真夜中の訪問者

 

最近、寝るときの

妙な習慣について書きます。

 

本を閉じてさあ寝ますというとき、

下になった一方の手を

反対の肩に乗せてからでないと、

どうも落ち着いて寝られない。

 

この動作、分かりますか。

ややこしいですかね。

 

では。

右肩が下なら、

右手を左の肩にのせる。

これでどうでしょう、

分かりましたか?

 

この動作って変ですよね。

でもそうするとなぜか安心できる。

すっと眠ることができるのだ。

いつからそうなのか忘れたが、

自分でも妙な癖がついたと思っている。

 

まだ寒いので、

冷えた方の肩に手を添えると、

手がとても暖かいので、

ホッとする。

このあたりまでは、物理的な話なんですが。

 

が、それだけではない。

自分の手なのに、

誰かの手のように感じる訳です。

その誰かが、しばらく分からなかった。

なんというか、

とても大きななにかに守られているような。

その感覚に包まれると、

心身ともにやすらぎさえ覚える。

 

数ヶ月が過ぎたころ、

それがとても遠い日の感触だと、

突然気づいたのだ。

 

母が亡くなってから数年後、

私は不思議な体験をしたことがある。

夜中になぜかふと目が覚めた。

2時か3時ごろだったと思う。

部屋の入口にひとの気配がした。

うん?と思い振り向こうとしたが、

首を動かそうにも、全く動かない。

畳を踏む音がして、

僕のベッドに近づいてくる。

 

不思議なことに、

このとき恐怖心などというものはなく、

脱力するような安堵感さえ感じられた。

その気配は僕の枕元でじっとしている。

僕は全く動くことができないでいた。

 

どのくらいの時間が経過したのかは、

全く分からない。

数十秒だったような気がする。

数分だったようにも思う。

 

「おふくろだろ?」

僕は心中で、その気配に話しかけた。

その問いに、気配は笑っているように思えた。

 

なぜ母だと思ったのか、

それは分析できない。

いまでも分からない。

ただ、とても懐かしい感じがしたのだ。

そして母だという確信は、

僕の記憶の底に眠っていた。

 

幼いころ、

母は僕を寝かしつけるのに、

いつも僕の肩に手を添えてくれていた。

僕の最近の変な癖について、

突如として思い出したのは、

その遠い記憶だった。

 

それが自らが作り上げた

こじつけなのか否かは、

自分でもどうもうまく解決できない。

説明がつかない話は、

世の中に幾らでも転がっている。

いまでは、そう思うことにしている。

 

それにしても、

僕がいくら年老いても、

母は依然として母であり続ける。

それは、永遠に変わらない。

妙なことに、それが事実なのだ。

 

そしてそう思うほどに、

生きている限り、頑張らねばならない。

真夜中の訪問者はいまだ変わることなく、

僕にやさしくて厳しい。

 

そういう訳で、

僕の寝しなの妙な儀式のようなものは、

当分続きそうな気がするのだ。

 

たき火のススメ

乾いたマキをクルマに積んで
さあでかけよう

水辺は冷えるので少し厚着をする

化繊は燃えやすいので
綿100㌫のパーカーは必須

夕方から始めるとなかなかいい雰囲気になる

 

 

たき火ってひとりっきりでもOK

疲れたらとにかく火がいい

 

 

 

それはたとえば
風呂に入るようなもの
とてもいい気分になる

誰にも安息は欠かせない

 

 

火があって
炎のゆらめきに惑わされて
催眠術にかかったような夢をみる

 

夕暮れの川辺では
ときおりシルエットの鳥が鳴く
川のせせらぎも遠くに響いて
やがて夜のとばりが降りる

こうして時間は消滅する

まわりをみると真っ暗だった

ロードショーが終わったときのように
やれやれと立ち上がりさっさと片付け
火の始末は怠らない

再び時間が動き出す

日頃の煩わしさは
いつもついてまわるから
やはり安息は必要だ

その日の夜は
とても穏やかな気分になる

 

 

 

オレだけのロックンロール

 

