河原で久々のたき火です

 

例の騒ぎで閉鎖されていた河原がやっと解放されました。

 

 

近所の知人と、薪を5束と着火剤とイスとテーブルと

サンドイッチとコーヒーをもって、久しぶりに河原におりる。

 

この日の河原の気温は、推定3度くらい。

さっさと火をつけないと底冷えと湿気が身体にまとわりつく。

ユニクロのヒートテック、いまひとつのような気がしましたね。

 

 

火が安定するとホッとひと息つけます。

イスに身体を沈めて、コーヒー&サンドイッチ。

で、後は世間話をするだけなんですが。

 

 

僕がたき火に行ったと話すと、

たき火未経験の友人、知人は必ずこういうのだ。

 

「たき火だけ? なにか面白いことあるの?」

 

僕もそう思っていました。

 

 

たき火初体験は、丹沢の山の中でした。

アウトドア・ベテランの知り合いに連れてってもらいました。

このときは数人で夜中まで火を囲みました。

話すこともなくなると、みんなおのおの星空を仰いだり、

薪をくべながら火をじっとみていたり。

僕は、背後の木々のあたりから、赤い目がふたつ光っていたのが

忘れられません。

 

火をみていると、黙っていてもなんだか間がいい。

話し続ける必要もないし、それより沈黙がよかったりする。

 

 

刻々と変化する山のようすだとか空の色だとか、

時の移り変わりを身体で感じることができる。

 

火をじっとみていると、なんというか、

とても古い先人たちのことを僕はアタマに描く。

 

火を扱うことを覚えた古代のひとたちは、

肉なんかを焼いたりすることで、

とても感動したんじゃないか…

 

そんな遠い遠い記憶が、

僕たちにも刻まれているのだろうか?

 

 

「谷内六郎展」を観に横須賀美術館へ

 

谷内六郎展ということで、

ドライブがてら、

横須賀美術館へでかけた。

 

 

ここを訪れるのはおおよそ5年ぶり。

前回はニューヨークアート展だった。

海辺が至近の美術館で、

まわりの景色も

とてものったりとしている。

 

前回、リキテンスタインの作品とか、

ウォーホルのキャンベルスープなど、

興味深い作品をじっくりと鑑賞できたので、

印象がよかった。

 

もう一度訪れたいと思っていたので、

今回はそのよい口実がみつかった。

 

 

 

 

谷内六郎といえばやはり週刊新潮だろう。

彼の絵が、毎週この雑誌の表紙を飾っていた。

創刊から25年書き続けたというから偉業である。

 

 

 

僕はこの表紙の絵を、

通勤途中の駅のキオスクや本屋でみかけたが、

当時はたいして気にならなかった。

週刊新潮の中身そのものにも興味がなかったので、

目を引くこともなかったのかも知れない。

 

彼の描くものに俄然注目したのは、つい最近のことだ。

それは或るテレビ番組で谷内六郎特集を観てからだ。

このときは暇だったので一点一点じっくりと鑑賞。

解説をききながら絵を読み解くうち、

この画家のイマジネーションの壮大さに、

改めて驚いた。

 

むかし、キオスクでちらっとみたときは、

素朴なタッチの懐古的な絵で、

なおかつ奥行きのない平坦な絵との印象だった。

まあそもそも駅のキオスクで

ちらっとしか観ていない絵の印象を語るなんて、

そんなものは失礼極まりない。

 

 

僕は、絵というもの、

そのものを詳しく知らなかったし。

 

で今回の再認識だが、

この谷内六郎という画家の描くものには、

どの一枚にも必ず物質とはいえない、

我々の目には見えないものが描かれている。

 

曰く、それが爽やかな夏の風の色であったり、

囲炉裏のあったかい空気であったり、

木枯らしに乗ってきたかわいい妖精の姿であったり、

春のふるさとの桜のかおりであったり…

 

 

そしてこの画家の描くものには、

思い、想いというものが、

ぎゅっと詰まっている。

そのやさしさやおもいやりのようなものが、

夢と空想の世界をかたちづくり、

観る人を不思議な世界へと誘う。

 

 

横須賀は、彼が晩年を過ごした地でもある。

よってこの美術館には、

別館として谷内六郎館が併設されている。

現在は工事中だが、今回は生誕100年ということで、

本館で展示されている。

 

5年前に訪れたときは、

ニューヨークアート展に集中してしまい、

前述したように谷内六郎作品に対する印象も薄いものだったので、

この別館を素通りした。

いまになって深く反省をしている。

 

 

