夢のない時代

政治・経済共に行き詰まってくると、
何もかもがシビアだ。

給料の目減り、失業率の悪化、
そして、
この先に何が待ち受けているのか知らないが、
見通しは暗い。

こんな時代の若者たちは、総じて元気がないと言われる。
(だが、年寄りは元気にみえる?)

私見だが、小さくまとまっている、保守的、
そしてよい子が多い。
これが、現代の若者観だ。
(不良は年寄りに多いような?)

で、草食だの何のと世間では言われているが、
これは時代が生んだ傾向だろう。

追い打ちをかけるように
大人が「夢をもて!」なんてハッパをかけるが、
そこは私も含めて、時代錯誤なのかも知れない。

なかなか夢の描き辛い時代なのだ。

いまは亡き、あの坂本九が「明日があるさ」という歌を
ヒットさせたのは、いまからざっと50年くらい前か?

あの頃、日本は右肩上がりの高度成長時代が始まった頃で、
とにかく誰にも仕事はあった、らしい。

どんな仕事でも
働けば、給料はどんどん上がってゆく。

そこで、テレビや冷蔵庫、クルマやマイホームに至るまで、
買いたいものは買える。

頑張れば、何とかなったのだ。

そんな時代に「明日があるさ」は、当たり前のように
ヒットした。

転じて現在は、
本当に明日があるのかと、
いろいろな人が心底不安に思っているのではないか?

若者だけでなく、私たちは不安の時代を生きている。

明日がある、なんて呑気なことは言っていられない。

だから、今日をないがしろにする者に明日はない、
という程、世間は厳しい。

そんな時代に、私たちは生きている。

せめて、若者だけに重責を負わせるようなことは、
してはならないと思う。

が、しかし
ルーマニアの作家コンスタンチン・ゲオルギュは
なかなかの名言を残した。

ーーーたとえ世界の終末が明日だろうと、

     私は今日

       リンゴの木を植えるーーー

要するに、
金があろうがなかろうが、
それが夢なのかどうか分からなくても、
せめて、好きなことくらいは、
貫き通そうぜ!

ということのように、私には解釈できる。

いや、そのようにありたいと思う。

忘れかけた詩

ひとつふたつ

ことばを紡ぐ夜は

忘れていた人を想い出す

まだ幼い笑顔

美しく

真っ直ぐだった

ただ

いまは灰になりけり

部屋に転がったオルゴール

木づくり水車のオルゴール

カラカラと回すと

五木の子守歌

忘れかけた遠い世界

いまはもうない僕の部屋に

美しい君がいた

加湿器の湯気が立ち上る

汽車の走る音

受験勉強の頃の自分がいた

あの頃

一体何の夢があったろう

いまは昔

或る夢砕け

それでも僕は歩く

真昼の酔い心地のように

かすかな三日月の輪郭

すべて忘れなさいと

自分に言い聞かす

春に聞いた初めての話

泣くしかなかっただろう

それはいまでも

波間の向こうに

あなたがいるような

宵の空を見上げたり

位牌に手をあわせるも

心むなしく

前を見よと教えられても

やはり戻り振り返る

自分がいた

やさしく強く

心正しく清く

そんな文句にそそのかされて

それでも

人は一途に生きているのに

歩く、に目覚めるの記!

かれこれ1年使っている
ケータイをいじり回していたら、
万歩計があることを今更ながら
発見。

普段は、アンドロイドケータイが便利。
で、古いケータイはなおざりだった。

通話できればいいやのケータイに、こんな機能があるとは!

気がつかなかった。

で、ちょっとこれをセットすることにした。

というのも、最近よく喰うお陰で、
腹、通称お腹が出てきているな、と実感。

これは歩くのが一番と思ったからだ。

或る日、
歩数を覗いてみたら、350歩位という
信じられない不健康な日があり、
これではいけない。ということで、
ケータイ万歩計を意識して、歩く日を増やすことにした。

所用で横浜の関内へ出かけたとき、
翌日は休みということで、ふと歩き回ることを計画。
で、そのまま関内に居座り、翌朝から行動に移す。

朝は11時にホテルを出て、関内から石川町までの一駅を
京浜東北線で電車移動。

さあ、歩くぞ!

