記憶の街

親父の七回忌を終えた。

忙しさにかまけ遅れて申し訳ない…親父。

お経を聴いて、胸のつかえがとれたようだ。

寺は高台にある。

墓前に立ってこうして見ると、墓からの景色も悪くない。

遠くは横浜スタジアムまで見渡せる。

秋のやわらかい日差し。

木々の葉は、色づいているものもある。

一駅手前の奥さんの実家へ寄り、礼服からGパンへ着替える。

今日はこの地域の秋祭りだ。

クルマが混雑して、山車も出ている。

露店でポテトを買い、懐かしい神社をぐるっとしてみる。

こんなに狭かったかな?

しかし、いずれガキの頃に走り回った所だ。

みんな元気かな。

かつての仲間の顔がよみがえり、

自分が毎日歩いた通学路を歩くことにする。

自転車を漕いで毎日水泳部の練習へと向かったあぜ道も、

いまは家が建ち並び、

蛇行した細い道が、辛うじて記憶を呼び起こしてくれた。

近くのマンホールから水の音が聞こえた。

ああ、あのおたまじゃくしの小川の水路だと思った。

ここに、木の橋があって、と当時の場所を思いだす。

通りすがりの若い親子が、こちらを怪訝な顔で見ている。

あっ以前ここに住んでいた者です。

とは言わず、細い道を山の方へと向かう。

私が住んでいた所に、白いアパートが建っていた。

あの青い屋根の家は、もうないんだなぁ。

入り口の門柱は親父がつくったもの、それはそのままだった。

親父、念願叶って建てた最初のマイホーム、無かったよ…

近所の表札に見覚えのある名前。

友達の名前も連鎖的に、次々に思い浮かんできた。

秋になると、農家が畑でなにかを燃やし、

よく煙がたなびいていた丘からの景色は、

一大分譲地に変わっていた。

が、この頃の季節に栗を落としたあの山は、

市民の森として、いまも残っていた。

農家も幾ばくか残っているが、

建物はお洒落になり、ガレージには高級車が鎮座する。

うーん、と唸ってしまった。

ずっと歩いていると、秋といえど汗が吹き出す。

思えば、我が家はいつも高台にあった。

一件目の住みかを除くと、後は高台ばかりだ。

再び駅前に出ると、改めてこの街の猥雑さが際だつ。

人が多いのは昔からだが、どうも真っ直ぐに歩けない。

道が狭い所にクルマやバスが行き交い、その間を自転車が飛ばし、

人がごちゃごちゃになっている。

表通りの洒落た店構えが並ぶ隙間に、

見覚えのある古い豆腐屋があったり、

一歩裏へ入ると、

崩れそうな錆びたトタン張りの飲み屋街があったりと、

気ままに時を重ねたこの街らしいテキトーさに笑ってしまった。

僕はこの街で育ったんだ。

いまお袋は、年の病で入院している。

たぶん、今日の事を話しても、分からないだろう。

いずれは、みんなそうなる。

親父は、墓の中。

僕がこの街を歩いて、

見たもの聞いたことをぜひ親父とお袋に伝えたいが、

どうすればいいかな。

あまり切なくなるといけないので、

親父とお袋には、

とりあえず「ありがとう」とだけ言っておくよ。

テレパシーで、いいだろ?

男のスペック

「女性がグラッとくる男性のスペック9パターン」なるものが、

mixiに書いてあった。

クルマじゃあるまいし、人にスペックってどうよと思ったが、

女性は、男のスペックが気になるらしい。

男は女性のスペックなんて気になるのかな?

例えば、スリーサイズとか?

うーん、微妙。

で、そのスペックだが、

【1】誰でも聞いたことがある有名な企業に勤めている

-有名企業の男性に対してテンションが上がる女性もいるようです。
結婚を意識する年齢だと余計に安定感を重んじるのでしょう…」(mixiより引用)

ふーん、トヨタとかソニーとか、ですかね?
いや、ソフトバンクとか電通とかかな?

そう、世の中ってそういうもんなんだ。

弱小企業経営者は、問題外の外でした(笑)

【2】カッコいい高級車に乗っている

「ちょっとゴージャスなドライブデートへの期待が膨らむ女性もいるようです。…」(同引用)

ベンツとかポルシェなんかがモテモテ、こんなクルマがいいのかな?