遅きに失したけれど、

アーティストだけでなくクリエーターも含め、

ものをつくるひとたちの作業というのは、

当然いろいろなことを考え、想像し、

それをカタチにしている。

そうした一連の行為に対して、

僕たちは軽々しく論じてはいけない、のではないか。

 

 

これが今回の僕なりの教訓。

 

作家や作品が好きか嫌いか、

私たちにとってはその程度のことで、

あるにしてもだ。

葉山の空とリゾート

 

湘南を一望できるスポットはいろいろあるけれど、

大磯あたりからだとやはり高麗山の展望台だろうか。

ここはかなり高いので眺めるというより

遠景を見下ろす感じになる。

 

藤沢はいいスポットが思い浮かばないけれど、

鎌倉まで来ると山が多いので、

幾つか眺めのいいスポットがある。

 

鎌倉プリンスホテルが建つあたりから、

晴れた日の富士山をバックにした江ノ島は、

なかなかの絶景。

サンセットの時間帯は海も空もオレンジ色に染まって、

ただボーッとしているだけで心地いい。

 

私の友人Aの話によると、湘南の眺めナンバーワンは、

逗子の披露山からの眺めだとのこと。

「それは見事だぜ」と興奮気味に話していたのを思い出す。

また別の友人Bによると、葉山の日影茶屋の近くの、

要するに葉山マリーナあたりからの景色が絶景と、

先日の電話でやはり興奮気味に話していた。

 

僕は先日、葉山の山の上からの景色はどうなんだろうと、

足を運んでみた。

そこは僕たちが若い頃は道もなかったような山深いところなのだが、

いまは広いアスファルトの道が山頂まで続き、

国や民間の研究機関をはじめ、大きくて近代的な建物が

点在する。

広大な公園や宅地まである。

 

山のてっぺんに広い駐車場があって、

そこにクルマを止め、

だだっ広くて何もない草場を歩く。

しかし、

「うん、ここからは海が遠すぎるし、

絶景とは言えないなあ…」

ここより、いま来た道の途中からの景色が、

絶景だった訳だ。

 

 

しかし、ここからの空の眺めは、

なかなかの一級品だった。

山頂なので空を遮るものが何もない。

季節もよく、空が近く感じられた。

空に適当に雲が配置されている。

 

 

 

 

湘南からの空の絶景は、ここに決定した。

近くに一戸建てがポツポツと建っている。

ここらの家は皆一様に敷地がとても広くて、

建物もデカい。

SUUMOで中古価格をチェックしてみたら、

1億前後の物件であることが判明。

 

どう考えてもかなり不便なのに、

こんな価格で取り引きされているのは、

やはり湘南だからということか。

 

僕はここを早々に引き上げ、

海に下る途中のホテルで、

軽い食事とコーヒーをいただく。

 

もう薄ら寒い季節なのに、

このホテルのまわりには椰子の木が

生い茂っていて、

中庭には水をたたえたプールが、

夕刻にはライトアップされていた。

そこだけに焦点を絞ると、

ハワイにいるんじゃないかとの

錯覚さえうまれそうだ。

後日ネットで調べたら、

このホテルは、ときおり撮影とか

テレビドラマなんかにも使われるとのこと。

 

 

湘南恐るべし。

この地は、やはり他とは何かが違うと思わざるを得ない。

ここでは何をやってもどこへ行っても、

まあまあサマになるのであった。

 

牧場へGO!

 

いい加減、視界の狭い室内にずっといるのはよくない、

ということで、人気のない牧場をめざしました。

 

暑い。

けれどちょっと涼しい風がほどよく吹いて、

全身を通り過ぎる。

久々に味わう心地よさでした。

陽はジリジリとくる。

この焼ける感じが夏なんだと実感。

 

視界が広いってホントにうれしい。

気が休まります。

 

よくよく足元をのぞくと、

草の上をいろんな虫が歩いています。

 

「君たちは自由そうだね」

「いや、そんことはないんだ。だって

いつ鳥に食われちゃうか分からないからね」

「そういうもんか。みんな大変だなぁ。」

と勝手に無言の会話を交わしてから、

無造作に草を踏んづけて売店へ。

 

 

ハムとかチーズとかいろいろな乳製品を売っている。

ここで牧場特製のアイスクリームを買う。

結構おいしい。

けれど甘ーい、甘過ぎだろ。

 

ペロペロとやりながらほっつき歩いていると、

汗が止めどなく流れる。

いい感じ。その調子だ。

いつもの夏が帰ってきた。

 

 

