(前号までの大意)
夢も希望もみつからないふたりの男が、
ゆううつな毎日を過ごしていた横浜の街を脱出。
東京・芝浦桟橋から船旅で沖縄をめざすことに。
時は1973年、8月。
沖縄が米国から返還された翌年のことだ。
ふたりの鬱屈した気分は、海と接し、
沖縄の地を巡るうちに、次第に薄らいでゆく。
19才の彼らはいろいろな事を思い描くようになる。
そして行く先々での出会いが、
彼らに新たな何かをもたらすこととなる。
(ここから続き)
19才の旅は、こうして終わりを迎えるのだが、
この旅をきっかけとして、
ボクたちのなかの何かが少しづつ変わり始めていた。
それは、遅まきながら、
社会というものを意識しはじめた、
ボクたちの新たな旅の始まりだったともいえる。
高校時代につまらないことが重なり、
人生につまずいたふたりだったが、
この旅で、「世界はなかなか広いじゃないか、
ボクたちもなにか始めなくては!」
と気づいたのだ。
以来、ボクたちは申し合わせたように、
目的もなく街をふらつくことをしなくなった。
そして考えはじめた。
自分の将来について考えはじめた。
これから何をめざそうか?
漠然とだが、そんな人生の目標について、
おのおの真剣に考えるようになっていた。
翌年から丸山は役者をめざして、
横浜の映画専門学校へ通うようになった。
彼は、以前から役者になりたいと話していた。
ただ、その第一歩が踏み出せなかっただけなのだ。
ボクは、卒業した高校へ久しぶりに顔を出し、
卒業証明書を手に入れることにした。
いい加減、アルバイト人生から足を洗って、
改めて大学を受験しようと決めたからだ。
それから数年が経ち、
当たり前のように誰もが経験するように、
ボクたちも社会という大波に翻弄されていた。
いくつもの紆余曲折があり、
相変わらず毎日毎日、
厳しい「旅」を続けていた。
丸山はというと、
いくつもの劇団を渡り歩いていた。
が、次第に月日ばかりが経ち、
その行く先々で、
「なかなか芽が出ない」とぼやいていた。
あるとき、彼と自由が丘のバーで会ったとき、
ミラーのビール缶を数缶あけた丸山が、
とても疲れた表情で、頭を抱えてこう言った。
「もう、いい加減に役者やめるよ」
「………そうか」
彼のいきさつをだいたい知っていたボクは、
そのとき気の利いたセリフなど、
なにひとつ浮かばなかった。
その後、丸山は小さな旅行会社で、
見習いのツアーコンダクターをしていた。
新大久保の倒れそうな古いアパートで、
彼は必死に仕事に励んでいた。
またあるとき、
彼はめでたく結婚をして中目黒に住んでいた。
丸山は毛皮の販売会社で働いていた。
ボクはといえば、なんとか大学を出て、
中堅の出版社へやっとのことで潜り込み、
場末の編集者としてのスタートは切れたものの、
3年半もすると心身ともに擦り切れてしまい、
会社に辞表を出していた。
その頃、ボクはすでに結婚していたが、
編集者からコピーライターへ、
出版社から広告制作会社へと、
職種と会社の同時転向を考えていた。
当然、経済的な基盤などできるはずもない。
毎日毎日、新聞の求人欄とのにらめっこが続く。
ようやく決まった会社もなかにはあったが、
徹夜ばかりとか、告知した給与に全く達しないとか、
そんな会社を幾つか渡り歩いて、
やっとのことで普通の広告会社に落ち着く。
そんなさなかに、長男が生まれる。
(このことはボクの人生において、
とても大きな出来事だった)
なぜなら、自分以外の人の為に働くという意識など、
それまでのボクには考えつかない行為だったのだから。
彼はとても元気におっぱいもミルクも飲んでくれた。
それはとても嬉しい風景だった。
夫婦ふたりで暮らしていたそれまでのアパートは
当然手狭になり、
広いアパートへと引っ越すことになるのだが、
お金のやりくりはいつも大変だった。
預金残高は、いつも危険な状態だった。
(いや、いつも誰かに借金をして
その場その場をしのいでいた)
そしてコピーライターとして働き始め、
広告会社を渡り歩くうちに、
気の合った数人のデザイナーと、
赤坂で会社を立ち上げることとなる。
が、一年も経たないうちに、
社内がもめはじめてしまう。
嫌気が差したボクは、そんなとき、
ふとフリーランスという新たな道を
みつけてしまった。
そしてせっかく立ち上げた会社をふらっと辞めた。
まあその決断が、
後に地獄のような貧乏生活を招くのだけれど…
沖縄への船旅で何かに気づいたボクらは、
それからの新たな目標をみつけることができた。
それは、ボクの人生にとっても彼の人生にとっても、
なかなか画期的な出来事だったと思う。
しかし、やはり現実は厳しかった。
若かったふたりが描いた将来像とは、
全く違った生活を送っていたのだから。
しかし結婚をしても子供ができても、
ボクらは相変わらず飲みに出かけていた。
結局、ボクたちはどこか似たもの同士だったのだ。
それは、社会や企業というシステム的なものに対して、
全くついていけない質である、ということ。
生来のへそ曲がりという性格も加わっていたので、
まわりに合わせることもできないで、
頑として自分のなかの何かを変えようとはしなかったことだ。
それは、幼い頃に持っていた理想の何かを、
潔く捨て切れなかったことだと思う。
飲み屋でビールを飲む合間に口を付いて出るのは、
「世の中とか会社というところはホントに面倒だなぁ」
(続く)