上を向いて歩こう

 

ボクがまだ幼かったころ

家族4人で暮らしていた我が家は

とても小さくて狭くて粗末で

つよい風が吹けば

ふわっと浮かんで

どこかへ飛んでいってしまいそうな

あばら屋だった

 

けれどボクにとっては

まぎれもなく唯一安心できる我が家だった

 

ある年の元旦の朝に

和服の女性が男の子を連れ

我が家を尋ねてきた

 

突然の来訪者に母は驚き

つつましいおせちを出して

精一杯もてなした

 

「お姉ちゃん あの人たちだれ?」

ボクが姉にきく

「知らない」

 

姉は何かを察知したのだろう

とても不機嫌だった

 

和服の女性は

キツネのような目をしていた

男の子はボクよりひとつ年上で

ボクが苦労してつくった戦車のプラモデルを

壁に投げつけたりして笑っていた

 

松飾りがとれるころ

父と母のどなり合う声で

夜中に目が覚めた

 

そんな日が幾日も続いた

それでも姉は

いつもと変わらず

毎朝小学校へ走ってでかけた

 

眠りが浅くなってしまったボクは

毎夜毎夜つづく

父と母のののしり合いをきくことになる

 

「離婚しかないでしょ」

「そうだな」

 

ボクはそのたび

となりで寝ている姉の手をぎゅっと握った

 

姉は寝息をたてていた

 

お父さんとお母さんが離婚するって

いったいどういうことだろう

ボクはこの家にいられないんだ

もういまの学校へは通えない

ボクも姉も

みんなバラバラになってしまう

そしてボクはひとりになってしまう…

 

ひとりになったらどうしたらいいんだろう

 

いろいろな不安がとめどなく溢れる

 

そのうちボクは寝られなくなって

よく朝まで起きていた

 

小学校で授業が終わってみんなが下校し

誰もいなくなると

ボクは学校の裏庭でよく泣いた

 

それはいまでも忘れない

 

けっきょく父と母の離婚はなかったが

あの日以来

家のなかは

永年霧がかかったような湿気が残った

 

それから幾度か引っ越しをした

けれどその湿気はいつまでも残った

 

ボクは小学校を卒業しても

漠然とした不安は解消しなかった

いつも最悪の場面を想像し

その対応策を必死で考えるのが

癖になってしまった

 

そして浅はかではあったけれど

とにかく「さっさと独り立ちしたい」

というようなことを強く心に念じた

 

 

昭和30年代の終わりのころ

我が家のテレビはまだ白黒テレビだった

いや、どの家もそうだった

 

夕飯を食べながらテレビを観ていたら

坂本九という歌手が

「上を向いて歩こう」を唄っていた

 

―上を向いて歩こう

涙がこぼれないように―

 

あの日以来

幾度も幾度も

辛いことがあったけれど

そのたびにボクのなかで

あの歌が流れるのだ

 

それはいまでも変わらない

 

 

 

ショートストーリー「流星」

 

 

 

「アジル流星群が見れるのは、

次はずっと先の298年後らしいよ」

高次が暗い夜空を睨みながらつぶやく。

 

「そのころ私たち、当然だけどこの世にいないわね。

かけらもないわ」

 

草むらから身体を起こしながら、

多恵が笑って高次のほうを向いた。

 

小春日和の12月の中旬、

ふたりはクルマを飛ばして、

海が見える丘をめざした。

 

海からの風が、

あたりの草をざわつかせ、

ふたりの身体は一気に冷えた。

 

高次が多恵の肩に手をかけて

「大丈夫か、冷えないか、多恵」

と顔をのぞく。

 

「今日はなんだか良いみたいなんだ」

 

多恵の長い髪が風になびいて、

群青色の海を背景に

格好のシルエットとして映る。

 

高次はそれをじっとみつめた。

 

多恵は、9月の初めに病院を退院し、

ずっとマンションに籠もる生活を強いられていた。

パートナーの高次は、

そんな多恵を見守りながら、

彼女を表に連れ出すチャンスを伺っていた。

 

 

多恵が完治する見込みは、

いまのところないと、

幾つかの病院で指摘された。

 

(難治性心筋膜壊死症候群)

 

多恵が発病したのは、

ふたりが一緒に暮らし始めてから、

2年目の夏だった。

 

