森の時間

 

早春の山あいを

いっぽいっぽ足を運んで

ボクは頂をめざす

 

まだ冷えた躰は

無骨な木の階段を踏みしめるたび

徐々に上気し

いつか汗も滲むほどになると

おおげさにいえば

生きているという実感

そんな素朴な回答にたどり着く

 

息継ぎもやや荒くなり

早朝の森のなかでひとり

ボクという小さな存在が

無意味とも思えるような

汗を流している

 

こうして

森という大きな存在に溶けてゆくと

この世界はやがてボクを受け入れ

歓迎さえしてくれるのが

分かってくるのだ

 

木々の葉は無作為に

そして不文律に

ひらひらと森の小径に

落ちてゆく

そこにはきっと誰も知らない

森の法則のようなものが働いていて

ある一定の厳格さを伴い

この一帯の調和を保っているのだろう

 

やがて視界がひらけると

突然あちこちから

さまざまな鳥のさえずりが

きこえてくる

 

それは森のうわさ話のようでもあり

話題の主はひょっとすると

このボクなのかも知れない

 

立ち止まって

ペットボトルの水をひとくち

それが格別にうまいので

改めてしみじみとボトルを

眺めてしまう

 

歩くこと45分で頂に到着

 

丹沢山塊の端の展望台から

湘南、横浜、東京を望む

 

そして小さく霞む

きっとあのあたりであろうと

検討をつけた一帯を凝視し

そこで暮らしていた頃のことを

あれこれ思い返す

 

良いことも苦い記憶も

幾年月の時を経て

やがて

この森のなかでは

さらにかすかな苦みさえ消え

無色透明に浄化されてゆく

 

ひと息ついて

さあ引き返そうと

また歩き始めると

あちこちでうっすらと木々が芽吹いている

 

目を落とすと

足元の小さな花が美しい

 

ゆったりとした時間

四季のうつろい

森のリズム

 

若い頃は気にも止めなかった

いや全く分からなかった

そのひとつひとつを

 

この森は

丁寧に教えてくれる

 

 

ジャズライブでスイング!

 

知り合いのジャズボーカリストの方(女性)が、

ライブをやるというので、

付き合いで出かけることにしました。

この方は、首都圏のライブハウスで、

けっこう活躍している。

 

生で聴くのは、今回がほぼ初めて。

 

そもそもジャズって苦手でして、

この手のライブは、過去に数回しか行ったことがありません。

 

ジャズは、なんだか気難しいという先入観がある。

そのムカシ、ちょっとジャズをかじろうと、

本屋で「スイング・ジャーナル」をペラペラと眺めるも、

書いてある事柄が難しくて分からないし、

そもそもアーティストも知らない人ばかりだった。

そのときから、私のジャズに対する印象は、

小難しい能書きの多い音楽。

 

それで固まったまま、今日まで来てしまった。

そんな訳で、ジャズ音楽を聴いても、

馴染みのある知っているもの以外、

受け付けなくなってしまっていた。

例えば、「A列車で行こう」とか「ドライボーン」

「テイク・ファイブ」、「イン・ザ・ムード」とか、

その位しか知らない。

アーティストにしても、

日野照正とか渡辺貞夫は知ってるが、

あとは顔と名前と曲が一致しないので、

ほぼド素人の域を出ない。

 

で、今回はそろそろその殻を破ろうかと、

奮起して出かけた次第。

 

事前にYouTubeでジャズを幾つか聴いたが、

どうゆう訳か不思議とすぐ飽きてしまう。

で、眠くなる。

 

「ジャズはだめだなぁ」と呟きながら、

それも力を振り絞って家を出ましたね。

で、早めに到着してしまったので、

時間つぶしのため、

駅前のドトールでコーヒーを飲んで、

やれやれとめざす店へ。

 

その店は横浜のローカルな場所にあって、

その存在を知らないと店の前を歩いていても、

ほぼ気づかないほどに目立たない。

 

さてとドアを開ける。

店内は薄暗くすでに人が集まっているようす。

クラシックなテーブルが7つ位置かれ、

それぞれ4脚のイスと、

ステージの脇には、

よく使い込まれた音響機器がズラリ。

 

