生きるを、デザインする、ということ。

松尾芭蕉の奥の細道に、

月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり

とある。

これを解釈すると、

松尾芭蕉は、自ら旅をしているにもかかわらず、

時の流れを旅人として詠っている。

これは、中国、唐の時代の詩人、李白の『春夜宴桃李園序』の

「夫天地者万物之逆旅、光陰者百代之過客」を意識し、

自分なりにアレンジしたものとして伝えられる。

こうしたことばには、壮大な宇宙観が漂い、

その隅々に至るまで、計り知れないロマンが宿っている。

解釈は違うが、

人が生きていくことの感慨に触れ、

その過程を、旅と解釈することはよくある。

凡人の私には、こちらがしっくりくる。

これをマーケティング的に捉えると、

旅におけるバリューを考える、などとなる。

旅の価値を高めることこそ人生における最大のテーマだ、

と誰かにプレゼンすることもできる。

さて、人生を旅であると定義すると、

旅をするのなら素敵な旅を、と誰もが考える。

そして旅における「素敵」とはを追求すると、

これは高度な話となり、

尚且つ、人それぞれの価値の分だけ多岐に渡る。

そもそも実際の旅とは、

時とともに空間を移動することにある。

そこに感動やよろこびなど人の心が凝縮され、

旅は完成する。

辛い旅もある。が、そんな旅は誰もしたくない。

バリューは、欠かせないのだ。

それを人生に置き換えると、

夢であり、志であり、愛なのかも知れない。

このすべてが、生涯のバリューの素材である。

こう考えると、マーケ的に捉えた旅も、

自分をみつめる上で、試す価値はありそうだ。

またこれを、

旅をデザインする、

人生をデザインする、と言い換えると、

若い人は将来のプランを、

定年退職を迎える人は老後の有意義な過ごし方等を、

かなりビジュアル的に分析することもできる。

落書きでOK。

思いついたことをメモしたりスケッチすることは、

自分のなかに眠っているものを吐露するのに最適だ。

このように、商業的な用語の中にも、

人生考える元となるノウハウは潜んでいる。

「人生をデザインする」とは、

突き詰めれば、これからどう生きるか、

未来の「私」と真剣に向き合うきっかけにもなる。

光陰矢の如し。

芭蕉や李白に迫る必要はなくとも、

時の流れのなかにいる私たちは、

やはり旅人だ。

そこにバリューがあれば、と皆思う。

やはり、生きるデザイン力は必要だ。

才能ってなに?

