真夜中の楽団

デコレーションケーキのような
素敵な円形のステージが
深夜の港にぱあっと浮かび上がったんだよ

きらきらしたその華やかなステージは
ウサギさんやクマさんのぬいぐるみに混じって
遠い国の村の人たちも
タキシードにハットやドレス姿で
トロンボーンやクラリネットを
それはそれは
楽しそうに演奏している

いきなり現れたその大きな舞台は
カラフルなライトに照らされ
地上からは離れて揺れているんだ

赤と白のストライプ姿のピエロたちが
舞台の前に躍り出て
輪投げや一輪車乗りで笑顔を振りまいている

曲はどれも初めて聴く
不思議なものばかりで
でもどこかで聴いたことのあるような
あったかくて軽やかでにぎやかなもの

見ていて聴いていて
誰もが踊り出したくなるような
楽しい曲が次々に繰り出される

真っ暗闇のなかの演奏会は
とても派手で目立って
夜の空に向かって飛び出すようで
楽器の音は
遠く何キロも先にまで届くような
それはとてもにぎやかな演奏だ

が、不思議なことに誰も気がつかないし
会場には誰一人として駆けつけない

観ている人は一人もいないんだ

なのに
演奏会は楽しそうで
演奏しているみんなはとても満足した様子で
顔にはいっぱいの笑みがこぼれている

やがて青筋だった東の空から
一羽のカモメが飛び立った

先程まで輪郭がはっきりとしていた
月の姿が少し薄くなると
星たちもひとつふたつと
姿を消してゆく

もうすぐお日様が昇るのだろう

ステージの音が徐々に小さくなってゆく

そして
その浮かんでいる舞台が
港から海の上へすっと動いて
そして徐々に遠ざかってゆくんだ

舞台はどんどんちいさくなって
やがて水平線の上の点となり
そして姿を消していった

あたりが少し明るくなる

新聞配達の少年の自転車が
港を疾走してゆくのが見える

貨車が動き始めた

はしけの汽笛が聞こえる

お日様がすっかり昇ると
いつもの港の姿

はていったい
あのにぎやかで素敵なコンサートは
今度はいつどこで開かれるのだろう?

あのにぎやかな楽団のみんなは
今頃どこでどうしているだろう?

光に照らされた海を見ながら

僕は独り

途方に暮れるのだった

訳があって泣くんじゃない

泣いて流れる涙のその訳を

初めて知ると

止めどなく涙がこぼれた

いままで抱えてきた

干し草のように絡まった

ひとつひとつの辛さを

薪のように積み上げて

火を放つのもいいんじゃないかと

思った

その燃え上がる炎に

青白いものが見えたら

空を見上げて

さよならを告げる

想いは

その揺れるもののように

熱したものだったが

青白い悲しみは

凍りつくように燃える

炎はくっきりと

その訳を揺らす

なにが悲しくて

なにが辛くて

なにが悔しくて

なんで泣くのか?

理由を背負って

きのうからきょうへ歩いてきた

もういいんじゃないか
と自分に話かける

だから泣いて泣いて

また泣いて泣いて

涙を拭いて

立ち上がる

空を見上げて

立ち上がる

そしてまた

明日をめざして

歩くだけさ

ただ

歩くだけさ

格好いい爺さんになろう!!

誕生日を機に、ふとアタマがひらめいて

格好いい爺さんになろうと思った。

格好いい爺さんが、派手なスポーツカーから降りてくる。

格好いい爺さんが、イタリアンスーツで歩いている。

これ、イメージもシチュエーションも、ベタ。

格好いい爺さんのビジュアルは、例えば誰か?

私のアタマには、すぐにあの007のショーン・コネリーと

名優スティーブ・マックィーンが浮かんだ。

格好いい!

が、私には遠すぎる存在なので、

話をもう少しフォーカスすることにした。

格好いい爺さんは、歯が丈夫だ。

格好いい爺さんは、ももひきなんかはかないのか?

格好いい爺さんは、シワが少ない。

格好いい爺さんは、エネルギッシュ!

分かんないなー?

きっと、格好いい爺さんは、禿げてない。

きっと、格好いい爺さんは、小走りできる。

きっと、格好いい爺さんは、姿勢が良い。

おっ、なんかだんだん見えてきたぞ!

格好いい爺さんになるには、まず

健康でなければいけないのだ!

タバコ、やめようかな?

