メディアななめ切り

●ケミカルの方が危ないぞ!

あなたのまわりにはバイ菌がいっぱい、

などと脅かすテレビコマーシャルに、

最近は憤慨している。

薄汚いぞと言わんばかりのイラストなどで、

風呂もまな板もバイ菌だらけですよ、

清潔にしましょう、

コレを買いましょうなどと。

これではもはや宣伝ではなく、恐喝である。

そもそも卑怯。

同じような仕事をしている人間として、

ホント、許せないな!

●元時代の寵児

ワタミの元社長とか日本マクドナルドの元社長とかって、

一時は時代の寵児のように扱われていたよね。

私は、この方達、

かねがね怪しいと思っていたが、

やはり露呈しました。

どちらも売上げがガタ落ちどころではなく、

かなりの危険水域だという。

企業そのものがブラックとか、

そんなことの信憑性を私が知る由もないが、

直感として、

私はこういう奴等がキライでなので。

●確立に関する感覚

大地震のくる確立というのが発表され、

私はいま、その捉え方に戸惑っている。

関東地方、特に南関東においては、

この先30年以内に30㌫以上の確立で来る、

ということなんですが、

この数字ってどう体感したら良いのか、

それがまるで分からない訳。

30年後に私はとうに死んでいるだろうし、

その確立のほうが遙かに高いので、

安心?!

若い人に、この数字に対する感想をぜひ聞いてみたい。

●バカな太郎

三太郎っていうんですか?

桃太郎、浦島太郎、金太郎が出てきて、

皆揃ってみんなバカっぽく話しているCM。

いまどきの若者を演じているのだろうか?

先日、話している内容をよくよく聞いてみたが、

やはりバカだった。

若者よ、こうした人を小馬鹿にしたようなものって、

しっかり怒ったほうがいいよ!

がしかし、

CM好感度が高いというデータを見て唖然とした。

時代の肝っていうんですか、

私もそれが掴めなくなったので、

そろそろ、この仕事辞めようかなって思いましたね。

●ヒロミ郷の若さ

郷ひろみってほぼ私と同じ年なのだが、

さすが芸能人っていうか、

若いし、腹も出ていないしね、動きも機敏。

アレはアレでヒロミ、大変だろうなぁ…

毎日、半端なく鍛えているだろうし、

食事制限とかも相当ストイックにやらないと、

あんな若さと体力を保つことはできない。

が、テレビを観ていて思ったのだが、

この人の立ち位置って、

いまでも果たしてカッコイイのかってこと。

なんだか、司会の人もまわりも笑っているし、

本人もその辺りを分かっているフシがあるなぁ。

スター錦野の前例もあることだし、

早く70歳のヒロミ郷を見てみたい!

この話を扱ったのは、

実は己の老化が発端なんだけどね!

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SEKAI NO OWARIが、イイネ!

このグループに対する好き嫌いは、

かなり激しいらしいと、誰かに聞いた。

その賛否の訳は分からないが、私は好きだな…

初めて聴いたときから気になっていた。

繊細かつデリケート。

なのに、これから生きていくゾ、

という若いメッセージが込められている。

歌の中の「冒険」は、

ゲームの世界とリアル世界と、

両方に架けた様でもある。

映像も観たが、

彼らの創るものはとてもファンタジックであり、

それがゲーム的、映画的であると同時に、

或るひとつのストーリーを産みだしているところが、

他のアーティストにはみられない特色だ。

プロフィールもチェックしたが、

やはりメンバーの一人がいろいろ患っていて、

他のメンバーが彼を助けている。

世界の終わり…

患ったメンバーは、ホントにそう思ったことがあるという。

そこからの出発。

だからSEKAI NO OWARIというグループ名は、

彼らの起点でもある訳だ。

いつの時代も、まわりを威嚇し、

粋がっている奴がいて、

その対局に、

教室の隅で背中を丸めている子がいるのが、

若いときの常である。

このグループは、

その怯えている仲間同士とみえなくもない。

が、手をたずさえ、

共に生きていこうという結束が、

彼らのメッセージでもある。

一人じゃ無理だけれど、信じ合える仲間となら…

圧倒的に弱いのだ。

しかし、突出して生きる強さが伝わる。

誰だって少なからず、

その狭間を生きているのでないだろうか?

ファンタジックな魔法のなかから、

リアリティーな世界が、スッと顔をのぞかせる。

その世界観は、そうそう創れるものではない。

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こちら、芸能デスク!

