走るおっさん

最近はジョギングブームなので、老いも若きも走っている。

私も近くの運動公園へちょくちょく行くが、

ホントにみんな元気に走っている。

で、私の場合は歩くのみ。

それだけ。

たまに、ちょっとまねごとで走ってみるが、

慣れていないから、これが辛い。

ハァハアとすぐ息が上がってしまう。

「みんな凄いなぁ」

私がぼぉっとして歩いていると、

いつものように、横をスッと走り抜けるおっさんがいる。

いつもみかけるこの方、痩せ形ですらっとした体型で、

みたところ、年はかなりいっている。

定年も迎え、ジョギングに没頭しました、という感じ。

真冬だというのに、薄い紺のウインドブレーカーのみで疾走。

で、いつも息なんか全然乱れていないのがこのおっさんの特徴なのだ。

思えば、彼を初めて見かけたのは、いまから2年前になる。

夏のクソ暑い日の午後、景色もとろけそうななか、

私が冷えた缶コーヒーを飲みながら日陰で涼んでいると、

誰も走っていない公園の外周コースを汗だくで黙々と走っているのが、

このおっさんだった。

以来、会う度、彼は常に走っているのだ。

そのなんというか、情熱っていうのかな?

このおっさんのひたむきさは例えば修行僧のようでもあり、

マラソン大会を控えた体育会系の学生のようでもあり、

さらにいえば、

この「おっさん」といういきものが、

本能のままに走っているようにも思えるのだ。

私は、この方が他の人と談笑したりゴロンとしていたり、

ドリンクを飲んでいたりするのを一度もみたことがない。

おおげさだが、おっさんは常に走っているのだ。

とまらない。

で、24時間走り、365日走っている妄想が、

もう私のアタマで固まってしまった。

時々、表情をちらっと覗くのだが、これが分からない。

楽しそうという感じではなく、そうかといっ辛い感じもない。

強いて挙げれば、無表情という表情をちらつかせる。

で、或る日このおっさんはなぜこんなにいつも走っているのかを、

私は無意識に考えていた。

子育てもとっくに終わったろうし、

家では長年連れ添った奥さんが?

いや、ひょっとすると先立たれたのかな、とか…

で、いまは独り暮らし。

趣味もこれといってつくる暇がなかったんだよな。

現役の頃は、中堅の工場の現場で部長職を努めていたが、

いまはそのつきあいもなくなり、近所づきあいもなく、

やることといったら3度の食事と寝ること以外になし。

おっと、テレビは大好きだっだ。

なので、テレビショッピングの商品にも蘊蓄を傾ける。

で、このおっさんが或る日テレビを観ていると、

「頑張れ!中年」みたいな番組をやっていて、

その日はジョギング特集だった。

「家のなかでいつもゴロゴロしていては健康に長生きできませんよ」

とかいうフレーズにちょっと心を動かされ、

これなら俺にもできるかな、と…

ちょっと走ってみようかな、と。

で、このおっさん、情熱の冷めない翌日に、

即イオンのスポーツ用品売り場にでかけ、

店員さんのいわれるままにジョギング用品を買い揃えました。

で、ここからおっさんの伝説が始まった…

以上は私の妄想なのですが、どうもこれ以外に出てこないんだよな。

クリエィテイブなストーリーが全然出てこない訳。

これには、さらに続きがあって、

人は走り始めると止まらない、という仮説も考えてみた。

いきものはみな、

一端走るのをやめてしまうと死んでしまうという恐怖に取り憑かれるのではないか、

という、もう仮説ではなく、また妄想ですね。

これはマグロなんかもそうだが、泳いでいる限り生きている、

生きていられる、という本能が芽生えてしまった例として考えた。

で、たどり着いた結論が、

このおっさんは走っている限り死なないと信じている、ということ。

裏を返せば、走るのをやめると死が待っている、ということ。

エンドルフィンという心地よくなる脳内物質が、

ランニングハイのときに放出されるというので、

この説も一時考えたが、

このおっさんをイメージする限り、私はこの説を自ら一蹴した。

だって、

もっとどろんとした湖底に沈む妖気のようなものを感じる訳。

今日もあのおっさんは、あの運動公園で走っているのかな?

