幸福な時間とは

 

最近、絵を描くことに挑戦しているが、

ぜんぜん上手くならない。

 

雑誌「一枚の繪」もかなり買い込んだ。

ぺらぺらと眺めていても、どれも上手い絵ばかり。

 

Pinterest(ピンタレスト)という画像アプリで、

仕事の空いた時間に世界の名画とか印象派の絵、

ニューヨークアートなどもけっこう丹念にみているが、

やはりため息しか出ない。

 

そのうち、何のプラスにもならないような気がしてきた。

 

そもそも小さいときから絵は下手だったし、

図画工作の時間も苦痛だった。

なのに、中学一年のときの美術の時間に

クリスマスカードを描くことになり、

そのときアタマにパッと絵が浮かんだのだ。

 

雪のなかをトナカイが、

サンタを乗せたソリを引いて疾走している。

背景には北欧の針葉樹が雪をかぶっている。

遠くに赤い家がポツンと建っている。

 

誰でも思いつきそうな絵柄ではあるけれど、

そのときは我ながら「すごい」と思ったのだ。

そして思いついたからには、それを必死で描いた。

こればかりはかっこよく描かなくちゃ…

 

必死で描く理由が他にもあった。

同じクラスの好きな女の子に、

その絵をプレゼントしようと考えていたからだ。

 

結果、先生にも誰にも褒められなかったし、

ひいき目にみても上手いとは言えない出来だった。

 

結局そのクリスマスカードは好きな子に渡すこともなく、

机の引き出しのなかにしまい込んでしまった。

 

けれど、この創作の時間というものには、

思いがけない収穫があった。

夢中で描いていたあの時間が、

あとでとても幸福だったと気づいたからだ。

 

あの濃密な時間は不思議なひとときだった。

 

それはギターの練習でも味わったし、

高校の吹奏楽部でのトランペットの練習でも、

拳法の鍛錬でも味わった。

受験勉強も仕事でも、たびたび感じることができた。

 

それがいわば集中力というものと同じなのか、

僕には分からない。

 

けれど、その基準はきっと、

「時の過ぎるのも忘れてしまう至福のとき」

だったような気がする。

 

 

そしてもうひとつ気づいたことがある。

 

絵が上手いとはどういうことなのか?

その疑問が今日まで続いている。

 

絵画教室というのもあるけれど、

どうも気が進まない。

そういうところで習ったひとの絵を

幾度となくみたことがある。

皆ホントにみるみる絵が上達するし、

上手いとは思うのだけれど、

どれも一様に惹かれるものがないのだ。

 

そこが分からないのだ。

そのあたりが僕の絵に対する謎であり、

いつまで経っても解くことができない

知恵の輪のようなものになっている。

 

幸福な時間の過ごし方の一端は

掴んだような気がするけれど。

 

 

 

コピーライター返上

 

最近つくづく思うのだけれど、

コマーシャルと名の付くものに

惹かれるところが全くない。

これは言い過ぎではない。

 

だって、大半のCMが電波チラシと化しているのだから。

 

番組そのものも、全局を通してほぼつまらない。

もちろん、一部を除いて。

よって観たい番組は録画して、

さらにコマーシャルを飛ばしての鑑賞。

他の人はどうか知らないが、僕はそうしている。

こうした現象は僕だけなのか。

 

広告代理店の評判もよろしくない。

(そんなことはムカシから知っていたが)

それはそうだろう。

あれは利権屋のやることであって、

手数料で太り、末端のギャラは雀の涙。

 

この広告代理店からなる

ピラミッド構造を破壊しない限り、

良いものなんかうまれないし、

第一良いクリエーターが育たない。

そのうち死滅してしまう。

(だから新興勢力が頑張っている訳だが)

 

番組づくりも同様ではないのか。

永らく続いている不況で予算は削られ、

コロナで萎縮し、

新しい企画などやる意欲も、

もはや失せているようにもうかがえる。

 

ネットも同様。

いろいろなチャレンジや暗中模索は続いている。

けれど、ネガティブな面が目立ってしまう。

よく皆が口にする「ウザい」という感想がそうだ。

 

