がっている

豚の糞でつくったという堆肥に

化学肥料とは違った実りが期待できる

小川を渡り

アケビをかじりながら

放し飼いの鶏を観察していると

赤とんぼの集団が滑るように通り過ぎる

此所へ来るたびに

本当の豊かさを噛みしめる自分は

さあこれから何処へ行こうか

さて何を始めようかと

いつもの如く戸惑ってしまう

書籍について考察

仕事柄か、本が大好きなので、

読むものが常に3冊~5冊くらいが同時進行している。

また、私の場合、書籍類は経費として認められている。

名目は研究費。

別に研究などしていないが、

帳簿では、そうした項目となる。

お役人が考えた仕分けなのか?

で、研究費はあまり節約しないようにしている。

結果、部屋は本だらけ。

先日も久しぶりに本屋へでかけ、主に雑誌類をあさる。

普段は、ほぼアマゾンで賄っているので、

久しぶりに町の本屋へ行くと、うきうきする。

あの、本がズラリと並んだ爽快感は、ネットでは味わえないです。

まず手に取ったのが、

枻出版の「Daily U・S・A」。邦題、アメリカの日用品図鑑。

ざらついた手触りの紙質は、良い意味で引っかかりがあり、

漂白してなさそうな、

少しくすんでいるところに好感。

ページ数はP200あるので重いかなと思ったが、

そこはペーパーバックの如くライト。

アメリカンなのである。

制作者がそこまで気を回わすと、やはり本はいいなぁ、

高価でも欲しい本は買うな、と思ってしまう。

これは、ネットが幾ら頑張っても、出せない感触だ。

当たり前だが、存在感が違う。

ページを開くと、

アメリカン・クラッシックな雑貨やチョコ、

お菓子、家電やケミカル製品がズラッと並ぶ。

ひとつひとつの製品写真が少々荒れ気味に、

かつ大胆なデザインでレイアウトされている。

イメージ写真やイラストもポップで、

これは学ぶべきところが多いな、と思う。

眺めるにつれ、

バットマンやグリーンホーネットが活躍していた時代に

アメリカ文化の基礎は、すでにできあがっていたように思う。

↑はジョークだが、イメージとしては分かって頂けると思う。

日本や中国、欧州とはひと味違うアメリカン・カルチャーは、

ときとして、気になる魅力を発する。

さて、2冊目に、月刊「ペン」に目がいった。

クリエイティブの最前線という特集を組んでいたので、

中をペラペラとやってみて、衝動買い。

クリエイティブといっても、その範囲はプロダクト、

写真、広告、グラフィック、建築と多岐に渡っていて、

各分野のスグレモノがズラッと載っている。

普段は、こうした分野にまで網を張っていないので、

目から鱗とは、このことか。

出版社は阪急コミュニケーションズ。

いいものつくるなぁ~と、つくづく感心。

そういえば先日、歯医者の待合室で読んだ、

「GQ JAPAN」も良かった。

もう廃刊された名雑誌「NAVI」の編集長だった鈴木正文さんが編集長をしている。

記事は硬軟入り交じり、お洒落なのにかつ原発などの話題にも触れ、

鋭い言及がなされている。

他では読めないレポートは、迫るものがあった。