柄に似合わず絵が好きで、

一時期、美術館巡りをしたことがある。

ピカソやルノワールなどの巨匠と呼ばれる画家、

日本の著名な画家、

そして現代作家でまだ名の知らない画家も含め、

とにかくじっと観てしまう。

そうした時間は、とても幸せな気持ちになれる。

よく、自分にも絵の才能があったらな、と思うことがある。

が、学生時代から絵は特別下手だった。

働くようになってからも幾度か描いたが、

人にみせられたものではない。

音楽も同様。

吹奏楽部に所属していたとき、トランペットを吹いていた。

毎日マウスピースを持ち歩いて、時間が空くと吹く。

あまりやり過ぎると、唇から血が出た。

当時はニニ・ロッソとかハーブ・アルパートという

スターのトランペッターがいて、

いつかあのようになりたいと思っていた。

が、同じ部内の先輩の透き通るような高音を聴いて、

どうしてもその音が出せない私は、かなり落胆した。

その先輩に将来は何になりたいのかと訪ねたところ、

サラリーマンと聞いて、余計に驚いてしまった。

結果、トランペッターは無理と判断。

徐々にやる気をなくし、退部してしまった。

写真の道も、経済的な理由で辞めてしまった。

当時、カメラマンになるには、とにかく高い学費が必要だった。

お金のない私の家では、諦めるしかなかった。

が、最近この頃のことを思い出す度に、

ホントに無理な道だったのかと考えることがある。

何故そう思うのか、だが、

まず私は精一杯努力したのか、

とことんやってみたのか、ということ。

そこが自分への疑わしさなのだ。

これはうぬぼれとかそうした次元の話ではなく、

誰にでも当てはまる共通項のような気がしている。

才能ということばがあるが、そもそも才能とはなんだろうと、

最近よく思う。

都合よく考える私は、人の才能なんていうものは、

あったとしてもたいしたものではないなと…

みんな、環境や好み以外に、

スタートは大差ない。

これが真実のような気がするのだ。

人並み外れた天才は確かにいるが、

こうした方たちは神に選ばれた人なので、

ある使命を携えているのだろう。

なので、今回の話には無関係だ。

私はいま、コピーライターという職業に就いているが、

別段、特別ななにかをもっている訳でもない。

前職は編集という仕事をしていたが、

ただ頑張るしかない。そうした世界だ。

他は、好きかどうか、それ以外、なにもないのだ。

学生時代にこうした世界にあこがれ、

まず作文教室に通ったとき、

私の作文を読んだその教室の先生は、

まず私にこう言った。

「君はなぜこの教室へ来たのか知らんが、

マスコミ関係をめざしているのなら考え直しなさい。

止めたほうがいい」と。

当時、いろいろな本を何冊も出版していた、

この超有名糞野郎先生のひとことで、

私は止めるどころか、産まれて初めて真剣に勉強をした。

こいつの言うことにアタマにきたからである。

お前なんかに、俺の将来が分かってたまるかと…

結果的に、この超有名糞野郎先生は私の先生となってしまった。

現在も一応プロとして、細々とこの仕事を続けているが、

少なくとも、このとき、そのことば通りに諦めなくて良かったと、

心底思っている。

他人のいうことなんか糞食らえなのである。

やるときはやる。

これしかない。

やろうと志せば、できるような気がする。

いま、ここまで生きてきて、やっとそう思うようになった。

こうした話は、すべて結果論となる。

いまは時代も違う。

が、人はみな、最初は大差ないことだけは確かだ。

偉大なる勘違い。

自分を信じる。

負けない心。

地道にやる。

こうしたプロセスを経て、みな伸びてゆく。

きっと、才能なんていうものは、

人のうわっ面を適当に表現した、

都合の良い言い訳でしかないのだ。

日々雑感コラム

話せるって、いいね!

最近、NTTが音声翻訳アプリを開発したらしい。

その名も「はなして翻訳」。

iPhoneとかiPad使用者でコレが欲しい人は、

ドコモのAndroidへ乗り換えですかね?

私も気になって調べましたが、

これはひょっとすると凄い。

中国語と英語と韓国語に対応。

これからも順次、他の言語も増える予定なので、

近い将来、とんでもないことが起きるのかも。

だって、おおざっぱに中国語を話す人って約10億人でしょ。

英語圏と韓国語圏で約4億人だから、

これは創世記に登場するバベルの塔の崩壊以来の

コミュニケーションの発明となる。

スマフォやタブレットを介しての会話って、

絵的に少し変ですが、

このスタイルが浸透すると、日常の風景になる。

ううん、なんだか話せば分かる、気がしてきた。

イマドキのフェィスブック

一日に何度かフェイスブックを開くが、

まあ、どん引きなのが、すげぇホテルに泊まりました、とか言って

部屋のドアップ掲載。私、稼いでいます! みたいな…

本人はさぞドヤ顔しているのでしょう。

この位、図太くKYじゃないと稼げない世の中なのかね?

次に多いのが、スタバで仕事頑張ってます系。

まあ、仕事なんかどこでしてもいいんだけど、

だいたいスタバ。格好いいらしい。

間違っても昭和の匂いのするルノアールではない。

ってどうよ?

アップされている写真はみな同じようなカットで、

スタバのカップとノートパソコンがワンセットと相成る。

だからどうしたの?

