噺二題

100円の運勢

ダイソーとかキャンドゥとかをうろうろしていて、なんかないかな?と。

いや、買うものがあって「ヒャッキン」なるものへ

行ったことがあります。

私ははじめ、ああいうところはロクなものがなく、

つまんない金を使ってしまうと、

バカにしていました。

が、最近違います。充実しています。

えっ、これが100円って、驚くものばかりです。

茶碗とか湯飲みも100円。絵の額も100円。えーい、まな板も100円です!

なんでも100円。

「これいくらですか?」って店員に聞いているじいさんがいましたが、

この勘違い、分かります。

で、あるとき本がずらっと並んでいまして、もちろんすべて100円。

私はひぃひぃ言って、このなかの運勢の本を買い、

家へ帰って読んでみました。

普段は、年の始めか年末に、高島易断みたいなものを

買っておくんですが、今年はこれでいいだろうと…

で、読むと何を言いたいのか分からないような箇所が多く、

文章も怪しい。

で、今年は吉か凶かというデリケートなところも、ほぼ曖昧。

ま、こういう運勢本は、曖昧ななかにも

「○○はいいぞ、だが○○に気をつけろ」的な表現がある訳ですが、

この本の場合は、そこがわかんない。

このとき、ついでに星座の本も買ったんですが、こっちは更にひどく、

ぺらぺらやって、数分後には投げ捨てていました。

どうです? 100円で知る運勢。イケマセン。

今年は、安っぽい運となってしまいました。

宝くじ売り場の前を通ると

以前、私は宝くじなるものを、やはりバカにしていまして、

あんなものは当たる筈はないと…

が、サラリーマン時代に、宝くじ部長みたいな人がいまして、

この人が宝くじを熱く語るので、彼のまとめ買いに付き合いました。

で、何回目かに当たったんですね! 私はこのとき、

ホントに当たるんだと、感心しまして、

みんなに1万円ずつだか分配されまして、それで飲んだ記憶があります。

しかし、それからずっと宝くじは買わず、人間はやはり地道だろうと!

働く対価としてお金を頂くんだろうと考えておりまして、

ああいうもんに夢中になる奴はけしからん的に見ておりました。

が、あるとき、街の宝くじ売り場の前を歩いていると、

この売り場から1億円出ました!!!って書いてある張り紙を見て

驚きまして、うわーって、3000円買ってしまいました。

で、結局なにも当たらない。が、最近またまた、

「宝くじが気になる病」が出て参りまして、

あの売り場の前を通ると、じっと立ちつくし、

張り紙を眺めている私がいるんですね?