で、この雑誌は「NAVI」に似て、

その文字の組み方やレイアウトなどか踏襲され、

素人のデジカメ写真とは全く次元の違う写真も贅沢に使い、

プロの仕事をいかんなく発揮している。

こうなると、本の強みが見えてくる。

e-ブック(電子書籍)とは異なる価値が、明快だ。

デジタルは、デジタルとしての役目があるだろうし、

アナログ本は、それと異なる方向に活路がある。

また、コストやエコの問題に加えて、現在は

「フリー論議」も盛んだ。

フリーとは、要するにタダのこと。

世の中、タダの情報やソフト、サービスが蔓延しているが、

行く末はどうか、気になる話題ではある。

フリーは、本も例外ではない。

すでに中身がネットで見れるものの他、

著作権切れの書籍なども含め、

タダに近い状態になっているものもある。

で、このタダビジネスはどうやって儲けているかだが、

おおかた、広告などの間接的な稼ぎのスタイルが多い。

例えば、タダで読める書籍サイトがあれば、皆が集まる。

サイトアクセスが増えるので、訪問者にタダで本が読める代わりに、

そのサイトに広告を出稿する企業がお金を負担することとなる。

フリーの仕組みの一例は、簡素に話せば、こんな具合だ。

で、話を本屋の本に戻すと、

フリーという概念を吹き飛ばす価値の高いものは、

まだまだ存在する。

書籍の生きる道は、この辺りにあるような気がする。

で、その他の書籍はどうなるのかというと、

前述した価値のないものは、やはり淘汰の道を辿ると思う。

書籍も進化の真っ最中なのだ。

なんだか、

ダーウィンの進化論と重なるような気がする。

気になる教え

人を助ける人を、天は助けるそうだ。

出典は不明だが、

福沢諭吉が言いそうな気がする。

納得。

昔、人でなしには、必ず罰が当たった。

幼心に、道徳を躾けられた身には、

そうして世の中は回っているようにみえた。

だから、自らの行いに良からぬ事があると、

怖れが芽生える。

怖れは悪夢を呼び、不安をかき立てる。

私は、

悪事ばかり働いていたので、

心の休まる暇がなかった。

万事急須! 

しかし、悪人といえども、

心を入れ替えれば、天が助けてくれる。

これも、出所が不明だが、納得。

人は、やり直すことができる、らしい。

人生のリターンマッチで、

なんとか辻褄を合わせる。

誰も最後は、

穏やかになりたい、のだ。

なので、心を入れ替える。

曰く、

心が変われば、態度が変わる。

態度が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、運命が変わる。

運命が変われば、人生が変わる。

これは、ヒンドゥー教の教えだが、

あのマザー・テレサも同じような言葉を残している。

曰く、

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

ちなみに、私たちの親しんでいる仏教も、

広義にはヒンドゥー教の流れを汲んでいる。

妙な成功本より、よっぽど面白いのだが、

いざ、実行するとなると…

そこが難しいんだよね?

静寂と退屈(ふたつの音楽)

