かげろう

重くしだれ

それでも伸びようとする

6月の木々は

わずかな陽と

豊富な雨に支えられ

ようやく生きようと考えたのか

この雨は

何を記憶しているのだろう

風は

何を運んできたのか

あの日以来

何かがぼんやりとしてしまった私が

しだれ雨の朝を歩く

春のかげろうの頃は

桜も散り

山が芽吹くと

私も何か心の整理に追われていた

この立ちゆかなくなった状況に

どんな手を打つかということを

いつも考えていた

それから1ヶ月が経ち

事はさらに後ずさりを始めていた

湿った葉を踏みしめ

赤土を叩き

誰もいない朝の公園に立つと

四方の山々の美しい情景が

艶やかに雨の中に浮かび上がる

木々から立ち上る湯煙のような

生命の吐息

ああ

私ひとりが

この公園に置き去りにされたような

心細さ

雨のはねる音

地面から立ち上る水蒸気

これは

6月のかげろうなんだ

雨のかげろうなんだ

と思う

自然の力は

それでもやはり奮い立つんだ

この雨は

何を記憶しているのだろう

風は

何を運んできたのか

相変わらず

うつむいて歩いている私に

過去からの追っ手がのし掛かる

そこには

やはり溜め息を吐くしかないおとこが一人

空を見上げていた

くうねるあそぶ

震災後、風呂にゆったり浸かることもなく、

さっと出る習慣が身に付いた。

飯も素早く喰うようになった。

で、よく喰う。

寝る時間も長くなった。

明らかに太った。

自然に備わっていたカラダの危機管理システムが

稼働し始めたと、自分では考えている。

生き延びようとする本能。

このところは、喰う量も減り、

睡眠時間も短縮され、

風呂も少しのんびり入るようになった。

が、カラダは元にもどっていない。

腹の肉をつまみながらベッドにごろんとしていた先日、

ふと、くうねるあそぶ、というフレーズが頭に浮かんだ。

くうねるあそぶ?

ん、これはコピーライターの糸井重里さんが80年代の

クルマのコマーシャルで披露したコピーだった。

くうねるあそぶ。

要は、喰う、寝る、遊ぶ、だ!

それをひらがなにしてコピーにした。

いまでは信じられないが、こんなコピーが、

当時の一世を風靡した。

この頃、イメージを重視したコマーシャルが、

主流だった。

ビジュアルは、

クルマに乗った井上陽水さんが笑いながら

「みなさ~ん、お元気ですか~」と言って走りすぎてゆく、

というだけのもの。

他と較べても、このコマーシャルは、

相当ぶっとんでいたと思う。

クルマと、喰う、寝る、遊ぶ?