コピーライティングに関して言えば、

中身はほぼセールスレターの大量生産であり、

アレコレと手を変え品を変え、

訪問者を説得しようとする説教のようなものが

延々と続くようなものが主流。

これはもはやコピーではなく、

単なるネチネチとしたtextである。

 

で、僕たちが以前から書いてきたコピーだが、

これが正解かというと、それも違う。

もうそんな時代ではない。

僕たちが以前からやってきたコピーライティングは、

いまでは穴だらけの欠陥品かも知れない。

それが統計に数字で示される。

いまはそういう時代なのだ。

 

では、どんな方向性・スタイルがよいのかと考えても、

いまの僕にはいまひとつよく分からない。

或るアイデアはあるが、まだ試したことはない。

またネット上に幾つか良いものも散見されるが、

まだ暗中模索なのだろう。

新しい芽であることに違いはないのだが。

 

さて、いまという時代は、流れに加速がついている。

よって皆があくせくしている。

その原因は、本格的なデジタル時代に突入したことによる

変容現象とも言えるが、その他にも要因がある。

それが経済的な問題による疲弊であり、

それが相当な比率で絡んでいるのではないかと

僕は考えている。

 

余裕のない生活には、当然だが心の余裕もない。

いまはすべてに於いて何に於いても

即物的になってしまう。

 

「タイムイズマネー」でしか価値を計れない時代に、

誰も余韻を楽しむ余裕などあるハズもなく、

世知辛いとはまさにこの時代のことを指す。

 

とここまで書いて、

「ではコピーライターのキミはいま、

いったい何をやっているのかな?」

と問いかける自分がいる。

 

「僕ですか?

そうですね、越境ECの立ち上げですかね?」

 

「それってコピーライターの職域なんですか?」

 

「できることは何でもやりますよ。

肩書きなんてものはあまり関係ないですね。

特にこれからの時代は」

 

「そういうもんですか?」

 

「そういうもんです、ハイ!」

 

 

新年明けましておめでとうございます

 

新年明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

最近は、古い映画や音楽ばかり観たり聴いたりしています。

やはり感度のいい時期に接したものは忘れませんね。

 

映画では、クリント・イーストウッドの「許されざる者」が

良かったですね。

彼の当たり役である「ダーティーハリー」シリーズより

もっと古いけれど、まだ観ていない方にはおすすめです。

筋はシンプルだけど、見応えがあります。

 

音楽は、歌謡曲、フォークソングからグループサウンズ、

ソウルミュージック、ジャズ、フュージョンと、

テキトーというかデタラメに聴いています。

 

ここ数日は映画「フットルース」の主題曲にはまってます。

フットルースってどういう意味なのか気になって調べてみたら、

まあ「足のおもむくまま気ままな」でした。

あえて肉付けするなら、

 

―夢ばかり追いかけている風来坊―

―気ままな旅行者―

―好きな所へ行けて好きなことができて…―

 

というような英語の例文が出ていました。

なんかいいですね。

若かりし頃、まさに自身が描いた理想です。

この映画、余計に好きになりました。

 

と言うわけで、

みなさまにとっても良い年でありますように!

 

 

アウトドアで年を越したら…

 

家庭の事情により、若い頃から

年越しはほぼ外で過ごしていた。

(少し不良だった気がするけど)

 

初めて外で年を越したのは中学2年のとき。

学校の友達と二人で川崎大師に行った。

 

京浜急行の川崎大師駅は人で溢れていて、

朝のラッシュアワーと変わらない混み具合。

お寺までは、夜店や屋台がひしめいていて、

とても夜中とは思えない賑やかさだった。

 

ぞろぞろと歩いてようやく行列の最前列。

そこには巨大なさい銭箱があって、

白い布が敷いてある。

100円玉、10円玉、5円玉がどっさりとひしめいている。

そのなかにお札が幾枚もひらひらしていた。

 