診断の結果に、ふたりの気持ちは塞いだ。

憂鬱な日が幾日も続いた。

 

が、ふたりは或る日を境に、再び歩きはじめる。

 

前を向いて生きよう、

そしてこれからのことについて、

現実的な解決策を考えようと。

 

ふたりは、

新たなスタート地点に、

再び立ったのだ。

 

 

憂鬱な日々は去った。

ふたりは、テレビを消し、

ネットを避け、

無駄な時間を一切排除して、

毎日毎日話し合いを続けた。

 

それはふたりの隙間を埋めてもまだ足りない、

濃密な語り合いに変わる。

 

残された時間を惜しむように、

相手を慈しむように、

そんな時間を重ねた。

 

―現実的な解決策など

見いだすことができない―

 

それは、お互いがあらかじめ

じゅうぶん承知していることだった。

 

ただ、いまさらながら

「いま」という瞬間の貴重さについて、

ふたりは改めて気づかされたのだ。

 

過去ではなく未来でもなく、いま。

この瞬間瞬間を精一杯生きていこうと、

誓い合った。

 

 

高次は、仕事の合間を縫ってネットだけでなく、

図書館でいろいろと文献をあさってみたが、

やはりかんばしいこたえを探し出すことができなかった。

症例が希で予後は良くないとの、

専門医のことばだけが記憶に残った。

 

現実的な解決策は、やはり見いだせない。

 

高次は日を追う毎に

焦りのようなものを感じるようになった。

 

 

(海辺の丘にて)

 

ふたりが真夜中の空を凝視する。

 

あたりは誰もいない。

海風だけがうるさく木々を揺らしている。

 

その流星は南西の夜空に明るく降り注ぐと

テレビでは話していたが、

こうして夜空を見ていると、

流星は決してシャワーのように現れたりはしない。

 

或る間隔をあけてスーッと光っては消えてしまう。

それはとても控えめで静かな星の軌道だった。

 

「多恵、もう眠いだろう?」

「うん、眠い。もう疲れたね」

「そろそろ帰るか?」

「うん」

ボクらは草を払いながら立ち上がった。

 

「もう2時間もいたんだよ」

あくびをした多恵の口が少し尖っている。

時計を覗き込むと、午前2時を差していた。

 

「高次は、明日の仕事キツイね」

「なんとかなるさ」

 

帰り際に南西の空をもう一度見上げると、

線香花火のようなオレンジ色の光が

暗闇に現れた。

その光が漆黒の空にスッと一筋の弧を描いて、

次の瞬間、濃い群青色の海に消えた。

 

「いまの見た?」

「見た、見たよ」

 

高次はそのとき不思議なことを思った。

 

―この地上って、いろいろな人間やいきものがいて、

みんな一様になんだかいろいろと大変な事情を抱えていて、

それでもなんとか生きているんだ―

 

誰も彼も、よろこびはほんの一瞬なのではないかと。

 

高次は多恵の肩を抱いた。

「寒いな」

「うん」

 

そして高次は、

ある約束のようなものを、

自分自身に誓った。

 

いつか再びこの丘で

多恵とこの流星を見るのだ…

 

(なあ多恵、もし生まれ変わっても、

君さえ良かったら、また一緒になろう。

そしてこの流星をいっしょに見よう)

 

いつかまた多恵と出会い

同じ時代を生きてみたいと

高次は本気で考えた。

 

 

あの流星を見に出かけた日いらい、

多恵はまた床に伏してしまった。

 

「無理させてしまってゴメンな」

「そんなことない。とても素敵な夜だったよ」

 

多恵の細いうなじが、

日に日にハリを失ってきているのが、

高次にも分かった。

今夜は足もおぼつかない。

「大丈夫か?」

「…」

 

多恵の辛そうな身体が、

まるで背後の暗さに溶けていくかのように、

か弱く小刻みに震えている。

 

 

高次は病院にいくたびに、

無駄と知りながら、何度も医者に食い下がった。

医者はむずかしい表情で、

その度に薬を変えた。

 

が、多恵の衰えは止まらない。

 

或る日高次は、

「またあの流星を一緒に見たいな」

とベッドの多恵に話しかけた。

 

「ええ」

多恵が微笑んだ。

「だけど298年後でしょ?」

 

「そのときが来たら、

また多恵と一緒にあの流星を見るって、

ボクは決めたよ」

 

