元旦に地震とは!!

 

人類に忖度なし。

新年早々の大きな地震が起きてしまった。

自然は容赦ないなぁと改めて思う。

 

被災地の方々には心よりお見舞い申し上げます。

 

太平洋側は常に地震の警戒が言われていたけれど、

能登半島なのかと、虚を突かれた感じだ。

テレビを観ていて3.11を思い出す。

 

とても嫌な記憶が蘇ってきたので、

いい加減にテレビを消す。

 

ハードディスクにためておいた映画に切り替える。

 

「ネバーエンディングストーリー」。

もう2回観ているけれど、

なぜかこの映画には惹かれてしまう。

要約するとこんな映画だ。

 

本の好きないじめられっ子が、古本屋から拝借した本を

読みふけっているうちに、

ストーリーのなかに入り込んでしまい、

もうひとりの勇者と言われる少年とともに、

旅を続け、ようやく世界を救う…

(映画は夢と現実が同時に進行する)

簡単に書くと、そんなストーリーなのだ。

 

いにしえから男の子は困難な旅に出なくてはならない。

そうして誰かを救うことで一人前になり、

やがておとなになる。

 

こうした話は世界中で散見される。

いわば物語の定番であり王道だ。

が、この映画の設定がなかなか良いのだ。

 

この映画で、少年が戦う相手は「虚無」だ。

そう虚無なのだ。

 

映像はわりと幼稚なのだけれど、

虚無というものを敵に設定するところが秀逸。

 

人は夢や希望を失うと心がむなしくなり、

やがて虚無がその人を支配するようになる。

(これは現実に起こることでもある)

それが世界に広がると、やがて世界は崩壊する。

(そうなのかもしれない)

 

夢のない世界、失われた希望…

ふたりの少年の旅は、ある意味で、

人の心に灯りをともす旅であり、

いろいろな困難に打ち勝つことで、

ようやく世界は復活する…

 

一見単純だれど、テーマには、

人間にとって不変の尊い精神性が込められている。

 

現実は、

ロシア・ウクライナ戦争、イスラエル・パレスチナ戦争、

オイル危機、世界で起こっている災害の数々、

そしてパンデミックから、

いつ起きてもおかしくない金融システムの崩壊などなど、

ボクたちを取り巻く世界だって、

いつ「虚無」が広がるかわからない様相なのだ。

 

容赦ない。

 

という訳で、正月早々なのだけれど、

あまり明るいことは書けなかった。

 

今年はある意味で、

世界も日本も天王山の年になるのではないのか、とも思う。

(アメリカの大統領選も今年である)

 

やはり、気の引き締まる正月である。

 

 

新しい会社の方針はこれだ!

 

新しい会社の名前を妄想中である。

別会社だけど、たいそうなことは考えていない。

個人事業でも構わないと考えている。

その場合は屋号というのかな。

 

当初、エジソン・ライトハウスとしたが、

これはすでに存在していたので、却下。

 

次にレッド・ツェッペリンというのが閃いた。

しかし、ご存じのようにあのツェッペリン号は、

空で大爆発しているので、なんか縁起が悪い。

そもそもレッド・ツェッペリンとは、

失敗の意味でも使われていたと言う。

で、これも当然却下。

 

現在最も有力なのが、バニラファッジという社名である。

 

バニラファッジは、イギリスの国民的お菓子。

甘い食いものである。

 

さて、これらの候補は、

すでに気づいた方もいると思うけれど、

いずれも60~70年代に活躍した

世界的ロックグループの名ばかり。

バニラファッジのヒット曲、

「キープ・ミー・ハンギング・オン」は、

当時少年だった私には、凄いインパクトだった。

 

レッドツェッペリンの「天国への階段」も、

エジソンライトハウスの「恋の炎」もそうとう良かった。

いまもって忘れられない音楽だし、

これらをネーミングにするのは悪くないと考えた。

 

さらには「ホワイトルーム」のCREAMも候補にしたが、

次第に混乱してきて、結局はやめることにした。

 

コンセプトなどという難しいものはない。

思想感ゼロである。

発想の根拠が乏しいわりに、アナログ感だけが満載なのだ。

 

で、この新しい会社というか新組織がなぜ必要か、

なのだが、凄い稼いでやろうとか、そういうのでは全然ない。

 

むしろ、やることを減らす、嫌なことはやらないなど、

結構うしろ向き。

唯一、好きなことしかやらないとする一点において、

妥協のないよう検討している。

 

