或る編集者の記録

その、気になる文庫本は、ビレバンの棚で寝ていた。

買い主を探す気もないように見えた。

タイトルは「編集者の時代」。マガジンハウス編となっている。

サブタイトルは、―雑誌づくりはスポーツだ―

良いタイトルだなと思い、私が強引に起こし、レジへ。

アマゾンでも見落としていたような本が、

街の本屋でみつかったときは嬉しい。

本屋にないものがアマゾンでみつかることもあるが、

これはそれほどの感激はない。

あったな、というだけ。

私たちは、買うスタイルを使い分けている。

売り手さんは上手く共存してください―

これが本屋さんに対する私の理想だ。

で、この本のまえがきを読むと、

「ポパイ」という雑誌が1976年に創刊されたことが分かる。

計算すると、私はまだ学生だった。

ポパイは、よくカタログ雑誌と評された。

アメリカの西海岸やハワイのライフスタイルを手本に、

そこで活躍しているモノを通して、これらを日本に紹介する、

当時としてはある意味画期的な雑誌だった。

この頃、私のまわりは皆、

ポパイファッションになっていた。

もっと遡ると、

お兄さんやお姉さん方はすでに平凡パンチの影響を受け、

アイビールックで街を闊歩していた時期があった。

あれもこれも、上記の本の編集者たちが仕掛けたものだ。

社名を平凡出版からマガジンハウスと変えてからも、

そのパワーは持続していた。

世の中のファッションやライフスタイルを変えるほどの影響力を、

彼らはもっていた訳だ。

なかでも、注目される編集者が木滑良久という人。

かなりの有名人で、

一時はテレビにも頻繁に出ていた。

彼が、これらの企画の元をつくった人と言われている。

彼の素材モチーフは、アメリカにあった。

現代に置き換えると、

私たちの知らないアフリカのオシャレなファッションや雑貨、

ライフスタイルなどをいち早く日本に紹介する、

ファウンダーというところか?

後年、私も雑誌編集者となったが、

この本に書かれているように、世の中の風向きを変える、

という華々しい経験は皆無。

マイナー誌だったので、だいたいが後追い状態。

これらの雑誌類とは編集方針が違うといえば聞こえは良いが、

金がない、人が足りない…いや、企画力と情報収集力、

更に編集力がなかったと言ったほうが正確だろう。

「編集者の時代」は、

ポパイの或る時期の編集後記を書き連ねただけのものだ。

しかし、年代と記事の中身を読みあわせると、

不思議なほど、その時代の空気が再現されている。

サーフィン、スケボー、ウォークマンスタイル、ラコステのボロ、

スタジャン…。これらの流行に加速をつけたのもポパイだ。

それは羨ましくもあり、読み進める程に、

ひとつの時代を築いた自負が感じられる。

(このグループが後に女性誌「オリーブ」を創刊する)

