1.
最近、コンビニへよく行く。主目的はタバコなのだが、
なぜか、ついで買いをしてしまう。
水や雑誌類ならまだ良いが、コーヒーに始まり、おにぎり、
サンドイッチ、肉まん、唐揚げと、私の食べるものは進化している。
おかげで、どこのコンビニのなにが美味いかが分かるようになった。
また、これらをクルマの中で食しながら、iPadでネットをしたり、
メールをチェックしたり、ついでにコーヒーを頂き、タバコを吸ったり…
こうなると、もう自宅の居間の感覚。仕事のデスク感覚ですから。
ケータイもあるし、もう内も外もなし。ONもOFFもない。
これが自由なのか不自由なのか、自分でもよく分からないが、
コンビニの罠にはまっているのは確かだし、確実に太っていることは
自分でも分かっている。
街中へでかけても、同じような行動、形態、食生活。
知らない間に、確実になにかが変わっている。
2.
ちょっと古くなってしまったが、映画館で「三銃士」、
「タンタンの冒険」を観て、レンタルで「ツーリスト」、
「ナルニア国物語3」を鑑賞。
でドキュメンタリー映画「ライフ」と立て続けに観た。
先の「三銃士」とタンタンは、封切り中に行ったにもかかわらず、
なんだか面白くなかった。
三銃士は、ラストに近づくに従い、
パイレーツ・オブ・カリビアンとどこか似ていて、
海から空へ舞台を置き換えただけのような気がした。
ストーリーにも映像にも新鮮さがない。
タンタン…は、スピルバーグが永年あたためてようやく実現した、
という触れ込みになのに、肩すかしをくったように面白くない。
主人公の探偵の少年は、とにかくとんでもない事件に巻き込まれるのだが、
彼と連れの元船長が超人的な生命力で、ビックリ。絶対に死なないし、
疲れない。こうなるとハラハラドキドキを通り越して、安心して観てしまった。
3G映像は秀逸なのに残念だ。
ツーリストはジョニー・デップの正体がラストまで分からず、
思わず唸ってしまった。がナルニア…は、イカン。
で、思ったのだが、神話や童話を原作にしたハリウッド映画は、
奇想天外で特撮も凄いが、こちらがもう驚かない程に、来るとこまで
来てしまったのではないだろうか。
3.
一方、「ライフ」はドキュメンタリー映画。
副題に、いのちをつなぐ物語、とある。
オープニングは、草原に一本の木が立っていて、
背景に美しい星座が回るところから始まる。
そして北極の果てしない氷の大地を空から観たシーン。
カメラは或る一点にフォーカスされる。
四方数キロに誰もいない氷の上で、オットセイがただ一頭で子供を産む。
そして、この親子をモーレツなブリザードが襲う。
母親は子供を守るため、氷ついた体で、吹雪と風の盾となる。
なぜこんな所で子供を産むのか? 答えは簡単だった。
天敵がいないからだ。
アザラシは、いつも集団で生活するものと思っていたが、
そうとも限らないらしい。
さすが、イギリスBBC放送の製作だけあって、
映像が鮮やかかつ精緻。カメラワークを観ても、
どうやってどこから撮ったのかという驚きのシーンが続く。
時間もお金もたっぷりかかっているな。
撮影は、世界にまたがり、
南米、アフリカ、アジア、アメリカ大陸、中国、ヨーロッパ。
海、陸、空それぞれの映像とさまざまないきものが主人公だ。
この映画のメッセージが秀逸だ。
生きるとは、
食べること、愛すること、家族をつくること、そして守ること。
とてもシンプルなメッセージ。
ひねくれた私に、なぜ生きるか、という問いに、
この映像は明快に答えてくれる。
あと、いきものは、みんな分け合って生きている、といこと。
この分け合って、というのが大事な点で、
我々人間の営みに? がつくところだ。
うまく言えないが、人間以外は皆バランスを知っているように思える。
知らないのは、人間だけなんだろうな…
また、映像のなかの主人公は、ときに強烈な愛をみせる。
それは、時にいのちをかけて闘う覚悟であり、
身を犠牲にしても子供や仲間を守ろうとする強さだ。
それは私たちといういきものも同じだろうが、
遠い何処かへ置いてきたもののような気がしてならない。
たとえば、私たちが普段喰っているタコも、感動の対象だ。
タコのメスは、生涯一度っきり卵を産むが、
この一度にいのちのすべてを賭けている。
卵がふ化し、泳ぎ始めるまで6か月間、
母親はここをピクリとも動かない。
子供がやがて泳ぎ始めると、タコの母親はそれを見届け、
そこでいのちを閉じる。
これは本能だけれども、愛でしょう。
そう思えてくるなにかがある。
理屈を簡単に超えるとは、このことだと思う。
4.
私が尊敬する職業に、登山家というのがある。
登山家はすげぇーと思うのだ。
近所の山へハイキングに行くだけでへたばっている自分がいる。
ああ、情けない。
登山家は、冬山へでもアタックする。
私の知り合いだった方は、ロッククライミング中に事故に遭って
亡くなってしまったが、生前のこの方の日頃のトレーニングは半端なかった。
仕事時間中も、常に小さな動作で、腕・足を動かし、
筋トレを繰り返していた。
自宅の壁には石を埋め込み、そこで毎日崖登りの練習を繰り返していた。
酒はいつも程ほどで、楽しい酔い方をする方だった。
彼の目に、登山家に、山はどのように映っているのだろう。
登山は、帰りの余力を計算に入れ、ぎりぎりの体力と選択のなかで、
前に進む。
冬山のマイナス20度のなかを行くとは、どうゆう世界か。
私のずっと年下だが、登山家の栗城史多さんは、自書のなかで、
こう語っている。
「苦しみを受け入れると楽になる」
ちょっと分かるような分からない言葉とも受け取れるが、
きっと登山家がもつ精神の強さなのだろう。
彼は、日本人初の、単独・無酸素エベレスト登頂を果たしている。
他、世界の山々も単独登頂で制覇。
しかも、自分の行動を逐一ネットで世界に配信する機材も、
自ら運ぶ。
これは、並の登山家にも不可能だと思う。
彼は、選ばれた人間かも知れないし、少し表現を変えれば、
神に一番近い人なのかも知れない。
が、彼の肉体は、日本人男子の標準以下だし、
登山のエリート教育を受けた訳でもなく、
金なしコネなしの普通の大学生から登山のスタートを切った人だ。
彼の本のなかで、満天の星を見下ろす、というくだりがあるが、
これこそ常人には見ることのできない景色。
富士山のご来光も見た方も然り。
羨ましくも、凄いなと思う。
私はこれから死ぬまで、果たしてこうした景色を見ることができるのか?
すべては、まず挑戦しなくてはなにも始まらないのだが、
まずは、コンビニ通いをやめることから始めなくてはと思う。