おやつの問題

 

最近は、昼メシにみんなは何をくってるか、

興味あるらしい。

よってそんな番組が複数あって、

ちょっと観たけど、すぐ飽きてしまった。

まあ、だいたい想定内のものを食している。

果物だけとか、ケーキのみ食いまくってる人って、

いないのか?

虫を食っている人とか。

だと面白いんだけど。

いや、問題はおやつなのだ。

私の場合は間食と呼んでもいいだろう。

昼メシと夕メシの間って結構長い。

腹が減るんだよね。

あるとき、ポケットのお金がみるみる減るので、

おやつをやめたことがあるが、

結果、身も心もヘラヘラになってしまい、

目の前が暗くなったことがある。

(ホントに暗くなるんだって)

で、おやつ続行と相成った。

原因はどうも血糖値の低下にあるらしい。

ちょっと病的ではあるな。

これって、現代人に多いらしいのだ。

知っている医者に聞いたことがあるが、

高血糖の症状はよく問題になるけれど、

低血糖の問題はあまり扱われないとか。

飽食の時代の飽食の国の問題なのである。

どちらもインシュリンが関係している。

それをコントロールするのは膵臓だが、

現代人はここがかなりやられている、

ということもその医者から聞いた。

話を続けよう。

あるときから炭水化物だけでも減らそうと、

セブンイレブンとかファミマのチキンばっかり

摂取していたことがあった。

が、これは連日同じものばかりを食い過ぎたのだろう、

或る日吐き気がきたのですっぱりやめた。

次に米に照準を合わせた。

で、鮭のおにぎりばかりを食ってたこともある。

この場合、コーヒーが合わないので、

「おーい、お茶」とかを飲んでいた。

これはまあまあだったが、

しかし、なんでか飽きてしまう。

在宅時は、冷凍のたこ焼きとかチヂミとかを、

ずっと食い続けた。

で、案の定飽きてしまい、いまはパスしている。

次回は生協の肉まんにすることにした。

(きっとすぐ飽きるけどね)

また、街のパン屋で惣菜パンばかり

食していたこともある。

が、指から流れる油がすげえんで、

これもやめることにした。

惣菜パンって、以外に油過多。

おいしいんだけどね。

喫茶店で「今日のブレンド」なんかをいただきながら

いろいろなサンドも試したが、

これも、かなり飽きがくるのが早かった。

ハンバーガー類もいろいろと試したが、

いまはチーズバーガー以外はあまり見たくもない。

とまあ、要するにあれこれと食ってるうち、

どいつもこいつも飽きてしまったのだ。

この場合、個人的に飽きっぽいというのが

明快な理由なのか否か、そこが分からないのだ。

いろいろと振り返って気づいたのだが、

おやつは圧倒的にパン系が多かった。

パンはうまいものはうまいのだが、

油が過多。

で、パンでもまずいのは、ホントにまずいよ!

そして、よーく分かったのは、

パンはすぐ飽きる、ということ。

どうしてだろうよと、己に尋ねるも、

原因は不明なのだ。

で、米系でもコンビニのおにぎりって、

なんでか飽きるんだよね。

先のチキンにしてもやたらに柔らかくて、

変にジューシーさが過ぎる。

あやしいとさえ感じる。

そこで思い出したのが、

ガキの頃のおやつだった。

味噌のみ付けたおにぎりとか

塩だけのおにぎりくらいだった。

夏休みなんかは、

まるごとトマトに塩をふってかぶりつくとか、

ゆでたトウモロコシに水で冷やしたスイカとか。

こういうのって全然飽きなかった。

そして格別にうまかった。

飲み物は、煮出した麦茶。

あとは砂糖水。

貧乏くさいといえばそのような気もするが、

その質素さが、いま思えば、

とても贅沢だったような気がする。

食材はすべてメイド・イン・ジャパンだったろうし、

地産地消が当たり前。

砂糖水もサトウキビから採ったものだったろうし、

塩だって天然物しかなかった。

要は食材。

そういうことだったのだろうか?

いやいや、己が毎朝いただく朝メシは、

なんたってうまい。

なおかつ飽きない。

一応、食材には気を使ってはいるが、

それが理由なのか。

手づくりだからか。

しかし、家の内外を問わず、

うまくて飽きない食いものというのは、

確実にあるにはある訳で、

そこにどんな秘密が隠されているのか、

それが解明できれば、

俺の問題はきれいに解決するのだがね。

 

 

「眠い」の真相

この前、我が人生ではじめて

歯医者で治療中に居眠りをしてしまった。床屋でも寝てしまったのだ。

歯医者では、自分のいびきではっとする。

歯科衛生士さん、気がついたかな?

床屋ではマスターの「疲れてるね」のことばで起きる。

おかしいな?