そのときは突然訪れたので、困惑した。

まだ、中学生の頃。

私も人並みに受験勉強に励み、

寒い夜中に、石油ストーブをつけて、

ラジオを聴いていた。

たまに深夜の外を眺めて新鮮な外気に触れ、

英語の勉強をしていたときだと思う。

ふと気がつくと、

私はそのメロディーに魅了される。

シャープペンを置く。

ストーブの上のやかんの煮え立った音が、消える。

少し頭痛が出て、

そのメロディーは、外からきこえた気がしたが、

ラジオのジーっという雑音も消えてなくなり、

溢れ出るメロディーに、時が止まった。

後日、このアーティストが、

サイモンとガーファンクルと知る。

いまではたまに聴く程度だが、

当時は折りに触れ、

擦り切れるように、聴きいっていた。

「サウンド・オブ・サイレンス」は、静かに流れる。

その音楽は、

確かに静寂のなかのサウンドだった。

以来、私は窓を開け放ち、

夜空をじっと見上げる癖がつき、

その空を突き抜けた先に、意識は向かっていた。

夜のしじまに流れる、

宇宙の交信の気配を気にするようになったのは、

こうした習慣が常態化してからだと思う。

後、静寂はメメント・モリのときであり、

自分というちっぽけな存在の生を意識する儀式となり、

都会生活に於いても欠かせない確認事項であり、

独りを意識し、この世の孤独と向き合う、

格好のときとなったのだ。

一方、数年後、

私は高校生になり、

「よい子」が集っている吹奏楽部が肌に合わず、

退部する。

そのときから、学校へ行かなくなる日が増え、

家を出ても、私は反対方向への電車に乗っていた。

そして、世間で言う不良仲間が溜まっている

アパートへとしけ込む。

学校や職場からはぐれた数人の仲間とは、

たいした話もなく、

気だるい心身を引きずって、

ただパチンコ屋へ通い、

出玉でその日をどう過ごすか、

そんな日々だった。

考える事を拒絶し、

これから先に、

自分のなにが広がっているかなどとも思わず、

目の前のテレビがなにを言っているかも分からず、

ただ、こんな時間が永遠に続くとなると、

生きていることに、

とてつもない退屈さを感じた。

その頃の私にとって、

時は、継ぎ接ぎだらけの寄せ集めで

辛い時間だけ止まっている、

そんな観念さえ抱いていた。

生の輝きもなく、

それは真綿で首を絞められるような拷問に思えた。

そんなとき、

仲間の自慢のJBLのスピーカーから、

吉田拓郎が唄っていた「人間なんて」が、

いつも流れていた。

乾いた砂漠を宛てもなく歩く…

そんな自分の姿が、脳裏に映っていた。

人間なんてらららららららら…

人間なんてらららららららら…

この歌詞のらららに、

私は、むなしさのすべてを詰め込んでいた。

いまとなっては、

その時間が益であったのかどうか、

思い出す度に、

困惑する自分がいるのだが…

スパンキーの気まぐれ随筆

もののけ

焚き火をやろうということになり、

数人で丹沢の山奥へでかけたことがある。

薪と斧とランタンやシチューや鍋、

ディレクターチェアや防寒具など、

クルマの荷室は満杯だ。

谷を見下ろす崖っぷちの細い道を、

奥へ奥へと入り込む。

もうこれ以上奥へ行くと、きっと帰れない。

そんな予感がアタマをかすめる頃、

わずかな膨らみのある道端にクルマを止め、

そこを一夜の宿にすることにする。

陽が沈むと、急に冷え込み、

辺りも、暗幕を降ろしたように

視界が閉ざされる。

木が燃えるパチパチという音が懐かしい。

炎を囲んでいるだけで、とても落ち着く自分がいた。

やはり、来て良かった。

やがて、月に雲がかる。

晩秋の夜だった。

数㍍先に、何ひとつ見えない漆黒の闇が広がる。

清水が湧き出る音が、かすかに遠くから聞こえる。

時折、小石らしきものが崖から落ちてくる。

小動物も近くにいるらしい。

私は、なぜか背後の森を凝視していた。

そして、なにか得体の知れないものが、

こちらの様子をうかがっていると感じてしまった。

ああ、やはりここは私たちの来る所ではないのだ。

以来、その場所へは行ってはいない。

カレーについての考察

日本を訪れたインド人が、

レトルトのボンカレーを食べて、こう言ったという。

「こんな美味いカレーを初めて食べました」

「?」と私。

この話をどこで仕入れたのか忘れたが、

それがホントなのかどうか、ずっと気になっていた。

後年、これを裏付けるような番組をたまたま観た。

秋葉原を歩いているインドの方に、

CoCo壱番屋(だったと思う)のカレーを食してもらい、

その感想を尋ねたところ、

「インドのカレーよりおいしいね」と確かに言ったのだ。

私はインドでカレーを食べたことはないが、

日本でインド人がつくるカレーは何度か味わった。

やはり、本場仕込みはうまいと思う。

がしかし、

日本のカレーとどちらがうまいかと問われると、

そこがよく分からない。

別物と考えれば納得がゆくが、

自分には、その明確な基準がないのだ。

だが以前、

二子玉川のカレー店「モティ」で食べたカレーが、

生涯で一番おいしかったように思う。(おおげさ)

ちなみに、この店は、全員インドの方で構成されていた。

思えば、カレーは、ラーメンやビザ・パスタ以上に、

奥深くて不思議な料理だと思う。

それは、香辛料のせいかも知れない。

以前、香辛料メーカーの仕事をしたことがあって、

少しだけ知識をかじったことがあるが、

とにかくその種類は多種多彩であり、

幾度かアタマが混乱したことがある。

結果、私的に香辛料は不思議、とインプットされている。

先日、街でインド人とすれ違ったが、

彼は、香辛料に詳しそうなインテリな眼差しをしていた。

だが、

「チョットイイデスカ?

