ビジネス | スパンキーの風まかせプログ

ビジネスに短歌とかが入り込んでしまい…

 

 

しばらく短歌ばかりつくっていたら、

普通の文章が書けなくなってしまった。

 

妙な癖。

 

5・7・5・7・7という制約のなかで、

考えていたことをまとめようとする習慣がついてしまった。

ほんと、困るね。

 

仕事上のメモとか忘れてならないものにもそれが及ぶ。

 

たとえば、

「おとといの ○○の件 AIで レポートつくり みんなに回す」

 

とか

 

「問題は 見積もり感と スケジュール 優先順位 クリアできるか」

 

リズムがあって良いのだけれど、

なんだかビジネスっぽいアタマに切り替わらない。

こうしたメモから無駄にビジュアルを考えていたり、

情緒がないなぁなんて余計なことを思ったり。

 

そこで短歌抜きの習慣を新たに考えた。

メモを小説化することである。

スピード感のある小説風にまとめれば、

迫真に迫るビジネス環境がうまれるのではと考え、試してみた。

 

「確か○月○日の昼過ぎだった。
△社の□課の加山さんよりおもむろにLINEが飛んできた。
運転中の私はふとそれをみてしまった。
前方のクルマが赤信号で急停止したことを見逃した私は、
0.2秒遅れの急ブレーキで衝突を回避した。

クルマを寄せハザードを点滅させ呼吸を整える。
LINEにもう一度目をやる。
やはり嫌な予感が当たった。
風雲急を告げるLINEだった。

3日後の夕方の6時に例の新製品の記者発表が決まったとのこと。
真っ先にレポートを仕上げねばと、夕飯の買い出しをドタキャン、
クルマをUターンさせ事務所へと戻ることにする。

問題はまずその概要づくりなのだが、
今日は誰も手が塞がっている。
Claudeはけさ起きがけに対話し尽くしたし、
最近アップデートを繰り返すチャットGPTに、
素材を投げてみては?

当初はそうしてでき上がったレポートを企画の今野にみせ、
次の戦略を練るという算段をつけていたが、
いまはとにかく時間がないとの判断から、
この私が今夜中にやるしかないのではないか」

 

上記のようにメモをストーリー仕立てにしてみた。
が、如何せんこのメモは長い。長すぎる。
こんなメモは読まない。印象に残るフレーズもない。
なにより伝えたい事柄は、
今夜中に急いで己がレポートをまとめなさいよ、
それだけの内容なのだ。

そしてなによりちっとも面白くない。
そんなの書く暇があったらさっさと仕事しろよ!
なのである。

 

という訳でこの話は、

そう、あなたの想像したとおり、

全く使えない。

 

いま私は引退の憂き目に遭っている訳です。

 

 

 

懐かしの海辺のホテルへ

 

正月から大事件ばかり起こっていて、

情報を追いかけるだけで精一杯。

テレビ、X、YouTubeのほか、

情報は多角的にとっているけれど、

なかなか真実にたどり着かないこともある。

 

或る疑問が生じると徹底的に調べることにしているが、

デマやフェイクが多く、

分かれ道で呆然と立ち尽くしてしまう。

 

これでもひとむかし前に比べればマシである。

新聞とテレビの凋落は何を示しているのか?

まあ、この話はいつかまとめて書きたいと考えている。

 

それにしても、やはり現実は悲惨である。

火事や家屋の倒壊で亡くなられた人が増えるたびに、

悲痛な気持ちになる。

怪我や体調の悪い方も、

この季節と北陸地方であることを鑑みると想像に難くない。

たとえ生き延びたとしても、

こんどは持久戦で戦わねばならない。

 

これは辛い。

 

ボクもかなり老いてきたので、

自分だったらどこまで耐えられるのか、

と考えるも、自信がない。

 

北陸地方には親類縁者もいないが、

さきの震災や豪雨災害のときに友人や知人が巻き込まれ、

その恐ろしさや苦労を幾度となく聞いていたので、

今回の災害の悲惨さも、すぐに想像がついた。

 

 

話は変わるが、

ボクの会社は3.11のときに、経済的に大きな負債を抱えた。

直接被災された方々とは比べものにならないくらい

ケチな話ではあるけれど、

経済的な立て直しに5年はかかった。

 

その舞台のひとつが、今回でかけた海辺に建つホテルである。

忘れがたい場所であり、いまではようやく懐かしいと

思えるようになった。

 

ここのホテルの仕事は、或る人物を通しての持ち込み企画だっ

たので、まあプレゼンで通ったら真剣にやりましょうと、

当初はたいして期待もしていなかった。

よって金銭やその他のことは、

あまり深く考えてはいなかった。

 

が、斯くしてプレゼンは通り、

本格的な準備に入いることとなった。

 

2010年のことである。

 

そんないきさつだから、当初から契約内容がかなり緩かった。

成果報酬型というスタイル、すべて後払いでOKです、

というのんきな内容の契約でスタートした。

 

言い換えれば、こちらにはこの企画にかなりの自信があったの

で、先行投資も苦にならなかった。

 

準備期間に10ヶ月を要した。

他の仕事を入れるキャパもないほど作業は多岐に渡り、

その期間はいわばタダ働き状態。

会社の経理はかなりまずい状態に陥った。

 

オープンは2011年4月1日。

で、あの3.11である。

世の中の空気はガラッと変わった。

恐ろしい暗転である。

 

世間に自粛ムードが広がり、

海だのホテルで優雅に過ごすだの、

そんなムードは完全に消失した。

 

準備期間中は、ホテルのスタッフさんたちには

かなりの迷惑をかけていた。

皆忙しいのにとても協力的で、

幾度も会議やオペレーションにもご参加いただいた。

とりわけ、料理に携わる方々には

新たなレシピも開発していただいたし。

 

震災は、ボクたちの企画を根本から打ち砕いた。

当然のことながら、結果は惨敗である。

 

5月の連休にさしかかる頃、ホテルの責任者から、

「この状況は当分続きますね!? 取りやめましょう」

と通告を受けた。

このときのショックは後々まで響いた。

 

こうしたときにモノをいうのが契約書なのだが、

前述したような内容なので、

こちらとしては何も言うことがない、言えない。

大きな負債だけが残ったという訳だ。

 

ボクは幼い頃からこのホテルが大好きだった。

とても憧れていたところだった。

よって、すべてにおいて、見積もりがあまかった。

 

あれから13年が経ち、ホテルは改装され、

ボクの大好きだったホテルの中庭にあったガラスの教会も

取り壊されてしまった。

 

あるとき撮影のために教会のなかに入ると、

使い込んで古びた長椅子に冬の日差しがさんさんと降り注ぎ、

エンヤの荘厳な歌が響き渡っていた。

 

 

思い出をたぐるように敷地を歩く。

そして新しいカフェに入って、

大きなガラス窓から海を眺めてくつろいだ。

 

椰子の木が風になびいている。

水平線の上を黒い雲が足早に流れてゆく。

光る海の向こうに伊豆大島が見える。

 

やはりボクはここが好きなのだと改めて思った。

ボクの企画は失敗したけれど

いまでは良い経験をしたと、

ようやく晴れ晴れとした気持ちになれた。

 

あれから13年も経ってしまったけれど…