元々、私は歯医者とか床屋が大嫌いで、

小さいときから緊張する場所であったハズなのに。

私たちの小さい頃の歯医者さんは、

元軍医が多かったし、

とても威張っていたので、

どんなに痛くても泣いてはいけない。

泣けば、そう、怒鳴るんだよねぇ。

または、顔を押さえつけて、治療続行。

機嫌が悪いと「帰れ!」といって患者を追い返す。

これっ、ホントだよ。

床屋も、かなり緊張する場で、

特に、仕上げに前髪を一直線に揃えるという、

その頃流行っていたのかどうかよく分からないが、

そういう髪型であって、

とにかく一瞬たりとも動いてはいけない。

じっとしていないと、

その一直線切りが上手くいかなくなり、

床屋の親父が舌打ちなんかして怒ってしまい、

もうそこで終了なんていうこともあった訳で、

いま振り返ると、ヒドい時代であったのだ。

で、いまはどこも優しいですね。

みんなにこにこしてくれる。

ソフトな時代になったものです。

それが成熟した文化というものなのか、

民度が高いというのか、

私にはよく分からないが。

とにかく己の場合、

小さい頃から何十年も続いたトラウマが、

じじいになってようやく解消された。

リラックスするにもほどがあると自戒するも、

ゆっくり呼吸して宙をなんとはなしに眺めていると、

やはりすっーと眠くなってしまうのだ。

ちょうど、催眠術にかかったように眠くなるのだ。

(私、退行催眠の経験アリ)

うーん、トラウマが解消された、

あるいは疲れがたまっていたからとか、

いろいろ理屈はつけられるのだが、

どうも釈然としない。

そこで、同世代の仲間幾人かに、

この話を振ってみた。

で、私は驚くべき事実を掴んだ。

彼らは一様に「あるある!」と誰も否定することなく、

回答する。

「そんなもんだよ」と、

いともあっさりと肯定する訳なのである。

ほほう、誰も気にしていないところが、

更に凄いところだと私は思ったね。

さて、この所構わず眠い眠いが、

果たしてじじい特有の症状なのか、

見知らぬ病の知らせなのかと、

私は気を揉むのだが、

そんな情報はいまのところ皆無である。

うーん、謎は深まるばかりだ。

 

15年ぶりにアルコールをなめる

先日、友人と自由が丘で待ち合わせ、

うろうろするうち、

金田という飲み屋へ入る。

久しぶりに、

チェーン店の居酒屋でないところへ入った。

まだ夕方の5時ということで、

店内は人もまばら。

出迎えの女将に笑顔はない。

むしろ怒っているようにもみえるし

キリッとした表情ともいえる。

カウンター席のみでコの字が二つ。

隅っこに座ると、

奥の板場から数人が、

じろっとこちらをみる。

やはり、ぜんぜん笑顔なし。

つまらない笑顔なんて不要

という店なのであった。

ノンアルコールビールをくださいといったら、

女将の目がつり上がったのが分かった。

「ウチにはそういうものはありません」

友人は生ビールを頼んで、

俺の顔をにやにやしてみている。

(コイツ、知っていたのか?)

女将がどうします、いやどうするんだよ、

というつり目をするので、

ビールの小瓶を頼む。

ちょっと参ったなと思った。

なんせここんとこアルコールなんて

全然口にしてないし。

とにかく、酒をやめて15年くらい経つ。

女将と目が合うと、我々の後ろを指さすので、

ウムっと振り返ると、そこに金田酒学校の

立派な一枚板が飾られている。

おおっ、立派な墨文字。

女将が何が言いたいのかは即座に分かった。

酒をたしなむこの店のマナー、

学校の他にも、

ここの掟のようなものが書かれているハズだ。

実際、後で確かめると

そんなもんは書かれてなかったが、

とにかく、酒の学校だったんである。

学校に飲みに入った以上、校則は絶対だしね。

という訳で、15年ぶりのアルコールである。

ついでにタコぽんとか若鶏の焼き鳥、

菜の花のおひたし、しめ鯖、しんじょう揚げといった

酒飲みにはたまらない肴も久~しぶりにいただく。

(これがうまいんだなぁ)

