閑話休題的ブログ

庭の梅の花がほころび始めた。

満開の頃にはうぐいすが二羽やってきて
驚いたことがある。

うぐいすってホントにうぐいす色なんだ(笑)

この頃の
晴天の日に見る梅の花は、
白も赤も美しい。

いまはまだ寒いが、表に出ると
遠い景色がかすんで見える。

ああ、春だなと思う。

ピンと張りつめた冬の景色と違い、
何かピントが緩んだようなところが、
春の景色なのかも知れない。

冬の夜空はとても綺麗だが、
春の夜空は
瞬くほどの星も見づらくなる。

総てにフィルターが架かったような
曖昧な季節。

水が温む。

気も緩む。

季節が移ると考え方も変わる。

クルマを変えようかな?と思う。

その昔にやっていた拳法を
再び習いに行こうかと思案する。

今年こそは、マイ・カヤックを買うぞ!
いや、東南アジアに行こうか?

いろいろネットを見てはニヤニヤしている
自分がいる。

ホント、緩んでいるな?

が、去年からすすめていたプロジェクトが
ようやくこの春にスタートを切るのだが、
その反響により、私の力量も試されることを考えると、
心底では、かなり緊張を強いられてもいる。

我が社の損益分岐点でもある。

しかし
ここはひとつ曖昧に考えることにしている。

でないと辛いし、この季節を満喫することもできない。

このフィルターの架かったような結論を、
この春の私の考え方としようと思う。

夢のない時代

政治・経済共に行き詰まってくると、
何もかもがシビアだ。

給料の目減り、失業率の悪化、
そして、
この先に何が待ち受けているのか知らないが、
見通しは暗い。

こんな時代の若者たちは、総じて元気がないと言われる。
(だが、年寄りは元気にみえる?)

私見だが、小さくまとまっている、保守的、
そしてよい子が多い。
これが、現代の若者観だ。
(不良は年寄りに多いような?)

で、草食だの何のと世間では言われているが、
これは時代が生んだ傾向だろう。

追い打ちをかけるように
大人が「夢をもて!」なんてハッパをかけるが、
そこは私も含めて、時代錯誤なのかも知れない。

なかなか夢の描き辛い時代なのだ。

いまは亡き、あの坂本九が「明日があるさ」という歌を
ヒットさせたのは、いまからざっと50年くらい前か?

あの頃、日本は右肩上がりの高度成長時代が始まった頃で、
とにかく誰にも仕事はあった、らしい。

どんな仕事でも
働けば、給料はどんどん上がってゆく。

そこで、テレビや冷蔵庫、クルマやマイホームに至るまで、
買いたいものは買える。

頑張れば、何とかなったのだ。

そんな時代に「明日があるさ」は、当たり前のように
ヒットした。

転じて現在は、
本当に明日があるのかと、
いろいろな人が心底不安に思っているのではないか?

若者だけでなく、私たちは不安の時代を生きている。

明日がある、なんて呑気なことは言っていられない。

だから、今日をないがしろにする者に明日はない、
という程、世間は厳しい。

そんな時代に、私たちは生きている。

せめて、若者だけに重責を負わせるようなことは、
してはならないと思う。

が、しかし
ルーマニアの作家コンスタンチン・ゲオルギュは
なかなかの名言を残した。

ーーーたとえ世界の終末が明日だろうと、

     私は今日

       リンゴの木を植えるーーー

要するに、
金があろうがなかろうが、
それが夢なのかどうか分からなくても、
せめて、好きなことくらいは、
貫き通そうぜ!

ということのように、私には解釈できる。

いや、そのようにありたいと思う。

歩く、に目覚めるの記!

かれこれ1年使っている
ケータイをいじり回していたら、
万歩計があることを今更ながら
発見。

普段は、アンドロイドケータイが便利。
で、古いケータイはなおざりだった。

通話できればいいやのケータイに、こんな機能があるとは!

気がつかなかった。

で、ちょっとこれをセットすることにした。

というのも、最近よく喰うお陰で、
腹、通称お腹が出てきているな、と実感。

これは歩くのが一番と思ったからだ。

或る日、
歩数を覗いてみたら、350歩位という
信じられない不健康な日があり、
これではいけない。ということで、
ケータイ万歩計を意識して、歩く日を増やすことにした。

所用で横浜の関内へ出かけたとき、
翌日は休みということで、ふと歩き回ることを計画。
で、そのまま関内に居座り、翌朝から行動に移す。

朝は11時にホテルを出て、関内から石川町までの一駅を
京浜東北線で電車移動。

さあ、歩くぞ!