ボロッボロのボルボに乗っている私ですが、

走行中は、回りから、かなり奇異な目で見られます(涙)

【3】甲子園に出場したことがある

「甲子園ってすごく大きな舞台。一度でもそんな大舞台に上がったことがある人なんだと思うと尊敬」(20代女性)…(同引用)

ヒーロー扱いですな。
私が通っていた高校は、甲子園でも優勝経験があるところでしたが、野球部の連中はみんな裏で、
とんでもないことをしていました。普通の学生の場合は、退学ものです。

ちなみに私は、野球が下手! 

少年野球のとき、捕ろうとしたボールを顔にぶつけて辞めました。以来トラウマで、いまでも好きになれませんな。

そうそう、応援で呼ばれて、甲子園でトランペットは吹いていましたが、それだけです。直接野球とは関係ないです。

【4】医師、弁護士など知的な国家資格を持っている

「お金もありそうだし、すごいステイタス。結婚のことを考えると…」(20代女性)など、
将来の自分の人生を考えて、ときめいてしまう女性もいるようです。…(同引用)

知的な国家資格か? そう言えばMBAとかいうアメリカの資格をもっている奴もいたな。

サラ金専門の弁護士、知っていますが、コイツは金の亡者。全然知的じゃないけど…

国家資格といえば、私、調理師の免許もってました。が、つくるものはみそ汁のみ。

それしかできない!

最近、炊飯器の水の量を初めて知りました(爆) 飯ごうの方がよく分かる。

【5】一等地にマンションを持っている

「持ち家がある安定感はすごい! しかも場所がいいとセレブへの夢が膨らみます(笑)」(20代女性)など、
女性は将来一緒に住むことまで考えて、グラッときてしまうようです。…(同引用)

ふーん、そういうこと… 相変わらず私の知人ですが、
都内の一等地の高層マンションに住んでいる奴がいますが、コイツは確か変態だったな…

田舎の一軒家なら私も持っています。最寄りの駅から歩いて半日です(クソッ)

【6】数種類の外国語をマスターしている

「そんな人と一緒に旅行できたら楽しいだろうな」(20代女性)など、
語学力が生きる瞬間を想像して、魅力を感じる女性もいるようです。…(同引用)

そうそう、そう思います。外人とペラペラ話しているのを見ると格好いいよなー。

またまた、私の知り合いにもバイリンガルがいますが、外人の女なら誰にでも声をかけています。

要するに、語学堪能のスケベです。

私は知り合いが多く、その人達の出身地も様々なので、関西弁とか東北弁とかは、少し真似できます(フザケルナ)

【7】一流大学を卒業している

「ベタだけど、一度は東大生と付き合ってみたい」(20代女性)というように、
ネームブランドにクラクラしてしまう女性も。
将来性のある知的な男性に魅力を感じるのは、もはや本能かもしれません。…(同引用)

本能ね? 仕事仲間には、フツーにこういう一流大学出の奴らが混じっています。が、

コーヒーをペンでかき回したり、

酒を飲むと絶叫したりと、割と手に負えないのが多いんですがね。

私は2流大学の出身ですので、全くブランド性なし。同級生には失業者も多いよ!(悲)

【8】モデル、芸能人、タレントなど有名人である

「優越感! そんな人に好かれたら、自分に自信が持てそう」(20代女性)など、
才能ある有名人から愛される自分を想像してグラつく女性も。…(同引用)

有名人って、割と知っていますが、ほぼ家庭崩壊してます。末路は厳しいよ!

↑ところでこの調査ってホントなのかよって思い始めました(疑)

【9】1000万円級の貯金がある

「お金とかで選ぶのはよくないけど…でもやっぱり(苦笑)」(20代女性)というように、
やはりお金の力は絶大。女性の心を揺り動かすパワーがあるようです。…(同引用)

私の親戚に億万長者がいます。家はどう見ても100坪はあり、玄関だけで、

ウチの居間くらいはあります。

すげーです。が、自分の持ち物が多くて、始終心配ごとが尽きないそうです(哀)

ちなみに、私は毎月奥さんから3万円とかもらっています。それだけです。預金?