横浜の場末の店で
カウンター係をやっていたことがある。
高校を卒業したばかりで、
世間のことはまだよく分からなかった。

酒を飲ませる店だったので、
いろいろな酔っぱらいをみた。
自らもアルコールは飲んでいたが、
世の中、質の悪い酔っぱらいの多いのには驚いた。

大学の付属校にいたが、その大学へは進まず、
カメラマンをめざしていたが、資金が足りずで、
あきらめることとなった。
改めて大学をめざすのもなんだかシャクなので、
まずは働くことにした。

それにしても、酔っぱらいの相手は、
気長でなくては身がもたない。
相手とまともに取り合っていると、
そのうちにケンカになる。

一見さんでも常連さんでも、
ケンカはやはり起きるべくして起きる。
このころから、心底酔っぱらいが嫌いになった。
以来、酒を扱うところでは働かないことにした。

カメラマンへの道が閉ざされ、
水商売にどっぷりと浸かっていたころ、
僕の将来はいっさい見通せなかった。

昼に起きて市場にいったり、
店を掃除したり、そして仕込みをする。
店がオープンすると、
そう酔っぱらいの相手だ。

しかし、あとで気づいたことだが、
このころの学びはとても多かった。

おとなといういきもの、世間、
おとことおんな、お金、仕事、
夜の世界、情、ずるさ、かけひき、
誠実、約束、そして不誠実とか。

永年にわたって学ぶことが、
こうした世界にいると、
とても濃縮されているなと思った。

しかし、いくら自分を正当化しても、
やはり耐え難いものは隠せない。
いつも胸のつかえとして留まっている。
そんな憂鬱な日々が続く。

そんなころの唯一の楽しみは、
朝方のドライブだったように記憶している。

気に入った音楽を聴きながら、江ノ島まで走る。
第三京浜をかっ飛ばす。

または、朝までディスコで踊るとか、
山下公園の隅で寝てるとか…
そんなもんだった。

鬱屈してたころ、
突然あらわれたのが、キャロルというグループだった。

「ファンキーモンキーベイビー」が
彼らのデビュー曲だった。
いや、いまだに詳しくは知らないけど。

「ファンキーモンキーベイビー」を聴いたとき、
なかなか表現できないものが僕のなかにうまれた。

歌詞はほとんど意味をなさない。
けれど、感覚としては伝わる。
メロディはイントロから奇抜。
演奏は決して洗練されていなが、
いままで聴いたことのない音楽だった。

この曲を何度も何度も聴いているうち、
なにかよく分からないのだが、
新しい時代がくるような気がした。

胸のつかえがとれてきた。

憂鬱な毎日を早々に壊してやろう。
そんな気になった。
そして将来というものを
再び考えるようになった。

人からみればくだらない、
いや、ささやか過ぎるかもしれない。
しかし、僕にとってのおおいなるきっかけが、
彼らのデビュー曲だったのだ。

そして生活が変わり、
考え方も変わった。

僕は店をやめた。

生活があるのでいろいろなアルバイトを
転々としながら、
とりあえず大学を受験しようと思った。

そしてカメラマンに代わるなんかを探そうと、
夜な夜な、ベンキョーというものを始めた。

それはとても新鮮で真剣な日々だった。

 

 

丁寧に生きる。

 

まずコロナにうつらないように

あれこれ注意はしていますが、

一日の行動を振り返ると、

やはり万全とはいかないようです。

買い物にでかけて、人と距離をとるとか、

あまりモノに触らない等…

といってもやはりどこかに落ち度はある。

 

マイカーに戻ってひと息つく。

アルコールで手を拭く。

が、ドアの取っ手とかキーとかスマホとか、

いちいち気にするとなると何が何だか分からなくなる。

もしこうした「完璧清潔ゲーム」があったとしたら、

私はすぐはじかれてしまうでしょう。

 

むかし、潔癖症らしき人をみてたら、

トイレでずっと手を洗っている。

全然やめない。で、腕まで真っ赤になっているのに、

まだ洗い続けている。

首をかしげてなお眺めていると、

顔は真剣そのもの。

というより、何か邪悪なものでも取り払うためのような、

とても嫌な表情をしていました。

邪悪なもの、罪深いものが、手に付着しているとしたら、

私も真剣に手洗いをしなくてはならない。

しっかり手洗い―そんな事を思いました。

 

