「オトコは愛するオンナの最初のオトコになることを願い、
オンナは愛するオトコの最後のオンナになることを願う」
アイルランド出身の詩人で劇作家・オスカー・ワイルドの言葉だ。
彼はまたこうも言う。
「流行とは、見るに堪えられないほど醜い外貌をしているので、
六ヶ月ごとに変えなければならないのだ」
なるほど!
さらに…
「社会はしばしば罪人のことは許すものだよ。
しかし、夢見る人のことは決してゆるさない」
彼によれば、
犯罪者というものはときに許されるものであるらしい。
しかし、夢見る人というのは決して許されない。
人がもつ複雑かつ深層のようなものを、
彼は、この頃すでに指摘している。
例えば、あなたが夢を語ると、
即座に「それは無理だ」という人がいる。
夢を追うことに対しても何故か「いい加減にしろよ」
などと不機嫌になる人もいる。
こう言う彼ら彼女らは、
実はみな一様に自分に自信がなかったり強さがなかったりで、
夢をはるか遠いムカシにあきらめてしまった人たちなので、
あなたが夢を実現してしまうのではないかと不安を感じ、
悔しくて仕方がないから、ただ足を引っ張っていると思って
間違いない。
これもオスカー・ワイルドによる分析。
私たちは訳知り顔でそう助言してくれる相手の言葉に、
不思議にありがたがり、揺り動かされ、振り回され、
自体はさらに混迷へと向かってしまうのだが。
と言う訳で、
オスカー・ワイルドという人は、
神がかり的に人生の総てを見抜いていた。
友人、恋人、社会の入り組んだ糸の仕掛けが、
彼にはくっきりと見えていた。
真実をみつめた言葉は、いつの時代も変わらない。
だから、彼の残した言葉は普遍的で色褪せない。
とここまできて、では、オスカー・ワイルド自身は、
どんな人生を歩んだのか?
記録によると、とても残念だけど、
彼の最後は、酷く孤独で惨めな死に方だったと言う。
うーん、そういうこと?
実のところ、ここがポイントなのである。
人生って結局よく分からない。
予測不能でミステリアス。
だから、とりあえず幸せを求めて、
誰もが一生懸命生きている。
ありきたりだけど、結局のところ、
私たちの知恵って、それで精一杯なのではないでしょうか?