あっけにとられてまごまごしていると、

後方からお金がビュンビュンと飛んでくる。

僕は大きなフードの付いたジャンパーを着ていて、

そのフードのなかに

お金がどんどん入ってくるのが分かった。

 

後で屋台のうどんを食いながらフードをのぞくと、

なんとお札も入っていたので、

このお金で横浜駅までタクシーで

帰ろうということになった。

うどんは自前で払った。

 

国道に出て、さてタクシーを拾う段になると、

僕と友人はなんだか急に後ろめたい気持ちになった。

そして、そのさい銭について話し合うこととなった。

 

話の内容はざっとこんなものだった。

このさい銭を投げた人たちのなかには、

必死の思いで年越しで願掛けにきた人たちも

いるのではないか。

そのお金を大師さんに届けることなく、

タクシー代に使ってしまうのは、どうも罪が深い。

これでは罰当たりになってしまう…

 

ということで、

二人はとぼとぼと川崎大師に舞い戻り、

再び行列に並んで

さい銭箱にそのお金を投げ入れた。

 

なんだか時間だけが過ぎてしまい、

時計をみるとすでに午前2時をまわっていた。

駅に行くと電車はすでに止まっていた。

しようがないので二人は横浜をめざして

国道を歩きはじめた。

 

横浜に着く頃には

夜が明けて電車も走り始めるだろうと、

あまい推測で歩いていたが、

国道に吹く海風があまりに冷たくて、

僕らの身体は冷え切ってしまい、

くたくたになってしまった。

 

お互いに話す気も失せてしまい、

だんだんもうろうとしてきた。

 

歩く体力も気力もなくなり、

僕たちはガードレールにもたれかかって、

途方に暮れていた。

 

と、一台のトラックが止まってくれた。

「ヒッチハイクしているのか?」

「いや、まあそんなもんですが」

「どこまで?」

「横浜駅までです」

「通るから乗せてってやるよ」

「ありがとうございます。助かります」

 

偶然というべきか、ラッキーなことって

起きるものなのだと思った。

 

そして相手がどんな人か疑いもせず、

僕たちは極度の疲れからか、

クルマに乗り込むと即、眠り込んでしまった。

 

「君たち起きなさい、横浜駅に着いたぞ」

あわてて僕たちは目を覚ます。

 

そしてそのドライバーさんに

深くお礼をいって駅をめざした。

 

始発が出るまで僕たちは、

プラットフォームで再び眠り込んでしまった。

 

という訳で外での年越し初体験は、

思わぬハプニングに見舞われた。

 

この一件で僕のなかでは、

後のいい教訓となった。

曰く、もう少し計画性をもてと。

 

その後、箱根の強羅付近を歩いていて、

年がかわったことがある。

また河口湖のスケートリンクで年を越したこともある。

いずれも酷寒だったけれど、

前もって防寒服と食料と飲料を準備していたので、

楽しく年を越すことができた。

 

エネルギーが溢れていた頃だから、

何かをしないではいられない。

そんな気持ちも、

外での年越しを後押ししていたような気がする。

 

にしても、さい銭泥棒にだけには

ならなくて良かったと思っている。

いまさらながら。

 

フジコ・ヘミングのコンサートへ行ってきた

 

 

 

クラシック音楽、好きですかと聞かれると、

それほどでもとこたえるだろう。

正直、クラシックという柄じやない。

 

以前のブログでも書いたけれど、

リストという作曲家のラ・カンパネラを弾く、

フジコ・ヘミングは別である。

 

イタリア語で鐘を意味するラ・カンパネラ。

 

ピアノの高音が魅力的でなければ、

あの美しく荘厳な欧州の教会の鐘の音は、

再現できない。

そして、その音に哀愁のようなものがなければ、

ただの音になってしまう。

 

僕は、ん十年前イタリアのフィレンツェでこの鐘の音を

間近で耳にしたことがある。

 

夕暮れだった。

 

それは、日本の寺院から聞こえる鐘の音と、

ある意味で双璧を成す、

美しくも厳かな響きだった。

 

フジコ・ヘミングは、その鐘の音に

心を宿したといっても過言ではない。

 