ウィルス感染の恐れと同時に、

経済の失速がひどくなってきました。

ウチの税理士さんは新宿区にオフィスがあるのですが、

先週の時点でコロナによる緊急支援策が、

顧客企業からの要請ですでに満杯だそうです。

しかしいくら急いでも実際に融資等が下りるのは、

初夏ということです。

これでは、とりわけ飲食などの業種は、

まずもたない。

政府及び財務官僚というのは、

街の経営者の事をどのくらい把握しているのでしょう?

溺れている人が沈んでから、浮き輪を投げる。

そんなものが助けになるのか。

とても疑問です。

 

私自身、1991年頃のバブル崩壊を経験しています。

このとき、やはり緊急融資のようなものが発表され、

私は、銀行・役所など各所をバイクで駆けずり回って、

書類の束を何日か徹夜して必死で仕上げて、

もちろん仕事をする時間も削って、

心身ともにボロボロになって

ようやく銀行に書類を提出したことがあります。

 

結果は、助けてもらえませんでした。

1円も助けてもらえませんでした。

これは事前に銀行の窓口で知ったことですが、

私の会社の書類を受け取った銀行員が言うには、

「書類を提出しても、きっと何も出ないでしょう。

カタチだけなんです。今回のこの支援策は、

そういうものなんですよ」

エリート然としたその男は、

私のすべてを見透かしたように、

うっすら笑みのような表情さえ浮かべていました。

 

これから失業者も相当な数で増える。

日本の自殺率と失業者のグラフをみると、

ほぼシンクロしている。

こういうのを経済死というのか。

とても嫌な未来を想定してしまいます。

 

とにかく世界は一変しました。

いや、さらに悪化の一途を辿っています。

 

朝、私は枕元に置いたiPhoneで、

だいたいイーグルスを聴いてから起きます。

朝は、たっぷりのカフェオレを、

ゆっくり味わうように飲む。

一日を通して、テレビはあまり観ません。

仕事の合間に、

筋トレまたはウォーキングは必ず。

夜は、気に入った映画をひとつ。

風呂ではひたすら水の音に集中します。

そして就寝前は、好きな作家の描いた世界へ。

 

なめべくまわりに振り回されないように、

マイペースを保つ。

自分の中に、日常とは違う別の世界をいくつかもつ。

 

誰かに教えられたことがあります。

丁寧に生きなさい。

ゆっくり考えなさい。

 

いまこそ実行しようと思います。

 

 

横浜ユーレイホテル

 

幽霊なんて、ちょっとおおげさな。

タイトルに偽りあり、かも知れません。

 

さて、事の発端ですが、

先日、カバンをゴソゴソとやってると、

キャッシュカードがないことに気づいた。

いつもの定番の位置にカードが収まっていない。

慌てた。

 

背広のポケットとか机の引き出しとか、

アチコチチェックしたが、

カードがどこにもないではないか。

 

顔をしかめて、うーんって考えた。

近々の行動から思い起こし、

次第に遡ることで、

ようやく半月前のあの日が、

あやしいと判明した。

 

それは横浜のホテルに泊まったとき。

確か、決済にカードを使ったなぁとの、

記憶にたどり着く。

以降、カードは一切使用していないので、

早速ホテルに電話を入れてみる。

名前と宿泊日を告げ、

カードを預かっていないかと尋ねるも、

「残念ながらありません」とつれない回答。

 

あーあ、とため息を吐きながら、

カード会社に紛失の連絡を入れようとした。

と、奥さんが「あった!」と叫んだね。

「どこにあったの?」

「シュレッターのごみの中」

「んー?」

「一体なにやってるのよ!」

わーっ、激しく怒っていましたね。

まあ、それはそうだろうよ。

すかさず、「すいません」、

で、「お騒がせしました、夕飯おごります!」

で、事はカンタンに済んだのだった。

一件落着。

 

