規則だらけの高校生活。
軍隊のような締め付けで
生徒に服従を迫る教師。
大学の付属高校にいながら
卒業すると私は就職した。
クラスで私ともう一人の友達
のほかはみな
その大学へ進学した。
校内試験をパスすれば
誰でも入れるエレベーター式。
私は、あるきっかけで
春からスナックで働き始めた。
何でも良かったのだ。
ただ、あのどうしようもない
校風から抜け出したい。
大学なんてクソ食らえ、と考えていた。
一応、カメラマンをめざしていたのだが
専門学校の願書を親に見せると
あっけなく拒否された。
進学しなかった友達は、実家に帰って漁師になった。
店の開店は夕方なのだが
仕込みは昼すぎから始まる。
横浜の魚市場や青物市場にも
よく出かけたので
早朝から仕事をしていたこともある。
夕方から
酒屋さんやらなんやらが次々に
店に現れては消えてゆく。
威勢のよい声。
その日の突き出しを決め
材料を刻んで味をつける。
鳥の唐揚げ用の仕込み。
この店の売りであるお好み焼きに入れるキャベツを
嫌というほど千切りにした記憶は
いまも残る。
掃除もかなり念入りにしなければ
ならない。
店の前の道路を掃き、店内を掃き
フロアとテーブルをきれいにする。
仕上げはカウンターに力を込めて
拭く、磨く。
乾きものと酒だけを出す店はいいが
私が働いていたところは、関西風の料理を
主体とする店だったので
当然、仕込みも大変だった。
ま、そこの主人は味の本格派をめざして
店をオープンさせたのだ。
陽も傾く頃からぼちぼちと客が入ってきて
八時ともなると満員になる
横浜の外れにしてはかなりの盛況ぶりだった。
カウンターの裏では戦いのような忙しさが続く。
冬でも汗をかく。
お客さんはみな、当然のように目の前でくつろいでいる。
そしてみな酔っている。
ドリンクの減り具合をチェックしながら
会話にも応じる。
もちろん笑顔は基本である。
テーブル席から次々に注文が入る。
まさに戦争状態。
端から見ても分からない
気の抜けない仕事と、いまでも思う。
たいした理由もなく
事あるごとに
「俺の酒が飲めねえのかよ」と
凄む質のよくない客もいた。
高校を出たての私はそのかわし方を知らなかったので
いざ喧嘩か、とやる気なのだが
「それでは商売にならないだろう」と
何度も主人にいさめられた。
店内では、あちこちでジュークボックスの
リクエストが入る。
マイクをつなぐと唄える。
カラオケのハシリだ。
当時よくかかっていたのが
五木ひろしの「夜空」、
いまはあまり聴きたくない。
泥酔した客からビールを頭からかけられたことがある。
チンピラからコーラの瓶を投げられたこともある。
大人同志の醜い腹芸を初めて知ったのもその頃だ。
ある日、客のひとりである
某大手電機メーカーのエリートのS氏が
ビールのコップを片手に私にささやいた。
「君は将来なにになりたいのかね?」
「………」
その頃、
店が終わるとちょくちょく江ノ島のおでん屋で
朝まで飲んでいた。
俺って一体なにになりたいんだろう?
飲んでいる最中もその言葉が頭から離れない。
それから毎日
昼過ぎに起きたときも、まずその言葉が
思い出された。
反芻するたびに、私の疑問は徐々に
肥大し、自分は一体なにができるのだろうと
問う毎日となった。
人生の分岐点がどこにあるのか、いまでも
よく分からないまま生きている。
私はその後、その店を辞め、冷凍食品会社の
営業配送を経て
2年遅れて大学に入った。
もちろん、冒頭の大学ではない。
ちなみに、もう一人の友達は
酒の席で人を刺し
殺人未遂で刑務所で服役したと聞く。
彼はいまどうしているだろうか?
大学に入った大勢の友達より彼の方が気にかかるのは
何故だろう?
彼がまっすぐな性格だったのは、
いまでも覚えている。