森のなかのニューヨーク・アート

 

 

キース・ヘリングは早死にだ。

ペンシルベニアの田舎から

大都会のニューヨークに出てきて、

瞬く間に時代の寵児となったのはいいが、

その余韻を味わう間もなく、

あっという間にエイズで死んでしまったのだから。

 

 

レジェンドの名にふさわしいアーティストだ。

いまでもその人気は衰えない。

生きていたら、現在64才くらいかな。

 

この変革が続く現在の世界を、

彼ならどんな表現を提案してくれるのだろう。

 

それはいくら想像したところで全く分からない。

さほどキースが残こした作品には、

すでにあの時点で、

鮮烈なインパクトとオーラを放っていた。

 

 

いわば完成していたとも言える。

 

キース・ヘリングがつくり出すものは、

地下鉄アートとかストリートアートとか言われるように、

高尚とはほど遠く、

街角の壁だとか塀だとかに、

いわば落書きのようにして描かれた。

 

線はシンプルで単純極まりない。

カラーリングもそれほど複雑な気がしない。

 

 

上手か否かと自問するとよく分からない。

 

けれど惹かれてしまうのだ。

なにか強烈な吸引力のようなもので、

こちらの平常心をかき乱す何かをもっている。

 

 

×××

ここ、中村キース・ヘリング美術館は、

中央高速の小淵沢インターを下りて約15分。

八ヶ岳南麓のとても静かな森のなかにある。

 

 

 

 

鳥の声とそよ風に反応する木々の揺れる音、

日射しの降り注ぐ建物が印象的だ。

なのに結果的に、

外観からは想像もつかないエネルギーが、

この建物のなかに充満していた。

ニューヨークの熱気を、

この静かな森で味わうとは、

とても不思議な気分だった。

 

 

以前でかけたニューヨークアート展は、

神奈川県の横須賀美術館だった。

 

美術館の中庭から東京湾が見渡せた。

それはそれで青く穏やかな景色だった。

 

で、今回は森のなかの美術館。

いずれ双璧をなすシチュエーション。

 

どちらも甲乙付けがたい理想の美術館だが、

今回の中村キース・ヘリング美術館の、

展示と演出が画期的かつ尖っていて、

その工夫に軍配が上がる。

 

 

本人が生きていたら、

きっと「そうだよ、これだよ!

ボクのイメージとズレが全くない。Cool!!」

って満足するに違いない。

 

キース・ヘリングはボクと同世代。

 

 

国だけでなく事情もかなり違うけれど、

その頃その時代に何が流行っていて、

どんな事件があって、

若い人たちが何に飢えていたのか?

 

僭越(せんえつ)ながらボクも少しは共有していた、

そんな気がするのだ。

 

 

そして彼自身の風貌は、

ハッキリ言ってぜんぜんかっこよくない。

(もちろんこのボクもだけれど)

 

だけど、彼のハートは、

間違いなくCoolでかっこいい。

 

それは、彼が生み出したおのおのの作品に、

バッチリと出ているから、

キース、大丈夫さ!

 

 

 

テレビを捨てよう!

 

日常のノイズは多々あるが、

最近のテレビから発せられるノイズは、

かなりひどいなぁと思うわけです。

 

報道系に関しては、

事実とは異なると思われるものが多い。

 

よりによってキチンとした服装のアナウンサーが、

マジな顔で話すので、こちらも気を張っていないと、

なるほどなどと、言いくるめられてしまう。

 

で、NHKだけど、

かなり重要なニュースが幾つか流れたその後、

考える間もなく、相撲だ大リーグの大谷が…で

アタマをかき回されてしまう構成。

 

加えて、アメリカの偏ったニュースを、

それをそのまま流していると思える事例が

多いような気がする。

 

ちなみに、

世界のニュースサイトを翻訳にかけてみてください。

西も東も関係なく、

もちろん保守もリベラルも見境なくね。

 

すると改めて世界は広いと分かりますから。

私たちは、あまりにも知らないことが多すぎる。

 

ため息が出てしまうわけです。

 

多角的にものごとを追いかけると、

世の中は「???」の連続だ。

 

日本のテレビ報道は一元的に過ぎるので、

丸呑みは禁物です。

 

あとですね、

ムカシのゴールデンと言われる時間帯の

民放を観て思うこと。

 

すでに皆さんもご存じのとおり、

どこのチャンネル回しても芸人だらけ。

とにかく、多岐に渡ってあらゆる番組に

芸人が生息している。

 

ボクは彼らを観ても、話を聞いても、

ぜんぜん面白くもなんともない。

 

