不審な訪問者

まあ、自分を客観的に眺めて、割と不審人物の気配が漂っている、と思う。

が、中身はそんなに不審なことは考えてはいない。

たまに、なま暖かい風なんかが吹くと不審なことを考えるが、

そうそう実行に移したりしないのが、おとなというものである。

平日の午後、メシも食ったし、日射しなんかを浴びていると、

眠くなるのだ。で、うとうとしていたりすると、

不意に玄関のチャイムが鳴る訳。

以下の話は、私が奥さんから聞いた体験談を基に、
テキトーにでっち上げた話です。

●不審な訪問者 その1

「どなたですか?」

「あっ、どうも! にしかわです」

「えっ、にしかわ? どちらのにしかわさんですか?」

「にしかわです」

「だから、すいませんがどちらのにしかわさんですか?」

「ふとんの西川です」

ガチャ!

●不審な訪問者 その2

「近くで工事をしている者なんですけれど、ご挨拶にきました。

玄関までお願いします!」

「あっ、そうですか。チラシかなにかですか?」

「いえ、ご挨拶ですので、玄関までお願いします」

「お話はなんですか?」

「いや、玄関まで来ていただかないと」

「だから、なんのお話ですか!」

「チラシをお配りしているんですけれどね」

ガチャ!

●不審な訪問者 その3

「あっ、どうも! あの、通りがかりの者なんですが、

お宅の屋根、めくれていますね?」

「はあ?」

「だから、お宅の屋根が傷んでいると言っているんです」

「それは、ご親切にありがとうございます」

「屋根にあがって見ましょうか?」

ガチャ!

●不審な訪問者 その4

「○○さんのお宅ですよね?」

「はい、そうですが…」

「やっとみつかりました。お宅の家が」

「はあ…」

「いやぁ、あのですね、お宅の床下換気扇に発火の恐れがありまして、

で、こうやって調査をしている次第です。はあはあ」

「ホントですか?」

「もちろん、これは調査に基づいた訪問ですので」

「あっ、はい。で、どうすればよろしいのですか?」

「交換ですね」

「えっ、そうですか。…
…失礼ですが、おいくらかかるのでしょうか?」

「そうですね、30万くらいみていただければ大丈夫です」

ガチャ!

●不審な訪問者 その5

「奥さん、りんご買ってくれんかねー!」

ガチャ!

●不審な訪問者 その6

「となり町に住んでおります○○と申します」

「はい」

「最近、子供たちがとても荒れております。

そのことについて少しお話したいと思いまして…」

「いや、○○さんですか? ちょっといま忙しくてですね」

「あっそうですか。では、失礼ですが、お宅さまはキリストについてですね

どう思っていらっしゃるのか…」

ガチャ!

●不審な訪問者 その7

「あのですね、この辺りの担当をしています○○の佐藤と申します。

いま、光回線の調査をしているのですが、お宅の光回線と××の光を比べてみた結果、

××の会社の回線が圧倒的に安いことが判明しました」

「そうですか、それは主人がよく存じていますので、いまはいいです」

ガチャ!

(再びピンポーンとチャイムが鳴り続けるので、やむを得なくインターホンに出ると…)

「いいじゃありませんよ! 奥さん!どういうことですか!」

再び、ガチャ!

↑の件に関しては、後日私がいたときに同じ奴が来たので、二度と来れないよう話をつけました!