というか、どうか走っていてくださいよ!

でないと、怖い!

ヘロン(青鷺)

丹沢山塊の頭が、うっすらと白く化粧している。

2月の風の強い日に、

僕は空に吹き飛んだ白い雲のちぎれを見に、

視野の広がる場所を探して、クルマを動かしていた。

国道を逸れ、細く急な坂道を下ると、

里山を臨む河川沿いに出る。

そこは駐車場が整備され、数台のクルマがとまっていた。

河原の土手の道を、中年のマラソンランナーがのんびり通り過ぎる。

近所の農家のおばさんたちが、駐車場の先の公園で談笑している。

快晴。

きれぎれの雲はもう東へと流れて、

真冬の日射しだけが、吹く風を通り抜け、

あたりの景色を明るく照らす。

ほぼ、空全体が見渡せるほどの広大な河川敷に立つと、

空を遮るものは、遠方の丹沢の連なりだけとなる。

枯れた色の田園の向こうにこんもりした丘があって、

鳥居が傾いて立っている。

その後方に控えた里山の麓には、ぽつぽつ民家が並び、

模型のような絵柄が僕はとても気にいった。

川沿いを歩きながら水を覗くと、

大きな鯉がゆったりと泳いでいる。

上流に向かって歩くと、カモの家族だろうか?

小ガモも混じって行列をつくり、みな同じ動作で

川を下ってゆく。

と、頭上に大きな影が現れ、

影は水面に沿って上流へと羽ばたいた。

その大きな鳥は悠然と羽をひろげ、

幅は優に2㍍を超えているようにみえる。

足を早め、鳥の舞い降りる水田跡へと走った。

薄青いその勇姿は、舞い降りた途端、微動だにせず、

直立して首をもたげたまま、

山並みをみつめているようにみえる。

空の白いちぎれは、もうとっくに東に流れていて、

寒風のなかの太陽がぎらつく。

そのきりっとした勇姿にみとれた僕は、少しづつ間合いを詰める。

大鳥は依然、首すら動かさず、山の方に向いている。

あぜ道を降りて僕は更に距離を詰め、カメラを構える。

そのとき、勇姿は一切こちらを振り向きもせずに、

ふわぁっと大空に舞い上がった。

翼に陽が一瞬反射し、僕は目を細めた。

次の瞬間、翼はより大きくなり、

それは西洋の紋章のマークのような美しさを描いて羽を広げ、

ゆっくりと里山の方へと羽ばたいていった。

その姿を見たのは、僕だけだったように思う。

帰ってネットで調べると、

どうも青サギという鳥に似ている。

あれから数回、カメラを手にその河川敷へ出かけている。

しかし、あの勇姿には、いまだ出会えてはいない。

不審な訪問者

まあ、自分を客観的に眺めて、割と不審人物の気配が漂っている、と思う。

が、中身はそんなに不審なことは考えてはいない。

たまに、なま暖かい風なんかが吹くと不審なことを考えるが、

そうそう実行に移したりしないのが、おとなというものである。

平日の午後、メシも食ったし、日射しなんかを浴びていると、

眠くなるのだ。で、うとうとしていたりすると、

不意に玄関のチャイムが鳴る訳。

以下の話は、私が奥さんから聞いた体験談を基に、
テキトーにでっち上げた話です。

●不審な訪問者 その1

「どなたですか?」

「あっ、どうも! にしかわです」

「えっ、にしかわ? どちらのにしかわさんですか?」

「にしかわです」

「だから、すいませんがどちらのにしかわさんですか?」

「ふとんの西川です」

ガチャ!