そんなものより借金が多いに決まってるでしょ。

では、良い一日をお過ごしださいね

出典)スゴレンより

テレビを観ていて…

ここのところ、世界陸上を観ている。

最近のテレビは、映りが鮮明。

で、薄型テレビにハイビジョン。

驚いた。

で、世界陸上だが、よーく観ると、

結構美人のアスリートっているもんだと、

変なところで感心してしまった。

室伏広治も金メダルをとったし、

あの面構えも体格も外人選手並み。

負けてない。凄いと思う。

で、いろいろな競技を観ていて、

わたし的に気になることがある。

それは、あのダイナミックなスポーツ、棒高跳びだ。

飯を喰いながら、あの競技をじっと観ていたのだが、

何かが変だと思ってしまった。

私の疑問は、

棒高跳びの選手達はいつから何を思い、棒を持って走り始めたのか?

である。

もっと言えば、いろいろな競技があるなかで、

何故、棒を持って走ろうと思ったかだ。

足の速い人は走るだろう。

力がある人は何か重いものでも投げると遠くへ飛ぶなとか、

ありきたりの事を思うのだが、

棒高跳びの選手は、何故棒高跳びの選手になろうと思ったのか、

そこを想像するのだが、私にはよく分からない。

で、飯を喰いながら奥さんにこの質問をしたら、

「高く飛びたいからよ」と

あっさり言われてしまった。

いやいや違う。

私が言っているのは、何故棒を持って走ろうと思ったかだ!

ひーひー(興奮している)

走り高跳びとかは、普通に理解できる。

私も学生時代は、ベリーロールとか背面跳びとかやったこともある。

だが、棒を持って走って跳ぶ?

テレビを観ていて、あの長くてデカイ棒を持って走る姿を観ていると、

何故か、奇妙に思ってしまう自分がいた。

しつこいが、あの棒高跳びのアスリートの方々は、

何がきっかけで、あの棒に命をかけようと思ったのか?

そこがどうしても分からないのだ。

枕についての考察

毎朝、起きる度に

奥さんの「枕が合わない」話を聞いていたら、

次第にそれがこちらにインプットされ

なんだか枕が気になるようになってしまった。

そもそもそれまで、私は居間で適当なクッションで寝ていたので

枕以前、なんでもアタマに敷けば寝る人だったのにな…

いま、ウチには不要になった枕が、4つ位あるのかな?

そば殻、ビーズとか、低反発枕とかいろいろある。

テンピュールとか、変な名前の枕もあったな。

奥さんは、そのどれも合わないと言う。

朝起きると肩が凝っている、らしい。

まあ、そういうことは私もないでもないが

果たして原因が枕なのかどうか、わからない。

で、ネットで調べたら、あるわあるわ!

みんな、枕選びに困っているようです。

この現実に、私は妙に感心してしまいました。

オーダーメイド枕なんていうのもあって、

これはサイズを計ったり素材を吟味したり

大変。金額も張るなー。

で、金欠の我が家ではイオンに出かけ、

枕売り場へ直行。

真剣に一つひとつの枕をチェックする。

素材、高さ、その弾力、大きさ、そして

その枕をつくった意図が明確か。

また、他の枕と較べて一体どこが優れているのか?

一応、この辺りが肝となる。

広告業界でいうところの、ベネフィットのようなものか。

というか、ホントはどうでもいいような気もしてきたので

隣の棚に並んでいた座椅子を眺めていたら、

私に真剣味がないようにみえたのか、

奥さんが怒り出した。

で、気を取り直し、枕に真剣な目を向ける。

そのとき思ったのだが、ムカシの武士が使うような

あの高い枕はどうだろう?