そこからなにを感じたら良いのか、分からない私です。

JT広告

デパートとかショッピングモールの喫煙室でお目にかかる

JT広告。

みな、ぷかりとやりながら、その広告を眺めている訳です。

で、上手いのはこんな感じ↓

●たばこを持つ手は、子供の顔の高さだった

 (うん、リアル。確かに気を付けなければと納得できる)

●煙の幅は、体の幅よりぜったい広い。

 (これも吸っている本人が気がつかない角度からのアプローチ)

●夏。たばことすれ違う腕は、裸だ。

 (上手いですね、なんだか80年代の名コピーのノリ)
  

と、ここまではGOOD!

が、酷いのになるとこんな感じ

●人ごみって言うけれど、何人からが人ごみなんだろう。

 (そんなこと、自分の感覚に聞け! たばこから遠いな)

●私に手を振る人がいた。煙を払う仕草だった。

 (一見分かるような気もするが、つくり過ぎの感)

●吸われて。燃えて。捨てられて。たばこじゃなければ泣いている。

 (こいつ、なんか勘違いしてないかな。の演歌コピーライター)

コピーの善し悪しって、かなり人の気分を左右させます。

自戒を込めて。

石川遼君の件

以前、大手スーパーの1Fの宝石店の前を通りかかったとき、

そこで綺麗なパワーストーンをみかけたので、

じっとそれを見ておりました。

(私はなぜかかこの手のものが

好きなんです)

そこへ体格の良い(?)女性店員さんがあらわれ、

いきなり磁気ネックレスをすすめる訳です。

そしてその磁気ネックレスのPOP広告に、

なんと石川遼君が写っているではありませんか。

彼は、磁気ネックレスをふたつ首に巻いて、

ニカッと笑っている。

そこにはもう、彼のハニカミは全くありません(古っ!)

「いや、それはちょっと興味がないので…」

と私が引き気味に言うと、

「売れてますよ、今日もふたりお求めになりましたよ」

「そうですか…」

「石川遼君を知らない人はいませんよね」

その太っちょの店員さんが、いきなりたたみ込んだ。

「ええ、そうですね」と私。

冬至も近いし、陽もとっぷりと暮れている。

私がぐだぐたしていると、次の瞬間この店員さんから

信じられない言葉が発せられた。

「石川遼君も付けているし、みんな買いますよ。

どうします?」

私は無言のまま駐車場へ向かいました。

とここまで書くと、

いきなり女芸人の渡辺直美さんの顔が

アタマに浮かんでしまいました。

私的に渡辺直美さんは綺麗だと思っています。

あの人の目は素敵です。

彼女は他の国では、確実に美人に分類されると思います。

そして「遼君、もう少しマシな広告に出ろよ」と

つぶやくのでありました。

己と巳

ダイエットなんて全くしていませんが、

少しはスリムになろうと運動しています。

健康のためにもですね。

しかし、カラダを動かすと腹が減ります。

で、よく喰う。

すると太る、の悪循環の繰り返しです。

全く、腹が立ちます。

そんな訳で、

先日も運動前に、

カマンベールチーズをちぎって喰ってしまいました。

で、痩せない今年もいよいよ終わるのに、

己はこの一年何を成したのか?