ラ・カンパネラという曲をピアノで弾くのは、

超絶技巧である。

それは演奏を観ているシロウトの私でも分かる。

 

リストは、この曲をピアノで弾く際に、

器用さに加え、大きい跳躍における正確さ、

指の機敏さを鍛える練習曲としても、

考えて作曲したというから、

天才のアタマは複雑すぎて分からない。

 

この難曲を正確無比に弾くという点では、

辻井伸行の右に出るピアニストはいない。

彼もこの曲に心を宿しているひとりに違いない。

 

 

では、フジコ・ヘミングの何が僕を惹きつけるのか?

 

それは、人生を賭けたピアニストという職業に

すべてを捧げたフジコ・ヘミングが、

ラ・カンパネラが自身に最もふさわしい曲と、

ある時期、確信したからと想像する。

 

真っ白なガウンのような豪華な衣装で彼女が登場すると、

当然のように満場の拍手がわく。

杖をついている姿はこちらも折り込み済みだけど、

もう90歳近いこのピアニストの演奏を

いつまで聴けるのだろうかと、ふと不安がよぎる。

 

しかし、彼女が弾き始めると会場の空気が、

いつものようにガラッと変わる。

これはどう表現したらよいのか分からないが、

とても強いエネルギーのような旋律が、

その場を別の次元にでも移動させてしまうほどの、

力をもっている。

 

興味のない人でも、たかがピアノなのにと、

平静を装うことはまずできない。

そんなパワーのようなものをこの人はもっている。

 

レコードやCDで聴くのとはなにかが違う。

いや、全く違う。

そっくりだけど別物の存在なのだ。

 

僕はクラシックがあまり好きではないし、

知識も素養もない。

 

だけどフジコ・ヘミングの弾くラ・カンパネラは、

どういう訳か、とても深い感動を得ることができるのだ。

 

 

 

河原で久々のたき火です

 

例の騒ぎで閉鎖されていた河原がやっと解放されました。

 

 

近所の知人と、薪を5束と着火剤とイスとテーブルと

サンドイッチとコーヒーをもって、久しぶりに河原におりる。

 

この日の河原の気温は、推定3度くらい。

さっさと火をつけないと底冷えと湿気が身体にまとわりつく。

ユニクロのヒートテック、いまひとつのような気がしましたね。

 

 

火が安定するとホッとひと息つけます。

イスに身体を沈めて、コーヒー&サンドイッチ。

で、後は世間話をするだけなんですが。

 

 

僕がたき火に行ったと話すと、

たき火未経験の友人、知人は必ずこういうのだ。

 

「たき火だけ? なにか面白いことあるの?」

 

僕もそう思っていました。

 

 

たき火初体験は、丹沢の山の中でした。

アウトドア・ベテランの知り合いに連れてってもらいました。

このときは数人で夜中まで火を囲みました。

話すこともなくなると、みんなおのおの星空を仰いだり、

薪をくべながら火をじっとみていたり。

僕は、背後の木々のあたりから、赤い目がふたつ光っていたのが

忘れられません。

 

火をみていると、黙っていてもなんだか間がいい。

話し続ける必要もないし、それより沈黙がよかったりする。

 

 

刻々と変化する山のようすだとか空の色だとか、

時の移り変わりを身体で感じることができる。

 

火をじっとみていると、なんというか、

とても古い先人たちのことを僕はアタマに描く。

 

火を扱うことを覚えた古代のひとたちは、

肉なんかを焼いたりすることで、

とても感動したんじゃないか…

 

そんな遠い遠い記憶が、

僕たちにも刻まれているのだろうか?