どのテーブルもほぼ客で埋まっている。

皆、くつろいでビールなんかを飲んでいる。

入り口近くの、ステージから一番遠い席が

ひとつ空いていたので、そこに腰をおろす。

 

店内を観察するに、

皆、ご高齢かつ常連と思える。

が、町中でみかける高齢者とはなんか違うのだ。

先入観からなのか、どの顔もイキイキとしていて、

とてもおしゃれにみえる。

ついでにムカシ遊んでいたな、というオーラが

ピシピシと放たれている。

 

ボクはノンアルコールビールを飲みながら、

手持ち無沙汰でiPhoneをいじくったりする。

 

そのうち知り合いのボーカリストの女性が、

声をかけてくれる。

やっと知り合いがひとり。

こういうシチュエーション、

あまり好きではない。

 

このボーカリストの方はこれからステージで唄うので、

いつもとはちょっと印象が違い、

けっこう派手目な衣装をまとっている。

(そもそもプロの方だったので当たり前か)

 

「楽しんでくださいね!」

「ええ、お気遣いありがとうございます」

………

 

にしても居心地が良くないな。

これから約3時間くらい、

ボクはここでじっとしていなくてはならない。

わぁー、成田空港からサイパンまでの飛行時間が、

ちょうどその位のじかんだったなぁと、妙な事を考える。

 

彼女が去り、まわりをウォッチしてみる。

カウンターに腰を据え、

ウィスキーをガンガン飲んでいる人がいる。

傍らにサックスが置かれている。

その横にさらにふたり。

一見、客のようなのだが、いや違うなぁ。

本日のアーティストなのか?

いや、それであればアルコール、控えるでしょ…

とかなんとか眺めていると、

この3人がおもむろに立ち上がり、

ステージへ。

(ほほぅ、そういうことね)

 

お~、皆とてもリラックスしている訳だ。

家庭的!

ではと、こちらも薄ら笑いを浮かべ、

まわりに合わせて彼らに拍手。

 

しかし、こちらはなんの期待もしていない。

ひょっとするとボクは寝てしまうかも知れないのだから。

 

しかし、ライブが始まると、

自分でも驚くべき己の反応があらわれた。

それはとても意外過ぎるほどのものだった。

それはいまでも忘れられない。

 

よくジャズマニアが

真空管のアンプでしか聴かないとか、

どでかいスピーカーの下にブロックを置くと

音が良くなるとか、

レコードで聴かないと分からないから

デジタルは拒否するだとか、

そういうのは、彼らの見栄ないし虚飾だと思っていた。

 

が、いつもYouTubeばかり聴いている身として、

このライブを聴いてから、

確かにそうだよなと納得してしまった。

 

ライブで味わうテナーサックスは

泣いているようでもあり、

語りかけてくるようでもあるし、

ベースはリズミカルに心身にまで食い込んでくるし、

ジャズピアノのあの響き渡る心地よいメロディーと

スーパー・テクニックは、

まさにホンモノだと確信してしまった。

 

それに、そもそもあれだけウィスキーを煽って

精密かつエネルギッシュ演奏を

3時間も続けることができるなんて…

 

まあ、驚きです。

 

4曲目あたりから、彼女がステージに上がり、

「Fly Me To The Moon」を唄うと、

店内のムードはまたガラリと変わり、

それはそれで趣を異にし、とてもムーディーな訳。

 

なんかいいなぁ、ジャズ。

 

そのうちぜんぜん違う、

もうひとりの自分が現れたではないか。

 

結局、3時間はあっという間に過ぎてしまった。

ボクはといえば、ノンアルコールが身上なのに、

いつのまにか数年ぶりにアルコールを口にし、

唐揚げをバクバクと食い、

しまいの果てには立ち上がり、

いわゆる「スイング」という奴を体験してしまったのだ。

 

どうですか、この変容ぶり!

(信用ならないオトコですな)

 

これからひと月に一度はライブへでかけたい、

そう思っている自分があらわれてしまいました。

 

先入観って、良くも悪くも自分を縛ります。

その殻をひとつ破ってみた結果、

また面白いものを見つけてしまいました!