多恵の目が潤んだ。

そして多恵が、

「高次ってホントに空が好きだね。

なんで?」

 

「なんでって…」

 

「だってムカシから空ばかり見ているじゃない」

 

「それはこの空だけが、ボクたちのことを

ずっと覚えていてくれると思うからさ」

 

多恵の目から涙がこぼれた。

 

「高次、死んだら私どこへ行くのかな?」

 

「つまらないことをいうなよ」

 

高次が多恵に語りかける。

 

「いいか多恵、よく聞けよ。

何処にも行くな。

いつもボクが近くにいると

強く信じていてくれ」

 

「独りになるって寂しいね」

 

高次は一瞬押し黙った。

そしてゆっくりと話し始めた。

 

「多恵、キミを独りにはさせない。

ボクから離れるんじゃないぞ。

ボクから離れるんじゃない」

 

 

多恵の病状は徐々に悪化し、

その年の暮れ、再び入院することとなった。

 

そして年が明けた翌1月の冷え込んだ朝に、

多恵は二度と微笑むこともなく、

あっけなく逝ってしまった。

 

 

高次はそれ以来、

永い日を放心して過ごすこととなった。

身体にあいた大きな空洞のようなものが、

彼を虚無の世界に閉じ込めたのだ。

 

 

半年の後、高次はようやく仕事に復帰した。

 

高次はとあるごとに、

自分に誓ったあの約束のことばかりを、

一心に考えるようになった。

 

多恵、

キミにまた会えることを信じて、

ボクはいまもその手がかりをさがしている。

それはとても非科学的な考えなのかも知れない。

けれど、ボクたちは或る何かを超えて、

再び会えるような気がするんだ。

 

だから多恵、298年後なんてすぐ来るような気がする。

 

「ボクの声が聞こえるかい?」

 

(完)

 

 

 

夏の夕ぐれに想うこと

 

 

 

窓のそとの風景が動かない

 

そんな夏の夕ぐれは

きっと少しだけ

ときも止まっているのだろう

 

溶けてしまう前にと

氷のように光る雲が

急ぎ足で過ぎてゆく

 

とおい赤く染まる

その背後の群青色のスクリーンに

過去の残像が映ると

こころ踊り

悲しみ

そして広い空を舞う我が思いで

 

ゆったりと

窓辺のイスに心身をまかせ

アイスティーで

昼のほてりをしずめて

夏の夕ぐれは

いつも同様に回想するも

残像の彼らはやはり口もきかず

笑みだけを残して

いつもとおいくにへと

帰ってしまうのだ

 

今日という

この夕ぐれだけがみせてくれる

陰影のドラマはきっと

いのちが尽きるまで

続くのだろうか

 

夏の夕ぐれは

だから誰だって

遠いくにの夢をみる

 

 

たとえ明日世界が滅びようとも

 

写真にある本は、

作家でカメラマンの藤原新也氏の、

いまから10年前に出された本である。

 

主に、3.11にまつわる話が多い。

 

内容は重みがある。

当然と言えば当然であるけれど、

中に写真が一枚もない。

表紙のみである。

 

ボクは、この表紙から言い知れぬものを感じ、

中身も見ずに買った。

 

この表紙の写真&テキストは、

広告で言えば1980年代の手法。

広告が時代を引っ張っていた、

広告にパワーがあった、

そんな時代の手法である。

 

ビジュアル一発、

コピー一発でバシッと決める。

 

この表紙は古い手法なのだけれど、

いまみてもなんの衰えも感じさせない、

ある種の凄みがある。

 

 

母と産まれたばかりの赤子との対面。

 

母はこのうえなくうれしい。

赤子は初めてこの世に出現したことに

戸惑っているのか。

少し不安の表情もみえる。

 

が、しかし、

たとえ明日世界が滅びようとも…

 

このコピーが、なにかとても救われるのだ。

 

この世は、地獄でもなければ天国であるハズもない。

明日は、なんの不具合もなく延々と続くような気もするし、

第三次世界大戦が勃発して人類は滅亡するかも知れない。

 

だけどこの子は確かにこの世界に現れたのだ。

 

この

たとえ明日世界が滅びようとも、

の名言は以下このように続く。

 

たとえ明日世界が滅びようとも、

今日私はリンゴの木を植える。

 