ある芸能誌の記者が、最近の山口百恵さんを目撃し、

曰く「全く、普通のおばさんだった」とのたまった。

当たり前じゃないか!

あれから何十年経っていると思うのか。

造作を繰り返しているゲーノージンより、

よっぽどマシと思いますがね。

さて、NHKのEテレには、

風吹ジュンさんが、司会で出ているが、

この方は相変わらずキレイ。

いやいや、この方は造作をしている様子もなく、

所作も話す姿も、年相応に魅力がある。

で、最近のジュリーこと沢田研二。

激太りした姿が、ある週刊誌でボロクソに書かれていたが、

結局ジュリーはジュリーなんだよ。

私はカッコイイと思う。

ここんとこ、分かるかな?

分かんねぇだろうなぁ。

郷ひろみなんかよりは、ずっとカッコイイと思うが…

で、AKBはバックのまとめ売りなので、

粒が揃っていれば良い、という考え方。

なのに、大島優子がAKBを卒業し、

ピンで仕事を始めたが、

なんのオーラも見いだせない。

そこが悲しいというか…

そんな事を考えていたら、

突然EXILEが心配になってきた。

しかし、こっちのメンバーのほうが、

一人ひとりのポテンシャル、高そう。

Zooみたいに、誰かが生き残るんだろうな。

そういえばタモリが、

「俺は元ZOOで、KAZUの名で通っていた」と話していたっけ。

あまり面白くない。

いまの芸能界は、ジャニーズと吉本と、

ハーフタレントとオカマでもっているように思う。

ジャニーズは、ジャニーズというグループが、

第一号と記憶している。

そこにあおい輝彦がいた。

吉本は、花菱アチャコと横山エンタツあたりが、

最初のスターではないか。

ハーフタレントは、青木エミさんあたりが、

その走りだと記憶している。

いや、とても美しい方でした。

TVにまだオカマが出ていなかった頃、

何度か新宿のオカマバーを取材をしたことがあるが、

その頃は、腕っぷしの強そうな自衛隊出身者が、

何人かいた。

IKKO(本名は豊田 一幸)のデカイ版みたいの。

なにがあったのだろう?

怖かった。

どっちにしろ、生き方の振り幅が凄いんです。

でですね、最近気になっているのが、香川照之。

半沢直樹の演技でブレークしたが、

その後、彼がどんな役をやろうと、

半沢直樹の主人公のライバルである大和田常務、

そのものなのである。

ブレないんだ。

これはある意味凄いことであり、

何をやっても健さんこと高倉健と同質。

これは香川さん、狙っているな!

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「HAPPY」福島ファレル・ウィリアムス

かなり前だけど、

テレビ神奈川の「ビルボード全米トップ40」を観ていたら、

やたら気になるアーティストがいた。

「HAPPY」を歌うファレル・ウィリアムスだ。

元々、ソウル、R&Bが好きだったこともあり、

彼の曲が即座にこっちの琴線に触れたようだ。

70年代あたりのカーティス・メイフィールドを

彷彿とさせる歌声が、カッコイイ。

で、タイトルが「HAPPY」。

歌詞は、おおざっぱに適当に訳すと、

…幸せなら手を叩こう…

こんな感じ。

プロモーションビデオがまたGood!

さて、このカバーがいまや世界中に拡散し、

例えばパリなんかだとこんな感じ。

ジャマイカもある。

で、日本だが、

原宿編とか関西編とかが、かなり盛り上がっている。

が、私が今回紹介したいのは、福島編。

フェィスブックを通して、以前よりその方は知ってはいたが、

熊坂仁美さんという

ソーシャルメディアプロデューサーを中心につくられた福島編が、

いま世界を駆け巡っている。

これを観ていたら、楽しいのか悲しいのか嬉しいのか、

よく分からない涙が溢れた。

国内外を問わず、皆が福島に抱くイメージは様々だが、

とりあえず「元気です!」を発信することは、

観る人の気持ちも動く。

そしてアレコレと考える、

想う。

そこから何かが生まれることを期待したい。

拡散、よろしく!

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リラコの夏

たかがステテコなのだが、

もうすっかり廃れていたこのステテコに目を付けたのが、

ユニクロである。

ユニクロは、まずラモスにステテコを履かせ、勝負に出た。

色、柄は、従来のステテコにはないカラフルさを纏い、

外着としてもイケテル感を演出。

ステテコ全然OK! 