いやいや、格好いい爺さんは葉巻なんかが似合ったりするので

まだいいや。

この案件は、棚上げにしよう。

ときどき、スーパーなんか行くと

独りで寂しそうに買い物をしているお爺さんを見かける。

身なりは適当なのはいいが、暗い表情でうつむいてコロッケなんか

じっと見ている姿を見ると、身につまされるものがある。

ポイントはこの辺りだろう。

落とし所が少し変なのは分かっているが

この辺りを研究することにより

格好いい爺さんを考えることにした。

その格好いい爺さんは、

レモンイエローのフォルクスワーゲンから

颯爽と降りてきた。

髪は白髪。

まぶしいほどのざっくりとした白いシャツに

綺麗なシルエットのジーンズが印象的だ。

青いスニーカーに見え隠れするのは

なんと素足ではないのか?

彼は、姿勢良く大股で店内へ入ろうとするが

前方目線を動かさずに、サッと片手でカゴをゲット!

運動神経もまだまだ若者に負けていない。

その格好いい爺さんは店内をパッと見渡し

野菜と肉を少々カゴに入れると

例のコロッケ売り場の前で立ち止まる。

興味なさそうにちょっと手に取るが

こんな揚げ物はカラダに悪いだろうと

嫌悪の表情を見せながら、

その揚げたてのコロッケを元の位置に戻す。

が、そこで爽やかに笑みを浮かべながら

「しょうがないな」と言い

姿勢を崩さずにサッとそのコロッケをカゴに入れ

その場を立ち去る。

うん?

格好いい爺さんって大変そうだな?

どこかに無理がある。

嘘くさい感じもするな。

ここまで書いて気がついたのだが

人間やはり外見だけではどうにもならない。

やはり格好いい爺さんになるには

上辺だけでなく

まず内面を磨くしかない。

やはりそこに辿り着くのだ。

で、考えた。

格好いい爺さんは、人生のなんたるかを知っている。

格好いい爺さんは、経験則から発する言葉をもっている。

格好いい爺さんは、哲学がある。

格好いい爺さんは、自然を愛する。

格好いい爺さんは、人を愛する。

格好いい爺さんは、自分の人生を後悔しない。

おっ、格好いい!

なんだか、器に身が入った気がしてきた。

カッコいい爺さんは

そもそも人生の達人なのだ。

心がともなって初めて

格好いい爺さんになれるのだ。

しかし、ここまで書き進めて

格好いい爺さんになるのはかなり大変だ

と言うことが分かってきた。

格好いい爺さんになるには

常日頃の心身の鍛練が必要なのだ!

という訳で

今日からいまから

格好いい爺さんをめざして

頑張りたいのだが

まず、このお腹をなんとかしなければならない。

そろそろ健康診断の季節になったが

今年の血圧は大丈夫か?

最近、物忘れが多いが

アタマはまだ大丈夫なのか???

格好いい爺さんへの道は

まだまだ険しい。

その前に、目の前の仕事を

なんとかしろよと、

自分で自分に突っ込みを入れて

お茶をすする

午前5時のオッサンの姿がありました。

ものがたり

月は幻

夢の丘で寝転がっていると

君だったと分かるまで

その永遠のような

ひとときのこと

いったい君はどこから

降ってきたんだろう

秋雨の降りしきる頃

森の一葉に

落ちてきたとでも

言うのかい

地中から出てきたわけでは

ないだろうに

打ち寄せる波に運ばれた

貝の中に

隠れていたのか

私さえ

なにがどうして

ここにいるのか

だから

出会いはいつだって

不思議に充ちている

私と君が綴る

ものがたりが

目の前のことなのか

夢なのかなんて

誰にも分からない

気づかない

だからいつも

愛は

不思議に充ちている

ものがたりなんだよ

とかくテレビというものは

最近、芸能人の二世の話題が多い。
百恵ちゃの息子とか陽水の娘ほか
まだまだいっぱいいますね?
私が思うに、この人達は恵まれている反面、
親を超えられるかという壁は
常に評価の対象になるのではないか?

私の知る限り、明らかに親越えをしたのは
堺正章さん位しか頭に浮かばない。

で、私が一番衝撃を受けたのは
朝顔を洗っているときにふっと思ったのだが
父親がが矢沢だったら厳しい!

おやじがヤザワだよ?

そこんとこよろしくって言われたってね?

さて

石田純一というタレントがいるが
この人はテレビ番組(ロンブー)のなかで
自分のプロポーズのシーンまでを
ひとつの企画にして売ってしまった。

うーん、常に恋をしているオーラを
売りにしている人だが、この人って
これだけで喰っているところが凄い!

素足のオトコ、イシジュン!

こうなると石田商人だな!

石田商人、恐るべし。

古舘伊知郎。

この人は過去にプロレス実況だの
歌番組だの、かなり面白いトークで
世間を沸かせてくれた。

意味不明だがフムフムと納得してしまう
この人の話術は凄いものがあるし
マシンガントークをやらせたら
この人の右に出る人はいないと思うのだが

例の報道ステーションのこの人は
怖い。

魂のない、夢も希望もない
オッサンにしか見えないトンデモナイ暗さは
どっから湧いてきているのか?