石川町駅へ降り立つのは、何十年ぶりだろ?

細い道に連なった商店街はまだ、
眠たそう。

あっちこっち寄りながら、歩け歩けの始まりだ。

元町の中程まで来ると、ショーウインドウに
格好いい革のショルダーバッグを発見。

誘われるように店内に入ると、
良さげなデザインのコートや靴のほか
革製品がズラリ。

歩くのを忘れて見とれていると、
中からこれまた格好いいおっさんが出てきて、
私をこちらへこちらへと、奥へ誘う。

そこには、様々な革のジャケットがビッシリ並んでいて、
これまた気になる奴ばかり。

ちょっとその気になり、羽織ってみる。

「これは良いな~」

革の肌触りも良いし、よく見ると縫製も丁寧だ。

で、値札を見て驚いた。18万円!

とっさに歩くことを思いだし、
その店をさっさと逃げるように出る。

歩け歩け!

元町通りの最後まで歩いたところでケータイが鳴る。

やはり仕事の電話。

興ざめするも、
陽差しがまぶしく街がきらきらしているので、
全然OKという気分になる。

このときケータイをチェック!

確か、まだ3000歩位だったような気がする。

で、川を渡り中華街へ。

ここはどこも相変わらずうるさいし、
看板もド派手。

人もぐっと増えて、心地よくは歩けない。

思えば、元町はかなり閑散としていたな?

人混みを早足で歩く。

で、何故かパワートーストーンのお店に目が止まり、
中でアレコレ物色をする。

歩くの、中止。

水晶の原石のようなとがったものと
丸い玉が気になる。
ついでに、何の石だったか、
龍の置物も良いのがある。

えーい、みんなまとめて買ってしまえ!

ここでかなり時間を取りすぎた。

昼も過ぎ、いい加減に腹が減ったので、
前々から行きたかった萬来亭で
メシを喰う。

もう2時だというのに、かなりの混みよう。

ここの上海焼きそばは絶品で、
太っても構わないからガンガン喰う。

ここは、女優の余貴美子さんの
行きつけらしい。

土曜の朝のTVでみたぞ。

で、店を出て上機嫌で歩いていたら、
「占い」の文字が目に飛び込んできた。

「マズイ!」
(オレは占いマニアだったのだ)

ふらふらと立ち寄る。

金の出入り激しい
しっかり貯金しなさい
老後は安泰
死ぬまで仕事するわよ

で、我に帰り、再び歩き出す。
(死ぬまで働く?)

中華街も飽きたし、ここは日陰が多いな。

で、海へと方向を換え、山下公園へ向かって
ひたすら歩く。

やがて視界がひらけ、日差しのありがたさを
たっぷり味わいながら、山下公園着。

ここでケータイチェック!

おお、7000歩かよ!
憧れの一万歩が、射程距離に入ったなと
ニヤニヤする。

公園を一回りして、ベンチに腰掛けると、
その回りをハトが歩いている。

割とかわいい顔立ち。
歩き方も面白い。

こいつ、どっかで見たことあるなと思っていたら、
中学の時の同級生の顔が浮かんだ。

あいつ、生きているかな?

年を取ると、思い出し方もシュールとなる。

こうしちゃ居られない、という訳で、
今度は背後にそびえ立つマリンタワーへと向かう。

確か、マリンタワーは今年で50周年。
エフヨコでそんなことを言っていたのを思いだす。

思えば、私はこの横浜港の対岸の街で生まれ、
いつも丘の上からこちらを見ていた。

懐かしいことこの上ない場所に立っている訳だ。

で、マリンタワーの色も赤白のツートンカラーから
シルバーへと様変わり。
(センスはイマイチ)

下には洒落たオープンカフェもできた。

そこはどうもしっくりこないが、今日は上へ行くぞと、
入場券を買い、エレベーターに乗り込む。

ああ、浜っ子なのに、私はこの上に、
過去1度しか昇ったことがない。
それも幼少の頃なので、今回が初めてのような感じ。

ガラス張りで、外がリアルに見えるエレベーターは、
正直恐いな、と思う。

展望台からは、快晴の首都圏が一望だ。

房総半島あたりから都心のビル群や東京タワーを始め、
いま話題のスカイツリーも見える。

で、神奈川県の平野部とその向こうの丹沢の山、
そして、本牧あたりの工場群から、遠く箱根や富士山まで見える。

絶景だな!

