みそ汁をつくる

割と早起き、というか仕事柄、朝まで起きていることもしばしばあるので、まず、台所に立ち、石けんで手を洗う。これは、私の朝のケジメをつける儀式でもある。次に一杯の御神水を、まっさらな湯飲みでありがたく頂く。普段は普通の水道水なのだが、この御神水に関しては、後日、占いのお話で詳しく書く。
いや待て、その前にご先祖様に備えるお水を、五つのコップに注ぐのを忘れていた。この儀式も済ませないと、私の朝は始まらないのだ。
いろいろと朝は、儀式の行列なのだ。
まず、お茶を飲むため、ケトルでお湯を沸かす。さて、ここからが今日の本題だ。
男子厨房に入らず、というしきたりは、ウチでは死語だ。掃除だってなんだってやるのだ。これは、修行といってもいいだろう。特に掃除は、仏道では基本中の基本といってもよい。掃除を終えると気持ちも体もスッキリするのは、なにか異空間の空気が流れ込むからだろうか、実働以上にすがすがしい。
話が大きく逸れた。次。
我が家も、トーストとスクランブルエッグなどと、格好いい朝食の時代もあったのだが、アレコレ試行錯誤の上、いまでは玄米入りのご飯とみそ汁に漬け物などのおかずが少々、というスタイルに落ち着いた。子供たちも同様だ。誰も文句は言わない。朝食とはこういうものなのだ、という不動の信念が家中に漂っているのだ。
で、みそ汁なのだ。
まず、鍋に適当に四人分であろうと思われる水を入れる。私の場合、あくまで目分量。それをレンジの上にのせるのだが、間違っても火を入れてはならない。まず置いておいて、冷蔵庫を開け、全体をチェックする。そろそろ傷みそうだな、などと思われる大根などがあると、ちょっと微笑んだりする。不気味ではある。
というわけで、今日の朝飯は、大根のみそ汁に決定。
おもむろに、大根を10センチぐらいの長さのところで、ザクッと包丁を入れ、ぶった切る。そしてまわりの皮は、0.5ミリぐらいの厚さで、包丁で均一にかつら剥きにして
捨てる。このかつら剥きだが、コツは、包丁を上下に動かしながら大根をゆっくり回してゆくとうまくできるようになる。
で、ザクザクと大根を輪切りにしてそれを重ね、これも均一に切ってゆくとあーら不思議、マックのポテトのような大根の具の出来上がりなのだ。パチパチ
これを鍋に入れ、はじめてレンジのスイッチを押す。要するに、水から茹でると美味しい大根のみそ汁が完成するのだが、ふぅーなどと気を抜いてはならない。
大根のみそ汁には、いとしい恋人のように、油揚げが寄り添うことを忘れてはならない。油揚げは、適当な時間になったら鍋に放り込み、大根と混ざり合うのをじっと見届けるのだ(変だよなー)。
私の場合、グズグズと沸騰する前に、生協のダシの素を大さじに一杯とちょっと入れる。ここで「あなたはなぜ生協のダシの素なのか?」という疑問が生じるだろうが、ここでは語らない。話が長くなるので、この事柄も後日にまわす。
さあ先を急ごう。沸騰してきたら3分は暴れさせよう。大根と油揚げのディスコタイムだー! 大根に芯まで火が通るまで、ともかくこの間だけは先を急いではならない。その間に味噌とおたまを取り出し、この量だ!という強い意志の元で味噌の塊をおたまに乗せる。
鍋の大根が適当にしなっとしてきたら火を止め、味噌の乗ったおたまを鍋のなかに浸し、さいばしでゆっくりゆっくりと溶かしてゆく。
ハイ、お疲れ様。これで大根のみそ汁の完成なのだが、確認のため、最後に小皿にみそ汁を少量入れ、味をみる。そして「うん」などと、ひとりでうなずいたりするのだが、時を同じくしてケトルもけたたましく湯気を出したりするので、油断がならない。
こうして私の朝は始まるのだが、ぼぉーっとしているオヤジとはほど遠く、ときおり気の抜けない日々を送っている。事はみそ汁なのだが、気持ちを引き締めてかからねばならない。眠い目をこすりながら新聞をふんぞり返って読むなんぞ、私にとっては夢のなかのお話なのである。
だから、みそ汁をつくり終わった後の、熱くて香ばしい緑茶が、よりいっそう美味いのである。

「みそ汁をつくる」への2件のフィードバック

  1. 味噌汁☆
    朝から作るなんて偉い♪
    スパンキーさん、理想の旦那ですね!!w

  2. いやいや、フツーですよ。それより、夕飯つくるのって大変じゃないですか。それをこなしているダンナもいる訳で、それはそれでスゴイですよねー!

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