フェイク旅行記

 

遠いむかしだが、

私は出版社で編集者として働いていた。

それ以前はちょっと気張っていて

独立してノンフィクションの分野をめざそうと、

ルポルタージュの教室へ通ったこともあった。

 

が、これはやめることにした。

己の力量がないことが徐々に判明したからだ。

で、早々に進路を変更し、

まずは無難な出版社に潜り込むことにした。

 

出版社といってもいろいろある。

総合出版社は別として、

各社には得意分野というものがある。

また、硬派、軟派系でも分類できる。

 

私の場合はたまたま趣味・娯楽系で、

当然、硬派であるハズもなく、

取り扱う内容も肩の凝らないものが多かった。

 

だからといって楽な仕事である訳ではない。

この業界の仕事はかなりどこもハードである。

いずれ、例外というものはなかった。

 

さて、私がその出版社で働くようになって、

想定外のことが次々に起こった。

まだ新人だった私への指令というか命令というか、

その一連の内容がいちいち無理難題なものばかりで、

理不尽さを感じた。

 

たとえば、こんなことがあった。

夜の10時頃になって、

やれやれと帰宅しようとすると、

「明日の朝までに××の取材予定の現地が

撮影に適しているか、これから行ってみてこい」

 

また、こんなこともよくあった。

印刷前の校正の大詰めの時期に、

或る事情から記事の差し替えとなり、

徹夜で新しい記事を書いたり写真を探したり…

 

毎日が予測不能の連続。

 

あるときは、評論家さんの原稿が届かず、

雑誌2ページ分の穴がぽっかりとあいてしまった。

これは嫌な予感がした。

私はデスクに座っていてその事情を知り、

下を向いて調べものをしているフリをしていると、

「おっ○○君、ちょっと!」と呼ばれたので、

これはまずいと思った。

「はい」とこたえて部長に顔を向けると、

「お前さ、いまから八重洲に行って、

世界中の観光局まわってね、

ここいいなぁっていうとこ決めて記事書け」

「はぁ」

 

私はうんざりとして山の手線に乗り、

当時は八重洲にあった世界各国の観光局に出向き、

観光パンフレットを山ほど集めた。

そして八重洲の地下街の喫茶店でぐったりしながら、

各国のパンフを猛烈なスピードで目を通した。

 

会社に戻ると部長が獲物を捕らえたように、

ニコニコしているではないか。

「○○君、ただの観光ガイドじゃ駄目だぞ。

本当に行ってきたような記事にしろ。

体験記だよ。分かる?

要するにリアリティだよリアリティ!

面白くな、頼むよ」

 

「旅行記ですか?」

 

「そう、決まっているだろ。

単なる観光案内じゃつまらんしな」

「………」

 

結局、私が書いたフェイク紀行文は、

ギリシャのミコノス島だった。

私はミコノス島なんて、

当然行ったこともみたことさえない。

ただ、パンフレットに載っていた

青い海と島の白い建物の写真が

とても美しかったからなのだが。

 

そのフェイク紀行文は2時間でできあがった。

が、どこか嘘くさい。なにかが不足している。

それは自分がフェイクと知っているからなのか、

客観的に読んでも嘘くさいのか、

そこが判然としなかった。

 

そこで、近くにいた出来る先輩に

その原稿を読んでもらうことにした。

先輩が難しい顔をして、

そして「ふむ」と呟いた。

で私にこう告げたのだ。

「これ、嘘くせぇな、

現地へ行って書いていないのがバレバレだぞ」

先輩の目が意地悪く笑っていた。

 

結局、締め切りの時間は刻々と迫り、

その記事は多少の手直しで掲載されてしまった。

 

一応ではあるが、

高潔な夢を抱いてこの世界に入った若者(私)は、

こうしてフェイク記事に手を染めてしまった訳だ。

 

私は次第にこうした世界に、

私のような奴がごまんといるような気がしてきた。

それはこの業界に長居しているうちに、

徐々に分かってきたことだが。

 

悪意という点に於いて、

政治・経済系のフェイク記事は、

より多くの読者をあらぬ方向へと導いてしまう。

偉そうなことを言える身ではないが、

真実を伝えるのはそれ相当の努力と覚悟がいると悟ったのは、

その頃からだった。

 

後、ことの大小はあるにせよ、

数々のフェイクを経験した私は、

広告業界へと進路を変更した。

 

この頃、ノンフィクションは当然ながら諦めていた。

不誠実な自分にはとても務まりそうもない分野だと

十分思い知ったからだ。

 

そして自分の素養が「つくりごと」に向いている、

そんなことに気づいたのもこの頃だった。

広告がそのひとつのような気がした。

 