そこが辛いところですね。

さあ、来年はいよいよ巳年です。

が、勢い、間違っても己の年などと思わないよう、

気をつけたいところであります。

マックの立ち位置を考察する

マック(マクドナルド)の売り上げが落ちているらしい。

ここ、緊急避難として寄ることはあるが、

しょっちゅう喰いたいとは思わないですね。

だってあのバンズってジャンクの味がするでしょ。

歯ごたえなし。肉の塩味、濃すぎ。

以前、コーヒーをタダで配っていて、

それはそれでありがたいとは思ったが、

振り返るに、

マックのプライスほどコロコロ変わるものもない。

これでは不信感も生まれるし。

一方、いわゆる健康志向のモス・バーガーは

堅調に伸びているという。

健康志向といっても所詮はハンバーガーなのだが、

野菜がしっかり入っているので、

なにかこう納得できてしまう訳ね。

バンズもしっかりしているし。

で、マックの不振は上記の事柄に加え、

やはりコンビニの存在も大きいと思う訳。

この場合、コンビニのハンバーガーがどうのこうのではなく、

コンビニの圧倒的な品揃えが、

遠巻きにマックの収益を圧迫しているようにも思える。

コンビニは食品に限って考えても、

ハンバーガーが喰いたくないのなら、おにぎりがある。

肉まんもあんまんもあるよ。

おでんだってあるからね。

品揃え豊富、選択の楽しみもある。

よって、コンビニに飛び込めばなにかある、という心理。

ここはコンビニの強みと思う。

では、モスだって売り上げが落ちるでしょと

突っ込みが入りそうですが、

モスはモスの商品特異性があるので、

コンビニとは真っ向ぶつからない。

その点、

マックはコンビニと諸にバッティングしていますね。

まさに市場の力学。

こうした現象を傍観している分には面白いが、

彼らの立場に立つと、相当過酷でもある訳です。

では、マックは再び浮上するか? だが、

このデフレの下、堅調に売れているものもある。

100円マックとか100円コーヒーがそれ。

が、如何せん利益が薄い、利幅が出ない。

で、高級路線を幾度か打ち出し、テキサスバーガーとか

ジューシーチキンフィレオとかやった訳ですが、

店ってある固定したイメージがあって、

それをなかなか超えられない。

そこをなんとかしなくてはならないのですが…

で、仮に私がマックの統括責任者だったら(あり得ない)、

まずドリンクをいじると思う。

とりあえず健康ってところに特化し、野菜ですね!

野菜の種類、味、飲み心地、ブレンド等を徹底的に研究して、

オリジナルジュースを展開すると思います。

だって肉喰ったら野菜、

バランスの時代ですよ!

だから、メニューをいじるのなら、野菜がキーワード。

ドリンクの方がいじりやすいし、特長も出せるしね。

思えば、私の学生時代のごちそうはマックだった。

カレーじゃなく、天ぷら大盛りうどんじゃなく、

マクドナルドだったのだ!

特にチーズバーガーの後に喰うフィレオフィッシュは、

なんだかよく分からないが、かなり力んでいた記憶があるので、

きっとうまかったんだろうな…

という訳で、ここは是非ともマックに頑張って頂きたい!

思い込みのみでこの項を書いてみましたが、

原田さん(日本マクドナルド社長)、どうですかね?

旧型人間のデジタル戦略

仕事ネタをひとつ。

ワープロ時代から仕事をしているというと、

とても古い人間のように言われることがある。

精神年齢は若い人とあまり変わらない。

これは強がりではなく、彼らといろいろ話していてそう思う。

反って、いまの若い人の方が、しっかりした人が多い。

ただ、古い人間はだいたい腹の肉とシワが多い。

能書きを垂れ、疲れ易くなり、もの忘れが激しい。

これは致し方ない。

そして、切り替わらないのが「かな入力」なのだ。

かな入力派は、割と中年に多い。

ワープロ世代と重なる。

この世代のかな入力技は、ワープロの普及と共に叩き込まれた。

いまさらローマ字入力といわれても、

どうも考えていることと書くことが、乖離しているように感じる。

いや、乖離しているのは事実で、簡単なメールなどは

さっとローマ字入力で書いているが、その文中にちょっと

意味深とか気の利いたことを書こうとすると、

とたんに筆?が止まる。

というか、次に書くものがなにも出てこない。

これは我ながら不思議だと思い、或る友人にそのことを尋ねると

やはり同様の答えが返ってきた。

これは思考回路の問題なのだろうが、

私自身、ローマ字ではたいした思考ができないことを認識した。

英会話を覚えるとき、英語で考えなさいなどと言われるが、

私は、一旦自分のアタマで日本語に変換しているように思う。

だから、こちらも上達しないのだ。

で、かな入力だが、最近iPadもかな入力対応となった。

これは私たち旧世代には朗報で、AppストアでATOKを手に入れ、

アップルのBluetooth(ブルートゥース)のキーボードを使うと、

鬼に金棒となる。

(ATOKは日本語変換力に優れているし、iPadのディスプレイキーボードは、

結構疲れる)