ヒツジがメヘェェーってなくんだけど、

こっちの勘違いなのか、

テレビで観たもの真似芸人のそれと、

ほぼ変わらないんだよね。

 

このヒツジかタレントのようにみえるねぇ。

牛もヤギもみな人慣れしている。

全然違和感なし。

そういえば微笑んでないているようにみえる

ヒツジがいたなぁ。

気のせいであればいいのだが 汗

 

 

遠方の山々に目を移す。

神奈川県とはいえ、なかなかいい山並みじゃないかと

感心する。

木々から蝉のミンミンという大合唱。

割と都会面しているけれど、神奈川県は

箱根・丹沢などの山々を抱えている、

山岳県でもある。

 

この牧場をずっと北上すれば、高尾山、

さらに行けば東京の多摩の山奥に出られる。

そこまで行くと、檜原村だとか、御岳山とか、

いやぁ、アウトドアに最適なところがいっぱいある。

 

そこから至近の山梨県境まで足を伸ばせば、

いま話題の小菅村とか大菩薩峠もあるし。

 

―考えてみれば、人間も自然の一部なのだ。―

この名コピーが、心身にが沁みましたね。

 

たき火のススメ

乾いたマキをクルマに積んで
さあでかけよう

水辺は冷えるので少し厚着をする

化繊は燃えやすいので
綿100㌫のパーカーは必須

夕方から始めるとなかなかいい雰囲気になる

 

 

たき火ってひとりっきりでもOK

疲れたらとにかく火がいい

 

 

 

それはたとえば
風呂に入るようなもの
とてもいい気分になる

誰にも安息は欠かせない

 

 

火があって
炎のゆらめきに惑わされて
催眠術にかかったような夢をみる

 

夕暮れの川辺では
ときおりシルエットの鳥が鳴く
川のせせらぎも遠くに響いて
やがて夜のとばりが降りる

こうして時間は消滅する

まわりをみると真っ暗だった

ロードショーが終わったときのように
やれやれと立ち上がりさっさと片付け
火の始末は怠らない

再び時間が動き出す

日頃の煩わしさは
いつもついてまわるから
やはり安息は必要だ

その日の夜は
とても穏やかな気分になる

 

 

 

海がみたくなった。突然…

ときおり、いや突然かな、
イチゴのショートケーキを無性に
食いたくなったりするときがある。
アイスクリームも同様。
あの衝動って何なんでしょう。

海がみたくなった…というのも、
同じく定期的に起こる衝動です。
間隔としては、3ヶ月に一度くらいか。

上記ふたつの衝動には何の共通点もないし、
脈絡も不明なのだが、
ショートケーキを食すととても幸せな気持ちになる。
海をみた帰り道も、満足感でいっぱいになる。

あえて分析するならば、人類にとって糖分は、
生きる上で欠かせない原動力であるし、
海は人類の記憶が眠っているふるさとである。

これはとても嘘くさい分析ではあるが。

鎌倉・藤沢あたりの湘南は人が多そうなので、
「湘南」と呼ばれる発祥の地である大磯へ
でかける。

 

大磯は市ではなく町。
よって人口もそれほど多くないし、
町全体がのんびりしている。
国道1号線沿いに商店が並んではいるが、
繁華街というにはほど遠い。

大磯港、大磯プリンスホテルがある他、
見どころは、大磯城山公園、旧吉田茂邸、
高麗山、六所神社、旧島崎藤村邸。

一見地味であるし、他の湘南地域に較べると
若さも活気もない。
けれど、とても落ち着けるいいところだ。

大磯には「隠れ処」という言葉がふさわしい。

難をいえば、海沿いを走る西湘バイパスの騒音。
音は結構遠くまで轟く。
この道路を突っ走る飛ばし屋のバイクや高性能カーは、
どうも常連が多いように思う。
対策として、小田原厚木道路に異常に多い覆面パトカーを、
もっとこちらの道路に移動させてみてはどうか。

で目的である「海がみたくなった」なのだが、
今回は遠目にしかみることができなかった。
大磯城山公園、旧吉田茂邸と巡る途中、
陽光で海が光っているのがみえてワクワクしたが、
如何せん木々が多くて景色に広がりがない。

そこで大磯プリンスホテルへ寄ってみたが、
あいにくコロナのためホテルは閉まっていた。

ここのホテルの庭からの景色は絶景なのだ。
水平線だけでなく、遠くは伊豆半島まで見渡せる。
残念。
ここのおいしいコーヒーも飲めなかったし。

帰りはセブンに寄って100円コーヒーをいただく。
がしかし、己の気分を分析したところ、
かなりの充足感で満たされている。

ショートケーキに例えると、
専門店ではなくスーパーで買った
ショートケーキを食ったというところか。

いずれにせよ、思い立ったら吉日なのである。
仕事もコロナも関係ないのである。

 

風の時代その2

 

不要不急の外出は避けています。

それが、現在の社会を構成するひとりとしての、

最低限のマナーでもあります。

しかし、先日のことなのですが、

私は特急で有用な要件ができ、

あちこちに写真を撮りにでかけました。

 

 

これがなぜ不要不急でないのか?