石川町駅へ降り立つのは、何十年ぶりだろ?

細い道に連なった商店街はまだ、
眠たそう。

あっちこっち寄りながら、歩け歩けの始まりだ。

元町の中程まで来ると、ショーウインドウに
格好いい革のショルダーバッグを発見。

誘われるように店内に入ると、
良さげなデザインのコートや靴のほか
革製品がズラリ。

歩くのを忘れて見とれていると、
中からこれまた格好いいおっさんが出てきて、
私をこちらへこちらへと、奥へ誘う。

そこには、様々な革のジャケットがビッシリ並んでいて、
これまた気になる奴ばかり。

ちょっとその気になり、羽織ってみる。

「これは良いな~」

革の肌触りも良いし、よく見ると縫製も丁寧だ。

で、値札を見て驚いた。18万円!

とっさに歩くことを思いだし、
その店をさっさと逃げるように出る。

歩け歩け!

元町通りの最後まで歩いたところでケータイが鳴る。

やはり仕事の電話。

興ざめするも、
陽差しがまぶしく街がきらきらしているので、
全然OKという気分になる。

このときケータイをチェック!

確か、まだ3000歩位だったような気がする。

で、川を渡り中華街へ。

ここはどこも相変わらずうるさいし、
看板もド派手。

人もぐっと増えて、心地よくは歩けない。

思えば、元町はかなり閑散としていたな?

人混みを早足で歩く。

で、何故かパワートーストーンのお店に目が止まり、
中でアレコレ物色をする。

歩くの、中止。

水晶の原石のようなとがったものと
丸い玉が気になる。
ついでに、何の石だったか、
龍の置物も良いのがある。

えーい、みんなまとめて買ってしまえ!

ここでかなり時間を取りすぎた。

昼も過ぎ、いい加減に腹が減ったので、
前々から行きたかった萬来亭で
メシを喰う。

もう2時だというのに、かなりの混みよう。

ここの上海焼きそばは絶品で、
太っても構わないからガンガン喰う。

ここは、女優の余貴美子さんの
行きつけらしい。

土曜の朝のTVでみたぞ。

で、店を出て上機嫌で歩いていたら、
「占い」の文字が目に飛び込んできた。

「マズイ!」
(オレは占いマニアだったのだ)

ふらふらと立ち寄る。

金の出入り激しい
しっかり貯金しなさい
老後は安泰
死ぬまで仕事するわよ

で、我に帰り、再び歩き出す。
(死ぬまで働く?)

中華街も飽きたし、ここは日陰が多いな。

で、海へと方向を換え、山下公園へ向かって
ひたすら歩く。

やがて視界がひらけ、日差しのありがたさを
たっぷり味わいながら、山下公園着。

ここでケータイチェック!

おお、7000歩かよ!
憧れの一万歩が、射程距離に入ったなと
ニヤニヤする。

公園を一回りして、ベンチに腰掛けると、
その回りをハトが歩いている。

割とかわいい顔立ち。
歩き方も面白い。

こいつ、どっかで見たことあるなと思っていたら、
中学の時の同級生の顔が浮かんだ。

あいつ、生きているかな?

年を取ると、思い出し方もシュールとなる。

こうしちゃ居られない、という訳で、
今度は背後にそびえ立つマリンタワーへと向かう。

確か、マリンタワーは今年で50周年。
エフヨコでそんなことを言っていたのを思いだす。

思えば、私はこの横浜港の対岸の街で生まれ、
いつも丘の上からこちらを見ていた。

懐かしいことこの上ない場所に立っている訳だ。

で、マリンタワーの色も赤白のツートンカラーから
シルバーへと様変わり。
(センスはイマイチ)

下には洒落たオープンカフェもできた。

そこはどうもしっくりこないが、今日は上へ行くぞと、
入場券を買い、エレベーターに乗り込む。

ああ、浜っ子なのに、私はこの上に、
過去1度しか昇ったことがない。
それも幼少の頃なので、今回が初めてのような感じ。

ガラス張りで、外がリアルに見えるエレベーターは、
正直恐いな、と思う。

展望台からは、快晴の首都圏が一望だ。

房総半島あたりから都心のビル群や東京タワーを始め、
いま話題のスカイツリーも見える。

で、神奈川県の平野部とその向こうの丹沢の山、
そして、本牧あたりの工場群から、遠く箱根や富士山まで見える。

絶景だな!