外出の機会が多いと、当然、出先でメールチェックの他、なにかしらを

書くこともある。こんなときiPadは、かな入力技を手に入れたことで、

私には、以前にも増してその魅力が光るものとなった。

内輪の話をすると、こうだ。

まず、外出時にiPadとWi-Hiルーターは必携。

で、本格的になにかを書くことを想定すると、

誕生日プレゼントで子供たちから貰ったポメラを持とうか、

いや新しくミニノートでも買おうかと、

そんなことを半年も考えていた矢先のことだった。

(ポメラも、狙っていたミニノートも、

軽量・コンパクトでかな入力が可能なのだ)

思えば、iPadはディスプレイに触れれば、

拡大・縮小は自在。老眼鏡世代にも都合良くできているので、

ユーザー層の年齢はかなり高いのではないかと推測していた。

で、その世代は当然「かな派」が多いので、

そこに配慮したものと思うが、

この小さなバージョンアップが、

タブレット市場全体を眺めるにつけ、

ユーザーの取り込みにも、良い配慮になったようだ。

そんな訳で、私のカバンは今日も重くてパンパンだが、

後は、カード(お金)とガラケーのケータイがあれば、

当分帰ってこなくても、仕事はこなせる。

便利な時代になったと思う。

iPadには電子書籍も幾つか入れてはある。

音楽もバッチリ。ラジオアプリも入っている。

が、なぜか出掛けるときに藤沢周平なんかの文庫本が

カバンに一冊入っていないと落ち着かないのだ。

ついでに、

使いかけの黒ずんだ消しゴムなんかを入れておくと、

さらに落ち着く。

これはアナログへの郷愁とでも言おうか。

思うに、この平成という激動の時代は

大げさに言えば明治維新にも似て、

ものごとの価値の変換の激しいときのような気がする。

大きなうねりの潮目なのだ。

こんなとき、明治のサムライが靴を履いていたように、

刀ではなく鉄砲がスタンダードになったように、

原稿用紙ではなくとも、

IPadと藤沢周平の文庫本の併用は必須なのだ。

AKBというビジネス

「会いに行けるアイドル」なので、他のスターより敷居が低い。

まずここが、AKBのポイントなのだろう。

アイドルをつくるほうも、その方が簡単につくれる。

で、アキバだ。

アキバ辺りをうろついているオタクが飛びつきそうな女の子は、

かなり以前からテスト済みだったらしい。

(地道にライブをやっておりました)

というか、フツーの女の子か?

それがいまや、破竹の勢い。

オタクだけでなく、国民のアイドルにまでのぼり詰めた。

正直にいうが、私からみるとどうでもいい女の子の集団が、

テレビのなかを、学園祭のノリで飛んだり跳ねたりしているだけ。

それがいいらしいのだが(怒)

メディアは、なんのためらいもなく、

連日AKBえーけーびーを露出させて、連呼する。

これでは、誰でも巻き込まれるわな。

この点が、実は問題なのだが…

そういうもん?

そういうもん!

下世話なテレビの面目如実だ。

素人の時代をつくりあげた秋元康という人は、

過去にも「おにゃんこ」をヒットさせている。

で、AKB。

柳の下にどじょうは二匹いたのだ。

おおむね、プロデュースというのは、

その人の趣味趣向からはじまると思う。

秋元康という人は、元々オタク的視点をもっており、

そのメガネにかなう女の子を集めて、

カタチにしたかったのだろうと想像する。

実際、彼は元おにゃんこの一人を、奥さんにしている。

趣味と実益を兼ねた彼のビジネスは、

ではどのように肥大化したのか?

「会いに行けるアイドル」は、

地道にライブをこなさなくてならない。

でないと、会いに行けない。

ということで、当初より彼女たちの活動は、

相当活発だったという。

「握手会」を頻繁に開いていたのも、

うなずける話。

その下地はしっかりつくった上で、固定ファンを徐々に増やし、

アンダーな活動が少しづつヒノメをみるようになると、

ここからはもう、メディアに取り上げてもらえば、

ネタはなんでもいいのだ。

要は、AKB選挙にしろ卒業とかスキャンダルでも、

話題があることが大切なのだ。

他のスターと違い、AKBはつまらないことでは挫折しない。

なんたって、普通の女の子の物量作戦だ。

玉はいくらでもいる。

一人くらい消えたって、入れ替わったってなんともない。

というか、それが「ウリ」なのであり、

AKBは、常に進化することが大事なのだから…

着せ替え人形のような彼女たちは、

プライベートも本音も吐き出すことで、

またさらに新しいスター像を披露し、

そして浮かんだり消えたりする。

いわば、泡沫のような存在なのかも知れない。

また、人の好みはさまざまなので、

一人くらい好みの子がいるだろう?という仕掛け。

そういうもん?