仕事としては、取扱品目を極端に絞り、

ライティングのみに集中すること。

ライティングが入り口の仕事であれば

その後も前も引き受けます、というスタンスにしたい。

 

なぜなら、ライティングから入る案件は、

それなりにテキスト重視であり、

それを核として組み上げるからこそ、

他とは違ったものが制作できる。

 

重要なのは、広告に文字は不要、

または重要ではないと考える企業などがあるので、

そこを切り離したいと思った。

(こちらにも意地がある訳)

 

で、ひと口にライティングといっても

広範な守備が必要となるが、

そこは私的な仲間やネットワークに

多彩な才能が眠っているので、

取扱品目を減らす代わりに、多彩な案件を受け入れたい。

 

私たちの仕事は、クライアントに寄り添って仕事をしている。

これは、ある意味、とてもやりがいのあること。

いつもなんとかしてあげようと、夢中で頑張る訳です。

 

しかし、なかには意にそぐわない案件もある。

意にそぐわないとは、広範にわたるからひとことでは

言えないけれど、嫌なことはやらないとする方針は、

新しい組織にとって欠かせない事項なのである。

 

イェスマンにはならないぞという決意でもある。

 

さらには、好きなことしかやらないというわがままも、

この際必要不可欠なのである。

 

で、好きなことしかやらないとは、

なんと生意気なと言われそうだし、

第一そんな方針で仕事が成り立つのか?

という不安や疑問等が残るのも事実。

 

がしかし、そこは試しである。

実験である。

 

コピーライターという職業は、

ときとして空しくなることがある。

 

全く共感できない企画やプロモーションの依頼。

また、ひとつ間違えばこれは詐欺ではないのか?

と思うようなセールスを頼んでくる企業もある。

 

このような依頼事に、

すがすがしく「ノー」を突きつけることの、

なんと難しかったことか。

 

その反動のようなものが、最近噴出してきたのかなぁ…

 

とにかく、好きなことだけやって生きていけるか?

この賭けはいまのところ読めない。

(自分の正しいが世間の正しいとは必ずしも一致しないし)

 

が、勘として勝算はある。

 

時代は刻々と変わりつつある。

 

風はかわったと信じている。

 

そして少しでも仕事が動けば、

 

生きる自信に繋がるような気がする。

 

 

片岡義男の「タイトル」はキャッチコピーになる!

作家・片岡義男の本は以前、何冊か読んだ。

映画化された作品も多く、
そのうちの何本かは観た記憶がある。

作品はどれも視覚的、映像的であり、
都会的なタッチのものが多い。

いずれアメリカ西海岸を思わせる舞台装置に加え、
個性的な文体と独特なセリフで、
片岡義男の独自の世界がつくられている。

彼の作品は、とにかくバタ臭い。
これは褒め言葉として。

それまでの日本の小説にはなかった、
カラッとした空気感が特徴的だ。

この作家は、英語に堪能で思考的にも
英語圏でのものの考え方もマスターしている。

彼はまた、時間の切り取りに長け、
ほんの数秒の出来事でも、
ひとつのストーリーとして成立させることのできる、
センスの持ち主である。

写真のプロでもある彼は、
つかの間の時間を、
まるで連続シャッターでも切るように、
物語をつくりあげる。

さらに驚くべきは、彼の作品のタイトルだ。

例をあげよう。

 

「スローなブギにしてくれ」

「人生は野菜スープ」

「彼のオートバイ、彼女の島」

「ホビーに首ったけ」

「マーマレードの朝」

「味噌汁は朝のブルース」

「幸せは白いTシャツ」

「小説のようなひと」

 

いくつか挙げただけでも、センスの良さが光る。

このタイトルに込められた物語性、意味深さ、
そしてそのかっこよさに、
ボクは学ぶべき点がおおいにあると思った。

そしてコピーライティングに欠かせない何かを、
片岡義男はこのタイトルで提示してくれている。

それはいまは使えない武器なのだが、
またいつか使うときが必ずくるので、
必須で習得すべきとも思っている。

いまはテレビを付けてもネットをみても、
「限定販売!いま買うと驚きの○○円でお手元に!」
とか
「売り切れ続出!いまから30分なら買えます!お早く!!」
など、いずれも全く味気なく、
人の裏をかくような煽り広告が溢れている。
でなければ、とうとうと説得を試みようとする、
長い記事のLP広告を読まされるハメに。
(ボクらはランディングと呼んでいるが)

これは、いまのクリエイターが、
人の情緒に近づける術をしらないので、
ただのテクニックだけで売ろうとする広告が
目立っているからだけなのか?

