「19才の旅」No.7

 

話は再び、1973年の、

ボクと丸山の沖縄の旅へと戻る。

 

那覇空港の近くでハブとマングースの戦いを

見世ものとしてやっていた。

ボクは興味津々だったけれど、

料金が割と高いので、しぶしぶ諦めた。

 

観た人の話によると、「かなり凄い!

迫力がある。マングースはああ見えて、

なかなか強いからな」とのこと。

 

ハブは沖縄だけど、マングースは

一体どこから連れてこられたのだろう。

妙な疑問が生まれた。

 

その近くでは、

小さいワニの頭部をバックルにしたベルトが、

露天の店頭にずらっと並べて売られている。

 

その光景はかなり異様だった。

 

こうしたイベントやおみやげものは、

その後に開催された「沖縄海洋博」を前に、

すべて打ち切られたとのこと。

 

これは日本だけでなく、世の中の外面は、

だいたいそのようなことが切っ掛けで、

キレイになっていった。

 

が、それらが消滅してしまっのか否かは、

ボクには分からない。

ただ一旦隠れてしまったものは、

もう誰にも文句は言われないので、

制御の働きをするものは取り払われ、

本性だけがむき出しになる。

ハブとマングースの戦いは、

いまもどこかで開催されているのかも知れない。

それももっと高い料金で、

さらに残酷な見世物として。

小さいワニの頭部をバックルにしたベルトは、

その拠点を外国にでも移したのかも知れない。

 

それから数日間、ボクたちは首里城周辺を巡り、

そこから北部へ向かい、

コザのまちを経て再び那覇に戻り、

セスナ機で西表島へ飛ぶため、

空港でキャンセル待ちをしていた。

 

ちょうどお盆休みの時期だったので、

空港もごった返していた。

西表島行きは、何時間待っても駄目だった。

 

いい加減に待ち疲れたボクたちは、

小さな客船が与論島まで行くので、

数時間後に出航するという情報を得た。

 

目的地は違ったがその船に乗ることにした。

そこは船底で窓もなく、

ゴロゴロするしかないスペースだったが、

仮眠している間に隣の与論島へ着いてしまった。

 

 

与論島は、当時はまだ未開発の島だった。

民宿をみつけて、そこでようやくひと息ついていると、

ご主人がわざわざ部屋まで挨拶にきてくれた。

そして食堂にきてくれとのこと。

 

そこで地元の酒である泡盛を飲み干すこととなった。

というより、飲まされたというのが正しい。

 

泡盛を飲み干すのは、

島の歓迎に応えての感謝の意、とのこと。

よって飲み干すのが客の礼儀であった。

 

ここの泡盛はとても強い酒だった。

がしかし、途中で飲むのをやめるとか、

そんなことは礼儀に反する。

 

ボクと丸山は、茶碗に並々と継がれた

その泡盛を一気に飲み干した。

 

着いた草々にアルコール度数の強い

泡盛を飲み干し、

たちまち酔ってしまったボクたちは、

前後のみさかいもないまま、

夜の島をほっつき歩きはじめた。

 

途中、暗闇の先にネオンのあかりをみつけた。

(酔っ払いはネオンに弱い)

ディスコという文字が光っている。

近づくとそこはログハウス造りの建物で、

結構しゃれた店にみえた。

 

ドアを開けると、客がポツポツいる程度で空いている。

誰も踊っていない。

 

島で初のディスコということで、

もの珍しさがウリだったようだ。

 

音楽のボリュームがとにかく異常に高く、

まるで大都会の地下鉄の騒音にも似ていた。

 

会話はできない状態。

 

ボクらはそこでさらに飲んだくれ、

朝方までソウルミュージックにあわせて、

踊り狂っていた。

 

民宿に着くと、倒れ込むように寝た。

が、飲み過ぎと暑さのせいで喉が渇いて、

水を飲むためにたびたび起きてしまう。

結局、よく眠れないまま

夜明け近くになってしまった。

 

船で知り合った、東京から来たという大学生は、

民宿の外の砂浜で寝ていた。

確かに浜で寝た方が海風が涼しい。

 

二日酔いのまま丸山と浜辺を歩いていると、

雲間から朝日が昇る瞬間に出会えた。

 

ボクたちはその突然の風景にみとれていた。

めまいも吐き気も不思議と消え失せていた。

 

遠くの砂浜でヒッピーの男がひとり、

太陽に向かって祈りのような仕草をしている。

 

それから数日の間、ボクらは浜で泳いだり、

島の各所を自転車で巡ったりして過ごした。

宿の天井から落ちてくる大きなイモリに恐怖し、

夜は必ず強い泡盛を飲み、

この異国を巡るような旅に時を忘れた。

 

