ミニドラマ 「本牧」

クラプトンを聴きながら

オレはお前にこう話すんだ

その指輪イカしているな!

するとお前はこう言うだろう

だってあなたが買ってくれたんじゃない!

そしてふたりは笑って

肩を抱き合って窓の外を見下ろすのさ

ハシケが岸壁を離れてゆく

あなたその煙草

そろそろ止めたほうがいいんじゃない?

ここもね!と言ってオレの頭を指さす

頭にも良くないみたいよ

さて

オレは新しく買った、初めての東京レーベルのレコードを

お前に見せる

どうしたの?

一体どうしたのよ?

気でも変わったの?

そう言ったきり

お前はずっとずっと海をみつめて

コーヒーカップを握りしめている

どの位の時間が流れたのだろう

勘のいいお前の目には

やがて

涙が光っていた

窓から見える本牧の朝が霞んでいた

街にさようならを告げる日は

ついにやって来た

「じゃあな」

仲間によろしく、と伝えてくれ

振り切るように部屋を出ると

外の風がいつになく冷たく頬を叩く

ホントはオレ、ここにいたいんだ

お前と本牧が好きなんだって言いかけて

朝の港の喧噪に消えていった

東京へ向かう朝の根岸線

窓の外に見える景色に

霞んだ雨が

悲しそうに

お前の涙のように

そう

糸のように

落ちていたんだ

拝啓 元気です!

いまの俺が親父に初めて

ホントは親父の事

好きだったんだよと言った。

それを聞くと親父は俺に近づいてきて

俺のアタマに手を乗せてくれた。

その瞬間に俺のカラダは急に小さくなり

小学生の頃の俺に戻っていた。

ああ、やっと言えた。

小学生の俺は泣きじゃくっていた。

朝方にふっと目覚め

いまのは夢だったのかと

ぼぉっとしていると

今度はホントに

涙が止めどもなく流れてきた。

まだ眠いのに

涙が止まらない。

オヤジ、いるんだろって

思わず口走ってしまった。

永年の確執があって

俺とオヤジの仲はうまくなかった。

小学生の頃から

オヤジは俺を無視していた。

俺はオヤジを避けていた。

いろいろなものが絡み合い

男同士の話なんていうものも

遂に最後までなかった。

だからなにも解決なんかしてはいない。

だけど、いまはオヤジの気持ちが痛いほど

よく分かる。

オヤジも俺のこと、見抜いていたんじゃないのか?

オヤジが死んで四年強。

あの日

オヤジはあの世からやってきて

俺と話そうとしたんだろうな?

ホントの気持ちが言えて良かった。

伝えたいことは思い切って

伝えなくては。

心底そう思った。

いま、俺は息子と娘を育てている。

決して同じ繰り返しはないようにと

いつも考える。

考える。

だって

オヤジの孫だもんな!

アメリカ

大っ嫌いなのに気になる奴っていますよね?

私の場合、アメリカなんですね。

アメリカ嫌い。

アメリカ本土になんか行こうとも思わないし
カリフォルニアもニューヨークもTVで観る度に
へぇと思って観ている程度。何とも思わない。

アメリカ圏には行ったことがあるが
嫌な記憶が蘇ってきた。

レンタカーを運転していて道に迷い
たまたま辿り着いた所に
米軍のゲートがあったのだ。

で、いきなり白人の女兵士から自動小銃を向けられ
怒鳴られたのだが
コイツ等本気で戦争モードなのが分かった。

アメリカはいつも傲慢だ。

自由と平和の名のもとに、数多くの殺戮を繰り返したし
それが対共産主義といえども見過ごす訳にはいかないものが
多すぎる。

ベトナム戦争は、その象徴だ。

世界の警察ともいえるアメリカだが
仲良くするには金がかかりすぎる。

MDシステムなんかは、その最たるもののような気がしてならない。

日本政府はアメリカに従順だ。外交で劣る日本政府はもう少し
目を凝らして世の中を見た方が良い。

世界は生きものなのだ。

アメリカ一本槍の片想いは、もうふられたようなものだ。

アメリカは日本を飛び越して、いま中国に熱心だ。

かように、アメリカという国は義理に欠ける。
打算で動いているだけだ。

と、かなり辛辣にアメリカ批判を書いたが、しかし
私は小さいときから学校でアメリカ配給の脱脂粉乳を
飲んで育った。

チョコレートといえばハーシーズが好きだったし
ディズニーのダンボの絵本は、私の宝物だった。

日本のマクドナルド1号店で、必死にフィレオフィッシュに
食いついていたのも昨日のことのようだ。

なんかイライラしてきた。
政治とカルチャーがゴチャゴチャだからか?