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ホントに飽きてくると、人間は変なことを考えるものだ。

エコではない、エゴな奴

クルマが好きで、17才で教習所へ通った。

これ、OKなんです。

仮免のとき、18才なら良し、ということらしいです。

いまはどうなっているか知りません。

その頃、日本はオイルショックとかで、これまた大変だった。

私はまだ世の中が見えてなかったのでよく知らなかったが、

とにかくお袋が、トイレットペーパーを買ってこい、

こればかり言われていたのを覚えている。

大変な時代だったのだろう。

私にはいまの方が大変だ、と思うが…

で、最初に手に入れたクルマは、ホンダのかっ飛びのクルマだった。

クーペ7! 空冷4気筒、FF。

これ、当時でもいまでも相当変わっているクルマで、

FFはいまは当たり前だが、当時は変わり者呼ばわれ。

で、もっと変なのが空冷で、これはオートバイの

冷却と同じ原理。

とにかく走らなければエンジンは冷えない。

で、真冬に飛ばし過ぎると

エンジンが冷えすぎて不調になるというシロモノだった。

クーラーもエアコンもついていない、で8トラという

カセットのお化けみたいなので、ロックやフォークを聞いていた。

でも、いつも窓が全開なので、テキトーな音でした。

このクルマは何が良いかというと、

なにしろ、エキゾーストから吐き出す音、これにしびれた。

で、直線早し。が、ショックアブソーバがいかれていて、

ピッチングが激しい。

第三京浜なんかで飛ばしていると、上下に激しく揺れる。

これは恐かったです。

が、もっと恐いのは、なかなか止まらない。

ブレーキを踏んでいるのに、なんだか抜けるようで、

必死でペダルを踏んでいました(汗)

この頃、前述の如くオイルショックだったのですが、

確かガソリンが、1㍑55円位だったと思います。

現在は、レギュラーで1㍑150円位。

当時の3倍の価格です。

これを安いとみるかどうか、高い気もしますが、

諸物価のスライドから考えると、そうでもないのかなと思います。

で、私がいま乗っているクルマは、

もういまは生産していないドイツのオンボロ車と

スウェーデンの更に古い老車。

老車は、

これももうかれこれ16年位前に買った爺さんです。

この2台ですが、しょっちゅう壊れる、金かかる、

手間かかる、で、ガソリンは割高のハイオク。

おまけにリッターあたりの走行距離が5・6㌔です。

因みに、プリウスの場合、リッターあたり25㌔位でしょうか?

これでは、私がとても頭が悪い人のように思うかも知れません。

また、なんでお前エコじゃないんだ、なんて文句も言われそうです。

スイマセン!

が、いい訳させてもらえるなら、

ガイシャは、モデルチェンジが少なく、基本構造に金をかけているので、

日本車より長く乗っていられると、こうなります。

(もちろんこの場合のガイシャとはヨーロッパの特定の国のクルマです)

で、ついでにお伝えしておきますが、

私はいま嫌われ者の、喫煙者でもあるのです。

喫煙は金がかかります。

タバコの値上げが激しいです。

なんたって、現代は、健康・清潔の時代ですからね。

煙なんか、蚊取り線香以外取り合わないという時代です。

だから焚き火なんかも、ムカシに較べて減ったよな。

まあ、全く時代に合っていないし、

私がとんでもない奴だと言うことも重々分かっていますが、

なんか良いんですよね?

こういう生活スタイルは落ち着きます。

自分的にですが、変わらない良さというか、

懐古的なんですが、

あの頃のテキトーな世の中のゆるさがいまでも好きですね。

そのときの感覚がいまもって変わらない、とでも言いましょうか?