広告というのは、まず「これは広告です」と宣言する。

ニュース記事などとは違いますと読者に分かるような扱いにする。

そして広告なのだから、

「内容はとうぜん広告主の我田引水ばかりですよ」と謳う。

事前にこれだけでも伝えることで、

以前の私のフェイクよりは罪が軽減される。

そう思ったからだ。

 

そして、この広告の世界で心底思い知らされたのは、

今度は皮肉なことに、つくりごとの難しさだった。

広告の制作過程は星の数ほどあるけれど、

結局ハイレベルなつくりごとを競う場である。

広告作品の出来不出来、評判というのは、

ひとことではあらわせない複雑さが関与するが、

それが広告におけるつくりごとの難しさだった。

 

広告業界の誰もが日々悩んでいるのは、

結局つくりごとのレベルであり、

狙いどころであり、

時代性なのではあるまいか。

端的にクリエイティブの差とは、

そういう諸々の要素が複雑に絡んだ結果、

なのかも知れない。

 

出版と広告は、とても近いようにみえるが、

実はまるで内容そのものが違う。

それはカワウソとイタチの違いを、

遠目で見分けるような難しさに似ている。

 

 

気になるアラカルト

 

●眞子さまって誰

小室圭さんという人がなぜ世間で騒がれているのか、

最近になってやっと分かってきました。

一見、好青年。

が、いろいろな事情が絡んでいるらしい。

で、眞子さまは誰の娘さんだろうと

ウチの奥さんに聞いたら呆れていまして、

「そんなことも知らないの!」

なんだか興味がないと何も覚えられない…

浦島太郎状態です。

「小室圭」の画像検索結果

 

 

 

●トランプと習近平

米中貿易戦争が本格化しそうです。

いまのところ、米国が中国を圧倒しています。

関税の争いとなると、米国に有利です。

まあ、中国の輸出量が膨大ですから。

しかし、ある説によると、

実は中国のほうが最終的に米国に勝つのではないかと。

米国の国力は低下しています。

経済も、一見好調と皆いいますが、

とてもバブリーな金融主体の国なので、

あぶないとの説も。

そもそもこれは経済戦争なのか、

そこが問題でして、

イデオロギーの戦いのようにもみえるし、

世界の覇権国としての争いのようにも映る。

いずれ、とばっちりはご免ですね。

 

 

 

関連画像

●マックよりおいしいよ

バーガーキングがうまい。

いまはもう閉店してしまったようですが、

湘南台のバーガーキングで初めてワッパーを食して、

それ以来ファンになりました。

肉とケチャップがやけにアメリカっぽくてね。

先日は相模大野のバーガーキングで休んでたら、

カーティス・メイフィールドのスーパーフライを

ガンガン流している。

近くに座間キャンプもあるし、まあ本格的。

マックとかフレッシュネスにはない雰囲気なのに、

日本ではイマイチ売れない。

また撤退しちゃうのかな?

 

 

●ユーチューブ広告は救われない

ユーチューブ有料版というのがあって、

お金を払えば広告なしの動画、音楽が楽しめる。

当初は月額にして、1180円。後1550円になるらしい。

思えば、不思議な現象である訳です。

広告を観たくないのなら、お金を払えば解決する。

料金は結構高いと思いますね。

いかに広告収入が大きいかという裏付けでもあります。

私が不思議と思うのは、そんなに嫌がっている広告なのに、

ユーチューブに出稿する広告主がいる、ということでして、

私が宣伝部長でもやっていたら、ユーチューブへの出稿は、

まず予算が余っていても外します。

要は、ユーチューブと広告は相性がよくない。

テレビやラジオと何が違うのか?

そこをよく考えると回答が出るのですが。

 

 

 

●ふたりのカメラマン

最近、木村伊兵衛の写真をみる機会に恵まれ、

彼の人となりも一応目を通した。

そこでどうしてもアタマに浮かぶのが土門拳。

同世代のふたりのライバルは、

いかに仕事に取り組んだのか?

そこに興味が湧いた。

洒落た出で立ちと作風の木村伊兵衛。

パリの街角とか人を撮らせると、

右に出る日本人写真家は皆無。

対する土門は、東北出身で粋な木村と較べると、

かなり土着的で地味な印象を受けるが、

作品をみると、どれも骨太で凄みがある。

これは好みの問題だろうが、

私は土門拳の作品に傾倒してしまう。

そして土門拳賞を受賞した鬼海弘雄が、

最近とても気になる。

彼の写真集「PERSONA」は、

浅草浅草寺を訪れる、いわゆる癖のある人たちを

20年に渡って撮り続けたものを収めた写真集なのだが、

ページをめくるたび、

彼がなぜその人を写真に収めたのか?