と、私の視界のなかに米軍の大型ヘリが複数。
群れをなし、ゆうゆうと関東平野を飛んでいる。

この一瞬ばかりはかなりムカついた。

思えば、いま私が住んでいる地域も、
どうも米軍の飛行路らしく、
毎日決まった時間に、上空を軍用ヘリが飛ぶ。

横須賀基地と横田基地を結ぶ空路と思われるが、
いろいろな意味でかなり苛つくのだ。

気を取り直して、やれやれとエレベーターを降り、
近くのニューグランドへと向かう。

ここの旧館のカフェは、イケテルので、
パンパンの足を投げ出して、
コーヒーとケーキを頼む。

いやいや、痩せなくてもいい。
私は歩いて健康になるんだと、
自己正当化へと、ひとつの理論をまとめる。
と、コーヒーも美味いがケーキも美味い。

まだイケルがそうもいかず、投げ出した足を
さする始末。

ここでケータイ万歩計をチェックすると、
驚いたことに9000歩を達成。

俄然やる気になってきた。

で、ホテルを後にして歩こうと思ったが、
近くにみなとみらい線があったことをふと思いだし、
そっち方向へと安易な決断を下す。

こうして、何だかんだと私の一万歩は、
その日の夕食時に達成したので、
嬉しくて回転寿司をたらふく喰い、
砂糖のたっぷり入った缶コーヒーを飲みながら、
家路に着いた。

家で最後のケータイチェック時は、一万3000歩!

もう足が痛いし、怠いので、これは疲労したなと思い、
寝る前に明治のチョコをたらふく喰って寝た。

ああ、健康とは何だろう?

アナログ最後の日

テレビをみていると、画面の右上にアナログと出る。
そうだよ、アナログだよ、と私。

いちいちうるさいテロップだな。
画面の下には、地デジの工事は来年になると混み合います、
というような内容のテロップ。

ホント、ウルサイナ!

私は、このでかくて重くてアンティークなテレビが好きなんだ。
ホントは、どうでもいいサンヨーのアナログテレビなんだけどね。

実は、電気屋には何度も足を運んでいる。

テレビ売り場でぼぉーと幾つもの画面を眺めるも、
とっさの判断力と分析に欠ける私は、
みんな同じにみえてしまう。

さて、何がなんだかが、よく分からない。

冷静になって一つひとつ眺めるも、いろいろな機能の意味が、
いまひとつ理解できない。
値札も何枚もあり、どれがホントの値段なのかも不明。

こんなとき、どこからともなく店員さんが近づいてきて、
「どんなものをお探しですか?」とくる。

「四角いの、やはりテレビは四角いのがいいね!」と私。

店員さんは、明らかに引きつったウスラ笑いを浮かべ、
絡みづらい奴だなぁコイツ、みたいな感じになり、
しばらくしてどこかへ消えていく。

私は自分で、この目で、テレビを選びたいんだ!

が、ブルーレイだのW録画だのと言ったって、全然分かんないだけどね。

そもそも私は、テレビをあまりみない。

ホントに疲れたときに、テレビをつける。なぜなら、ぼぅーとして
何も考えなくて済むから。

または、ホントに見たいものだけしか観ない。

なので、私にとってのテレビは、日課のなかのほんの一部に過ぎない。

当然、テレビ探しにも気合いが入らない。

だから、ホントはテレビの機能や諸々について知ろうともしないし、
どうでも良いと思っているフシがあるのも認めよう。

併せて、地デジというのがいまひとつ良く分からないのも事実。
地上デジタルなんて、なんで今頃なんでなんすかね?
空には衛生がぶんぶん飛んでいるでしょうに…。

で、こうなると、こっちも持久戦の構えとなってゆく。
テコでも動かない決意。

このダサイ、サンヨーのアナログとずっと付き合っていこう!
と、割と情の深い私。

こうなると、楽しみは来年だ。
アナログ最後の日、デジタル元日の日を、
この目でしっかりと見届けようという希望まで湧いてくる。

たとえば、
ある朝、眠い目でテレビをつけると、
画面いっぱいに砂嵐のような映像?が流れる。
「おっ、アフリカだ!パリ・ダカールラリーだな」と私。
で、いつまで経ってもザーザーという音声と共に、
画面も延々と砂嵐。

これを3時間眺めたあと、私は二度とテレビに近づかなくなり、
後はFMても聴きながら、出かける支度でもするだろう。

こうして私の前からテレビは消え、次第にその必要性さえ感じなくなる。

静かな生活はいいもんだ。
テレビなんかいらない!