世界に分布するカレーの味に関する傾向とその素材構成や

香辛料について、私とじっくり考察しませんか」 

とは、絶対に言えなかった。

すっぴん美人

もう、すでにオリンピックが懐かしい。

その位、時の流れを早く感じてしまう。

今回の大会でも、

当たり前のように、というか、

圧倒的な強さで金メダルをとった

レスリングの吉田沙保里選手。

なぜか、彼女のことが脳裏から離れないのだ。

好きであるとかファンだとか、

そういうものではない。

以前から、ALSOKのテレビコマーシャルを観る度、

この人は動物っぽいな、とは思っていた。

強いだけでなく、勘のようなものが、

人並み外れているようにみえるのだ。

試合後、この人をどこかのテレビでみかけたが、

割と濃い化粧をしていた。

そのとき、私はなにかとても奇妙な感覚に襲われ、

違う、なにかが違う、と混乱した。

それは、彼女の素養を知るにつけ、

すっぴんが一番似合う人と、

私が勝手に決めつけているからに違いない。

シンボル

横浜のシンボルといえば、

いまはランドマークタワーということになる。

が、私にとっては、山下公園前に建つマリンタワーとなる。

小さいときから眺めていたので、今更、心変わりもない。

但し、

塔の色が赤と白の縞模様からグレーに変更されたのはいただけないが…

同じく、東京の人にとっての東京タワーも同様のような気がする。

いまは東京スカイツリーが幅を利かせているようだが、

当然、ノスタルジーに欠ける。

特別の人を除き、そこには思い出も思い入れも、

まだない訳だから…

で、マリンタワーだが、

いまでもたまに横浜へでかけると、

まず、中華街の萬来亭で肉ソバを食して、

腹ごなしにマリンタワーまで歩くことにしている。

そして、エレベーターでてっぺんまで昇って、

関東平野を見渡す。

望遠鏡で覗くと、

東京タワーも六本木ヒルズも、丹沢の山並みも、湘南の海も

一望できる。

マリンタワーの高さは、たかだか100㍍ちょっとだが、

そんな高さでも、私は充分満足できるのだ。

対岸のみらとみらい地区に、憎きランドマークタワーと

インターコンチネンタルホテルが威風堂々と鎮座しているが、

あんな新参者に、私の心は乱れたりはしないのだ。

そして、近くの老舗ホテルである

ホテル・ニューグランドの旧館のカフェで、

カフェオレを頂く。

ここのカフェオレは、なんとポットで出てくるので、

とてもおいしいのに、2・3杯は頂ける。

で、つい長居をしてしまいます。

このコースを私は、

「横浜ノスタルジーコース」と勝手に呼んでいます。

記憶に変更のない限り、

当分の間、このワンパターンで行きたいと思います。

現役

風呂上がりにテレビを点け、

適当にザッピングしていると、

NHKのEテレに風吹ジュンさんが出ていたので、

ここを観ることにする。

内容より、風吹ジュンさんなのだ。

この方は現在60歳だが、とても綺麗。

遠いムカシは、私たちのアイドルだった。

で、番組タイトルは「団塊スタイル」。

私より年上の方をターゲットにした番組らしいが、

内容は心に残るものだった。

97歳の現役フォトジャーナリストである笹本恒子さんが、

この日のゲスト。

この方の半生を追って番組は進行する。

50代でカメラマンで喰えなくなり、一旦離職。

洋裁やフラワーアレンジメントの仕事に転職したが、

どうしてもカメラの事が忘れられず、

なんと70代で現役復帰を果たす。

古くは、井伏鱒二を始め、

日本の名だたる作家達をフィルムに収め、

近年では、イギリスのサッチャー元首相など、

歴史に名を刻んだ人たちも、多数撮っている。

で、この日の番組のサブタイトルが、

「再出発は何度でも」。