それが滲み出ている。

一見の価値がある。

筑豊のこどもたち

 

PERSONA

 

 

カーティス・メイフィールド

新会社、妄想中

 

新しい会社の名前を妄想中である。

別会社だけど、たいそうなことではない。

個人事業でも構わないと考えている。

その場合は屋号というのかな。

 

当初、エジソン・ライトハウスとしたが、

これはすでに存在していたので、却下。

次にレッド・ツェッペリンというのが閃いた。

しかし、ご存じのようにあのツェッペリン号は、

空中で大爆発しているので、なんか縁起が悪い。

そもそもレッド・ツェッペリンとは、

失敗の意味でも使われていたと言う。

で、これも却下。

 

現在最も有力なのが、

バニラファッジという名前である。

バニラファッジは、イギリスの国民的お菓子である。

名前のとおり、甘い食いものである。

 

で、これらの候補は、

気づいた方もいると思うけれど、

いずれも60~70年代に活躍した

世界的ロックグループの名ばかり。

 

バニラファッジのヒット曲、

「キープ・ミー・ハンギング・オン」は、

当時少年だった私には、凄いインパクトだった。

レッドツェッペリンの「天国への階段」も、

エジソンライトハウスの「恋の炎」も相当良かった。

いまもって忘れられない音楽だし、

これらをネーミングにするのは悪くないと考えた。

 

さらには「ホワイトルーム」のCREAMも候補にしたが、

次第に混乱してきて、結局はやめた。

 

で、この新しい会社というか

新組織はなぜ必要か、なのだが、

凄い稼いでやろうとか、

そういうのでは全然ない。

 

むしろ、やることを減らす、

嫌なことはやらないなど、

結構うしろ向き。

 

唯一、好きなことしかやらないとする一点において、

妥協のないよう検討している。

 

仕事としては、取扱品目を極端に絞り、

ライティングのみに集中すること。

ライティングが入り口の仕事であれば、

その後も前も引き受けます、

というスタンスにしたい。

 

なぜなら、ライティングから入る案件は、

それなりにテキスト重視であり、

それを核として組み上げるからこそ、

他とは違ったものが制作できる。

 

重要なのは、広告に文字は不要、

または重要ではないと考える

企業などがあるので

そこを切り離したいと思った。

 

ひと口にライティングといっても

広範な守備が必要となるが、

そこは私的な仲間やネットワークに

多彩な才能が眠っているので、

取扱品目を減らす代わりに、

多彩な案件を受け入れたい。

 

また、ネット上のライターたちとの違いを、

価格と品質においてもバッティングしないよう整備し、

一線を引きたいとも考えている。

 

私たちの仕事は、

クライアントに寄り添って仕事をしている。

これは、ある意味、とてもやりがいのあること。

しかし、なかには意にそぐわない案件もある。

意にそぐわないとは、

広範にわたるからひとことでは言えないが。

 

嫌なことはやらないとする方針は、

新しい組織にとって欠かせない事項である。

さらに、好きなことしかやらないというわがままも、

この際必要不可欠となってきた。

 

あるときから、好きなことしかやらないが、

嫌なことはやらないという心境より優勢となり、

これが基本方針に変わった。

 

好きなことしかやらないとは生意気な、

と言われそうだが、

そして、そんな仕事が成り立つのかとの

疑問も起きるが、

そこは、試しである。

 

実験である。

 

とにかく、好きなことだけやって、

生きていけるか?

この賭けはいまのところ読めない。

こういう場合、果たしてAIは、

この問いにどんな回答をだすのだろう?

 

この世界には、魑魅魍魎が跋扈している。

しかし、勘としての勝算はある。

 

まあ、少しでも仕事が動けば、

生きる自信に繋がるような気がする。

 

ハズキルーペって何がすごいのか?