近いような気もするが遠いとも思う。

イメージとしても、高級そうでもなく、

早そうな感じもしない。

まして、キャンピンカーでもない。

こんなコマーシャルがヒットした80年代は、

要するにこういう呑気でいい時代だったのだと、

最近、私は身に染みて感じている。

いま、遊ぶはとにかく、

喰うことと寝ることは、まさに生きる術、

それが実感できる時代なのだ。

花よりだんごの如く、

見栄えではなく、実利を採ることを最優先する。

生きているものは、もちろん、みんな生きようとするものだ。

よって、イメージではなく、喰う、寝るだ。

あと、住むところがあるか否かという切実な問題。

仕事をなくした方たちも、このままでは立ちゆかなくなる。

喰う、寝るがひとまず落ち着いたら、住むことも考えなくてはならない。

そして、働かなくては生きてゆけない。

震災後、AC(公共広告機構)のコマーシャルが頻繁に流れた。

人を思いやる心の啓発とか、挨拶の重要性を説くもの、

世界の人たちが日本を応援するというもの、等々。

一連のコマーシャルは、昔でいえば、道徳の教えだ。

こうしたものの良い悪いは、あまり考えたくない。

こんな希に起こる災害時に頼れるものは、

人の道徳心なのかも知れないのだから…

また、不況という時節柄、もう何年も前から、

広告というものも様変わりしていた。

簡単に言うと、広告にリアリティが求められる。

数字、裏付け、ユーザーの歓びの声など。

そして、メリットの最大拡大表現なども、

通販の国、アメリカから輸入されたのテクニックだ。

ネット時代に、通販のテクニックは相性がよい。

で、アメリカのマーケティングが日本に上陸、

いまの日本の広告文化を形づくっている。

ここで私が率直に思うのは、いまの時代の広告は、

かなり神経質で細かい。

電卓を片手にコピーを書かなくてはならない、

ような気分にさせられることもある。

で、ダイナミックな表現もない。

併せて、詩のような美しさも消えた。

私は、広告は文化だと思う。

この異常な事態に文化もへったくりもないが、

いつか、文化が語られるときがくる。

今回の震災を機に、私たちは日本という国、

日本人という人の本質も考えたことと思う。

政治の限界もみた。政治家の器もみえる。

官僚のやることも、なんとなく見透かしてしまった。

世界のなかの日本という立ち位置も、

改めて教えられることとなった。

これからの日本は、軍事でも経済でもなく、

やはり人が築き上げる文化なのではないかと思う。

文化には、メンタリティが欠かせない。

メンタリティは、人の心がつくる。

そんなとき、人はアレコレ想像し、創造する。

次の時代をつくる原動力は、何にも増して

精神力は欠かせないのかも知れない。

が、貧困な精神では立ちゆかなくなる。

この国のこれからをイメージする力。

それは経済的にはちょっとお粗末でも、

気持が豊かであれば、限りなく広がるものが、

イメージの力なのだ。

こころのなかは…

こころのなかは

白くざらざらだし

黒くヌメヌメだけど

万華鏡のように

水の流れのように

形なく姿もない

広く大きく果てしないのに

狭くて暗く湿ってる

僕の

あの過去はもう消えたけれど

そうさ

ひょこり現れて居座って

やはり

君の寝顔はときどき

微笑んでいたことを

思いだしたんだ

あれこれ考えて考えて

考えているうちに

忘れてはいけないと思いだした

君の誕生日ということばが

転がっている

君の誕生日は

ええっと?

もう分からないと

言いかけて

はっと出てきた

こころのなかから

アイディアは溢れて

記憶は溢れて消えて

空っぽの空のように

そして

星のまたたきと

月の壁紙の日の

こころのなかは

空虚というより

潔く澄んで

銀河に羽ばたくことだって

できる訳さ

たとえば

夢が消え去ったあの日

僕は

泣いたけれども

こころのなかは

何度も何度も

頑張って

崩れ落ちないように

壊れないようにって

何度も何度も

やさしく労ってくれたね?

