やはり愛 なんだろうなって…

本当はね 人の強さ 弱さについて

布団の中で

しばらく考えていたんだ

きっと外は白じんでいるだろう

そんな時間

いまこの世界は

強者の論理で動いていて

一応 やさしさの演出として

介護だったり

車椅子でも通れるバリアフリーとか

セイフティネットの充実とか

孤独死を防ごうとかね

でもね

一人ひとりにその気がないのなら

みんなの眼は冷たいよ

別に

段差なんかあったっていいんだ

バリアフリーにしなきゃならないのは

私なのであり

あなたであり

そこの君であり

そういうのを社会っていうだろう

そんなことを考えていたら

すっかり陽が差してきたようで

悲しいな

どうしたらいいのだろうって

ウロウロしていると

久しぶりにこの歌に出会ったんだ

こんな感じさ

この世界がお花畑でね

そこにあなたの笑顔が輝き

そうしたら

それは金色のヒマワリのようだ

私はどこにいても

あなたのことを想っている

月あかりの下

私はあなたを訪ねる

たとえ暗闇のときでも

あなたは明るく輝いて

あなたは青い眼を持つひまわり

私はあなたのために

すべてを捧げる

それを歌にして

私は歌おう

あなたが私にもたらす喜び

わたしたちがめざすもの

それは

この世界にもっと花畑を広げること

精一杯

世界中を花で満たすことなんだ

いずれにせよ

やはり愛

なんだろうなって…

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乗り越える力――レジリエンスとは?

レジリエンスとは聞き慣れない言葉だが、

ひと言でいうと、

折れない心をつくる―となる。

私は或るテレビ番組で、この言葉を知った。

私的に言えば、ここまで生きてきて、

挫折した人間を何人もみてきた。

立ち直った人間もね。

鬱になっちゃった奴、自死した人…

辛い記憶は、こちらもそう簡単には癒えない。

折れない心か…

レジリエンスはもっと言えば、

逆境から立ち直る力とも言い換えることができる。

肉親の死、自らの病と、

最近の私は嫌な事の連続だったので、

まあ、一時は心が折れそうになりました。

で、立ち直ったかと聞かれれば、いまは道半ば。

…これからですね。

ウィキによれば、レジリエンスとは心理学用語。

精神的回復力、抵抗力、復元力、耐久力などと訳される。

要するにこうだ。

極度の不利な状況に直面しても、

正常な状態を維持することができる能力、

という定義。

これは、結構厳しいなぁ。

私たちは、兵士ではない。

特殊訓練を積んだグリーンベレーでもない訳で、

また、禅の求道者でもないしね。

がしかし、経験上、強い奴はいるにはいる。

一般的に心が強いというと、

神経の図太そうな丈夫そうな人をイメージしますが、

レジリエンスは少し意味合いが違う。

例えば、ストレスの強い状況などに一喜一憂しない、

感情をコントロールする力。

これもレジリエンス。

これは心が鈍いのではなく、

自分の力をしっかり評価するとか、

自尊感情が大きく関係するという。

だから一喜一憂しない。

辛いことがあっても失敗しても、

自分は成長している、

前進していると考える思考と感情。

レジリエンスを持つ人には、このように特徴的な要素があることが、

最近の研究で分かりつつあるとも。

まあ、カギはなにはともあれ、楽観性なのでしょうか?