時代は変わったのに、

ネタは変わらず。

しらける。

 

しまいに辛くなるから、テレビを消すハメとなる。

 

これらのノイズは思考能力を低下させるだけでなく、

自分の大切な時間を無駄にしてしまう。

 

がしかしだ、

NHK、民放でも、

映画のセレクトや自然派ドキュメント、

科学番組、そしてアート系などは、

観ていてなかなか優れているつくりだなぁと、

感心するものが多いのも事実。

 

よって、依然テレビは我が家の居間にあるわけなのだが、

それさえリアルタイムでは観れない。

 

必要なものだけを録画して後で観ることとなる。

 

(だっていろいろと忙しくて時間があわないし、

民放となるとつまらないCMが延々と流れるので)

 

というわけで、

そろそろテレビいらないか…

セカンドストリートにでも売り飛ばしてしまおうか、

という衝動にかられてしまう。

 

そのムカシ、

寺山修司は「書を捨て町に出よう」と

ボクたちの先輩方をアジったが、

いまは「テレビを捨て町に出よう」がいい。

または「テレビを捨てYouTubeを観よう」かな?

 

いや、ここは再び「書」に戻っていただきたい。

「深み」のあるものは、やはり書籍にはかなわない。

 

兎にも角にも、

いまのテレビは人をダメにする。

そしてそのうちテレビは国を滅ぼすかも知れないぞ。

(おおげさではないと思いますが)

このままではボクたちの未来はない。

 

なので、

私たちはまず生活を一から見直さなくてはならない。

そして見直しの中枢に、テレビとはそもそも何なのか?

という命題を掲げてみる。

 

まず、そこから自分のアタマで考えてみると、

なんだか新しい世界がみえて来そうだとは思いませんか?

 

メンドーな作業だけれど、情報はみずから探す。

疑問・テーマに沿って、ものごとを多角的に検証してみる。

 

そして自分なりに得たものを起点に、

意見をもち、立ち位置を決める。

 

こういう行為って、

要するに一人ひとりが際立つこと。

それがひとつの「個性」に繋がるのではないかと…

 

いまはそういう時代であるとは、思いませんか?

 

年をとると、みえてくるもの

 

だいぶ以前の話。

夕飯を食いながらテレビを観ていた。

たまたまつけたチャンネルが、歌番組だった。

 

テレビは、実はどうでも良かった。

気晴らしに観ただけだった。

 

はじめは聴き流していたが、

ふとその歌詞が気になりだした。

そしてじっと聴き入ってしまい、

しまいに、涙が溢れた。

 

ああ、

年をとったなと思った。

 

懐メロは幾度となく聴いてはいたが、

あまり古いものは知らないし、

そうした歌は、私の親の世代の歌のように思われた。

 

二葉百合子の「岸壁の母」も、

私の親の世代がよく唄った歌だろう。

 

敗戦後、ソ連からの引揚船が着くたびに、

岸壁に立って息子の帰りを待ちわびる

母親の姿と心情を歌っている。

(この歌は実話を元につくられた)

 

私は若い頃から、

この歌がテレビから流れると、

陰気な気分にさせられた。

そして、すぐチャンネルを回していた。

大嫌いな歌だった。

 

私は、戦争を知らない子供たち、のひとりだ。

しかし、こうして中年になり、

両親もいなくなり、

また人の親となって永く生きていると、

なにか他の景色がみえてくる。

 

それは流行りものでなく、

浮き沈みするようなものでもなく、

情というか、

人生に対する愛おしさとでもいおうか。

 

人ってつくづく不思議な存在だと思う。

 

いろんなものを背負って

そしていつかは去ってゆく…

 

生きるおかしさも

捨てたい悲哀も、

人は抱えきれないものを

幾つも幾つも背負い、

 

一体、何処へ行くのだろうかと…

 

ライカは面白いか

 

 

最近、カメラを手に入れた。

いぜんから狙っていたカメラなので、

獲物を捕らえた、そんな感覚がある。

 

ずっとiPhoneで撮っていたが、

あるときから一種のつまらなさを感じていた。

 

どうつまらないのか?