 

ハズキルーペが人気だ。

勢いが止まらない。

それはコマーシャルの出稿数からも判断できるし、

豪華なキャスティングからも分かることだ。

売り上げは急激な右肩上がり、だろう。

 

火が付いたのは、渡辺謙と菊川怜のコマーシャルあたりからか。

菊川がきゃっと言ってハズキルーペをお尻で踏んづけるも、

メイドインジャパンの堅牢なハズキルーペである。

何ともない。

丈夫にできている。

で、菊川のヒップが評判になった。

堅牢なルーペに、さらに色気を付けた訳。

 

かくしてコマーシャルは成功。

最近ではバージョンアップ版に変わった。

 

銀座にでもありそうなクラブに小泉孝太郎が入店する。

おしぼりを顔に当て、

パソコンで相当目が疲れている、という設定。

すかさず、ママ役の武井咲が、

ハズキルーペがいいわよ、とがち押し。

「字が小さくて読めない」と言っておしぼりを投げ、

謙さんの真似をする小泉。

そして「謙さんには内緒だよ」と、

ちょっとしたギャグを飛ばす。

常連にありがちだなぁ。

 

武井ママも新製品を見せびらかす。

と隣の席にまたまたハズキの新製品である

サングラス仕様をかけた気取ったミドルがいて、

かなりすかしているではないか。

適役、舘ひろしである。

でなんか、気が付くと、

店の女の子も全員がハズキを装着している。

 

で、ここで絶対に逃せないのが、

店の女の子が、ハズキを置いてある椅子に、

次々に座るシーン。

悩ましいヒップのクローズアップ。

このシーンを2回繰り返す念のいれようなのである。

前回から色気も数倍バージョンアップした訳。

 

おっと何のコマーシャルだったっけ?

と我にかえる。

まるで、通販の臨場感を意識したつくりなのだ。

 

制作者は、このシーンを最初に思い浮かべた。

これがやりたくてこのコマーシャルを考えたとしか、

私には思えません。

世間がうるさいイマドキ、勝負に出た感がある。

ハラスメント?

エンターテインメントに徹したので、

なんとか納まっている感はある。

 

こうなるとだ、ハズキルーペの勢いは止まらない。

物事には勢いというものがある。

そこをハズキは逃さない。

いままさに、黄金期。

観ているほうも、

「ワシもそろそろハズキルーペ買おう」と、

無意識に購買を予定しているおっさんがいっぱいいると、

私は踏んでいる。

ちなみにおばさんは、

かなりの不信を抱いているように思うがね。

 

そもそもハズキルーペって、

中高年を中心に、こまかいものを大きくして見るための

虫眼鏡じゃなかったっけ。

むしめがね…だよなぁ

そこにファッション性と堅牢と色気をふりかけると、

摩訶不思議にヒットした。

 

こうしたエグいコマーシャルって結構多い。

私も割とノってしまう性格なので、

過去にかなり不要なものを買いためている。

家中にすでに使わないものが溢れている。

冷静に考えると、

金は使うは、家はどんどん狭くなるわ、

なんで買ったんだろうと反省する訳です。

そんな事をさんざん繰り返していると、

いい加減、いろいろと気づくものです。

財布の紐も堅くなる。

 

コマーシャルとか通販って要するに、

仕掛けが透けて見えるようになってしまったら、

終焉を迎えます。

ながらく続いた消費文化の限界も見えるようです。

そして人はますます手堅くなる。

 

しかし、広告のスタイルは尚も進化するのだろう。

広告って雑草のように強いから。

 

とりあえず、罪な広告ではある。

 

 

こちら、ゲス芸能デスク!

 

 

■元「歌のお兄さん」覚醒剤使用の疑いで逮捕

「歌舞伎町のサウナで使用した」(スポニチ)

 

●コメント

歌のお兄さんは、番組を下りた後も良いお兄さんかというと、

そんなことは誰も保証できない。

いろいろな苦労もしただろうし、仕事がうまくいかない、金がない、

彼女にふられた、行き詰まった…。そんなときに妙な奴から

「楽になるから…」って貰ったのが覚醒剤だったのかも知れないし。

もちろんイケナイ、違法だから彼は捕まったのだが、

元の職業が仇となった。

元芸能人が覚醒剤云々というより、

元「歌のお兄さん」が覚醒剤という一点においてのニュース性が、

この件を拡大させた。

人生がどうにも分からないのは、何処も同じ。

が、良くないよな、覚醒剤は、でこの話は締めたい訳。

 

 

■船越英一郎、不起訴の元妻・松居一代を

「今回に限り宥恕する」 代理人がコメント(スポニチアネックス)

 

●コメント

船越が訴えて、松居一代不起訴!

船越さんは相当モテる方だそうです。

松居さんはそういう旦那に対して、

常に疑いをもっていたそうな。もちろん女性関係。

真偽のほどは私は何も知りませんし、

そんなことはどうでもいい。

ただ、夫婦で親権とかそういうのでなく、

名誉毀損のようなことで争うのは、やはり芸能人ならでは。

松居さんに異常さを感じたのは、私だけではないだろう。

船越の淡々としたとぼけ具合はキャラなのか。

で、今回の船越さんの「許す」というコメント。

そこを「宥恕(ゆうじょ)する」という一点において取りあげた訳。

こんな難しいことば、どっから探してきた?