 

 

「谷内六郎展」を観に横須賀美術館へ

 

谷内六郎展ということで、

ドライブがてら、

横須賀美術館へでかけた。

 

 

ここを訪れるのはおおよそ5年ぶり。

前回はニューヨークアート展だった。

海辺が至近の美術館で、

まわりの景色も

とてものったりとしている。

 

前回、リキテンスタインの作品とか、

ウォーホルのキャンベルスープなど、

興味深い作品をじっくりと鑑賞できたので、

印象がよかった。

 

もう一度訪れたいと思っていたので、

今回はそのよい口実がみつかった。

 

 

 

 

谷内六郎といえばやはり週刊新潮だろう。

彼の絵が、毎週この雑誌の表紙を飾っていた。

創刊から25年書き続けたというから偉業である。

 

 

 

僕はこの表紙の絵を、

通勤途中の駅のキオスクや本屋でみかけたが、

当時はたいして気にならなかった。

週刊新潮の中身そのものにも興味がなかったので、

目を引くこともなかったのかも知れない。

 

彼の描くものに俄然注目したのは、つい最近のことだ。

それは或るテレビ番組で谷内六郎特集を観てからだ。

このときは暇だったので一点一点じっくりと鑑賞。

解説をききながら絵を読み解くうち、

この画家のイマジネーションの壮大さに、

改めて驚いた。

 

むかし、キオスクでちらっとみたときは、

素朴なタッチの懐古的な絵で、

なおかつ奥行きのない平坦な絵との印象だった。

まあそもそも駅のキオスクで

ちらっとしか観ていない絵の印象を語るなんて、

そんなものは失礼極まりない。

 

 

僕は、絵というもの、

そのものを詳しく知らなかったし。

 

で今回の再認識だが、

この谷内六郎という画家の描くものには、

どの一枚にも必ず物質とはいえない、

我々の目には見えないものが描かれている。

 

曰く、それが爽やかな夏の風の色であったり、

囲炉裏のあったかい空気であったり、

木枯らしに乗ってきたかわいい妖精の姿であったり、

春のふるさとの桜のかおりであったり…

 

 

そしてこの画家の描くものには、

思い、想いというものが、

ぎゅっと詰まっている。

そのやさしさやおもいやりのようなものが、

夢と空想の世界をかたちづくり、

観る人を不思議な世界へと誘う。

 

 

横須賀は、彼が晩年を過ごした地でもある。

よってこの美術館には、

別館として谷内六郎館が併設されている。

現在は工事中だが、今回は生誕100年ということで、

本館で展示されている。

 

5年前に訪れたときは、

ニューヨークアート展に集中してしまい、

前述したように谷内六郎作品に対する印象も薄いものだったので、

この別館を素通りした。

いまになって深く反省をしている。

 

 

遅きに失したけれど、

アーティストだけでなくクリエーターも含め、

ものをつくるひとたちの作業というのは、

当然いろいろなことを考え、想像し、

それをカタチにしている。

そうした一連の行為に対して、

僕たちは軽々しく論じてはいけない、のではないか。

 

 

これが今回の僕なりの教訓。

 

作家や作品が好きか嫌いか、

私たちにとってはその程度のことで、

あるにしてもだ。

葉山の空とリゾート

 

湘南を一望できるスポットはいろいろあるけれど、

大磯あたりからだとやはり高麗山の展望台だろうか。

ここはかなり高いので眺めるというより

遠景を見下ろす感じになる。

 

藤沢はいいスポットが思い浮かばないけれど、

鎌倉まで来ると山が多いので、

幾つか眺めのいいスポットがある。

 

鎌倉プリンスホテルが建つあたりから、

晴れた日の富士山をバックにした江ノ島は、

なかなかの絶景。

サンセットの時間帯は海も空もオレンジ色に染まって、

ただボーッとしているだけで心地いい。

 

私の友人Aの話によると、湘南の眺めナンバーワンは、

逗子の披露山からの眺めだとのこと。

「それは見事だぜ」と興奮気味に話していたのを思い出す。

また別の友人Bによると、葉山の日影茶屋の近くの、

要するに葉山マリーナあたりからの景色が絶景と、

先日の電話でやはり興奮気味に話していた。

 

僕は先日、葉山の山の上からの景色はどうなんだろうと、

足を運んでみた。

そこは僕たちが若い頃は道もなかったような山深いところなのだが、

いまは広いアスファルトの道が山頂まで続き、

国や民間の研究機関をはじめ、大きくて近代的な建物が

点在する。

広大な公園や宅地まである。

 