さて、アルコールをやめたのは、

確か15年くらい前だった。

最初は医者の忠告だったように思う。

肝臓値、コレステロール、中性脂肪が

軒並み悪い数値だった。

が、あまり気にもせず、

アルコールを少し減らす程度でごまかしていた。

断酒は意外なことがきっかけとなった。

いつものようにビールを飲んでいたら、

やたら鼻が詰まって息苦しい。

そんな日が続くようになった。

日本酒でもワインでも焼酎でも、

とにかくアルコール類を摂取すると鼻が詰まる。

息苦しい、酒がうまくない。

薬屋にも医者にも行ったが明確な回答が出ない。

いろいろな薬なんかを飲んではみたが、

どれも全く効果がない。

次第に飲む日が減った。

なんだか面白くない日が続いた。

だって息が……ですよ。

そうこうするうち、

習慣づいていた飲酒もやめてしまったのだ。

私はついに、

酒と相性の悪い人間になってしまったのだ。

以来、今日まで飲んでないし、

飲みたいとも思わない、で甘い物が好きな、

とてもつまらないおじさんになってしまったのだ。

思うに、私の場合の飲酒は

犬の条件反射と同じで、

食い物をみるとよだれが出る犬のように、

夕方になるとアルコールを摂取していた訳だ。

その際の条件キーワードは「夕方」であった。

で、話を自由が丘の金田に戻すと、

前述した理由から

15年ぶりにアルコールを摂取することとなったが、

結果はなんというか、

身体中を血液が巡るというか騒ぐというか、

妙に身体が暑くなるという、

身体の懐かしい変化が呼び起こされた。

結果、アルコールってなかなか「うまい!」

なのであった。

気分も絶好調。

そして、鼻が詰まらないことも確認したのだ。

さて、では晴れて飲むぞ、

で、もう一度、自由が丘の金田に行って、

酒通になるぞとも一瞬思ったのだが、

あれから数日経ったいまでも、

アルコール類は一切摂ってはいないし、

あのサケも肴もうまい金田にも、

もう行かないだろうなと思っている自分がいる。

特に我慢も無理もしていないのに

なぜだろうと考えるに、

私には現在、チョコを摂取する習慣があることを思い出した。

疲れた日の夕方に摂取するチョコは、

とにかく格別にうまいのだ。

このの心境をたとえていうと、

むかーし別れたおんなの人と再会したが、

もうその頃のようには戻れない。

そんな感じなのである。

ああ、人はどんどん変わってゆくのだ。

好みも変化するし、

習慣も進化してゆくものなのだ!

しかーし、それにしても

久しぶりのビールはうまかったなぁ。

やはりこの先、

どうなるか分からないんである。

100均絵画

中年にさしかかる頃から絵が好きになった。

あちこちの美術館に行くようになった。

それまで、仕事上でイラストとかカット、写真など

いろいろ扱っていたけど、

絵画に目覚めるとは思わなかった。

きっかけは、おそらくだが、

横須賀美術館にニューヨークアート展をやると聞いて、

暇つぶしで観に行ったことだろうと思う。

リキテンスタイン、アンディ・ウォーホルらの絵が

ずらっと飾ってある。

一枚一枚を間近で観て、心を動かされた。

いずれ広告のポスター的でもあり、

どちらかというと古典的な絵画でないので、

まあ、私的には入り口としてフィットしていた。

それから、各地へでかけ、

ピカソとかレンブラントとかダリとか、

いろいろ観て歩いて、本格的にはまった訳。

とりわけ印象派が好きで、

モネ、カサットなどがいい。

ルノワールも相当いいですね。

光と影の描き方をずっと観てて飽きない。

現在では、デュフィとシャガールが気に入ってて、

たまに、すげぇとつぶやいてしまう。

ある日、私も描きたいと思い、

新宿の世界堂をうろうろしてみたが、

いや、画材って相当高価なんである。

町田に戻って今度は東急ハンズを見て回ったが、

そうそうそういえば、

「おまえ、ほんとに絵やるの?

描くの? 描けるの?」

と問いかける己がいる。

確かにその通りなんだよ、

と自らの問いに納得。

そんなとき、ふと頭に浮かんだのが100円ショップ。

東急ハンズを後にして、

それからは、ダイソーとかセリアとかキャンドゥを

ふらつく日々が始まる。

100円の絵筆、パレット、絵の具、画用紙……

100円なのでどんどん買った。

お金持ちみたいにね 笑

で、くちゃくちゃと描き始めた。

気に入らないと、どんどん捨てる。

破く。

赤貧ではないので、

駄目なスケッチなんぞは

豪快に捨てれる。

とっても愉快。

でもほんとは真剣に、

何回も何回も描いてみたんだ。

しかし線の一本一本が気になったり、

絵の具の色が思うように混ざらなかったり、

発色しなかったり……

結局、全然うまくなんか描けない。

鑑賞しているほうが相当楽だと思い知る。

そこで近くのデパートなんかのアマチュア絵画展などを

観にいくも、生意気にあれこれと批評している己がいる。

では、もう一度描いてみようと、

いまだ続いているが、

上手くなろうと誰かに習うという選択肢は

いまさらない。

上手くなどと思わない。

きみはどう描く?

そう問い掛けて描いている訳。

早い話が自己満足。

今日も超自己流で、飛ばして描いているし。

しかし、絵を描くって結構楽しい。

この格安な趣味を誰かと共有したいね。

という訳で、

あなたもさっそく始めてみてください!