●不審な訪問者 その2

「近くで工事をしている者なんですけれど、ご挨拶にきました。

玄関までお願いします!」

「あっ、そうですか。チラシかなにかですか?」

「いえ、ご挨拶ですので、玄関までお願いします」

「お話はなんですか?」

「いや、玄関まで来ていただかないと」

「だから、なんのお話ですか!」

「チラシをお配りしているんですけれどね」

ガチャ!

●不審な訪問者 その3

「あっ、どうも! あの、通りがかりの者なんですが、

お宅の屋根、めくれていますね?」

「はあ?」

「だから、お宅の屋根が傷んでいると言っているんです」

「それは、ご親切にありがとうございます」

「屋根にあがって見ましょうか?」

ガチャ!

●不審な訪問者 その4

「○○さんのお宅ですよね?」

「はい、そうですが…」

「やっとみつかりました。お宅の家が」

「はあ…」

「いやぁ、あのですね、お宅の床下換気扇に発火の恐れがありまして、

で、こうやって調査をしている次第です。はあはあ」

「ホントですか?」

「もちろん、これは調査に基づいた訪問ですので」

「あっ、はい。で、どうすればよろしいのですか?」

「交換ですね」

「えっ、そうですか。…
…失礼ですが、おいくらかかるのでしょうか?」

「そうですね、30万くらいみていただければ大丈夫です」

ガチャ!

●不審な訪問者 その5

「奥さん、りんご買ってくれんかねー!」

ガチャ!

●不審な訪問者 その6

「となり町に住んでおります○○と申します」

「はい」

「最近、子供たちがとても荒れております。

そのことについて少しお話したいと思いまして…」

「いや、○○さんですか? ちょっといま忙しくてですね」

「あっそうですか。では、失礼ですが、お宅さまはキリストについてですね

どう思っていらっしゃるのか…」

ガチャ!

●不審な訪問者 その7

「あのですね、この辺りの担当をしています○○の佐藤と申します。

いま、光回線の調査をしているのですが、お宅の光回線と××の光を比べてみた結果、

××の会社の回線が圧倒的に安いことが判明しました」

「そうですか、それは主人がよく存じていますので、いまはいいです」

ガチャ!

(再びピンポーンとチャイムが鳴り続けるので、やむを得なくインターホンに出ると…)

「いいじゃありませんよ! 奥さん!どういうことですか!」

再び、ガチャ!

↑の件に関しては、後日私がいたときに同じ奴が来たので、二度と来れないよう話をつけました!

炭水化物に関する噂

甘いものや脂っこいもの。

これらで太るのは前々から知っていたので、

おっ、これは避けようなんて思ったりする。

こんなことは、みんな知っているのだ。

で話は、丸亀うどんに移る。

ここのうどんはなかなか旨いので、

一時よく食っていたが、

あるとき、うどんは炭水化物で太ります、みたいな話を

テレビで聞いてしまった。

そう? そうなんだ…

私はいままでこういうことをあまり考えなかったので、

うどんにでかい天ぷらを乗せ、

たまごを混ぜてグダグタにして食うのが好きだった。

そうか、あの旨いうどんは炭水化物だったのか。

で、スパゲティーはどうなのと奥さんに聞いた。

すると、なんとスパも炭水化物ではないか!

ふわぁぁっ、炭水化物は旨いものばかりなのである。

これはミステリー。

で、炭水化物をずっと調べるにつれ、

ご飯もパンも炭水化物だったことが判明してしまった。

こうなると、私はほぼ毎日、主に炭水化物を軸に

砂糖とか塩とか油を摂取していたのである。

うーん、こうなると、敵は手強いと思った。

こいつらを避けるためには、

ほぼ味のない蕎麦を食って暮らすしかないのか?

そんなことを考えた或る日、

どうにもこうにも腹が減ってしまい、

セブンでこってり旨そうなドーナツを買って、

外でぺろっと食ってしまった。

うん、旨い!