で、100万円か、ちっ安いな、とかエラソーにやってるんですね。

結局、震災復興宝くじにハマリまして、というか妙に気になりまして、

宝くじ売り場の前を通るときは、いちいち時間がかかる私でした。

安っぽい私のヒューマニズムから考えて

叩かれても、殴られても、なかなか泣かない自分。

まず、過去を遡っても、そうしたところがある。

そして、理性で整理する。論理的に問題を分析し、

問題解決の糸口をみつける。

そんなことを日常的思考でくぐり抜けてきたような自分だが、

そもそも、私はそんな強い人間でもなく、普通のおっさんだと、

強く思うことがある。

それは、

ほんの些細なできごとや、瞬間に訪れる。

砕いて話せば、それは浪花節的な思考を始めたときに、

訪れる。

その辺りを突かれると、弱い自分・弱い私はたちまち戸惑い、

ときに、それは涙という形で現れることもあり、

それが、自分の本来の性格なんじゃないかと

自己分析することがある。

それは例えば、

戦争時のドキュメンタリー映像を観たり、

特に、若い特攻隊の出撃前の様子を映した古いフィルムなどに、

自分はつい丸裸になってしまうのだ。

今日は3月11日。

14時45分に、テレビをつける。

これは意図してつけた。

震災の黙祷の時間だ。

あれから1年が過ぎた。

追悼式でのことばが、とても身に沁みる。

静かな時間。

庭に目を移すと、窓にうっすら陽がさしている。

ああ、

現地の映像はもう観たくないので、テレビを消そう…

こんなものを延々と観るほど、こちらはタフではない。

自分は、たった一年前のこの地震の前後のことを、

よく覚えていない。

震災の後、計画停電に暗い町を歩き回ったこと、

ガソリンを入れに必死に走り回ったこと、

とても寒い日に丘の公園に一人で行き、

群青色の空を眺めていたことなどが

散発的に脳裏に浮かぶ。が、

去年の今日の記憶は、完全に消えている。

私は、今回の震災で亡くなられた方々のことを考えるにつけ、

追悼式で、御霊と呼ばれたことに、

ある種の特別な引き金が、自分のなかで引かれたように思う。

それは、自分がずっと隠していたものなのかも知れないし、

眠っていた無意識が突然吹き出してきた瞬間なのかも知れない。

(私は別段、右翼でも左翼でもなく、強いて挙げれば普段は

自由人をめざしている)

御霊。

私は、この言葉の何を知っているのか、

自分ではよく分からないが、

ただ辛くなる。

それは、先の敗戦にも通ずる、

私たち日本人の共通意識としての

「暗い淵」が見えてしまうこと、ではないかと。

安っぽい私のヒューマニズムから考えて、

今回の震災の犠牲者は、先の戦争犠牲者にも通ずる重さを、

私たちに突きつけている。

東北の方々には、一日も早く復興してもらいたいし、

そこに「絆」は欠かせないだろう。

が、

私はあのとき、

御霊となるものが何を見て、

どう感じて動き、

どうした様子で、

どう苦しんで、

果たして、

この地上から去ってしまったのか?

先を見ようとする前に、

必ず立ち止まって、そこを考えている自分に、

いまはただ、

嫌気がさしているのだが…

雑感5題

東京ガールズコレクション

上手い商売を考えたもんだ。
旬の芸能人や名の知れたモデルに服を着せ、
話題をつくる。

テレビ、雑誌も相乗り。気にいったものがあれば、
その場で買える。
派手な演出、女の子たちのボルテージも上がる。

まあ、こういうところへ出てくるモデルさんというのは、
抜群にスタイルが良いし、
着ている服が果たして自分に似合うかどうかなんていうのは
どうでも良くて、とにかく売れるらしい。

僕がもし女の子だったら、絶対にこういう所へ行かないし、
同じような服は買わないな。

流行には乗れるかも。が、着させられている感じが溜まらなく
許せない。

女の子だったら、お洒落に命をかける。
その位の意気込みが欲しいな、と思う。

と、こんな考え方が、そもそも男並みなのか?

でですね、あのモデルさんって、なんでみんな同じように、
ハーフ顔なんですかね?

俺さま目線で見ると、全く綺麗ではない。よく分からない。
まっ、いいか!

ほっといてくれよ!

タイトルにした典型が、役所から来るメタボのお知らせだ。

定期検診を受け、まあそこそこの結果。

やれやれ、面倒な病気もなさそうだし、向こう一年間は
難なく働けそう。と気を抜いていると、或る日
ポストに一枚のハガキが届く。

曰く、あなたはメタボという病気です。

うるせぇなあ! 

ほっといてくれよ!

で、コイツらは何が言いたいかというと、あなたは太っているので、
病気へのリスクが高い。ひいては○月○日に健康セミナーをやるので、
いらっしゃい。為になることを教えましょう…こんな具合。

日にちを見ると、すべて平日の、働き時だ。
セミナーは、働く方の為の土日開催は、一切やらない。

こんな税収の減っているときに、役所が何やっているんだか。

ははぁ、受け皿的な部署か団体の仕業だなと勘ぐる。

そんなことはいいから、君らはもっと身のある仕事をしろよ。

で、ほっといてくれよ!