山のてっぺんに広い駐車場があって、

そこにクルマを止め、

だだっ広くて何もない草場を歩く。

しかし、

「うん、ここからは海が遠すぎるし、

絶景とは言えないなあ…」

ここより、いま来た道の途中からの景色が、

絶景だった訳だ。

 

 

しかし、ここからの空の眺めは、

なかなかの一級品だった。

山頂なので空を遮るものが何もない。

季節もよく、空が近く感じられた。

空に適当に雲が配置されている。

 

 

 

 

湘南からの空の絶景は、ここに決定した。

近くに一戸建てがポツポツと建っている。

ここらの家は皆一様に敷地がとても広くて、

建物もデカい。

SUUMOで中古価格をチェックしてみたら、

1億前後の物件であることが判明。

 

どう考えてもかなり不便なのに、

こんな価格で取り引きされているのは、

やはり湘南だからということか。

 

僕はここを早々に引き上げ、

海に下る途中のホテルで、

軽い食事とコーヒーをいただく。

 

もう薄ら寒い季節なのに、

このホテルのまわりには椰子の木が

生い茂っていて、

中庭には水をたたえたプールが、

夕刻にはライトアップされていた。

そこだけに焦点を絞ると、

ハワイにいるんじゃないかとの

錯覚さえうまれそうだ。

後日ネットで調べたら、

このホテルは、ときおり撮影とか

テレビドラマなんかにも使われるとのこと。

 

 

湘南恐るべし。

この地は、やはり他とは何かが違うと思わざるを得ない。

ここでは何をやってもどこへ行っても、

まあまあサマになるのであった。

 

ジャズ入門

 

女性ジャズシンガーの方とお話する機会があった。

 

ジャズに関して私は初心者レベルの知識しかない。

が、ジャズボーカルは以前から興味があったので、

その辺りを尋ねてみた。

 

一体どんな曲から始めれば、早く上達するのかと。

質問が先走っているのは承知だった。

 

彼女の回答はこうだった。

「どんな曲でも良いんですよ」

「こころを込めて歌えば…」

 

なんだか曖昧としてる。

しかし話をはぐらかすようでもない。

適当にこたえている風でもない。

そしてこう切り出した。

 

「○○さんはビートルズはもちろん知っていますよね?」

「ええ、もちろんです」

「初期の頃の彼らの曲は、

単語もコードもシンプルで歌いやすいので、

私たちもライブでよく歌いますよ」

「えっ、ライブでですか?

だってビートルズってジャズではないですよね?」

と私。

 

「そうあまりかたく考えないでください。

ジャズ・ボーカルのとっかかりとしては、

最適なんです」

 

彼女がさらに続ける。

 

「だけど難しさもあります。

ビートルズの曲はみんな知っているし、

その印象が強烈なので、アレンジが難しいんです。

そこを自分のモノにできれば、

ジャズとして成立します」

 

「ジャズってそういうものなんですか?」

「そういうものです」

彼女は笑みを浮かべた。

 

私は正直すこし混乱した。

 

「ジャズで一番大事なのは、なんと言っても個性、

そのひとがもつ持ち味なんです。

そこがしっかりつくり出せると、

自分なりのジャズが歌えるようになります」

 

「個性、ですか」

 

「もちろん。ジャズって個性で歌うものなんです」

 

「………」

 

私は、サッチモが歌うジャズを思い出した。

あのダミ声が、あの笑顔が、

誰をも魅了するのがなんとなく理解できた。

そしてゴスペルのようなジャズが

教会に響き渡るようすもアタマに描いてみた。

都会的なフュージョン・ジャズとして、

シャカタクのナイトバーズもなかなか個性的だなと、

そんなことをつらつらと思った。

 

ボーカルに限らず、

さらに広くジャズを見渡すと、

そこにはとてつもない深みが待ち構えている。

 

ジャズピアニストのジョージ・シアリング、

ハービー・ハンコック、グローヴァー・ワシントン・ジュニア、

スタン・ゲッツ、マイルス・デイビス等等、

その個性がまるで、おのおの小宇宙なのだ。

 