 

写真を撮るという行為があまりにも気軽すぎて

日常的すぎること。

写りもそこそこでほぼ失敗しないという緊張感のなさ、

なにかを写すという行為とか出来に、

しまいにはなんのありがたみも感じなくなっていた。

 

それは心底まずい、

とてもいい精神状態ではないと思った。

 

撮ることがつまらなくなると、

なにか自分のなかの大切な感覚を

失ってしまった気分になる。

それを取り返さなくてはならない。

 

そんな訳で、

一歩踏み出してみたのだ。

 

以前から仕事ではニコンの一眼レフを使用していたが、

これがとにかく機能がアレコレと付いていて、

おまけにかなり重く、機動性に欠ける。

扱いづらい。

狂いなど一切ないし交換レンズも豊富なのだけれど。

 

よって的確に設定すれば、そのとおりに映る。

仕上がりもある一定のレベル以上である。

だがそれが面白いかとなると、

そこは全くの別問題であって、

個人的には面白さに欠け、

無味乾燥さだけが残っていた。

 

そこでiPhoneほど気軽じゃなくてもいいから、

ニコンの一眼レフほど

おおげさで的確じゃなくてもいいから、

なにかいいカメラはないものか。

そんな観点からカメラを検討し始めた。

 

マトはまずコンパクトなコンデジに絞られ、

操作と写りを調べるうちにこのカメラが浮上してきた。

が、ライカを狙ったもうひとつの大きな理由は、

あるテレビ番組を観てからだ。

 

「東京漂流」というベストセラーを書いた、

作家で写真家の藤原新也が、

幼年時代に暮らしていたふるさとを半世紀ぶりに訪ねる

という趣旨のドキュメンタリーのなかで、

彼が自分のふるさとの記憶を頼りに

まちじゅうを撮りながらほっつき歩く過程で手にしていたのが、

このカメラだったのだ。

 

 

彼は気が向くと、このカメラでなんでも撮る。

もちろん彼はプロなので簡単そうに撮ってはいるが、

その写したものを見返すと、

そのどれもがある種の物語性を帯びている。

 

美しいとか上手いという印象はないけれど、

いずれもが「ドラマ性」を帯びている。

 

それがプロゆえの出来なのか、

カメラが良いのか、

そこは判然とはしないのだが、

とにかくその番組を観てから

やはりライカだなと確信してしまった。

 

ライカはもともと自分のなかのあこがれのカメラでもあったし、

コンデジならなんとか予算も合う。

という訳で機種も一気に絞った。

もう他の機種は調べさえしなかった。

 

で、どうせ買うなら正規代理店でと決め、

神奈川県に一店しかない、横浜駅至近のそごうへと出かける。

 

そのライカの正規代理店で、

簡単な設定と操作を教えてもらったが、

ニコンなどとは全く違う操作がいくつかあって

それを感覚で覚えるまで戸惑いの連続が続いた。

逆に普通の一眼レフなどにあるべき機能などが

省かれているので、そこはスパッと忘れることができた。

さらには交換レンズも一切ないので、

いちいち考える必要もない。

 

構造はいたってシンプルで、

いわば感覚的に操作するカメラ、

そんな操作に徹している気がした。

 

 

あとは慣れしかない。

 

とにかくレンズがとても明るいので、

開放で撮れば、ボケ足がきれいに出る。

暗がりを狙えば、何気ない暗がりが

やはりというべきか、

少々ドラマチックな場面に映る気がする。

 

とにかく、

つまらないを面白く、

そして日常をドラマチックに!

 

テクニックのなさは十分承知しているので、

このカメラにはかなりの期待をしてしまう自分がいる。

 

 

東京さんぽ

 

久しぶりに東京へでかけた。

人に会うためとの大義名分のもと、

結局は息抜きの時間が欲しかった。

 

普段は神奈川の山間部で暮らしているので、

街の空気がたまに恋しくなる。

 

久しぶりに新宿駅で降りる。

なかなかの雑踏ぶり。

誰もあくせく急いでいる。

これぞ都会だ。

 

青山一丁目駅へは大江戸線が最短とわかり、

乗り場を探してウロウロするも、

気がつくと新宿3丁目あたりに来てしまった。

表示板に従って歩いたのになぁ。

 

で、大江戸線をあきらめる。

至近に千代田線の乗り口を発見。

そこから乗り換えて

青山へと向かうことにする。

 

それにしても大江戸線だ。

ネットで調べると

新宿駅から大江戸線に乗り換えるのは、

かなり難しい、

分からないとの書き込みが多い。

 

いつも思うのだが、

この国の鉄道をはじめ道路の標識サインなど、

とても不親切かつ分かりづらい。

そのくせ余計なサインが氾濫し、猥雑。

大切なサインを見逃してしまう原因になっている。

 

文句はこのくらいでやめにする。

 

久しぶりの青山・ツインタワービル。

地下のラーメン屋で、

野菜たっぷりの塩ラーメンを食す。

 