五本指の靴下

あることがきっかけで、靴下を替えました。

シルク100パーセントの五本指の靴下です。

これって、水虫にならないとか体の毒を出すとか言われていまして、
ホントですか、というのが本音。

僕の指の形は変なので、指の一本一本が靴下とフィットしない。

で、履くときと脱ぐときが面倒で嫌になる。

先日、ちょっと食い過ぎたのか、苦しいと思った途端、
まず、この靴下を脱ぎ捨てました。

足の指だって、締め付けられると苦しい。
ウエストではなく、足の指が苦しがっている。

人間の体って、不思議です。

目覚める、に関して

僕は、最近眠くなるのが早くて、まず12時前には
寝てしまう。

早いときは、10時や9時に寝ることもありましたが、
これではさすがに朝が早すぎて、ズラシました。

で、就寝前に読書をするのですが、大好きな藤沢周平の
時代物で、2・3ページが限界です。

全然長く読めないのです。ワクワクする場面でも、
ハイ終わり。気がつくと朝でしたとなってしまう。

最近いろいろ考えまして…

で、僕が思ったのは、僕が寝ているときって
ホントにベッドにいるのかってことであって、
ひょっとすると、僕はこの地球を抜け出し、
M78星雲に帰っているじゃないかってこと。

このことに関して、ふざけている訳ではなく、
僕は割と真剣に思っている節がある。

このきっかけは、お袋。
お袋はいま要介護なんですが、なんだか彼女と話していると、
この世の常人とは違う感じがする。

で、どう違うんだろうと話していると、どうも遠い人たちと
会話を交わして、それを僕に話しているような…

まっ、それがきっかけです。

父のこと

もう、親父が亡くなって8年くらい経ちますが、
生前、僕は彼と全然気が合わなくて、
ろくに口をきいたこともありませんでした。

これは私がちいさいときからでして、親父は僕に無関心。
というか、そもそも家庭内離婚の家だったので、
僕は早く家を出たかった。

とにかく家が落ち着かないので、私は友達の家を泊まり歩いていました。

18のときでしたか、僕が将来の進路を考えたとき、
親父を一度試したことがありまして、
彼に就職の世話を頼んだことがあります。

親父は当時公務員でしたが、その時代はコネなんて話は、
いくらでもありました。

実際、親父は数人の就職の口利きをして、
役所へ送り込んでいましたから。

で、僕にすればデタラメなんですが、就職のお願いに関して、
親父は即座に拒否しまして、後日お袋にこう言ったそうです。

「あいつを世話なんかしたら、俺の恥になる」

なんだか親父のリアクションがおかしくて、
妙に納得してしまう僕でした。

彼は後年、私に遺書を託しました。

その内容は、彼の無念が滲むもので、
彼の一生を覗いたようなものでした。

親父の墓はいま、横浜の高台にありますが、
墓前に向かうと、いまでも涙がでるのは何故なのか、
私にも分かりません。

スパンキーのつぶやき(コピー風味)

東京都庁の建物って、要塞のように人を寄せ付けないオーラが凄いです。
あれは公僕として働く方々のために丹下健三氏が設計しました。
石原さんにぴったりでした。

芸もないのに襲名してしまった林家三平に、怒りさえ感じるが…
しかし、あれで生きていけるというのも、ひとつの芸なのかな?

横浜の街は好きだけど、だから今さらどうという事もなく、
ただ、胸に残った一枚の絵に惚れている程度のことなんだけれどね…

万が一、今日が人生最後の日だとしても、
まだまだ夢は枯野を駈け巡る………そんな人生にしたいよ。

金儲けのために捨てるものなんか、ないほうが良い。
ただ、生きるために犯すものはあるけどね!

たとえ、今日が最低な日であっても気にすることはない。
明日はそんなに意地悪じゃない、いつもそう信じている。

喧嘩は良くない、
そう言いながら、次のカウンターパンチを狙うのも、
アリだと思う。

アンチエイジングに必死なのは、まだまだ若い証拠です。
最も、あの世へ行けば信じられないほど若くなれる、らしい!

僕は最近、信用できないものが増えている。
例えば、不動産っていう名の我が土地と家が、地震で動くし揺れるし…

サッチモが好きだ。
彼の歌が流れるベトナム戦争の映像を観たことがあるが、
あれは人の業のなせる技だと思う。

良い大学に入りたい奴、大企業入社希望学生、公務員はいいね!という輩
ーーー時代は確実に動いているぜ!  
改めて、生きることの意について語りたいね。

腐る日は、そうだ! 瞑想をしてごらん?
瞼の隅の方から天使が降りてくるよ、そして聖書を読む…
…宗教なんてこの程度で良いと思う。
もっとも、内なる神と信仰は別だけれどね!