忖度と同レベル。

 

 

■剛力彩芽は月に行かない?

ZOZO前澤氏との関係に心配の声(女性自身)

 

●コメント

いまノリにノっているZOZOTOWNの前澤さんだが、

米宇宙ベンチャー「スペースX」が、開発中の大型ロケット

「ビッグ・ファルコン・ロケット(BFR)」での月旅行について

発表した。

で、同社が初めての旅行者として契約したのが、前澤さんだ。

推定費用1000億円ともいわれている。

私には、全く縁もゆかりもない数字。

で、月旅行へ飛ぶのは2023年。このとき、

芸術家を7.8人連れて行くという。

太っ腹というか、この前澤という人のスケールが、

小さすぎの私には、なんとも奇妙に映る。

うらやましいとか思わない。

ただ不思議。

恋人の女優の剛力彩芽(26)さんは、

この件に関し「月に行く予定はない」。

この記事の問題は、ずばりタイトル。

一緒に行かないから「心配」なのであるらしい。

ここ、ポイント。

端的に言ってしまえば、誰も数年先の事なんか、

いまの時代にはなかなかリアルにイメージできない。

剛力さんにフツーさを感じる。

前澤さんに桁外れのパワーを感じる、というか、

ホントはちょっと変な奴を感じる。

 

 

■美川憲一、結婚考えた相手いたと告白も…

「子供できたら美川でいられるかなあと」(ライブドアニュース)

 

●コメント

このニュースの見出しをみたとき、私は一瞬考え込んでしまった。

一体このニュースに興味を示すひとがどのくらいいるのだろうかと。

ひとことでいってしまえば、どうでもいい話である。

断りを入れると私にはどうでもいい記事に思えた。

美川さんて、男の人ですよね?

だんだんよく分からなくなってきた。

市井の人は、

皆誰もいろいろなものを抱えて生きている、

生きてきた訳で、しかしよほどの事がない限り語らない、

語る相手もいないのが大半である。

まあ、黙して頑張っている。

その点、芸能人というのはよく語るなぁとつくづく思う。

聞く相手がいるから語るのだろうが、

私生活も金になる、という風潮は、

最近あるにはある訳で、

ここに財力はあっても、

格別の品のなさを感じる訳だ。

 

 

 

インスタ映えってなんすか?

都内のプールへ女の子が自撮り棒をもって集まっているらしい。

我ながら、テレビで見てインスタで再確認という後手ぶり。

(確かに素敵な写真がズラッと、で、美しい方ばかりでした)

で思った。

海じゃないんだ。

きったなくてクソ暑くてじゃりじゃりになる砂浜じゃなく、

夜のホテルのプールでなきゃイケない訳ね。

「イマドキ海なんて古いですよー」

といういきさつで、演出ばっちり化粧映えのする

夜のホテルのプールなんである。

が、そこは男子もおじさんもおじいさんもおばさんもおばあさんも負けてない。

インスタだけでなくSNSを眺めていると分かることだが、

どの年齢層にも、これみよがしにカッコつけたがりがいる。

結構優雅ですとか、金持ってますよとか、

生活充実していますアピールとか、

必死なのがいるわいるわ。

これってなんなんだろうと考える訳。

が、とりあえずこうした現象を経済面から検討するに、

ポケGOもそうだったが、とにかく流行るとみんな即動くのは分かりました。

ここで経済的効果は、なかなか良いとなる。

人があれこれ動くだけでも、波及効果は生まれるから。

特にインスタグラムのようなSNSって、

形成される市場も結構大きいんである。

具体的にはカメラが売れる、スマホも撮影機能高めに移行、

で、みんなインスタ映えする場所に出かけるから、

交通機関の利用も当然発生する、

ファッションを気にする、あれこれ食す、演出する等々、

ちょっと考えただけでも経済効果抜群の流行りではある。

で、撮影に関する技術もスキルも切磋琢磨するから上達する。

ツイッターやフェイスブックはコメント力がモノを言うので、

ワンフレーズ作成テクニックの腕も上がる。

こうなるともうデザインも写真もテキスト作成も、

頑張れば誰でもできるんじゃねえの域まで達するので、

これはこれでベンキョーの賜物だから、

学びとしても、とてもいいんじゃないかと思える。

美的感覚やそうした意識も養えるから、

巡り巡って文化らしきものの発展に寄与するかも知れない。

が、ここでチョット気になるのは、

比較的控えめな私たち日本人という定説が、

大きく覆ったってこと。

SNSで目立ちたがり屋さんや自慢屋さんが結構多いこと、

判明しましたよね。

時代が変わったんすかね?