そこには、強い意思が込められている。

最良、最悪な出来事も予見した上での、

覚悟のようなもの。

 

それはなにかを信じることなのか

それが愛とかいうものなのか

 

ボクはいまだ未回答のまま。

 

だがあいかわらずボクは、

たいして中身も読まずに、

この表紙をみるたびに、

飽きもせず、

感動なんかしてしまう。

 

風のみち

 

いつものように

ボクは通勤で通る

東京都目黒区中根の

目黒通り沿いを歩いていた

 

寝不足が続いていたので、

少し頭が痛む

とりあえす目頭をぎゅっと押さえ

早足で駅へ急ごうと

ピッチを上げたときだった

 

とつぜん身体がグラッとしたかと思うと

目の前が真っ白になり

次の瞬間あたりを見ると

その見慣れない道が現れたのだ

 

それは

空から舞い降りたように

かげろうのようにゆらゆらと

目前に伸びていた

 

一旦は後ずさりしたのだが

その道が海に続いているとボクは直感した

そしてためらうことなく

足を踏み入れたのだ

 

後に続くひとは誰もいない

前を歩く姿も見うけられない

 

 

その道は雨後で舗装はされておらず

かなりぬかるんでいたが

ボクはためらうことなく歩いていくことにした

 

というより

そのときの事を思い返すと

誰かに呼ばれるように

おおきな何かに導かれるように

その道に進んだように思えてならない

 

ざわめく木々

揺れる草花

 

風のつよい日だった

風のつよい道だった

 

疲れていたボクは

どういう訳か

その道を歩きながら

生きてゆく意味を問うていた

幾度も幾度もその問いについて

こたえを探していたように思う

 

風とぬかるみで

ボクの思考は何度も混乱したが

その道は確かに

穏やかな海へと続いていたのだ

 

 

すでに風は止み

足で踏みしめた浜から

潮をのぞくと

夕闇を帯びはじめた空のした

わずかな赤みを残したまま

波は静かに寄せては返している

 

浜の向こうには

小さな漁村が点在していて

夕凪(なぎ)のなかを人々が集って

盆に開かれる踊り稽古や

飾り付けの支度をしていた

 

「どこから来たのけ?」

 

白髪頭の浅黒いおとこに問われ

 

「いや、あの道を歩いていたら…」

 

ボクが振り返ってその来た道を

指さそうとするが

そこはなぜだか高い山に覆われていた

 

「まあいいやな、あんたもここへ来たのは

なんかの縁じゃろうて。

せっかくだから踊っていきんさい」

 

「はい、そうします

ありがとうございます」

 

こうしてボクは

それはいま思えば不自然極まりないのだが

この漁村のひとたちといっしょに

老若男女に混じって

朝まで踊り、唄い、酒に酔い

盆の祭りに参加していた

 

明けの明星が光るころ

ボクは疲れ果てて

そのまま浜に横になって

眠り込んでしまい

はっと気がつくと

東京都目黒区中根の

目黒通り沿いを歩いていたのだった

 

 

私は毎日この道を歩いて

会社へ通っている

今日もそこを歩いてきたのだが

いくら客観的にみても

何の変哲も無い

都会によくある沿道なのだ

 

が、あの日以来「その道」が

私の前に現れることもなければ

その兆候すら皆無なのだ

 

ただ、よくよく思い返すに

あの道は以前どこかで

歩いたような気がする

あの海辺の村は

幼い頃にでかけたような気もするのだが

それが全く思い出せないのだ

 

 

ただ、ボクがその道を歩いて

あの祭りに参加したことは

確かなことなのだ

 

なぜなら

いまボクのかばんには

その道で拾った赤松の枝の切れ端と

祭りで村のひとからいただいた

盆に村のひとに配られる

紙の御札が一枚入っているからだ

 

そしてあの事件(?)からちょうど3ヶ月後

ボクは生活のためだけに通っていた

あの鬱屈した会社を退職し

新しい仕事にチャレンジすることにした

 

忙しい毎日で相変わらず寝不足な毎日だけど

あれ以来あの嫌な気分はなくなり

頭痛がおきることもない

 

 

 

青のモラトリアム(ショートストーリー)

 

 

この先、自分はこのままでいいのか?