1977年8月10日の編集後記は、

ジョギングについて書かれている。

まず、ニューヨークのセントラルパークや、

ロスのサンタモニカのジョギング風景が紹介され、

それは都市のライフスタイルとしてカッコイイんじゃないか、と。

そして、海の向こうの彼らは、

生活のなかに自然にスポーツを採り入れているよと…

何気に日本の空気を変えようとしている。

翌月はこうだ。

「ポパイは理屈が大嫌い」

70年安保を経て、日本には、依然アカデミックの風が闊歩していた。

この時代の主役雑誌は、言わずと知れた朝日ジャーナル。

とにかく、政治を語れない奴は生きている資格なし、

のような時代もあった。

しかし、これに対するアンチテーゼが、

平凡出版の「平凡パンチ」であり、

その軽さを継いだのがポパイのような気がする。

新しい時代の訪れだった。

ポパイの他、ブルータス、オリーブ、

本の雑誌、広告批評、NAVI、ミスターバイク、ビーパル等、

創刊ラッシュが起きる。

景気は更に上向き、

雑誌編集者もエンターティナーとなってゆく。

前述した木滑良久がテレビに出ていたのも、

こうした背景からだろう。

他、嵐山光三郎さんや、先に紹介した「本の雑誌」の

椎名誠さんらが加わる。

「編集者の時代」のあとがきは、

後藤健夫さんというポパイの創刊メンバーの方が書かれている。

それによると、

木滑良久さんの口癖は「男は少年の心を忘れてはいけない」

だったそうである。

更に、海の向こうの「エスクァイア」の創刊編集長であった、

アーノルド・ギングリッチの言葉として、

「雑誌づくりは青年の夢だ」を引用している。

一時代を牽引したポパイは、いまも刊行されているし、

ブルータスと共に、またまた息を吹き返しているようにみえる。

一見、なんの主張もないような雑誌とみる向きもあるが、

作り手には、実に熱いものが流れているのが分かる。

雑誌とか本づくりとは、本当はこのようなものなのかも知れない。

つくっている本人が面白くない本など、なんの価値もない。

この本を読んでいて、

なんだか私も再び雑誌をつくりたいと思うようになった。

ネットに較べて、予算、人員の割き方も去ることながら、

その投資しただけの企画とこだわり、

そして直しの利かない真剣さを求められるが、

それだけの価値が、この仕事にはある。

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ゴミの山を、宝に変える魔法。

以前、論語に関する本を何冊か買って読んでいた。

が、どれも難しいか、断片的な物言いで、

どうも論語の全体像が掴めないでいた。

ウィキペディアでみても、いまひとつ

物足りない。

或る日、本屋でふと論語の特集をやっている

ムック本が目に留まる。

これが秀逸の出来で、その編集力に恐れ入った。

そもそも論語とは、から始まり、

その歴史や時代背景、

孔子の生い立ちや人脈等が

コンパクトにまとめられている。

ひとつひとつの語彙の解釈も簡潔で、

そのことばの奥深さもみえてくる。

断片的に知っていた論語に関する知識が、

すっと頭のなかで繋がる。

図解やイラスト、デザインも丁寧で、

これは、ネットではまず出せない味わいと思った。

本として実体として存在しているのも、好感がもてる。

やはり紙はいいなぁと…

気になる箇所に印を付ける。

読みかけのページに折り目を入れる。

こうして、私のオリジナルになるのだな、と実感。

最近、一時より本の買い物も増えている。

なぜか大判のムック誌が多いが、よくよく思い返すと、

誌面のビジュアルと編集力が魅力なのだろうと思う。

ネットの世の中だが、いい加減疲れることが多々ある。

というのも、前述した編集力が、

どこも欠けているのだと気づく。

紙の良さも、改めて納得。

が、それ以上に、やはり編集力なのだ。

良い雑誌をみるにつけ、

話題、コンテンツのまとめ方、デザイン、写真――

――どれをとってもプロの仕事だなと感心する。

これらが有料なのは、考えてみれば当たり前。

一時、フリーというベストセラーも出たし、

ネットを始め、情報や知識はタダという風潮がある。

しかし、良いコンテンツに対して敬意を払い、

その対価を支払うというのは、

極めて自然な行為だ。

紙かネットかという議論は、この際置いといて、

私が言いたいのは、ずばり編集。

世の中に転がっているタダ情報を、

どう組み合わせ、どこにポイントを置くか?

また、それをどう見せると魅力的なのかを、

編集のプロは心得ている。

今後、編集力は、ますます需要が増すだろう。

良い素材は、巷に落ちている。

後は調理次第で、料理の出来は

どうにでもなる。

うまい料理をつくるには、

編集力がものを言う。

若い人たちがこれから学ぶとしたら、

私は「編集」をオススメする。

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遠い夏の日に

白い砂浜

淡いピンク色の貝殻が

ひとつ

忘れられたように落ちていて

まるでルビーでもみつけたかのように

ボクはそれを拾い上げる

空にかざすと

貝殻が透けて光る

渦のなかに

溢れるばかりの光をためて

貝殻は白い幻をつくり

ボクを招いたんだ

浜辺に寝転がり

今度は貝殻を耳にあて

そして

ボクは遠い夢をみた

あの町の雑踏と遠い潮騒が

きこえる

それは

町のはずれの

海辺の商店街だった

一軒の店の軒先で

のぼり旗が風になびく

「氷」と書かれた赤い文字

縁側に

ランニングと半ズボンの男の子

(ボクだった)