と、私の視界のなかに米軍の大型ヘリが複数。
群れをなし、ゆうゆうと関東平野を飛んでいる。

この一瞬ばかりはかなりムカついた。

思えば、いま私が住んでいる地域も、
どうも米軍の飛行路らしく、
毎日決まった時間に、上空を軍用ヘリが飛ぶ。

横須賀基地と横田基地を結ぶ空路と思われるが、
いろいろな意味でかなり苛つくのだ。

気を取り直して、やれやれとエレベーターを降り、
近くのニューグランドへと向かう。

ここの旧館のカフェは、イケテルので、
パンパンの足を投げ出して、
コーヒーとケーキを頼む。

いやいや、痩せなくてもいい。
私は歩いて健康になるんだと、
自己正当化へと、ひとつの理論をまとめる。
と、コーヒーも美味いがケーキも美味い。

まだイケルがそうもいかず、投げ出した足を
さする始末。

ここでケータイ万歩計をチェックすると、
驚いたことに9000歩を達成。

俄然やる気になってきた。

で、ホテルを後にして歩こうと思ったが、
近くにみなとみらい線があったことをふと思いだし、
そっち方向へと安易な決断を下す。

こうして、何だかんだと私の一万歩は、
その日の夕食時に達成したので、
嬉しくて回転寿司をたらふく喰い、
砂糖のたっぷり入った缶コーヒーを飲みながら、
家路に着いた。

家で最後のケータイチェック時は、一万3000歩!

もう足が痛いし、怠いので、これは疲労したなと思い、
寝る前に明治のチョコをたらふく喰って寝た。

ああ、健康とは何だろう?

自由と孤独

自由を愛するものは

いつの日か

孤独のメカニズムを

知ることとなる

誰もいない海へ

船を漕ぎ出し

憧れの島へと

たどり着く

あなたの好きなこと

あなたを愛する人

あなたの愛する人

一切を

捨てられるか?

総てを忘れ

終わりなく船を漕ぎ出す孤独だ

例えば

温かさがあると思えば

繋がりがあると思えば

自由は

容易なのかも知れない

歓びと悲しみを

誰かと分かち合うということ

苦しみを涙を

あなたと味わうということ

そして労り合う

孤独を胸に沈める

心づもりなら

自由の仕掛けは

歓びそのものだ

だが

カモメのように

飛んでください

トビウオのように

泳いでくださいとは

戯言

たったひとり

そして誰もいなくる現実

意識の果てと向き合う

孤独

漆黒の空を見上げる

孤独

海の底で

千年笑って暮らすことに

希望をもつということ

そう

自由を愛するものは

この広い世界の

最後の人間という

孤独の総てもまた

愛さなければならないのだ

日付変更線その2

前号までのあらすじ

(南の島で、僕のHONDAのバイクが
山の中でトラブルを起こし
エンジンストップ!

ホテルまではもう少しなのだが
辺りはみるみる暗くなってくる始末

あきらめかけた僕は仕方なく
星空を眺めるハメに…)

ジャングルから遠吠えのようなものが

聞こえてくる

近くの木がガサッと揺れる

やはりのんびりとはしていられないのだ

再びバイクにまたがりキックを開始する

ひとつひとつのキックに祈りを込め

それは30回程も続いただろうか?