最近のキャバレーには愛がない、と言ったのは、
大学時代の友人・伊藤だが、いまはそのキャバレーさえ見なくなった。
一方、キャバクラには奥ゆかしさも何もないので、行かない。

お粗末…

   漂う女

火を喰う男は

いつも夢をみるんだ

砂漠の真ん中で

酒を煽ると

いつも泣いて

その女のことを思い出す、とね

遠い昔

その女は海から這い上がると

体中に海草や貝をぶら下げて

その男に会いに来たというのに

「お前は抱けないな」と

その男は火を喰いながら

女を突き飛ばし

そうかねとうなだれ

そうかねと

入り江に飛び込んで

その女は

永遠に

漂う女になったそうだ

火を喰う男は

また夢をみたんだ

海を見下ろす丘で

酒を煽ると

いつものように泣いて

その女のことを思す、とね

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近況 4題

1.

最近、コンビニへよく行く。主目的はタバコなのだが、

なぜか、ついで買いをしてしまう。

水や雑誌類ならまだ良いが、コーヒーに始まり、おにぎり、

サンドイッチ、肉まん、唐揚げと、私の食べるものは進化している。

おかげで、どこのコンビニのなにが美味いかが分かるようになった。

また、これらをクルマの中で食しながら、iPadでネットをしたり、

メールをチェックしたり、ついでにコーヒーを頂き、タバコを吸ったり…

こうなると、もう自宅の居間の感覚。仕事のデスク感覚ですから。

ケータイもあるし、もう内も外もなし。ONもOFFもない。

これが自由なのか不自由なのか、自分でもよく分からないが、

コンビニの罠にはまっているのは確かだし、確実に太っていることは

自分でも分かっている。

街中へでかけても、同じような行動、形態、食生活。

知らない間に、確実になにかが変わっている。

2.

ちょっと古くなってしまったが、映画館で「三銃士」、

「タンタンの冒険」を観て、レンタルで「ツーリスト」、

「ナルニア国物語3」を鑑賞。

でドキュメンタリー映画「ライフ」と立て続けに観た。

先の「三銃士」とタンタンは、封切り中に行ったにもかかわらず、

なんだか面白くなかった。

三銃士は、ラストに近づくに従い、

パイレーツ・オブ・カリビアンとどこか似ていて、

海から空へ舞台を置き換えただけのような気がした。

ストーリーにも映像にも新鮮さがない。

タンタン…は、スピルバーグが永年あたためてようやく実現した、

という触れ込みになのに、肩すかしをくったように面白くない。

主人公の探偵の少年は、とにかくとんでもない事件に巻き込まれるのだが、

彼と連れの元船長が超人的な生命力で、ビックリ。絶対に死なないし、

疲れない。こうなるとハラハラドキドキを通り越して、安心して観てしまった。

3G映像は秀逸なのに残念だ。

ツーリストはジョニー・デップの正体がラストまで分からず、

思わず唸ってしまった。がナルニア…は、イカン。

で、思ったのだが、神話や童話を原作にしたハリウッド映画は、

奇想天外で特撮も凄いが、こちらがもう驚かない程に、来るとこまで

来てしまったのではないだろうか。

3.