それとも、世知辛い世相の反映としてなのか?

とにかく余裕のない日本の経済の合わせ鏡のように、
即物的な広告類は果てしなくつくられている。

たとえば片岡義男的世界を、
いまなんとか広告としてつくりあげられたとしても、
きっとどの広告主も「OK」を出さないだろう。
そして広告主たちはきっとこう言う。

「自己満足もほどほどにしてください」と。

とにかく世の中のスピードは加速している。
結果は即座に数字に出なくてはならない。

よって「この企画は長い目でみてください」
とか、
「この広告はボディブローのように徐々に効いてきます」
などのプレゼンには誰も興味を示さない。

分かるハズもない。

これは皮肉でなく、実感として感じる。

よってボクらの仕事はどんどんつまらなくなっている。

ホントはね、
たまに暇な時間に開く片岡義男の本にこそ、
ボクらの仕事に必要な、
コアな世界が広がっているのだけれど…

かつては誰もがもっていたゆとりと、
文化のかおり高いこの日本である。

いつかまたそんなときがくる…

少なくともボクはそう信じているのだが。

 

 

●片岡義男のプロフィール (以下、ウィキペディアより転載)

1971年に三一書房より『ぼくはプレスリーが大好き』、1973年に『10セントの意識革命』を刊行。
また、植草甚一らと共に草創期の『宝島』編集長としても活躍する。
1974年、野性時代5月号(創刊号[12])に掲載された『白い波の荒野へ』で小説家としてデビュー。
翌年には『スローなブギにしてくれ』で第2回野性時代新人文学賞を受賞し、直木賞候補となる。
1970年代後半からは「ポパイ」をはじめとする雑誌にアメリカ文化や、サーフィン、ハワイ、
オートバイなどに関するエッセイを発表する傍ら、角川文庫を中心に1~2ヶ月に1冊のハイペースで新刊小説を量産。
またFM東京の深夜放送番組「FM25時 きまぐれ飛行船〜野性時代〜」のパーソナリティを務めた他、
パイオニアから当時発売されていたコンポーネントカーステレオ、「ロンサム・カーボーイ」のテレビCMのナレーションを担当するなど、
当時の若者の絶大な支持を集めた。
代表作である『スローなブギにしてくれ』(東映と共同製作)、『彼のオートバイ、彼女の島』、『メイン・テーマ』、『ボビーに首ったけ』は角川映画で、
また『湾岸道路』は東映で映画化されている。
近年は『日本語の外へ』などの著作で、英語を母語とする者から見た日本文化論や日本語についての考察を行っているほか、
写真家としても活躍している。

 

南佳孝&杉山清貴ライブへ行ってきました!

 

南佳孝&杉山清貴のライブへ行ってきました。

会場は、おなじみのビルボードライブ横浜。

(海風がキツくて寒かった!)

 

 

まずは、ざっくりと感想から。

ボクは南佳孝さんの曲をじっくり聴きたかったんだけれど、

違いましたね。

お二人とも、かなりのビートルズ・フリークだそうで、

そのカバー曲が中心。

 

それは良いんだけれど、カバー中心のライブがそのまま進行。

あおい輝彦の「あなただけを」とか、いしだあゆみの「ブルーライト横浜」とか、アズナブールのシャンソンだとか…

まあ、選曲が自由なんです。

 

それはそれでじゅうぶん聴かせてくれたし、ハイレベル。

で、雰囲気はなんだかムカシ行ったナイトクラブとか、

高級?キャバレーなんかを思い出すようなムードになっていて、

ボク的にはタイムスリップしてしまいました。

 

 

なんせ、60年代~70年代のヒット曲がコアなので、

若い人にはちょっと分からないと思う。

 

よって客もシニア中心だけど、ひとくせありそうな人間が目立った 笑

 

私的には、「日付変更線」とか「スコッチ&レイン」とか聴けたらと、

期待していたんだれど、その点はがっかり。

 

単独ライブと今回のライブが全く違うのは、ファンの常識と思われる。

やはり、にわかファンは情報・経験が甘いなぁ。

 

 

にしても杉山清貴さんのブルーライト横浜、良かった。

彼はボクと同年代でしかも同じく横浜出身ということも知らなかった。

杉山さんが海の方角(みなとみらい地区)を指さして

ぶつぶつ呟いていた。

「こっちはムカシは何もなかったんですよ。ただの海。

埋め立てられて原っぱだった」

 

