僕が子猫を守れなかったのは
小学生のときだ。
飼っていた訳ではないが
校舎の縁の下にいるそのひ弱な
まだ生まれて間もない子猫に
僕は毎日牛乳を運んでいた。
みゃーみゃーと鳴くしかない、
やっとものが見え始めた頃だろうか?
真っ白い毛に薄い茶色が混じった
とても痩せた愛らしい子猫だった。
どうして親とはぐれたのかは分からない。
子猫をみつけて数日の間、
僕はそいつの為なら何でもしたような気がする。
授業の間も、休み時間も、下校のときも
ずっとそいつの事が気になって仕方がなかった。
給食の牛乳やパンは極力残し、休み時間にそいつの所に
持ってゆく。
自宅と学校が近かったので、夕飯も残して新聞紙にくるみ
すぐ学校の縁の下へ運んだ。
確か、その子猫は牛乳しか飲まなかったような気がする。
そして、みゃーみゃーとしか言わなかった。
いま思えば、僕はそいつのことが愛おしかったのだろう。
夜、目をつむっても、そいつのおぼつかない仕草と足取りが
僕を翻弄した。
そんな日が何日続いたのだろうか?
ある日、いつものように校舎の縁の下を覗くと
鳴き声が聞こえない。
子猫がいない。
校舎の遠く続く暗い縁の下の何処を覗いても
声を張り上げても、子猫がいない。
とても不安になって校庭を歩いていると
学校の脇を流れる川に人垣ができていた。
体の大きな上級生の男子たちが
みんな手に手に石を持って
何かに向かってそれをぶつけている。
みんな笑いながら興奮していた。
何だろうと思って川を覗くと
あいつが、僕だけの子猫が
もう石を相当ぶつけられたらしく
ダランとした体を水面に浮かべていた。
でもまだ口を動かしている。
生きている。
僕は呼吸がうまくできなかった。
なにか叫んだような気がするが
なにも言えなかったような気もする。
ただ、全身全霊で上級生たちに
刃向かったかというと
怖くてできなかった。
子猫はそのまま下流に流れていった。
その後のことは一切何も覚えていない。
弱者をいたわる。
これが社会の本音なのかどうか
私にはいまもって分からない。
人は時に牙を剥く。
弱肉強食。
こんなところも、人間にはある。
ただ、外敵から
守らなければならないものを
守れなかったとき
人は、どうしようもない虚脱に陥る。
あの記憶から、私は誰かを攻撃し
誰かを助け、何かに怯え
何処かへ幾度となく逃げたのだろう。
私の本質は、
あの日と寸分何も変わっていないのかも知れない。
愛する人が助けを呼んだとき
私はどのような態度でどんな風に
何をどう対処するのか?
私はまた
同じあやまちを再び犯すのかどうか?
記憶が私に問いかけている。
私という人間は
それほどのものなのだ。
私のことは
私自身が一番よく知っている。
けっこう重いテーマを、的確な表現でずばり突いた鋭い記事ですね。
可愛い子猫の無残な姿が胸に迫って、読むのが辛くなるほどです。
そして、先輩たちの無邪気な残酷さ。それを黙認せざるを得なかったスパンキーさんの無念さ。
人間に一生ついて回る大きなテーマを、子供時代の思い出に託して象徴的に語ったインパクトの強いブログであるように思います。
「大切なものを守ってやれなかった」
これは、形を変え、場所を変えながら、どんな人間にも必ずつきまとう自責の念であるように思います。
それはしょうがないことなのでしょう。
そして、その自責の念を、自分の中でどう消化していったのか。その処理の仕方が、その後の人間形成につながっていっくような気がします。
今のスパンキーさんの優しさとか、あるいは人間の中に哀しみを見る力とか、そんなものがきっとこの時に形成されたのかもしれませんね。
割と最近こだわっているのが、人間といういきものです。とりわけ、自分。そして、生と死。ですね。
ちょっと格好つけすぎ?
普段はバカなことしかアタマに浮かびませんけどね(爆)
で、
考えてみれば、私たちって生まれたときから死を宣告されているんですよね。気がつかなかったというか、最近意識し始めました。
じゃあ、その短い生に何を得るのか?という壁がある訳で、人の本質が知りたくなりました。とりわけ自分の本質は、そんな格好良いものではありませんね。
それだけでも収穫でした。
コメント、ありがとうございます!