繁盛するサイトをざっくり考える

●看板は重要

反応率の高いサイト、よく売れるECサイトというのは、

トップページにおいて、まず見やすい、一目で内容が分かることが

なにより優先順位の第一となります。

なにをやっている会社なのか、ひと言でいうとどういうお店なのかを

ズバッと語っている、またはデザインで見せている。

これに尽きます。

特に、看板は大事。

●写真にひと工夫を

ここでは、キャッチフレーズとビジュアルのコンビネーションは欠かせません。

当たり前だけどね。

で、写真などは、皆さんあまり難しく考えずに載せることもあるとあるとは思います。

が、訪問者はその写真を、実に真剣にチェックしています。

新鮮さをアピールしたければ、そのように。おいしさを見せたければ、そのように。

また、人柄を伝えたければ、そのように撮らなければならない。

ここはひとつお金とアタマを使いましょう。

●直帰率を下げる

また、デザインに関しては、センスは良いに超したことはありません。

業種によっては素人っぽいサイトに人が集まる、というデータもあるようですが、

センスが問われる業種は、やはりデザインに力をいれなければ、お客さんは帰ってしまいます。

トップページで、直帰率を下げる。

これはもう至上命令のようなもので、サイト内で引き続き滞在してもらうことは

コンバージョンへの第一歩といえます。

次を見てもらう、また興味がもてるサイトというのは、

以上のようなエレメントが欠かせません。

●特長を具体的に伝える

例えば歯医者さんなら、どんな先生がどんな技術とサービスであなたに治療をしてくれるのか?

そこをズバッと語りたいものです。

無痛治療をしてくれる、とか、噛み合わせについてのオーソリティーであるとか…

そのような特長付けは、訪問者の興味をそそります。

上述のどんな先生が、というのは、やはり顔写真は載せたほうが良い結果が得られる。

これは、実証済みなので、後は実行あるのみです。

だいたい、歯医者なんて星の数ほどあるので、選ぶ方も大変です。

口コミサイトもアテにならない。

とすれば、ここはしっかり語る必要がある。

で、細かいことを言えば、院内は清潔第一であるとか、駐車場が広いとか、駅近であるとか、

そうしたメリットを、ひとつひとつ、しっかり語ること。

歯医者さんの場合は、実際に通うので、マップもしっかり載せたい。

この場合は、絵地図などの個性的かつ面倒なものは省いて、グーグルマップ。

これで良いのです。

●サイトコストと売り上げは比例する?

こうした積み重ねが繁盛サイトを生むのですが、本気で制作するとなると、

実はかなり面倒くさいもの。

時間もコストもかかります。

いま、こうした手間をかけない、いわゆる見積もりで安いサイトが幅を利かせています。

これはハッキリ言って間違い。

●検索順位を上げる

繁盛するサイトというのは、当然ながら、或るキーワードに於いて、

上位に位置しているものなのです。

検索順位でも優位に立っている。

でないと、まずお客さんは訪れません。

例えば、おいしい産直の魚が食べたい。

そんな思いで 産地直送 マグロ というキーワードで

検索する。

と、誰でも検索の1ページから見ますね?

で、慎重な方とか丁寧にみる方でも、だいたい3ページまでが限界でしょう。

だって、疲れますからね。

で、ここで大事なことは、やはりキーワードの選定と、

それに伴う検索順位を上げる技術が必要になる、ということ。

●内容の薄いサイトは検索順位も下がる

ここを説明するのはかなり大変なので、ざっくり話すと、

まず、ぺらぺらなサイトなどはつくらないこと。

いまどき、薄っぺらなサイトは、内容も希薄。

いくらテキストを詰め込んだところで、検索エンジンには見向きもされません。

制作コストを下げると、売り上げも落ちる。

事実、こうした話はよく聞く話ではあります。

語ること、伝えたいことをしっかりメモし、

それを各カテゴリー毎に分けて、サイトの設計を考える。

この作業は言い換えれば、

訪問者にとっても親切なサイトをつくることと同じ結果となるので、

よくできたサイトというのは、検索順位も自然と上がることとなります。

●検索エンジンの特徴

現在、検索エンジンというのは、そのサイトへ訪れる人の滞在時間などもチェックし、

そうしたデータをも蓄積しています。

それを元に、検索順位など、結果が反映されるので、

やはり良いサイト、為になるサイトづくりは、必須といえましょう。

ざっくり話しても、以上のようにかなり面倒な話になるのですが、

これが現在の繁盛サイトのアウトラインです。

ノンアルコールビールという市場

ノンアルコールビールが登場したとき、果たしてこんなものが売れるのか?
こうした予想は誰もがしていたように思う。

パチモン、偽物。

当初はネガティブなイメージがつきまとっていた。
が、意外にも、ノンアルコールビールは、欧米では古くからあった。
アメリカの禁酒法とか宗教上酒を飲まないアラビア諸国への輸出とか。

そうした需要だから、やはりメジャーな商品にはなり得ないし、少しづつ廃れていく。

しかし、日本におけるノンアルコールビールのポジションは、
そうしたネガティブを次第に払拭しつつある。

メーカーとしては、それなりの調査に基づいたうえでの決断なので、
売る自信があったのは当然のことと思う。
が、英断には違いない。
冒険的マーケティングという用語があるのだろうか?