いやいや、
こうして、私たちは侵略されているのだ。

私はその昔、つまんねー歌ばかりが聞こえる頃
スゲーッと思った曲がある。

その歌は斬新でリズミカルで、なんだか自然にカラダが
踊り出すようなパワーをもっていた。

弘田三枝子が歌っていた「バケーション」だったのだが
私はこのとき、幼いながらアメリカの臭いを嗅いでいたような
気がする。

アメリカンポップス。R&B、ロック。映画では「風と共に去りぬ」
でスカーレット・オハラに恋をした。

こうして私に染みついているアメリカよ!

お前はホントに嫌な奴なのだが、なんだか気にかかる、
私には近くて遠い国。

この曲を聴くと、私の幼い頃の心象風景が鮮やかに蘇るのは
みんなアメリカのせいなのだ!

ひまわり

何故

あなたでなければダメなのだろうと

アタマを冷やして

考えてみる

行きがかり上だよって

つぶやいてみる

でも

思いつく他の誰かを

幾つもの生活のなかに溶け込まそうとしても

無理があるのは

オレの想像力の限界なのか?

時計を逆回りにしてみても

ホントは何も変わらないんじゃないか?

みんなそう信じて生きている

だから愛っていうのは

喜劇なんだ

あなたでなければダメなんだという気持ち

だから

愛っていうのは面倒くさくできている

だから

愛っていうのは

切ない

切ない

悲劇なんだ

お家へ帰ろう

景色が泣いていたら
ひとりぼっちの証拠だ

心は嘘をつかないし
あなたを映し出す

孤独が好きだと
いつか想った

ひとりは気兼ねがなくていいねと
話したこともあったっけ

でも
どこまで歩けるだろう

ときどき感じないかい?

気持ちも一緒だったらって?

喜んでくれるひとがいる

悲しんでくれるひとがいる

ただそれだけで

人生って奴は

豊かに実るもの

さあ

笑って笑顔で

お家へ帰ろう!

ホワイトルーム

15年前に
この部屋を出てから
オレは
この部屋の夢ばかりを見ていたような気がする

あるときオレはヘルシンキにいた
ホテルの部屋の居心地の悪さに
ふとこの部屋のことを思い出した

オレンジ色の暖かい部屋
太陽の陽がさんさんと降り注ぎ
カクテルグラスのなかにまで
透けるような虹がかかっていた

翌年
ケープタウンで泊まった宿は
土色の壁がむき出しで
心もカラダもぐったりしていたので
つい
この部屋の心地良さを思い出していたっけ

心おちつくこの部屋は
白壁が美しく光り
お前とオレは
水色のテーブルクロスの上にビールとクッキーを置き
ロックのリズムに合わせて戯けていたのが
昨日のようだと思った

そして数日後
お前はこの部屋にさよならを告げたんだ

モスクワは
寒いしんしんと寒い
雪景色を眺めながら
オレは
ホテルの部屋の黄色いマントルピースに
かじり付いていた

相変わらず
オレの部屋は無人で
それでも心のなかでジャズは流れ
オレの気持ちは
しっとりと安らいでいたっけ

甘い甘い部屋
幻の白い部屋

夢のなかで
夢のなかで
それはいつも
夢のなかで

白い天井
白い壁
白い床

何もかもが
それは
白い誘惑

何ものにも変えがたいこの安堵感は
オレに届く
太古の自分よりのメッセージなのか?

やすらぎに愛をもう一度!

そう
この部屋からやり直せば

きっと再び

愛がはじまる

ホテル・パシィフィック

編集者時代、湘南を取材したことがある。

私は学生時代から遊んでいたところなので

先導役となった。

しかし、取材となると知らないところが多いことに気づく。

学生時代は、浜で遊んでいるだけ。周りのことには無関心だったので

ちょっと恥をかく。

鎌倉の名月院で、蕎麦をいただく。

紫陽花がきれいな季節だった。

北鎌倉という場所さえ把握していなかったから、いい加減なものだ。

材木座を左に進み、逗子の渚ホテル。ここは、いまはもうない。

当時は海岸線沿いにひっそりと建ち、いぶし銀のようなオーラを

放っていた。

時の重鎮が常連客だった。昭和天皇もお泊まりになったとのこと。

作家の伊集院静もこのホテルを常宿としていたと聞く。

ここのスウィートで一泊させていただいたが、庶民には居心地が良くない。

ここから134号線を江ノ島方面に走れば、七里ヶ浜、鵠沼を過ぎて

茅ヶ崎へ入る。

いまはないが、チサン・ポイントというのがあって、サーファーのメッカだった。

海岸線に下りてサーファー君たちに取材をしていると、なんと私の後輩が

波乗りに興じているではないか!