レジリエンスは心理学的アプローチだが、

これを実践するとなると、

ある意味、宗教的であり、哲学的でもある。

これからの時代に欠かせないキーワードであることは確かだ。

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夏の匂い

さわさわと降る雨に

草花はいっせいに蘇り

細い小径が湧き立つ

よける枝を掴んで歩くと

やはりいのちなんだなぁ

その葉

匂い 

葉のしずく

むせ返る生々しさに

遠い風景が重なる

夢をそんなことと笑っていたその頃

私はどんな色をしていたのだろう

忘れられない一葉の写真に沁みた

或る日

埋もれた記憶は呼び起こされ

白い砂浜に波の音が流れて

背後に

ざわざわとさとうきびが揺れている

18の夏だろうな…

きょうも小径は

青々と勢いが増し

いのち匂い立ち

陽ざしが無数のドラマを紡いで

この夏の日がはじまる

さあ

いまさらだけれど

などと思いながら

私の物語を

始めるとしようか

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ワイルドで行こう

エンジンをガンガン回せって

そして高速をめざそうぜ

さあ冒険だ

これから何があろうとも

あるがまま

オレはね

この世界を

愛でいっぱいにしたいんだ

お前のその銃なんか役立たずだよ

宇宙の彼方へ吹っ飛ばしてやる

オレは

タバコと稲妻が好きなのさ

ヘビメタな音が風と争い

オレが負けって…

そう それでいいさ

オレはね

この世界を

愛でいっぱいにしたいんだ

お前のその銃なんか役立たず

宇宙の彼方へ吹っ飛ばしてやる

オレたちは

この自然界から産まれた

とても自由に生きるために産まれてきた

が 来るところまで来てしまった

死にたくなんてないさ

死にたくない…

自由に生きるために産まれたんだ

ワイルドに生きるために

産まれてきたのさ

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神奈川のヘソについて

神奈川県の中心は横浜だが、

地理的な中心は何処だろうとよく考える。

東名高速で有名な海老名とか厚木周辺は県央と呼ばれる。

ここは北部が山で覆われ、中心部は平野なので、

真ん中に位置するにしても、

別段ランドマーク的なものがない。

で、もう少し南へ下ると、茅ヶ崎や平塚となるが、

ここにちょうど神奈川県のヘソのような山がある。

高麗山、別名湘南平だ。

高麗山は平塚市にある。

丹沢山塊を背に、ただっ広い田園地帯を走っていると、

忽然と現れる山だ。

神奈川も横浜を除けば田舎だ。

空がでかい!

田畑と山がいまだに結構ある。

海にも近いここ、高麗山は、

東海道線の平塚駅と大磯駅の中間あたりに鎮座する。

頂上に登ると、風がそよそよと吹いている。

桜の花の散り際だった。

写真 4

展望台から360度見渡すと、

北東方向に、川崎の高層ビル群が霞んで見える。

北は山、山、山。

丹沢山系だ。

西方向も山だが、空気が澄んでいれば、

箱根や富士山が拝める。

写真 3

で、伊豆半島がぐっと延びて、

南の正面が全面的に海だ。

東南方向に江ノ島が浮かんでいる。

写真 2

ここから眺める景色が、

きっと神奈川県の真ん中から眺めた絵なのだろうと、

私は勝手に思った。

地形的にみて、この高麗山の出っ張りが、

神奈川のヘソだろうと…

以前、横浜のマリンタワーのてっぺんから

ぐるりとまわりを見渡したことがあるが、

あそこは神奈川の中心ではなく、

京浜工業地帯の中心だと思う。

また、大山からの景色も一望したことがあるが、

確かにそれは神奈川を上から見下ろしたような絵だった。

そんな訳で、神奈川のヘソは高麗山であると、

だからどうしたと言われると何の返答もできないが、

今回は神奈川のヘソが決まった、というレポートでありました!

湘南平

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20世紀少年

「おっ すげぇ」って友達が言うのさ

最高だって

他のみんなも言ってたのさ

まるでロビンフッドだって…

そう ボクは普段

猫みたいに動き回るのに

雄羊のように突進もできるのさ

そして蜂のように刺す

でもって

飛行機みたいに飛び回れるし

クルマみたいにも突っ走れる

チキンみたいに大騒ぎもするさ

なっ 分かるだろ

キミにボクは必要だって!

あのね

ボクはキミに近づきたいんだ

見れば分かるだろ

キミはボクに必要な女性なのさ

そう

ボクがキミの相手なのさ

それでどう?