この辺りになると、聴いていてとても心地がいいのだが、

その演奏における技術だとかアレンジの意味合いを考えると

とても難しい。

 

ジャズ評論家という人たちの文章も過去に散見したが、

どうも敷居が高くて近づけなかった。

それはジャズにおける言語化が、ひとを寄せ付けない…

そのように思うのだ。

 

さらに例えるなら、哲学を説く哲人の一言ひとことの

その背後に潜んでいる何かを掴むように、

楽譜にはない箇所にジャズの真髄が如何にあるのか、

それを探さねばならないとか…

 

かようにジャズは底なしなのだ。

 

そんな内容の話を彼女にぶつけると、

少し笑ってこう話してくれた。

 

「要は生き方なのではないでしょうか?

皆さんそれぞれにさまざまに考え、

行動して毎日を営んでいます。

ジャズもそれと同じだと思います。

とても単純なことから難解なことまで、

いろいろあるでしょ?」

 

確かにそのように思う。

 

「ジャズって大海原のような音楽なんです。

とりとめがないんですよ。

そして掴もうとしても掴めない。

人も同じですよね。

だから自分らしく、すべてに於いて自分らしくです。

それがジャズなんだと思います、

そう思いません?」

 

ふーん、なんとなく譜に落ちたような気がした。

 

ではと、

「テネシー・ワルツなら歌えるかも知れませんよ」

と私が図々しく申し出る。

 

彼女が、

「入り口としてはベストチョイス!

で、江利チエミのテネシー・ワルツ?

パティ・ペイジのテネシー・ワルツ?」

 

「いや、柳ジョージのテネシー・ワルツが

いいですね」

 

「それは良いですね、

とにかく一曲でもものにできれば大成功です」

 

「そういうもんですか、ジャズって?」

 

「そういうもんです」

 

ただし、と彼女が言う。

 

「自然にスイングできたらですよ、

スイングね。

技術やジャンルのスイングではなく、

こころがスイングしたら、ですよ!」

 

「………」

 

アタマが少し混乱してきた。

 

なんだか禅問答の様相を施してきたので、

そろそろ退散することにした。

 

それにしても、ジャズって、

なんか宗教に似ているなぁ、

というのが、

最近の私の感想である。

 

 

 

 

自由業ってホントにFreedom?

 

会社を辞めて独立した頃は、

所属も何もないので気楽なものだった。

と言いたいところだが、

世の中はそんなに甘くなかった。

 

特に金融機関である。

ここは外せない事情がある。

 

提出書類に必ず職業欄というのがあって、

その箇所でよく迷った覚えがある。

 

いまもそうだが、フリーなどという分類はない。

自営業とか自由業というのが目について、

まあフリーになったんだから自由業だろうと、

それにチェックを入れていた頃がある。

 

書類に目を通した行員が、

まず決まったように皆、同じセリフを発する。

「自由業ですか、うらやましいですね。

で、どういったお仕事をなすっているのでしょうか?」

だいたいこんな具合に尋ねてくる。

 

彼らは寸分違わず、

ビシッとした紺またはグレーのスーツを着ている。

何故か、銀フレームのメガネ率も高かった。

 

最初の頃は分からなかったが、

話の最中、

彼らはそのメガネの奥底で

こちらをあざ笑っているようだった。

少なくとも私はそう感じた。

 

フリーが銀行から融資を引っ張るのは大変だ。

こちらも事業の明るい見通しなんかを

一応は説明するのだが、

要は生活する金が足りない訳で、

そんな事情を百も承知でからかわれていたのだ。

 

担保などというものは当然ないから、

万が一借りられたとしても金利は高い。

しかし何としても借りなくては生きていけない。

よってやむを得ず銀行へアタマを下げにいくのだが、

そこらへんの事情をまるごと知ったうえで、

彼らは紳士然と振る舞っているから、

まあ、別の日にでも道でばったり会ったりしたら、

突然殴りかかっていたかも知れないけどね。

 

向こうも焦げ付きは出したくないのは承知している。

けれど、こちらは生活していけるかどうかだ。

引き下がる訳にはいかない。

舐められているのを承知で、

アタマを下げざるを得ない。

まあ、いま思い出しても虫唾が走る。

 

では一体、自由業というのは、

どういった方たちを指しているのか?