向かいで

キミはレモン色のかき氷をすくって食べている

二人の姿だけが

夏の日の景色のなかで

ぽつんと浮かび上がる

立てかけの葦簀に

おでん

どれでも5円の貼り紙

僕はちくわぶの汁をすすり

潮で冷えた躰を温めていて

脇にブリキの自動車のオモチャが

転がっている

まだ幼いけれど

ボクは初めてキミと二人になれたことに

胸が高鳴り

だけど

なにも話せない

(こんなボクのことを

キミは薄々知っていたんだろうね)

店の後ろの林で

相変わらずみんみん蝉が鳴いている

レモン色のかき氷をスプーンに乗せて

キミがボクの口元に運ぶ仕草をした

その後のことは

ボクはもうなにも覚えていないけれど…

二人はあの町で生まれ

やがて中学を出ると

僕は隣町へ引っ越し

数年ののち

キミのことを尋ねたら

どこかへ引っ越したらしいと…

いつも大きななみだ目

小さい唇

くるくるの髪の毛の

まるでお人形さんみたいなキミが

いなくなった

だけどね

いつかキミも

この砂浜で

この貝殻をみつけて

ボクのことを

きっと思い出すだろう

それは

いくら考えても

不思議な話だけれど

そういう事ってあるのよと

貝殻が

ボクに教えてくれんだ

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キャッチコピー狂時代

名作と呼ばれるコピーを集めたサイト、

「キャッチコピー狂時代」を先日アップしました。

題して、

―あの頃の広告には、愛があったな。―

単なる懐古趣味に映りますが、そうではありません。

良いものを再認識し、これからの仕事の糧にしよう、

というのが本サイトのコンセプト。

私も一応コピーライターなので、

名作と呼ばれるコピーを読み返す程に、

やはりなにかが違うと思います。

ことばにオーラがあります。

ベンキョーになります。

あと、このままだと名作が風化してしまう、

忘れ去られてしまうという危機感もありました。

こんな想いで本サイトを企画しましたが、

まずはさわりを…

「きれいなおねえさんは、好きですか」

媒体 TVCM

広告主 松下電工(現・パナソニック)

商品 美容家電

放映 1992年

コピーライター 一倉宏

ドキッとする問いかけである。きれいなおねえさんって、
姉ですか、いえ、年上の女性のことですかね?
水野真紀や松嶋菜々子を起用し、訳あり気な目つきで
コチラを見る仕草が、このコピーと相まって印象的でした。
そう問いかけられて、好きですよって、つぶやきましたが…

「触ってごらん、ウールだよ。」

媒体 TVCM

広告主国際羊毛事務局

商品 ウール素材

放映 1975年

コピーライター 西村佳也

このコピーは、あまりにも有名ですね。
ウールの良さを端的に言いあらわした卓越のことばです。
繊維は肌触りでその良さが分かるから、そこをグダグダいわず、
触ってごらん、とくる。言い方もやさしい。それでいて、直接的。
すっと胸に訴えかけてくる名作です。

「すこし愛して、ながく愛して。」

媒体 TVCM

広告主 サントリー

商品 ウイスキー・レッド

放映 1982年

コピーライター 藤井達朗

愛の総量は決まっているかのようだ。だから、愛は
大晦日に食べる蕎麦のように、細く永く生きられますようにと同じく
小出しにする?いや、そうではなく、永遠に愛が続きますようにと、
しとやかな女性の真心が伝わる、素敵な仕上がりとなっている。
大原麗子さんの演技も光っていました。

キャッチコピー狂時代サイトはコチラ!

http://catch-copy.info/

世界遺産のマウント富士が気になるなぁ。

去る6月、富士山が世界遺産に登録された。

これは皆さんもご存知の通り。

富士山は古来より神の山といわれ、崇められてきた。

全国に点在する浅間神社は、そもそもここが発祥なのだ。

ご神体は、富士の山そのもの。

古くから修験者の集まる山でもあったようだ。

日本の自然信仰を語る上で欠かせない、霊峰なのである。

江戸時代には、かの浮世絵師・葛飾北斎が、

富嶽三十六景に赤富士をはじめとする、

富士山コレクションを収めた。

この絵はやがて世界を巡り、マウント富士は日本のシンボルとなる。

続く広重も富士の山を多角的に描いている。

更に遡れば、古くは万葉集にも詠われている。

また、竹取物語にも富士山が登場するというから、

思えば、いろいろと凄い山なのだ。

しかし、富士山は言わずと知れた活火山。

いつ爆発してもおかしくないと言うのが、

いまでは定説になっている。

先日テレビを観ていたら、

富士山の山体崩壊についての解説をしていて、

思わず見入ってしまった。

私は神奈川在住なので、

万が一富士山が噴火すれば、かなり被害を受けると予想される。

思えば2年前の夏、富士の麓の湖でキャンプを楽しみ、

朝方には、おめでたいとされる赤富士の写真を収めたというのに、

なんか不吉。

最悪の場合は、富士山全体が崩れ落ち、

あの美しい姿もなくなってしまう程、様相が変わってしまうと言う。

ええっ、世界遺産だぜ!