キミの

20世紀のオモチャになってあげるよ

キミの20世紀のオモチャさ

なっ 分かるだろ

ボクはキミに近づきたいんだ

そしたら

ボクはキミの20世紀少年

キミの相手はボクしかいない

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夢ありき

春は嵐

妖しい季節なんだ

桜jpeg

出会いも

別れもさ

心乱れ

咲き乱れるし

IMG_0338

伸びろ 伸びろって

噴き出すエネルギー

いや不安なんだよ

そして

夢もありきでね…

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横浜のクラシックホテル

いまでこそ蒼々たるホテルが建ち並ぶ横浜だが、

これもつい最近のことのように感じる。

私の「最近」という感覚は10年単位だから、

正確さには欠けるが、そこは勘弁。

新進の大型ホテルは、だいたいがみなとみらい地区か、

新横浜駅周辺に集まっている。

特にみなとみらい地区は、ランドマークタワーにある

ロイヤルパークホテルをはじめ、

インターコンチネンタルホテル、横浜ベイホテルなど、

かなり林立している。

このあたりに幾度か宿泊したことがあるが、

こちらの感覚からすると、横浜というより、

なんというか、

東京のお台場地区となんら変わらない。

加えてゴージャスな夜景を眺めていると、

無国籍な場所に佇んでいるようで、

どうも気持ちが落ち着かない。

ゆっくりしたいな、と心底思うときは、

やはり山下公園近くのホテルをとる。

規模は大きくないが、少し廃れがちに、

がしかし、

由緒あるホテルがある。

この付近は、みなとみらい地区に比べると、

夜もさっと人が退ける。

それが寂しくもあり、

こちらとしては嬉しいのだが…

通り沿いを歩くと、店数は少ないが、

ポツポツと良い店がある。

ホテルニューグランド内のカフェも、

そのひとつだ。

重厚な石造りの建物に一歩足を踏み入れると、

きらびやかさや派手さはなく、

クラシックホテル内の店にふさわしく、

気品と格調が漂う。

本館(旧館)の入口近くにあるこのカフェは、

椅子もテーブルもゆったりしていて、

窓際の席からは、

山下公園沿いの通りを眺められる。

特に、陽が落ちてからの窓の外は、

明るすぎない街路灯と並木道で、

ぐっとシックな絵となる。

私は、ここへ来ると必ず中庭に出てみる。

歩いて、芝生、石畳、石像と眺める。

どれもが古くも情緒があり、

ゆったりとした気持ちにさせてくれる。

新館ができる前、この本館へは幾度か宿泊したが、

やはりクラシックホテルの名にふさわしく、

部屋のドアの磨き込まれた真鍮製の取っ手や、

ベッド脇のクラシカルなスタンドが印象深い。

ワードローブや調度品も、年代物だ。

エントランスから2階へ上がる階段は広く、

そのラインが優雅なアールを描く。

とりわけ、艶光りする木製の手すりが目を惹く。

足元に敷かれた赤いジュータンも、

踏みしめる毎の感触に、その優雅さが伝わる。

この階段下のすぐ横に、

あの伝説のバー「シーガーディアン」がある。

サザンの歌の歌詞にも出てくる、例の店だ。

私はアルコールをやめたので入らないが、

横を通る度にちらっと店内を見ると、

紳士・淑女とおぼしき方々がカウンターに腰掛け、

くつろいでいるのが見受けられる。

ちょっと、敷居が高い。

戦後、マッカーサーが厚木基地に降り立ち、

ここを常宿としたことは有名らしいが、

私はこの話をつい10年くらい前に知った。

また、皇族をはじめ、イギリスの王室や、

あのチャーリー・チャップリンも、

ここを訪れたという。

いまは日本発のイタリアンレシピの定番である、

ナポリタンスパゲッティやドリアも、

当時のこのホテルの厨房が考案したものと、

あるテレビ番組を観て知った。

私はそうしたことをなにも知らず、

ただこのホテルが好きで足を運んでいたのだが…

歴史的なエピソードが幾重にも重なり、

そのひとつひとつが物語として成立している、

ホテルニューグランド。

クラシックホテルの名に恥じないその趣が、

私だけでなく、

ここを訪れる多くの人たちを魅了するのだろう。

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カッコイイとはなにか?

「カッコイイとは、こういうことさ。」と、

すでに答えがあった。

映画「紅の豚」のキャッチフレーズである。

このコピーは、糸井重里さんの作。

宮崎駿さんの意を汲んで、

このコピーはできたのだろう。

「紅の豚」はまず、

主人公の姿が豚、というのがミソだと思う。

なぜ豚なのか?