いったい何が正解なんだろう。

 

もうすぐ20歳になろうとする悟は、

最近、よく自問自答するようになっていた。

 

冷凍食品を小型の保冷車に積んで、

市内の肉屋やスーパーに配送するのが

いまの悟の仕事だが、

悟のルートセールスという仕事は、

配送だけでなく、

卸した先との価格の取り決めや

新製品の説明もしなくてはならない。

 

会社へ戻ると、出納伝票への記入や、

売り上げ報告書の作成、

そして防寒服を着て-35℃の冷凍庫に入って、

在庫の確認などもする。

 

帰りはいつも夜の9時をまわっている。

 

毎日同じ客筋を延々と繰り返してまわっても、

なにひとつ手応えを感じなかった。

カチカチに凍ったコロッケとか海老の箱詰めを、

肉屋やスーパーへ届けていると、

何かが違うのではないかと最近思うようになった。

 

しかし、いまの仕事は、

高校を卒業して最初に就いたバーテンダーよりマシだと、

悟は思っていた。

 

酔っ払いの相手はいい加減にバカ臭いと思ったからだ。

昼夜逆転の生活も、悟に暗い将来の暗示と映った。

 

関東一円にコーヒー豆を運ぶトラックの運転手もやってみたが、

夏の暑い日に延々と田園が続くアスファルトの道を走っていると、

このまま海へ続けばいいなと、よく思った。

 

支払いも日雇いと同じで、日給月給だった。

人生で初の正社員として採用してくれたのが、

いま働いている冷凍食品の会社だったが、

悟の自問自答は日増しに膨れあがり、

もう避けて通れない難問となって立ちはだかっていた。

 

よくよく考えると、

この問題は高校時代まで遡ることに気がついた。

 

悟の進んだ高校は私学で、

入学してから分かったことだが、

すべてにおいてスパルタ方式が徹底していて、

なにごとにおいても個人の自由は削がれていた。

 

そうした情報を知るすべを、

当時の悟には知るよしもなかった。

 

校内では、竹刀を手にした体育会系の教師がうろつき、

ちょっと気に入らない態度の生徒をみつけては

規律を乱すとの理由で容赦なく叩いていた。

 

悟は、いい加減にこの高校に息苦しさを覚え、

2度ほど本気で辞めようと思った。

しかし、もう少し続けてみようと思ったのは唯一、

担任の先生との関係だった。

 

その先生が、

何度も悟を説得してくれたのだ。

「悟、もう少し頑張ってみようよ」

「悟、人間には我慢しなくてはならない

ときというものがあるんだ。

それは後になって気づくことだけどな」

 

けっきょく悟は退学届けは出さなかった。

けれど、無断で高校を何日も休んでいた。

 

悟の行為は学内でいろいろと問題視された。

悟は退学処分になっても仕方がないと、

捨て鉢な態度に徹していた。

 

が、この担任の先生の計らいで、

悟は難を切り抜けることができた。

 

その私学は大学の付属校だったが、

悟はその大学に対しても、

すでに勝手に失望していた。

 

学校へ行かない日は、家へは帰らず、

地元の配管工をしている友人の家で、

寝泊まりを繰り返した。

 

昼間はそのアパートで、

よくフォークソングを聴いて過ごした。

 

その友人はいつも井上陽水を聴いていた。

彼はそればかり聴いていた。

 

が、「氷の世界」は悟には辛すぎるうたに聞こえた。

 

平日は、友人が「今日はおまえの番だぜ」と、

笑って仕事に出かける。

 

悟は家からもってきた吉田拓郎のアルバムを、

幾度となく繰り返し、聴く。

 

「人間なんて」という歌が、

当時の最新式のステレオから流れると、

悟は心底その歌詞に共感した。

そして、陽水より実はこちらのうたのほうが

かなり悲しいうたなんだと、ある日気づいた。

 

♪人間なんてララララララララ

人間なんてララララララララ

何かが欲しいいおいら

それが何だか分からない♪

 

 

そんな悶々とした日が続き、

悟はけっきょく何の結論も出ないまま、

高校はなんとか卒業する。

 

トコロテン式に入学できる大学への進学は、

早々に辞退していた。

 

悟以外は、クラスの全員がその大学へ進学した。

 

こうして、

高校時代から悟の軸は少しづつズレが生じ、

荒れた生活へと傾いた。

そして、

地元の遊び仲間たちとの行動が、

いろいろな歪みを生むこととなる。

 