同じ風景を共有していることが、なんだか沁みたなぁ。

 

 

上を向いて歩こう

 

ボクがまだ幼かったころ

家族4人で暮らしていた我が家は

とても小さくて狭くて粗末で

つよい風が吹けば

ふわっと浮かんで

どこかへ飛んでいってしまいそうな

あばら屋だった

 

けれどボクにとっては

まぎれもなく唯一安心できる我が家だった

 

ある年の元旦の朝に

和服の女性が男の子を連れ

我が家を尋ねてきた

 

突然の来訪者に母は驚き

つつましいおせちを出して

精一杯もてなした

 

「お姉ちゃん あの人たちだれ?」

ボクが姉にきく

「知らない」

 

姉は何かを察知したのだろう

とても不機嫌だった

 

和服の女性は

キツネのような目をしていた

男の子はボクよりひとつ年上で

ボクが苦労してつくった戦車のプラモデルを

壁に投げつけたりして笑っていた

 

松飾りがとれるころ

父と母のどなり合う声で

夜中に目が覚めた

 

そんな日が幾日も続いた

それでも姉は

いつもと変わらず

毎朝小学校へ走ってでかけた

 

眠りが浅くなってしまったボクは

毎夜毎夜つづく

父と母のののしり合いをきくことになる

 

「離婚しかないでしょ」

「そうだな」

 

ボクはそのたび

となりで寝ている姉の手をぎゅっと握った

 

姉は寝息をたてていた

 

お父さんとお母さんが離婚するって

いったいどういうことだろう

ボクはこの家にいられないんだ

もういまの学校へは通えない

ボクも姉も

みんなバラバラになってしまう

そしてボクはひとりになってしまう…

 

ひとりになったらどうしたらいいんだろう

 

いろいろな不安がとめどなく溢れる

 

そのうちボクは寝られなくなって

よく朝まで起きていた

 

小学校で授業が終わってみんなが下校し

誰もいなくなると

ボクは学校の裏庭でよく泣いた

 

それはいまでも忘れない

 

けっきょく父と母の離婚はなかったが

あの日以来

家のなかは

永年霧がかかったような湿気が残った

 

それから幾度か引っ越しをした

けれどその湿気はいつまでも残った

 

ボクは小学校を卒業しても

漠然とした不安は解消しなかった

いつも最悪の場面を想像し

その対応策を必死で考えるのが

癖になってしまった

 

そして浅はかではあったけれど

とにかく「さっさと独り立ちしたい」

というようなことを強く心に念じた

 

 

昭和30年代の終わりのころ

我が家のテレビはまだ白黒テレビだった

いや、どの家もそうだった

 

夕飯を食べながらテレビを観ていたら

坂本九という歌手が

「上を向いて歩こう」を唄っていた

 

―上を向いて歩こう

涙がこぼれないように―

 

あの日以来

幾度も幾度も

辛いことがあったけれど

そのたびにボクのなかで

あの歌が流れるのだ

 

それはいまでも変わらない

 

 

 

シャカタクのライブへ行ってきた!

 

やはりライブは違うなぁって、つくづく思いました。

当然のことですがYouTubeで聴くのとは

全くのべつものでした。

 

 

ボクはこのグループのライブは初めて。

退屈するかもと、何の期待もなく出かけた。

しかし今回のライブで、シャカタクに対する印象が、

以前とはガラッと変わってしまった。

 

退屈な訳がない。

とても充実の時間をもらった。

 

シャカタクがヒットを飛ばしたのが1980年代の中頃だったか。

ヒットした「ナイトバーズ」が街のあちこちから流れ、

日本の景気は最高潮で、ボクは新社会人として、

東京中をあくせくして走っていた。

(いや、机でじっと何かお粗末な記事を書いていた)

 

 

そこに「ナイトバーズ」が流れると、

なんだか少しストレスと緊張から逃れられるようで、

ふうーと肩の力が抜けた。

 

軽いタッチのヨーロッパのジャズ・フュージョン。

とにかく都会的な音楽だった。

ボク的には、彼らの音楽を心地の良いBGMとして

聴いていた覚えがある。

 

が、今回のライブで、彼らの印象は120度くらい変わった。

都会的な音楽というのは、いまでも色褪せない。

あれから数十年が経ったのに、依然として古びない。

(これはなかなか凄いことではないかと思う)

 

がしかし、「軽い」というのはボクが間違っていた。

次々に繰り出す馴染みの曲が、どれもなんとパワフルなことか。

ぜんぜん軽くないではないか。

新メンバーも加わったものの、

あの電子ピアノとパーカスは変わらずで、

そこに熟練のテクニカルな要素が加味され、

迫力の音楽シーンが再現されたのだ。

 

ライブの最中、ボクはジンジャーエールを

飲んでいたのだけれど、

途中グラスの中身を確認したほどだ。

ちょっとアルコールが入っているんじゃないか?