ま、時代遅れなのは自覚していますが…

で、ハッキリ言わしてもらうとですね、

いまの時代の清潔さ、潔癖さに、

私は辟易している訳でありまして…

要するに、

世間だか社会だか地方自治体だか分かりませんが、

「放っておいてくれよ!」

という気分なのであります。

東京ドサ回り

出版社を数年で転職し、広告制作会社に勤め、

そこから独立。

その広告制作会社の仲間4人でつくった新しい会社は、

出だしから羽振りが良かった。

クライアントが固定し、利益も安定していた。

景気の悪い会社はもちろん駄目だが、

景気の良すぎるのも良くないな、

と想い返したのは、その後数年経ってからだった。

要は、個々の思惑がちぐはぐになり、欲の皮が突っ張り、

勝手な暴走が始まった。

悪い遊びを始める奴もいた。

奴はそのとき覚えた女遊びとゴルフを、

いまも欠かしていないという。

こうなると、共同経営というのはもう駄目だ。

堪え性がないというか、執着の弱い私は、

この会社を早々に辞めることにした。

こういうとき、辞める人間は

クライアントの仕事を持って出るのがこの業界の慣習だったが、

当時の私は、こんなことすら知らなかった。

この会社はまた設立して間もないのに、

純利益としての預金も500万円強あり、

それを少し分けてもらうこともできた。

が、うかつにもそのことも気がつかなかった。

当然、向こうから言い出す程、お人好しでもない。

私はどれを要求するでもなく、ふらっと辞めてしまった。

要するに辞めたかったのだ。

いい加減に、くだらない「和」とやらに

愛想が尽きたのかも知れない。

で、これで、ホントの一人っきりになれた。

家では、もう長男が生まれていて、

マンションの家賃も払わなければならない。

預金残高を奥さんに聞くと、さほどあるわけでもなく、

ここからが正念場だと思った。

私のフリーのコピーライターとしての出発は、

こうして当たり前のように、貧乏から始まった。

毎朝、新聞の求人欄に目を通す。

もちろん就職するつもりはないので、

外注とか外部スタッフの募集欄に目を通す。

これは後年まで習慣化してしまい、いまでもたまに、

求人欄とか求人誌とかを、つい見てしまう。

この毎朝の習慣は、私にとっては、いわば真剣勝負だった。

喰うか喰われるか、そんな気迫があったように思う。

当時、クリエィティブ系の求人は、朝日新聞の独壇場だった。

これっと思ったものは、切り抜きファイルに貼り付ける。

そして、仕事開始と思われる時刻まで、

あれこれその会社の仕事を推測する。

そして、深呼吸をして次々に電話でアポを入れるのだ。

午前中は、そんな事に総てを費やした。

アポOKは、ほぼ10社に1件、そんなものだったように思う。

そしてその日の訪問ルートを綿密に練る。

昼飯は、いつも立ち食いそば。マックとかそんなもんは眼中になかった。

それは私のノリが、地味なそばを好んだような気がする。

10㌔位はあっただろうか、

いままでの作品を入れた、ズシンとくるファイルの塊を担いで、

都心の地下鉄を乗り継ぐ。

とにかく、プロダクションからプロダクションへ、

代理店からPR会社へと何でも何処へでも、アポさえとれれば行った。

しかし、初対面で仕事をくれるなんて会社はまずない。

後は、電話でフォローをし続ける、これしか食いつなぐ方法がなかった。

こんなことを繰り返すうちに、地下鉄にはやたらに詳しくなった。

乗り継ぎの駅での車両位置を考え、

前の地下鉄の最適の位置はすぐに頭に入った。

腹が減ったら、あの地下鉄のA出口の上に美味いそば屋があるとか、

つまんないことまで詳しくなってしまった。

当時はネットもパソコンもケータイもなかったので、

固定電話とファクシミリとワープロ、

そして、とにかく動く。

それしかなかった。

私の初仕事のギャラは、税込み¥33、333だった。

当時のマンションの家賃が6万円くらいだっだから、

さすがにこれはマズイと思った。

そんな状態が結構続き、実家に借金を重ねたこともある。

が、あるときから、仕事の注文は徐々に増え始めた。

断った仕事はひとつもない。

なんでもできます。そう答えてから後で悩んだ。

が、やはり仕事のないときもある。

こんな日が続くとイライラが始まった。

しかし、仕事が溢れるくらい忙しくなると、またイライラする。

なにしろ、間に合わせなければならない。

締め切りは絶対だからだ。

徹夜は当たり前の日々だったし、そういう仕事だと覚悟していた。

不健康だし、酒浸りに陥ったこともある。

結局、心の安定なんていうものはなかった、のかも知れない。

が、

なぜか自分のなかでは充実していた日々だったように思う。

それは、私が元々宮仕えが駄目なことに起因する。

協調性と人間関係。

おおかたの企業は、ほぼこんなことで回っていた。

そして、自分の将来を、

上司とか会社に預けるというのが、私は我慢ならなかった。

それはいまでも変わらない。

自分の仕事は、結果で評価してもらう。

自分の責任は、自分でしっかりとる。

回りに振り回されない。

これしかないと思っていた。

こうした荒々しい日々は、2年続いた。

家では、子供と奥さんが私を癒してくれた。

しかし、さすがに離婚の話しを切り出されたこともある。

身内、親戚にも相当の迷惑をかけた。

かなり困難と苦痛の、私の独立だった。

いまでも想い出すと、

我ながら突っ張っていたなと可笑しくなる。

その頃の話になると、いまは奥さんも笑ってくれる。

ああ、やっと笑い話になったのだ。

が、ときどき思うのだ。

…一人の男が東京で何も知らず何も見えずに刀を振り回していた…

と、こんなことを。

地上はチミモーリョー

街を歩いていて、目を凝らすと、

ホントいろいろな人がいるなと思う。

服装もお洒落な方々から、ザックリな方、

貧しそうな服装なのに、福耳の方とか…

人相、背丈も違えば、顔つきも二つと同じものなし。

そんなことより、ああそうだ、

私が言いたかったのは、街ですれ違う方々は、

なにも真っ当な人間ばかりではありませんよ、ということ。

でしょ?