どのタイミングで世界遺産が山体崩壊なんだ。

人気が高まる一方で危機が迫っているとは、なんとも皮肉だ。

私の回りでも富士登山経験者やこれから行くぜ、

という人が増えている。

今年の登山者は、去年の1.5倍とも言われている。

が、私はこの時期は、正直怖いなぁ。

富士山の最後の噴火は、江戸時代の宝永大噴火だが、

このときの噴煙は成層圏にまで達し、

江戸の町にも数センチの火山灰が降り積もったという。

震災以降、本当に地球は動いている、生きているんだ、

ということを実感させられる。

その上でシコシコ、いや偉そうに暮らしている私たちだが、

その実、人間なんてとても小さな存在なんだなぁと思い知らされる。

安全・安心などという保証など何処にもないことも分かってきたし…

未来予想に神がかりな話。ガスマスクと倒れない家。

最低限の食料と水と、あと、

未来って、本当にあるのかなぁという不安。

だから、これ以上のリスクは勘弁して欲しいのに、

人間が起こす戦争・紛争の類いは一向に減っていない。

冷静に考えると、これは馬鹿げている話なのだが、

今後、地球のどこかで戦争でも始める奴がいたら、

俺たち人間は、本当の馬鹿なのだ!

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キャッチコピー狂時代

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題して、

―あの頃の広告には、愛があったな。―

単なる懐古趣味に映りますが、そうではありません。

良いものを再認識し、これからの仕事の糧にしよう、

というのが本サイトのコンセプト。

私も一応コピーライターなので、

名作と呼ばれるコピーを読み返す程に、

やはりなにかが違うと思います。

ことばにオーラがあります。

ベンキョーになります。

あと、このままだと名作が風化してしまう、

忘れ去られてしまうという危機感もありました。

こんな想いで本サイトを企画しましたが、

まずはさわりを…

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コピーライター 一倉宏

ドキッとする問いかけである。きれいなおねえさんって、
姉ですか、いえ、年上の女性のことですかね?
水野真紀や松嶋菜々子を起用し、訳あり気な目つきで
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そう問いかけられて、好きですよって、つぶやきましたが…

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コピーライター 西村佳也

このコピーは、あまりにも有名ですね。
ウールの良さを端的に言いあらわした卓越のことばです。
繊維は肌触りでその良さが分かるから、そこをグダグダいわず、
触ってごらん、とくる。言い方もやさしい。それでいて、直接的。
すっと胸に訴えかけてくる名作です。

「すこし愛して、ながく愛して。」

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放映 1982年

コピーライター 藤井達朗

愛の総量は決まっているかのようだ。だから、愛は
大晦日に食べる蕎麦のように、細く永く生きられますようにと同じく
小出しにする?いや、そうではなく、永遠に愛が続きますようにと、
しとやかな女性の真心が伝わる、素敵な仕上がりとなっている。
大原麗子さんの演技も光っていました。

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流浪

笹の葉でつくった

華奢な船に乗り

ぶつかり揺られて

そのうち落ちる

そうやって生きている

そんな生活でいいのかと

尋ねたが

逆に

狂っているな

あんた達と…

好きなものなど

知る術もなく

愛するものは

自分のみ

この夜の月も

あの海の広い心も

あたしだけの為よとか…

そうなのかい?

