君の瞳は10000ボルトか?

堀内孝雄(アリス)のヒット曲「君の瞳は10000ボルト」。

この曲は、資生堂のアイシャドーのCMに使われた。

いや、正確に書くと、この曲はCMのためにつくられ、

思惑通り、商品もヒットしたということになる。

いまから、かれこれ三十数年前の話だ。

そもそもこの楽曲は、或るコピーライターの発案から生まれた。

それに、谷村新司さんがイメージを膨らませて歌詞をつけ、

堀内孝雄さんが曲を作った。

そのコピーライターの名は、土屋耕一。

広告業界に長居していて

この名を知らない人は、まずいないだろう。

彼の代表作に、微笑の法則というのがある。

これも柳ジョージ&レイニーウッドがヒットさせている。

他、ピーチパイ(竹内まりや)、A面で恋をして(大滝詠一)等、

いまでは考えられない、ことばの力をみせつけた人だ。

彼のことばのセンスは、私が思うに、

美的に優れていたこと。

そしてなにより洒落が効いていた。

「軽い機敏な仔猫何匹いるか 土屋耕一回文集」(誠文堂新光社)を

読むと、彼のことばの操りの妙がみれる。

・なぜ年齢を聞くの

・あ、風がかわったみたい

・肩のチカラを抜くと、夏

・ああ、スポーツの空気だ。

・太るのもいいかなぁ、夏は。

・女の記録は、やがて、男を抜くかもしれない。

これらは、彼のセンスが光る代表的コピー。

何気ない文なのに、気にかかるものがある。

なぜか、心に響いて余韻が残る。

彼が或る雑誌のインタビューに応えていた。

それによると、君の瞳は

1000ボルトではなく100000でも1000000でもなく、

君の瞳は10000ボルトなのだそうだ。

それは理屈ではなく、勘。

そんな主旨のことが書かれていた。

現在は、コピーライティングも

セールスレターのように、

ダイレクト・レスポンスが求められる。

緻密になったといえば、その通り。

実利といえば、致し方ない。

が、余韻が残るものがない。

たとえ、花より団子でも

うまい団子は喰いたい。

それがコピーセンスの差になるのだと思う。

海辺の家の思い出

そこには、古いソファがあった。

木の足と手掛けが細工され、布は古びてはいるが、

ビロード地に薔薇の花が描かれていた。

きっと親戚の家なのだろうと、僕は思う。

広い居間には誰もいない。

僕は廊下のほうからこの居間を見ている。

陽射しが居間の椅子まで伸びて、

静かな時間が流れている。

遠くから、波の打ち寄せる音がかすかに聞こえる。

ちょっと湿った家だということに気づく。

ああそうだ、

僕は、人がやっとすれ違がうことができる細い坂の階段を昇って、

この家に辿り着いたのだ。

僕が立っている廊下には、

洋風の箪笥のようなものが置かれていて、

その上に、ガラスのドームで覆われた金色の時計が、

振り子を回している。

中に、金の歯車が幾つも動いていて、

