記憶の街

親父の七回忌を終えた。

忙しさにかまけ遅れて申し訳ない…親父。

お経を聴いて、胸のつかえがとれたようだ。

寺は高台にある。

墓前に立ってこうして見ると、墓からの景色も悪くない。

遠くは横浜スタジアムまで見渡せる。

秋のやわらかい日差し。

木々の葉は、色づいているものもある。

一駅手前の奥さんの実家へ寄り、礼服からGパンへ着替える。

今日はこの地域の秋祭りだ。

クルマが混雑して、山車も出ている。

露店でポテトを買い、懐かしい神社をぐるっとしてみる。

こんなに狭かったかな?

しかし、いずれガキの頃に走り回った所だ。

みんな元気かな。

かつての仲間の顔がよみがえり、

自分が毎日歩いた通学路を歩くことにする。

自転車を漕いで毎日水泳部の練習へと向かったあぜ道も、

いまは家が建ち並び、

蛇行した細い道が、辛うじて記憶を呼び起こしてくれた。

近くのマンホールから水の音が聞こえた。

ああ、あのおたまじゃくしの小川の水路だと思った。

ここに、木の橋があって、と当時の場所を思いだす。

通りすがりの若い親子が、こちらを怪訝な顔で見ている。

あっ以前ここに住んでいた者です。

とは言わず、細い道を山の方へと向かう。

私が住んでいた所に、白いアパートが建っていた。

あの青い屋根の家は、もうないんだなぁ。

入り口の門柱は親父がつくったもの、それはそのままだった。

親父、念願叶って建てた最初のマイホーム、無かったよ…

近所の表札に見覚えのある名前。

友達の名前も連鎖的に、次々に思い浮かんできた。

秋になると、農家が畑でなにかを燃やし、

よく煙がたなびいていた丘からの景色は、

一大分譲地に変わっていた。

が、この頃の季節に栗を落としたあの山は、

市民の森として、いまも残っていた。

農家も幾ばくか残っているが、

建物はお洒落になり、ガレージには高級車が鎮座する。

うーん、と唸ってしまった。

ずっと歩いていると、秋といえど汗が吹き出す。

思えば、我が家はいつも高台にあった。

一件目の住みかを除くと、後は高台ばかりだ。

再び駅前に出ると、改めてこの街の猥雑さが際だつ。

人が多いのは昔からだが、どうも真っ直ぐに歩けない。

道が狭い所にクルマやバスが行き交い、その間を自転車が飛ばし、

人がごちゃごちゃになっている。

表通りの洒落た店構えが並ぶ隙間に、

見覚えのある古い豆腐屋があったり、

一歩裏へ入ると、

崩れそうな錆びたトタン張りの飲み屋街があったりと、

気ままに時を重ねたこの街らしいテキトーさに笑ってしまった。

僕はこの街で育ったんだ。

いまお袋は、年の病で入院している。

たぶん、今日の事を話しても、分からないだろう。

いずれは、みんなそうなる。

親父は、墓の中。

僕がこの街を歩いて、

見たもの聞いたことをぜひ親父とお袋に伝えたいが、

どうすればいいかな。

あまり切なくなるといけないので、

親父とお袋には、

とりあえず「ありがとう」とだけ言っておくよ。

テレパシーで、いいだろ?

「記憶の街」への2件のフィードバック

  1.  
     いい “回想録”でしたね。
     素直で、爽やかで、温かくて。
     
     お父さんに対する想い、そして、故郷の町を懐かしむ気持ちや、その町の変貌ぶりを冷静に観察する描写力などが見事にバランスされた、感慨深いレポートであったように思います。
     
     かつて暮らしていた町の現在の様子を、お墓の中にいらっしゃるお父様に、どう伝えるか。
     そこで、ほほえましく悩んでいる様子が、とっても温かいものとして伝わってきます。
     
     こういう“心持ち” を、たぶん、「成熟」 というんでしょうね。
     
     自分のブログでも、実はちょっと書いたんですが、今の熟年たちは、人生の “実りの秋” を見失って、 「長い夏」 をずっと引っ張ったまま、ストンと冬 (終末期)に入ってしまう。
     ちょっと、そんなふうに感じることもあったのです (自分のことも、もちろん見つめながら…)。
     
     で、熟年が、「心の秋」を迎えるというのは、実は、スパンキーさんが、ここで書かれたように、親のことを考え、故郷の町を眺め、そこから 「過去」 と 「現在」 の距離を割り出していくことかな … と思いました。
     
     「悲」 ではなく、「哀」 を知るということでしょうかね。
     

  2. 町田さん)
    小学校のときに、海の方からこの町に転校してきて、最初は嫌な所だと思いましたが、思えば大学生までこの町で暮らしました。一番多感なときだったようで、凄く長く住んだような気がします。
    で、親父の初のマイホーム。親戚の大工さんが建ててくれました。私もしっかり覚えています。
    奥さんも、この町の出身なのでちょくちょく帰ってはいるんですが、いつもドアtoドアで、ほぼ町を観察していませんでした。
    で、いまの熟年なんですが、ちょい気になりますね? 秋がない。この点に関し、私も思うところがありまして、ブログ拝見しました。確かに書かれている通りと思います。
    やはり、彩りが変わる時期を大事にしたいですね?だって、移ろいのなかに、かすかな歓びや「哀」がぎっしり詰まっていますから…
    大事にしたい時期と、改めて思いました。
    コメント、ありがとうございます!

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