ここのラーメン屋は

かれこれ30年以上営業している。

ボクが友人3人と初めて会社を興したのが、

この青山一丁目なので、

ここはかなりお世話になった店だ。

 

そのオフィスは、赤坂郵便局の裏手にあった。

ラーメン屋を出て、そのビルへ足を運ぶ。

が、既に新しいビルに建て替えられていた。

 

当時を思い起こしても、

そのときからかなり古びていた。

夜はねずみの巣のようなビルだったので、

もうないだろうな、とは思っていたが。

 

付近を見渡すと全く見知らぬ街の風景が

広がっていた。

 

アジア会館で人と待ち合わせていたので、

そこで打ち合わせを2時間で済ませ、

早々に六本木方面へと歩く。

 

元防衛庁があったあたりは、

東京ミッドタウンとして、

なかなかハイカラな街に変貌している。

 

テナントをのぞきながら歩くも、

なんだかこちらに全く縁の無いブランドものの店が

ズラッと並んでいる。

 

↓イルミネーションもしゃれている東京ミッドタウン

↑東京ミッドタウンのビルはデカい

 

居心地がすこぶる悪いので、

六本木交差点を右折し、

霞町方面へとぷらぷらする。

 

すでに陽は落ち、

街は仕事帰りのひとひとひとで、

ごった返している。

 

外人率が異常に高いことに気づく。

歩道を疾走する自転車通勤の人も、

相当数いる。

皆、かなりおしゃれにみえる。

 

ムカシはこのあたりものんきで、

安い焼き鳥屋なども数件あったが、

いまはそんな商売は成り立たないのか、

とにかく単価の高そうな高級店ばかりが目立つ。

 

走るクルマは、ベンツ、BMW、アウディが、

なんのプレミアム感も感じないほど

普通に走っている。

我が家のまわりを走っている軽自動車率は、

ほぼ皆無。

 

なんか変だぞ、東京。

 

↓乃木坂あたりから見える六本木ヒルズ

 

翌日は朝から根津美術館へ足を運ぶ。

開催中の企画展に興味はないので、

かなり長い間、館のまわりをうろつく。

 

以前から、この美術館の建物に興味があったので、

やっと現物を見ることができた訳だ

 

↓根津美術館の軒下はなかなかの風情

 

 

↑都会にあってなかなかいい雰囲気

 

ここの外観を嫌というほど見分して

ふたたび表参道へ戻り、

待ち合わせた友人と昼飯を食う。

どこも人出が多くて、

そろそろうんざりする。

 

友人はこのあたりを根城にしている

アパレル系のバイヤーなので、

一年中このあたりに生息している。

 

ボクがこの街の感想を述べると、

ふふっと笑うだけだった。

 

ボクもかつてこの街で3年働いていたが、

そのころはとても良い街だった。

コーヒーは伝説の店「大坊」があったし、

四つ角の交差点近くには、

サンマ定食を500円で食わせてくれる、

おばあさんの経営する定食屋があったし、

夜食は「青山ラーメン」があったしなぁ。

 

同潤会アパートは表参道ヒルズとなり、

道路沿いはハイブランド店がズラリと並ぶ。

 

神南に用があったのでそのまま原宿まで歩くも、

やはり異常ともいうべき人の波に、

いい加減いらいらしてきた。

 

↑いちばん派手なプロモーションはやはりルイ・ヴィトンだった

 

山の手線の陸橋を越えて

明治神宮までくると、

ようやく静けさが戻る。

 

いやぁ、疲れる東京さんぽである。

 

神南の知り合いの店で、

特製の緑茶をいただいて、

しばらく歓談。

どうやらやっと肩の荷が降りたように

思えてきた。

 

疲労こんぱい。

 

そろそろ山へ帰ろう。

それが性に合っていると、

改めて自覚した。

 

↓マリオカートのようなゴーカートが公道を走っている。みな外人。あやしい。

 

↓裕福な知り合いのポルシェ。かっこいいよなぁ

コピーライター返上

 

最近つくづく思うのだけれど、

コマーシャルと名の付くものに

惹かれるところが全くない。

これは言い過ぎではない。

 

だって、大半のCMが電波チラシと化しているのだから。

 

番組そのものも、全局を通してほぼつまらない。

もちろん、一部を除いて。

よって観たい番組は録画して、

さらにコマーシャルを飛ばしての鑑賞。

他の人はどうか知らないが、僕はそうしている。

こうした現象は僕だけなのか。

 

広告代理店の評判もよろしくない。

(そんなことはムカシから知っていたが)