ふたりの横浜での鬱屈した日々は、

このとき何の跡形もなく、

すでに綺麗に消滅していた。

 

(続く)

 

「19才の旅」No.4

 

船旅で、念願の沖縄へ到着したボクたちは、

2日目にひめゆりの塔へ出かけ、

島のおばあさんから、悲惨な戦争の話を聞かされた。

 

なのに、それは申し訳のないほどに、

聞けば聞くほど非日常的な気がした。

話はとても悲惨な出来事ばかりなのに、

どこか自分の体験や生活からかけ離れすぎていて、

どうしても身体に馴染んでこないのだ。

 

その驚くほどのリアリティーのなさが、

かえって後々の記憶として残った。

それは、後年になって自分なりに

いろいろなものごとを知り、触れるにつれ、

不思議なほど妙なリアリティーをもって、

我が身に迫ってきたのだから。

 

そんな予兆のかけらを、

ボクは後年、グアム島とトラック諸島のヤップ島で、

体験することとなる。

 

(ここまでは前号に掲載)

 

沖縄の旅から5.6年後だったろうか、

南の島好きのボクはパラオをめざしていた。

途中、グアムに行く手前で、

ボクの乗る727はサイパンへ降り立った。

機内にあったパンフレットをパラパラとやると、

バンザイクリフという場所が目に入った。

 

「バンザイクリフ?」

 

バンザイはあの万歳なのか?

実はボクの思考はそこまでだった。

その時分、ボクはあまりにも無学に過ぎた。

何も知らないことは、罪である。

 

戦争の末期、アメリカ軍に追い詰められた

日本軍及び島に住む民間人約1万人が、

アメリカ軍の投降に応じることなく

「バンザイ」と叫びながら

この島の崖から海に身を投げた。

 

あたりの海は赤く染まったという。

 

そこがバンザイクリフなのだ。

 

ボクは時間の都合で、

バンザイクリフへは行かなかった。

いや、そもそも興味がなかった。

戦争の歴史さえ、ボクは知らなかったのだ。

 

後、パラオでその話を知ったとき、

ボクの思考は、観光という目的を見失い、

しばらく混乱に陥ってしまった。

 

話を戻すと、

サイパンの次の目的地であるグアム島で、

その事件は起こった。

 

レンタカーを借りて島中を走り回ったとき、

ボクは道に迷ってしまい、適当な道を左折した。

すると大きなゲートに出くわした。

 

そこは米軍基地で、のんきなボクはクルマから降りて、

道を聞こうとゲートに近づいた。

と、ゲートの横から軍服に濃いサングラスをかけた

大柄の女性兵士がこちらに歩いてきた。

 

なんと、この兵士はボクに自動小銃を向けている。

何かがおかしいと思ったボクは、

無意識にホールド・アップをしていた。

 

女性兵士は全く笑っていないし、

とても厳しい表情をしている。

近づくに従い、

兵士は自動小銃を下げるどころか、

こちらにピタリと銃口の照準を定めたように思えた。

 

急に動悸がして、嫌な汗が噴き出した。

 

「すいません、道に迷ってしまって」

ボクが片言の英語で笑顔を絶やさずに話す。

 

すると

「クルマに戻ってバックしろ、さっさと消えろ!」

 

ヒステリーとも思える剣幕で、

この兵士はこちらに銃口を向けて、怒鳴っているのだ。

 

ボクはクルマに戻って、とにかく必死でクルマをUターンさせる。

バックミラーで確かめると、この兵士はボクが元の道に戻るまで、

ずっと銃口を向けていた。

 

一体、何ごとが起きたのか、

ボクはしばらくの間、

理解することができなかった。

 

なんとかホテルにたどり着くと、ボクはベッドに転がり込んで、

しばらくグッタリとしてしまった。

 

ようやく落ち着いてきたところで、

自体が徐々にみえてきた。

 

要するに、ボクやボク以外の誰でもいいけれど…

 

のんきで平和に暮らしていると思える、

そのすぐ隣で、

自体はボクたちの想像の域を超え、

生死にかかわるであろう、

いろいろな出来事が起きている、ということ。

 

世界のどこかで、緊張はずっと続いていたのだ。

 

ボクは自分の無知さに呆れ果てた。

 

―バカな日本人―

 

その代表のような人間が当時のボクだった。

 

戦争は実はいつもどこかで起きていた。

いつもどこかで起きようとしていた。

それは皮肉なことに、

いまも変わらないまま続いている。

 

ボクの繰り出す愚かな行為は、

その後も続いた。

 

(続く)