10代の頃、友達数人で集まり
よく夜中まで政治や将来のことについて
とめどもなく話し合ったことを覚えている。
コカ・コーラにポテトチップス。煙草はまだ吸っていなかった。
将来何になりたいか?という誰かの質問に答えるべく
一人ひとりが、そのときまじめに答えていた。
「社長」「弁護士」「会社員」などなど。
皆、真剣に答える。
いよいよ私の番が回ってきた。
不意に思いついたのだが、吟遊詩人という言葉が、
つい口を突いて出てしまった。
みんなが笑う。
自分でもふざけるなよ、真面目に答えろよと思うのだが
いくら考えてもそれしか思い浮かばなかった。
その後、あの答えは何だったんだろうと自問自答してみたのだが
やはり吟遊詩人はいいなぁ、と思っていた。
国語の成績が良かった訳ではない、詩を書きためていたでもない。
ただ、生き方としてその頃ジョルジュ・ムスタキという髭を生やした
仙人のようなフランスのおっさんに憧れてしまったことがある。
ここでも私のいい加減さが出ているのだが、このおっさんの著書を
何十年も経た現在でも、一冊も知らない。
結局、ムスタキは本を出版していたのか否かもいまだに知らない。
ただ、彼は何者にも束縛されず自由に世界を旅し、即興で詩をつくり
わずかなお金で気ままに暮らすことをスタイルとしていたらしい。
これが私の解釈なのだが、これは私の願いにすり替わっている、とも思う。
後、私は出版社に入るのだが、どうも居心地が良くない。
いろいろ自分なりに頑張り、経験もそれなりに積んでゆくのだが
どうも何かが違うような違和感にさいなまれていた。
社会不適応を意識し始めたのもその頃だ。
服装は自由。みんなもいい人だし、普通のサラリーマンと違って
毎日違った仕事をしているというのが魅力的だった。
ただ、会社の入り口にあるタイムカードを押すのは抵抗があった。
自由な企画、音楽評、新刊の紹介等々、いま思えばかなりゆるい
会社なのだが、それでも駄目なものは駄目なのだ。
入社4年目にして、私はこの違和感から抜け出す算段をする。
いろいろ先のことを考えて、すすめられる原稿などは準備しておいた。
辞表を書くため、その中身を調べるにつれ、文面の体裁のつまらなさも
そのときに初めて知った。
こうして私は退社するのだが、後悔の微塵もないというのをいまでも
鮮烈に覚えている。
これから何をするということも考えないまま、私はこれまた脳天気な
オクさんと旅行に出かけてしまった。
さて
自分の生立ちだが、私は公務員の家庭で育った。
父は無口。話をしたことは数えるほどしか覚えていない。
まじめ、というより早い段階から、私は彼の二面性に気づいていた。
母は口が達者で働き者。口癖は「悪いことをしてもお天道さまが見ているよ」。
ただ、この二人の共通点は、私に無関心だったということだろうか?
上に姉がいるが、4人で家族揃って旅行に出かけたと
か
みんなでコタツを囲んで団らんのときというのも
皆無だった。
いつの頃からか、私は外ばかりをみていた。
楽しみを家の外に向けていた。
捨て猫を学校の床下で育てる。
友達と、食料とおもちゃの刀を手に、山奥へ探検。
迷子2回。
行くあてもなく電車に乗り、遠く離れた知らない駅でうろうろしていたら
不審に思った駅員につかまり、交番に連れて行かれたことも何度かある。
一方、クラスで私は学級委員に選ばれ、果ては学校の児童会議長という
これまた私に似つかわしくない立場にも選ばれてしまった。
夏休み前、学校の要請で全校児童会を開くこととなった。
その趣旨は、夏休みを有意義に過ごすには、という議題と共に
いかに休み中の事件・事故を防ぐかという事をみんなで話し合うためでもあった。
私は議長としての采配を振るわなければいけないのだが
興味は全くなかった。
そんなことは自分で考えるのが当然と、私は考えていたからだ。
議会では切れ味のいい提案がいくつも出され、その度ごとに
私はその案の良さを皆にアピールし、次々と可決へと持ち込んだ。
結果、かなり素晴らしい?夏休みの過ごし方というプリントが
全校に配られるのだが
それを一切守らなかったのが私だ。
まず、行ってはいけないとされる遠方にある山へ
私は毎日ひとりで出かけていった。
海を眺めるためである。
そこは、遠方であるばかりでなく崖っぷちがあり
当時は、かなり危険な所とされていた。
私は崖の淵に足を投げ出し、横浜港を眺めるのが
大好きだった。
オレンジと白のツートンカラーのマリンタワーの横に
氷川丸が鎮座する。
その横に視線を動かすと、遠くに霞んだ海が
どこまでもどこまでも光っていた。
あのずっと向こうに私の知らない世界が広がっている。
そんなことを考えながら、夕方までぼぉーっと過ごして
家路に着く。
その想いは毎日寝る前でも心に染みつき
ときどき気がつくと
私は夢のなかまで現れ
私はあの水平線の上でニコニコしている
もうひとりの私を眺めているのだった。