そこから伸びた4つの金色の美しい金具が、

一定の間隔でぐるりと回る。

陽は少し赤みを帯びている。

夕方だなと思った。

なぜ、この家には誰もいないのだろう。

それでもなんの不安も感じない僕は、

ゆったりとした空間のなかで、

夏の終わりのような季節に、

この洋館の午後を楽しんでいた。

居間の真ん中には、

古びた大きなステレオが置いてあり、

結局僕は、後にこの居間で、一枚のレコードを聴いている。

それは、僕がこの居間でどうしても聴きたかった一枚で、

そのためだけに、

遠い自宅から、電車を乗り継いでわざわざ訪れたのだ。

レコードを回すのは、午後にしようと思っていた。

陽の美しい日を選ぼうと決めていた。

金色の時計は、そのときまで廊下の箪笥の上にあればいいと思った。

居間に座り、

おとなになった僕は、柔らかい夕陽を浴びて、

金色の時計を手にしながら、幼い日を懐かしんだが、

一枚のレコードに、僕の涙はとめどなく流れて、

この家の住人は、

やはり

その日も帰ってこなかったのだ。

eブックメデイアの進化

電子書籍が広まっているが、世間の反応はさまざまだ。

制作コストが低いので、当然売価も低く抑えられている。

他、かさばらない等、良い反応もあるが、

当然ネガティブな評価も多い。

曰く、やはり本は紙に限るというアナログ派の意見が、

多勢を占める。

電子書籍の軽々しさに較べれば、実体も重さもリアルな書籍は、

やはり権威もありそうだ。

今後、大事な本は書籍で、ちょいと読む本はeブックで。

こういう人たちが増えている。

弊社も電子書籍関係企業とのアライアンスがあるが、

それによると、クラウド上に本棚を設置し、

好きなときに好きな本をダウンロードして読む。

そんな感覚。

で、本棚のアイコンもいろいろデザインできるが、

やはりクラッシックなデザインを好む傾向がある。

これも振り幅の大きさを物語っている。

で、弊社が推し進めたいのは、企業パンフレットとか、

改訂が頻繁に起きるマニュアル類をターゲットにしている。

これらの印刷コストや改訂コストを考えると、

印刷会社様には悪いが、費用が掛かり過ぎ。

こうした分野で、電子書籍は威力を発揮する。

版権の絡んだものとか、著名なものは扱わない。

要は棲み分ければ良いというのが、弊社の姿勢だ。

デバイスは、ほぼなんでもOK。

いろいろなチョイスに応じますが、

御社でもひとつ検討しません?

僕らにとってのコカ・コーラという存在

一応コピーライターなので、CMネタをひとつ。

いまでは、どうということのない飲み物だが、

コカ・コーラを子供の頃に初めて飲んだときは、

ホントに驚いた。

それは味であり、色でもあったと思う。

当時の炭酸飲料といえばサイダー位しかなかったので、

コーラはなんというか、

表現しづらい不思議なインパクトがあった。

うまいといえばうまい、かな?