で、問題はこのホテルの連絡先を調べるために、

検索したときだった。

いつもは、ホテルのポータルサイトで予約するので、

個別にホテルを調べたりはしない。

このとき、検索次候補に

「ホテル○○ 幽霊」と表示されることに気づいた。

検索次候補つて、複合キーワードに多く使われる単語。

で、例のカード紛失のゴタゴタが収束し、

一息ついて、興味津々で再び、

そのホテルの次候補の中身を調べてみた。

 

と、結構あやしい記事がヒットする。

体験談あり、いわれあり。

(ふーん、そういうもんかね)

半信半疑で、他人事のように眺めていた。

記事の内容はよくある話で、

ホテルがあるその場所が、昔は病院だった。

相当の人が幽霊に遭遇している。

まあ、そんな内容が記されていた。

あくまで記事のチェックという程度に

飛ばし読みをしていた訳。

 

がである。

ふと突然に、稲妻のように、

あるでき事を思い出してしまったのだった。

それはほぼ忘れかけていたのだが、

「ウ~ン?」とリアルに記憶が蘇った。

 

というのは、あれはそうですね、

ホテルに宿泊した、

夜中の2時か3時ごろでしょうか?

(突然の話し口調に変わる)

 

その日は、横浜であれこれ打ち合わせとか、

買い物とか用を足しているうちに、

今日1日では終わらないなぁと、

とりあえず中華街で飯をくって、

ぐったりしていたとき。

で、次の日もまたここまで来るのは

面倒ということで、

そのホテルに予約を入れたのだった。

 

ホテルは以前にも幾度か利用していて、

外観とか室内とかが結構気に入っていた。

不自然な事は何もなかったし…

 

で、電光石火の如く思い出したのは、

その日の夜中の事なのだが…

昼間に歩き過ぎ、

動き過ぎて疲れていたので、

寝床が違うとはいえ、

かなりの爆睡モードで寝ていた。

が、私はなぜか突然目が覚めた。

夜中の2時半ごろだったような気がする。

 

なんだなんだ、

突然目覚めるなんて。

(普段は起きる事なんて滅多にないのだが)

時計をみると先の時間でした。

 

と、バスルームの方で人の気配がする。

バスルームを歩くような音がしている。

あのユニットバスを歩く独特の

軋む音が響く。

 

私は奥さんがトイレにでも行ったのかなと、

ふと隣のベッドをみると、彼女がいる訳。

やはり爆睡の様子なんである。

 

しかしだ、

それでもなんとも思わなかった。

自分も寝ぼけていると思っていたのか、

その事は別に気にも留めず、

結果、再び爆睡してしまったのだ。

 

朝になっても、特に覚えていないくらい

その事柄は薄い記憶として、

脳裏に留まっていた程度だった。

 

しかし、カード紛失の件で

このホテルを検索したときに、

幽霊という単語からハタと突然のように、

夜中にあったその事を思い出してしまったのだ。

 

こういうときって、

どうでもいいような記憶が、

今度は怖さを伴って迫ってくる。

 

私的にとても気に入っているホテルなので、

近々にもう一度…とも思ったりもしたのだが、

ユーレイに関して、やはりこちらは、

勇気とか根性とかいうものを、

一切持ちあわせていなかった 汗

 

実はいまでも半信半疑なのだけれど、

真実を追求しようなどという好奇心が、

私には到底芽生えない訳。

ヘタレと言われようが、

ダサいなぁと後ろ指をさされようが、

平気なのである。

 

だって、

あのホテルで夜中に聞いた

バスルームを歩く人の気配って、

いまじゃ気味が悪くて、

アタマから消えないからね。

 

という訳で、

サヨナラホテル○○!