あんた達って

そんな檻に棲んでいるから

明け方のちょうど4時20分に回るテープの

歪んだ音のその声に眠っている

ひとかけらの真実が

聞けないのさと

なにも見えていない

聞こえないから

恐ろしいんだな

あんた達

それが

この世の本当の姿なんだと

今日も

高台から明日を見渡すと

光る水面に

やはり笹舟のあなた

濡れた姿まで

それがまぶしく

美しく

揺られ流され

午後の日射しのなかに

しまいに

消えてしまったけれど

もう一度

あんた達

狂ってるよって

話して欲しかった

あなたという種族が

確かに生きていた

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東京脱出計画

かつて、那須に土地を買ったことがある。

お金を貯めて、その土地にログハウスを建てる。

畑を耕し、裏の那珂川で魚を釣り、その日暮らしをする。

そんなことを考えていた、と思う。

那須の土地を見にいった日は、今日のように暑い日だった。

那須インターを降り、めざす販売地に着いても、やはり暑かった。

その土地は山奥で、付近一帯だけが整地されていた。

まわりは、うっそうとしている。

雑木林が、明るい陽を遮っている。

が、暑い。東京より気温は低いらしいが、湿度が高い。

むっとする、重い空気だった。

「なんだかここ、暑いですね?」

私が、立ち会いに来た不動産屋のおっさんに話しかけた。

「そうですか、私は別にそんな暑くないですね。

ここは高原ですので、かなり涼しい筈なんですがね…

あっ、でも今日は異常ですね、○○さん。悪いときに来ちゃいましたね」

「……ふーん、そうですか……」

敷地は、長方形で地形は良かった。道路は4㍍程だが、

こんなもんだろうと思った。

奥さんが「この辺は買い物はどこへ行くのですか?」

と切り出した。

不動産屋のおっさんが汗を拭き始めている。

で突然ニカッと笑って、先ほど私たちが来た方を指さす。

「いま来た道を15分程戻った所に、スーパーがありますよ。

気がつきませんでした?」

私たちは顔を見合わせ、知らないという顔になった。

後から思えばだが、このおっさんは焦っていた。

店の看板が小さかったから見過ごしたとか、

店が道路から奥まっているとか、いろいろ言い訳をしていた。

断然怪しいおっさんなのだが、

当時の私には、不動産を見る目が養われていなかった。

加えて、自然がいっぱいのところで暮らすことが最良と考えていた私は、

早く引っ越す土地を確保する気持ちばかりが先走っていた。

来る日も来る日も、スケジュールに追われ、

徹夜など当たり前なのに報われない…

そんな東京での生活に早くピリオドを打とうと、

私は私なりに必死の土地探しだった。

しばらく愛想を振りまいて、

へらへらの白いシャツを着た不動産屋が先に帰った。

ボロのカローラが印象的だった。

私たちはやることもなく、またじっとその土地を見ていても、

なにも新しい発見もないので、

裏の小さな川をみつけ、橋から下を眺めていた。

長男が、橋の下で休んでいるアオダイショウをみつけた。

おおっとみんなで叫ぶと、今度は石を投げた。

私が、まだ幼かった長男と、そのアオダイショウに、

必死で石をぶつけていた。

アオダイショウは逃げたが、

後でなんであんなことをしたのか振り返ったが分からない。

アオダイショウが、

私たちより先にあの川にいたことだけは、確かだった。

田舎で暮らすこととは、こうしたことが考え所と、

私は思ったものだ。

そして、私はあそこにログハウスを建て、

どのようにして生計を立てようとしていたのか、

そこが全く抜けていることを薄々知っていたのに、

全く考えないでいた。

なんとかなるとも、ならないとも検討しない。

そんな精神状態は、東京から逃げる、という言葉がふさわしかった。

それほど疲れていたのだろう。

奥さんは、この計画が実行されることはないと踏んでいた。

後に聞いたが、私が余りに疲れていたので、

計画に口を挟む余地がなかったと言った。

しかし、この土地を買ってから、

私に変化が起こった。

いつでも逃げられる態勢だけは整えたので、

なにかゆとりのようなものが芽生え、

それが私を楽にしてくれたのだ。

そのうち、この土地を持っているという気も薄れ、

再び仕事に没頭するようになった。

が、他の要因で限界が来た。

結局この土地は6年後ぐらいに手放したが、

その頃、すでに私は東京を脱出し、神奈川の実家へ逃げていた。

というと格好良いが、ここは複雑な事情が絡んでいたので、

めざす所ではなかったが…

いま、那須ほどではないが、

やはり田舎暮らしに変わりはない。

東京の便利さは確かに身に染みるが、

まあ、田舎はのんびりしていて、

このほうが自分の性に合っているようだ。

ネットのインフラもここまでくれば、

仕事に支障もない。

こうなると、結果的に東京脱出は成功したことになる。

が、正確に記すと、

私は東京を追い出されたと表現したほうが嘘がなく、

我ながらしっくりくるから、きっとそれが本当なのだろう。

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愛が、足りないぜ!

