テレビをみていると、画面の右上にアナログと出る。
そうだよ、アナログだよ、と私。
いちいちうるさいテロップだな。
画面の下には、地デジの工事は来年になると混み合います、
というような内容のテロップ。
ホント、ウルサイナ!
私は、このでかくて重くてアンティークなテレビが好きなんだ。
ホントは、どうでもいいサンヨーのアナログテレビなんだけどね。
実は、電気屋には何度も足を運んでいる。
テレビ売り場でぼぉーと幾つもの画面を眺めるも、
とっさの判断力と分析に欠ける私は、
みんな同じにみえてしまう。
さて、何がなんだかが、よく分からない。
冷静になって一つひとつ眺めるも、いろいろな機能の意味が、
いまひとつ理解できない。
値札も何枚もあり、どれがホントの値段なのかも不明。
こんなとき、どこからともなく店員さんが近づいてきて、
「どんなものをお探しですか?」とくる。
「四角いの、やはりテレビは四角いのがいいね!」と私。
店員さんは、明らかに引きつったウスラ笑いを浮かべ、
絡みづらい奴だなぁコイツ、みたいな感じになり、
しばらくしてどこかへ消えていく。
私は自分で、この目で、テレビを選びたいんだ!
が、ブルーレイだのW録画だのと言ったって、全然分かんないだけどね。
そもそも私は、テレビをあまりみない。
ホントに疲れたときに、テレビをつける。なぜなら、ぼぅーとして
何も考えなくて済むから。
または、ホントに見たいものだけしか観ない。
なので、私にとってのテレビは、日課のなかのほんの一部に過ぎない。
当然、テレビ探しにも気合いが入らない。
だから、ホントはテレビの機能や諸々について知ろうともしないし、
どうでも良いと思っているフシがあるのも認めよう。
併せて、地デジというのがいまひとつ良く分からないのも事実。
地上デジタルなんて、なんで今頃なんでなんすかね?
空には衛生がぶんぶん飛んでいるでしょうに…。
で、こうなると、こっちも持久戦の構えとなってゆく。
テコでも動かない決意。
このダサイ、サンヨーのアナログとずっと付き合っていこう!
と、割と情の深い私。
こうなると、楽しみは来年だ。
アナログ最後の日、デジタル元日の日を、
この目でしっかりと見届けようという希望まで湧いてくる。
たとえば、
ある朝、眠い目でテレビをつけると、
画面いっぱいに砂嵐のような映像?が流れる。
「おっ、アフリカだ!パリ・ダカールラリーだな」と私。
で、いつまで経ってもザーザーという音声と共に、
画面も延々と砂嵐。
これを3時間眺めたあと、私は二度とテレビに近づかなくなり、
後はFMても聴きながら、出かける支度でもするだろう。
こうして私の前からテレビは消え、次第にその必要性さえ感じなくなる。
静かな生活はいいもんだ。
テレビなんかいらない!
が、或る日、好きな映画なんかがテレビでみたくなり、
再びテレビを買おうかな、などとおぞましいことを考える。
このとき、私はとんでもないデカイ奴を買うことにしよう。
で、気に入ったハリウッド映画や世界遺産を扱った番組とか
「生きもの世界紀行」のようなものをじっくりみるのだ。
そんな日が来るのか来ないのか、私自身全く不明だが、
そんなときの私のささやかな希望は、
テレビ画面から、
みの●●や小倉某とかいう司会者とか、
AKB云々とかのド素人女子軍団とか、
エビゾーとかの話題とか、
つまんねぇクイズ番組なんかは、
綺麗さっぱり消えて頂きたい、
ということだ。
(知ってるなぁ!)