と、突然クルマのライトが近づいてきて

私の横に止まった

今日初めての対向車だ

ダットサンのピックアップトラック

運転席から、若い白人の女が顔を出す

「どうしたの?」

「トラブルさ」

「動かないの?」

「そのとおり」

女はその高い鼻に指をもってゆくと

目を上に向けて何かを口走っていた

その横顔が月明かりに浮かぶと

かなりの美人だった

「OK、どこまでなの?」

「この先はホテルしかない」

「そうだったわね」

と言って、女はひとつだけ条件を出した

それはホテルの300㍍手前でバイクも僕も降ろす

という条件だった

「OK! それより空が綺麗だ

一緒に眺めないか?」

「あのね、私はいま急いでいるの!」

「分かった分かった」

荷台の板を引きずり降ろし

バイクを力いっぱい押す

荷台の上で彼女がHONDAのステーを掴んで

引っ張り上げる

やはり白人の女は力がある

と思った

僕がHONDAを押し上げると

「もっともっとパワーを使え」

とほざいている

程なくして、ふたりは

滝のような汗まみれになる

ようやく荷台に収まる頃には

なんだが目と目の合図に

違和感もなくなっている

「ありがとう!」

「いいのよ、じゃあ行くわ」

「ちょっと待って」

「なに?」

「感謝の印に、僕に何か奢らせてくれないか?」

僕は髪をかき上げている彼女に

スーパーで仕入れたミネラルウォーターを

渡す

「いやいいわ」

「どうして?」

「当たり前でしょ?