一方、「ライフ」はドキュメンタリー映画。

副題に、いのちをつなぐ物語、とある。

オープニングは、草原に一本の木が立っていて、

背景に美しい星座が回るところから始まる。

そして北極の果てしない氷の大地を空から観たシーン。

カメラは或る一点にフォーカスされる。

四方数キロに誰もいない氷の上で、オットセイがただ一頭で子供を産む。

そして、この親子をモーレツなブリザードが襲う。

母親は子供を守るため、氷ついた体で、吹雪と風の盾となる。

なぜこんな所で子供を産むのか? 答えは簡単だった。

天敵がいないからだ。

アザラシは、いつも集団で生活するものと思っていたが、

そうとも限らないらしい。

さすが、イギリスBBC放送の製作だけあって、

映像が鮮やかかつ精緻。カメラワークを観ても、

どうやってどこから撮ったのかという驚きのシーンが続く。

時間もお金もたっぷりかかっているな。

撮影は、世界にまたがり、

南米、アフリカ、アジア、アメリカ大陸、中国、ヨーロッパ。

海、陸、空それぞれの映像とさまざまないきものが主人公だ。

この映画のメッセージが秀逸だ。

生きるとは、

食べること、愛すること、家族をつくること、そして守ること。

とてもシンプルなメッセージ。

ひねくれた私に、なぜ生きるか、という問いに、

この映像は明快に答えてくれる。

あと、いきものは、みんな分け合って生きている、といこと。

この分け合って、というのが大事な点で、

我々人間の営みに? がつくところだ。

うまく言えないが、人間以外は皆バランスを知っているように思える。

知らないのは、人間だけなんだろうな…

また、映像のなかの主人公は、ときに強烈な愛をみせる。

それは、時にいのちをかけて闘う覚悟であり、

身を犠牲にしても子供や仲間を守ろうとする強さだ。

それは私たちといういきものも同じだろうが、

遠い何処かへ置いてきたもののような気がしてならない。

たとえば、私たちが普段喰っているタコも、感動の対象だ。

タコのメスは、生涯一度っきり卵を産むが、

この一度にいのちのすべてを賭けている。

卵がふ化し、泳ぎ始めるまで6か月間、

母親はここをピクリとも動かない。

子供がやがて泳ぎ始めると、タコの母親はそれを見届け、

そこでいのちを閉じる。

これは本能だけれども、愛でしょう。

そう思えてくるなにかがある。

理屈を簡単に超えるとは、このことだと思う。

4.

私が尊敬する職業に、登山家というのがある。

登山家はすげぇーと思うのだ。

近所の山へハイキングに行くだけでへたばっている自分がいる。

ああ、情けない。

登山家は、冬山へでもアタックする。

私の知り合いだった方は、ロッククライミング中に事故に遭って

亡くなってしまったが、生前のこの方の日頃のトレーニングは半端なかった。

仕事時間中も、常に小さな動作で、腕・足を動かし、

筋トレを繰り返していた。

自宅の壁には石を埋め込み、そこで毎日崖登りの練習を繰り返していた。

酒はいつも程ほどで、楽しい酔い方をする方だった。

彼の目に、登山家に、山はどのように映っているのだろう。

登山は、帰りの余力を計算に入れ、ぎりぎりの体力と選択のなかで、

前に進む。

冬山のマイナス20度のなかを行くとは、どうゆう世界か。

私のずっと年下だが、登山家の栗城史多さんは、自書のなかで、

こう語っている。

「苦しみを受け入れると楽になる」

ちょっと分かるような分からない言葉とも受け取れるが、

きっと登山家がもつ精神の強さなのだろう。

彼は、日本人初の、単独・無酸素エベレスト登頂を果たしている。

他、世界の山々も単独登頂で制覇。

しかも、自分の行動を逐一ネットで世界に配信する機材も、

自ら運ぶ。

これは、並の登山家にも不可能だと思う。

彼は、選ばれた人間かも知れないし、少し表現を変えれば、

神に一番近い人なのかも知れない。

が、彼の肉体は、日本人男子の標準以下だし、

登山のエリート教育を受けた訳でもなく、

金なしコネなしの普通の大学生から登山のスタートを切った人だ。

彼の本のなかで、満天の星を見下ろす、というくだりがあるが、

これこそ常人には見ることのできない景色。

富士山のご来光も見た方も然り。

羨ましくも、凄いなと思う。

私はこれから死ぬまで、果たしてこうした景色を見ることができるのか?

すべては、まず挑戦しなくてはなにも始まらないのだが、

まずは、コンビニ通いをやめることから始めなくてはと思う。

時評byコピー

爺ちゃんの入れ歯は、ガンダムより強いぞ!

by敏夫

洗濯物とともに飛んでった男のプライド

byアラフォー男子

年金は破綻しないという理屈に生涯を捧げる

byエリート官僚

猫は可愛いわ、犬よりずっと…と言うこの女

by猫撫で声で

除染という金脈を掘り当てたゼネコンに秋波

by共犯東電

黒木メイサって絶対許せないわヨ!

by磯野貴理

あのシャケって切り身で泳いでいるのよね?