それはそうだろう。

あれは利権屋のやることであって、

手数料で太り、末端のギャラは雀の涙。

 

この広告代理店からなる

ピラミッド構造を破壊しない限り、

良いものなんかうまれないし、

第一良いクリエーターが育たない。

そのうち死滅してしまう。

(だから新興勢力が頑張っている訳だが)

 

番組づくりも同様ではないのか。

永らく続いている不況で予算は削られ、

コロナで萎縮し、

新しい企画などやる意欲も、

もはや失せているようにもうかがえる。

 

ネットも同様。

いろいろなチャレンジや暗中模索は続いている。

けれど、ネガティブな面が目立ってしまう。

よく皆が口にする「ウザい」という感想がそうだ。

 

コピーライティングに関して言えば、

中身はほぼセールスレターの大量生産であり、

アレコレと手を変え品を変え、

訪問者を説得しようとする説教のようなものが

延々と続くようなものが主流。

これはもはやコピーではなく、

単なるネチネチとしたtextである。

 

で、僕たちが以前から書いてきたコピーだが、

これが正解かというと、それも違う。

もうそんな時代ではない。

僕たちが以前からやってきたコピーライティングは、

いまでは穴だらけの欠陥品かも知れない。

それが統計に数字で示される。

いまはそういう時代なのだ。

 

では、どんな方向性・スタイルがよいのかと考えても、

いまの僕にはいまひとつよく分からない。

或るアイデアはあるが、まだ試したことはない。

またネット上に幾つか良いものも散見されるが、

まだ暗中模索なのだろう。

新しい芽であることに違いはないのだが。

 

さて、いまという時代は、流れに加速がついている。

よって皆があくせくしている。

その原因は、本格的なデジタル時代に突入したことによる

変容現象とも言えるが、その他にも要因がある。

それが経済的な問題による疲弊であり、

それが相当な比率で絡んでいるのではないかと

僕は考えている。

 

余裕のない生活には、当然だが心の余裕もない。

いまはすべてに於いて何に於いても

即物的になってしまう。

 

「タイムイズマネー」でしか価値を計れない時代に、

誰も余韻を楽しむ余裕などあるハズもなく、

世知辛いとはまさにこの時代のことを指す。

 

とここまで書いて、

「ではコピーライターのキミはいま、

いったい何をやっているのかな?」

と問いかける自分がいる。

 

「僕ですか?

そうですね、越境ECの立ち上げですかね?」

 

「それってコピーライターの職域なんですか?」

 

「できることは何でもやりますよ。

肩書きなんてものはあまり関係ないですね。

特にこれからの時代は」

 

「そういうもんですか?」

 

「そういうもんです、ハイ!」

 

 

青春レーベル「男の世界」

 

高校の頃に流行った歌といえば、

まず思い出すのが「男の世界」。

男性化粧品のCMから火がついた。

商品ブランドは「マンダム」。

歌うのはジェリー・ウォレス。

 

このヒットで丹頂株式会社は

社名をマンダムに変更した。

それくらいヒットした。

だって、みんなマンダム使ってましたからね。

一方、ジェリー・ウォレスは、

その後のヒットはなかったと思う。

一発屋だった。

 

マンダムも歌も売れに売れた。

その要因だが、これはひとえに

CMに出ていたチャールズ・ブロンソンが、

カッコ良すぎたから。

そう言い切れる。

イマドキはいない渋い役者。

男臭さが全身から漂っていた。

二枚目のアラン・ドロンとは

全く違う方向性をみせてくれた。

 

ちなみに私たちの時代はというのは

男らしさに重きが置かれていた。

喧嘩して殴られても「泣くな!」なんです。

男は黙って…の時代だった。

 

よって高校時代は私もまわりも

ほぼみんななんだか殺気立っていたっけ。

それが青春というものだったのかどうか、

いまでもよく分からないけれどね。

思い出せば、

町田の商店街でよく他校の奴ともめた。

横浜駅近くでもよく殴られた。

殴り返したら、向こうに

刃物を出されたこともある。

理由は些細で実にくだらない。

イマドキはダサいとなる。

 

まあそんな時代だったが

街にはかわいい子もいっぱいいたし

海もディスコも楽しかったし、

なかなかいい時代だった。

 

そういえば、女の子は女の子で、

まだ女性らしさというものが求められていた。

このらしさというのがなかなか難しい。

いまだによく理解できていないけれど、

それはこちらの鈍さか…

 

とにかく「らしさ」が求められる時代でした。

そんな時代です。

それに合わせるように、

あの渋いオトコの中のオトコ、チャールズ・ブロンソンが

「男の世界」の音楽に合わせて登場、

顎に手をあてて、「うーん、マンダム」と言う訳だ。

コレ、売れない訳がない。

 

イマと違ってヒットの方程式は、

意外と簡単につくれた。

 

でですね、この「男の世界」という歌とか、

チャールズ・ブロンソンという役者とかだが、

イマドキだと全く世間に相手にされない訳です。

干されてもおかしくないベクトルをもっている。

イマは誰もそんなものは求めていない。

というか、差別とかいう単語がちらつきます。

 

そんな世の中になりました、ハイ!