 

ノンアルコールでも酔える。

やはりライブって良いですね。

 

 

 

ショートストーリー「流星」

 

 

 

「アジル流星群が見れるのは、

次はずっと先の298年後らしいよ」

高次が暗い夜空を睨みながらつぶやく。

 

「そのころ私たち、当然だけどこの世にいないわね。

かけらもないわ」

 

草むらから身体を起こしながら、

多恵が笑って高次のほうを向いた。

 

小春日和の12月の中旬、

ふたりはクルマを飛ばして、

海が見える丘をめざした。

 

海からの風が、

あたりの草をざわつかせ、

ふたりの身体は一気に冷えた。

 

高次が多恵の肩に手をかけて

「大丈夫か、冷えないか、多恵」

と顔をのぞく。

 

「今日はなんだか良いみたいなんだ」

 

多恵の長い髪が風になびいて、

群青色の海を背景に

格好のシルエットとして映る。

 

高次はそれをじっとみつめた。

 

多恵は、9月の初めに病院を退院し、

ずっとマンションに籠もる生活を強いられていた。

パートナーの高次は、

そんな多恵を見守りながら、

彼女を表に連れ出すチャンスを伺っていた。

 

 

多恵が完治する見込みは、

いまのところないと、

幾つかの病院で指摘された。

 

(難治性心筋膜壊死症候群)

 

多恵が発病したのは、

ふたりが一緒に暮らし始めてから、

2年目の夏だった。

 

診断の結果に、ふたりの気持ちは塞いだ。

憂鬱な日が幾日も続いた。

 

が、ふたりは或る日を境に、再び歩きはじめる。

 

前を向いて生きよう、

そしてこれからのことについて、

現実的な解決策を考えようと。

 

ふたりは、

新たなスタート地点に、

再び立ったのだ。

 

 

憂鬱な日々は去った。

ふたりは、テレビを消し、

ネットを避け、

無駄な時間を一切排除して、

毎日毎日話し合いを続けた。

 

それはふたりの隙間を埋めてもまだ足りない、

濃密な語り合いに変わる。

 

残された時間を惜しむように、

相手を慈しむように、

そんな時間を重ねた。

 

―現実的な解決策など

見いだすことができない―

 

それは、お互いがあらかじめ

じゅうぶん承知していることだった。

 

ただ、いまさらながら

「いま」という瞬間の貴重さについて、

ふたりは改めて気づかされたのだ。

 

過去ではなく未来でもなく、いま。

この瞬間瞬間を精一杯生きていこうと、

誓い合った。

 

 

高次は、仕事の合間を縫ってネットだけでなく、

図書館でいろいろと文献をあさってみたが、

やはりかんばしいこたえを探し出すことができなかった。

症例が希で予後は良くないとの、

専門医のことばだけが記憶に残った。

 

現実的な解決策は、やはり見いだせない。

 

高次は日を追う毎に

焦りのようなものを感じるようになった。

 

 

(海辺の丘にて)

 

ふたりが真夜中の空を凝視する。

 

あたりは誰もいない。

海風だけがうるさく木々を揺らしている。

 

その流星は南西の夜空に明るく降り注ぐと

テレビでは話していたが、

こうして夜空を見ていると、

流星は決してシャワーのように現れたりはしない。

 

或る間隔をあけてスーッと光っては消えてしまう。

それはとても控えめで静かな星の軌道だった。

 

「多恵、もう眠いだろう?」

「うん、眠い。もう疲れたね」

「そろそろ帰るか?」

「うん」

ボクらは草を払いながら立ち上がった。

 

「もう2時間もいたんだよ」

あくびをした多恵の口が少し尖っている。

時計を覗き込むと、午前2時を差していた。

 

「高次は、明日の仕事キツイね」

「なんとかなるさ」

 

帰り際に南西の空をもう一度見上げると、

線香花火のようなオレンジ色の光が

暗闇に現れた。

その光が漆黒の空にスッと一筋の弧を描いて、

次の瞬間、濃い群青色の海に消えた。

 