確かにニュースというのは
ネガティブな傾向なものが多いのだが
この人は喋る前からドロンとしてる。

怖い。

もう、このニュースは世界の終わりだよ
なんて言うくらいに深刻なんであり
話すひとつひとつにぞっとするような
疲れが漂っている。

あ~あ、なんて酷い世の中なんだろう
オレは嫌な時代に生まれてきたなとしか
思えない暗さ。

あんたさ、道を間違えてんじゃないの?

で、
最近、麻薬で捕まる芸能人の話題が
テレビを席巻している。

で、こういうテレビを四六時中観ている人というのは
どういう人なのだろうと考えたが
やたら暇な人以外には思い浮かばない。

ノー天気か幸せ者ですね?

そこでふと思ったのだが
テレビって暇な人のものなのか?

この事件で特番を組んだ局もあったが
仕掛けたプロデューサー氏はあざといと同時に
テレビの自死を早めたとしか思えない。

視聴率を当て込む。イケルと思う。
ここでコイツは墓穴を掘った。

視聴率はかなりのものだったらしいが
テレビなんてこんなものしかやらないよ
という人間も着実に増えているでしょ?

つまらない、面白いではなく
悲しいほどの志の低さ

他人の不幸は蜜の味というコンセプト?

こういう制作姿勢は、
例えば毎週閉店セールをして人を欺いている
前のウチの近所にあった家具屋に似ているな。

その家具屋は、当たり前だけど潰れました(涙)

いつかつづく

風の道

その道はある日

ふっと舞い降りたように

海に続いていた

ざわめく木々

揺れる草花

都会から離れて

ひっそりと海へ続く

ひと筋の道

人の波に疲れ

恋はどうなるのか

生きてゆく意味を知りたくて

人は歩く

あなたと歩く道ではない

みんなで歩く道ではない

ましてや

家族と歩く道でもない

風の道は海へ続く道

風の道は

独りで歩く道

風の道は

涙がこぼれる道

時代なんかパッと変わる

夏を引きずりながら

外の気配は秋めいている

日差しは心なしか斜めに差すも

まだまだ勢いがある

その中を

時折乾いた風がすっと抜ける

空が高い

今年初めての赤とんぼ

こうしてふっと気を抜くと

まばたきする間に

秋なのだ

目を凝らしていないと

分からないものがある

予兆はひたひたと忍び足

ある日恋人にさよならを言われても

それが心変わりなのか

気まぐれなのか

久しぶりに走る道路に

いままでなかった分岐点が現れて

驚いたことがある

何度か通った店の前に立つと

もうそこは私の知っている

イタリアン・レストランではなく

小ぎれいな美容院に変わっていた

それは何事もなかったように

当たり前のように

日常に溶け込むから

関係者や観察者

にしか分からない

明治維新で日本はパッと変わった

昨日までの価値が

今日は色褪せる瞬間

軍国少年は敗戦を経て

狼狽した自分を取り戻そうと

歌をつくろうと決意したという

ある日ベルリンの壁は崩れ

ソ連は崩壊し

世界の地図は変わった

誰もじっとみつめていないと

分からない変化の瞬間がある

自らが立ち上がらないと

ただ流されてしまうだけの

一人の目撃者で終わってしまう

危うさ

今回の選挙で

永年の地盤を築いてきた

政権政党が倒れた

名もなき人々は

その他大勢ではない

誰もかが時代を築いてきた

「時代なんかパッと変わる」

私の尊敬するコピーライター

秋山晶さんの渾身の作品だ

ミニドラマ 「本牧」

クラプトンを聴きながら

オレはお前にこう話すんだ

その指輪イカしているな!

するとお前はこう言うだろう

だってあなたが買ってくれたんじゃない!

そしてふたりは笑って

肩を抱き合って窓の外を見下ろすのさ

ハシケが岸壁を離れてゆく

あなたその煙草

そろそろ止めたほうがいいんじゃない?

ここもね!と言ってオレの頭を指さす

頭にも良くないみたいよ

さて

オレは新しく買った、初めての東京レーベルのレコードを

お前に見せる

どうしたの?

一体どうしたのよ?

気でも変わったの?