こういうときは誰でも助けるでしょ

それがルールなの

それ以外何もないわ」

こっちを向いた顔が

デビュー当時のジョディー・フォスターに

似ている

「分かっているよ

しかし僕は君に感謝している

ここで朝までいるのはホント

辛いからね

それを救ってくれたのは君なんだ

僕は君に感謝してなにがいけないのかい?」

「確かにあなたの言うとおりだわ」

彼女はミネラルウォーターを口にやりながら

少し笑顔になった

「OK! じゃあ明日、コロールのカープレストランでどう?」

「いいわ」 

「ところであなた、どこから?」

「東京からだよ」

「やはりね」

「なんで分かるの?」

「なんでって、東京で疲れた男は

みんなこの島へ来るのよ」

「そうか、僕もその一人という訳だね」

「そういうこと」

「で、あなたは?いや名前なんて言ったっけ」

「ジェニファーよ」

「ジェニファーは何故この島にいる?」

「なんでそんなこと聞くの?」

ダットサントラックのなかで、

彼女はニューヨーク出身で、いまは

彼氏とこの島に来ていることを

教えてくれた

しかもかったるそうに

ホテルの手前と言ったって

真っ暗だ

ふたりでHONDAを下ろすと

彼女は再びトラックに乗り込んで

そっとホテルの入り口に消えた

僕はHONDAを引っ張りながら

ジェニファーの訳ありな言葉の

ひとつひとつを反芻した

ホテルの内庭に入り

バイクの持ち主の島のボーイを呼んだ

「やはりトラブルか」

彼は笑いながら、この故障はしょっちゅうだし

今度直そうと思っていたことを

話してくれた

「申し訳ない」

彼に素直に謝るとそんなことは

どうでもいいじゃないかと言ってくれる

お礼になにかおごるよという僕の申し出に

じゃあ飯でも食わないかと誘ってくれる

「OK」

つづく

日付変更線

島の内海に向いた

急斜面に立つコテージの一室で

僕は冷えたジントニックを飲み干す

冷房が程よく効いた部屋

マングローブの繊維で編み込んだという

ベッドの脇の敷物に寝ころんで

かったるそうに回っている

天井のファンを眺めている

昨日チェックインしたとき

フロントの金髪の女性から

電話は使えませんと聞いていた

なんでも頼りの海底ケーブルが

切れたという

「深海の鮫が餌と間違えて囓ったのか!」

この先一週間はどの国との連絡も

やりとりもできない

「こちらには好都合だよ」

ホテルの裏に転がっていたHONDAのトレールバイクを借り

僕は、首都コロールへと向かう

とってつけたような「スピード出すな」の標識を無視して

砂利の山道をかっ飛ばす

バベルダオブ島と首都コロールを結ぶ橋を渡ると

少しづつ掘っ立て小屋のような人家がみえる

舗装路に入るとHONDAを一気に加速させ

島で唯一のスーパーにたどり着く

強い日差しはもうだいぶ傾いていた

インスタントラーメンの他

缶詰や簡単な日本食をカゴに放り込み

ジンを2本とコロナビールをケースごとレジへ運ぶ

景気の良さような日本人と見て

レジの女の子が意味深な笑顔で28ドルと

言い放った

「ありがとう」

カートを押してドアを開ける

日差しは弱まってはいるが

ここは南洋だ

HONDAの荷台に慎重に荷物を括り付ける

脇の木陰で犬が腹を上に向けて寝ている

その向こうにも若い男が寝そべっている

南の島では寝そべることは

とても大事な行為だということが

最近になって分かってきた

必死で働いて生き甲斐を得るという価値観は

ここではあり得ない考え方なのだ

みんな自然の摂理に従っている

吹き出す汗を拭くまでもない

キック一発でHONDAは始動し

島の一本道を疾走すると

風が汗を乾燥させ

遠いリーフの白い波しぶきが見えれば

もうここの住人と同じように

振る舞えるような気がした

コロール島とバベルダオブ島は近代的な橋で結ばれ

ここを通り過ぎる頃は家々の明かりがつき始める

バベルダオブのジャングルの中の砂利道に再び入る

辺りはほぼ暗闇だ

唯一偶に設置された電灯と空の月明かりを頼りに

慎重に砂利道を飛ばす

が、南洋神社を過ぎた頃から

アクセルのスロットルとエンジンの回転音に

嫌な感じの誤差が生じ始め

もう少しで下りというところで

エンジンは止まり

いくらキックしたところで

エンジンは回らない

汗が再び噴き出す

今度の汗は冷や汗かもしれないな

と自分に聞いてみたものの

ここではそんな思考はエネルギーの無駄だ

いい加減に疲れ果て

道ばたに座り込んでたばこを咥える

気がつくと回りはしんと静まりかえっている

荷台から水のペットボトルを取り出し

一気に飲み干す

煙をずっと眺めていよう

日本との時差は一時間だが

ここは南半球だ

日付変更線を越え

南回帰線の近くの小さな島で

空を眺めるのも悪くはない

そう思うことにした

見上げた空は

ちょっと言葉では言い尽くせない

迫力があった

「輝く星座」という歌があるが

僕はあのメロディーとリズムを聴くと

カラダの隅々が空の彼方に

吸い込まれるよな感覚に陥る

その夢のような心地が

いまはリアルに感じられる

僕はそのとき生まれて初めて

煌めく南十字星を見た

(つづく)

アナログ最後の日

テレビをみていると、画面の右上にアナログと出る。
そうだよ、アナログだよ、と私。

いちいちうるさいテロップだな。
画面の下には、地デジの工事は来年になると混み合います、
というような内容のテロップ。

ホント、ウルサイナ!

私は、このでかくて重くてアンティークなテレビが好きなんだ。
ホントは、どうでもいいサンヨーのアナログテレビなんだけどね。

実は、電気屋には何度も足を運んでいる。

テレビ売り場でぼぉーと幾つもの画面を眺めるも、
とっさの判断力と分析に欠ける私は、
みんな同じにみえてしまう。

さて、何がなんだかが、よく分からない。

冷静になって一つひとつ眺めるも、いろいろな機能の意味が、
いまひとつ理解できない。
値札も何枚もあり、どれがホントの値段なのかも不明。

こんなとき、どこからともなく店員さんが近づいてきて、
「どんなものをお探しですか?」とくる。

「四角いの、やはりテレビは四角いのがいいね!」と私。

店員さんは、明らかに引きつったウスラ笑いを浮かべ、
絡みづらい奴だなぁコイツ、みたいな感じになり、
しばらくしてどこかへ消えていく。

私は自分で、この目で、テレビを選びたいんだ!