このドーナツの油と砂糖は、すでに折り込みの太る成分なので、

ここんとこ、我ながら許すというおおらかさ。

しかし、ドーナツの主成分を考えるにつれ、

あれって炭水化物じゃねーのと思い始め、

その日、えらく後悔した覚えがある。

となぜか私は、炭水化物に対して厳しい一面がありまして、

簡単にいうと、炭水化物を敵視していたときがあります。

炭水化物はいろいろなものに姿を変え、

ぱっぱっと私の前で旨いものに変わる。

ここがイライラする。

例えば、せんべいの主成分が炭水化物だったと知ったとき、

私は炭水化物のあこぎなやり方に激怒し、

もう騙されてなるものかと徹底的に調べたのであります。

するとです、驚くなかれ、

食い物って、主にほぼ炭水化物でして、

これを食っていかないと死んでしまうほど、

人類にとって大事なものらしいということを、

知ってしまうのでありました。

ほほぅ、そうでしたかということで、

私は炭水化物に対する見方が変わり、

とりあえず怒りの鉾を納めました。

で炭水化物を徐々に理解し、

彼らに対する人類貢献の度合いを少々認識し、

そしてそれは、

後に尊敬の念に変化したのでありました。

炭水化物万歳!

今日も私は炭水化物と仲良くやっています。

炭水化物は、いい奴です。

ぜんぜん痩せませんが、

とりあえず丸亀うどん、万歳!