そう言ったきり

お前はずっとずっと海をみつめて

コーヒーカップを握りしめている

どの位の時間が流れたのだろう

勘のいいお前の目には

やがて

涙が光っていた

窓から見える本牧の朝が霞んでいた

街にさようならを告げる日は

ついにやって来た

「じゃあな」

仲間によろしく、と伝えてくれ

振り切るように部屋を出ると

外の風がいつになく冷たく頬を叩く

ホントはオレ、ここにいたいんだ

お前と本牧が好きなんだって言いかけて

朝の港の喧噪に消えていった

東京へ向かう朝の根岸線

窓の外に見える景色に

霞んだ雨が

悲しそうに

お前の涙のように

そう

糸のように

落ちていたんだ

愛は尊いが

愛があれば
なんでも乗り越えられる
なんて言うが
世間は
そんなに甘くはない

愛だけでは
腹一杯にならない

割と理想主義(?)の私だが
その性格のおかげで
生活に窮したことも
たびたびあった

私が知らない間に
貯金も底をついた頃
家賃を払っていないことに気がついた

子どもの粉ミルクとオムツがないと
奥さんが言い出した

私は企画書を書く手を止めた

普段は貯金通帳も見ない私だが
このときばかりは
通帳の残高をつぶさに追った

無機質に印字された数字は
入るものより
出る額が上回っている

しかし待てよ!

結構仕事をこなしていると思っていたが
そのギャラはどうなっているの?

「外注さんの支払いが先でしょ
先方さんは手形だからね」

聞けば、その手形は6ヶ月を過ぎないと
割れないとうことらしい

ということで
近くの大手銀行へ相談にでかける

いわゆるつなぎ融資の頼みなのだが
当時の私はどこの馬の骨か分からない
取引実績もないただのフリーだった

いまでも忘れない

銀行の融資係は
バシッっとした背広に銀の縁の眼鏡をかけ
いかにもエリートという感じのまじめそうな男だった

話の途中、私の話を聞いているようで
全く聞いていないことが分かった

しまいに彼は
「そうですか」と言い
薄ら笑いさえ浮かべていた

当時のフリーは、プータローと同義語だ

審査結果はみえていた

一匹狼を標榜する私だったが
このとき以来
法人化の計画を練るようになった

決算書だの前年度比売上げとかなんて
全く興味がなかったが
一応、数字を追う意識が
このとき芽生えた

このときから現在まで
この銀行とは
一切取引はしたことがない

話は逸れるが
私の感覚で言わせてもらうと
一見まじめそうでいて
実は誠実ではない人間が
私はこの世で一番好かない

大嫌いだ

一見まじめなんて糞食らえと思っている

誠実か否かは、人の全く別の所の
奥深いところに宿っている

正直さと誠実さは
いざというときに垣間見えるものだと
私は思っている

人は見た目とは言うが
いやいや
そんなことはない

一筋縄ではいかないのが
人の面白さであり
怖さと思う

話を元に戻す

ときはバブル全盛いやバブル前夜か?

私といえば、働けど働けどなのである

モーレツに仕事をしたのに
いい思いをした記憶が一切ない

世間は羽振りの良さの勢いが止まらない

六本木でタクシーが朝までつかまらない

日産の高級車シーマやBMWがバカ売れしていた

有明のお立ち台では派手なボディコンお姉さん達が
扇子を持って踊り
羽目をハズしていた

浅田彰の「逃走論」をはじめ
ニューアカミデニズムのような思想が
世間に浸透したのもこの頃だった

ときは80年代

私の生活は
こうした風景のなかで
風前の灯だった

いま思えば私の采配ミスと
数字の甘さ
そしてプロデュースミスという
悪い偶然が重なったとしか
言いようがない

要は経験不足
力量がなかったのだ

幸い、最悪の事態を脱した私だったが
このままではまずい

のう天気な私に危機管理能力が身に付いたのも
この頃だ

私は自分の仕事を法人化すると同時に
スタッフの数字にもシビアになった

経験は人を堅くする

自分に厳しく回りに厳しく

と書いたところで
生来の性格が直るものではない

いまでも決算書なるものは
年に数回しか目を通さないし
通帳も奥さん任せ

ともかく総てがだいたいで
決めてゆく性格はそのままだ

が私は
かなりありふれた事に気がついた

愛があれば何でも乗り越えられる
なんて言う甘い言葉は
もう私は信じていない

ありふれたことは案外奥が深いことがある

幸せになるには

愛と

どうしても

あと少々のお金が必要なのだ

夜光虫

弱き者よ飛び回れ

程なく消えるこの手この足

この気持ち

終わりは激しく心昂ぶるように

舞えよ歌えよ

夜の祭りは始まったばかりだ

暗闇から這い出てきた

老いも若きも

その羽を鳴らせ

遠くに明かりがみえたなら

それは命の喝采

祭りだ

祭りだ

おとこはおんなを

おんなはおとこを

羽をふるわせ

昂ぶるのだ

命の本能

命の義務

強き者も飛び回れ

程なく消えるこの手この足

この気持ち

終わりは激しく心昂ぶるように

舞えよ歌えよ

夜はおとことおんなの物語

夜は命の物語

それはそれは

むさっ苦しい蛾のように

飲めよ踊れよ

本能は

こうして私を

紡いだのだ

本能は

こうしてあなたを

紡いだのだ