が、或る日、好きな映画なんかがテレビでみたくなり、
再びテレビを買おうかな、などとおぞましいことを考える。

このとき、私はとんでもないデカイ奴を買うことにしよう。

で、気に入ったハリウッド映画や世界遺産を扱った番組とか
「生きもの世界紀行」のようなものをじっくりみるのだ。

そんな日が来るのか来ないのか、私自身全く不明だが、
そんなときの私のささやかな希望は、
テレビ画面から、
みの●●や小倉某とかいう司会者とか、
AKB云々とかのド素人女子軍団とか、
エビゾーとかの話題とか、
つまんねぇクイズ番組なんかは、
綺麗さっぱり消えて頂きたい、
ということだ。

(知ってるなぁ!)

恋人

やっと試験合格。
転職が決まって、朝9:00に初出社した。

みんなやさしく僕を迎えてくれて、
ここは長居できそうだと思った。

ここは、コピーライターから作家に転身した
ある有名な女史も在籍していたということで、
自分も頑張らねばと…。

ところが、なんだか面白くもない仕事が
あるもんだなぁ、と企画書を眺める。

しまいには、くだらない仕事だと結論を出すのに、
3時間かかった。

昼時。先輩の方々に飯に誘われ、
西麻布の小洒落たレストランで奢ってもらう。

いまでも濃い味だったこと以外、その店のことは
何も覚えていない。

申し訳ないなと思いながらも、
午後一で、「私、辞めます」と言って、
広尾の駅までとぼとぼと歩く。

外の空気が美味かった。

排気ガスまみれの、
通りの空気が美味かった。

午後の空いた日比谷線に乗り、
こんな電車、二度と乗るもんか、と思った。

自宅のマンションには誰もいないので、
僕は彼女が入院している病院へと
直行する。

「どうしたの?」と、彼女。

「会社、辞めてきた」

「なんで?」

「………」

僕は、つわりで入院している彼女に
早く会いたかった。

調子はどう?

かなり良いよ

そう、良かった

彼女の手を引き、
ふたりで病院の屋上へ出て、
洗足池のあたりを眺める。

また、いつものように
とりとめのない話。

次の日も、また次の日も、
僕は病院へ通い、
彼女の残した食事は
僕がたいらげた。

彼女が退院しても、
しばらく僕は家に居て、
彼女ととりとめのない時間を
過ごした。

あとで気がついた事だが、
僕はあの頃、
働くのが嫌だったのではなく、
あの会社の仕事が気にいらなかっのでもなく、
自分が働いている最中は、
抜け殻だったということだった。

あの頃、僕は彼女と一緒にいたかった。

ただそれだけだった。

イマドキの広告

石川遼のような生命保険について
考えてみた。

初めてこのCMをみたとき、私は狐に摘まれたように
きょとんとしてしまった。

なんにも伝わらない。
アタマのなかに、なんにも浮かばない。

遼君と保険がぜんぜん結びつかない。

で、ムリカラ考えた。

遼君は若いので安定感がない。
安定感のない保険なんだ?
これは良くない。
で、この保険は未熟だ、というイメージ。

いや、若くして成功している。
努力も怠らない。
誠実そうだ。
グリーンでは、抜群の安定感がある?
崩れても、持ち直す強さ。

あんな若いのに、
しっかりしているというイメージ。

インタビューに応える言動
そして物腰も、さわやか!

いまどきにめずらしい優等生、というイメージ。

優等生?
優等生というのは、非の打ち所がない。
優等生はみんなに尊敬される。

そんな保険、なのか?

きっと、
このCMで石川君はとんでもないお金を手に入れただろう。
億万長者の保険か?

石川君にこの先、どんな人生が待っているのだろう?

まかり間違っても、
決してタイガー・ウッズのようなことをしてはいけない。
こんなことは当たり前だし、彼がそのようなことをするとは
考えられないが、時として人は狂気を孕んでいる。

石川君が飲酒運転で捕まった、とか
石川君がクスリをやっいた、とか
石川君が実は人妻と付き合っていた、とか(言い過ぎ?)

あーあ、俺は何て下世話な奴なんだ!