絵1

オリジナル睡眠法

長く寝ると、だいたい調子が悪い。

時間にして、6時間を超えるとイケナイ。

最近では、本やテレビで睡眠負債などと命名され、

吹聴されている。

―――

僅かな睡眠不足が積み重なり「債務超過」の状態に陥ると、

生活や仕事の質が低下するだけでなく、

うつ病、がん、認知症などの疾病に繋がるおそれがあるとされる。

日本人のおよそ4割は睡眠時間が6時間未満で、睡眠不足の状態にある。

―――

(ウィキペディアより)

これ、私には脅かしともとれる訳で、かといって

毎日6時間以上も寝ていると、ホントに不調なのだ。

だいたいが長く寝た日ほど、身体のどこかが不調なことが多い、

だから長く寝る、というのが私の身体の事情のようだ。

ロングスリーパーとかショートスリーパーとか、

睡眠はその人の個性のように様々という考え方は、

どこへ行ってしまったのだろう。

私はこっちの考え方に賛成!

手首には毎日の睡眠時間及びその質が計測される

ウェラブルを付けているので、

一応、毎朝チェックをするが、

ベスト睡眠時間は、だいたい5.5時間あたり。

睡眠品質は、私の場合は5段階で4つ星がベスト。

5つ星だと寝起きがとても悪い。

あとは昼寝の有無となるが、

これはその日の成り行き次第だが、

時間があれば数分~15分位は寝るようにしている。

一時期、ヒマ~なときに2時間の昼寝をしたことがあるが、

起きた後は全く使いものにならなかった。

テレビでは健康番組が花盛りだし、

かといってあんなもんを毎日観ていたら

頭がこんがらがって健康矛盾に陥ってしまう。

しまいには知識の詰め込み過ぎで、

妙な病気になってまうような気がする。

真面目な人ほど真剣になってしまうので、

できれば斜に構えてさっと観て

さっさとチャンネルを回してしまおうではないか。

そしてそれらバラバラの、

一種適当な健康知識を自分なりに編集して、

マイ健康法を仕上げてしまう、

なんていうのはどうだろう。

一応、それでもその人なりのオリジナルにはなるし、

そんなんでいいのではないかなぁ。

だって万人に通用する完璧な健康法など、

私はこの世に存在するとは思っていない。

健康法だけでなく、

ビジネスも人付き合いも、

いや、生き方さえも、

その人なりが考えたオリジナルでいいんじゃないかと。

凄く稼ぐ人がいるからといって、

そんな人のまねをしたところで、

そのまま上手くいくとは限らないのは、

数多くの成功本が即捨てられるのをみれば分かる。

人間関係も然りと思う。

要は、まず自分なりに考えねばならない。

悩むとは、必要善である。

いろいろな情報を取捨選択するためには、

頭を使うべきだし、

それらの情報を元に、

自分に合ったものに編集するには、

かなりの苦労を要する。

こうして作り上げたものは、まず身につく。

愛着もうまれる。

そしてなにより揺らがない。

この程度のオリジナルだって、

模倣ではないし、

独りよがりともまた違う。

それは、この現代に於いて貴重な示唆ともなりうるし、

人とはちょっと違う人生観も育つと思うのだが。

青の魅惑

ここ数年、青い色に凝っている。

ブルーのTシャツ、ブルージーンズ、青いセーター、

青い絵、青い手帳…

気がつけば青いものばかりに手を出している。

この冬は娘に青いマフラーを買ってもらったっけ。

これはうれしかった。

蒼い時_

そういえば山口百恵の「蒼い時」って本がありまして、

えらく売れたけど、私は買わなかったな。

当時は20代で出版社に在籍していたけど、

ぜんぜん分析しようとも思わなかった。

青とか蒼に、全く興味がなかったからか、

百恵ちゃんに惹かれなかったからか、

そこは良く分からないが。

青っていろんなたとえにも使われている。

青くさい、といえば子供っぽいの意。

理由は不明だが、きっと植物とか稲とかの

初々しい色からきているような気がする。

(昔もいまも緑色を青と呼ぶことがあります)

先の百恵ちゃんの蒼い…は、

やはり思春期とかをイメージさせるのだろう。

思い出せば、この人の歌う歌詞って結構きわどい。

♫あなたが望むなら

私何をされてもいいわ

いけない娘だと

噂されてもいい♫

↑のタイトルが「青い果実」

やはり青だね!