警察の世話になるようなことも、

一度や二度では済まなくなっていた。

 

冷凍食品の配送をしながら、

しぜんに芽生えてしまった自問自答の原因は、

こうしたズレの集積であることに、

悟自身はようやく辿り着いた。

 

悟は考えた末、

この冷凍食品の会社に辞表を出すことにした。

 

突然の辞表に驚いた所長は視線を天井に向け、

「お前は一体何を考えているのか?」と繰り返した。

 

「いまはまだ分かりません」

 

所長は「後悔するぞ」と先を見通せるかのように、念を押した。

 

会社を辞めた悟は、

中学校時代に親しくしていた友人を、

久しぶりに訪ねた。

しばらく会っていなかった友人は、

大学の法学部で、

法律の勉強にいそしんでいた。

 

彼と懐かしい話をするうちに、

突然、悟は思い詰めたように、

或る想いをその友人に話した。

 

「俺さ、なんだか分からないけど、

いまの自分が自分でないようで、

いたたまれないんだ。

本当は何かをつくる仕事がしたい気がして。

たとえば、新聞とか雑誌とか…

そういうものに携わりたいんだ。

才能はないと思う。

だけど、ただやりたいなって…」

 

「………」

 

悟はさらに胸の内を話した。

 

「いや違う。

いまの俺が欲しいのは時間なのかも知れない。

そしてもう一度やり直したい」

 

友人は咳払いをひとつした後、

「いずれにしても、何かをめざすのであれば

まず大学を出ておいたほうが良いんじゃないか?、

世間ではいろいろ格好いいことを言うのがいるけれど、

現実は全く違うよ」

と話してくれた。

 

悟の最も嫌いな学歴ということばが、

やはり現実の世界では、いぜん幅を利かせている。

そして友人は、「モラトリアム」という言葉の意味を、

悟に教えてくれた。

 

モラトリアムは法律でも使われるようだが、

直訳すれば執行猶予という意だった。

 

要するに、

人生におけるやり直しの時間を手に入れる…

 

悟はそう理解した。

 

そして大学受験のために必要な願書というものも

偏差値も赤本も、さらに、

中学からの勉強のやり直しが最も有効だということも、

その友人が教えてくれた。

 

街に秋の気配が広がるころ、

悟は家にこもって勉強をスタートさせた。

 

遊び仲間は、悟の付き合いの悪さを、

みんなで酒の肴にしていた。

両親も悟の行動をいぶかしがったが、

特にそのことに触れることもせず、

生活費をよこせとだけ小言を繰り返した。

 

試験は、年明けの2月14日。

友人もときどき徹夜で応援してくれた。

正月の元旦を除いて、

悟は受験勉強に集中した。

 

こうして1974年の春、

悟はモラトリアムを手に入れた。

 

「この時間はとても大切なものだ」と、

悟は幾度となく胸の内で繰り返した。

 

けっきょく、悟はこの社会にひとつ迎合した。

それは学歴という何の中身もないのにのさばっている代物に、

手を出したこと。

さらにクルマの借金は相変わらず続く。

学費も稼がなくてはならない…

 

が、悟は自らの人生を再起動させた。

 

事態は決して良い方に100%傾いたとは言い難い。

 

とりあえず執行猶予期間を手に入れたことで、

悟は自らの羅針盤をつくり直す作業に取りかかった。

 

 

 

 

青春しごと事情

 

私の仕事の原点は、肉体労働だった。

まず、金になること。金を手に入れ、

クルマを買うこと。

 

若い頃、働く理由と意欲の原動力は

それしかなかった。

 

それまでも、サッシ工場、ライター工場、

大型長距離便トラックの助手、

配送、果ては自らトラックドライバーとなり、

関東一円にコーヒー豆を運んでいた。

 

これらの仕事は、すべて金額で決めていた。

 

後、セールスドライバーもやったが、

これはこれで営業職も兼ねていたので、

割とアタマも使った。

 

当時、何ひとつ取り柄のない私にとって、

肉体労働は唯一稼げる仕事だった。

とりわけ、沖仲仕の仕事は

いまでも印象深い。

 

朝一番に横浜の港近くのドヤ街に行き、

立ちんぼと呼ばれる男たちとの交渉。

何の仕事で日当幾らが決まる。

 