 

 

 

 

 

 

 

空ばかりみていた

 

少年の頃から

空ばかりみていた

そして

海沿いのまちで育ったぼくは

よく丘にのぼって

遠くの海をながめていた

 

空と海がまじり合うそのあたりは

おおきな弧を描いて

その境界線へ船が消えたり

船が現れたりした

 

それはぼくにとって

とても不思議なことだった

 

海のうえを飛んでいる鳥をみると

なんだかとても自由であるように

ぼくには思えた

 

空の高いところに

光る機体がみえる

ぼくはその行く先に

あこがれた

 

その機体に人が乗っている

ぼくには考えられないことだったけれど

 

風のつよい日は

白い雲がかたちを変え

ついには人の姿となって

ぼくに手招きをした

 

「いっしょに行かないか、

遠いところへ!」

 

あの水平線のむこうになにがあるのか

ぼくはよく想像した

それはアメリカとか中国とか

テレビを観て知った国ではなく

アフリカとかフランスとかイタリアでもない

 

それはまったくぼくの知らないところだった

 

ぼくがつくりあげたその世界は

すべてでたらめでできていて

空中に浮かんでいる

 

水平線のはるかかなたの

遠い空の上に

ぽかんと浮かんでいる

 

そこはどこもみどりがいっぱいで

大きな木がたんさん生えていた

くだものもたわわだ

 

そこにはいろいろなひとがいて

肌のいろもばらばらで

みなそまつな原始人のようなかっこうをしている

みんな笑いながらいつもくだものを頬ばっている

 

なんてのんきでおだやかなせかいなんだろうと

ぼくはよく思ったものだ

 

でたらめのおとぎのせかい

 

ぼくはいまでも空ばかりみている

 

 

東京さんぽ

 

久しぶりに東京へでかけた。

人に会うためとの大義名分のもと、

結局は息抜きの時間が欲しかった。

 

普段は神奈川の山間部で暮らしているので、

街の空気がたまに恋しくなる。

 

久しぶりに新宿駅で降りる。

なかなかの雑踏ぶり。

誰もあくせく急いでいる。

これぞ都会だ。

 

青山一丁目駅へは大江戸線が最短とわかり、

乗り場を探してウロウロするも、

気がつくと新宿3丁目あたりに来てしまった。

表示板に従って歩いたのになぁ。

 

で、大江戸線をあきらめる。

至近に千代田線の乗り口を発見。

そこから乗り換えて

青山へと向かうことにする。

 

それにしても大江戸線だ。

ネットで調べると

新宿駅から大江戸線に乗り換えるのは、

かなり難しい、

分からないとの書き込みが多い。

 

いつも思うのだが、

この国の鉄道をはじめ道路の標識サインなど、

とても不親切かつ分かりづらい。

そのくせ余計なサインが氾濫し、猥雑。

大切なサインを見逃してしまう原因になっている。

 

文句はこのくらいでやめにする。

 

久しぶりの青山・ツインタワービル。

地下のラーメン屋で、

野菜たっぷりの塩ラーメンを食す。

 

ここのラーメン屋は

かれこれ30年以上営業している。

ボクが友人3人と初めて会社を興したのが、

この青山一丁目なので、

ここはかなりお世話になった店だ。

 

そのオフィスは、赤坂郵便局の裏手にあった。

ラーメン屋を出て、そのビルへ足を運ぶ。

が、既に新しいビルに建て替えられていた。

 

当時を思い起こしても、

そのときからかなり古びていた。

夜はねずみの巣のようなビルだったので、

もうないだろうな、とは思っていたが。

 

付近を見渡すと全く見知らぬ街の風景が

広がっていた。

 

アジア会館で人と待ち合わせていたので、

そこで打ち合わせを2時間で済ませ、

早々に六本木方面へと歩く。

 

元防衛庁があったあたりは、

東京ミッドタウンとして、

なかなかハイカラな街に変貌している。

 

テナントをのぞきながら歩くも、

なんだかこちらに全く縁の無いブランドものの店が

ズラッと並んでいる。

 

↓イルミネーションもしゃれている東京ミッドタウン

↑東京ミッドタウンのビルはデカい

 

居心地がすこぶる悪いので、

六本木交差点を右折し、

霞町方面へとぷらぷらする。

 

すでに陽は落ち、

街は仕事帰りのひとひとひとで、

ごった返している。

 

