夜更けのハンバーガー

金曜日の夜は、

なんというか、嵐が去った後のように、

疲れてぐったりしている訳で、

ああ腹が減ったな、なんてだらっとしていたのである。

が、奥さんが「足の指がちょっと変なの」とのたまった。

「えっ?」

見ると、右足の親指が紫色に変色して、

パンパンに腫れ上がっているではないか?

どす黒い付け根あたりに、とても嫌な感じが漂う。

「どこか、ぶつけた?」

「それが痛くないし、ぶつけた覚えもないのよ」

あーん?

ネットで調べると、通風とかアレコレ出てくるが、

どうも症状が合致しない。

しょうがないので、市内の整形外科とかを調べるも、

どこもすでに閉まっている時間。

休日診療を調べて駆け込むも、当番の先生が内科医なので、

同じ市内で臨時で常駐している整形外科医を紹介してもらった。

暗い待合室。静まりかえった総合病院。

じっと待たされる。

「あーーっ、腹減った」

「あなたはどこかでなんか食べてきて。きっと時間がかかると思う」

「じゃ、終わったら連絡くれ」

クソ寒い日だった。

夜の街を歩き出すも、まるでウキウキしない。

居酒屋でみんながワイワイやっているのが見える。

暖かそうなコーヒーショップの中が恋しいが、

緊急時を考えて、ヤメとする。

「おっ、ローソンだ」

発作的にハンバーガーと缶コーヒーを買い、

街をうろうろするも、適当な喰う場所がない。

病院からは、そう離れられないしな…

で、思い出したのが、

普段からなんとなく印象の良くないH公園だった。

(あそこしかないな)

通りの横にあるH公園に辿り着くと、

なんだか陰険な気配が漂う。

暗いベンチに座ると、ヒェーとなるほどケツが冷たい。

それでも、まわりにポツポツ人が座っているが、

そんなのはどうでもよいのだ。

とにかく腹ペコ!

ハンバーガーにむしゃぶりついていると、

少しづつだがしあわせ感が蘇ってきた。

冷蔵ハンバーガー、温めてもらえば良かったな、

なんていう余裕も出てきたのである。

一息吐く頃、ようやくあたりの気配に気がつく。

と、通りを行き交う人たちが、

私のほうをちらっと見て通り過ぎていくんだな。

粋がった兄ちゃんのグループが、こっちをガン見したあと、

そっぽを向いた。

こんな時間にこんなところでなんかむしゃむしゃ喰っている奴には、

かかわりたくはないね。

そういう感じ。

よく見ると、私の前に、浮浪者とおぼしき同世代のオヤジが、

新聞と雑誌をベンチに積み上げ、

それらを丁寧に眺めている。

いや、読んでいる?

(こんな暗いところで読める訳ないだろ)

内心つぶやいてみたものの、ひょっとすると?

そう、このオヤジは極寒をものともせず、

着ているものはぼろぼろだが悠然とした風体。

姿勢も良い。

なんと、暗がりで優雅にモノを読む能力を備えていたのである。

(うーむ、やるな!)

オヤジがこっちをチラ見して、ちょっとニカッとした。

私を新参者と思ったのか?