いや、そもそも潜在的にそういう人っていたのか?

そこがよく分からない。

直球で申しますが、

ホントに充実している生活を送っている人って、

わざわざSNSで自慢の写真とかをアップしたりしますかね?

これ、疑問。

流行とはいえ、そこはなんというか抑揚というものが働く。

自分とまわりの距離感とか間合いといったものもある訳で…

誤解して欲しくないのは、

ホントにいろいろチャレンジしている方、

趣味とか仕事なんかでいろいろ頑張っておられる方というのは、

SNSでも理解できるものであるし、応援もしたくなる。

こちらも勘というものが働くし、人って微妙な何かを感じ取るから、

その辺りって自然と分かるんですね。

「この人、結構無理してタイヘン、カワイソーだわー」

って感じてしまうのは、こちらもちょっと辛い。

こうしたものを流しているテレビというものも、

すでにネットやSNSの後追いであるし、

テレビ独自のコンテンツ力は迷走しているしね。

それはコマーシャルを見ていても感じることだし。

そんなテレビがいち早くSNSを取り上げて、

あえて時代性をアピールしているようにも映るのが、

衰退している王者であるテレビの悲しいところではある。

個人的には、

テレビが大好き、テレビがなんでも教えてくれた、

テレビで育ちました、

あのコマーシャルいまでも覚えています、

という人間なので、

4K、8Kという技術の進化だけでなく、

さすがテレビ映えするなぁというコンテンツを

ぜひつくっていただきたいのだが。

更にいえば、

テレビって良くも悪くも強者の論理で動いている訳で、

SNSがなければ相変わらずの一方通行のみの情報となってしまう。

いわば衰退しているとはいえ、

依然強力なテレビの対抗ツールとしてSNSのパワーは、

バランサーとしての役目も果たしている。

だからインスタ映えなんていうのは、

ほんの過渡期の一使用法であって欲しいというか、

これをきっかけにあらゆる可能性を伸ばすツールとして、

更に発展していただきたいのである。

(だって写真って饒舌ですから)