とにかく最高の値の仕事を獲得する。

で、話が決まると、マイクロバスに乗せられ、

広い港のどこかよく分からない場所で降ろされる。

 

溜まっている男たちも、まあその日暮らしばかりで、

目だけが異様に鋭かった。

 

艀のような船に乗せられ、大きな貨物船の横へ付けられる。

貨物船の大きなクレーンから、続々と魚粉の麻袋が下ろされ、

下にいる私たちが、その麻袋をひたすら船に積み上げる。

 

一袋20㌔はあっただろうか。

麻は手で持たず、鎌をかけてひたすら横へ放り投げる。

それを他の奴が、船に隅から積み上げる。

 

たまに、高いクレーンの網に乗せ損ねた麻袋が、

船にドスンと落ちる。

 

「危ないぞ!」と聞こえた瞬間に落ちるので、

だいたい間に合わない。

が、この仕事の間、事故はなかった。

 

麻袋が落ちた真横にいる奴がにやにやしている。

それがどういう笑いなのか、よく分からない。

 

8月にこの仕事に就いたので、一日炎天下にさらされた。

 

躰が悲鳴を上げる。

腰が痛くてたまらない。

 

船の端で、

何が原因か分からない殴り合いの喧嘩が始まった。

よくそんな気力があるなと見ていると、

現場監督がヘルメットで二人を殴り倒し、

なにもなかったように、作業が続く。

 

昼飯に陸へ上がると、躰がゆらゆら揺れている。

船酔いのような気分の悪さが続く。

監督からメシが手渡される。

白飯と二切れのたくあんと真っ赤な梅干しが、

ビニール袋に詰め込まれている。

 

全く食欲が出ず、

コンテナの横のわずかな日陰に横になる。

目のどろんとした痩せた男がこっちを見て笑っている。

逃げようかと考えていた矢先だったので、

見透かされた気がした。

 

いつの間にか寝てしまい、

でかいボサボサ頭の男に尻を蹴られて起きる。

 

午後の作業はピッチが上がる。

この魚粉は、後にフィリピンの船に載せられ、

即刻、港を出なくてはならないらしい。

 

「急げ!」と檄が飛ぶ。

太陽に照らされた背中が赤く腫れ、

悲鳴を上げる。

 

水筒の水が切れてしまった。

体中が魚の粉まみれで臭い。

意識がもうろうとする。

 

もう、誰も口を利こうとしない。

 

やがて、

上に上がったクレーンを見上げると、

船員が終わりの合図を送ってきた。

 

丘に上がり、全員が日陰に臥せ、

しばらくの間、

誰も起き上がろうとはしなかった。

 

躰が揺れている。

 

帰りのマイクロバスはしんとして、

やはり誰も口を利かなかった。

 

クルマを降りると、

この連中の後へ続く。

そして露天でビールを煽ると、

ようやく、みな饒舌になった。

 

結局その後、妖しい店を数軒はしごし、

東神奈川の駅に着く頃、

財布の金は、ほぼ使い果たしてしまった。

 

こんなことを数日続けるうち、

いろいろな事を考えさせられた。

 

自分になにができるのか、とか、

なにか新しい事を始めなくては、とか、

漠然とした不安がよぎっては消えた。

 

クルマより大事なこと…

 

初めて自分の立っている場所を知ったのも、

この頃だった。

 

 

年をとると、みえてくるもの

 

だいぶ以前の話。

夕飯を食いながらテレビを観ていた。

たまたまつけたチャンネルが、歌番組だった。

 

テレビは、実はどうでも良かった。

気晴らしに観ただけだった。

 

はじめは聴き流していたが、

ふとその歌詞が気になりだした。

そしてじっと聴き入ってしまい、

しまいに、涙が溢れた。

 

ああ、

年をとったなと思った。

 

懐メロは幾度となく聴いてはいたが、

あまり古いものは知らないし、

そうした歌は、私の親の世代の歌のように思われた。

 

二葉百合子の「岸壁の母」も、

私の親の世代がよく唄った歌だろう。

 

敗戦後、ソ連からの引揚船が着くたびに、

岸壁に立って息子の帰りを待ちわびる

母親の姿と心情を歌っている。

(この歌は実話を元につくられた)

 

私は若い頃から、

この歌がテレビから流れると、

陰気な気分にさせられた。

そして、すぐチャンネルを回していた。

大嫌いな歌だった。

 