外人率が異常に高いことに気づく。

歩道を疾走する自転車通勤の人も、

相当数いる。

皆、かなりおしゃれにみえる。

 

ムカシはこのあたりものんきで、

安い焼き鳥屋なども数件あったが、

いまはそんな商売は成り立たないのか、

とにかく単価の高そうな高級店ばかりが目立つ。

 

走るクルマは、ベンツ、BMW、アウディが、

なんのプレミアム感も感じないほど

普通に走っている。

我が家のまわりを走っている軽自動車率は、

ほぼ皆無。

 

なんか変だぞ、東京。

 

↓乃木坂あたりから見える六本木ヒルズ

 

翌日は朝から根津美術館へ足を運ぶ。

開催中の企画展に興味はないので、

かなり長い間、館のまわりをうろつく。

 

以前から、この美術館の建物に興味があったので、

やっと現物を見ることができた訳だ

 

↓根津美術館の軒下はなかなかの風情

 

 

↑都会にあってなかなかいい雰囲気

 

ここの外観を嫌というほど見分して

ふたたび表参道へ戻り、

待ち合わせた友人と昼飯を食う。

どこも人出が多くて、

そろそろうんざりする。

 

友人はこのあたりを根城にしている

アパレル系のバイヤーなので、

一年中このあたりに生息している。

 

ボクがこの街の感想を述べると、

ふふっと笑うだけだった。

 

ボクもかつてこの街で3年働いていたが、

そのころはとても良い街だった。

コーヒーは伝説の店「大坊」があったし、

四つ角の交差点近くには、

サンマ定食を500円で食わせてくれる、

おばあさんの経営する定食屋があったし、

夜食は「青山ラーメン」があったしなぁ。

 

同潤会アパートは表参道ヒルズとなり、

道路沿いはハイブランド店がズラリと並ぶ。

 

神南に用があったのでそのまま原宿まで歩くも、

やはり異常ともいうべき人の波に、

いい加減いらいらしてきた。

 

↑いちばん派手なプロモーションはやはりルイ・ヴィトンだった

 

山の手線の陸橋を越えて

明治神宮までくると、

ようやく静けさが戻る。

 

いやぁ、疲れる東京さんぽである。

 

神南の知り合いの店で、

特製の緑茶をいただいて、

しばらく歓談。

どうやらやっと肩の荷が降りたように

思えてきた。

 

疲労こんぱい。

 

そろそろ山へ帰ろう。

それが性に合っていると、

改めて自覚した。

 

↓マリオカートのようなゴーカートが公道を走っている。みな外人。あやしい。

 

↓裕福な知り合いのポルシェ。かっこいいよなぁ

激動の時代に

 

自分の身に起こるアレコレ。

それがたとえばケガとか病気、

はたまた宝くじが当たったとか…

 

何でもいい。

 

個々に程度の差こそあれ、

それをどう受け取るかは、

けっきょくその人の個性による。

 

人は感受性で生きている。

 

もろもろの思いが積み重なり、

幸不幸の判断材料とするのだろう。

 

 

人はせいぜい長生きしても、

100年の命。

そのわずかな、

いや永い時の流れのなかで、

日々心の在り方を培っている。

 

楽しいことも苦しみも、

ひっくるめて生きている。

 

決して他人にみえないなにかが、

その人を幸せにも不幸にも導いている。

 

 

―おもしろき こともなき世を おもしろく

すみなしものは 心なりけり―

 

幕末の志士、高杉晋作のことばだ。

「面白くもない世の中なら、

オレが面白くしてやろうではないか!

こころひとつでどうにでもなる」

そんな意味合いだと思う。

 

いま、心の在りようが問われている、

まさにそんな時代のような気がする。

 

難問を突きつけられているのは、

紛れもない私たちだ。

「こんな時代」と吐き捨てるか、

いや、と奮起してみるか。

 

それが、

これからの未来を左右する

鍵となるのだろう。

 

新年明けましておめでとうございます

 

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。

 

ここ数年、世の中がかき回されています。

私は、これにはけっこうアタマにきています。

コロナとか戦争…

いろいろな意味でです。

 

加えて、今年は金融もあやしいです。

どうあやしいのか?