 

 

フェイク旅行記

 

遠いむかしだが、

私は出版社で編集者として働いていた。

それ以前はちょっと気張っていて

独立してノンフィクションの分野をめざそうと、

ルポルタージュの教室へ通ったこともあった。

 

が、これはやめることにした。

己の力量がないことが徐々に判明したからだ。

で、早々に進路を変更し、

まずは無難な出版社に潜り込むことにした。

 

出版社といってもいろいろある。

総合出版社は別として、

各社には得意分野というものがある。

また、硬派、軟派系でも分類できる。

 

私の場合はたまたま趣味・娯楽系で、

当然、硬派であるハズもなく、

取り扱う内容も肩の凝らないものが多かった。

 

だからといって楽な仕事である訳ではない。

この業界の仕事はかなりどこもハードである。

いずれ、例外というものはなかった。

 

さて、私がその出版社で働くようになって、

想定外のことが次々に起こった。

まだ新人だった私への指令というか命令というか、

その一連の内容がいちいち無理難題なものばかりで、

理不尽さを感じた。

 

たとえば、こんなことがあった。

夜の10時頃になって、

やれやれと帰宅しようとすると、

「明日の朝までに××の取材予定の現地が

撮影に適しているか、これから行ってみてこい」

 

また、こんなこともよくあった。

印刷前の校正の大詰めの時期に、

或る事情から記事の差し替えとなり、

徹夜で新しい記事を書いたり写真を探したり…

 

毎日が予測不能の連続。

 

あるときは、評論家さんの原稿が届かず、

雑誌2ページ分の穴がぽっかりとあいてしまった。

これは嫌な予感がした。

私はデスクに座っていてその事情を知り、

下を向いて調べものをしているフリをしていると、

「おっ○○君、ちょっと!」と呼ばれたので、

これはまずいと思った。

「はい」とこたえて部長に顔を向けると、

「お前さ、いまから八重洲に行って、

世界中の観光局まわってね、

ここいいなぁっていうとこ決めて記事書け」

「はぁ」

 

私はうんざりとして山の手線に乗り、

当時は八重洲にあった世界各国の観光局に出向き、

観光パンフレットを山ほど集めた。

そして八重洲の地下街の喫茶店でぐったりしながら、

各国のパンフを猛烈なスピードで目を通した。

 

会社に戻ると部長が獲物を捕らえたように、

ニコニコしているではないか。

「○○君、ただの観光ガイドじゃ駄目だぞ。

本当に行ってきたような記事にしろ。

体験記だよ。分かる?

要するにリアリティだよリアリティ!

面白くな、頼むよ」

 

「旅行記ですか?」

 

「そう、決まっているだろ。

単なる観光案内じゃつまらんしな」

「………」

 

結局、私が書いたフェイク紀行文は、

ギリシャのミコノス島だった。

私はミコノス島なんて、

当然行ったこともみたことさえない。

ただ、パンフレットに載っていた

青い海と島の白い建物の写真が

とても美しかったからなのだが。

 

そのフェイク紀行文は2時間でできあがった。

が、どこか嘘くさい。なにかが不足している。

それは自分がフェイクと知っているからなのか、

客観的に読んでも嘘くさいのか、

そこが判然としなかった。

 

そこで、近くにいた出来る先輩に

その原稿を読んでもらうことにした。

先輩が難しい顔をして、

そして「ふむ」と呟いた。

で私にこう告げたのだ。

「これ、嘘くせぇな、

現地へ行って書いていないのがバレバレだぞ」

先輩の目が意地悪く笑っていた。

 

結局、締め切りの時間は刻々と迫り、

その記事は多少の手直しで掲載されてしまった。

 

一応ではあるが、

高潔な夢を抱いてこの世界に入った若者(私)は、

こうしてフェイク記事に手を染めてしまった訳だ。

 

私は次第にこうした世界に、

私のような奴がごまんといるような気がしてきた。

それはこの業界に長居しているうちに、

徐々に分かってきたことだが。

 