家でジッとしていたら、

ちょっとイライラがMAXになったからであります。

 

 

「風の時代」の到来と前回のこのブログで、

己で勝手に書き、なおかつ

自らフラフラと出かけてしまうのでありました。

 

 

イライラを解決するポイントは、

自らの欲する方向へ場所へ赴くことを

決して拒絶しないことでした。

結果、高い山間部とか景色のよいところ、

夕陽の眺められる箇所をめざしておりました。

 

 

 

撮影ポイントにおいて、

夕方にはさっさと0度くらいの低温になっていました。

そこに、北からの風が吹き付ける訳です。

すげぇ寒い。

 

まさに風の時代の到来を、

身をもって感じた次第です。

 

 

 

陰翳礼讃

 

 

 

今年は妙な年でした。

「時代なんかパッと変わる。」

そんな一年でした。

来年はどんな年になるのでしょう。

別に期待もしていませんが、それほど憂鬱でもない。

自らすすんで、ものごとの陰のようなものに

あえて光をあててみる。

そんなことを考えています。

陰に咲く花って割と美しいものが多い。

そうしたものごとが脚光を浴びる一年になるかもしれません。

これもひとつの視点ですが…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

秋は陽射しとススキだなぁ

 

 

 

ウチからの身近な観光地は、
北上すると丹沢の東あたり。
南下すると茅ヶ崎の海岸というところか。

どちらにしようかと思案するも、
やはり紅葉がみたいということで、
宮ヶ瀬湖に出かけてみた。

ここは例年、夏にバーベキューで来ていたが、
コロナ禍で今年は2回中止となった。

平日の午後だし
誰もいないんじゃないかと思っていたが、
そんなことはない。
結構の人出だった。

クルマは横浜・湘南・品川のナンバープレートが目についた。

小春日和だったが、ここはやはり寒い。
風も強い。
推定だが、東京や横浜よりまず5℃は低いと思う。
丹沢山塊の中腹だし、冷えるのはしょうがない。

 

 

視界がとても広いのがいい。
気が休まる。

夏の陽射しと較べると、
夕方とはいえかなり差し込む角度が低い。
陽射しがオレンジ色に映る。

みんな寝転んだり佇んでいたりと、
とってもゆったりとしているようにみえる。
(日頃は結構ハードで疲れているんだろうなぁ)

景色をみながら、
この一年があっという間に過ぎてしまったことに気づく。
みんなどうしているんだろうとかと、
久しぶりに改めて考えた。

いまのこの世の中、
何かがおかしい何かが変なのだけれど、
その正解が分からないでいる。

外界とのコミュニケーションが減ったことだけは、
確かなことだ。

「時代なんかパッと変わる」というコピーを思い出す。
確か、80年代のサントリーウィスキーのコピーだ。

ホントに時代がパッと変わってしまった。

このコピーの作者は、予言者か?
いや哲学者かも知れない。

優れたコピーって、商品や時代を飛び越えて、
スタンダードな一行として後世に残ることがある。

そんな一行をつくりたくて、この業界に入ったんだけどなぁ。

とにかく、この景色のお陰で、
普段は考えないいろいろなことに目が向けることができた。

貴重な時間だった。

 

 

 

たき火とバーベキューは似て非なるもの


アウトドア、人気がありますね。

都会の方々がどんどん河原に集結しております。

コロナうんざりということで、いなかへ。

が、みんな考えることは一緒で、

郊外に集結してしまいました。

 

残念!

 

私は、いなか暮らしなので、

平日の夕方にちょいちょいこのあたりで、

たき火をします。

 

ほぼ誰もいない。

ここの近所の方が散歩しているくらいです。

水の流れる音が遠くからでも聞こえる静けさ。

西の山が燃えるような夕陽に染まると、

手元はもう暗くなっていて、

たき火の炎が赤々と揺らいで、

ふっと心身の力が抜けるのが分かります。

 

バーベキューとたき火って、

まあ似て非なるものだと思います。

最近になって分かったことですが。