おっと、インスタで頑張っている皆さん、

出汁(だし)にしてゴメンナサイネ。

風になびく人々

いま、国会議員の不倫が騒がれていて、

まあみんな同じ人間だから

政治家といえどもたいして変わらないや、

という私の安直な感想などもってのほからしく、

世間は、絶対に彼らを許さないのであった。

昨日まで全く知らなかった政治家でも、

テレビを観て初めてその人間を認識すると、

途端、絶対に許さないのであった。

にしても、遡上に上がった人たちの政治手腕というものは、

この際一切語られないし、

ネガティブな報道一辺倒。

あたり前といえばそのように思う。

実際、たいした実績もなければ、

風当たりはすさまじく激しくなるのである。

とにかく 徹底的に叩かれる。

イマドキ、政治家だけではないですよ、

有名人だけではないですよ、

いずれは私たち市井の人間も、

キッチリと品行方正でなくてはならない、

というような風潮にすり替わるから、

今後一層世の中は厳格になります。

イマドキの風潮ってそんな感じ。

まあ、先の政治家の件は、

そもそもそんなところでつまずく事自体甘いけれど、

わざわざテレビで大々的にやるって、

なんだか時間の無駄でもあるように思うんだけど、

或る方たちにとっては放ってはおけない事柄らしいのだ。

これに繋がって、

連想ゲームのようにアタマに浮かんだのが、

イマドキの潔癖症ブームなんである。

社会の底流に流れているのは、

きっと同様のメンタルなんじゃないか。

風呂もテーブルもマナ板もですね、

菌が少しでもいたら不潔。

イケマセン。

こうした許しませんよ的潔癖さについてですが、

実際はゼロ無菌などちょっと無理だと思うんですよ。

しかしテレビコマーシャルなんかを観ていると、

清潔、真っ白、ピカピカ、除菌99.○○%とかね。

こんなのばっかり。

こうした啓蒙(?)って、いわば企業の経済活動の一環だから、

そのうち知らぬ間に、私たちの生活習慣として

定着するようになる。

で、環境が整うとこうした製品って売れるんですねぇ。

こっちの勝手な理屈を言わせてもらえば、

こうしたケミカル商品ってなんかあやしい。

成分的にもホント大丈夫なのかとほぼ疑っている。

さらに、こっちとしては無菌活動反対で、

ほどほどの菌たちとは常日頃から共存したほうが良いと

考えるので、意見相反ですな。

これはある本の記事で知ったのだが、

インドに行く観光客で、最初に体調を崩すのは、

まず日本人であるらしい。

それも腹痛、下痢が多いそうである。

原因は、明白ですね。

話を先の政治家の件に戻すが、

事の中身は完全にワイドショーネタである。

だから、しょがないといえばそのような気もする。

みんなで袋叩きにされて、

この人たちは、もう終わりである。

とにかく、事はテレビ局の意向に沿って

動いてゆくのである。

いや、民意を忖度(そんたく)して動くと言ったほうが、

正確か。

とにかく、事の本質に辿り着くことはまずない。

そんな事は誰も望んでいないかのようだ。

こんなくだらないブログを読んでいる間にも

蛇足論争、横道報道のおかげで

時間の超無駄遣いは続いているわけで、

それがわたしたちにとってどうゆう時間なのか、

それを考えるのが、

実は知性というものなのかも知れませんね。

国の重要な政策・案件など、数々の報道も、

池上さんがなんでも説明してくれるとは限らないし。

俯瞰してまわりを見渡せば、

外交、経済、福祉等々、

どれも待ったなしの時代が来ている。

いつか身に降りかかる問題である。

というわけで、もっとしっかりしてくれよ、

政治家、マスコミ、メディアと言いたいが、

実は私たちがその元凶なのかも知れない…

そう考えると腑に落ちることが幾つもあるから、

本当に怖いのである。

ポケモンGo、村上春樹は蚊に刺されやすい生命体?

「風の歌を聴け」から

―完璧な文章などといったものは存在しない。
完璧な絶望が存在しないようにね。―
村上春樹の比喩は独特だ。例えが難しい。というか、
よく理解できないまま納得させてしまうようなテクニックが、
この人の文には多分に潜んでいる。
彼が小説家で良かった。でなけりゃ詐欺師だ。

やたら蚊に刺される

キャンプに行くと真っ先に蚊にやられます。
いつも一番です。ポリポリやって気が散ってしょうがない。
蚊に刺されやすい人って体温が高い、呼気の二酸化炭素が多い、
乳酸の分泌量が多い等、諸説あるようですが、
特に最近言われているのが、O型の血液特殊糖存在説。
これが蚊を引き寄せるらしい。
私はO型ですが、特殊糖っていうのがどうも引っかかるなぁ。

若さとは

工学博士の竹内建さんがBLOGOSに書いていましたが、
若さとは将来に期待すること、自分がまだ成長できる、
何かをなす事ができると信じられること。だそうです。
これには考えさせられました。というのも、
やる気はそこそこあるのですが、自分のやることを
信じられるかと自問自答しましたが、いまひとつ確信がない。
というか最近では心配事ばかりが増えているようで、
そういう自分に懐疑的。年喰ったなぁ。
このあたり、「胆力」が左右するのでしょうかね?

ポケモンGo

最近、みんな表に出てやたらウロウロしていますね。
世の中こんなに人がいっぱいいたんだと改めて驚きました。
しかし、ポケモンGoで遊んでいる姿ってちょっと異様。
先日行った、あんなに眺めの良い丘でさえ、みんなうつむいている。
ほらっそこの君、雄大な景色、キラキラしているおひさま、流れる雲…
なんで見ない、興味ないかね? 野暮な年寄りの感想か?

生命体がいそうな惑星が4つも

地球から40光年という距離感がそもそも分からないのだが、
どうもいきものがいそうな星が、チリの天文台で発見されたらしい。
これって凄いこと。我々と同じような奴?がいるのかね?
いや、アンモナイトのレベルか、はたまた恐竜レベルなのか?
となると、あのUFOってどこから飛来してくるのかを考えてしまう。
案外、至近の月の裏側とかに隠れているのかも知れない。
いずれ、ロマンか驚異か、どう処理して良いのかが分からない話。

グループサウンズの頃

私の中学時代はほぼ60年代後半だったので、

あの頃やたらと流行っていたのが、

グループサウンズである。

それまで聴くものといえば、

舟木一夫とか畠山みどりとかの歌謡曲ばかりで、

少年だった私にはそのどれもフィットしない。

というか、ピンとくることもドキッとすることもなく、

たいして面白くもなかった。

唯一、ベンチャーズブームというのがあって、

エレキギターの音楽に、それは驚いたものだった。

同時期、ビートルズが初来日。

彼ら4人が羽田空港に降り立ったときは、

テレビのニュースはどれもトップ扱い。

日本中が大騒ぎしていた。

が、小学生の私にその音楽はいまひとつ

よく理解できなかった。

で、グループサウンズだが、

この音楽が、ようやく中学へ進学した思春期の私を

ガッチリ捉えた。

ベンチャーズやビートルズに較べれば、

グループサウンズの音楽性とやらは、

それほどのものではない。

歌詞をいまながめても

結構こっちが恥ずかくなるようなものが多い。

しかし、当時の私はスッポリハマった。

さてグループサウンズとはなんなのか?