私の酒飲みの友人は、この飲み物を邪道と斬り捨てる。
が、或るときからアルコールを止めた私としては、
ノンアルコールビールは、気になる存在だった。

そもそも、アルコールを止めた一端が、自宅が駅から離れていて、
クルマが手放せなかったのが一因であり、
深夜のタクシーのバカ高さに呆れたことに始まる。
重ねてその頃、アルコールを飲むと鼻が詰まって苦しくなる症状を発症、
自然と飲む気が失せていった。

以来、酒は止め、あれ程足繁く通った酒場へも、
ピタリと行かなくなってしまった。

が、性分は変わらなかった。
或るときから、酒場に未練が出てきた。
やはり、あの雰囲気が落ちつくことが分かった。
それが大衆の焼き鳥屋だろうと気取ったバーだろうと、
どこでもOKということも確認。
最近はよく、食事の際に、ちょっと立ち寄るようになった。

ドリンクは当然ノンアルコールビールとなる。

私的には、タイムリーな飲み物であり、味も遜色ない。
酔えると言ったら嘘になるが、それに近い気分を味わえる。

ノンアルコールビールは、そのポジションが微妙な位置にあり、
性急に考えると、ネガティブまたは不要のものと考え勝ちだ。
が、よくよく考えると、そこに商機はあったのだ。

そのキメの細かいマーケティングは、
私たち日本人にしか発想し得ないものとも思える。

例えば、お酒の飲めない人たちに、飲むというスタイルとマインドを味わってもらう。
また、お酒を飲まなければならないシーンで、飲めない人がそれなりに飲めるもの。

かようにこの商品は、場とシーンで、
そこにどんな商品があるとみんなハッピーか、から発想されている。

パイは多くはないが、その市場は確実に存在する。
そこに、新しいライフスタイルも垣間見える。

そこを掘り当てたのが、日本のノンアルコールビールという商品なのかも知れない。
冒険的マーケティングの勝利だ。

流星

アジル流星群が見られるのは

次は98年後らしいよ

日本という国の春の丘に寝そべって

アタマに手を組み

僕らは

真夜中の宇宙を凝視する

(光りの流れる方へ瞬時に反応するよう

夕方少し目を休めたんだ)

その流星は

だいたい南西に降り注ぐ

テレビの事前情報だが

こうして見ていると

決してシャワーのように

現れたりはしない

目を休めたのね?

そう、寝たのさ

多恵はこのいまの状況を

まるで把握していない

今日のこの夜の天体ショーの意味に

ふたりの相違はある

僕は修正を加えることもしなかった

ただこの宙を

多恵と見たかったのだ

多恵は現実主義者で

常に貯金の残高を気にしている

そこがかわいい

僕はこのときのために

昨夕

走らせていたクルマを脇に止め

弱い夕陽に照らされて

シートを倒し

爽やかな目覚めがくるよう

濃いめのコーヒーを飲み干してから

仮眠していた

そのことを多恵に話すと

ふーんと

頬杖をついた顔をこちらに向け

私はずっとメールしていたのよ

と言った

眠くないのか?

うん、眠い

………

もう疲れたね

そろそろ帰るか?

うん

僕らは立ち上がった

もう2時間もいたんだよ

時計を覗き込むと

午前3時45分を差していた

明日キツイね

帰り際に南西の宙を見上げると

線香花火のような光りが現れ

すっと一筋流れると

遠い海の上の群青色に消えた

見えた!

見た?

見たよ

僕は

そのとき思った

この地上ってなんだか

良いこともなかったような

いろいろあって

面白くもなかったような…

いや

だけど

割と楽しかったし

まあ今日まで暮らしてきたんだしと

そんなことを考えていた

そして多恵の肩に手をのせる

寒いね

うん

ホントは抱きしめたい

多恵

お前と次に再び出会えるのは

何年後かな?