アタマが変、とかイキガっているとか、
そういう人の話ではないんですが…

例えば、すでに死んでいるハズの人が歩いている…

なんてことがあるらしい。

この世に残した未練が、影となって歩いている。

亡霊ですね。

この場合、後をつけてゆくと、路地を曲がったところで、

すっと消えたりする(恐)

また、年をとった動物が、人間の格好で歩いたりもする。

こいつら、ウィンドウ・ショッピングを楽しんだり、

公園でくつろいで、人間の振りをしている。

彼らは油断すると、尻尾をだしたりするので、

すぐばれたりします。

あと、宇宙人は、普通にいます(キッパリ)

みんな、いろんな星から来ていますからね。

テレビのコマーシャルにも出ていますが(ボスというコーヒー)

あれくらい、いまやスタンダードなんですね?

地球って、住みやすいのかな?

彼らの姿は、ホントはとんでもないんですが、

上手く人間になりきっています。

が、希に交通事故なんかに遭っても、

怪我なんかしません。

青い血がたらたら流れて、

それでおしまい。

平気なんです。

また、これも不思議な話なのですが、

背広をビシッと着込んだサラリーマン風の

「神様」なんかがいたりすることもあるそうです。

うそつけ!とお思いかも知れませんが、

いるんですね?

これは、私が実際に見た訳ではありませんが、

この話は、

とある神道系のお偉い方から聞いた話でした。

私も最初、この話を聞いたときは信じませんでした。

が、幾つかこの方に質問を繰り返しているうちに、

ふむふむと思ってしまいました。

では、何故、

神様がサラーリマン風な格好をして歩いているのか?

変ですよね? 不思議です。

その御方がおっしゃるには、神様というのは、

とにかく忙しいらしい。

で、全世界、いや全宇宙を見て回っているので、

かなり過酷な仕事らしいんです。

で、これは神様一人では無理ということになり、

次々に右腕を増やしている。

で、新しく育った神様が、

宇宙の各所をテリトリー分けして、

見て回ることになったらしいんです。

例えば、街なんかにでるとき、

時代がかった白い「尊風」だと、やたらに目立ってしまう。

で、考えたのが、

サラリーマンファッションだったということ

らしいんです。

らしいんですが、やたらと多いな?
(自信なさげ)

また、戸籍のない方なんかも、相当数歩いていらっしゃる。

名前のない方、というのもいるそうです。

だから、自己紹介なんかできない(爆)

日本は、まだまだ外国の方が少ないし、

モンゴロイド系で固まっている国なので、

外人さんなんかが歩いていると、まだまだ

相手に垣根なんかをつくってしまいそうですが、

こんなの先程の方々に較べれば、

なんてことない人たちですよ!

よーく、心の眼をひらいて、

街を歩いてみてください。

一見平和そうな人たちを、

よーくカッと見て見てください。

地上はすでに、魑魅魍魎ですぞ!

ところで質問ですが…

このブログを読んでいるあなたは、

一体、何者ですか?

