なぜ、一度振り落とされた者は再び社会に復帰できないのか?その事について、ひと言。
いま、不況が世界を駆けめぐっている。バブル崩壊を経験した日本も当初は対岸の火事と見ていたようだが、やはり火はこちらにも飛び火してきた。
どの企業もこの不況の煽りをくい、まず派遣労働者から切り捨てているのは皆さんもご存じだろう。しかし、彼等のなかには明日の生活に貧窮している人もいる。というのは数々のレポートをみても明らかだし、これは事実として受け止めるしかない。
そうして、生き残る企業とはなんなのか?企業で働くとはどうゆうことなのかがいま、よくみえてこない時代。
そもそも、派遣労働者というのは、景気の調整弁として機能している。景気が良ければ雇い、悪ければ辞めてもらうというこのシステムは、企業にとってはとても都合が良くできている。
利益を追求するのが企業なのだから、当たり前過ぎるほど都合の良いシステムがこの派遣のシステムなのだが、なにか差別の臭いがするのは私だけか?
同じ仕事をしていても、正社員とはまず給料が違う。万一の保険などの加入も認められていないし、最低限の社会保障制度も整備されていないのが現状だ。
話を広げて申し訳ないが、フリーターやニートという人達のことも忘れてはならない。彼等もまた、社会的弱者として、何か社会の不都合があったときには簡単に見捨てられる存在だ。
セーフティーネットという言葉があるが、いまこのシステムはまるで機能していない。セーフティーネットがしっかり機能していればこんなことにはならないとも思う。
また正社員も然り。もし失業でもしたら、この不景気の世の中で次の仕事をすぐ捜せる能力のある人は別だが、大抵の人が路頭に迷うことになるのではないのかと想像する。まさに、他人事ではない。
現在のこうした事態を、テレビでボオーッと眺めているのは勝手だが、そうした呑気な方々に問いたい。あなたは地主ですか?年金受給者ですか?悠々自適の自営業者か一流企業のエリートですか?公務員ですか?退職金をたっぷり受け取った方々ですか?
イマジネーションを少し働かせてみてはどうかと思う。あなたの子供が、あなたの親戚が、あなたの親しい人がいつ失業するとも限らない。もう一度イマジネーションを働かせてみてはどうかと。
これは、対岸の火事でもなければ、遠い国の出来事でもない。イマジネーションがあれば、いつまでも他人事とは思えないやさしさも生まれくるのではないかと思うのだが。
一度落ちたら這い上がれない社会システム。この構造こそが、逆の意味でみんなのやる気を削いでいるのではとも思えてくる。
乗り物から振り落とされたらそのままなのか?誰も助けないのか?社会の分かち合いはどこにあるのか。
再びチャレンジできる世の中でなくて、なにが一流の国なのかを私は知りたい。這い上がれない社会は、あの蛸壺となんら変わりがないのではないか。
人間生きていれば、失敗の一つや二つは犯すだろうと思う。しかし、それを許さないシステムをつくりあげたのは、一体誰なのか?
まず私は、基本的生存権を総てに行き届くようこの社会に要望したい。そして、誰もが再チャレンジできる国であること。
この世は修羅というが、いまの事態はまるで意味が違うように思う。やはり、一人一人の心がすさんでいるのが、いまのこの世界の正体なのだろう。
他を思いやるイマジネーションの欠如ほど恐いものはない、というのが現在の私の見解だ。