そう考えると

今夜の流星は

僕にとっての約束なのだ

僕はあの流星に約束した

忘れないでくれよ

僕はいつかいなくなるだろうし

多恵だってもう少し…

同じなんだよ

でも僕たちは生まれかわりたい

そして地球の丘で

再び多恵と

この流星を見るのだ

なあ多恵

また一緒だぞ

なあ多恵

また一緒にこの流星を

見ような

98年後に

また同じ時代を生きてみたい

僕は酒を煽っている

毎日毎日

飲んだくれることにしたんだ

(このとき僕は寿命を縮めようと考えていた)

多恵の細いうなじが

日に日に張りを失っていて

今夜は足もおぼつかない

多恵、大丈夫か?

うん

多恵のシルエットは

まるで背景の暗さに溶けていくかのように

真夜中の闇と同化してゆく

多恵

うん

俺、やっぱり酒やめるよ

やり直してみる

頑張るからさ

それがいいよ

またこの流星

一緒に見ようぜ

ええ

だけど98年後でしょ?

一緒に見よう

決めたんだ

うん、分かった

また会えるといいね

また会える

そうするよ

多恵はもう永くはない

けれど

一端捨てたものを

また拾い集めて

僕もなんとかやっていこうと思う

多恵

帰ったら寝てなよ

うん、疲れた

ごめんな

高次ってそらが好きだね

なんで?

なんでって

この宙が

俺たちのことをずっと覚えてくれていると思うからさ

だって他に誰が覚えていてくれる?

いいね、そういうのって

そうだろう

だから俺は好きなんだよ

宙が

高次

死んだらどうなるのかな?

死んだら私どこへ行くのかな?

いいか

よく聞けよ

死んでも俺の近くにいろ

どこへも行くな

そうやって毎日毎日考えるんだ

うん、そうする

俺はまた働いて金貯めて

その金でお前のことなんとかなるように

頑張るよ

そんなことってできるの?

分からない

だけどそうするよ

うん

そうやって生きていれば

なにかこうパッとひらけるっていうか

なにかできる

そんな気がしてきてさ

独りになるって寂しいね

独り?

多恵、お前を独りにはさせない

俺から離れるんじゃないぞ

多恵、いいか

俺から離れるんじゃないぞ

多恵はそれから一ヶ月後に

あっけなく逝ってしまって

僕は泣きながら約束のことばかりを考え

いっそ泣くのをやめようと必死にこらえて

それから多恵にずっと

言い聞かせているんだ

「多恵、どこへも行くんじゃないぞ

ずっとここにいろ」

仕事が終わったあと

僕は細胞のことを調べ

宇宙の研究論文を読みあさり

時間と空間の移動について考え

ある宗教の教えを手がかりに

死後の世界を探索している

「要するに多恵、

お前の復活について

俺はずっとずっと

手がかりを探している」

そしてこう思うんだ

僕はアタマが良くないけれど

人はまた出会えるんじゃないか

強く思えば

また再会できるんじゃないか

とね

僕は科学的人間ではないけれど

非現実的なことを考える人間だけど

ひょっとして

人はもっと簡単にできていて

もっと強くできていて

それが惹き合えば

そうして願っていれば

いつか会える

とね

どうだい?

多恵

俺の声が聞こえるかい

多恵、

俺の声が聞こえるかい?

スパンキーの随想 その2

最強の共働き

山下達郎・竹内まりあ夫妻が、おのおの3枚組アルバムを出した。
いや、竹内まりあは3年前だけど、この際、同時期としておく。

で、私みたいな横着が聴いているので、さぞ売れていると思う。

それにしても、ふたりとも、いいうた歌うなぁ。
で、懐かしい。
特に、達郎の「ダウンタウン」は、私が出版社の新入社員の頃に流行っていて、
エポが唄っていました。
初期のウォークマンで聴いていたので、印象に残っています。
確か、新譜のページでレビューを書いた覚えがあります。

桑田佳祐・原由子夫妻も高級な(?)共働きですが、
いまは山下夫妻に軍配が上がる。
なんたって、達郎の音づくりが凝りに凝っている。

天災・人災

いま関東地方に住んでいるって、かなりリスクなのか?

いろいろと恐ろしい記事に出くわす。
今度は、首都圏に地震がくる、富士山が噴火するとか…

東北の次は、こっちになるのですかね?