いいタイトルだな、と思った。

外交

いま、日本の領土(島です)を、

中国、ロシア、韓国がちょっかいを出している。

これは単なる偶然なのか連携なのか?

私的には、中国とロシアには密約があると睨んでいる。

お互いは、潜在的に仮想敵国同士だが、

対アメリカということで、利害は一致する。

中国と韓国に関しては、国内情勢も絡んでいるようだが、

ロシアは、アメリカの出方をチェックしているようにも思える。

いずれも不愉快な事柄だが、

野田総理が先日、日本の毅然とした態度を表明した。

先方に言わせると、拳を振り上げたとも受け取れる

メッセージらしい。

で、このままヒートアップすれば、

ひと昔前なら、いざ紛争、

悪くすれば戦争となりかねない様相となる。

が、皆、戦争の愚かさを知らない訳ではない。

外交は、こうした争いを粘り強く解決へと導く、

最も堅い手段だ。

では、明治維新以来、日本の外交はどうだったのか?

第二次世界大戦の勃発の発端、

太平洋戦争の終結の遅延、

戦後の日本に於いて、

外交がどこで貢献し、なにを失敗したのか。

その検証を重ね、後に活かすことが、

この国にとっての急務だと思うのだが。

イマドキの会話

今日一日が面倒くさいと思うあなたが

友人と約束をしている。

気が重いが、まあ、

だいたいこんなことばを発していれば

なんとかなるらしい。

ヤバイ

超ウケル

意味わかんない

ハンパない

マジで?

これは、ネットで拾った話なので、

早速我が娘に聞いたところ、

そうね、なんとかなるよ、うふっ、との

回答を得た。

ダルイときは、

これで乗り切りたいが、

この場合は当然、超若い子限定!

そこで年を喰ったあなたは、

少し工夫とアレンジを加えたい。

そこに知性が感じられればOK。

例えば

その辺りは考える予知があるね

なかなか的を射ていると思うよ

ふむふむ、というと?

それは凄いことだ

で、事の真意は?

とまあ、こんなところ。

ホントに乗り切れるか、

私には自信がありませんが…

以上、会話は中身が薄まり、

ことばはどんどん粗末になり、

貧困なボキャブラリーが、

いまの時代を席巻している。

しっかり考える習慣を身につければ、

色とりどりのことばが見つかりそうなのですが…

では、ことばの鮮度はどうか?

例えば、

そんなの関係ねぇ!

海パン姿の小島よしおがアタマに浮かびますが、

忘れていましたね。

ゲッツ!

きっと幾ら酔っても、イマドキまず言わないギャグ

ラブ注入

気味の悪い顔が浮かんでは消えまして、

うっすら寒い感じがしました。

おっはー

爽やかに起きた朝は、つい口から飛び出しそうな台詞ですが、

言ったその後が辛そうですね。

以上のように、ことばにも鮮度があり、

ここを間違えると失笑を買います。

がしかし、

ガチョーン!

とか

「わたすが変なおじさんです」

とか、恥ずかしげもなく

堂々と言い放つと、

これはまたいぶし銀のような光を放つものです。

化石のようなことばのなかにも、

いまでも通用するものはあるものです。

それは、

パリコレで異彩を放つアフリカの民族衣装のようでもあり

ニューヨーカーに人気のベントーのようでもあり、

日本人の海外旅行に欠かせない梅干しのようなものでもあります。

たとえがいい加減ですが、

なんとなく真意は伝わると思います。

じっといまという時代をみつめ、

そして考える習慣をつけると、

きっとあなたはいつでも、

的確かつ素敵なことばを発する、

ことばのプロになっていることでしょう。

私がコピーライターに成り立ての頃、

いつもこんなことに注力するよう、

先輩に言われていたような気がします。

ふたりなら、なんとかなるさ!