そういうもん!

だいぶ前に、

インドネシアのAKBみたいのがテレビに映っていたので、

ほほぅと驚いた記憶がある。

まあ、名古屋や大阪や福岡のほか、このビジネスモデルは、

どんどん増殖しているので合点がいったが、

要は、フランチャイズなのだ!

コンビニだ。ファミレスなのかも知れない。

同じシステム・スタイルを広げて増殖し、社会現象になり、定着する。

そういう意味で、AKBはセブンイレブンでありローソンであり、

ファミマであり、マックでありスタバであり、

夢庵であり、ココスであり、オリジン弁当であり牛角なのだ!

本部(秋元康)は、新規顧客にノウハウを提供し、

その看板料をかすめとる。

いや、ロイヤリティか、失礼!

このビジネスモデルは、以前、海外でも報道された。

確かニューヨークタイムスだったと思うが、

そういう意味で、このビジネスはメイド・イン・ジャパン。

秋元康という人は偉大だ。

世の中は、勝てば官軍なのだ!

まずある違和感から始まり、それに慣れ、

いつのまにやらフツーになることってあります。

韓流もそうなのかも知れないし、

東京スカイツリーも同じ。

AKBは、まさにその王道です。

文化・風俗はいつの時代もまず違和感、

そして知らず知らずのうちにすっと入り込み、

馴染み、そして市民権を得る。

それが良いのか悪いのかは分からないが、

時代はいつも、

このように動いてゆくものなのかも知れない。

ノマドでクラウドな生き方と仕事スタイル

ノマドは遊牧民、クラウドは雲。

固定の場所に住み着かない生き方で、

遊牧民は、自由に住み処を変える。

仕事も同じ。

固定のオフィスに毎日通わない、

また、そこに縛られることなく、仕事をする。

例えば、それは街の喫茶店でも公園でもOK。

大げさにいえば、この日本にいなくても良い。

連絡手段は、スカイプなんかが適当だ。

通信費はタダだし、音も安定している。

そんなとき、情報や書類等は、ネット上に預けておく。

身近なもので、ストレージサービスがある。

どこでも、IDとパスワードで、書類を引き出し、

そこで作業ができる。

iPhonやiPadとか、アンドロイドがあれば、事は足りる。

何もない場合は、ネットカフェからでもOKだ。

あとは、こうしたスタイルに適した仕事か否かということ。

私の場合を言わせてもらえば、まあ半分ほど一致している。

で、ノマド化、クラウド化は進行中だ。

せこい話だが、問題はバッテリーの消耗。

私の場合は、何処でもネットに繋げるよう、

iPadにWi-Fiルータを使っているが、ルータの持ちがせいぜい4時間。

電源の確保が必須だ。

クルマの場合は、シガーソケットから、

手持ちのパソコンは、USBから電源が供給できる。

旅行に行ったときなど、

私は、ホテルの部屋に入るとまず、コンセント探しをする。

都会にいる必要性とか、ラッシュに揉まれる毎日、

そして、渋滞のストレスと時間の無駄…

この辺りを解消する術が、ノマド&クラウドスタイルだが、

こうしたスタイルを実践している方たちは、確実に増えている。

が、古い体質の企業などでは、管理する側からいえば、

こうした方たちが気に入らないだろうね。

働いている姿を監視ができないと不安になる。

働かされている方も、同じ。

マゾっぽく机にしがみつく習性が残っている方も、

いまだに多いことだろう。

しかし、時代は確実に動いている。

見せかけの生き方や仕事は、いま綻びつつある。

勘で申し訳ないが、居住も仕事も、これからは全く違ったものが

脚光を浴びるような気がしてならない。