腹も満たされ、カラダも暖まった。

まだ連絡がこない。

しょうがないので、タバコを吹かしてベンチでダランとしていると、

今度は妙な開放感が湧き上がってきた。

公園の薄暗い街灯が、いい感じだな、とか、

どこでもリラックスできるっていいなとか、

缶コーヒーって割とうまいなとか、

道行くおっさんたちを眺めていると、

なんだかあのグループってみんな無理してるな、

とかね。

結局、この日の夕飯は、冷えたハンバーガーと缶コーヒー。

奥さんの診断はたいしたことないということで、

塗り薬を頂いた。

後日、奥さんの足の指の腫れもウソのように治った。

あれから私は、なんだかナマぬるい、

そして金のかかるアウトドア生活なんかではなく、

もっと新しい、

自由奔放なライフスタイルというものに憧れているのだが、

そんな話を奥さんにしたら、

ウチはいつでもなれるわよと言われた。

意味深ではある。

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極狭回転寿司屋

確か、新宿御苑あたりだったと思う。

打合せの前に腹ごしらえでもしようと、

「寿司」ののれんだけ見て飛び込んでしまった。

と、店内が驚くほどの極狭で、客の入りは九分ほどか。

空いてる席をみつけたのはいいが、なんせ店内が狭くて、

「スイマセン」と壁に這いつくばりながら、

やっと席へと辿り着く。

でだ、ひと息ついて顔を上げると、

前の人との距離がやたらと近い。

居酒屋で知った同士がワイワイやるより、

若干離れている程度。

で、シラーっとしている訳ですね。

黙々と食っている人もいれば、

空中のどこかっていうんですか、

茶をすすりながら、

焦点が定まらない目つきの人が多い。

板さん寡黙。

ミュージックなし。

ため息とか、シッシッーとか、たまに聞こえる。

家庭用、いやパーティー用にでも重宝しそうな、

寿司を運ぶ超小型ベルトが、

始終カタカタと回っている音だけが、

狭い店内に響いている。

喰っていて、どうも落ち着かない。

なんだか音とか視線とかが、やたら気になる。

妙な緊張感でした。

人ってそれぞれパーソナルスペースとかいうものがあって、

おのおの、その距離が違うらしい。

もちろん、親しい仲であればその距離も縮まるが、

見ず知らずの他人との距離が近くても平気な人もいれば、

極端に遠い人もいる訳で、

その距離より中へ入ると、人って緊張する。

いわば警戒心ですね。

私は、このパーソナルスペースが大きいと自覚しているので、

例えばエレベーターなんかで満員だと、

ちょっと疲れたりしてしまう。

だから、知らないのに妙に馴れ馴れしい、

無神経な距離感の人、

こういうのは苦手です。

パーソナルスペースは、私が思うに、

どうも野生動物の観察から分かったものじゃないかと推測する。

彼らは、パーソナルスペースに他者が入ると威嚇したり、

また、弱い動物の場合は、即逃げ出すでしょ。

まあ、生きるための本能です。

しかし、都会人がこんな具合だと生活もしていけないので、

皆、無理して、

パーソナルスペースをぐっと縮めているように思う。

これが都市で生きる知恵でもあり、

都会人に欠かせない資質のひとつなんじゃないでしょうか。

あるとき私は、自分の前世というのを観てもらったことがあるが、

私の前世はアメリカインディアンの酋長だったらしい 笑

どうりで、広々としたところでやたらに落ち着くのか、

合点がいった。

でですね、

もう一度、あの極狭回転寿司屋に挑戦してみようかなと思っている。

今度は、満席時を狙ってあえて空気を読まずに、

独りごとのようにギャグを呟くというもの、

なんですが…

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オレのロック

オレって嵐の夜に産まれたんだゼ

横殴りの雨が産湯って訳さ

お袋のことは愛していたけれど…ね

ああ でももう平気さ

そんなのも味なもんだぜ

そう イカした話さ

オレこそ 飛び跳ねるフラッシュだよ

カッコイイだろ

汚ったない魔女に育てられ

嫌というほど殴られた幼年時代

ああ でももう平気さ

そんなのも味なもんだぜ

そう イカした話さ

オレこそ 飛び跳ねるフラッシュだよ

カッコイイだろ

それからオレは溺れさせられ

そう 見捨てられたんだ

足は血まみれ

それからだよ

些細なことにもオレはイライラするのさ

そうさ この大きな釘がね

オレの王冠さ

ああ でももう平気さ

そんなのも味なもんだぜ

そう イカした話さ

オレこそ 飛び跳ねるフラッシュだよ

カッコイイだろ

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夜更けに想うこと

そのむかし

天使と

悪魔が

酒を酌み交わし

意気投合してつくったのが

人間なんだなぁ