by叶姉妹の姉

肉食系の吉永小百合を知っているのは俺だけなんだよ

by中尾彬

ウチの旦那が暇で最近世界平和を我にって言うのよ

byヒラリー・クリントン国務長官

あのロボジーってホントはミッキー・カーチスだったの?

by若づくりのお袋

畑を荒らした?じゃあ猿の言い分も聞こうじゃないか!

byムツゴロウ

飲み屋で「女は芸の肥やじゃ」と粋がっていた

by無農薬栽培農家のオヤジ

ニホンノジョセイワスバラシイデス!と言って必ずブスを連れている

by日本通の外人男

AKBにぞっこんの男はなぜブヨブヨしているのかを真剣に考えました

by朝番組でのテリー伊藤

空を見上げて

楡の木の下

流れる雲

陽だまりに君は寝ころび

僕は空を見上げて

言葉を探している

好きとか幸せとか

そういうのじゃなくて

なんだか

突然やってくるような

たとえば天地が動くとか…

いま

世界のなかの

ここはふたりの楽園だけど

逃げる準備はいいかい?

銃は撃てるの?とか

僕は考えていて

ひらひら舞うモンシロチョウを

毒虫にみたて

パーン!とね

君は寝息をたてて

まどろんで

まるで呑気な子猫のように

夢の国の住人で

時折僕に微笑むけれど

相変わらず僕は

空を見上げ

たぶん

この世界で起こる

とても憂鬱な言葉を

探しているんだよ

メデイア追撃

ヒガシコクバルのような目つきをする奴に
誠実な人間はいない。この人が果たして政治家には向いているのかどうかは、
私にはよく分からないが…

キムタクはいま、いやずっと以前から悩んでいる。
もう自分では身動きできない程、周りからの評価は
「イイオトコ」。但し、この評価がただの記号でしかないことは彼自身が
一番よく知っている。

AKBではなくモーニング娘。竹井咲ではなくゴクミ。
それなりに年をとると、はじめて美しいか否かは
よく分かるものだ。

五月みどりは美しい。瀬戸内寂聴はいやらしい感じがする。
小池真理子は綺麗だ。藤原紀香は恣意的でイライラする。
IKKOはごつい。これは本当

森三中の芸というのは、想像するに、或る趣味の奴から
見れば、とてもエロいのかも知れない。私には伝わらないが、
ふとそんな気がした。

ロシアではデモが盛んだが、プーチンには想定外だったと思う。
彼はとんでもない勘違い人間で、自分ほど強くて格好良い奴は
他にいない、と思っているフシがある。

小沢さんという人は、希有な政治家だと思う。が、いつも
悪い人というイメージがついて回る。それは、彼が既成に逆らい、
アメリカという国を客観視したときから始まっている。

石原都知事は、とても臆病な人間だと思う。彼はよく極論を
言うが、こういう人間に限って自分に葉っぱをかけている。
虚勢とは、まさに彼のことを指す

細木数子さんがしばらくテレビから消えてほっとしている。
あの方が好きなことを言って偉そうにしているのは勝手だが、
或る人にとっての彼女は犯罪者そのものだ。

加藤茶とかラサール石井が若い嫁さんをもらっているが、
なんだか凄く嫌な気がするのは私だけだろうか?
彼らはきっと心が広いのだろうし、ホントの自由人なのかも…
あ~あ、私はつまらない人間です!