そうして

要するに生きてゆくんだということが

分かってきたような気もするし…

冬の猫のようにまるまるこころ

伸びる草木のように

飛び跳ねるこころ

こころのなかは

もう一つの世界

限りない宇宙

銀河の草原

想い出のおもちゃ箱

きっとそのなかに

幾重に幾重に

忘れられないものが

重なり

消えて

素敵なことも

悲しいことも

浮かんで

やがてなくなって…

だけど消えない

こころのなかに

確かに芽生えたものがあり

明日に繋がる

よろこびの歌もあると

僕はいまでも

思うんだよ

風のテラス

遠い

あの山の向こうにあるという

風のテラス

紺碧の空に包まれて

木々は囁き

蜜蜂にまで愛されて

誰もいない波間に漂うという

風のテラス

水平線に浮かび

潮に洗われ

トビウオの休む所

いにしえの場所

そこに

椎の木のテーブルと

二脚の真鍮の椅子

風は歌い

微笑み

風は嫉妬し

うつむき

そして通り過ぎる

向き合ったふたりに

椎の木は黙って

テーブルに

一房の葡萄と

恋物語

ひとりが去れば

ひとり訪れ

ふたり去れば

ふたりが訪れる

風のテラスは

湖岸を見下ろし

風のテラスは

水底を見通し

風のテラスは

人を惑わせ

そこには只

椎の木のテーブルと

二脚の真鍮の椅子

雨が降り

陽を浴びて

凍てついて

蘇る所

可笑しくて

悲しくて

悔しくて

恨んでもみた

風のテラスは

誰もが

一度は訪れる

考えるほどに

思いだすほどに

彼方に消える

そこは

風のテラス

幻の忘れ物

恋の記憶

忘却

僕が

亡くなった方々の事に

いくら想いを巡らしても

それは

あっさりとした涙が流れるくらいの

事の軽さなのだ

そう

僕にとっては

それが何千、何万だろうと

単に数字を追いかけていては

確かなものは見えないんじゃないかと

思えた

ただ

ひとつひとつの

丁寧で精密なストーリーを知れば

命の重さはひしひしと伝わり

それは僕にとっても

一つひとつが縁なのだろう

そこで

豆粒ほどの良心に従って

或るヒトを追ってみたが

それはあまりに辛い作業だったので

慈悲のない僕は

やがてそんなことは無駄だろうと自分に嘘をつき

底の浅い心はやがてその意見に同意し

自ら繋がり始めた縁を絶ち切ることとした

悲劇は

なぜなら

足し算ではなく

かけ算でも足りず

二乗で三乗で

のし掛かってくるから

この作業は危険なものとなり

やがて僕は

ものを考えない仕組みをねつ造し

心にバリアを張り巡らした

ヒトを

数の問題にすり替えることで

僕は

生き延びる術を

知るしかないと

そのとき思った

だって

数は単なる数字なんだよと

自分に言い聞かせ

総論で何かを語る自分がいて

生き延びて

一筋の涙で済ませる程度の

ものの軽さ

はて

どれ程の人間なのか

みんなこうして生き延びようとするのかな

誰もホントのことを

丁寧には知ろうとしない方が

しあわせなんだよとも思う

過去は積み重なるが

前を見ることで

一つひとつを忘却の彼方に置き去りにして

そうやって歩いてゆくのか

潔さと理屈と冷酷

過ぎたことなんか忘れちまえ

僕は一体何を目撃したというのか

僕は一体何を考えたというのか

だから

どうしても忘れられないんだ

少女が

荒れ果てたがれきのしんとした静けさに向かって

「お母さんお母さん」って

ずっといつまでもずっと

叫んでいたことを

17の春

グラスにウィスキーとコーラ

コーンチップを口に放り込んで

ふたりで抱き合って聴いた
プラウド・メアリー

音が割れるほどのボリュームで
隣から怒鳴り声がしても
シカト決め込んで

首を振りながら
そして男と女

何が可笑しいのか
ゲラゲラと笑って
息ができなくなるほど
笑って

そして
やがて
悲しみは増す

もう駄目なのかも知れない

そう思っていたね
そうだったよね

煙草の吸いすぎで
喉が痛くなるのに
まだまだ吸うと
おまえが言う

オレは構わない
何にも構わない

後に何が残るのか
俺たちって
あと何年まともなのか

ねえ考えてとおまえが言う

可笑しくて悲しくて
涙が止まらない

そして言った

死んじまえ!

何かがおかしくなって
いろいろ狂い始めて
落ちていく

転げ落ちていった

時速200㌔でも
いまなら恐くないだろう

いつも行く
あの幽霊ビルの屋上からだって
いまなら
ダイビングできるぜ

なんか涙が止まらないんだよ

悲しくて悲しくて
時間ばかりが過ぎてゆく

俺の17の春

陽炎のような

あれは17の春だった

閑話休題的ブログ

庭の梅の花がほころび始めた。

満開の頃にはうぐいすが二羽やってきて
驚いたことがある。

うぐいすってホントにうぐいす色なんだ(笑)

この頃の
晴天の日に見る梅の花は、
白も赤も美しい。

いまはまだ寒いが、表に出ると
遠い景色がかすんで見える。

ああ、春だなと思う。

ピンと張りつめた冬の景色と違い、
何かピントが緩んだようなところが、
春の景色なのかも知れない。

冬の夜空はとても綺麗だが、
春の夜空は
瞬くほどの星も見づらくなる。

総てにフィルターが架かったような
曖昧な季節。

水が温む。

気も緩む。

季節が移ると考え方も変わる。

クルマを変えようかな?と思う。

その昔にやっていた拳法を
再び習いに行こうかと思案する。

今年こそは、マイ・カヤックを買うぞ!
いや、東南アジアに行こうか?

いろいろネットを見てはニヤニヤしている
自分がいる。

ホント、緩んでいるな?

が、去年からすすめていたプロジェクトが
ようやくこの春にスタートを切るのだが、
その反響により、私の力量も試されることを考えると、
心底では、かなり緊張を強いられてもいる。

我が社の損益分岐点でもある。

しかし
ここはひとつ曖昧に考えることにしている。

でないと辛いし、この季節を満喫することもできない。

このフィルターの架かったような結論を、
この春の私の考え方としようと思う。

戦争というもの

もう、民主党もダメだろうな。
時間の問題と思う。

野党時代の勢いは何処へ?