そんな初めての味が、みんなを虜にしていったと思う。

しかし、薬っぽい味といえば、そんな気もする。

そもそもコーラを発明?した人が薬剤師だったというから、

当初は疲労回復とか、そんな売り方をしていたらしい。

しかし、全然売れない。

で、この権利を買い取った人が飲み物として売り、

大ヒットした。

商品のポジションって重要だな。

中身に関しても、当時はいろいろな噂が飛んだ。

南米産のコカの葉(麻薬の一種)が入っているとか、

飲み過ぎると骨が溶けるとか…

これはいまでも都市伝説のひとつだろう。

コーラといえば、日本の場合はコカ・コーラなのだ。

ペプシが強い国もあるらしいが、

日本はペプシではなく、コカ・コーラ。

コカ・コーラが日本に根付いた理由は、やはりコマーシャルの力だと思う。

味ではない。

ペプシもそれなりに頑張ってはいたが、

コカ・コーラのプロモーションのうまさは、

当時から群を抜いていた。

この飲み物は、まずアメリカというリッチな国の生活を

体現させてくれた。

その頃は、

映画・若大将シリーズで大人気だった加山雄三が、

実にうまそうにコーラを飲んでいた。

もちろんCMでだが、僕らへの売り込みは成功した。

日本がこれからリッチになろうという時代に、

コカ・コーラはタイムリーに上陸したのだ。

贅沢な生活シーンとコカ・コーラ。

この憧れが、徐々に世間に広がりをみせた。

で、コピーはまずこんな具合。

♪コカ・コーラを飲もうよ

コカ・コーラを冷やしてね♪

実に単純なコピーだか、

当時はこの「冷やす」という行為が贅沢だった。

いまは冷えている飲み物は当たり前だが、

電気冷蔵庫が普及したての当時の日本では、

冷やすというのは、なかなかリッチなことだったのだ。

余談だか、この頃のコカ・コーラのボトルは、

個性的な曲線でつくられ、

それが独特の存在感を表していた。

一説では、

女性のボディラインを元にデザインされたということで、

後に、僕がいまの仕事についたとき、なるほどと思った。

その頃の僕らにしてみれば、

コカ・コーラは、ひとつのお洒落なアイテムだった。

これもコマーシャルの力だ。

夏場は、コーラとの付き合いも親密で、

海ではサンオイルじゃない、コパトーンじゃない、

コーラを振りかけて陽に焼くというのが、流行った。

で、夜はいまでいうカフェバーみたいた店に集まり、

アメリカンロックなんかを聴いて踊ったりしたが、

そのときの飲み物が、ウィスキー&コーラ。

要するに、コークハイだ。

冷静に味わえばうまくはない。

しかし、そんなことはどうでもよかった。

バーベキューをしながらコーラを飲む、

というシーンをテレビで観たときも、

僕らは、その初めてのスタイルに驚いた。

肉をガンガン喰いながらコーラをグイグイ飲むーーー

これは贅沢の極み以外のなにものでもなく、

そのインパクトは日本中に伝搬したに違いない。

アメリカン・ライフ・スタイルは、

こうして世間を席巻し、

僕はぼんやりと、

ああ、アメリカという国には勝てないな、なんて思ったものだ。

ま、こうした驚きもインパクトも当然意図的だが、
それが素直に伝わったというのも当時の日本を映しているし、
コマーシャルにもパワーがあったといえるのだろう。

こうして時代も流れ、日本も豊かになると、

コカ・コーラもコマーシャルスタイルを変え、

日本という国に併せたコマーシャル展開となる。

町の魚屋さんのおっさんとかOL、

サラリーマンとか京都の舞妓さんとか、

普通に働く人と日常の生活シーンのなかにコカ・コーラがあるという

スタイルをとるようになる。

これで外資、

いや、コカ・コーラ文化が日本に確実に根付いてゆくこととなる。

僕らが大人になっても、

コカ・コーラのコマーシャルは相変わらず印象に残るものが多かった。

それは、

映像の秀逸さに併せるように、コピーに共感できるメッセージ性があったからだ。

スカッと爽やか、も素晴らしいコピーだが、

僕が凄いと思ったのは、単なるコーラのコマーシャルが、

愛だの自由だの、人間を語り出したことだった。

♪本当のひととき 本当の人生

生きている心

自然にかえれと誰かが呼んでる

そうさコカ・コーラ

この広い空の下

生まれてきてよかった

そうさ

人間は人間さ

コカ・コーラ♪

がら空きの思想

がら空きの思想があった

私がその部屋を覗くと

一人の女性が顔を出し

ようこそと招き入れる

あられから月日は過ぎ

私はその思想について考察し

多角的に検証し

ときに深く考え

多少の疑念を抱いたが

がら空きの思想は

その女性により

遂に完成をみたのだ

私はいま

その女性を崇め

きっといつか

なにかしらの遺志を継いで

生きてゆくことだろう

元来その女には

学もなく

夢もなく

人を罵り蔑むことも多く

世の中の総ての事象に

つまらない反応を示し

ただ丈夫な体躯だけで

働くことだけを示し

変えられない過去に嫌悪し

魑魅魍魎に

取り憑かれているのを知るにつけ

私は或る日

このがら空きの思想を

二階のベランダで天日干しにして

パンパン叩き

部屋へ取り込んで

ひとつひとつを点検した

絡み付いた汚い糸を解き

へばり付いた汚れを剥がし

ヘラでほじくり

綺麗な真水で洗い流した

そうして

やがて顔を出したのは

ことばにできない

光輝く

玉のように深い色を湛える

それは紛れもない

愛だったのだ

日付変更線 (story9)