ひとが仕事をしているのに、コイツはなにやってるんだ!と怒っても

しょうがない。

カメラに収めてあげて、コメントをとる。

「先輩、なにやってるんすか?」

「うるせーなー」と私。

さっさとその場を去り、サーフショップ「ゴッテス」へ。

ここのオーナーは、湘南サーファーのカリスマ的存在。

ユーミンも若かりし頃、よく来たという。

その頃、オーナーは赤のトライアンフのオープンが愛車。

洒落ているな、とつくづく感心したものだ。

白髪のサーファーが海を眺めている姿は、サマになるなぁ。

で、最後は近くのホテル・パシィフィック。

老朽化がすすんでいて、しかし、佇まいは優雅で風格がある。

上の展望レストランは、伊豆方面まで見渡せる素晴らしい景観。

カメラマンがバシバシとシャッターを切っていたのも、今は昔。

このホテルも程なく取り壊され、いまは何が建っているのか?

先日、この辺りをクルマで通ったら、パシィフィックという

ラブホテルがあったので、笑ってしまった。

ホントは悲しかったのかな?

湘南も、行くたびに変わるなぁ。

私の想い出が

ますますカタチのないものになってきた。

都会


いま「不思議な一日」と「純喫茶レア」の
つづきを考えるのが嫌で
いろいろ画策をしております。

その目玉企画が、一連の流れになっていますので
みなさんもあまり過去に捕らわれることなく
ご覧いただけたらと思う次第であります。

では!

ハイ、忘れられない伝説のグループ
ザ・タイガースのジュリーの登場です!

この歌の歌詞と映像を、団塊の世代の方々と
いまの若い人に捧げます。

私のお兄さんやお姉さん世代、そして子供たち世代へ。

何故って?

この頃、学生たちはホントに日本政府を転覆させようと思っていた、
いやできると勘違いしていた凄い時代だったのです。

いまでは、とても考えられないことですね!

しかし、資本主義への疑問、国への反発という閉塞感が
若い人達の心に影を落としている時代背景は、いまと共通していますね。

そして思うのは
いまの若い人はおとなしいな、とつくづく感じます。
エネルギーがたっぷりあるんだから、飼いならされるな!と
老婆心ながら忠告しておきます。

私的には、この歌のなかに思春期の想い出がギュッと詰まっていて
いまさらながら「消えない炎」が胸を焦がします。

団塊の世代の方々も、こんな時代に
愛の想い出があり、青春があったのではないのでしょうか?

コレってとても大事なこと。

この懐かしくも哀愁に満ちたこの時代を、

私はいまでも愛しています。

愛をください

いつも遠くから

あなたのことをみている

自信がないから前へ出て行く勇気がないのだけれど

できればふたりでゆっくり

話をしてみたい

そしてあなたはホントはどんなひとなの?

教えて欲しい

私はこんな性格だけどどう?なんて

チャンスを与えてくれたら

精一杯の誠意で話すわ

でも
日に日に疲れてくると

どうでもよくなっちゃう

部屋を片付けるのも億劫になって

ベッドに沈み込んでいる自分がいる

ああ
私って何を求めているのかな?

ホントは仕事じゃないのかな?

お茶を飲んでボォーとしていると

やっぱりあなたを思い出すのは

なぜ?

メールでもしてみようかな?

今度の日曜日にどう?なんて

相談事にかこつけて

そして
こんな私だけどどう?なんて

言える位なら苦労はないから

同じ想いをいつもいつも繰り返しているの

もう私には時間がないの

待ち疲れた心はタイムアウト!

だけど
勇気を出して

負けないでねって

容姿端麗じゃないし
性格温厚な私ではないけれど

お願い

神様お願い

こんなわたしに

愛をください!

最後の夜に

夜の街を切り裂いて

どこまでも走り続よう

時速150キロの馬鹿げたゲームさ

だって時間が飛ぶんだぜ

景色が空に舞うんだぜ

さあ

アクセルを開け
ブレーキに触るな

エンジンに怒りを込めて!

別に前を見なくてもいいんだぜ

笑って笑って
ほらっ
恐さなんて消えるだろ?

今夜こそ
突っ込んで血祭りだ!

だって
いつも朝は退屈なんだ

死んでも知らないよ

死んだら終わりだよ

ああ

死んでも
いいよ