また、行こうっと。

青春仕事事情

私の仕事の原点は、肉体労働だった。

まず、金になること。金を手に入れ、

クルマを買うこと。

若い頃、働く理由と意欲の原動力は

それしかなかった。

それまでも、サッシ工場、ライター工場、

大型長距離便トラックの助手、

配送、果ては自らトラックドライバーとなり、

関東一円にコーヒー豆を運んでいた。

これらの仕事は、すべて金額で決めていた。

後、セールスドライバーもやったが、

これはこれで営業職も兼ねていたので、

割とアタマも使った。

当時、何ひとつ取り柄のない私にとって、

肉体労働は唯一稼げる仕事だった。

とりわけ、沖仲仕の仕事は

いまでも印象深い。

朝一番に横浜の港近くのドヤ街に行き、

立ちんぼと呼ばれる男たちとの交渉。

何の仕事で日当幾らが決まる。

とにかく最高の値の仕事を獲得する。

で、話が決まると、マイクロバスに乗せられ、

広い港のどこかよく分からない場所で降ろされる。

溜まっている男たちも、まあその日暮らしばかりで、

目だけが異様に鋭かった。

艀のような船に乗せられ、大きな貨物船の横へ付けられる。

貨物船の大きなクレーンから、続々と魚粉の麻袋が下ろされ、

下にいる私たちが、その麻袋をひたすら船に積み上げる。

一袋20㌔はあっただろうか。

麻は手で持たず、鎌をかけてひたすら横へ放り投げる。

それを他の奴が、船に隅から積み上げる。

たまに、高いクレーンの網に乗せ損ねた麻袋が、

船にドスンと落ちる。

「危ないぞ!」と聞こえた瞬間に落ちるので、

だいたい間に合わない。

が、この仕事の間、事故はなかった。

麻袋が落ちた真横にいる奴がにやにやしている。

それがどういう笑いなのか、よく分からない。

8月にこの仕事に就いたので、一日炎天下にさらされた。

躰が悲鳴を上げる。

腰が痛くてたまらない。

船の端で、

何が原因か分からない殴り合いの喧嘩が始まった。

よくそんな気力があるなと見ていると、

現場監督がヘルメットで二人を殴り倒し、

なにもなかったように、作業が続く。

昼飯に陸へ上がると、躰がゆらゆら揺れている。

船酔いのような気分の悪さが続く。

監督からメシが手渡される。

白飯と二切れのたくあんと真っ赤な梅干しが、

ビニール袋に詰め込まれている。

全く食欲が出ず、

コンテナの横のわずかな日陰に横になる。

目のどろんとした痩せた男がこっちを見て笑っている。

逃げようかと考えていた矢先だったので、

見透かされた気がした。

いつの間にか寝てしまい、

でかいボサボサ頭の男に尻を蹴られて起きる。

午後の作業はピッチが上がる。

この魚粉は、後にフィリピンの船に載せられ、

相即、港を出なくてはならないらしい。

「急げ!」と檄が飛ぶ。

太陽に照らされた背中が赤く腫れ、

悲鳴を上げる。

水筒の水が切れてしまった。

体中が魚の粉まみれで臭い。

意識がもうろうとする。

もう、誰も口を利こうとしない。

やがて、

上に上がったクレーンを見上げると、

船員が終わりの合図を送ってきた。

丘に上がり、全員が日陰に臥せ、

しばらくの間、

誰も起き上がろうとはしなかった。

躰が揺れている。

帰りのマイクロバスはしんとして、

やはり誰も口を利かなかった。

クルマを降りると、

この連中の後へ続く。

そして露天でビールを煽ると、

ようやく、みな饒舌になった。

結局その後、妖しい店を数軒はしごし、

東神奈川の駅に着く頃、

財布の金は、ほぼ使い果たしてしまった。

こんなことを数日続けるうち、

いろいろな事を考えさせられた。

自分になにができるのか、とか、

なにか新しい事を始めなくては、とか、

漠然とした不安がよぎっては消えた。

クルマより大事なこと…

初めて自分の立っている場所を知ったのも、

この頃だった。

日本のメシ

外出が続くと、ついパンとコーヒーとかで

軽く済ませている場合が多い。

が、これが続くとなんだか違和感が出てくる。

体が、違うぞと言っているように思う。

で、ご飯とか蕎麦が無性に食いたくなる。

飯系はおにぎり、蕎麦系はたぬきそばとなる。

なぜおにぎりとたぬきなのか、そこは判然としないが、

この2種を摂取すると、

なんだか体がリセットされた気になる。

不思議。

西洋に行くと(表現が古いな)、朝食は、パンだ。

安宿に泊まると、朝食に出されるパンもかなりまずい。

まず堅いし、なにより素っ気ない味。

シンプルといえばそうだが、私には馴染めない。

紅茶もティーバック、で薄いのばっかり。

運んでくれる女の子も、なんだかふて腐れているから、

余計にまずい。

日本で食う安い食パンのほうが、よっぽどうまいのだ。

で、東南アジアはどうだろう。

私はまだ東南アジアへ行ったことはないが、米系はありそうだ。

が、辛かったり香辛料が入っていたり、汁物の飯のイメージ。

きっと味噌汁もお新香もないんだろうな。

ムカシ、南の島へ行ったときも、数日で米が食いたくなり、

日本から持って行った農協の温めて食えるご飯と

即席の味噌汁に救われたことがある。

あっ、梅干しもね。

これから海外を考えている私にとって(?)、

食い物の問題はかなり深刻だ。

最低、数日に一度は、正しい日本の飯でなければならない。

向こうの日本食をいくつかチェックしたが、

かなりの高額。

全然お財布にさやしくない。

うーん。

向こうの言葉とか気候とか習慣とか、

まあクリアすることはいくらでもあるが、

私の場合は、まず飯なのである。

飯の問題をクリアすると、だいたい大丈夫。

生きていけそうな気がする。

そこんとこのみ、柔軟性に欠けるな。

特に、朝の飯にはこだわるね。

まず、寝起き。

うまい緑茶を一杯飲みたくなる。

コーヒーは後ね。

で、味噌汁は、味噌と具のコラボに期待する。

海苔でも卵焼きでもうまいのが食いたい。

魚はアジの干物だろう。

佃煮はどうだ。

濃すぎず、薄すぎずがご飯に合うんだよな。

とまあ、私の場合は面倒くさいのです。

いっそ向こうで日本食の朝飯屋をやるか。

と、これはやけくそ的ビジネスの発想。

閑話休題

以前は我が家も、朝飯はパンの時代がありました。

しかしです。もう、朝からバターだのジャムだのと、コテコテ。

もっと遡ると、ケロッグとかそういうもの。

シリアルしか食わないときもありましたね。

が、年がいくと米です。

米に戻ります。

米はいいですね?