裏街

私が生まれ育った横浜の或る街は

物心ついた頃からいろいろ変な奴がいて

小学生の頃すでに同じ学校内に

万引きのグループが存在し

数々の悪行を繰り返していた

友達のなかの何人かは

ガキのクセにすでに学校をサボる奴や

毎年のように苗字が変わる奴とか

山を火事にしちゃうのとか

いろいろいた

外国籍の生徒も多く

そんな仲間同士の争いも多々あったし

女の子もとてもませていた
U

私も大きくなってその街を引っ越し

新しい街で学生を始めた頃

横浜は相変わらずヤバイところで

行くところ行くところで喧嘩が始まる…

ひとことで言えばそんなところだった

当時の私は、遊ぶといえば

横浜の街しか知らなかったので

ざっくりいえば

日本中どこもそんなもんだろうと思っていた

みんなでクルマに分乗し

行き着くところは厚木基地側のディスコか

本牧のディスコと相場は決まっていた

ジルバ、チャチャ

仲間はみなオドリが達者だった

ステージで一列に並んで踊る

とにかくぶんどって踊る

格好つけるだけの夜に

その頃は賭けていた

当時、私たちにとって

伝説と言われていた

ケンタウロスという集団は

ハーレーの野太い音を轟かせ

街を疾走する謎のグループだった

こいつらの正体が分からず

絶対に遭遇したくない存在だった

後に女優の余貴美子さんが

この方たちと遊んでいたときいて

ホントに驚いた

そのケンタウロスが

いまでも活動していると知ったのは

最近のことだ

本牧からほど近い中華街はその頃

夜ともなると豹変し

伊勢佐木町の裏通りと同じように

かなり危ないところだった

それでも私たちはここで酒を飲み

福富町の地下の店にしけ込み

何度も朝を迎えた

チンピラに絡まれ

マンションの屋上で争いになり

もう少しで刺されそうになったことがあるが

いま思えば私も相手のチンピラも

事件にならずにホントに良かったと思う

去年あの辺りを歩いたが

中華街は観光地として明るく生まれ変わったものの

伊勢佐木町の裏通りはやはり廃れ

別の意味で不気味な雰囲気が漂っていた

街の臭いとは不思議なものだ

横浜駅周辺も一歩裏へ入ると

とんでもない奴らが溜まっていた

チンピラに薬漬けの危ない奴

狂ったロックンローラーに

男か女かよく分からない格好をした集団

そんななかをかき分けて

私たちがいつもめざす場所は

横浜駅西口のディスコ「ソウルトレイン」だった

ここのステージも何度か仲間とぶんどって踊ったが

やはりと言うべきか

周りからいろいろ目をつけられ

狙われた

一度ここで他のグループから襲撃にあい

怪我を負った嫌な思い出がある

いまは結構な事件になることだろうが

こんなことが当時は割と多かった

このディスコで知り合った横須賀の友達が

俺の街へ遊びに来いよ、という

その街は横須賀中央駅近くのどぶ板通り

店は「サンタナ2」

名前だけは有名なディスコだった

ここでパーティーだったのだが

踊っているうちにどうも外の様子がおかしい

店にいる連中もザワザワしている

後で聞いた話だが

その日のパーティーを狙った他のチームの連中が

襲撃にくるという話がすでにあったらしい

私がなにも知らずにはしゃいでいると

いきなり入り口から数人のヤバそうな奴らがなだれ込み

そこからいきなり殴り合いが始まり

音楽が止まって騒然となったことがある

事はそれで終わったのだが

まあロクな事ではない

或る日

仲間うちの誰かが「東京ってどうよ」というひと言から

みんなで東京へ遠征することが決まった

国道246を北上し

きったないシャコタンのボロ車の集団が

夜の新宿へと繰り出した

事前情報では

めざす場所に東京の西部一帯を牛耳っている連中が

集まっているということだった

要はなにも知らないガキの集団が

新宿の或るディスコに乗り込み

敵さんと一戦交えて勝利し

調子に乗ってしまったということだ

以来

私はコイツらと距離を置き

自分に嫌悪し

焦り

塞ぎこみ

とにかくなにかを始めなくてはと考え始めた

数年後

私は奇跡的に就職試験で或る一社にパスし

自分を変えた

いや

このままでは絶対に世の中に受け入れられない

みんなに教えられ

いや怒られながら

必死に自分を社会へ馴染ませようと

毎日が必死だった

他からみればどうでも良いことでも

こっちは緊張の連続

精神的にも肉体的にも

追い詰められてゆく毎日だった

いまとなっては笑える話だが

私はここで別の世の中を教えてもらった

ガキの頃の友達も

就職してからの友人も

いまは良いつきあいをさせてもらっている

裏街から出てきた自分の価値観や世界観は

いまでも相当ズレていて

そこは自分でも承知しているつもりだ

しかし人生も後半を過ぎて

老後を考える時期に来た

このズレは死ぬまで治らないし

育ちは消せないものだと最近分かった

せめて残りの人生を

このズレが良い方へと誘ってくれないかと

いつも思っている