「いまの見た?」

「見た、見たよ」

 

高次はそのとき不思議なことを思った。

 

―この地上って、いろいろな人間やいきものがいて、

みんな一様になんだかいろいろと大変な事情を抱えていて、

それでもなんとか生きているんだ―

 

誰も彼も、よろこびはほんの一瞬なのではないかと。

 

高次は多恵の肩を抱いた。

「寒いな」

「うん」

 

そして高次は、

ある約束のようなものを、

自分自身に誓った。

 

いつか再びこの丘で

多恵とこの流星を見るのだ…

 

(なあ多恵、もし生まれ変わっても、

君さえ良かったら、また一緒になろう。

そしてこの流星をいっしょに見よう)

 

いつかまた多恵と出会い

同じ時代を生きてみたいと

高次は本気で考えた。

 

 

あの流星を見に出かけた日いらい、

多恵はまた床に伏してしまった。

 

「無理させてしまってゴメンな」

「そんなことない。とても素敵な夜だったよ」

 

多恵の細いうなじが、

日に日にハリを失ってきているのが、

高次にも分かった。

今夜は足もおぼつかない。

「大丈夫か?」

「…」

 

多恵の辛そうな身体が、

まるで背後の暗さに溶けていくかのように、

か弱く小刻みに震えている。

 

 

高次は病院にいくたびに、

無駄と知りながら、何度も医者に食い下がった。

医者はむずかしい表情で、

その度に薬を変えた。

 

が、多恵の衰えは止まらない。

 

或る日高次は、

「またあの流星を一緒に見たいな」

とベッドの多恵に話しかけた。

 

「ええ」

多恵が微笑んだ。

「だけど298年後でしょ?」

 

「そのときが来たら、

また多恵と一緒にあの流星を見るって、

ボクは決めたよ」

 

多恵の目が潤んだ。

そして多恵が、

「高次ってホントに空が好きだね。

なんで?」

 

「なんでって…」

 

「だってムカシから空ばかり見ているじゃない」

 

「それはこの空だけが、ボクたちのことを

ずっと覚えていてくれると思うからさ」

 

多恵の目から涙がこぼれた。

 

「高次、死んだら私どこへ行くのかな?」

 

「つまらないことをいうなよ」

 

高次が多恵に語りかける。

 

「いいか多恵、よく聞けよ。

何処にも行くな。

いつもボクが近くにいると

強く信じていてくれ」

 

「独りになるって寂しいね」

 

高次は一瞬押し黙った。

そしてゆっくりと話し始めた。

 

「多恵、キミを独りにはさせない。

ボクから離れるんじゃないぞ。

ボクから離れるんじゃない」

 

 

多恵の病状は徐々に悪化し、

その年の暮れ、再び入院することとなった。

 

そして年が明けた翌1月の冷え込んだ朝に、

多恵は二度と微笑むこともなく、

あっけなく逝ってしまった。

 

 

高次はそれ以来、

永い日を放心して過ごすこととなった。

身体にあいた大きな空洞のようなものが、

彼を虚無の世界に閉じ込めたのだ。

 

 

半年の後、高次はようやく仕事に復帰した。

 

高次はとあるごとに、

自分に誓ったあの約束のことばかりを、

一心に考えるようになった。

 

多恵、

キミにまた会えることを信じて、

ボクはいまもその手がかりをさがしている。

それはとても非科学的な考えなのかも知れない。

けれど、ボクたちは或る何かを超えて、

再び会えるような気がするんだ。

 

だから多恵、298年後なんてすぐ来るような気がする。

 

「ボクの声が聞こえるかい?」

 

(完)

 

 

 

「君たちはどう生きるか」を観て思ったこと

 

きっと宮崎駿監督の最後の作品だろうと思い、

映画館へでかけた。

平日の夜にもかかわらず、席はそこそこ埋まっている。

関心の高さがうかがえる。

 

感想は、ひとことで言うと良かった。

月並みだけれども。

 

今回、この映画の宣伝はなかった。

噂はいまや瞬時に拡散する。

ジブリの新作、宮崎駿監督作品とあれば、

これだけで十分でしょ?