前号までのあらすじ

(再び南の島で再会した二人は

孤島で一日を過ごす

それは僕にとって

忘れられない日であり

人生における或る決断の

きっかけとなる)

コロールに戻った僕たちは

一旦シャワーを浴びに

それぞれの所へと帰った

僕は部屋で

ジェニファーのことばかりを

考えていた

そして、あのゴーギャンのことも…

ポロとスラックスに着替え

再び彼女に会うために

ホテルのフロントに寄る

と、例の金髪女性が

「ジェニファーはとても素敵な子よ、

そしてロマンチック

あなたにピッタリだと思うわ」

と言って鍵を受け取る

とっさに僕は

「ああ、全力を尽くすよ」

と笑顔で返す

ホテルの前で

僕らは待ち合わせていた

今度は以前と違って

二人して堂々とでかけられる

木陰のベンチに寝転がっていると

ジェニファーの赤いTOYOTAが

ホテルの前に滑り込む

運転席の彼女は

赤い花をあしらったTシャツに

ホワイトジーンズをはいていた

「今度は僕が運転しよう」

「OK、頼むわ」

エアコンを切り

窓を全開にして

僕たちは

南へクルマを走らせる

遠くのリーフから

珊瑚礁にぶつかる波が夕日に光る

島の突端のカープレストランに着くと

今日はもうお客さんはいなかった

それは

波打ち際のガランとした駐車場を見れば

すぐに分かる

打ち寄せる波に揺れるはしご階段を降り

船内へ入ると

あのときと同じように

窓際のテーブルに座る

ジュークボックスから

カーティス・メイフィールドの嘆くような

独特の高い歌声が響く

僕たちは

簡単な食事を済ませ

ゆっくりと

バーボンを飲むことにした

話は、仕事、家族、都会と自然

そしてお互いの人生観へと移る

3杯目のバーボンが空になったとき

ふとジェニファーが

東京に好きな子はいるの?と

僕に尋ねる

「好きな子?

それは何人もいるさ

だけどそれだけさ

後は何もない」

それはloveではなく

likeだと彼女に説明する

「それは

あなたがやさしい証拠

寛容なのね」

彼女が皮肉混じりに笑い

バーボンの入ったグラスを置いて

宙をみつめる

いや、違う、

ジェニファー、それは勘違いだよ

僕は

改めて、彼女の魅力的な第一印象

そして彼女に対する熱い想いと

いまの素直な気持ちを話した

過去に幾度か、こうした場面で

自分の気持ちをはっきり伝えられず

いわゆる恋の敗者になっていたので

僕は酔いをできるだけ醒まして

冷静にゆっくり、すべてを話すよう努めた

そして

なんとか話し終わると

僕はぐったりして

窓に目をやる

あのときと同じように

ブイが

黒い波間に揺れて光っている

再び、酔いがまわってくる

ジェニファーが、突然隣に座った

そして僕にキスをすると

「あなたは誠実な人ね」と言った

「ありがとう」

それから僕たちは

時間を忘れるほどに

ずっと抱き合っていた

「一緒に暮らしてみようか?」

「それも、いいかもしれないわね」

大海原に浮かぶ小さなカヤックのように

僕の行方もまた大きく揺れる

或る出会いがあって

それが僕の生きる価値と重なったとき

きっとそれが

進むべき方向なのだ

二人で店を出ると

信じられないほど明るい満月が

海と遠くの島々を

影絵のように照らしている

南の島独特の

温かいスローな風が

二人の頬を撫でる

(僕とジェニファーの物語が

ここから始まるのだ)

時折

僕のアタマのなかで

ゴーギャンの自画像が

こっちを睨んで

笑っていた

(完)

日付変更線 (story8)

前号までのあらすじ

(再び南の島を訪れた僕は

日に日に蘇ってゆく

そして気にかかるのは

ジェニファーのこと

果たして美しい彼女は

まだこの島で暮らしていた)