なんといっても味噌汁とのマッチングが素晴らしい。

これは、日本人の知恵ですね。

皆さん、日本のメシ、食ってますか?

或る秋の日に

懇意にしている方の有機栽培農場へお邪魔する

元設計技師のT氏が定年後に拓いた農場は

今年で12年になるそうだ

現役時代のT氏は

東京の会社で工場のライン設計をしていた

現在はその緻密な頭脳を農業に傾ける

農場の片隅にあるT氏自慢の小屋は掘っ立て小屋だが

中は農業に関する本やノートがずらっと並ぶ

土がこぼれている机に足を投げ出し

二人で缶コーヒーを飲んで一服する

馬鹿っ話でお互いの疲れを癒やし

程々に政治の話なども飛び出すが

この美しい景色の中では

やはり収穫ものの話が似合う

たばこの煙がアケビの弦に絡まり

そして秋の空へと消えてゆく

聞けば

近くの荒れた農地は作り手が不在で

毎年草のみが刈られて地肌をさらす

どこも農業を放棄する

理由は食えないからだと…

T氏はずっと

農業への可能性を探っている

それは効率ではなく

なにか人が感動するような農業

そして

食べることを慈しむことができるような

豊かな農作物の収穫だという

T氏の農場では

すべてが実りの秋だった

雑多なつくりもののなかに

理知的かつ

農業に対する崇高な思想が流れる

東に山が迫り

小川を挟んで陸稲と畑に分けられ

細長い耕地は西に伸びるが

その先の広がりのある農園には

たわわに実った稲穂が光る

秋の夕陽はオレンジ色に景色を照らすが

それでもまだ汗ばむほどの勢いで

私たちを照らす

T氏が再び草刈り機を回し

山々へエンジン音がこだまする

最近は保護政策で増え始めた

山の野猿との知恵較べだと笑う

幾種もの名も知らない虫が飛び

数え切れない程の数のバッタが跳ねる

栗の木の下に

いくつものイガグリが転がっている

豚の糞でつくったという堆肥に

化学肥料とは違った実りが期待できる

小川を渡り

アケビをかじりながら

放し飼いの鶏を観察していると

赤とんぼの集団が滑るように通り過ぎる

此所へ来るたびに

本当の豊かさを噛みしめる自分は

さあこれから何処へ行こうか

さて何を始めようかと

いつもの如く戸惑ってしまう

書籍について考察

仕事柄か、本が大好きなので、

読むものが常に3冊~5冊くらいが同時進行している。

また、私の場合、書籍類は経費として認められている。

名目は研究費。

別に研究などしていないが、

帳簿では、そうした項目となる。

お役人が考えた仕分けなのか?