そのまま出かけちゃうもんね…という親近感。

このCMを観ていて、私はなんだか嫌な気分になった。

うーん、あれはないなぁ、と。

が、しかしユニクロのCMは巧みである。

気を抜いていると、たまにそうかなと思ってしまうところが、

秀逸なのだ。

私の場合、父がステテコ愛用者であり、

その姿を、幼いながらカッコ悪いなと直感していた。

それはいまも変わらない記憶なので、

どうステテコをリニューアルしようが、

嫌なのである。

で、今日の問題は、リラコである。

とにかく、素敵なモデルの姉ちゃんが、

いきなりステテコなのだ。

この女の子仕様を「リラコ」と呼ぶらしい。

カッコ悪い。

うーん、幾らひいき目にみようとも、変。

CMで新しさ、新鮮さ、斬新さをプッシュすればするほど、

いい加減にアッタマにきてしまった。

が、敵も抜け目ない。

ネーミングもバッチリ、リラコ。

考えているなと。

全く新しい市場の創出である。

廃れたステテコを蘇らせるプロジェクトは、

企画としては、かなりイケテルのだが…

で、そろそろ夏も終わるし、

自分の記憶と共に、

身辺の知り合いに何人か聞いてみた訳。

「リラコはいて歩いている人、みたことある?」

答えは総てノーだった。

で、皆口を揃えていうのが、

「海辺とかにいるんじゃないの」

「部屋着としてはいているのかもね」

というもの。

ちなみに我が家の女性軍は、

全く興味を示していない。

というか、ひと言「変」というものだった。

だよな!

が、ネットで幾つかのキーワードでチェックすると、

売れている、売り切れという言葉が並ぶ。

うーん。

よく分からない。

が、そのブログなどを詳しくチェックしてゆくと、

どうもアフィリの臭いがぷんぷんする。

要は、煽りのようなのだ。

このステテコブームのようなものに、

イオンも負けじと同様に煽っていた。

で、売り場をじっと眺めていたことがあるが、

観察している私が警備員に怪しまれるという事態になり、

よぎなく中止。

うーん、イライラするな。

ステテコって本当のところ、

流行っているのだろうか?

いまでもたまにそのことを思い出すと、

他を忘れて、またステテコに固執してしまう。

参ったな、もう、

夜も眠れませんよ!

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半沢直樹…というゲーム

TVドラマも多々あるが、

いま人気の半沢直樹は、いわば銀行員の内紛ものだ。

ちょっと毛色は違うが、あの仁義なき戦いも、

業界の内紛ものと言えるかも知れない。

が、この両者はある意味対極にある。

仁義なき…は、文字通り仁義がない上に、

暴力あり、飛び道具ありのバイオレンス。

勝つために、手段を選ばないところが、すげぇとなる。

これは例えれば、半沢がボクシングで、

仁義…がリアルな殴り合いというところか。

仁義…は、なんでもあり。

まずは興味に釣られて血湧き肉踊るのだが、

こうしたストーリーは、

何故か徐々に飽きられる傾向にある。

長持ちしないのだ。

華々しくも、徐々に飽きてしまう。

なんでもあり、というのは、

要するにすぐ行くところまで行ってしまうのだ。

思うに、物事はルールがあるから面白い。

ルールがシビアな程、

話はドラマチックな展開を生む。

この端的な例が、サッカーだ。

足のみで、戦うからこそ面白い。

なぜなのかは判然としないが、面白いという事実。

バスケの3秒ルール然り、マラソンの42.195キロ然りだ。

ルールを守る不自由さが、実は人を興奮させる。

いろいろな制約のなかで、如何にパフォーマンスを出せるか?

人は、こうしたルール上での勝者に賞賛をおくる。

話を戻して、

半沢…が何故うけるのか、だが、

それは、物語のなかに強固なルールがあるからだ。

例えば、この話を端っから作り替えて、

途中で半沢を狙う殺しのプロが現れ、

さっさと半沢を片付けてしまうとする。

こうなると、このドラマはどうなるか?