が、ブルーレイだのW録画だのと言ったって、全然分かんないだけどね。

そもそも私は、テレビをあまりみない。

ホントに疲れたときに、テレビをつける。なぜなら、ぼぅーとして
何も考えなくて済むから。

または、ホントに見たいものだけしか観ない。

なので、私にとってのテレビは、日課のなかのほんの一部に過ぎない。

当然、テレビ探しにも気合いが入らない。

だから、ホントはテレビの機能や諸々について知ろうともしないし、
どうでも良いと思っているフシがあるのも認めよう。

併せて、地デジというのがいまひとつ良く分からないのも事実。
地上デジタルなんて、なんで今頃なんでなんすかね?
空には衛生がぶんぶん飛んでいるでしょうに…。

で、こうなると、こっちも持久戦の構えとなってゆく。
テコでも動かない決意。

このダサイ、サンヨーのアナログとずっと付き合っていこう!
と、割と情の深い私。

こうなると、楽しみは来年だ。
アナログ最後の日、デジタル元日の日を、
この目でしっかりと見届けようという希望まで湧いてくる。

たとえば、
ある朝、眠い目でテレビをつけると、
画面いっぱいに砂嵐のような映像?が流れる。
「おっ、アフリカだ!パリ・ダカールラリーだな」と私。
で、いつまで経ってもザーザーという音声と共に、
画面も延々と砂嵐。

これを3時間眺めたあと、私は二度とテレビに近づかなくなり、
後はFMても聴きながら、出かける支度でもするだろう。

こうして私の前からテレビは消え、次第にその必要性さえ感じなくなる。

静かな生活はいいもんだ。
テレビなんかいらない!

が、或る日、好きな映画なんかがテレビでみたくなり、
再びテレビを買おうかな、などとおぞましいことを考える。

このとき、私はとんでもないデカイ奴を買うことにしよう。

で、気に入ったハリウッド映画や世界遺産を扱った番組とか
「生きもの世界紀行」のようなものをじっくりみるのだ。

そんな日が来るのか来ないのか、私自身全く不明だが、
そんなときの私のささやかな希望は、
テレビ画面から、
みの●●や小倉某とかいう司会者とか、
AKB云々とかのド素人女子軍団とか、
エビゾーとかの話題とか、
つまんねぇクイズ番組なんかは、
綺麗さっぱり消えて頂きたい、
ということだ。

(知ってるなぁ!)

恋人

やっと試験合格。
転職が決まって、朝9:00に初出社した。

みんなやさしく僕を迎えてくれて、
ここは長居できそうだと思った。

ここは、コピーライターから作家に転身した
ある有名な女史も在籍していたということで、
自分も頑張らねばと…。

ところが、なんだか面白くもない仕事が
あるもんだなぁ、と企画書を眺める。

しまいには、くだらない仕事だと結論を出すのに、
3時間かかった。

昼時。先輩の方々に飯に誘われ、
西麻布の小洒落たレストランで奢ってもらう。

いまでも濃い味だったこと以外、その店のことは
何も覚えていない。

申し訳ないなと思いながらも、
午後一で、「私、辞めます」と言って、
広尾の駅までとぼとぼと歩く。

外の空気が美味かった。

排気ガスまみれの、
通りの空気が美味かった。

午後の空いた日比谷線に乗り、
こんな電車、二度と乗るもんか、と思った。

自宅のマンションには誰もいないので、
僕は彼女が入院している病院へと
直行する。

「どうしたの?」と、彼女。

「会社、辞めてきた」

「なんで?」

「………」

僕は、つわりで入院している彼女に
早く会いたかった。

調子はどう?