が、彼はこうしたCMに出た以上、あらゆる場面で
好印象かつ良い成績を収めなければいけない、
という責任はついて回る。

なにしろ、このCMにほだされて保険に入った方々に対しての
責任の一端は、彼にもあるのだろうから。

彼も責任重大だな。
それとも、なんにも感じていないのかも?

という訳で、この博打のようなCMの決断を下した
広告主とこれを提案した広告会社のクリエーターに
拍手を送りたい(皮肉かよ)

人に負ぶさった広告の極み。

過去よりあらゆるイメージ広告があったが、
この石川遼のような保険、というCMは、
いわば、
最先端のイメージ広告なのかも知れないんである。

p.s

「猫とアヒルが力を合わせた保険」も売れているようだが、
考えてみれば、意味はよく分からない。
招き猫ダックというのも、かなり強引なネーミングなのだ。

フラッシュマーケティング

世間は不況なので
どんな商売もアレコレ工夫して
頑張っている。

スーパーへ行ってナスなんかぼおっと見ていると
いきなり鮮魚売り場の方から鐘の音が
カランカランと鳴る。

おお何だ?と、顔を上げると
ハチマキを巻いたにいさんが
「サンマがいまから赤字覚悟の50円だよ!」
カランカラン。

みんながゾロゾロと鮮魚売り場へ。
で、サンマが次々にさばけて、
最後は取り合いだ。

あっと言う間に、サンマは完売。

こうした売り方は、ほぼ時間限定。
あなたはとんでもない幸運なときに
でくわしたのです、みたいな。

ネットの世界でも、同じことが
流行ってきた。

時間限定の他、人数や数量も決められていて
その数に達しなければ、
すべては水の泡となる。

なので、売る方も買う方も必死だ。

例えば、ある老舗ホテルが、
高級スイート20部屋を、通常価格
一泊8万円のところを、
時間限定で3万円で売り出したとする。

これをネットで見た人たちが
「こんなチャンスは二度とないぞ!」
という訳で、次々に申し込む。

しかし、15人位で止まってしまうと、
この売り出しは中止となる。

で、今度は申し込んだお客さんも
必死だ。
なんとしてもあの老舗ホテルに泊まりたい。

で、ツイッターなんかでぶつぶつ
つぶやき始める。

で、これを見た誰かが「ホントかよ」
と言うことで、またまた申し込みが増え、
無事20人達成すると、
この商売は成立!

みんな良かったね、ということになる。

この手法は、都内の飲食店なんかで
かなり有効だ。

だって人がいっぱいでしょ。

誰か物好きいるだろう、ですよね?

美容院やエステ、整体院なんかも
この手法は向いている。

こうした売り方が良いか悪いかというのは
意見の分かれるところだ。

お客さんを煽るので、
買う方も冷静に判断しないと
買ってからとか申し込んでから
後悔することになる。

アメリカから上陸したこのマーケティング手法は
現在かなり広がっている。

こうなると、なんでも
定価で買うのが馬鹿らしくなってくる。

世の中みんな値引きなのだ!

建て売り住宅なんかも、
売れ残ると、金利や維持他いろいろかさむので
投げ売りになる。

プライスはすべて、状況で変わるのだ。

例えばだが、
東大卒、身長180センチ、顔まあまあ、
年収1000万円、中肉中背、特技英会話、
趣味ハイキング、性格温厚。年齢30歳、
離婚歴なし。

と、
こうした似たような条件のお兄さんが5人、
お嫁さんを2日間限定で募集すると
どうなるだろう?

例え話に、だいぶ無理があるが、
この花嫁応募は、果たして損か得か?

ここはひとつ、いくら急いでみても
いろいろ予想を張り巡らして
冷静になっても、
結果は全くみえない。

でしょうね?

生身の人間には、どんな最先端の
マーケティング手法も通用しない。

ああ、
当たり前すぎて、つまらない話に
なってしまった(爆)

ノマドで、クラウド

最近、喫茶店などで
よくパソコンをひらいている人を見かける。
iphoneやiPadもしかり。
営業系の方をはじめ、学生さん、
そして自営、起業家たちも多いと推測するが、
どこでも仕事ができるというのは、
嬉しくもあり悲しくもあり。
が、今日はその良いところだけの話。

公衆のアクセスポイントも、かなり増えつつある。
マックがその先陣だ。
まあ、回線契約すれば、
いまは、だいたいどこにいても、ネットへ繋がる。
使い放題の定額制も普及しているので、外に出っぱなしの人でも
、場所を選ばず、かなりの仕事がこなせる。