これは、思うにフツーの話に成り下がる。

つまんないストーリーとなり、

そこらにありがちなオチが考えられる。

原因は、それがルール違反だからだ。

いまのところは一応のルールに則って話が展開しているので、

ゲームのようなスリリングな展開が魅了する。

人には、元々ルールをつくろうとするDNAが、

本能的に植え付けられているように思う。

そのルールを破るのが、暴力であり、

行き着くところが戦争というところか。

自然界にもルールがある。

ライオンは、腹が減っている以外は、何も襲おうとしない。

熊でも猿でも同じように振る舞う。

ゲームが面白いか否かはルールで左右されるが、

半沢…は、銀行社会だの、社会的地位、そして世間体とか、

そのキツイルールづくりに成功している。

その上で、「倍返しだ」とか「土下座しろ」とか、

結構古くさい台詞を吐く。

だから、やたら人間臭く、

よくよく考えればあり得ないような話にも係わらず、

そこに現代社会のリアリティーがあるように見えるのだ。

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自分を楽しんでいますか?…の真意

まずは、これを観ていただきたい。↓

夕飯のあと、ほおづえをついて

ぼぉーっとテレビを観ていると、

いきなり「自分を楽しんでいますか?」との問いかけだ。

コマーシャルタイムなので気を抜いていたが、

どうだろうと、思わず自らを振り返ってしまった。

楽しんでいるといえば、そのような気もするし、

面白くもなんともないような気もする。

観れば、髙須クリニックの医院長が、

ヘりでドバイらしき上空を、

自ら操縦桿を握って飛んでいる。

サングラス姿が少しカッコイイ。

乗員は、明らかに向こうのセレブとおぼしき

ターバンを巻いたイケメンと、

あれっ、野村沙知代さんことサッチー?

どうしてそんな所にいるのかなと…

まあそんなことはどうでもいい。

そういえば以前、

髙須さんを特集している番組をちらっと観たことがある。

彼の生い立ちと少年時代からの歴史、

豪華な別荘と仲間たち。

そして印象的なのは、彼のフェイク腹筋だった。

裸になった彼の腹が、格好良く割れている。

その番組から察するに、

生家没落から這い上がった彼の努力と根性は、

賞賛に値する。

で、場所は忘れたが、高級ログハウス風の別荘の庭で、

彼とその仲間たちが、分厚いステーキを旨そうに食っていたが、

それは成功の証として当然だろう。

で、フェイク腹筋だ。

フェイクなので、当然つくりものの腹筋。

一見、彼の全身とのバランスを考えると不自然なのだが、

まあ、中年の出っ腹よりはカッコイイとしておこう。

これが、髙須クリニックの技術だ!

という事なのだろう。

自らを実験台として世間に披露する彼の姿に、

私は感動した(?)

という訳で、髙須さんははなんでもできちゃうのだ。

まあ、美容整形というと、

高そう、痛そうというのが私の感想だが、

世の中、そんな甘いことをほざいている場合じゃない人たちも、

いっぱいいると思われる。

だから、美容整形することで、

冒頭のコピーが活きてくる。

―自分を楽しんでいますか?―

これは、言い換えれば、

自分のことが好きですか?

とも受け取れるし、

自分の容姿に満足していますか?

ともとれる。

美容整形して生まれ変わり、

どんどんポジティブになってください。

そんでもって成功なんかした暁には、

ドバイでも何処へでも行って、

金を垂れ流すような人間になってください。

まずは、自分を楽しんでいるかどうか?

そこを問うているのだろうと。

このメンタリティは私とは相容れないが、

こうした価値観を指示するひとたちも、

この世界にはきっといっぱいいるのだろうと、

想像できる。

あぁ、

それにしても、つまらないことを、

また書いてしまったなぁ。

↑あなたは納得しました?