このタイトルは、コピー風につくってみました。

かの名コピーライター中畑貴志さんの作品に

一緒なら、きっと、うまく行くさ。(セゾンカード)

というのがある。

これを頂いてみたが、センスが雲泥の差。

しょうがない。

で、このふたつのフレーズから漂う共通項は、

アバウトな楽観の匂いであり、

計算でははじき出せないものを肯定しているという点。

そして複数(恋人とか夫婦)のキーワード。

これらに綿密な計画は感じられないが、

希望のあることばではある。

最近あちこち、特にビジネス、いや人生に至るまで、

綿密な計画性が求められているような気がする。

私もそうした話を聞く度に、「そうだろうな」とうなずき、

最も…と感心すらさせられる話が多い。

要は、

行き当たりばったりで生きていると、

ろくなことがないということらしい。

成功する人間は、

そもそも立派な志と綿密な計画を立てることから始まるらしいのだ。

そういう意味からすると、私は即失格。

こうした仕事をしている割に、計画性に乏しく、

気がつくと気ままに考え、行動しているところがあり、

特に、予約とか、先ざきのことまて決めなくてはいけない

日常のさまざまな行為が、最も苦痛だ。

そんな適当なやり方で、なんとか今日まで生きている訳だが、

振り返るに、

ろくなことはないこともあったし、

ろくなことはないなんてことはないこともあるのだ。

仕事の場合は、当然のように計画性を求められる。

でないと、相手も不安だろうし、物事が計画通りに進まないと、

いろいろなところに支障が出る。

この場合、自分以外の人のために、一応計画をたてることにしている。

無計画で良い結果は得られないというのも、定説だし。

で、ついでにいわせてもらえば、世の中はすべて予約制だ。

ホテル、歯医者、美容院…なんでもそう。

行き当たりばったりは、ほぼ許されない世の中なのだ。

いまの世の中は、計画性が必須。

で、計画とは、いわば目的・成功に至るロードマップ。

ここがしっかりしないと、目的とか成功は達成されないといわれている。

ホントのような気もする。

だがしかし、そうでもなさそうな気もしている。

相当ムカシのことだが、旅行の日程を分単位で決めている奴がいて、

そいつにスケジュールを任せて出掛けたのだが、

ほぼ修学旅行と変わらない雰囲気の旅行になってしまったことがある。

また、遠い友人に10代で子供をつくったのがいて、

当時彼に「これから大変だな」といったところ、

「いや、俺が30代でこの子が成人して独立、俺とかみさんは悠々自適だよ」

と自慢されたことがあり、私はたいそう驚いたことがある。

立派だなと、つい思ってしまった。

が、この友人は、数年後に奥さんに浮気されて離婚。

いまは再婚して、全然違う人生を歩んでいる。

お互いに中年になって、彼にこのときのことを話したところ、

まるで他人事のように、

「そんなこともあったな、へへっ」でした。

さて、世の中には、

なんとなく生きているうちに良いところへ辿り着くような人もいる。

これも私の友人の例だが、

なんだかいつも飄々としていて、

若い頃から上昇志向のかけらもないない男なのだが、