かなり良いよ

そう、良かった

彼女の手を引き、
ふたりで病院の屋上へ出て、
洗足池のあたりを眺める。

また、いつものように
とりとめのない話。

次の日も、また次の日も、
僕は病院へ通い、
彼女の残した食事は
僕がたいらげた。

彼女が退院しても、
しばらく僕は家に居て、
彼女ととりとめのない時間を
過ごした。

あとで気がついた事だが、
僕はあの頃、
働くのが嫌だったのではなく、
あの会社の仕事が気にいらなかっのでもなく、
自分が働いている最中は、
抜け殻だったということだった。

あの頃、僕は彼女と一緒にいたかった。

ただそれだけだった。

冬景色宗介の気まぐれ日記

或る日

この日ばかりは、仕事を放り出して、丹沢でたき火。
メンバーは、たき火歴30年の湘南の画家S氏と、
某キャンピングカー雑誌編集長と我が息子の総勢4名。

紅葉真っ盛りの丹沢湖でひと息吐いたあと、改造クライスラーのバンと
海外製キャンピンカーとくたびれた赤いボルボの3台が山中を行く。

「落石注意」の悪路を慎重に行く。途中の湧き水スポットで、S氏が
ポリタンクで水を汲む。コーヒーには最高、とのこと。

S氏曰く、丹沢のなかでもここは最高、のシチエーションスポットに
辿り着く。
急勾配な斜面からは、時折小石が音を立てて落ちてはくるが、
眼下を流れる清流の音が心地よい。

あとは、木々が風に揺れる音と、鳥のさえずりのみ。

ケータイの電波なし。で、一同ほっとする。

たわいない話がとても心地よく、気がつくと辺りは真っ暗。
冷え方も半端なく、足元からしんしんと冷気が漂う。

闇のなかのたき火は、一種幻想的でもあり、じっと見つめていると
心身がほぐれてゆくのが分かる。

みんなでけんちん汁や中華まんじゅうを喰い、紅茶で体を温める。

この夜は曇り空で、星はうっすらしか見えない。たき火を離れると、
もののけの気配? いや、明かりに慣れすぎた生活への反省しきり。

或る日

湘南の某ホテルの一室で、或る企画に則った参考メニューの試食会。

テーブルの上に、和・洋・中華の特注料理が勢揃いすると、これらが
低カロリーかつ薬効の効いた薬膳とは、一見して分からず。ボリューム感も
それなりにたっぷり。

本物のヘルシー食の神髄を見たような気がする。

各料理長の説明に、ケータイで音取り。何枚も写真を切るも、
食材とその調理法を聴くにつけ、この料理のプライスが気になる。

ひとつひとつを吟味するも、すべてにおいて味は淡泊。中華の八角と、
イタリアンの冷製スープが出色の味だった。

帰り際に見た夕暮れに、富士山のシルエット。すかさずカメラに収める。

が、帰路腹が減り、性がないので通りがかりの一口茶屋のお好み焼きで
腹を満たす。あ~、味の落差が激しいな。

或る日

健康診断の結果、目の異常が記されていたので、一応検査のため眼科へ。

事前にネットでチェックするも、緑内障の予備軍のような記述しかみられず、

かなり気分が落ち込んでいた。

視野検査というものを受けるも、かなりこの中身が、目には辛い。

片眼ずつ、じっと箱のなかの光をひたすら追いかけ、そのたび毎に、

手に持たされたスイッチを押すという作業を延々と続ける。

まばたきをすると、一瞬の光を見逃すとかで、極端に目開き状態を続ける。

涙がボロボロと溢れ、終いには気分が悪くなり、頭痛さえ起きてくる。

看護師さんに事前に「この検査ってとても大変なのよ」と言われた意味が、

検査後につくづく分かった。

が、結果はいまのところ異常なし。でほっとするも、
今後もこの検査を定期的に続けなさい、とのこと。再び嫌な気分になる。

或る日

休日。早朝の散歩に出ると、快晴。朝日がまぶしい。今日は残り仕事を

しようと思っていたが、急きょ予定を変更し、出かける支度をする。

奥さんを連れて、東丹沢のしっぽのような低山のハイキングに挑戦。

うっそうとした、樹齢200年もあろう大木の間の急坂を歩き始めるも、

いきなり太ももが痛くなる。(あ~日頃の運動不足が悔やまれる)