ジェニファーと再会した2日後

僕は彼女とロックアイランドへ

でかけた

二人を乗せたシーカヤックは

穏やかな波の上を

滑るように進む

木々が生い茂る

小さなこんもりとした島が

幾つも見えてきて

その間を縫うように

漕ぐ

水に触れた風が

二人の汗を乾かし

暑さを柔らげてくれるので

僕たちは

なんとか漕ぎ続けられた

やがて

誰もいない白い砂浜が広がる

孤島に辿り着く

周囲が見渡せるほどの

小さい島だ

白いビーチの向こうに

一本の椰子の木が

風に吹そよいでいる

僕たちはシーカヤックを

浜へ引き上げ

中から手荷物を持ち

椰子の木の下にクロスを広げて

早速寝転がる

真向かいの大きな島には

白い大型クルーザーが停留している

「あれは?」と僕が指さすと

ジェニファーが

「世界中を船でまわっている

大富豪らしいの、

凄いわよね」と言ったが

その表情は

興味なさ気だった

ミラーの缶ビールを飲みながら

彼女が最近覚えたという

手作りの椰子蟹グラタンを食べてみる

「美味いね」というと

彼女が「ホント」と嬉しそうに笑う

「ホントさ、これは美味い」

僕は

東京の会社を辞めたことを話した

彼女は「そうなの」と言って

遠く波間の辺りを眺めている

「これからどうするの?」

「働くさ」

「そうね」

「この島の観光ガイドとかって

どうだろう?」

「ええ、いいんじゃない」

ジェニファーが少し笑う

僕は彼女に尋ねる

「ジェニファーこそ

なんでアメリカへ帰らないの?」

彼女が少し戸惑ったように間を置く

「例の彼は帰国したのよ」

彼女がキッパリと言う

「そう」

「私はね、いろいろ考えた末、この島に残ることにしたの」

「彼は?」

終わったの、と彼女が言うと、

飲み終わったミラーの缶を

白い砂の上に放り投げた

二人は沈黙し

長い時間が過ぎた

耳に囁く海風と

白いビーチに打ち寄せる波

遠いリーフの泡立ちの音が混ざって

この島の音楽になる

僕はこのとき

何故だか不意に

生きていることにとても感謝してた

それは生まれて初めての体験であり

とても不思議な感覚だった

ジェニファーが

「私ね、いま島の東にある浜で

お店を始めたの」

とつぶやく

「そう」

「店のオーナーがオーストラリアに帰国して

後は好きにしていいよって…」

「ふーん、大胆だね」

「金持ちだからね」

彼女がぺろっと舌を出す

聞けば

その店は簡単な食事と

ドリンクと島の花と

貝殻のアクセサリーを扱っているという

「おもしろい?」

「うん、とても」

ジェニファーが続ける

「お店ってね、やってみると大変なの、

結構朝からてんてこ舞い

なのに

あまり儲からないのが笑えるわ」

僕が

「この島に対する

国別ごとの観光客が求める

嗜好についてのマーケティング・プランを

作成してみようか?」

とふざけると、彼女は

「そのマーケティングという言葉は

聞きたくないわ」

と大げさに笑った

陽が波間に近づき

空と海がオレンジに色づいてきた

「そろそろ帰ろうか?」

僕が立ち上がると

彼女がおもむろにこう言った

「この話のつづきを

カープレストランでしない?」

「OK!そうしよう」

(つづく)

ヒット商品の仕掛け

「太陽のマテ茶」が売れているという。

日本コカ・コーラの久々のヒットでしょうか?

