千年も
一瞬にして過ぎる宇宙の方程式
どれ程のものか、私の一生などと
あれこれ考えているうちに
消えてしまうものだから
華々しく振る舞ってみても
空振りの心は
枯れた葉の一枚さえ落とすこと
ならず
では万年生きる
亀になりたいなどと
思ったところで
如何ほどの悦びが
あなたを戯けてみせるのか?
そのおかしさは蝉に聞いてみれば
分かるだろうが
生々しくいまは
誰もその虚しさに気づくことなく
じゃあ
長寿の象になりたいなどという
人は一瞬の旅人なりて
その場その場を汚すことなく
立ち去ることと
堅く知るべし
暴れる心は
そうして永遠に辿り着くのだが
その人
そうそう他言せず
いそいそと
次の旅へ消えていくものだから
やはり知る人なく
今日も人間は考えあぐねる
まばたきするその瞬間に
千年の時の流れを
移ろいやすい心に
染み込ませたならば
その心に敵うものなく
私もまた
蝉でもかまわないと思うのだ
なかなか考えさせてくれる材料がたくさん沈殿している味のあるポエムですね。
有限の命しか持たない人間は、結局 「無限」 というものを想像することができない、という説があります。
それと同じように、「永遠」 という概念も、人間にとっては最後まで理解できないものなのかもしれません。
それにもかかわらず、人間は 「無限」 とか 「永遠」 の謎に迫ろうとする。
この詩は、そういう人間の心の不可思議に迫る試みだと思いました。
「千年の時の流れを移ろいやすい心に沁み込ませたならば、その心に敵うものはなく、蝉でもかまわないと思う」
このひと言が素敵です。
個体としての生命は1代限りですが、しかし人類のDNAは連綿と続いていく。
そのDNAとは何か?
それが 「文化」 であり、「音楽」 であり、「アート」 なのかもしれない。
自分はそう理解しました
宇宙の果ては何処なんでしょう?なんて考えると頓知問答になってしまいますから今更誰も口にはしませんが、時間軸というのも気になりませんか?
時計が刻む時間ではなく、心の時間軸。
きっと、曼荼羅・仏教というのは人間の業と宇宙観を重ね合わせた世界を追求したものと思いますが、行き着くところは、心だと思います。
心は、いつでも何処へでも飛んでいくことができる凄いアイテムと私は理解していますが、これの扱いはかなり難しいとも思っています。
悟るとはそういうことなのだなと考え、私はこんなものを書いてしまいましたが、町田さんの見解を拝見してうーんと感嘆してしまう私でありました。
コメント、ありがとうございます!