最近彼と話していたら、

「なんだかさ、所長になっちゃってさ」と聞かせられた。

彼も、一応名の知れた上場会社努めなのだから、

世の中、よく分からない。

という訳で、私の回りだけでも、

いろいろなケースをみることができる。

これらを分析したところで、答えがはじき出せるものでもない。

かように、世の中とはよく分からないものであり、

人生とは、不確実なものに満ちているような気がするのだ。

保険、年金、老後。これらを考えると、

いまの私にとってかなり深刻な問題なのだが、

そのシミュレーションなどをみていると、

理解しようにも疑わしい匂いを放つ。

備えあればそれに越したことはないが、

防災などの計画と違い、こと人生等において、

やりすぎ・考えすぎのシミュレーション予想は、

たいして当たらないような気がするのだ。

それは不確定要素の先に、なんだかもっと得体の知れない

なにかが潜んでいるからに他ならない。

それが運であり星であり、

心であり宇宙の法則なのかも知れない。

思えば、地球だって偶然の産物。

一寸先は闇か光かなんて、誰にも分からないことだし、

いまこの国に於いてさえ、

なにが起こるか分からない。

こんなときに、こんな時代に

より不確実なもの、みえないもの…

例えば、愛だとかを信じてみること、

そしてそれを語ることはかなりクサイ。

しかし、私はこの辺りに、

なにか大切なものが眠っているような、

隠れているような気がしています。

ふたりなら、なんとかなるさ!

一緒なら、きっと、うまく行くさ。

そのムカシ、

私たちが若かりし頃は、みんな

こんな感じでスタートしたように思う。

妙なシミュレーションや綿密な計算より、

この先、再びこんなことばの方がぐっとくる世の中になれば、

それは、かなり素敵なことと思いますが…

梅ちゃん先生の違和感

NHKの朝ドラを観るのが習慣になっているが、

梅ちゃん先生は、どうもあっちこっちひっかかるな。

妙に平和で安定した筋書きは、まあそうかなとも思うが、

この先も事の流れは読めそうな気がしてくるから、

安心して観れるといえばその通り。

が、なんだかひと味足りない。

このままだと梅ちゃん先生がどんだけ良い人で、

その上、如何に周囲の人の役に立ったかで終わりそうな気がする。

だとすると、全く印象に残らない梅ちゃんだな?

梅ちゃんは、元々アタマもイマイチでおっとりしている性格、という設定だ。

が、彼女の凄いところは、医大へまぐれで入学できたところから始まる。

まぐれなのに運良く卒業してしまうから、ただのウスラではない。

就職も、親父のコネも使わず、帝大付属病院の面接で、

この大学病院の定食が美味いという発言がきっかけで就職できてしまう。

これには私、正直驚きました!

梅ちゃんは、その日本一の帝大付属病院で働くうち、

自分の街の下々の人を見るにつけ、黙っていられなくなる。

主人公の正義感は半端ない。

で、なんと独立を決意し、この人たちのために医院を開業してしまう。

梅ちゃんは度胸もある、まっすぐな性格です。

開業資金ですか?

まあ、新築した自宅の隣の敷地に以前住んでいた小屋が残っていたので、

そこを改装して新規オープン!