その系譜を辿ると、

ビートルズやローリングストーンズのパクリ系、

ヨーロピアンポップスを焼き直したもの、

アメリカのR&Bをこちら風にアレンジしたもの、

アメリカンフォークの流れを汲んだもの、

そして日本の歌謡曲を進化させたものなどなど、

多岐多彩だ。

アップテンポな曲はどれも

初めて聴く私には斬新だったし、

ボーカル、そしてリードギターサイドギター、

ドラムというバンドスタイルがカッコ良く映り、

当時の私たちを熱狂させた。

ザ・スパイダースの「夕陽が泣いている」を皮切りに、

ジャッキー吉川とブルーコメッツは

「ブルーシャトー」をヒットさせ、

ザ・タイガースが「シーサイド・バウンド」で、

ザ・テンプターズが「エメラルドの伝説」で、

当時の日本の音楽シーンのトップに躍り出た。

その他にもザ・カーナビーツ、ザ・ワイルドワンズ、

ザ・ゴールデンカップス、ヴレッジシンガーズ、

オックス、ザ・モップス、ザ・サベージ、

ザ・ジャガーズ、シャープ・ホークス、

パープルシャドーズ、ザ・ダイナマイツ………

いやいやキリがないなぁ。

とにかくどのグループもヒット曲を生み、

日本の歌謡界にはとにかく

グループサウンズという嵐が吹き荒れた。

当時の雑誌はどれも

彼らのうちの誰かが表紙を飾っていたし、

人気者になったバンドが主人公の映画は

何本もつくられていた。

音楽番組の多さもいまと比較にならないほど多く、

ヒット曲の多さも去ることながら、

レコードの売上げも群を抜いていたようだ。

私はそんな音楽を聴きながら勉強をし、

街へ出かけ、テレビを観、

要するに浴びるようにその音楽と共に

中学生活を送ったのだ。

それは絶え間なく流れるサウンドとして

逃れられるハズもなく、

グループサウンズを全身どっぷりと浸かった、

という表現がふさわしい。

が、それほどパワーのあったグループサウンズも、

その瞬間最大風速の強さも去ることながら、

大型ハリケーンのように現れ、

足早に過ぎ去ったのだった。

70年に入って嘘のようにその鳴りを潜めたグループサウンズは、

その渦中にいた私たちだけの年代を

狙い撃ちするかのように、

あっいう間にその姿を消してしまった訳だ。

要するに、

上の世代はもっと高級な?本場の音楽に親しんでいただろうし、

下の世代は、その多感な時期に、

ユーミンとかオフコースとか、

もう少し洗練されたものに

触れていたような気がするのだ。

だから団塊でもなく、

新人類と呼ばれた世代でもなく、

その狭間の世代にしか分からない世代の想いが、

このグループサウンズというあだ花に

熱く注がれてたように思う。

あれから何年経っても何十年が過ぎても、

私の音楽の原点は、

やはりグループサウンズなのではあるまいか?

そう思うことがある。

いま思えば割とダサい音楽、

そして超個性的なスタイルを引っさげ、

私たちの胸を射ったと思ったら、

さっと消滅していったグループサウンズ。

それは、

調度つむじ風のような不思議な感覚であったし、

特異な音楽シーンであったように思う。

そこに、私たちの世代しか分からない、

青春の原点のようなものも詰まっている。

星野源さん!

情報としてはちょっと古いけれど、

単純にこうした耳あたりの良い歌って久しぶりです。

星野源の「SUN」。

このリズムラインがアタマに残るから、ついもう一度と聴いてしまいます。

あえて言えば、

70年代後半にヒットしたエポの「ダウンタウン」にどこか似ていると言えなくもない。

歌詞もメッセージ性は低い。

こうした都会的かつ妙な軽やかさと明るさって、

最近のこねくり回す歌より、よっぽどいい。

星野源って多才な人。

だけど、一度倒れているんだよね。

結構重い症状だったらしい。

そこからの開き直りというか、よほど深く考えた末の、

「SUN」です。

彼の覚悟が見えるようでもある。

マスクが特別いい訳でもない。

スタイル抜群でもない。

背伸びしない。

そして、ユーモアは抜群です。

やはり、センスの勝利。

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