しっかり集客できている。

但し、ネームバリューとかブランド力がないと、

全く使えない方法。

当たり前だけれどもね。

 

さて、この映画を紹介しよう。

あらすじを話してもしょうがないと思う。

途中からは、ほぼ伝わらないだろうなと、

という自信がある。

 

では、内容を小分けにし、

それを系統立てて伝えようとも思ったが、

それにはまず時系列のメモをつくり、

それらを幾つかのカテゴリーにまとめ、

それを再び組み立てて…

なんて、ボクにそんな技などない。

 

ということでとりあえずは、

出だしと登場人物についての紹介。

 

主人公は眞人という少年。

火事で母親を亡くしている。

戦時中ということもあり、

父親と町を離れて地方に疎開する。

が、そこは父親の再婚相手の家。

さらに、引っ越した家がとても古くて

バカでかいお屋敷で威厳があって、

なんだか怖い。

 

眞人は、

当然のことながらこの義母を好んではいない。

転校先の学校ではいじめられる。

眞人にとっては最悪な状況だ。

そして、もちろん孤独である。

 

彼はあるとき、

屋敷のまわりをうろつく青サギが気になる。

青サギが彼にちょっかいを出すからだ。

眞人は青サギに敵意のようなものを抱く。

その妙なひきよせが、彼を行動にかきたてる。

そして屋敷の裏には、

誰も近寄らない朽ちた塔が建っている。

ここから話はいっきに加速することとなるのだが…

 

この映画のなかで、

映画と同名のタイトルの本が登場する。

「君たちはどう生きるか」(吉田源三郎)だ。

 

意味深かつ難しい問いを投げかける本である。

ストーリーはおのおの違うのだけれど、

その問いかけは同じだと思う。

 

どう生きるか?

これはおとなになっても、

かなり難しい問題ではある。

ちなみにボクは、

未だにこのこたえを知らないのかも知れない。

いい年をして。

 

けれど、学生の頃は一応、

悔いのない人生を送ろうなどと、

決意した覚えがある。

結果、サラリーマンは続かず、

既定路線をドロップアウト。

自分の希望する職に就いたのはいいが、

独立して仕事を興せば、

おおよそ理想とはかけ離れた生活が待っていた…

 

そんな訳で、

どう生きるかと問われれば、

そのこたえは、

―死んでみなくては分からない―

である。

 

だけど人は或る時期、

この難問にぶち当たるらしいのだ。

思うに、きっと遺伝子レベルで組み込まれているのが、

君たちはどう生きるか?

なのだろう。

 

でこの映画は、

いにしえよりのいい伝えや、

人の生き死にに対する厳格さ、

罪悪感や愛、

そして世界のなりたちなど、

結構考えさせられる話が、

ちりばめられている。

 

良くも悪くも宗教的でさえある。

 

例えばこの映画は青サギだけでなく

ペリカンもインコもさかんに登場する。

そしてしゃべる。

擬人化されている。

 

鳥は、あの世とこの世を繋ぐといわれるいきもの、

といわれる。

 

また、死者が渡るといわれる三途の川らしきものを

眞人が眺めているシーンがある。

その川の遠方を無音で通り過ぎる帆船。

帆船には無数の死者が乗っている。

 

そして映画「十戒」のように、

海が割れるシーンもあるし。

 

ストーリーは絶えず現世と来世が交差し、

入り交じり、同居しながら進行してゆく。

そんな時間軸の違う、

異世界、異次元の人物たちが、

なんの違和感もなく次々に登場する。

 

とりわけ日本的であると思うのは、

江戸時代の上田秋成の作品などにもみられるように、

死者がまるで生きているかのように、

自然に描かれていることだ。

 

私事だけど、

他界したボクのおふくろはときどき、

40才くらいのはつらつとした姿で、

夢のなかにあらわれることがある。

(これはあまり関係ないか)

 

ストーリーの続きだけれど、

主人公の眞人は青サギに導かれるようにして、

こんな時間軸と次元の違う、

まるで夢と現実の入り交じった世界を、

めくるめく旅することとなる。

 

さて、人には誰でも歴史というものがある。

さかのぼれば、それは過去へと延々と続いている。

その繋がった世界にはもはや生と死の境はなく、

すべてが同時に同居しているのか?

 

そして主人公の眞人は、

このめくるめくような旅を通して、

なにかを知り、

何を学び得たのか?