と決別宣言するのである。

 

あやしい心理研究所

 

○○心理研究所って看板をみたら、

そしてそのビルがとても古かったりしたら、

その時点でなにかうさん臭いものが漂っています。

負けず、私はその研究所のブザーを鳴らしました。

 

とてもおだやかそうな白衣を着た、

そうですねぇ、年の頃なら40代とおぼしき

横分け頭の研究者らしき男の人があらわれ、

「××さんですね、さっどうぞ中へ」

と促され、中へ足を踏み入れる。

 

古い緑色のソファに座る。

「少し、待っていてくださいね」

やさしそうな笑顔はそんなにあやしそうではなかった。

 

ソファの前の本棚には、やはり心理学とか臨床…とか、

ハードカバーの書籍がずらっと並んでいる。

その部屋には私以外、誰もいない。

 

隣の部屋は、医者でいえば診療室みたいなものらしく、

女性の相談者が延々となにか話している。

話の中身は分からない。

が、とうとうと何かを訴えているようなのだ。

先生とおぼしき人の相づちだけが、規則正しく聞こえてくる。

 

15分ほどして、その患者さんも納得できたようだ。

先生のボソボソっとした声が聞こえ、

女性の笑い声が響いた。

なんかこっちまでほっとしてしまう。

 

ふたりの足音がこちらへ近づいてきた。

終わったようだ。

茶色のロングヘアの女性があらわれた。

やせ型の美しいひとだった。

続けて先生らしき人が、にこにこしながら、

小さな化粧品のボトルのようなものを、

その女性に手渡した。

 

にこっとして「いつものですね?」と言って、

それを受け取る。

とても自然なやりとりにみえた。

 

と、ここまで書いて、

この話はながーくなりそうなことに気づく。

私がなぜこの○○研究所にでかけたか、

という事情はやたらプライバシーにかかわるので、

割愛させてもらう。

いや、のちほど話すけどね。

 

私は、この研究所で出している、

小さな化粧品のボトルに入っている「水」について

書きたかった。

 

「この水は、一見水ではありますが、

私たちの知っている水とは全く違う水です。

味はもちろん無味無臭です。分子構造が全く異なります。

大事に扱ってください。必ず冷暗所に保存してください。」

………

ということなのだ。

 

この水の値段は、一本¥18,000もする。

とても高価なものなのだ。

 

毎食後に数滴なめる。

それだけで、あらゆる症状を軽減させる効果がある。

おっとなめる前にボトルを20回ほど振る、

という儀式があった。

これをやらないと効果があらわれない。

これは、先生とおぼしきひとが言ったことだけど。

 

私は、この水を合計3本購入した。

1本なんかあっという間になくなってしまう。

 

あるとき、この水について考えた。

そのときビールを飲んでいたので、

ボトルをさんざん振り回して

ヤケクソでとくとくとジョッキにたらし、

贅沢に飲み干した。

 

それ以来、その水を買うのをやめた。

そのうち、仕事が忙しくなって、

水のことはすっかり忘れていた。

その研究所のこともすっかり忘れていた。

私の症状はすっかり改善していた。

 

それはとても単純なことで、

辛い貧乏を脱出できたからだった。

簡単にいうとそういうことだと思う。

あんな高価な水の費用を

ひねり出す苦労もなくなった。

 

稼いだお金で、アパートを引っ越した。

今度は、縁起の良さそうな部屋だった。

 

実は、私はてっきり「うつ」だと思って

その研究所を訪ねたのだが、

よくよく思うに貧乏だった、

それしか分からない。

 

うーん、いまでも自らの症状も、

そして突飛な行動も、

全く分析できないでいる。

 

もう30年もむかしのこと。

 

 

MRI、怖い!

 

以前から、体のあちこちがしびれていたので、

一度検査しなくてはと思っていた。

脳のなかの何かの異常も考えた。

で、しびれクリニックなるものをネットで発見。

要は脳神経外科なのだが、

そこに行くことにした。

 

新しいビルのワンフロアは、

リゾートの雰囲気を醸し出している。

サーフボードや海にちなんだ小物。

静かに流れるBGMはハワイアン。

ちょっとホテルを思わせるようなリッチさなのであった。

 

血圧とか問診票の記入とか、なかなか忙しい。

で、じっと待つこと20分。

 

医者は、割とかっこいいひとだった。

ヒヤリングのあと、

手足や目の動きなどをチェックされた。

で、いきつくところ、

頭のなかをみないとなんとも、という結論。

で、MRIなのである。

 

これはすでに織り込み済みで、別に驚きもない。

最初からそのつもりで行った訳である。

 