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風が見えるか

荒涼とした世界に、カメラを構える男。

緑の豊かな大地ではなく、そこは殺伐とした大地。

風が荒れている。

景色に色がない。

水辺にも、生き物の気配がない。

が、カメラを構える男。

なにをめざして、ここを訪れたのか。

突然ファインダーに、見知らぬ人が映る。

風「ここで何をしている?」

妻夫木「あなたは誰ですか」

風「私は風だ」

遂に風が見えた。

妻夫木「風… 僕はあなたを撮るためにここに来ました」

風「君に私が見えるのか」

山、川、雲。枯れた草地。

あらゆるものにファイダーを向ける。

妻夫木「あなたが見えた気がしました。何千年にも渡る

    あなたと大地の物語が…」

「連作交響詩 「わが祖国」 第2曲 ヴルタヴァ(モルダウ)」が

いちいちさみしくもあり、重厚かつ思索的。

スコットランドの自然は、人を哲学に導くのか。

一眼、ではなく、まさにイチガンが切り拓く新世界なのかも知れない。

10代のとき、カメラマンをめざしたことがある。

以来、ニコン派。

いまさら、キャノンが気になりだした。

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相変わらずの、クラウン。

このところ、トヨタのCMを観ていて、

なんか腑に落ちない。

他の人はどうか知らないが、私的にかんに障るというか、

観ていて不愉快になる。

それは、ピンクのクラウンがデビューしたあたりから。

ドラえもん編がスタートだったと思うが、

その頃はまだ良かった。

しかし、たけしが秀吉、キムタクが信長役のCMが始まった頃から、

違和感が出る。

確か千利休役の鶴瓶も出ていたから、

話もでかいが、ギャラだけでも凄いだろう。

さすが、トヨタだ。

スケールが違う。

このシリーズのバージョンは多彩だが、

ひょっこりひょうたん島編では、

3人の偉人?が東北・岩手の海沿いを眺めて、エラソーに話す。

で、キムタクがひょっこりひょうたん島のテーマソングを歌うのだが、

そのヒューマンな歌詞に、この3人が浮いている感じ。

そもそも、生臭い歴史を生き抜いた3人の役柄から、

それは醸し出されるのかも知れない。

こうしてクラウンのCMは、

いろいろなモチーフを使って天下人がロマンを語ってゆくのだが、

CMが新しくなる程に、相変わらずというか、更に偉そうなのだ。

で、今度は松嶋菜々子だ。

彼女が例のピンクのクラウンを運転していると、

後ろから黒塗りのクラウンが追いつき並走する。

秀吉の亡霊のように、

黒いクラウンを運転しているたけしがつぶやく。

「人間は体力が衰えると他の力が欲しくなるんだよ」

「だから男って偉くなりたがるんだ」(松島菜々子)

「でも気がついた。衰えない力もあるって」(たけし)

「まさか愛なんて言わないでしょうね?

いつからそんなハイブリッドな人になっちゃったの。

クラウンみたい」(松島)

「スイマセン」(たけし)

まず、秀吉にもの申す松島は、一体誰なのか?

