私の生まれた町は、
晴れた日も、空は灰色がかっていて
いつも鉄を叩く音が町中に響いていた。
川はときに緑色に染まって、
毒々しいほどに淀んでいた。
海へは歩いて15分で行けたが、
岸壁に打ち付けるのはゴミの山で、
そのなかに、
何故か必ず、犬の死骸が浮いていたのを覚えている。
いま、中国の北京や上海がとても汚染されているらしいが、
自分の原風景と変わらないじゃないかと、
ときにひねくれて思う。
東京オリンピックが開催された翌年、
私はこの町を離れることになったが、
自分があの町で育ったという意識は、
きっと死ぬまでつきまとうだろう。
20代のとき、
とても好きなアーティストに出会った。
ビリー・ジョエル。
彼に都会の憂鬱を歌わせたら、きっと右に出る者はいないだろう。
そしてアルバムを聴いていると、
私は不思議な郷愁に誘われるのだ。
Allentownという曲は、
以前から気にかかってはいた。
が、アレンタウンという町がアメリカの何処にあるのか、
私は全く知らないし、調べる気もない。
が、あの詞は放ってはおけない憂鬱さを抱えている。
きっと、無意識のうちに自分の生まれ育った町が浮かび上がり、
その原風景が、私を引き寄せるのだろう。
「Allentown」
僕たちは
このアレンタウンという町で暮らしている
工場は次々に閉鎖されていく
ベルツヘルムではみんな暇を持て余し
仕事の申し込み書を書いて 長い列に並んでいる
僕たちの親父たちは第二次世界大戦を戦って
ジャージー・ショアで週末を過ごしていたらしい
そしてお袋たちと知り合いになり ダンスを申し込んで
優雅に踊っていたらしい
僕たちはこのアレンタウンという町で暮らしている
安らぎなんてないし ますますこの町は住み難くなっている
僕たちはアレンタウンで暮らしている
ペンシルバニアに逃げる手もあったけれど
先生たちはいつもこう言っていた
一生懸命働けば 立派にさえしていれば
必ず報われるとね
壁に貼った卒業証書も 結局何の役にも立たなかった
僕たちは要するに何が本当の事なのかということを
教えては貰えなかった
鉄にコークス そしてクロムニウム
地下にある石炭も残らず掘り尽くすと
連中は次々と逃げ出した
だけど 僕たちはまだ大丈夫さ
親父たちぐらいの根性はもっている
しかし 奴等が例の場所へ行く途中で
僕たちの顔をめがけて アメリカ国旗を投げつけたんだ
僕たちは このアレンタウンで暮らしている
善人をここに留めておくのは とても難しい
しかし 僕はここを出ていこうとは思わない
この町はますます住み難くなっている
だけど僕らはアレンタウンに住んでいる