あーあ、全然関係ないですが、
私は最近般若心経を買い直しました。
元々好きなんですが、やはりなんというか、
救いなんでしょう。
いまは、こうしたものをじっくりながめる時間が欲しいです。

あと、例の件で中国と一触即発ですね?
冷静に考えて、戦争なんてろくなものではないのは、
みんな知っている。
とにかくまあるく収まって欲しいものです。

あと、アベノミクスですが、これって失敗すると、
酷いインフレが起きそうな気がするんだけど…

かつてない危機が、依然として居座っています。

神頼みならぬ仏頼みです。

パピルス

電車のなかでケータイではなく本を読んでもらいたい…
そんなコピーの募集が、ある本に出ていたと息子に聞いた。
そのある本の表紙をみると、なんと懐かしい「ブレーン」(宣伝会議刊)

うーん、なかなか難しいお題、
とりあえずコピーを練る。

で、こんなん考えました↓

「紙に触れる指は、脳を休める、らしい。」

どうでしょ?

キャッチフレーズは、コピーのなかでも肝なので、
そこが難といえば難。ムズカシイ。

つくる過程で、特別の集中を要する。
新聞や雑誌のヘッドラインもこれに近いような気がする。

詩は、こうした要素が連続して要求されると、
私的には考えています。

ただし、素養は違いますけれど。

黄色いワーゲン

フォルクス・ワーゲン・ジャパンが、ビートルの新モデルを、
大々的にプロモートしています。
TVコマーシャルには所ジョージを起用。良い人選していますね?

で、黄色いビートル。洒落ています。
エンジンは、いまの時代を反映してダウンサイジング。
エコですね。

ちなみに私は、昔、オレンジ色のビートルを中古で買い、
改造に100万吹っ飛ばしてしまいました。
オイルショックの頃でしたが、全然エコなんて分からない時代。

空吹かし、全速で走る―これが私だけでなく、当時の若者の
クルマの扱いでした。

いまはもう年なので、選ぶならノンターボ。
淡いベージュのノーマル仕様のかぶと虫なんかがいいです。
これで、のんびり日本をまわるなんて、夢ですね。

湘南ビーチFM

このラジオ局、正直あまり知りませんでした。
周波数も最近知りました。
我が家は元々電波が入りづらい山あいなので、
Jウェーブとかも雑音だらけ。

エフヨコはよく入るのでたまに聴いていましたが、
湘南ビーチFMのほうが、なんだかすっと入ってくる。

このラジオ曲は、葉山マリーナの一角にあるらしいので、
横浜のランドマークタワーにあるエフヨコより、
より庶民的。というより、センスも良い。

で、最近ではネットでラジオを聴いている訳ですが、
雑音もなくクリア。
千葉のFMだって聴けるから凄いです。

ついでに、世界中のFMが聴けるアプリもありまして、
ラジオって結構世界中の人が聴いているのが分かる。

流行の曲から、ロック、ソウル、民族音楽の他、
なんでもあり。

ヨーロピアン・ジャズなんかも聴けます。

ネットは、いわばハサミです。
使い方次第と思います。

介護の迷宮

最近、知り合いから聞いたのですが、
知り合いと繋がりのある人の話によると、      
老人がその施設に入るとだいたい顔見知りになる。

で、最初は結構元気そうだったのに、
どの老人も次第に弱々しくなるという。

そしてだいぶ経ってから会ったりすると、
車椅子に乗っていたりすることが多いそうな。

うーん。

最後は、その方の顔を忘れてしまう位、
状態が悪くなっているのが常だそうだ。

その施設は、とにかく慢性の人手不足らしい。

帰宅を目標に一時入所するリハビリ施設のハズなのですが、
その施設の前に住んでいるある人の話が、
最近とても気にかかる。

そして後悔の念も…

ガキの文化

テレビを観ていて、いまどうしようもないのが歌番組。
ひいき目にみても、いい歌がない。
というか、惹かれるアーティストもいない状況。

ももクロなんていうのは、ギリギリ頑張ってもらいたいが、
秋元康プロデュースは、ホント飽きた。
というより、最初からうんざりなんだけどね。

モーニング娘のときもイライラしたが、AKBにはホント、
さっさと消えてもらいたい。

伊集院静さんも、昔はアイドルの作詞をしていたが、
いまはおとなの流儀なんかをきっちり語る人なので、
こういう人にAKBのことを聞いてみたいものだ。

ついでにいえば、これが日本のレベルと思われたくない。

もっといいアーティストは日本にいっぱいいるんだぞ!