そこは、実は私はどうでもいいのだが、

きっとたけしにもの言う訳だから、

単純に松島菜々子あたりの大物女優?を充てたのだろう。

で、思い起こすに、

このクラウンのキャンペーンコピーは、

「権力より愛だね」だった。

しかし、私に言わせればこのCMの根底に流れているのは、

欲深い奴のいやらしさだ。

クラウンからは、やはり権力の臭いは消えない。

だって、いまさら愛かよ…

クラウンが生まれ変わったということだが、

実は、それがもはや困難なことを、このCMは教えてくれる。

だから、妙な違和感が残るのだ。

ここで言う、ハイブリッドな人というのは、

実は「権力も愛も、何もかも手に入れたい」という、

そんな人のことを指しているようにも聞こえる。

だから、秀吉なのだ。

なるほど、クラウンなのかと合点がゆく。

繰り返すが、今度のクラウンのコンセプトコピーは、

権力より愛だね

の筈。

しかし、何故このCMがかんに障るのかが、

私はだいぶ後になって分かったのだ。

それは、

クラウンに乗る人が、

実は「権力も愛もすべて欲しい」人と、

本音ではささやいている。

そのようにしか受け取れないのだ。

同類の仕事をしているので、

広告類は割と好意的に観ているつもりだし、

その苦労も分からないでもない。

だからこそ、クラウンのポジションが如何に難しいか、

そこがひしひしと伝わるし、このCMの狙いは良くとも、

戦術でコケているように思える。

だから、相変わらずのクラウン。

実は、なにも変わっちゃいないのではないか、と。

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或る編集者の記録

その、気になる文庫本は、ビレバンの棚で寝ていた。

買い主を探す気もないように見えた。

タイトルは「編集者の時代」。マガジンハウス編となっている。

サブタイトルは、―雑誌づくりはスポーツだ―

良いタイトルだなと思い、私が強引に起こし、レジへ。

アマゾンでも見落としていたような本が、

街の本屋でみつかったときは嬉しい。

本屋にないものがアマゾンでみつかることもあるが、

これはそれほどの感激はない。

あったな、というだけ。

私たちは、買うスタイルを使い分けている。

売り手さんは上手く共存してください―

これが本屋さんに対する私の理想だ。

で、この本のまえがきを読むと、

「ポパイ」という雑誌が1976年に創刊されたことが分かる。

計算すると、私はまだ学生だった。

ポパイは、よくカタログ雑誌と評された。

アメリカの西海岸やハワイのライフスタイルを手本に、

そこで活躍しているモノを通して、これらを日本に紹介する、

当時としてはある意味画期的な雑誌だった。

この頃、私のまわりは皆、

ポパイファッションになっていた。

もっと遡ると、

お兄さんやお姉さん方はすでに平凡パンチの影響を受け、

アイビールックで街を闊歩していた時期があった。

あれもこれも、上記の本の編集者たちが仕掛けたものだ。

社名を平凡出版からマガジンハウスと変えてからも、

そのパワーは持続していた。

世の中のファッションやライフスタイルを変えるほどの影響力を、

彼らはもっていた訳だ。

なかでも、注目される編集者が木滑良久という人。

かなりの有名人で、

一時はテレビにも頻繁に出ていた。

彼が、これらの企画の元をつくった人と言われている。

彼の素材モチーフは、アメリカにあった。

現代に置き換えると、

私たちの知らないアフリカのオシャレなファッションや雑貨、

ライフスタイルなどをいち早く日本に紹介する、

ファウンダーというところか?

後年、私も雑誌編集者となったが、

この本に書かれているように、世の中の風向きを変える、

という華々しい経験は皆無。

マイナー誌だったので、だいたいが後追い状態。

これらの雑誌類とは編集方針が違うといえば聞こえは良いが、

金がない、人が足りない…いや、企画力と情報収集力、

更に編集力がなかったと言ったほうが正確だろう。

「編集者の時代」は、

ポパイの或る時期の編集後記を書き連ねただけのものだ。

しかし、年代と記事の中身を読みあわせると、

不思議なほど、その時代の空気が再現されている。

サーフィン、スケボー、ウォークマンスタイル、ラコステのボロ、

スタジャン…。これらの流行に加速をつけたのもポパイだ。

それは羨ましくもあり、読み進める程に、

ひとつの時代を築いた自負が感じられる。

(このグループが後に女性誌「オリーブ」を創刊する)

1977年8月10日の編集後記は、

ジョギングについて書かれている。

まず、ニューヨークのセントラルパークや、

ロスのサンタモニカのジョギング風景が紹介され、

それは都市のライフスタイルとしてカッコイイんじゃないか、と。

そして、海の向こうの彼らは、

生活のなかに自然にスポーツを採り入れているよと…

何気に日本の空気を変えようとしている。

翌月はこうだ。

「ポパイは理屈が大嫌い」

70年安保を経て、日本には、依然アカデミックの風が闊歩していた。

この時代の主役雑誌は、言わずと知れた朝日ジャーナル。

とにかく、政治を語れない奴は生きている資格なし、

のような時代もあった。

しかし、これに対するアンチテーゼが、

平凡出版の「平凡パンチ」であり、

その軽さを継いだのがポパイのような気がする。

新しい時代の訪れだった。

ポパイの他、ブルータス、オリーブ、

本の雑誌、広告批評、NAVI、ミスターバイク、ビーパル等、

創刊ラッシュが起きる。

景気は更に上向き、

雑誌編集者もエンターティナーとなってゆく。

前述した木滑良久がテレビに出ていたのも、

こうした背景からだろう。

他、嵐山光三郎さんや、先に紹介した「本の雑誌」の

椎名誠さんらが加わる。

「編集者の時代」のあとがきは、

後藤健夫さんというポパイの創刊メンバーの方が書かれている。

それによると、

木滑良久さんの口癖は「男は少年の心を忘れてはいけない」

だったそうである。

更に、海の向こうの「エスクァイア」の創刊編集長であった、

アーノルド・ギングリッチの言葉として、

「雑誌づくりは青年の夢だ」を引用している。

一時代を牽引したポパイは、いまも刊行されているし、

ブルータスと共に、またまた息を吹き返しているようにみえる。

一見、なんの主張もないような雑誌とみる向きもあるが、

作り手には、実に熱いものが流れているのが分かる。

雑誌とか本づくりとは、本当はこのようなものなのかも知れない。

つくっている本人が面白くない本など、なんの価値もない。

この本を読んでいて、

なんだか私も再び雑誌をつくりたいと思うようになった。

ネットに較べて、予算、人員の割き方も去ることながら、

その投資しただけの企画とこだわり、

そして直しの利かない真剣さを求められるが、

それだけの価値が、この仕事にはある。

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