さて、青い色といってもその数は限りなくある訳で、

海の青、空の青だけでも、

場所や季節や天候や時間帯によって、

それこそ無数の青がある。

青空

そして藍(あい)染めの藍、群青(ぐんじょう)といえば、

日本独自の青となる。

群青色

藍染め

西洋の青なら、ラピスラズリやコバルトブルーだろうか。

コバルトブルーは、美しい海を表現する比喩として

よく用いられる美しい色。

ラピスラズリはウルトラマリンとも呼ばれ、

その神秘的な深みが特徴だ。  

ラピスラズリは石だが、産地は昔のペルシャあたり。

それをヨーロッパに運んでいたらしい。

これを日本流に瑠璃色と呼ぶ。

謎を秘めた色、とでも言おうか。

その神秘的な色が、

近代絵画の描き手を惹きつけた。

北斎

広重

日本では葛飾北斎、歌川広重だし、

ヨーロッパだとシャガールやゴッホ、

フェルメール、イヴクラインの作品が有名だ。

ゴッホ

私的にはシャガールとデュフィの青が、

たまらなくいい。

シャガールは夢を青で描く。

シャガール

デュッフィは風景を個性的な青で強調する。

デュフィ

いずれ忘れがたく、記憶に残る。

皆、ラピスラズリの青を求めて、

当時、大金をはたいたというから、

ラピスラズリがいかに芸術家の目をも奪う魅力があったか、

その証左といえるだろう。

いまは、ラピスラズリなら私でも買える。

実際、ブレスを2本ほど所有している。

ラピスラズリの青い色が好きなのはもちろん、

この石が魔除けの石だということ。

ラピス

かなり胡散臭い、とお思いだろうが、

私は出かけるときは必ずラピスラズリを手首に着ける。

それが嘘だろうが非科学的だろうが、

私は一応信じて疑わないのだ。

なぜなら、ラピスラズリが青だから…

いや、ちょっと根拠に乏しいな。

では

━ラピスラズリをじっと見ていたら

その深いミステリアスな魔力に

取り憑かれてしまったから━

こんなんで、どうだろう?

昭和39年(東京オリンピックの頃)

