その神経質そうで、か細い声の電話の主は、
是非とも当協会のコンペに参加してくれないかと
ねちっこく、かつなかなかしぶといので、
無料コンペはお断りの旨を伝えると、
では最低保証は支払いましょうと、
妙に真剣なのである。
ウチ等をどこかの会社と間違えているのか?
改めて名を名乗ると、間違いないという。
ならばということで、この協会をいろいろ調べると、
まずどうしようもないサイトしかもっていないことを知る。
全国的に「名の知れた団体なのになぁ」と、
私はひとりつぶやくのであった。
後日、競合は3社と判明。
で、現在の広報・宣伝の状況などをヒヤリングしたのだが、
実は内部で今後の方針を巡って意見がバラバラで、
全くまとまらない、
かつこれといったアイデアもなく、
全く方向性がみえない、
よって、コンサルを雇うことにしたとの経緯を聞く。
ふーん。
この協会がPRにかける年間予算はだいたい3000万。
コンサル料は10㌫くらいだったろうか?
などと考え倦ねているうち、
ふとイケルと、何故か思ってしまった。
全体の段取りがぼんやりと見えてしまったのだ。
が、まずコンペを勝ち抜かなくては元も子もない。
戦略としてはいろいろ策はあるが、
この場合は正攻法でいくことと決める。
奇襲は必要ないと考えた。
まずリサーチによるこの協会の知名度実証把握、
現在の広報・宣伝費を洗い出し、
その質と方向性、費用対効果などを詳細に調べる。
バラバラだったものの方向性をひとつに絞り、
媒体の変更などによる予算の組み換え、割り振り、
さらに媒体ごとの訴求も考え、ラフをつくり、
プレゼン準備を進める。
プレゼン当日、おおっとムカシ若かりし頃、
憧れていた大手も参加していることを知る。
△△エージェンシー
が、内心このプレゼンはイケルと確信する。
プレゼン本番はかなりの手応えで、
後日ウチに決まったときは「当然でしょ」と、
分かったいたようにうぬぼれる。
まあ、ここまでは自慢話。
流れからして仕方がない。
が、肝心なのはこの先なんである。
コンサルなんてやるんじゃなかった…
そればかり考えた一年になってしまった訳です。
なんでかというと、
この協会内部の力関係というか、
役員同士の人間関係というか、
これらがとんでもなくドロドロしていて、
アレコレと絡まった糸のようなもつれ、
収拾のつけようもない。
当初の協会からウチ等への依頼も空しく、
各自が自分たちの思い通りの方向へ事を進めようと、
この私を口説く、飲みに引きずり回そうとする、
果ては、こちらが思い通りに動かないと分かるや、
裏工作で足を引っ張る、反対する決議を引き延ばそうとする、
アレコレ難癖をつけて会議を無駄に終わらせてしまう等、
とにかくこちらとしては、
強烈なストレス攻撃を受けたのであった。
よくよく調べるに、どうもそれらの動機が、
それぞれに各業者と裏で繋がっている関係から始まっており、
こちらが費用対効果の悪い媒体とかを切ろうとすると、
鋭い反撃を食らわすのであるからして、
半年も過ぎた頃には、もうこれはある意味、
すさまじい内戦状態に陥ってしまったのである。
うわー険悪
この間、約一年でこちらがぶった切った媒体と業者は、
永年この協会をヤドリギのようにしてきた所ばかりで、
こちらの調査では、
クソの役にも立たない媒体と宣伝物ばかりだった。
あるとき、この協会の全体会議の後に行った飲み屋で、
懇意にして頂いている一人の役員から、
○○さん夜道の独り歩きに気をつけなよと
真顔で忠告されたときには焦ったね!
後日、こちらが取引停止をした新聞社のお偉方数人が、
「どいつだ、ウチを切るとほざいている奴は」と、
この協会に怒鳴り込んできたというから、
いい加減笑ってもいられなくなった。
怖!
しかしだ、
なかにはとても真面目に協力してくれる方や、
こうした協会の状況に危機感を抱いている役員の方々も
少なからずいてくれたので、
こちらも途中で逃げずに済んだし、
胃潰瘍寸前でなんとか「卒業」できたのだが、
結局、成果として、
当初の改革目標の半分も達成できなかったのである。
これがいまもって悔しく思うことがある。
過日、風の便りにきいた噂では、
この協会はただの飲み会の場と成り下がり、
元の業者となあなあの付き合いを開始。
協会の体たらくは末端にも広く伝播することとなり、
会員の数も激減と一途を辿っているらしいと。
「大丈夫か?××協会さん」と思わずつぶやいてしまった。
後、いろいろと調べて分かった事だが、
この狭い日本には、こうした得体の知れない法人、
訳の分からない利権集団がすこぶる多いのであ~るよ。
知らなかったなぁ…
という訳で、おおいに反省した次第。
しかしですね、まあとんでもない事も体験できたし、
とてもベンキョーになりました(汗)
とでも言っておこうか。