 

ひとつの目安は、逆イールドカーブです。

これをひとことで説明すると、

日本国債の長期金利が短期金利を下回っている。

歴史を振り返っても恐慌の前には、

この逆イールド現象が起きているそうです。

 

よって私は、今年の株価の暴落も視野に入れています (怖)

(そもそも投資なんてやってませんが 笑)

 

さらには物不足。

物の価格もインフレ気味に上がっていますが、

いまのところは、欧米よりマシなようです。

が、食料不足が深刻化すると自給率の低い日本は、

かなり深刻になると予想されます。

 

こうしてアレコレと並べると、

嫌な予想ばかりになってしまいました。

(テレビのニュースとは違うなぁ)

 

新年そうそう、縁起でもないですね。

ぜんぜんおめでたくありませんね。

 

このくだらない予想が、どうか当たらないように、

この私自身も願っております。

 

では引き続き

今年もよろしくお願いします!!

 

byスパンキー

 

センチメンタル・ジャーニー

 

先だって富士におもむき、

初冬の紅葉を見に出かけたことを書いたが、

思えば、あれはあれで綺麗で美しいが、

ちょっと寂しくも感じるのは、

己の行く先を暗示しているようでもあるからだ。

 

 

いきものは、滅する前にもういちど華開くという。

紅葉は、きっとそのようなものなのだ。

 

冬は、万物が眠りにつくとき。

または、いきものの死を意味する。

だからこの季節は美しくも、もの悲しい。

 

永く生きていると、

或るときから死を意識する。

残された時間をどのように過ごすか?

その問いは果てしなく哲学的でもあり、

宗教的でもあるように思う。

 

いきいきと生きている先輩諸氏がいて、

さっさとあの世に行ってしまう

友人や後輩がいたりする。

 

死は知らず知らずのうち、

身近なものとして、

いつも私のまわりをうろついている。

 

若ぶるか、しっかり老け込むか…

分岐点に立つ人間は、そんなことさえ問題なのだ。

 

滅する前にひと花咲かせるとは、

まさに色づく老木の紅葉の如き。

なかなか粋な演出とも思えるけれど。

 

だから、紅葉には死のにおいがする。

紅葉があれほど美しいのは、

「生」というものに対する賛歌でもある。

 

こんなことを考えてしまう私はいま、

まさに生と死の分岐点に立ち尽くす

迷った旅人なのか。

 

いや、

未知の道を行く無名の冒険者として、

考えあぐねている最中なのだと、

肝に銘じている。

 

 

朝のうた

 

それはいつも

突然のできごとのように

つい思ってしまう

 

ベッドでボクが目を覚ますと

まず読みかけの本が目に入った

 

夕べ開いた

その本の内容を思い浮かべる

けれどそれは

すべて消えてしまって

なんにも覚えていない

 

徐々にだが

置時計のカチカチ音が聞こえてくる

手に触れるシーツの感触

うっすらと見えてくる白い壁紙

耳を澄ますと

外に人の歩く気配までしてきた

 

ああ新しい朝だと

いつもボクはそこで気づく

 

覚醒は進行し

ボクは起き上がって

戸を開ける

 

カーテンに飛び込んでくるあさひ

冬のキンと引き締まった冷気

 

それらがまるで

初めての体験のように

そのたびごとに

ボクは驚いてしまうのだ

 

枕元のペットボトルに気づいて

それを一気に飲み干す

 

朝はやはりというか

確実にボクの元に訪れたのだった

 

夕べ

ベッドで本を読みながら

そのまま消えてしまったボクは

気がつくと

この世界をふかんするように

遠いところから眺めていた

 

そこはなんというか

とても高いところのようであり

どこか別の空間のような気もする

そこは釈然としないのだが…

 

だから

新しい朝に生まれかわり

よみがえり

しかし予想どおりというか

一抹の不安のなか

この小さく些細なボクの朝に

ふたたび舞い降りることができたと

つい思ってしまう

 

毎日毎日くりかえす

なんの変哲もないこの朝に

だからボクは

深く感謝するのだ

 

横浜みなとみらい探訪

   

 

山岳部に住んでいると

時に海が見たくなる。

それも都会の海。

 

ボクが生まれ育ったところも、

横浜の工場地帯で海が近く、

しかしその海は

とても汚れていた。

 

今回はその対岸である

みなとみらい地区。

 