ウチの父が頼んだのだろう。

不動産屋の車に乗せられて新横浜まで来た。

10台以上のブルドーザーが出来たての駅のまわりを、

急いで必死に整地している。

幼い僕にはそうみえた。

「いまなら何処でも買えますよ」

父は黙ったまま、広大な土地を見てふーっとため息をついてから

「次のところを見せてくれないか」と頼んだ。

漠然としていたので、父には全く現実感がなかったのだろう。

父と母は、横浜の中心地を離れて少し引っ込んだところへ、

家を建てる計画だった。

実際に引っ越したのは、それから数年後だった。

この頃、東京オリンピックを控えて、

日本中がとても騒がしかったように思う。

躁状態だったのだ。

後に振り返って気づいた、当時の空気だ。

横浜駅には東口と西口があって、それらを繋ぐ暗い地下道には、

戦争で傷を負った元軍人がそこを住みかとして、

ずらっとおのおの座ったり横になったりしていた。

腕のない元軍人、両足がなくむしろに横たわっている元軍人。

彼らはアコーディオンを奏でながら物乞いをしていた。

そこを歩くとき、なんとも言えない憂鬱な気分にさせられた。

僕は、以前、日本が戦争で負けたことだけは知っていたが、

眼の前にその戦争で傷ついた生身の人間がいることが、

とても怖かった。

その怖さの正体が何であったのかは、いまでもよく分からない。

ただ、僕は心のどこかですいませんというようなニュアンスの心持があったことも

確かだった。

横浜駅の海側に出るとちょうど鶴見から川崎あたりが見渡せて、

煙突から黒や黄色や灰色の煙がもくもくと出ていた。

岸壁はゴミと洗剤の泡のようなものであふれかえり、

そのなかにネズミや犬の死体がぷかぷかと浮かんでいることもあった。

スモッグとか大気汚染という言葉がひんぱんに言われだしたのも、

この頃からだと思う。

だから今になって、アジアのどこかの国の大気汚染を、

実は僕たちは笑ってばかりいられない。

東京・横浜に連なる京浜工業地帯はかつて、

晴れた日でも空は青空ではなく、

薄くぼんやりとしていたのだから。

年末になると、僕は3.4人の友達と連れだって、

この街の商店街に繰り出していた。

きらきらとしたクリスマスの装飾が灯りに照らされ、

通りは人でごった返している。

ジングルベルの音楽は大音響で、いつまでも止むこともなく、

通りの人混みのなかに響き渡っていた。

福引きのガラガラの音が絶え間なく聞こえる。

そこに長蛇の列がいくつもできる。

誰もが大きな買い物袋を抱えていた。

商店街は夜になると屋台がずらっと並ぶ。

大人たちが酔っぱらって大声で叫んだりしていた。

男と女が抱き合っている影もみえる。

僕はそうしたものを見るたび、

心臓がどきどきして走って家に帰った。

玄関の擦り硝子の向こうに

赤と緑のライトが点滅している。

嫌なことが沢山ある家だけど、

母がつくる質素な夕飯とバタークリームのケーキが

とりあえず食べられる。

僕はこの街で生まれて、

まだ数えるほどしか遠方に出かけたことがなかったので、

世の中はあらかたどこもそんな風であり、

親子とか家庭というものも

だいたいどこも変わらないものだと思っていた。

そして東海道新幹線が開業し、

ウチの近くの国道を、オリンピックの聖火ランナーが走り抜け、

女子バレーボールで日紡貝塚が優勝し、金メダルを獲った。

エチオピアのアベベ選手が東京の街を疾走し、

テレビでみんなを驚かせた。

時代が、世の中が目まぐるしく、

みるみると変わっていったのだ。

横浜の郊外の小学校に転校した僕は、

新しい生活に馴染めず、

原因不明の熱と頭痛に悩まされた。

また、憧れのマイホームに移り住んだのに、

父と母の距離がどんどん離れていくのが、

幼かった僕にもハッキリと分かってしまった。

テレビでビートルズが来日したことを、

どこのテレビも興奮して中継していた。

加山雄三の「君といつまでも」がヒットしていた。

しあわせだなぁってはにかみながら

加山雄三が鼻に手をもっていって、

それをテレビで観た僕は、

それほどはっきり分かるしあわせってあるのかと、

ちょっと驚いた。

中学に進学していた僕は、

ようやく妙な発熱や頭痛も出なくなり、

水泳部に入部し、ギターを手に入れ、

そして何人かの女子を意識し始めた。

フォークソングも流行り出していた。

グループサウンズが隆盛を極めて、

どのグループもヒット曲を連発していた。

僕は好きなグループのレコードを、

なんとか小遣いから捻出して集めた。

そして中学3年のときには大阪万博が盛大に開催され、

日本は本格的に経済大国への道を突き進んだのだ。

2017年の今年の夏、

約50年ぶりに、僕は生まれた街の駅を降りた。

従兄弟(いとこ)に会いにいくためだ。

あの頃のにぎやかだった商店街はどこも閑散として、

なかにはさび付いた屋根やシャッターが崩れ落ちそうなほど、

老朽化している店もあった。

80才をとうに越した従兄弟はペースメーカーを付け、

それでも昔と変わらない笑顔で僕を迎えてくれた。

そして、やはりというべきか、

東京オリンピックの頃の話ばかりしていた。

その帰りにちょっと遠回りをして、

自分の生まれた跡地とでも言える所に立ち寄ったが、

当たり前のように全く別の家が建っていて、

しかしその真向かいと斜向かいの家には、

昔と変わらない表札が出ていた。

そしてその数軒先にいまも暮らしている

僕の幼なじみに会いたいと思ったのだが、

従兄弟の話によると、

彼はずっと独身で親の大工の仕事を引き継ぎ、

いまは酷いアル中とかで会わないほうがいいと、

忠告された。

あれからなんと50余年が過ぎてしまったのだ。

僕の時間が止まってしまっているこの街で、

僕は幼いころの自分に戻ってしまっていた。

もうすぐ、またあのオリンピックがやってくる。

あの頃、流行したものや音楽、ドラマなどが、

テレビなどで頻繁に放送されている。

それが懐かしいことに違いないのだが、

果たして楽しい記憶であるのか、

悲しいときであったのか、

それが判然としない。

ただ、水に溶いた墨のように、

どんよりとして見えるあの街の風景ばかりが、

しばし浮かんでは、消えてゆくのだ。

誰も信じちゃいない

前の記事は、ホントの話です。

誇張なしのつもりだが、

何人かにブログ記事の真偽について聞かれた。

「ホントですよ」とキッパリ断言すると、

なんだか余計に嘘くさくなってしまった。

まあ、書き方が胡散臭いという反省もあるが、

これはどうしようもない。

こんな書き方しかできない訳だから。

で、この事件があった直後も数人に熱く話したが、

一様に「へーッ」って返答するんですね、みんな。

しかし表情は結構冷静。

或る方は「まぼろしでも見たんじゃないの?」

「………」

これが本音でしょう。

日が経つに連れ、

こちらも「まぼろしだったのかなぁ」と。

こうした話って本人が熱く語るほどに、

聞き手は落ち着きはらう傾向があることは分かっていた。

僕は中学時代にも「鬼火」というものを目撃したことがあるが、

(ほら、もうあなたは疑っているでしょ)