いまさらだけど、改めて調べてみた。

 

コトバンクによると、

開業医、弁護士、会計士、コンサルタント、芸術家など、

高度かつ専門的な知識・才能に基づく独立自営業者

ないしその職業のことで、第三次産業のサービス業に属する。

とある。

 

うーん、そういうことだったのか。

ひとくちに自由業といっても、

自分には縁遠いことがいまさら判明した。

こういう人たちは、

間違っても銀行に金なんか借りにこないだろうし。

 

で、こうした過去を振り返って思うに、

金も才能もない自由業はかなり苦労するということ。

いろいろな場面で不自由な思いをする。

生活も不安定極まりない。

当たり前だけど。

 

こうした環境は、そのうち心身に変調をきたす。

 

自由業の面々が次々と脱落していったのを、

私はこの目でしっかりと目撃している。

仕事がなくて田舎の実家に帰った者。

アル中で入院した仲間。

サラリーマン・クリエーターに戻った友人。

うつ病を患ったデザイナー等等、

思い出すとキリがない。

嫌になる。

 

こうなると、もはや自由業という名称を疑う。

不自由なことが実に多いのだ。

かつ万が一の保証もない。

そういえば、子供をあきらめた仲間や知り合いも、

何組かいたし…

 

ではなぜ、そんな境遇にもかかわらず、

自由業というカテゴリーを選択したのかだが、

そこがどうもうまく説明できない。

 

しかし、イマドキのフリーの方々に聞けば、

実に明快な解答が出てくると思う。

それもポジティブな意見として。

 

私たちの時代は、

おおげさにいえば社会的に虐げられていた時代なので、

自由業で生活してゆくには、

どうしても決意のようなものが必要だった。

さらに言えば、忍耐を伴う覚悟だ。

 

私的な意見だが私の場合は、

思春期あたりから抱いていた人生観のようなものが、

「自由業」へ向かわせたような気がする。

それは妙に拡大した自由奔放な自我と、

社会のシステムに対する不信、

とでも言おうか。

 

とまぁ少々暗い話をしたが、

リスクをとって余りあるほど面白いのもまた、

自由業なのである。

 

ここが不思議といえば不思議なのだが、

自由業というのは、

社会の或る一部の人間だけを魅了してやまない。

 

軽すぎる例えになってしまうが、

まず格好が自由であること。

私はスーツとか背広が大嫌いだったので、

会社を辞めた途端、

夏なんかはいつもTシャツと短パンで通していた。

あと、会社勤めのときはいつも

出社の際にタイムカードを押していたが、

ああいうものは身体によくないので、

辞めた途端スカッとした。

時間の使い方も自分でコントロールできるので、

子育てに参加できたことも

とても良かったと思っている。

 

ではさて、

いったい自由業を選択するとは

どうゆう事なのか?

 

そこをたいそうに語れば、

人生の賭けであり冒険でもあると、

言えないこともない。

だから多大なリスクをとる。

 

それと引き換えに得るものが、

なにものにも代えがたい。

目にはみえないものばかりだけど…

 

だからあなたや私を、

自由業へと駆り立てる訳だ。

 

 

p.s

新自由業と呼ばれるユーチューバー、独立プログラマーの方々も、

人生の宝島をめざして頑張っていただきたい。

 

p.s2

ちなみに、前出の銀行員の方々はその後バブル崩壊、

平成不況やら、合併に次ぐ合併で疲弊。

いまじゃゼロ金利で経営圧迫され、

人員削減の憂き目なんだそうです。

磐石なエリートでも未来は見通せません。

要は、この世にずっととどまる、

安定しているなんてものはひとつもないということ。

 

だって世界は刻々と変化し続けているのですから…