私は、戦争を知らない子供たち、のひとりだ。

しかし、こうして中年になり、

両親もいなくなり、

また人の親となって永く生きていると、

なにか他の景色がみえてくる。

 

それは流行りものでなく、

浮き沈みするようなものでもなく、

情というか、

人生に対する愛おしさとでもいおうか。

 

人ってつくづく不思議な存在だと思う。

 

いろんなものを背負って

そしていつかは去ってゆく…

 

生きるおかしさも

捨てたい悲哀も、

人は抱えきれないものを

幾つも幾つも背負い、

 

一体、何処へ行くのだろうかと…

 

森の時間

 

早春の山あいを

いっぽいっぽ足を運んで

ボクは頂をめざす

 

まだ冷えた躰は

無骨な木の階段を踏みしめるたび

徐々に上気し

いつか汗も滲むほどになると

おおげさにいえば

生きているという実感

そんな素朴な回答にたどり着く

 

息継ぎもやや荒くなり

早朝の森のなかでひとり

ボクという小さな存在が

無意味とも思えるような

汗を流している

 

こうして

森という大きな存在に溶けてゆくと

この世界はやがてボクを受け入れ

歓迎さえしてくれるのが

分かってくるのだ

 

木々の葉は無作為に

そして不文律に

ひらひらと森の小径に

落ちてゆく

そこにはきっと誰も知らない

森の法則のようなものが働いていて

ある一定の厳格さを伴い

この一帯の調和を保っているのだろう

 

やがて視界がひらけると

突然あちこちから

さまざまな鳥のさえずりが

きこえてくる

 

それは森のうわさ話のようでもあり

話題の主はひょっとすると

このボクなのかも知れない

 

立ち止まって

ペットボトルの水をひとくち

それが格別にうまいので

改めてしみじみとボトルを

眺めてしまう

 

歩くこと45分で頂に到着

 

丹沢山塊の端の展望台から

湘南、横浜、東京を望む

 

そして小さく霞む

きっとあのあたりであろうと

検討をつけた一帯を凝視し

そこで暮らしていた頃のことを

あれこれ思い返す

 

良いことも苦い記憶も

幾年月の時を経て

やがて

この森のなかでは

さらにかすかな苦みさえ消え

無色透明に浄化されてゆく

 

ひと息ついて

さあ引き返そうと

また歩き始めると

あちこちでうっすらと木々が芽吹いている

 

目を落とすと

足元の小さな花が美しい

 

ゆったりとした時間

四季のうつろい

森のリズム

 

若い頃は気にも止めなかった

いや全く分からなかった

そのひとつひとつを

 

この森は

丁寧に教えてくれる

 

 

空ばかりみていた

 

少年の頃から

空ばかりみていた

そして

海沿いのまちで育ったぼくは

よく丘にのぼって

遠くの海をながめていた

 

空と海がまじり合うそのあたりは

おおきな弧を描いて

その境界線へ船が消えたり

船が現れたりした

 

それはぼくにとって

とても不思議なことだった

 

海のうえを飛んでいる鳥をみると

なんだかとても自由であるように

ぼくには思えた

 

空の高いところに

光る機体がみえる

ぼくはその行く先に

あこがれた

 

その機体に人が乗っている

ぼくには考えられないことだったけれど

 

風のつよい日は

白い雲がかたちを変え

ついには人の姿となって

ぼくに手招きをした

 

「いっしょに行かないか、

遠いところへ!」

 

あの水平線のむこうになにがあるのか

ぼくはよく想像した

それはアメリカとか中国とか

テレビを観て知った国ではなく

アフリカとかフランスとかイタリアでもない

 

それはまったくぼくの知らないところだった

 

ぼくがつくりあげたその世界は

すべてでたらめでできていて

空中に浮かんでいる

 

水平線のはるかかなたの

遠い空の上に

ぽかんと浮かんでいる

 

そこはどこもみどりがいっぱいで

大きな木がたんさん生えていた

くだものもたわわだ

 

そこにはいろいろなひとがいて

肌のいろもばらばらで

みなそまつな原始人のようなかっこうをしている

みんな笑いながらいつもくだものを頬ばっている

 

なんてのんきでおだやかなせかいなんだろうと

ぼくはよく思ったものだ

 

でたらめのおとぎのせかい

 

ぼくはいまでも空ばかりみている