 

それは人にとって一番だいじな事なのだろうと、

つくり手はそれをなんとか伝えようとして、

この映画を制作したのだろうと、

ボクは思うのだが…

 

さて異次元、異世界、いにしえ、

無意識の意識とうとう、

こういうものを一切うけ付けない人は、

この映画を観ないほうが良いのかな、

とも思った。

だって訳が分からなくなるし、

それだけで時間とお金の無駄になるし…

 

がしかし、「不思議の国のアリス」でも

鑑賞するように、好奇心満載で

観たらどうかとも思う訳だ。

 

「君たちはどう生きるか」という

冒険ストーリーだと思えば、

文句なく楽しめる。

 

そしていつか何かのきっかけで、

この映画を思い出すかも知れない。

そうしたらこんどは君の番。

 

君の新しい冒険が待っているハズ。

それがこの映画のめざすところではないか?

 

 

 

残暑お見舞い申し上げます(~_~;)

 

まだまだ暑い日が続きそうですが

お盆も過ぎましたし「残暑です」などと言うと

ちょっと先がみえてきてほっとしませんか?

 

今年は気温が高すぎる。

ボクの小さい頃は最高気温30℃でしたけどね。

 

台風の進路もなんだか変です。

うろうろしたり引き返したりと

過去にはあり得ないような動きです。

 

政治も、どうも希望がもてません。

政治家でなく政治屋が日本を動かしている。

政治屋と呼ばれる人たちは

そもそも日本を愛していませんからね。

 

そんなことはさておき、

そろそろボク的には海へでかける時期がきました。

泳ぐでもなく船に乗る訳でもない。

ただ砂浜で、寄せては返す波を眺める。

 

晩夏の夕暮れの波打ち際には

不思議な哀愁が漂っていますよ。

 

では!

 

 

↓近くの公園にて撮影

 

森のなかのニューヨーク・アート

 

 

キース・ヘリングは早死にだ。

ペンシルベニアの田舎から

大都会のニューヨークに出てきて、

瞬く間に時代の寵児となったのはいいが、

その余韻を味わう間もなく、

あっという間にエイズで死んでしまったのだから。

 

 

レジェンドの名にふさわしいアーティストだ。

いまでもその人気は衰えない。

生きていたら、現在64才くらいかな。

 

この変革が続く現在の世界を、

彼ならどんな表現を提案してくれるのだろう。

 

それはいくら想像したところで全く分からない。

さほどキースが残こした作品には、

すでにあの時点で、

鮮烈なインパクトとオーラを放っていた。

 

 

いわば完成していたとも言える。

 

キース・ヘリングがつくり出すものは、

地下鉄アートとかストリートアートとか言われるように、

高尚とはほど遠く、

街角の壁だとか塀だとかに、

いわば落書きのようにして描かれた。

 

線はシンプルで単純極まりない。

カラーリングもそれほど複雑な気がしない。

 

 

上手か否かと自問するとよく分からない。

 

けれど惹かれてしまうのだ。

なにか強烈な吸引力のようなもので、

こちらの平常心をかき乱す何かをもっている。

 

 

×××

ここ、中村キース・ヘリング美術館は、

中央高速の小淵沢インターを下りて約15分。

八ヶ岳南麓のとても静かな森のなかにある。

 

 

 

 

鳥の声とそよ風に反応する木々の揺れる音、

日射しの降り注ぐ建物が印象的だ。

なのに結果的に、

外観からは想像もつかないエネルギーが、

この建物のなかに充満していた。

ニューヨークの熱気を、

この静かな森で味わうとは、

とても不思議な気分だった。

 

 

以前でかけたニューヨークアート展は、

神奈川県の横須賀美術館だった。

 

美術館の中庭から東京湾が見渡せた。

それはそれで青く穏やかな景色だった。

 

で、今回は森のなかの美術館。

いずれ双璧をなすシチュエーション。

 

どちらも甲乙付けがたい理想の美術館だが、

今回の中村キース・ヘリング美術館の、

展示と演出が画期的かつ尖っていて、

その工夫に軍配が上がる。

 

 

本人が生きていたら、

きっと「そうだよ、これだよ!

ボクのイメージとズレが全くない。Cool!!」

って満足するに違いない。

 

キース・ヘリングはボクと同世代。

 

 

国だけでなく事情もかなり違うけれど、

その頃その時代に何が流行っていて、

どんな事件があって、

若い人たちが何に飢えていたのか?

 

僭越(せんえつ)ながらボクも少しは共有していた、

そんな気がするのだ。

 

 

そして彼自身の風貌は、

ハッキリ言ってぜんぜんかっこよくない。

(もちろんこのボクもだけれど)

 

だけど、彼のハートは、

間違いなくCoolでかっこいい。

 

それは、彼が生み出したおのおのの作品に、

バッチリと出ているから、

キース、大丈夫さ!