MRIは脳内の血管を映すらしい。

ここに異常がないか調べるのである。

で、そのMRIがある部屋の前で

呼ばれるのを待つ。

 

大きな赤い字で注意書きがしてある。

無断立ち入りとか、あと禁止マークとか。

雰囲気として危ない印象のMRIであった。

ドアの向こうからは、ビーだかゴーだか、

なんかすごい音が聞こえてくる。

 

むむ、なんだこのすごい音は。

「うーん、なんか雰囲気がやばいなぁ…」

 

この体験は、実は今年の春のことで、

まだ肌寒かった。

私はユニクロのヒートテックを着ていた。

で、あとで知ったことだが、

MRIはヒートテックに反応するらしく、

汗をかいたりすると火傷の恐れもあるとか。

この真偽はいまだに定かではないが、

MRIに対する印象は、

さらに良くないものになっている。

私はこの日、結構汗をかいていました…怖

 

で、いよいよ私の番。

全く無表情のおんなに案内される。

広い部屋の真ん中にドーム状の筒のようなベッドがある。

これは、ネットでみて知っていた。

 

ベッドが細っそい。

その看護師だかが、なんだかメンドーそうに、

MRIの説明をする。

ふんふん。

で、ベッドに横になる。

ベルトで固定される。

ん、なんで結わくの?

で、頭部はもっとハードだった。

頭が動かないようタオルで狭くしてあり、

そこになおもぎゅぎゅとヘッドホンをだ、

無表情おんなが無理から押し付けてくる。

痛い痛い。

ちょっときついですねと言うと

無表情が「そういうもんです」

 

極めつけは、

最後にの仕上げに、

アメフトのような鉄仮面を顔に固定された。

視界が異様に狭まる。

(うーん、なんか体も頭も

窮屈だし、まわりがよくみえないなぁ)

 

さあ、そのまま筒状に入れられ、

そこで15分じっとしている訳だ。

 

(棺桶に入るってこんな感じなのかな?)

我ながら、いやーなことを考え始めた。

で、いやーなイメージはさらに加速をはじめる。

1.池の底に沈められているような圧迫感…

2.「そこからお前は二度と這い出すことができない」と、
誰かがつぶやいているような幻聴 汗!

急に脈が速くなる。

血圧もがんがん上がっているのだろう。

息が浅く荒くなる。

 

おっと忘れていたが、

私は元々閉所恐怖症だったのだ。

あの丸い筒状のなかに押し込められたら、

もう中止はできない。

誰も助けてはくれない。

いや、いまなら間に合うかも知れない。

 

「すいません!」

と大声で助けを呼んでみる。

「やめます、中止しまーす!」

 

MRIは既にうなり始めている。

それはヘッドホンをしていても、

そこから優雅なハワイアンを流していても、

消せるような音ではなく、

いままさに動く寸前のうなりだった。

 

私は、顔面鉄仮面を外してもらい、

固定ベルトを外してもらい、

まあその間いろいろあって、

汗を拭き、深呼吸をして部屋を出た。

 

結局、この日は、

検査をCTスキャンに切り替えてもらい、

結果は異常なしと言われた。

CTスキャンをやっている最中に技師の方が

話してくれたのは、

MRIを受ける人のほぼ3分の1くらいが、

中止を求めるとのこと。

彼は世間話をするように笑って話す。

「ホントですか?」

「そうですね。なかには、

ずっと寝ているひともたまにいますが…」

「ふふん」

 

残念ながら、MRI初体験は失敗に終わった。

よって脳内の血管の様子は、いまだによく分からない。

一応、医者に促されながら、

次回の予約をとり、真新しいビルを出る。

 

外は午後の日差しが降り注いでいて、

ビルからながい影が伸びている。

 

町ゆくひとが平和そうにみえた。

彼らは少なくとも、

いま体験してきたこちらの恐怖を知らない。

 

おもむろに目の前にあった喫茶店に入る。

コーヒーにミルクをたっぷり入れて口にする。

うーん、なんてうまいんだ。

なんだか、健康とか平和っていいなぁって、

つくづく思い知らされた午後なのであった。