政権を手に入れると、
次々とその無策が露呈する民主。

で、次期、自民党が返り咲くかというと
そうも思わない。

永年の疲弊した自民党政治が、
政権交代を機に露呈したとも言えるのだから…

どっちもどっち。

時代は新しい誰かの登場を待っている。

それは、イデオロギーであるにせよ、
経済であるにせよ、
現状を思うと
ヒーローと呼ぶにふさわしい
政治家が求められてくる。

経済通、外交通。
いや、それらの総てに精通したうえで、
もっと問われるべきは、
官僚をコントロールする手腕だろうと思う。

いま、世界は経済戦争のまっ只中だ。
そこに、政治力が加わる。
いろいろな軋轢が生まれる。
リアルな戦争はいつも、ここから始まる。

戦争はいつも人を不幸にするが、
笑っている奴らがいる限り、
いつになっても繰り返されるだろう。

私は若い頃、
戦争は海の向こうの事だと思っていた。
今更ながら、愚かだなと思う。

よくよく考えてみれば、
私の住む神奈川県には、
厚木基地、海軍横須賀基地、
座間キャンプなど、
米軍関係の施設が多い。

小さい頃からそうした環境で育ってきたので
麻痺していたが、
こうした現状をあまり深く考えたこともなかった。

私たちの上の世代は、
嫌でも60年安保、70年安保の闘争をリアルに知る世代だ。

私は、それをテレビで眺めていた呑気者な子供だった。

中学生のとき、自衛隊の北富士演習場に入ってしまい、
タラタラ歩いていたところを発見され、
実践部隊の人たちにぶっ飛ばされそうになったことがある。

そして
20代の頃、グアム島の米軍基地の回りで道に迷ってしまい、
その行動を不振に見られたのか、
屈強な米兵に自動小銃を向けられたこともあった。

よくよく考えれば、戦争はとてもリアルだと知るべきだった。

最近、我が家の上空を
軍用ヘリが複数機で飛んでいるのを、
頻繁に見かける。

厚木基地では、実践さながらのF15戦闘機の
タッチアンドゴーの訓練が増えていると聞く。

対岸の火事は冷静に見ていられる。
ただの野次馬だからだ。

が、もし対岸の火が何かの弾みで、
こちらに飛び火すると、
誰も他人事では済まされないだろう。

いまの日本を考えると、そんな危機を感じる。

戦争はいつの時代も、
こうして始まるのだろう。

恋のうた

カラッ風の吹く寒い夜は

あの人のことを思いだそう

ラジオを消して

紅茶でも入れて

伝えて欲しい

私は今夜もひとりですと

涙がこぼれる枕元に

詩集を幾つか並べれば

そんなもの読まなくたって

人は物語をつくれる

そんなものだろう

男と女の間には…

という台詞があるけれど

超えてみたいと思う日は

「シェルブールの雨傘」を

観てからにしよう

好きですと言ってから

考え込むのはもうやめよう

どうせ

人の心は

走馬燈のように

風のように

便箋を用意して

どのペンで書くか

そんなことをしているうちに

言いたいことがこんがらがる

とりあえず書き出さないと

始まらない

何もかもが

ホントの恋

ホントのヒトトキ

ホントの気持ち

ホントはホントは

あなたって

なんなのさって

ホントは

叫びたい

夢のない時代

政治・経済共に行き詰まってくると、
何もかもがシビアだ。

給料の目減り、失業率の悪化、
そして、
この先に何が待ち受けているのか知らないが、
見通しは暗い。

こんな時代の若者たちは、総じて元気がないと言われる。
(だが、年寄りは元気にみえる?)

私見だが、小さくまとまっている、保守的、
そしてよい子が多い。
これが、現代の若者観だ。
(不良は年寄りに多いような?)

で、草食だの何のと世間では言われているが、
これは時代が生んだ傾向だろう。

追い打ちをかけるように
大人が「夢をもて!」なんてハッパをかけるが、
そこは私も含めて、時代錯誤なのかも知れない。

なかなか夢の描き辛い時代なのだ。

いまは亡き、あの坂本九が「明日があるさ」という歌を
ヒットさせたのは、いまからざっと50年くらい前か?

あの頃、日本は右肩上がりの高度成長時代が始まった頃で、
とにかく誰にも仕事はあった、らしい。

どんな仕事でも
働けば、給料はどんどん上がってゆく。

そこで、テレビや冷蔵庫、クルマやマイホームに至るまで、
買いたいものは買える。

頑張れば、何とかなったのだ。

そんな時代に「明日があるさ」は、当たり前のように
ヒットした。

転じて現在は、
本当に明日があるのかと、
いろいろな人が心底不安に思っているのではないか?

若者だけでなく、私たちは不安の時代を生きている。

明日がある、なんて呑気なことは言っていられない。

だから、今日をないがしろにする者に明日はない、
という程、世間は厳しい。

そんな時代に、私たちは生きている。

せめて、若者だけに重責を負わせるようなことは、
してはならないと思う。

が、しかし
ルーマニアの作家コンスタンチン・ゲオルギュは
なかなかの名言を残した。

ーーーたとえ世界の終末が明日だろうと、

     私は今日

       リンゴの木を植えるーーー

要するに、
金があろうがなかろうが、
それが夢なのかどうか分からなくても、
せめて、好きなことくらいは、
貫き通そうぜ!

ということのように、私には解釈できる。

いや、そのようにありたいと思う。