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悲しみ

指さす先の

見上げた

きっとあのあたりに

私の悲しみはあるのだろう

忘れ物を

心の何処にしまっておこうか

ああ

神様だって忘れてしまって

空が泣いている

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化学反応

グラスを持つ

スッと伸びる透けた指先を

いままで見たことがなかったので

ドキンとした

つまらないかなと思いながらも

ジョークをひとつ

その振り返る笑顔に際だつ

唇のかたち

それから或る日

駅の改札で君を待っていたら

いつもジーパンなのに

あれ めずらしく

フレアのスカートが揺れて

ボクの心が揺れて

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或る日

広く どこまでも遠い

あれは草原だろうか

風が強い日だった

耳のあたりが騒々しいほどに

草が木々がなびいている

ちょうど山並みが切れたあたりに

薄水色の空が貼り付いている

底辺をスパっと切ったような

雲がひとつ

いつ頃からだろうか

私はその雲を眺めている

19歳の春

翌年 私は横浜の街を出た

何でもない日だったが

その日のことを

憶えている

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世界の片隅から

陽が昇ると

太陽神はほうぼうを見渡し

誰それが何処でなにをしているかを

瞬時に知ることとなる

そして一息吐くと海神と世間ばなしをするが

つい愚痴をこぼしてしまう両者は

笑いながらも 夕方には

また深刻顔になってしまうのが

太古からの日課のようなものだった

やがて星々がまたたき始めると

月神が山神と話し込んでしまい

遠い銀河系の噂を小耳に挟んだりして

夜明けが遅くなったりするものだから

困ったものだと

朝つゆがぼやく

世界の営みはいつも

危ない綱渡りで成り立っている

放射能のいつまでも消えない恐怖が

一体どこにあるのだろう とか

酸素と二酸化炭素と窒素のバランスは

充分に保たれているか とか

ああ

またあの山を削りこの川を汚して

海まで毒を垂れ流しか とか

一体人はなにをどこまで傷つけ

いやそれが分からないほどに

追い詰められているということなのか

たとえば

浜辺で気持ちよく昼寝をしているウミガメに

誰がヒモを縛っていいと言ったのだろう

大統領や首相なんぞが偉いのでもなんでもない

将軍が勢力図を動かしているのではないことは

自明の理だ

だからミサイルが原爆が

誰が誰に

なにをしたかと問うてみたことがあるか

ではと

国境を取っ払って人種をまぜこぜにして

世界の平均化か

だが行き着くところ

結局私たちは

オトコとオンナとどちらが得か 強いかとか

つい下世話になってしまうのだが…

陽が昇ると

太陽神はほうぼうを見渡して

誰それが何処でなにをしているかを

瞬時に知ることとなる

そして一息吐くと海神と世間話をするが

つい愚痴をこぼしてしまう両者は

笑いながらも 夕方には

また深刻顔になってしまうのが

太古からの日課のようなものだった

やがて星々がまたたき始めると

月神が山神と話し込んでしまい

遠い銀河系の噂を小耳に挟んだりして

夜明けが遅くなったりするものだから

困ったものだと朝つゆがぼやく

世界の秩序は混乱していて―

宇宙の意志は

いま本当に困っているに違いない

※本稿は2006年10月にmixiに掲載したものを改編したものです。

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パキラ

武蔵小山の商店街でパキラを買った。

その大きな鉢を抱えて、奥さんと、
まだ幼かった長男を連れて電車に乗った。

葉をぶつけないように、じっとドア近くに立つ。

(幸せになれるかな…)

横に座っている奥さんと長男が、
揺れるパキラの葉をじっとみつめている。

ふたりで、いや3人で、
この観葉植物が育つことに、
将来の想いを込めた。

幸福の樹とか金のなる樹とか、
そのものズバリのものもあったが、
ふたりして、パキラを選んだ。

あのかよわそうな葉が、
私たちの現実に則しているようで、
親近感を感じたからなのか。

住まいはかなり古いマンションで、
朝日と夕陽だけがあたった。
風の抜けが悪い。

東急ハンズで買った白いカモメが、
台所の天井からふわりとぶら下がる。

独立記念にと、
代官山の工房でオーダーした黒いテーブルに座ると、
気が引き締まる。

後ろのサイドボードの上に、
浜辺に無人の椅子があるだけの、
わたせせいぞうのポスターを飾った。
リクライニングになった椅子の布が、
浜風になびいているその絵が気に入っていた。