まず、マテ茶は、無糖飲料で、ダイエット効果の他、
テレビや雑誌等で健康に良い、というイメージで流れ始めた。

これにはきっと仕掛け人がいる。私はそうにらんでいる。

続きを読む ヒット商品の仕掛け

日付変更線 (story7)

前号までのあらすじ

(南の島でのスローな毎日は

僕を蘇らせ、

そこで出会った彼女のことは

いまでも気にかかる

僕は

一大決心をして会社を辞め

再び南の島を訪れる)

島の内海に向いた

急斜面に立つコテージの一室で

以前と全く同じように

冷えたジントニックを飲み干す

冷房が程よく効いた部屋で丸二日

僕は怠惰に眠り続けていた

マングローブの繊維で編み込んだ

ベッドの脇の敷物に寝ころんで

相変わらず

かったるそうに回っている

天井のファンを眺める

チェックインしたとき

フロントの金髪の女性は僕を覚えていてくれて

「ハーイ」と

とてつもない笑顔で迎えてくれたのが

とてもうれしかった

そして、彼女は

前回と同じコテージの同じ部屋を

僕に提供してくれたのだ

それは旅人が

久しぶりに我が家に帰ってきたような

安堵感であり

この二日間の怠惰も

東京での狂ったように働いたツケとして

当然起こりうる代償だったのかも知れない

部屋の隅に

僕の大きなハードキャリーと

オレンジのリュックが転がっている

思えば

これが僕のいまの生活品のすべてだ

これからどうするか

自分なりに考えたことはあったが

それもいまは無意味のようにも思える

とりあえずは

自分を見つめ直すことが先決だろう

その鍵がこの島にある

僕はそう感じていた

そしてもうひとつ

ジェニファーがまだこの島にいるのか

ということ

それはとても気にかかることであり

僕をかなり不安にさせることでもあった

それは僕が彼女以外

いまは考えていないという

自分なりの想いでもあった

島へ着いて3日目

僕はやはり以前と同じHONDAのバイクを借りて

いよいよコロールへと向かった

「スピード出すな」の標識を相変わらず無視して

砂利の山道をかっ飛ばす

橋を渡り

舗装路に入ると

HONDAを一気に加速させ

コロールの中心にあるスーパーに辿り着いた

バイクを止めると風が止まり

汗が噴き出した

南の強い陽射しが

東京から来た柔な肌を

じりじりと焼く

それは僕にとって心地の良い刺激であり

この島の歓迎の挨拶のように思えた

スーパーに入り

コーラとキャメルを買って

僕はこの島の人と同じように

椰子の葉の根元に寝転がって

通りを眺める

横では

犬と飼い主らしきおじさんが

腹を出して寝ている

この島の流儀は

なにもかもがスローなことであり

誰もがすべてに対して必死ではない

ということなのかも知れない

それは

良いか悪いかではなく

この島の自然の摂理からくるものであり

例えば人生に対しても

彼らはそのように考えているフシがある

スローな人生

それも悪くはないなと僕は思った

汗で乾いた体は

コーラを流し込むと

そのメンソールのような爽やかさが

隅々にまで沁みわたり

呼吸はやがて穏やかに深く

僕を安堵させ

真の自分に戻っていくような気がした

そしてキャメルを一本取り出し

深くその煙を吸い込む

やがて起き上がって少し歩くと

遠くに

リーフの白い波しぶきが見える

すれ違うみんなが

「やぁ」と言って笑顔をみせる

もうここの住人と同じように

振る舞えるかも知れないな…

そんな気がした

ふと、通りの向こうから

1台の赤いピックアップトラックが

やってくる

車体に見覚えがある

と、トラックがみるみる近づき

僕に迫ってくる

とっさに身構えると

その赤いTOYOTAは目の前で急停止し

けたたましくクラクションを鳴らした

通りを行く人たちも驚いて

皆がこちらを凝視している

陽がまぶしくて

車内が見えない

ドアが開くと

ステップからスラリと伸びた足が見え

TOYOTAの横に

ブルーのショートパンツに

派手なタンクトップの白人の女が降り立った

ドアウィンドウ越に

懐かしい笑顔が映って

僕をじっとみつめる

ジェニファーだった

呆気にとられていると

彼女は僕に近づいてきて

あのときの笑顔で

こう囁いた

「ようこそ、コロールへ!」

(つづく)