そのときは夜中にひとりで見たこともあり、

結果、やはり誰にも信じてもらえなかった。

翌朝、母に興奮気味に話したのだが、

母は笑顔で「そうなの」と言ってから、

くるりと向きを変え、表情も変えずに、

テレビのなんとかモーニングショーに見入っていたし。

サンプル例はまだある。

大学のとき、朝方に友人3人でいたときのこと。

横浜のとある開発分譲地のてっぺんあたりの草むらに

車を止めていた。

車中で、話は盛り上がっていた。

新潟から船でウラジオストックへ行き、

旧ソ連(ロシア・東ヨーロッパ)を横断、そして南下して…という

世界ヒッチハイクのプランを練っていたところだった。

ふと、徐々に近づいてくる空からの光の異様さに気づき、

3人で一目散に逃げ出したことがある。

逃げ出すほど驚いた訳は、

朝方の4時頃、夜明け前なのに、

音もなく空から私たちに近づいてきたかと思うと、

至近で強烈な光を浴びせられたからである。

この正体不明のオレンジ色の光は、

いま思い返しても、私たちを狙っていたとしか思えないのだ。

逃げながら振り返ると、それはブルーへと色を変化させ、

あっという間に相模原方向へと去っていったのだった。

翌日3人で、大学で他の友人たちに

興奮気味に語ったのだが、

やはりなんとなくしらーっとした空気になった。

余談だが、

後に、この「世界に飛び出せヒッチハイク計画」はやむなく頓挫した。

理由は3人が次々に病を発症したからだ。

僕が急性肝炎、他は十二指腸潰瘍、結核…

後にこのときの3人が顔を合わせると、

まずは挨拶代わりに、

「あれってホントだよな。だれーも信じないけどな」

であった。

ちなみに冒頭の或る方から、

「もっと凄いのがいるよ。レオタードおじさんって知ってる?」

「いや、知りません。初めて聞きました」

帰って早速ネットで検索すると確かにいました。

画像付きですげぇ変なおっさん。

そして原宿にはセーラー服おじさんがいる。

大阪にはブルマおじさんが…

うーん、これはなんというか、分析が難しいなぁと考えるも、

どうも僕の話とは種類が違うなと思い始める。

全く別の話題に擦り替わっている。

摩訶不思議な事って、

体験した本人でないとなかなか人には信じてもらえない。

そう語りたかったんだけど。

やっぱりレオタード…のあたりから、

この話はねじ曲がっている。

だから僕の話はやはり、

薄々あやしいんです。

黒づくめババアの恐怖

そろそろ話してもいいだろう。

今年の夏。

蒸し暑い或る夜のこと。

私は奥さんと小田急線某駅から10分ほどのところにある、

格安のイタリアンレストランで、

ピザとかスパゲティとかサラダとかをたらふく食い、

幸福な気分で車を止めておいたコインパーキングまでを

だらだらと歩いていた。

赤信号の交差点に立っていると、

いつの間にか後ろに人の気配を感じた。

まあ、交差点なので当たり前なのだが、

異様に至近距離にいる気配を感じた。

イヤーな感じがしたので、奥さんにひと声かけて、

速足で歩くことにした。

安心するのもつかの間、

後ろの気配も速足でついてくるではないか。

まだ、私たちは後ろを振り向いてはいない。

何者が後ろにいるのか振り向くほどでもなかったからだ。

しかし、ずっと至近距離でピタリとついてくるので、

いい加減に私たちは足を止め、

とぼけて脇にあった自動車展示場の車を眺めることにした。

と、驚くことにそのイヤーな気配もピタッと足を止め、

私たちの後ろにくっ付いて立っているではないか。

振り向くと、背の低い老婆とおぼしき影。

「何かご用でしょうか?」

私が話しかけると、その影が言うには、

「私は足が悪いんですよ。それでね、

誰かの後について歩こうと思ってね」

「うん?」

どうも理解しかねる返答だった。

この影をよくよく観察すると、

真夏だというのに、黒い頭巾を被り、

長袖の黒い衣服を身にまとい、

引きずるような丈のスカートに、

黒い手袋をはめている。

口をマスクで隠している。

そして雨も降っていないのに、黒い傘をさしていた。

夜だというのに大きなサングラスをかけたその奥に、

得体の知れない不気味なものを感じた。

先ほどからの事を振り返えってみた。

この人は途中から、相当の速足で私たちについてきたのだ。

話しながら老女らしき人は膝をさすっている。

上目づかいで、こちらの様子を伺っているのが分かった。

(この人って本当に老婆なのか?)