で、研究費はあまり節約しないようにしている。

結果、部屋は本だらけ。

先日も久しぶりに本屋へでかけ、主に雑誌類をあさる。

普段は、ほぼアマゾンで賄っているので、

久しぶりに町の本屋へ行くと、うきうきする。

あの、本がズラリと並んだ爽快感は、ネットでは味わえないです。

まず手に取ったのが、

枻出版の「Daily U・S・A」。邦題、アメリカの日用品図鑑。

ざらついた手触りの紙質は、良い意味で引っかかりがあり、

漂白してなさそうな、

少しくすんでいるところに好感。

ページ数はP200あるので重いかなと思ったが、

そこはペーパーバックの如くライト。

アメリカンなのである。

制作者がそこまで気を回わすと、やはり本はいいなぁ、

高価でも欲しい本は買うな、と思ってしまう。

これは、ネットが幾ら頑張っても、出せない感触だ。

当たり前だが、存在感が違う。

ページを開くと、

アメリカン・クラッシックな雑貨やチョコ、

お菓子、家電やケミカル製品がズラッと並ぶ。

ひとつひとつの製品写真が少々荒れ気味に、

かつ大胆なデザインでレイアウトされている。

イメージ写真やイラストもポップで、

これは学ぶべきところが多いな、と思う。

眺めるにつれ、

バットマンやグリーンホーネットが活躍していた時代に

アメリカ文化の基礎は、すでにできあがっていたように思う。

↑はジョークだが、イメージとしては分かって頂けると思う。

日本や中国、欧州とはひと味違うアメリカン・カルチャーは、

ときとして、気になる魅力を発する。

さて、2冊目に、月刊「ペン」に目がいった。

クリエイティブの最前線という特集を組んでいたので、

中をペラペラとやってみて、衝動買い。

クリエイティブといっても、その範囲はプロダクト、

写真、広告、グラフィック、建築と多岐に渡っていて、

各分野のスグレモノがズラッと載っている。

普段は、こうした分野にまで網を張っていないので、

目から鱗とは、このことか。

出版社は阪急コミュニケーションズ。

いいものつくるなぁ~と、つくづく感心。

そういえば先日、歯医者の待合室で読んだ、

「GQ JAPAN」も良かった。

もう廃刊された名雑誌「NAVI」の編集長だった鈴木正文さんが編集長をしている。

記事は硬軟入り交じり、お洒落なのにかつ原発などの話題にも触れ、

鋭い言及がなされている。

他では読めないレポートは、迫るものがあった。

で、この雑誌は「NAVI」に似て、

その文字の組み方やレイアウトなどか踏襲され、

素人のデジカメ写真とは全く次元の違う写真も贅沢に使い、

プロの仕事をいかんなく発揮している。

こうなると、本の強みが見えてくる。

e-ブック(電子書籍)とは異なる価値が、明快だ。

デジタルは、デジタルとしての役目があるだろうし、

アナログ本は、それと異なる方向に活路がある。

また、コストやエコの問題に加えて、現在は

「フリー論議」も盛んだ。

フリーとは、要するにタダのこと。

世の中、タダの情報やソフト、サービスが蔓延しているが、

行く末はどうか、気になる話題ではある。

フリーは、本も例外ではない。

すでに中身がネットで見れるものの他、

著作権切れの書籍なども含め、

タダに近い状態になっているものもある。

で、このタダビジネスはどうやって儲けているかだが、

おおかた、広告などの間接的な稼ぎのスタイルが多い。

例えば、タダで読める書籍サイトがあれば、皆が集まる。

サイトアクセスが増えるので、訪問者にタダで本が読める代わりに、

そのサイトに広告を出稿する企業がお金を負担することとなる。

フリーの仕組みの一例は、簡素に話せば、こんな具合だ。

で、話を本屋の本に戻すと、

フリーという概念を吹き飛ばす価値の高いものは、

まだまだ存在する。

書籍の生きる道は、この辺りにあるような気がする。

で、その他の書籍はどうなるのかというと、

前述した価値のないものは、やはり淘汰の道を辿ると思う。

書籍も進化の真っ最中なのだ。

なんだか、

ダーウィンの進化論と重なるような気がする。

気になる教え

人を助ける人を、天は助けるそうだ。

出典は不明だが、

福沢諭吉が言いそうな気がする。

納得。

昔、人でなしには、必ず罰が当たった。

幼心に、道徳を躾けられた身には、

そうして世の中は回っているようにみえた。

だから、自らの行いに良からぬ事があると、

怖れが芽生える。

怖れは悪夢を呼び、不安をかき立てる。

私は、

悪事ばかり働いていたので、

心の休まる暇がなかった。

万事急須! 