悪意という点に於いて、

政治・経済系のフェイク記事は、

より多くの読者をあらぬ方向へと導いてしまう。

偉そうなことを言える身ではないが、

真実を伝えるのはそれ相当の努力と覚悟がいると悟ったのは、

その頃からだった。

 

後、ことの大小はあるにせよ、

数々のフェイクを経験した私は、

広告業界へと進路を変更した。

 

この頃、ノンフィクションは当然ながら諦めていた。

不誠実な自分にはとても務まりそうもない分野だと

十分思い知ったからだ。

 

そして自分の素養が「つくりごと」に向いている、

そんなことに気づいたのもこの頃だった。

広告がそのひとつのような気がした。

 

広告というのは、まず「これは広告です」と宣言する。

ニュース記事などとは違いますと読者に分かるような扱いにする。

そして広告なのだから、

「内容はとうぜん広告主の我田引水ばかりですよ」と謳う。

事前にこれだけでも伝えることで、

以前の私のフェイクよりは罪が軽減される。

そう思ったからだ。

 

そして、この広告の世界で心底思い知らされたのは、

今度は皮肉なことに、つくりごとの難しさだった。

広告の制作過程は星の数ほどあるけれど、

結局ハイレベルなつくりごとを競う場である。

広告作品の出来不出来、評判というのは、

ひとことではあらわせない複雑さが関与するが、

それが広告におけるつくりごとの難しさだった。

 

広告業界の誰もが日々悩んでいるのは、

結局つくりごとのレベルであり、

狙いどころであり、

時代性なのではあるまいか。

端的にクリエイティブの差とは、

そういう諸々の要素が複雑に絡んだ結果、

なのかも知れない。

 

出版と広告は、とても近いようにみえるが、

実はまるで内容そのものが違う。

それはカワウソとイタチの違いを、

遠目で見分けるような難しさに似ている。

 

 

気になるアラカルト

 

●眞子さまって誰

小室圭さんという人がなぜ世間で騒がれているのか、

最近になってやっと分かってきました。

一見、好青年。

が、いろいろな事情が絡んでいるらしい。

で、眞子さまは誰の娘さんだろうと

ウチの奥さんに聞いたら呆れていまして、

「そんなことも知らないの!」

なんだか興味がないと何も覚えられない…

浦島太郎状態です。

「小室圭」の画像検索結果

 

 

 

●トランプと習近平

米中貿易戦争が本格化しそうです。

いまのところ、米国が中国を圧倒しています。

関税の争いとなると、米国に有利です。

まあ、中国の輸出量が膨大ですから。

しかし、ある説によると、

実は中国のほうが最終的に米国に勝つのではないかと。

米国の国力は低下しています。

経済も、一見好調と皆いいますが、

とてもバブリーな金融主体の国なので、

あぶないとの説も。

そもそもこれは経済戦争なのか、

そこが問題でして、

イデオロギーの戦いのようにもみえるし、

世界の覇権国としての争いのようにも映る。

いずれ、とばっちりはご免ですね。

 

 

 

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●マックよりおいしいよ

バーガーキングがうまい。

いまはもう閉店してしまったようですが、

湘南台のバーガーキングで初めてワッパーを食して、

それ以来ファンになりました。

肉とケチャップがやけにアメリカっぽくてね。

先日は相模大野のバーガーキングで休んでたら、

カーティス・メイフィールドのスーパーフライを

ガンガン流している。

近くに座間キャンプもあるし、まあ本格的。

マックとかフレッシュネスにはない雰囲気なのに、

日本ではイマイチ売れない。

また撤退しちゃうのかな?

 

 

●ユーチューブ広告は救われない

ユーチューブ有料版というのがあって、

お金を払えば広告なしの動画、音楽が楽しめる。

当初は月額にして、1180円。後1550円になるらしい。

思えば、不思議な現象である訳です。

広告を観たくないのなら、お金を払えば解決する。

料金は結構高いと思いますね。

いかに広告収入が大きいかという裏付けでもあります。

私が不思議と思うのは、そんなに嫌がっている広告なのに、

ユーチューブに出稿する広告主がいる、ということでして、

私が宣伝部長でもやっていたら、ユーチューブへの出稿は、

まず予算が余っていても外します。

要は、ユーチューブと広告は相性がよくない。

テレビやラジオと何が違うのか?

そこをよく考えると回答が出るのですが。

 

 

 

●ふたりのカメラマン

最近、木村伊兵衛の写真をみる機会に恵まれ、

彼の人となりも一応目を通した。

そこでどうしてもアタマに浮かぶのが土門拳。

同世代のふたりのライバルは、

いかに仕事に取り組んだのか?