家賃69000円。
当時としても、破格の賃料のマンションだった。

しかし、初月に稼いだギャラは33333円。

こんな日が続くと、つい新聞の求人欄に、
目がいってしまう。

そしてどういう訳か、何かに願をかけたくなる。
それがふたりの選んだパキラだった。

根元にきれいなビー玉が敷いてある。
水やりは多すぎず少なすぎず。
直射日光は厳禁とした。

こうしてパキラの葉が伸びてきた頃、
少しづつ仕事も増えてきた。

が、どうしても生活費が足りない。
息子のおむつ代の捻出さえ苦しい。

とうとう実家に泣きつくと、
私たちの計画のなさ、無謀な独立に、
さんざんな言われ方をした。

私は無言で頭を下げるしかなかった。

先の新聞の求人欄には、
外注求む、というのも時折あったので、
とにかく電話でアポをとり、
毎日毎日、
嫌というほど東京中を歩き回った。

息子は日に日に大きくなる。
服代も馬鹿にならない。
こんなときに、よく深いため息を吐いた。

が、いま思えば、
こんな愛おしい時間はなかった。

3人で、よく近くにある洗足池を歩いた。
桜の季節になると、夜桜を見に行った。
いつも家族一緒だった。

私は、パキラを大切に育てた。

この先、独りでどこまで行けるのだろう。
果たして、この3人に豊かなときは来るのか。

仕事が軌道に乗った頃、
私たちは住まいの狭いのに耐えられなくなり、
新しい街へ引っ越した。

そのアパートの一室を、仕事部屋にした。
和室の畳の上に例のデスクを置き、
窓に黒いブラインドを付け、
その部屋の隅に、更に大きくなったパキラを置いた。

やがて娘が産まれると、
家の中は更ににぎやかになり、
ついつい仕事を放りだして遊ぶこともあった。

背ばかりが伸び、
青々とした葉がダランとしたパキラに、
或る日気がついた。

が、もう私は、
パキラのジンクスを気にする風もなかった。

やがて新築のマンションに引っ越すと、
もうあのパキラの姿はなかった。

自分の人生を、
観葉植物なんかに左右されてはいけない。
少なくとも私は、そう思った。

しかし、やがて東京を離れるときは来た。

そのときも、やはり私と奥さんは、
新天地で新しいパキラを買っていた。

そうやって何度もパキラを買っては、
大事に育て、
それを枯らしては、やはりうなだれるのだ。

年が明け、
近所の花屋をうろうろしていた私たちは、
無言のうちに、
また新たにパキラを買ってしまった。

この単なる植物に対する私の気持ちを、
先日奥さんに初めてまともに話したところ、
彼女も全く同じ気持ちだったと、
深く同感の意を示した。

そんなジンクスなんか、
お互いに、
一度もちゃんと話したことなんかなかったのに…

パキラはいま、
居間のテレビの横で深い緑の葉をピンと張り、
新芽を吹いては、ちいさな幼子のような葉を
次々に開いている。

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死ぬ前に後悔したくないこと

↑ネットサーフィンしていたら上のタイトルの記事が目に留まった。

縁起でもないが、いい年になってしまった私なんかは他人事じゃない訳で、

思わずチェック!!

出所は海外サイトらしいが、まあ人は皆同じようなことを思うのかな?

が、しかし、この記事が実際に死期の迫った人から集めたものなのか、

予想記事なのか、そこが不明。

まあ、いってみよう!

●他人がどう思うか、気にしなければよかった。

海外の人も割と気にするんだ、と軽く突っ込む私でした。
イメージほど、自己チューではない?
で、とりあえず生きているとですね、私なんか、
まわりが気になることもあります。
この国には「世間体」というコトバもあるくらいで…
が、ここ一番ってときには気にしないようにしたい。
でないと、誰のための人生か、ということになってしまいますから…

●もっと幸せを噛みしめて生きればよかった。

何を言ってるんただかよく分からないのですが、きっとこういう人は、
日頃から不満ばかり言っているのではないのでしょうかね。
または、高望みとか無い物ねだり、とか。
私は最近軽い悟りを得まして、快適に眠れる場所がある、とりあえず
おいしくご飯が頂ける、そして自分の足で歩ける。
これだけで、幸せを感じられる域に達しております。

●もっと他人のために尽くせばよかった。

ボランティアとかがその最たるものでしょうか?
あと、寄付とかですね?
他人に尽くすという行為は、何を差し置いても美しいと思います。
また、何かの記事で読んだのですが、人に何かをプレゼントするという行為も、
脳からかなりの幸せ物質というものが放出されるそうです。
なにはともあれ、人の役に立つことは、
きっと生きていたという証になるのでしょう。

●あんなにくよくよ悩まなければよかった。

あんなってどんなか分かりません。
よって、くよくよ悩むことを否定しているのでしょう。
しかし、そういう事ってよくありますものね。
悩みと煩悩は人であることの証明です。
生きていれば必ず付いて回るものなのですから。
この場合、きっと、くよくよ、がいけないのでしょうね。
ざっくりとか爽やかに悩む。これなら後悔しないと思うのですが…