しかし、そんな土地ありましたっけ? 古屋、残っていたんですね。

こうしたストーリーって連ドラによくありがち。

朝のひとときには微笑ましい。

が、私のなかの違和感は日に日に膨れあがっている。

それは、

一人の女性が生き抜いたというリアリティの欠如なのかも知れないし、

ほのぼのしたこのドラマの味を大切にする余り、

ただのお伽噺にはなっていないだろうかという点だ。

少なくとも、先のゲゲゲの女房やカーネーションに較べて

ワクワクドキドキ感は失せ、

フィクションなので致し方ないが、

人物とストーリーの描き方が平坦すぎる気がする。

自分はさておき、まわりの幸せを第一に考える、

明るくて一途な主人公は梅ちゃんこと、堀北真希。

絵に描いたように分かり安い頑固な親父は、

演技していますとでも言うように、高橋克実が演じる。

また、なんでも「はいはい」と言って微笑んでいる南果歩演じる奥さん。

この人の正体が私はよく分からないのだが、

義母(倍賞美津子)とのコンビで、

割と軽薄な性格付けに終始しているのが違和感。

このドラマは、いわば水戸黄門のような安定感を狙っているのかも知れないし、

戦後風景のなかで、さざえさんのような微笑ましさが欲しかったのかも知れない。

それはしかしときに、

スマップでも観ているかのような見え透いたエンタメ感に終わってしまう危うさもある。

作者は、相手がNHKということで、ホームランは敢えて狙わず、バントに固執し、

必ず点を取る作戦に出た模様とも思えるのだが、こうした冒険のなさが逆に作用し、

ストーリーのあちこちに歪みを生んでしまったようだ。

また、初頭だったと思うが、

戦後の廃墟のなかを米軍がジープで表れ、汚い子供たちが

「ギブミーチョコレート」というシーンがあった。

これは、分かりやすいといえばそうだろうし、

そうしたシーンは日本の敗戦の伝説風景にもなっている。

いわばひとつの記号なので、誰もが理解できるように使われたのかも知れないが、

こんなシーンをよく使ったものだと、今更ながらNHKの感性を疑う。

つくり手は、こうして物語をスタートさせ、

戦後の日本はどんどん良くなり、女性の生きる場が増えたとでも言いたいのでしょうか?

私は、このシーンに関して、

この国の人間としてのプライドはないのかと、つくり手に問いたいのですが…

梅ちゃんは、今日もこれからも日毎に偉くなっていくし、

主人公役の堀北真希の人気もうなぎのぼりの現在、

私はただのひねくれた感想を書いているに違いないが、

こんな平和な話がいまの私たちに残すものは、

果たして安心・平和なのか?

この時代だからこその梅ちゃん先生なのか、

こんな時代に梅ちゃん先生なのかよ、なのか、

毎朝そこを計りかねている私は、

やはりただの変わり者なのかな。

親父の誕生日

今日は死んだ親父の誕生日だ。

蟹座のB型ーーー

これが何を意味するのか分からないが、

私のアタマにインプットされている親父のデータだ。

元帝国陸軍上等兵ーーー

生き残ってくれてありがとうと親父に感謝したい。

公務員として一家を支えてくれた。

思えば、人と馴染まないクセに、人一倍集団のなかで

生きていたように思う。

思い出すと、60代の親父の姿が浮かぶ。

いや、40代か。

白いシャツに太い綿の作業ズボン。

腰に手ぬぐいをぶら下げている。

笑っているが、喋らない。

サツキの盆栽の手入れをしている。

元々喋らない人だった。

いや、死んだ人は喋らないものだ。

でも、

笑っている親父が、サツキの手入れをしている。

私の手帳には、親父の遺言のようなものが挟まっていて、

たまに見る。

書道の師範免許をもっていたので字にはうるさかったが、

私が手にしている手紙は、誤字が多い。

晩年に書いた、その衰えがみてとれる。

この手紙を書いた1年後に死んでしまったが、

親父は、自分が建てた最後の家を、お袋の或る事情で

手放さなければならないことに、未練を残していた。

そして、生涯のなかで唯一、

お袋のことを真剣に思いやった時期でもあった。

先日、姉とお袋が住むマンションから、親父のメモがみつかった。

親父がお袋に宛てた手紙だ。

生まれ変わってもお袋と結婚したい、とあった。

お袋を定期的に病院へ連れて行くが、

お袋は一度、

「あの人」という呼称で親父の話をしていて、

遠い知り合いの話でもするかのようだった。

思えば、親父はずっと外の人だったように思う。

お袋は親父の後を付いて歩く人だったが、

裏切られた人でもあった。

晩年、親父がお袋をみていたとき、

お袋はそっぽを向いた。

私はいまになって、親父もお袋も心底好きだし、

親父もお袋も私のことを好きでいてくれている、

と思っている。

ホントに、家族なんだ。

今日は親父の誕生日なので、線香をあげようと思う。

「お袋には、よく言って聞かせるよ、親父!」