日付変更線 (story6)

前号までのあらすじ

(東京に疲れた僕は

休暇で訪れた南の島で

蘇り、そこで出会った

彼女に恋をする。

東京へ戻ると

やはり馴染めない何かが…

僕は一大決心をして

会社を去ることにした)

会社を辞めた一週間後

僕は千葉の海へとでかけた

湘南はなんとなく晴れやかそうなので

いまの僕にはふさわしくない

そんな気がした

世田谷のマンションを出て

首都高から京葉道路を突っ走ると

館山もそう遠くは感じない

穏やかに打ち寄せる波に足を浸し

夏間近の日差しを受けて

僕は、遠くの景色を眺めていた

銀色の機体が

小さく

青く抜けた空に光る

(あの飛行機は何処へ行くのかな?)

僕はあの島でのできごとを

思い出していた

が、僕は考えを遮り

自分のこれからを真剣に考えなくては…

と思った

交錯した考えを整理するため

僕は勢いTシャツを脱ぎ捨て

浜に寝転がり

自らを問い正してみた

雲がぽかんと

ひとつふたつと流れていく

いつしか僕は

去年の春に係わった

デパートでのイベントの仕事のことを思い出していた

私のいたチームは

リゾートというコンセプトで

ゴーギャンという画家の絵を中心にした

アートとファッションのフロアづくりをした

そのとき

ゴーギャンという画家を知るにつれ

僕はこのアーティストに惹かれた

作品のもつ奔放さや大胆さはもとより

彼の一種独特の感性に惹かれたのかも知れない

正確にいうと

僕はゴーギャンという人の生き方に

特別な思いがあったかのような気がする

ゴーギャンは当時、いまで言う

サラリーマンだったようだが

恐慌が起きてその生活に不安を覚え

絵描きに専念したという

が、彼は西洋文明に絶望して

フランスを去ったという記述もある

後、ゴーギャンは

カリブやポリネシアの島々を転々とする

そして

タヒチの島の少女に恋をして

彼はそこで生涯を閉じる

彼の絵は

当時売れなかった

そして祖国フランスでも

彼は奥さんに愛想を尽かされている

彼が生涯幸せだったのかどうか

それは書物から読み取ったとしても

真意ではないだろう

だいたいにおいて

彼はいたたまれない人生だったと

記述してあるものが多いのだから…

だが、ただ一点

僕は彼の最後の恋に注目していた

千葉の海へ行った半月後

僕は成田空港を旅立った

サイパン・グアムを経由する

コンチネンタル航空のその便に

忙しそうなビジネスマンの姿は

皆無だった

その路線は

いわば空の各駅停車のようなコースなので

CAも花柄のワンピースで

どことなく陽気だった

世田谷のマンションは引き払い

残った荷物を実家へ預けたとき

両親から

「これからどうするんだ?」

と聞かれて僕は

「とにかく考えたい」

とだけ答えていた

トランジットで

グアムのパシフィックアイランドホテルで

軽い休憩の後

僕はいよいよ南太平洋の島々を飛ぶ

懐かしい路線に乗り換えていた

紙のように華奢に見える翼は

相変わらずよく震えている

この翼に僕はよく不安を覚えるが

どこまでも続く空と海原を見ていると

少し気が休まるのだ

途中で立ち寄る島々の空港は

まあ掘っ立て小屋のようなもので

滑走路は貝を潰したもので慣らしてあった

そんな訳で

離着陸時はよく揺れ

気が休まらない

やがて

コンチネンタルの機体は

南太平洋の大海原にかかる

日付変更線を越え

僕をあの懐かしい島へと

誘う

(つづく)