そこに興味が湧いた。

洒落た出で立ちと作風の木村伊兵衛。

パリの街角とか人を撮らせると、

右に出る日本人写真家は皆無。

対する土門は、東北出身で粋な木村と較べると、

かなり土着的で地味な印象を受けるが、

作品をみると、どれも骨太で凄みがある。

これは好みの問題だろうが、

私は土門拳の作品に傾倒してしまう。

そして土門拳賞を受賞した鬼海弘雄が、

最近とても気になる。

彼の写真集「PERSONA」は、

浅草浅草寺を訪れる、いわゆる癖のある人たちを

20年に渡って撮り続けたものを収めた写真集なのだが、

ページをめくるたび、

彼がなぜその人を写真に収めたのか?

それが滲み出ている。

一見の価値がある。

筑豊のこどもたち

 

PERSONA

 

 

カーティス・メイフィールド

新会社、妄想中

 

新しい会社の名前を妄想中である。

別会社だけど、たいそうなことではない。

個人事業でも構わないと考えている。

その場合は屋号というのかな。

 

当初、エジソン・ライトハウスとしたが、

これはすでに存在していたので、却下。

次にレッド・ツェッペリンというのが閃いた。

しかし、ご存じのようにあのツェッペリン号は、

空中で大爆発しているので、なんか縁起が悪い。

そもそもレッド・ツェッペリンとは、

失敗の意味でも使われていたと言う。

で、これも却下。

 

現在最も有力なのが、

バニラファッジという名前である。

バニラファッジは、イギリスの国民的お菓子である。

名前のとおり、甘い食いものである。

 

で、これらの候補は、

気づいた方もいると思うけれど、

いずれも60~70年代に活躍した

世界的ロックグループの名ばかり。

 

バニラファッジのヒット曲、

「キープ・ミー・ハンギング・オン」は、

当時少年だった私には、凄いインパクトだった。

レッドツェッペリンの「天国への階段」も、

エジソンライトハウスの「恋の炎」も相当良かった。

いまもって忘れられない音楽だし、

これらをネーミングにするのは悪くないと考えた。

 

さらには「ホワイトルーム」のCREAMも候補にしたが、

次第に混乱してきて、結局はやめた。

 

で、この新しい会社というか

新組織はなぜ必要か、なのだが、

凄い稼いでやろうとか、

そういうのでは全然ない。

 

むしろ、やることを減らす、

嫌なことはやらないなど、

結構うしろ向き。

 

唯一、好きなことしかやらないとする一点において、

妥協のないよう検討している。

 

仕事としては、取扱品目を極端に絞り、

ライティングのみに集中すること。

ライティングが入り口の仕事であれば、

その後も前も引き受けます、

というスタンスにしたい。

 

なぜなら、ライティングから入る案件は、

それなりにテキスト重視であり、

それを核として組み上げるからこそ、

他とは違ったものが制作できる。

 

重要なのは、広告に文字は不要、

または重要ではないと考える

企業などがあるので

そこを切り離したいと思った。

 

ひと口にライティングといっても

広範な守備が必要となるが、

そこは私的な仲間やネットワークに

多彩な才能が眠っているので、

取扱品目を減らす代わりに、

多彩な案件を受け入れたい。

 

また、ネット上のライターたちとの違いを、

価格と品質においてもバッティングしないよう整備し、

一線を引きたいとも考えている。

 

私たちの仕事は、

クライアントに寄り添って仕事をしている。

これは、ある意味、とてもやりがいのあること。

しかし、なかには意にそぐわない案件もある。

意にそぐわないとは、

広範にわたるからひとことでは言えないが。

 

嫌なことはやらないとする方針は、

新しい組織にとって欠かせない事項である。

さらに、好きなことしかやらないというわがままも、

この際必要不可欠となってきた。

 

あるときから、好きなことしかやらないが、

嫌なことはやらないという心境より優勢となり、

これが基本方針に変わった。

 

好きなことしかやらないとは生意気な、

と言われそうだが、

そして、そんな仕事が成り立つのかとの

疑問も起きるが、

そこは、試しである。

 

実験である。

 

とにかく、好きなことだけやって、

生きていけるか?

この賭けはいまのところ読めない。

こういう場合、果たしてAIは、

この問いにどんな回答をだすのだろう?

 

この世界には、魑魅魍魎が跋扈している。

しかし、勘としての勝算はある。

 

まあ、少しでも仕事が動けば、

生きる自信に繋がるような気がする。