君の瞳は10000ボルトか?

堀内孝雄(アリス)のヒット曲「君の瞳は10000ボルト」。

この曲は、資生堂のアイシャドーのCMに使われた。

いや、正確に書くと、この曲はCMのためにつくられ、

思惑通り、商品もヒットしたということになる。

いまから、かれこれ三十数年前の話だ。

そもそもこの楽曲は、或るコピーライターの発案から生まれた。

それに、谷村新司さんがイメージを膨らませて歌詞をつけ、

堀内孝雄さんが曲を作った。

そのコピーライターの名は、土屋耕一。

広告業界に長居していて

この名を知らない人は、まずいないだろう。

彼の代表作に、微笑の法則というのがある。

これも柳ジョージ&レイニーウッドがヒットさせている。

他、ピーチパイ(竹内まりや)、A面で恋をして(大滝詠一)等、

いまでは考えられない、ことばの力をみせつけた人だ。

彼のことばのセンスは、私が思うに、

美的に優れていたこと。

そしてなにより洒落が効いていた。

「軽い機敏な仔猫何匹いるか 土屋耕一回文集」(誠文堂新光社)を

読むと、彼のことばの操りの妙がみれる。

・なぜ年齢を聞くの

・あ、風がかわったみたい

・肩のチカラを抜くと、夏

・ああ、スポーツの空気だ。

・太るのもいいかなぁ、夏は。

・女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。

これらは、彼のセンスが光る代表的コピー。

何気ない文なのに、気にかかるものがある。

なぜか、心に響いて余韻が残る。

彼が或る雑誌のインタビューに応えていた。

それによると、君の瞳は

1000ボルトではなく100000でも1000000でもなく、

君の瞳は10000ボルトなのだそうだ。

それは理屈ではなく、勘。

そんな主旨のことが書かれていた。

現在は、コピーライティングも

セールスレターのように、

ダイレクト・レスポンスが求められる。

緻密になったといえば、その通り。

実利といえば、致し方ない。

が、余韻が残るものがない。

たとえ、花より団子でも

うまい団子は喰いたい。

それがコピーセンスの差になるのだと思う。

まなざし

愁いた視線

気の強いまなざし

そのメッセージは

小動物の鳴き声のように

全身に絡みついて

離れず

いつからか

あなたを追う羽目になり

そうして巡る旅が

今日まで続いて

空虚だけが

私の宙に浮かんでいるけれど

過ぎた年月は

幾度となく

過去と絡み合って

混濁を生む

ああ

愁いた視線

気の強いまなざし

あの日

あなたは

素っ気なくて

だけど

僕は

そんな時を超えることもなく

今更する引き返すこともなく

記憶のなかで

あなたがわずかに微笑んだことも

知っているから

相も変わらず僕の宙には

空虚だけが

ぽかんと口を空けている

スパンキーの随想

ことばに棘のある日は

気をつけなければ…

邪気が胸の鼓動から

すっと入ってくるからね

楽しいことも辛いことも

うたかた

だから酒があり祭りがあるんだよといつか聞いた

そうだよな

過去を振り返っていろいろ考える

…あれで良かったのかなと

そんなときは自分を褒めてあげる

だってそれしかないじゃないか

久しぶりに酒を口にしたい晩は

疲れているのか いや ほっとしているのか

それでたしなみというものが分かるらしい

海の向こうになにがあるのか

そうして心がざわざわすることが

若いということ

志が舞っているのだ

再び起き上がれないことがある

ときにあきらめることも…

そんな自分を受け入れることも

いいんじゃないかと思う

晴れた日にはそのように

雨の日にはそれなりに

生きていければいいと

思うんだけどね

人は生まれつき

悲しみに満ちていて

そこをどう埋めるかという作業に

私たちは

一生を費やしている

eブックメデイアの進化

電子書籍が広まっているが、世間の反応はさまざまだ。

制作コストが低いので、当然売価も低く抑えられている。

他、かさばらない等、良い反応もあるが、

当然ネガティブな評価も多い。

曰く、やはり本は紙に限るというアナログ派の意見が、