そこが曰わく付きなのである。

理由は面倒なので割愛するが、

さすが、カッコイイ豚らしく、

その理由がある。

観ていない人は、そこんとこ、確認してください。

で、この豚の主人公の名はポルコ。

腕に覚えの、賞金稼ぎの飛行機乗りだ。

飛ばない豚は只の豚だ、というだけあって、

この豚、只の豚では当然ない訳である。

舞台は、紺碧のアドリア海。

時代は第一次世界大戦後の混乱期。

どこにも属さない、

フリーの飛行機乗りという設定が、

またカッコイイではないか。

でですね、この主人公ロッソだが、

コイツのやることなすことが、

いちいちキマっている。

台詞も渋いことばかり言いやがって、

ま、例えるなら、

ハードボイルドとでも言おうか。

そんな路線で最後まで突っ走る訳です。

アドリア海一の飛行機乗り。

主人公のポルコは、みんなのスター。

ついでに、オンナによくモテる。

とまあ、ここまで書いてなんとなく思うことは、

この映画は、人は外見ではないですよ、という、

言い古された教えなのか。

だから豚なのである。

すっげぇ分かり易い例え話。

似た例えでは、

ディズニーの「美女と野獣」というところか。

がしかしである。

どちらも実はホントは、

外見もカッコイイ王子様とか、

イケメン飛行機乗りという設定が、

ちょっとひっかかる。

ここ、見逃せません。

ここんとこを、流してはイケナイ。

事情は複雑です。

だから私はこのように思った訳です。

確かに、カッコイイ生き方ってあるのだろうと。

がしかし、やはり外見って外せないのかって。

わざわざ豚にする意味。

そこが分かり易くもあり、

誰もが実は、

本音と建て前の境をさまようのだろうか?

「カッコイイとは、こういうことさ。」と、

もっとさらっと本音から言えると、

人生って誰も平等に面白いハズ、

なんですけれどね!

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骨董ミステリー

コレクションの趣味はないが、骨董好きなので、

ちょいちょいと骨董屋へ通っている。

最初は、浮世絵が好きだったのでそんなものばかり

見に行っていた。

特に広重がいいなぁと思うも、そんな凄いものはなく、

まぁ、無名のものでも良いものは揃っている。

江戸の浮世絵の優れた点は、ヨーロッパの絵のように、

「受胎」とか「ビーナス誕生」とかそんなクソ難しいテーマではなく、

「大はしあたけの夕立」とか「亀戸梅屋舗」とか、

何気ない日常を描いていることと思う。

雨

広重

そんなことを考えながら、絵のなかの風景や人の表情、

仕草、着ているもの、建物、

そして裏刷りの確認、年代の裏付け、

紙の焼け具合などをチェックしていると、

その時代に遡ったようで面白い。

江戸時代から開国、そして版画も日清・日露戦争など、

図柄も戦記物へと変遷するが、

この頃になるともうつまらない。

そんなものを一通り見た後は、

焼き物へと目が移るのだが…

焼き物は鍋島が飛び抜けて美しい。

シンプルで清楚。

青磁を生かした文様が際立つ。

伊万里

が、外人には古伊万里が人気だ。

赤や金を施し、こちらはかなり派手である。

古九谷または九谷も人気らしいが、

九谷焼きは、どうも色がきつい。

私の好みではない。

という訳で、

古伊万里や九谷はいま、

かなり諸外国へ流れているとのこと。

古伊万里

九谷

また現在海外で人気なのが、どうも漢字である。

漢字はその名のとおり、現在の中国が発祥だが、

中国漢字と日本漢字は、やはり違う。

書というのは、時代、国、書法など、

人それぞれの好みの問題となるが、

やはり私は、日本の仏教人の書いたものに惹かれる。

先日、あの一休宗純禅師の書というものを目にした。

これには私もかなりの疑いをもっていたので、

とりあえずiPhoneで撮影。

そして幾度となく、ネットでチェックを試みた。

結果、これと全く同じものが、

京都のとある寺に納められていると知った。

となると私が目にしたものは贋作かということで、

隅々まで双方の写真を確認したが、

未熟さのせいか、その違いが分からない。

昔の贋作の方法としては、本物を横に、

腕の覚えのある人間が何枚も何枚もまねて書く、という方法と、

本物の上からなぞる方法があるらしい。

私も書道を少しかじっているので、

その筆の置き方、走り具合、

かすれなどを細かく見ているつもりだが、

とても贋作とは思えない出来栄えだった。

骨董店の店主に、何気なく値段を尋ねると、

すわ40万円とのこと。

うーん、いやぁ、高いな!

が、もしこの書が本当に一休さんのものだとしたら、

国宝級の価値をもつのではないか?

最近、仕事の合間にチラチラ気になるのが、

このことなのだか、

いまだ本物かどうかの決め手は、

なにひとつない。

ホント、イライラする。

一休

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