「恋は、遠い日の花火ではない。」

この格好良いフレーズは、

コピーライターの大御所、小野田隆雄氏の作品。

サントリーオールドのCMに使われたので、

ご記憶の方も多いと思う。

隠喩というか暗喩の妙が効いています。

理屈のみで思考すると、? となるが、

感覚を鋭敏にすると、分かる。

そのじわっとくる具合が、漢方薬のようだ。

このフレーズを最近になって再び思い出し、

なんだかほのぼのと嬉しくなった。

と同時にこの人の凄さを再認識した次第だ。

年をとると、恋はまさに、

遠い日の花火のように億劫になり、

ただ過去を思い出すのみとなる。

が、それを「…ではない」と

キッパリ否定してくれる小気味の良さ。

あなた、現役ですよと…

そっと肩を押してくれるようなやさしさがある。

なんだか、ハッとします。

このCMを初めて観た頃は、私も若造だったので、

意味も分かるし良いコピーだな、とは思ったが、

なにせ実感が湧かない。

こちら、恋は、間近の花火だったからだ。

要は、秀逸な広告としてアタマで捉えたに過ぎない。

しかし、小野田隆雄氏の代表作に

ゆれる、まなざし。

がある。これは小椋佳の歌になった。

また、

時間よ止まれ、くちびるに。

が、矢沢永吉の同タイトル曲にも起用され、ヒットした。

そして、世良公則&ツイストのヒット曲「燃えろいい女」の歌詞中に出てくる

ナツコだって、

小野田さんの案だったらしい。

この頃の資生堂のナツコの夏キャンペーは、

ほとんど彼から発信されている。

こうして振り返ると、

彼は幅広いターゲットに対応できる、

各層をそれぞれ鋭く切り取ることができる、

希有の器用さを備えたクリエーターだったことが理解できる。

その手法は優雅であり、人を惹きつける。
 
フレーズの隅々にまで、詩の匂いが漂う。

この表現の豊かさが、

きっとイマドキの広告表現にはない。

あれからせっせと時代が変わり、

広告の手法も変わった。

その変化をいち早く掴むのも、

我々の仕事である。

しかし、なにかが足りない。

売ろうとすればするほど、気が逸る。

そして、みな、

なにかが見えなくなっているのだ。

それは、きっと人をみつめるまなざし、

なのだろうと思う。

やはり原点は、不変であり、普遍だ。

それが、愛なんだろうな…

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涼しい景色

南部鉄風鈴も、金魚風鈴も、

その音が涼しい。

きっとあの音が、風の存在を伝えるからだろう。

すだれに加え、今年はよしずを買った。

これを日当たりの強いサンルームへ立てかけると、

目にも涼しい。

東南アジアのリゾートへでも出かけた気分になれる。

去年はゴーヤでグリーンカーテンをつくったが、

今年は時機を逸してしまった。

室内を見渡すと、居間の明かりが暖色系で暑い。

冬は良いが、夏は発熱しているようで、

それだけで室温が上がる気がする。

そこでホームセンターへ行ったときに、

涼しげな色のLED電球を発見。

我が家の居間で試すことにした。

幾分居間が涼しくなったように感じる。

が、欠点もある。

まず、食事のときのおかずの色が良くない。

あまりうまそうに見えないのだ。

特に、刺身に顕著だ。

そういえば、食品の撮影を何度か経験したが、

あれは、うまそうに見せる工夫が随所にあった。

あったかい料理に見せる湯気。

冷えた飲み物を表現するグラスの水滴。

いろいろあるが、基本はライティングだと、

プロの方が話していた。

これは料理の撮影だけでなく、

女性を撮るときも同じである。

特に肌の色は、ライティングでどうにでもなる。

そういう意味で、

夏を涼しげに演出するのに、LEDは最適品。

だが、目の前におかずが並び、

奥さんの顔を見ながら飯を食うとなると、

なんでかアダムス・ファミリーという映画を思い出すのだ(汗)

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