多勢を占める。

電子書籍の軽々しさに較べれば、実体も重さもリアルな書籍は、

やはり権威もありそうだ。

今後、大事な本は書籍で、ちょいと読む本はeブックで。

こういう人たちが増えている。

弊社も電子書籍関係企業とのアライアンスがあるが、

それによると、クラウド上に本棚を設置し、

好きなときに好きな本をダウンロードして読む。

そんな感覚。

で、本棚のアイコンもいろいろデザインできるが、

やはりクラッシックなデザインを好む傾向がある。

これも振り幅の大きさを物語っている。

で、弊社が推し進めたいのは、企業パンフレットとか、

改訂が頻繁に起きるマニュアル類をターゲットにしている。

これらの印刷コストや改訂コストを考えると、

印刷会社様には悪いが、費用が掛かり過ぎ。

こうした分野で、電子書籍は威力を発揮する。

版権の絡んだものとか、著名なものは扱わない。

要は棲み分ければ良いというのが、弊社の姿勢だ。

デバイスは、ほぼなんでもOK。

いろいろなチョイスに応じますが、

御社でもひとつ検討しません?

※この記事は、弊社ビジネスブログに掲載したものを転載しました。

いまでも想い出す、フレーズ

「よう、これで遊んできなよ」

若い頃、良くない連中と付き合っていた時期がある。
と、その筋の先輩からポンと10万円入りの封筒を渡された。
そのときに言われたことば。
一瞬回りの空気が固まったのを覚えています(笑)
もちろん後日返却しましたが、
あのときもしあの10万円を使っていたら、
私の人生も間違いなく悪い方へ…と思うのですが。

「だってお父さんとお母さんが好きなんだもん」

ウチの長男が保育園に通っていた、ずっとむかし、
なんだか原因不明の登園拒否になりかけてしまい、
彼に「なんで?」と話したところ、
うつむいて発したことば。
あれから、うん十年。
いま彼は、一人前風で、デカい面をしている。

「今日まで、お疲れ様でした」

夏の暑い日の朝だった。
姉のマンションで突然亡くなった父。
電話を受け、飛んで行ったものの、
私は頭が真っ白になってしまい、
ただ父の遺体に頭を下げ、
無意識にこのことばを繰り返していました。
(もっと話しておけば良かった…)
後悔だけが残ります。

父は結局苦労人だったと思います。

「俺みたいな大人をなめるんじゃないよ」

中学生のとき、城ヶ島で散々泳いで民宿に忘れ物をし、
京急の三崎口で、たまたま通りかかったパトカーにその事情を話して
乗せてもらったことがある。
いわば、タクシー代わりにパトカーに乗ったことになる。
計器類をいじくっていたとき、かなりかんに障ったのだろう。
ドスの効いた話し方に、ガキながら権力を手にした親爺の怖さに、
返ってむっときた私でした。

「お天道様がみているよ」

小さい頃から、おふくろに散々言われ続けたことば。
おてんとうさまとは、太陽のこと。
人目にさらせないようなことは絶対にするなと、
おふくろは常に私の行動を信用せず、脅し続けていた?

だってお母さん、雨とか曇りの日はお天道様いないよ 
と言い返し、何度か叩かれた覚えがあります。

「都会という森に棲む、ということ」

品川駅の海側の開発地区のビルを歩いていたときに、
思わず浮かんだフレーズ。
緑もあってとても素敵な空間だったのですが、
言いしれぬ閉塞感に突然息苦しさを覚えて、
そうした神経を鎮めようと思いつく。
だって、こうでも考えないと、
私はもう都会には出掛けられないなと…

人はことばで変る?

「もうプールで泳ぎたくないよ!」

娘が幼稚園の頃、風邪が長引いて数日寝込んでいたとき、
憂鬱顔を泣き腫らして、私たちにこう言いました。
うーん、いまは真冬だし、
スイミングスクールにも通っていないし…
ハテ?
「分かった、泳ぐの、やめようね。」

最近、娘にこのことを尋ねたら、
「私ってあの頃ネガティブだったのよね」
ふーん。

「産んでくれて、ありがとうございます」

おふくろを亡くしたとき、こんな陳腐なことばしか
出てこなかった。これってよく聞くフレーズですが、
考えるにやはりよくできたもので、
結局いまもこう思っています。
ある意味、普遍的なフレーズ。

これに尽きる! そう思います。