忙中閑あり、というより、
こんな物騒な時期とでも言おう。
春の陽ざしはとてもおだやかで、
空中をきらっと光って横切るのは、
小さな羽虫だった。
ツツジが咲き乱れ、程よい冷えた風が
丘を吹き抜ける。
白い雲が寸分留まらず、体を変えて
私の画面の左から右へと流れてゆく。
そういえば、こうして竹林を見たのは、
一体いつの事だったっけ。
中学への登下校時に確かこんな竹林を通っていた。
夏は、部活帰り、自転車を止めて涼んだ。
冬の朝、白く鈍く光るその竹林を抜けると、
一面の田が広がっていて
友達と霜柱を踏み潰しながら登校した。
日本庭園でよく見るししおどしって、
元は鹿威しとか獅子脅しとか猪おどしとか、
動物よけに考えられたものだそうだが、
水が溢れると鳴るあのカーンという音は、
なかなか風流ではある。
里山、鯉のぼり、古い民家そして苔…
これらは私が遠い過去に
日常的に接した風景であるハズなのに、
最近では懐かしいというより新しい、
カッコいいと思うようになった。
この変化は、まわりの進化が止まっている、
または私の中の進化が嫌気を指している証拠である。
そんなとき、
時代がひと廻りしたんだなぁと感慨に浸る。
相変わらず、世界は争いなくして物事の解決方法を
見いだせないでいる。
相変わらず、世界は進化という名の退化の道を
歩んでいる。