アコースティックな弦の音が
朝もやの霧に乗って
山あいの湖畔にひろがり
僕は心底から深呼吸をし
椅子に座りながら
目の前に寄せるさざ波を
ずっとみつめていた
前夜は満月
木々の間からこぼれるように
覗き込むような光りを放ち
僕らの話に聞き入っていたようだが
その中身のなさに
呆れただろうか
そんな時間が珠玉で
晩夏の水を撫でる風は
テーブルあたりの熱気を程よく冷やしてくれた
その夜は簡易ベッドにもかかわらず
とてもよく眠れたのだ
あんな悲劇から半年余り
何をできるものでなく
何をしたら良いのかもみえないまま
不安な日々が続き
耐えられない話をいくつも聞き
こたえもみつからず
先の見えないまま
それでも日々は続いていた
そこそこ日常を取り戻しても
時折ヒリヒリとする何かが
僕を周りを取り巻いていて
それは耐えられない毎日だったように思う
対岸の霧が
やがて一塊の雲のように
ふわっと流れてゆく
視界はすっと遠くまで見渡せるようになり
腹に光を受けた山体は
赤々と輝いて
大きな空のもと
堂々と浮かび上がるのだった
根気
コツコツと…
それが生きてゆくということ
勇気
これからの時代に欠かせない
これまで以上に必要なこと
希望
生きてゆく糧であることに
改めて気づかされる
湖畔にはもう
アコースティックな弦の音は
消えていた
僕は
ありきたりなことばのフレーズを
今更ながらかみしめた
スパンキーさん、こんにちわ。
刻々と変化していく富士山の映像と、それを眺めている心境の変化が見事に一致していて、映像と詩の重なり具合が素晴らしいですね。
僕らは富士山のことを、銭湯の壁に描かれたシルエットのように、固定的に考えてしまいがちですが、画像を見ていくと、ほんとうに時間の変化によって姿を変えているんですね。まるで、生き物のようです。
そして、雲が形を変えながら少しずつ去って行って、夜明けの赤富士になり、陽が登っていって、青富士になる。
その対比がドラマチック。
詩の方も、それに合わせて、言葉に生命力が宿っていくようになる。
映像と言葉の見事なコラボレーション。
構成がうまいなぁ … と感心いたしました。
やっぱりクリエイティブなお仕事をされている人は、シナリオづくりが上手ですね。
>>「ありきたりなフレーズをかみしめるとき」というのは、往々にして、自分の人生の中から埋もれていたものを再発見するときですよね。
町田さん)
実は、このキャンプは、あの東日本大震災のあった年でした。
私は直接の被災はしていませんが、それでも傷を負ったのですから、
東北の方々の過酷さ、辛さは、私の想像の域を超えているのでしょう。
だから、何気ないキャンプ、たわいない話のなかに、私は大いなる安堵と
勇気をもらいました。キャンプ当日は絶好の日和で、大空に輝く
不死鳥のような雲、夜の月の明るさ、そして初めて見た赤富士、
どれもが大自然の豊かさと怖さを改めて教えてくれたような気がします。
そして自分のスイッチを切り替えるには、絶好のキャンプだったように思います。
町田さん、また行きましょう、やはりメンタルのスイッチはキャンプですよ!
ありがたいコメント、ありがとうございます。