しかし、悪人といえども、

心を入れ替えれば、天が助けてくれる。

これも、出所が不明だが、納得。

人は、やり直すことができる、らしい。

人生のリターンマッチで、

なんとか辻褄を合わせる。

誰も最後は、

穏やかになりたい、のだ。

なので、心を入れ替える。

曰く、

心が変われば、態度が変わる。

態度が変われば、行動が変わる。

行動が変われば、習慣が変わる。

習慣が変われば、人格が変わる。

人格が変われば、運命が変わる。

運命が変われば、人生が変わる。

これは、ヒンドゥー教の教えだが、

あのマザー・テレサも同じような言葉を残している。

曰く、

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。

言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。

行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。

習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。

性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

ちなみに、私たちの親しんでいる仏教も、

広義にはヒンドゥー教の流れを汲んでいる。

妙な成功本より、よっぽど面白いのだが、

いざ、実行するとなると…

そこが難しいんだよね?

静寂と退屈(ふたつの音楽)

そのときは突然訪れたので、困惑した。

まだ、中学生の頃。

私も人並みに受験勉強に励み、

寒い夜中に、石油ストーブをつけて、

ラジオを聴いていた。

たまに深夜の外を眺めて新鮮な外気に触れ、

英語の勉強をしていたときだと思う。

ふと気がつくと、

私はそのメロディーに魅了される。

シャープペンを置く。

ストーブの上のやかんの煮え立った音が、消える。

少し頭痛が出て、

そのメロディーは、外からきこえた気がしたが、

ラジオのジーっという雑音も消えてなくなり、

溢れ出るメロディーに、時が止まった。

後日、このアーティストが、

サイモンとガーファンクルと知る。

いまではたまに聴く程度だが、

当時は折りに触れ、

擦り切れるように、聴きいっていた。

「サウンド・オブ・サイレンス」は、静かに流れる。

その音楽は、

確かに静寂のなかのサウンドだった。

以来、私は窓を開け放ち、

夜空をじっと見上げる癖がつき、

その空を突き抜けた先に、意識は向かっていた。

夜のしじまに流れる、

宇宙の交信の気配を気にするようになったのは、

こうした習慣が常態化してからだと思う。

後、静寂はメメント・モリのときであり、

自分というちっぽけな存在の生を意識する儀式となり、

都会生活に於いても欠かせない確認事項であり、

独りを意識し、この世の孤独と向き合う、

格好のときとなったのだ。

一方、数年後、

私は高校生になり、

「よい子」が集っている吹奏楽部が肌に合わず、

退部する。

そのときから、学校へ行かなくなる日が増え、

家を出ても、私は反対方向への電車に乗っていた。

そして、世間で言う不良仲間が溜まっている

アパートへとしけ込む。

学校や職場からはぐれた数人の仲間とは、

たいした話もなく、

気だるい心身を引きずって、

ただパチンコ屋へ通い、

出玉でその日をどう過ごすか、

そんな日々だった。

考える事を拒絶し、

これから先に、

自分のなにが広がっているかなどとも思わず、

目の前のテレビがなにを言っているかも分からず、

ただ、こんな時間が永遠に続くとなると、

生きていることに、

とてつもない退屈さを感じた。

その頃の私にとって、

時は、継ぎ接ぎだらけの寄せ集めで

辛い時間だけ止まっている、

そんな観念さえ抱いていた。

生の輝きもなく、

それは真綿で首を絞められるような拷問に思えた。

そんなとき、

仲間の自慢のJBLのスピーカーから、

吉田拓郎が唄っていた「人間なんて」が、

いつも流れていた。

乾いた砂漠を宛てもなく歩く…

そんな自分の姿が、脳裏に映っていた。

人間なんてらららららららら…

人間なんてらららららららら…

この歌詞のらららに、

私は、むなしさのすべてを詰め込んでいた。

いまとなっては、

その時間が益であったのかどうか、

思い出す度に、

困惑する自分がいるのだが…