仕事がひと息ついた昨日の夕方、

裏の高台にある丘を歩いた。

傾いたとはいえ陽はまだ強く、

丘にたなびく樹木の陰影が濃い。

空は薄い水色だが、雲ひとつない。

快晴だ。

西に傾いた陽が赤くまぶしい。

東南の空には、上弦の月が見える。

吹きぬける風が、

暑さも程よいと思えるように、心地よい。

14年いた東京のマンションを引き上げ、

親の縁で、この地に辿り着いた。

当初はこんな田舎、と思っていたが、

ここで子供を育て、

まがりなりにも付き合いも増え、

ついに、東京暮らしより長くなってしまった。

いまでも時々、東京や、

私のふるさとである横浜に行くが、

人の多さや、隙間のない街に疲れ、

ここに戻るとほっとする。

変わった、と自分でも思う。

今年の夏は、自宅の庭で

ゴーヤを育てることにした。

プランターを駆け上がるように、

グリーンのネットを這うゴーヤ。

いまに、

よしずを乗せたテラスの屋根を越え、

8月には

2階のベランダに到達するのではないかと思うほど、

成長が早い。

そのベランダにロゴスのサマーベッドを置き、

最近ではここから、夕景を眺めている。

暮れゆく空。陽に光る山の稜線。

丘へ出かけた、その夜、

月をじっくり眺めることにした。

空は、夏にめずらしく青に澄み、

快晴の空にぽっかりと浮かんだ月は、

とても心が落ち着くものだと、

真から思った。

震災の数日後、計画停電の夜も、

外を黙々と歩き回り、

初めて体験する闇のなかから、

ぽっと光る青い月を見た。

とても寒い夜で、物音もなく、

ただ、自分の足音を聞いていた。

先のことが、何が何だかよく分からず、

予測不能な事態は、

頭を混乱させるだけだった。

静けさのなかの精神の喧騒。

それを現すかのような、

とても青い月だった。

昨日は、

あの震災よりやっと4ヶ月が経った。

いや、まだ4ヶ月なんだと思った。

おっさんが最近思うこと。

おっさんは、最近いろんなことを考えすぎて、
書くことがまとまらなかったらしい。
で、更新もまばら。
おまけに、おっさんには妄想と虚言癖があった。

妄想・虚言癖その1

原発のストレステスト?

こんなの世界中のどの原発もアウトじゃないだろうか?

要するに、軍需から派生したエコの皮を被ったオオカミは、

暴走すると止まらないということを証明している。

世界の潮流は、原発産業に見切りをつけた流れ。

要は、原発はもう儲からないよ、という

経済中心の発想から出た結論。

フランスは残存利益を模索するだろうが、

いつまで稼げるとかというのが、

サルコジさんの心配の種なんだろうな。

日本の今回の地震に伴う原発事故は、

世界にとても重要なメッセージを残すこととなった。

妄想・虚言癖その2

AKB48というユニットは、一体何なんだろうと

私は常々思っている。

オタク狙いの金儲けは分かっているが、

その魂胆が丸見えなのが、なんとも可笑しい。

48人もいれば、一人くらい気になる子はいるだろうし、

スターにほど遠いオーラのなさも、

逆に親近感が湧いて、プロデュース側の思うツボなのかな!

これ、マーケティング的に考えると鉄板なのだが、

それをやるか否かは、まず誠実であるかどうかが鍵。

あと、立ち上げの資金の問題。

AKBの場合は、誠実な経済活動から考え始めたとは、

到底思えない。

資金を融通した人間たちの大人のえげつなさが、

そのまま出る結果となった。

総選挙なんていうのは、うすらなTV局も一緒になって、

もう国民的アイドルのような…

そんな訳ないだろうと思う。

妄想・虚言癖その3

普段から、私は星の動きとか月の満ち欠けが気になる質だ。

星の動きといえば、占星術。これは東洋・西洋いろいろある。

一応、天文学とか統計学などが基礎になっているので、

単なるまやかしでもないと、私は思っている。

暇なときに占い等をざっとチェックしてみると、

東洋・西洋を問わず、だいだい似たようなものが出るときが

多々あることに、最近になって気がついた。

で、月だが、新月に新しい事を始めると良いとかいろいろあって

この辺りの本も幾つか読み、実行したが、

未だにその裏が採れていない。

で、昔の中国の環境学から派生した風水なども、

一応私なりにチェックもしてみたが、

どうもよく分からない。

で、アレコレ動きが制約されることに、

更にイラッとくる。

ここいら辺に、はまってしまった人を私は知っているが、

自身の行動なのに、全く自由がない。

今月はあっちへ行ってはいけない。金運が下がる。

今日は東南の方向は吉。交際運が上がる!…

毎日、同じ方向へ出勤する勤め人の方は、端っからアウト!