が、ここで引き返しては、この晴天に申し訳ない。無理矢理歩き続ける。

辺りが雑木林に変わると、木漏れ日がきらきらと光る。

足も慣れてくると、今度は息が上がってくる。喉が渇く。

山の中腹にある神社でお参りしたあと、社内の湧き水をがぶ飲み。

また、ひた歩く。と、落ち葉をひきつめたようななだらかな道で、

思わずはしゃいでしまう。踏みしめる毎にしゃりしゃりと落ち葉の音。

こんな素敵な道を歩くのは、覚えている限り、神宮外苑のいちょう並木

の下を歩いて以来、ん十年ぶり!

途中、チョコやクッキーを補給しながら、展望台に到着。

快晴の空の向こうに、新宿の高層ビル群や横浜のランドマークタワーが見える。

思えば、ムカシはあっちからこっちをよく見ていたことを思いだし、

奥さんと感慨に浸る。

下山すると腹が無性に減り、ケンタでフライドチキンにむしゃぶりつく。

やはりダメだな、

ストイックでスマートなおっさんにはなれそうもない。

清潔な時代

今年もまた、インフルエンザが流行しそうな気配だ。

外から帰ったら、手洗いと、うがいは欠かせない。

先日TVを観ていたら、手洗いも徹底的にやらないといけないらしく、

手術前の外科医のように、とても丁寧かつながーい手洗いを推奨していた。

これは、めんどくさがりの私には無理だ。

うがいにも、コツがあるらしい。

ガラガラという音の音程を変えて、うがいをする。

アタマの角度を変化させて、うがいをする。

これも、私にはかったるい。

近頃は、街のどこにでも、消毒液のスプレーが常備されている。

一度試してみたが、手がガサガサになってしまい、

以来、一度もこのスプレーには触らないようにしている。

私が幼い頃は、みんな青っ鼻を垂らしていた。

いま思えば、とても不潔そうなのだが、

これは、ウィルスから体を守る防御システムが働いての

鼻っ垂らしらしい。

拾ったものを食べて疫痢になった友達もいたが、

彼の家は、保健所からきた人達に徹底的に消毒され、

しばらく使えない家になってしまった。

いまは疫痢という病名さえ聞かなくなった。

貧乏も減り、清潔で良い時代になったとも思うが、

ちょっと危惧することがないでもない。

思うに、日本は先進国のなかでも飛び抜けて清潔である。

そもそも水道水がそのまま飲めるというは、

日本という国が、自然からの恵みの豊かさと

インフラの整備が進んでいる結果といえる。

そして、清潔好きな国民性も相まって、

生活のすべてに、この清潔さが蔓延しているようにもみえる。

逆に考えれば、諸外国に較べ、

日本人の抵抗力の弱さも際だっているような気さえしてくる。

こんな弱い体の私だから、一度インドにトランジットで立ち寄ったときさえも、

当然、ぬるいコーラのみで喉を潤していた。

これは生水が危ないというより以前に、

自分の抵抗力のなさを自覚していた私は、

あらゆる水分を極端に控えていたことを覚えている。

考えるに、いま世間は無菌をめざしているように私には思える。

それも、ちょっとヒステリー気味に…。

菌と人類の付き合いの歴史は長いが、このままいくと

そのうち菌のない生活がくる、ということはないと思う。

ペニシリンの発見は、私たちにとってはとてもありがたい事だった。

なにしろ、この薬により、何人もの命が救われたのだから。

が、時代が変わり文明はより高度になり、薬も菌も進化し続けた。

新たな抗生物質も、時が経てば、新たな耐性菌を生む。

その耐性菌を殺すために、また更に強力な抗生物質が開発される。

この迷宮のようないたちごっこは、無意味な喧嘩や戦争にも似ている。

どこかで折り合いをつけないと、そのうち

とんでもないことが起きるような気がしてならない。

まずは、清潔を心がけるのは良いが、

潔癖をめざすような病にはかからないように、

日頃からテキトーという抵抗力をつけておきたいと思う。