要するに、どこにいても仕事や勉強ができる
環境が整っているので、
オフィスや自宅にこもることもなく、
自分の気に入ったところで、仕事や勉強ができる。

公園やクルマのなかでもOK。

逆に言えば、オフィスなんかいらないのだ。
海辺なんかもいいな…

連絡は、ケータイとメールで済ます。

大切なファイルや、プレゼンなどの資料は、
例えばグーグル上にアップしておく。

で、必要なときにログインしてファイルを呼び出し、
修正したりコンビニでプリントして、
そのまま先方さんと打合せに望む、
なんてこともできる。

いまはこういう方たちをノマドという。
ノマドとは、遊牧民の意。

で、クラウドとはパソコンのハードディスクに
情報を溜めるのではなく、
ネット上にしまっておくこと。

グーグルがその代表例だが、その収納力は半端ではない。

極端にいえば、マイパソコンなんていうのもいらない。
人のパソコンからでも、ネットカフェのパソコンからでも、
その気になれば、自分のファイルは取り出せる。

そんな時代なのだ。

これから、脱サラをしようなんて考えている人にとっては、
いい時代なんじゃないかと思う。

ケータイひとつで飛び回りながら、ひと休みのついでに
見積もりをつくったり、とか。

郵便物やファックスは、仮想オフィスと契約しておけば、
事は足りる。

後は、何をやるか、何を志すか?

私の時代に較べれば、ハードルはグンと低いぞ。

が、やはりやる気、先見の明、そして根気がなければアウト!

元の木阿弥だ。

時代が変わっても、所詮は人のやること。

相変わらずここだけは変わらないんだな~

夏の印象

蝉が泣きやまない寺に

見慣れた顔が集まる

皆 汗を拭きながら

差し出されたお茶で

ひと息つく

エアコンがうなっても

涼しさもない

待合いの和室

どこも

扇子を忙しげに動かす

やりきれない暑さのなかで

テーブルの上に

見慣れた位牌が

すっと置いてある

こんな夏だった、と思う

いろいろなことを思い出しては

その記憶が薄れてきていることが

せめてもの救いなのか

誰もこれといった話題もなく

本堂にそろそろと移り

じっとりと流れる汗を拭うこともなく

皆が座して神妙な顔になる

線香の煙が立ちのぼる

住職のお経は

首の長い扇風機の風に乗って

境内の日差しの中に

消えてゆく

本堂に飾られた曼荼羅を眺め

来年の夏は親父の七回忌なんだな

と思う

親父も暑い日の朝にいなくなった

なぜみんな暑い日にいなくなるんだ

とうばを担いで墓に移動し

そして

墓石の前にしゃがみ込んで

線香に火を点けようと

下を向いていたら

程なく汗が噴き出して

止まらない

最近、夏は嫌だな

と思うようになった

夢見る人

「男は愛する女の最初の男になる事を願い、

女は愛する男の最後の女になる事を願う」

「流行とは、見るに堪えられないほど醜い外貌をしているので、

六ヶ月ごとに変えなければならないのだ」

アイルランド出身の詩人で劇作家、オスカー・ワイルドの言葉だ。

彼は、こういう言葉も残している。

「社会はしばしば罪人のことは許すものだよ。

しかし、夢見る人のことは決してゆるさない」

犯罪者というものはときに許されるものである。

しかし、夢見る人というのは決して許されない。

あなたが夢を語ると、それは無理だ、とすぐいう人はいないか。

いい年をして夢を追うのはいい加減にしろよ、

などと訳知り顔でいう人があなたのまわりにいないか。

彼らはみな、自分に自信がなかったり、強さがなかったりで、

夢をはるか遠い昔にあきらめてしまった人たちである。

あなたが夢を実現してしまうのではないかと不安を感じ、

悔しくて仕方がないから、ただ足を引っ張っていると思って

間違いない。

「オスカー・ワイルドに学ぶ人生の教訓」グレース宮田 著より

オスカー・ワイルドという人は、神がかり的に、
人生の総てを見抜いていた。
友人、恋人、社会の入り組んだ糸の仕掛けが、
彼にはくっきりと見えていた。

普遍的な言葉は色褪せない。

真実をみつめた言葉は、いつの時代も
変わらない。

天気と気分、
そして政党マニフェストの行方だけは、
いつもコロコロと変わるけどね。