金持ちの運勢学であって、庶民の味方ではないのが、

風水なんじゃないのかと思う。

くうねるあそぶ

震災後、風呂にゆったり浸かることもなく、

さっと出る習慣が身に付いた。

飯も素早く喰うようになった。

で、よく喰う。

寝る時間も長くなった。

明らかに太った。

自然に備わっていたカラダの危機管理システムが

稼働し始めたと、自分では考えている。

生き延びようとする本能。

このところは、喰う量も減り、

睡眠時間も短縮され、

風呂も少しのんびり入るようになった。

が、カラダは元にもどっていない。

腹の肉をつまみながらベッドにごろんとしていた先日、

ふと、くうねるあそぶ、というフレーズが頭に浮かんだ。

くうねるあそぶ?

ん、これはコピーライターの糸井重里さんが80年代の

クルマのコマーシャルで披露したコピーだった。

くうねるあそぶ。

要は、喰う、寝る、遊ぶ、だ!

それをひらがなにしてコピーにした。

いまでは信じられないが、こんなコピーが、

当時の一世を風靡した。

この頃、イメージを重視したコマーシャルが、

主流だった。

ビジュアルは、

クルマに乗った井上陽水さんが笑いながら

「みなさ~ん、お元気ですか~」と言って走りすぎてゆく、

というだけのもの。

他と較べても、このコマーシャルは、

相当ぶっとんでいたと思う。

クルマと、喰う、寝る、遊ぶ?

近いような気もするが遠いとも思う。

イメージとしても、高級そうでもなく、

早そうな感じもしない。

まして、キャンピンカーでもない。

こんなコマーシャルがヒットした80年代は、

要するにこういう呑気でいい時代だったのだと、

最近、私は身に染みて感じている。

いま、遊ぶはとにかく、

喰うことと寝ることは、まさに生きる術、

それが実感できる時代なのだ。

花よりだんごの如く、

見栄えではなく、実利を採ることを最優先する。

生きているものは、もちろん、みんな生きようとするものだ。

よって、イメージではなく、喰う、寝るだ。

あと、住むところがあるか否かという切実な問題。

仕事をなくした方たちも、このままでは立ちゆかなくなる。

喰う、寝るがひとまず落ち着いたら、住むことも考えなくてはならない。

そして、働かなくては生きてゆけない。

震災後、AC(公共広告機構)のコマーシャルが頻繁に流れた。

人を思いやる心の啓発とか、挨拶の重要性を説くもの、

世界の人たちが日本を応援するというもの、等々。

一連のコマーシャルは、昔でいえば、道徳の教えだ。

こうしたものの良い悪いは、あまり考えたくない。

こんな希に起こる災害時に頼れるものは、

人の道徳心なのかも知れないのだから…

また、不況という時節柄、もう何年も前から、

広告というものも様変わりしていた。

簡単に言うと、広告にリアリティが求められる。

数字、裏付け、ユーザーの歓びの声など。

そして、メリットの最大拡大表現なども、

通販の国、アメリカから輸入されたのテクニックだ。

ネット時代に、通販のテクニックは相性がよい。

で、アメリカのマーケティングが日本に上陸、

いまの日本の広告文化を形づくっている。

ここで私が率直に思うのは、いまの時代の広告は、

かなり神経質で細かい。

電卓を片手にコピーを書かなくてはならない、

ような気分にさせられることもある。

で、ダイナミックな表現もない。

併せて、詩のような美しさも消えた。

私は、広告は文化だと思う。

この異常な事態に文化もへったくりもないが、

いつか、文化が語られるときがくる。

今回の震災を機に、私たちは日本という国、

日本人という人の本質も考えたことと思う。

政治の限界もみた。政治家の器もみえる。

官僚のやることも、なんとなく見透かしてしまった。

世界のなかの日本という立ち位置も、

改めて教えられることとなった。

これからの日本は、軍事でも経済でもなく、

やはり人が築き上げる文化なのではないかと思う。

文化には、メンタリティが欠かせない。

メンタリティは、人の心がつくる。

そんなとき、人はアレコレ想像し、創造する。

次の時代をつくる原動力は、何にも増して

精神力は欠かせないのかも知れない。

が、貧困な精神では立ちゆかなくなる。

この国のこれからをイメージする力。

それは経済的にはちょっとお粗末でも、

気持が豊かであれば、限りなく広がるものが、

イメージの力なのだ。