海をのぞくと澄んで底がみえる。

ここも以前はゴミが結構浮かんでいたのに、

最近はきれいになった。

 

みなとみらいは、

ボクが若い頃に突然あらわれた。

ここは以前、造船所だったので、

その印象が消えない。

 

当時、このあたりをクルマで通ると、

ものすごい金属をたたく音が、

鳴り響いていた。

 

日本が造船大国として、

世界に名をとどろかせていた、

そんな時代。

 

よって、みなとみらい地区は、

ボクにとっては、

新しいヨコハマである。

 

 

 

 

山下公園あたりの古い建物も、

まだ幾分残ってはいる。

が、保存する価値のある建物は、

手厚く守られているようだが、

それ以外は、スクラップ&ビルドの

憂き目に遭っている。

 

 

 

横浜公園は横浜スタジアムになり、

元町商店街は古びてかなりさみしくなり、

伊勢佐木町もなんだか勢いがない。

 

横浜駅の東口の海沿いから、

ここみなとみらい地区にかけては、

ほぼ未来都市の様相を施している。

夜に通るとそれは顕著だ。

 

 

で中華街で店をさがすときの話。

 

ボクは必ず裏通りをほっつき歩く。

毎回そうしている。

 

なるべく質素なたたずまいの店。

観光客がのぞこうともしない店。

セットメニューなどないし、

年寄りがのんびりとやっていると、

なおいい。

 

そこで適当なものを頼んで

のんびりと食う。

どれも必ずうまい。

なのに安いから、つい頼みすぎてしまうけれど、

ほぼハズレはない。

 

食後は、

伊勢佐木町の片隅にある小さなお店

アローザでコーヒー。

学生時代によく通った店だ。

 

ここは中華街からはちょっと離れている。

がこうしたコースを辿っていると、

懐かしい古い友人たちのことを思い出す。

 

だからと言う訳ではないけれど、

この新しい地区、みなとみらいは、

ボクのなかでは依然、実態の掴めない

幻のような地区であり、

それはそのまま東京のお台場や、

浦安のディズニーランドと一体を成す、

仮想都市のように思えて、

違和感のようなものが残ってしまうのだ。

 

多分、年のせいだとは思うけれど…

 

焚き火へGO!

 

前回の富士付近の旅行あたりから遊び癖がついてしまい、

今度は河原で焚き火です。

 

 

相方は、システム・エンジニアのF君。

シティーボーイながら、頑張って火起こしに挑戦。

(プログラムとは全く違うスキルなのですが)

 

薪も良いのを揃えたので、なかなかの炎になりました。

 

 

場所は、神奈川県の愛川町、中津川の河原です。

ここはよく来ます。

 

横浜の友人によく聞かれるのですが、

バーベキューと焚き火と何が違うのかと。

 

「焚き火ってなんか面白いの?」とも。

 

そうですね、バーベキューがエンタメだとしたら、

焚き火は、ちょっとキザですが「思索」です。

 

よってあの炎を眺めながら、

日頃は埋もれていた自分の内面の気づきとか、

アタマのどこかに隠れていた本能を呼び起こす作用とか。

 

まあ、アウトドア系の瞑想のようなものでしょうか。

 

話が盛り上がるならお互い饒舌にもなるし、

何にも話すことがなくても、炎をみているだけで、

何ら気まずいこともない。

 

焚き火ってなんだか不思議です。

 

単なる外遊びのような、カジュアルな儀式のような…

 

それでいてまた行きたくなる魅力がある。

 

けれど、やはり初冬の河原は冷えます。

陽が落ちると、気温がグングンとつるべ落としのように下がる。

 

 

 

 

この日は愛川町の気温が、夕刻7℃だったので、

おそらく水辺は3℃くらいだったかと思います。

 

河原には、泊まりとおぼしき本格派もいて、

キャンピングカーやジープやバンで来ている。

夕飯の支度に取りかかっている様子です。

 

アマチュア焚き火愛好家のボクたちは、

さっさと火の始末をして、

クルマのヒーターを最強にセット。

 

早々に家路につきました。

 

また来よう!!

 

↑シラサギが集まっていました

 

↑国産の広葉樹の薪が良い炎をみせてくれます

 

↑初冬の水面には沈黙という言葉が似合うような