得体が知れないと思った。

はっきりしているのは、この人は多分女性で、

背が低い、ということ。

それしか認識できない。

日曜の夜の10時過ぎ。

繁華街の一本裏通りである。

人通りはまばらだった。

この至近距離でついてくること自体、

最初から不自然とは思ってはいたが。

私はとっさに手を振って、

「なんだかよく分からないけど、

どうぞお先に!」とジェスチャーをする。

「そうですか?」

この黒づくめ、不満そうなのだ。

少し間があく。

重い空気が張り詰めている。

黒づくめはようやく諦めたらしく、

しぶしぶと歩き出した。

歩く後ろ姿をみると、普通に歩いているではないか。

この場合、目が悪いのであれば、

私も少しは納得したのかも知れない。

いやしかし、いろいろと首をかしげるような印象から、

やはり不気味なことに変わりはない。

黒づくめの後ろ姿が徐々に遠くなり、

ようやくその姿が小さくなるまで、

私たちはなにかよく分からない恐怖感にさいなまれた。

あの人は一体何が目的で私たちの後ろについてきたのか、

歩きながら考えを巡らすも、全く分からない。

もし、あの老婆が、万一何か悪いことを企んでいたと考えると、

私たちは二人でいるので、相手も分が悪い。

それなら一人で歩いている人間を狙うのではないか。

やはりあの老婆の目的が分からない。

たださみしいのではないかとも考えたのだが、

であれば、人の嫌がるような行動をとるだろうか。

幸福な満腹感が、息苦しさに変わっていた。

車が止めてあるコインパーキングは、

鉄道の高架下のかなりの暗がりにあった。

あたりは人家はなく、田園が広がるのどかな一帯だ。

丸1日止めてもたいした料金ではないので、

そこにしたのだが…

汗を拭きながらパーキングに入ろうとすると、

高架下のずっと遠くから

小さな影が小走りでこちらに近づいてくるのがみえた。

目を凝らすと、なんとあの黒づくめババアではないか。

とっさの事で頭が混乱する。

私たちはコインを入れる余裕もなく、

低くしゃがんで車に滑り込んだ。

心臓がひどく鼓動しているのが自分でも分かるほど、

私たちは気が動転していた。

その恐怖の正体は、

相手の目的が不明だからなのか、

いや、あの姿なのかは、

いまでもよく分からない。

シートに深く沈み込んで、

恐る恐る外をちらっとみると、

あの背の低い黒ずくめが

私たちの車のすぐ横の道をゆっくりと歩いている。

まわりを伺うように用心深く歩いているのが

その姿からすぐ分かった。

一体あいつはなんなんだ。

本当に人間か?

ひどい汗をかいている。

息づかいが荒くなる。

時間がどのくらい経過したのか、

それさえよく把握できなくなっていた。

勇気を振り絞って上体を起こし、

ガラス超しに恐る恐る外の様子を伺う。

黒づくめは高架下に沿って続く道を

きょろきょろしながら歩いている。

「いまだ!」

外に飛び出した私は精算機まで走り、

なんとかコインを投入した。

もう高架下の不気味な姿はあえて確認しなかった。

車のストッパーが下がると同時にキーを回し、

エンジンをかけ、窓を閉める。

冷房を最強にする。

車内がむせるように暑いのを、

このときやっと認識する。

黒づくめは、私の車のライトに照らされ、

遠くからちらっとこちらを振り向いた。

わずかながら、あのサングラスが一瞬反射した。

その映像を、いまでも私は忘れることができない。

初冬のキャンプ

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初冬なので、軽めのキャンプに行ってきました。

軽めとする理由は、寝るとこが一応トレーラーだからです。

テントは、ホントに寒いです。

以前、晩夏の山中湖でテントに挑戦しましたが、

山中湖は夏でも夜は気温が急降下します。

Tシャツにヨットパーカーという軽装では、

震えがきました。

今回は相模湖近くとはいえ、初冬なので、

テントではなく、トレーラーにしました。

一応、ユニクロのダウンを持参しましたが、

結果、ペラペラのダウンではこの時期が限界でした。

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夜はまあまあ寒いという程度で、

火も使っているし、なんとか凌げました。

なんといってもキャンプ場近くのスーパーで、

奮発してステーキ用の肉を仕入れて来たので、

ガツガツ食いまくっているうちに寒さが遠のいた、

という表現が適当でしょうか。

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問題は朝方。

やはり寒さで目が覚めてしまいました。

時計をみると4:50。

トレーラーのなかの息が白い。

歩き回ると床がぎしぎしと響いて、

車体が揺れます。

固定されてるとはいえ、下はタイヤですから。

ちなみにこのぎしぎし音って

ホントに憂鬱な気分にさせられます。

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ひんやりとしたカーテンをめくって窓ガラスに手を触れると、

外の風がスースーと入ってくるのが分かる。

四方の窓がほぼそんな感じ。

天井の換気口をよくよく凝視すると、

空が見えるほどに開いています。

閉めようにも中央の換気口のみ閉まらない。

ここから結構冷気が入ってくる。

ほほぅ、これじゃテントと変わりないじゃないか。

プレハブの建物よりまずいかも。

山の頂上付近には、昨夜から強風が吹いている。

スマホで現在の気温をチェックすると6度だ。

6度で強風は、やはり寒いよなぁ…

恐々と表に出てみると、月明かりに照らされた山並みが、

深い群青色で漆黒の空とは異質の存在感を示している。

まだ昨日の炭がくすぶっているあたりで

がさがさと物音がする。

反射的にライトを照らすと、

なんと大きなトラ猫が昨夜の焼き肉のたれらしきものをあさっている。

ビックリするし寒いし。

すぐにトレーラーに引っ込んでありったけの布団を被って

猫のようにうずくまる。

(さっきの猫は丈夫です)

やがてあたりがうっすらと明るくなる頃、

いやいやながら湯を沸かしてコーヒーをすする。

そういえば、昨日も今日も平日なので、

まわりのトレーラーハウスには誰もいないようだ。

今度はしっかりと着込んで再び表に出てみる。

快晴。

東のほうからゆっくりと陽が昇ってくるのがみえる。

遠い山並みが紫がかった色に染まる。

そこに陽の光がすっと一直線に走るのがみえる。

山間の谷間には、白いもやが大きな塊となって

ゆっくりと風下に流れている。

見上げると、月もその姿を次第に消そうとしている。

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さきほどまで、私のアタマのなかで、

ピーターの「夜と朝のあいだに」が流れていた。

いま、この希少な景色を眺めていたら、

いつの間にか岸洋子の「夜明けのうた」に切り替わった。

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遥か彼方に街らしきものがみえて、

人の日々の営みを思う。

そして我が青春の歌が流れている。

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