例えば、がんじがらめのローンを組んでマイホームを建て、

そこに束縛されて住み続けるというのがいまの主流だが、

これは誰かの策略なかと、最近思うようになった。

これからは、各地を転々とするのも悪くはない。

極端なことをいえば、昨日は東京にいたが、今日は沖縄、

で明日はロンドンなんていうのもアリ。

季節や数年ごとに住む処を変えている方も、実際にいる。

住所不定で一見怪しいと思われるも、

こうしたスタイルは、人を自由にする。

生まれ育った処にずっと住み続けている、

地元が大好きでなんら不満はないという方は、

その価値観に従えば良いと思う。

が、諸事情により、そうでない方が多いのも事実だ。

私事だが、いま自分のふるさとが何処なのか、

よくよく考えると分からない。

こうしたとき、私は、脳のソフトを入れ替え、

新しい価値観に準ずることにする。

こうして、ノマド&クラウドな生き方は、

ライフスタイルを変えることができる。

自分で生き方や仕事を考え、見通し、自分の力で

生きていかなければならないこのスタイルは、

必ず結果を出す必要がある。

でなければ、

経済的に立ちゆかなくなることは目にみえている。

結果が出さなければアウトなので、自ずと能動的になる。

このスタイルは、その位の刺激がある。

自由に生きるには、パワーとエネルギーが必要だ。

そして、自由と厳しさは、裏腹だ。

上辺だけを掠め取って、いい加減に始めると、

このスタイルは火傷をする。

私も多少の火傷をしている(笑い)が、

次第に、そんな時代になりつつある。

テレビという装置

疲れたアタマを休めるためにはどうしたらいいかということで、

私はテレビをつけることを推奨する。

テレビは、天気や映画やドラマ、ドキュメンタリーなど、情報の他、

楽しみはいろいろある。

が、とみに疲労しているときは、ワイドショーやバラエティを観る。

なんだか大変そうな話題や面白そうな話が満載なので、こちらもつい

その話にのる。

ほうほう、そういうことなんだ。そうそう、そうゆうネタね?

と、こちらも引き込まれる。

そんなことで、1時間でも観ていれば、疲れは軽減され、

あーあとなって、リラックス状態に入り、脳は居眠りを始める。

いや、ヒートしたアタマが冷却され、低回転へとシフト、

程よいアイドリング状態となってくれることだろう。

その効用は大きい。

かように、テレビとはありがたいものだと合点がゆく。

テレビには、人知れぬ効用と癒やしが、密かに仕込まれているのだ。

世間で言われるテレビへの非難など、あまり意味はないのではないか?

小難しいことなど、テレビには必要ないのだ。

番組は、楽しくテキトーに考えて頂きたい。

テキトーが、いまテレビには求められている。

テキトーな番組づくりには、倫理も中立も真実もいらない。

そんなことは目に見えていた。

だから、今日のようなテレビとなったのだ。

これは、みんなの総意であり、要望の結果なのだ。

大事なのは、疲れた現代人を如何に癒やしてあげられるか。

この一点に注視し、いい加減な番組づくりを心がける。

テレビは、思考停止装置として、いま

その役目を全うしている。

メデイア追撃

ヒガシコクバルのような目つきをする奴に
誠実な人間はいない。この人が果たして政治家には向いているのかどうかは、
私にはよく分からないが…

キムタクはいま、いやずっと以前から悩んでいる。
もう自分では身動きできない程、周りからの評価は
「イイオトコ」。但し、この評価がただの記号でしかないことは彼自身が
一番よく知っている。