●もっと家族と一緒に時間を過ごせばよかった。

例えば飲んだくれて、いつも午前様とか、仕事にかまけて、家に帰らないとか…
が、この場合、まず家族の意思疎通が、なにより大事なことのように思います。
でないと、一緒の時間をつくったところで、シラケるだけですからね。
そこのあなた、仕事が終わったら、さっさと家路につきましょう!
家族は、小さな社会です。それもあなたの最愛のね。

●もっと時間があったなら。

死ぬ前に…とタイトルにもあるように、もっと生きたかった!
それ以外に、このコトバの意はないでしょう?
これで終わり、やりきったと言える人生など、ほぼないと思います。
悔いが残る―それは皆に通ずる人生の週末。
だから、古今東西の偉い人たちは、不老不死を求めて、
あらゆるモノ、コトを試したのでしょう。

●もっと冒険して、思い切って生きればよかった。

博打のような人生? 世界の辺境を旅する? 人によって冒険の概念は様々だとは思いますが、
どうせ人は死んでしまうのだ、と初めて身に迫ると、こんな後悔をするのでしょう。
ぬるま湯に浸かって生きてきた、チマチマっとした生き方をしてきた…等々。
一生のうちに二度や三度のチャンスは必ず訪れると言います。
時には、大胆に生きることも必要なのかも知れません。

●もっと自分を大切にすればよかった。

大切にするのは、心ですかね? カラダですかね?
ストレスを貯めない、健康的な食生活―これがまず早死にしない基本のようですが、
割と実行するのが難しい。
私もいろいろ患いましたので、最近ではいろいろと気を配っています。
が、寿命という天から与えられた運命というものがあるとしたら、
もうどうにもなりません。
そこが生命の不思議なのですが…

●他人の言うことより、もっと自分の直観を信じればよかった。

これに関して、私はいつもそうしてきましたが、
果たして他人の言うことに操られる人のほうが、私は信じられない。
自分のことくらい自分で決めましょうよ。これは死ぬ前じゃなくても、
当たり前のことです。
でないと、怒りとかやりきれなさが残るだけだと思うのですが。

●もっと旅に出ておけばよかった。

これに関しては、私も後悔しそうな予感がします。
子供が小さい頃は、無理をしてでもでかけたものですが、
イケマセンネ!
時間がない、お金がない、最近はそんなこんなで旅行が年々減っています。
で、思いついたのですが、これからは出張の多い仕事をつくろうと…

●子供たちに好きなことをさせてやればよかった。

これは文句なく、賛成ですね。
子供がやりたいことを邪魔するって、どんな親でしょう。
親の価値観で強制したところで、子供にとっては何の意味もありません。
まず我を捨て、寄り添い、共感することから始める。
ただ、悪いこと、利己的と思われることは、徹底的に対峙すべし。
いい関係が築けると思うのですが…

●最後に言い争いなどしなければよかった。

人生は短いものです。言い争いが元で、愛する人との関係が絶たれるのは、
世間ではよくあることのようですが、
最後の会話がいつになるかと考えたなら、後悔先に立たずです。
人生の最後なんて、ふっと訪れる。
その瞬間のことなど、人はたいてい考えていないものだから。

●自分の情熱に従えばよかった。

情熱って、原動力ですからね。仕事も恋も…
途中で理性を働かせると、ソコソコ無難な結果に終わります。
その点で、オトナは辛いですね? 理性が邪魔をする。
いや、臆病風が吹く?
やはりですね、情熱に従った方が、後悔が少ないらしい。
ベンキョーになりました!

●なにかひとつでも目標を達成すればよかった。

よく、人生はやるかやらないか、それだけだとも言われています。
だからなのか、何も手を汚さない評論家気取りは嫌われる。
やって失敗するより、臆して事を起こさないほうが、悔いが残るとも。
やりたいことがある、目標を立てる、後はやるかやらないか。
だから達成の第一歩が、まず第一歩から進むことに違いないのだ。

人生は一度っきりです。
いまのうち、生きているうちに、
どんどん後悔して、ガンガン修復しましょう。
いまからでも遅くない!
残りの時間には、チャンスしかないと思って…