AKBではなくモーニング娘。竹井咲ではなくゴクミ。
それなりに年をとると、はじめて美しいか否かは
よく分かるものだ。

五月みどりは美しい。瀬戸内寂聴はいやらしい感じがする。
小池真理子は綺麗だ。藤原紀香は恣意的でイライラする。
IKKOはごつい。これは本当

森三中の芸というのは、想像するに、或る趣味の奴から
見れば、とてもエロいのかも知れない。私には伝わらないが、
ふとそんな気がした。

ロシアではデモが盛んだが、プーチンには想定外だったと思う。
彼はとんでもない勘違い人間で、自分ほど強くて格好良い奴は
他にいない、と思っているフシがある。

小沢さんという人は、希有な政治家だと思う。が、いつも
悪い人というイメージがついて回る。それは、彼が既成に逆らい、
アメリカという国を客観視したときから始まっている。

石原都知事は、とても臆病な人間だと思う。彼はよく極論を
言うが、こういう人間に限って自分に葉っぱをかけている。
虚勢とは、まさに彼のことを指す

細木数子さんがしばらくテレビから消えてほっとしている。
あの方が好きなことを言って偉そうにしているのは勝手だが、
或る人にとっての彼女は犯罪者そのものだ。

加藤茶とかラサール石井が若い嫁さんをもらっているが、
なんだか凄く嫌な気がするのは私だけだろうか?
彼らはきっと心が広いのだろうし、ホントの自由人なのかも…
あ~あ、私はつまらない人間です!

或る虚人の告白

悲しいことが多い世の中です、と言いたい。

震災のとき、私はまず、神さまの存在を疑った。

救われない現実と思った。

振り返るに、震災前の今年の正月、

私は幾つかのお願いごとを書いて、神棚に上げた。

そのなかに何故か、大きな地震が起きないようにとある。

元来、信心深い性質なので、

それが神道だろうが仏法だろうが、

そんな教えを身近に感じて、

いままで生きてきたように思う。

そして最近、漠然とだが、

神的存在とやらを疑っている。

また、

神的存在はあるが、そのなかで生きている私たち、

という冷めた世界観もあるのでないかと考えた。

例えば、宗教は単なる慰めなのか?

生きること自体が苦行と考える宗教なら、

そんな教えを与える存在とは、

かなり傲慢とも思えるのだが。

神話では、

神同士が戦い、更には殺し合っている記述もある。

また、嫉妬という割と下世話な心の動きも多々ある。

我々と何が違うのかと深読みも試みたが、

そこは意外に受け流されている記述が多い。

答えようがないのかも知れない。

もし、古神道またはアニミズムのように、

この世総て、隅ずみに至るまで神が宿るのなら、

この神的存在は、私たちをじっと眺めているだけということになる。

逆に、悲劇さえもコントロールしているとも考えられ、

それはまた、救われない解釈としか言いようがない。

信じるものは救われるというが、本当にそうなのか。

聖書の

ヨハネの言葉には、予言めいたものが多いが、

そこには、良いことはほぼ書かれていない。

例えば、或る章に、

子羊が七つの封印を開封する、と言うのがあるが、

これは、簡単に書いてしまえば、

勝利、戦争、飢饉、死、復讐、地震と天災、祈りだ。

人間の傲慢さが、いろいろな災いをもたらすと言っているのは分かるが、

ほぼ世界は、苦しみに満ちていると表現しているように思う。

それが人間の業なのだと、突き放しているようにもみえる。

(私たちは、幸せになるために生まれてきた)

誰だって、心の拠り所がなければ、

永らくは生きてゆけないだろう。

よく、何かとんでもないことが起こると、

神がお怒りになったと言う人がいるが、

そんな短絡的な思考停止は、

人間を益々臆病にするだけだ。

(実際、聖書で、神はよくお怒りになる)

また、人間こそ神の子だとする教えもあるが、

ならばと反論する意欲も失せるほどに、

いま、私たちは疲れている。

が、尚更に強く、

いま、私たちは幸せになるために生まれてきた、

と思いたい。

拠り所は、心に宿る意志だけなのか。

これで充分だろうとも思う。

しかし、

いまこの時代に

不安定な心に、

もし、神が手を差し伸べてくれたらとも考える。

それは、私たちの存在理由を問うたときの、

生まれ出ずる悩みであり、

やはり、神的存在は欠かせないと思うからだ。

如何様にもがいても、

それが人間なのだから。