時代を読む?

先日、仕事で原宿へ。

クライアントさんへ行く時間に少し余裕があったので
タバコでも一服しようとあたりをキョロキョロするも
全く吸うところ無し。

街は綺麗。

全方位禁煙。

徹底しております。

ふーん。

で、ぶらぶら歩いていたら「喫煙OK」みたいなプレートが貼ってある
喫茶店をやっとひとつみっけた。

店に入ったら、ほぼ満席。どいつもこいつもぷかぷかやっておりました。

ほほぉ
これって新しい商売?と思わず突っ込みを入れたくなりました。

私も何本かラークを頂いて
さて伝票に目をやるとコーヒー一杯¥900也。

コーヒー美味かったけど、ちょっと高くない?

かくして、ニッチな商売は徐々に広がりつつありますね。

新しいマーケットの登場です。

さて
神奈川県では健康とカラダと街のクリーン化のため(?)
少々骨抜きながら、受動喫煙防止条例が公布されたようです。
先駆け。先鞭をつけましたな。
パチパチパチ(拍手)

骨抜きじゃなかったら誠にクリーンな素晴らしい前例、
他都道府県も追随するんじゃないでしょうかね。
寸分の隙もない健康と清潔な街づくり。
だって良いことはどんどんやらなきゃ、だよね?

時代はもう完全に、クリーン&エコ! ですね?

私なんかいろいろな企業へお邪魔していますので
エコなんか凄いです。

なんでもエコ。とりあえずエコ!
エコはビジネスの味方なんです。

エコは地球のためであり、正義でもあり、大儀でもある。みたいな

エコじゃなくてエゴもかなりあって、もうひどいことになっている
所も多々ある。(これは余談)

いまエコを語れない奴は死んでしまえ!位のパワーはあるな。

ある調査によると、今度クルマを買い換えるとしたら80%以上の人が
エコカーを希望しているらしい。

これ、ホントです(キッパリ)

みんな道徳観強し。いい人。トレンドに敏感?

いや、集団ヒステリーなのか(爆)

どちらにしろ、時代のうねりに凄いものを感じるのは私だけか?

翻って

ところで私はなんでタバコを吸い、
一日中電気を付けっぱなしにして
いまどき
10年位前の排気量のデカいドイツ車なんぞを探しているのだろ?

完全に出遅れた私は、一体いままで何を考えていたのか?

いやぁ、このズレた感じが私のどうしようもない短所なんだな。

今日はひとつ、人類の未来のために

光合成の勉強でもして
植木でも植えようかな、っと。

ドラマ

光のしずくがひとつこぼれて

自分が生まれたと

思うことにしよう

私は私であって

他の誰でもないこと

かけがいのない私であること

じゃないと

生きていけないだろ?

たとえば

有り余るほどの時間と

物語を消費する歴史に

やさしさはあるのかなと

ふと考えてしまう

ましてや情が絡んでくれると

涙が出るほど嬉しいけれど

歴史って奴は

思いの外

残酷なんだ

潰されるなよと時間が笑う

いま

この舞台で生きているということ?

演じているのか

演じさせられているのか

ここはひとつ

考え所であると

いつも思いあぐねる

役者のひとりとしては(笑)

真剣に真摯に

取り組んでいるつもりなんだが

いつも吐く言葉は

単なる台詞なのか?

きのう

あのひとにつぶやいた言葉は

果たして

あらかじめ用意されたものなのか

という問題は

私という存在の意味を問う

歴史的な難問でもある

はじめに言葉ありき

その拠り所を知ることに

生きている意味が隠されている

私はその事柄にいつか気づくのだと

信じるようになった

人生のペテン氏にならないために

自分が代役しか務まらないことのないように

生きるのだ!

今朝は

初夏の日差しがまぶしいくらい

陽気な幕開けなのだが

さあ

どんなスペクタクルが用意されているのか

凡庸な一日が待っているのか?

まずは用意された

いや!

私だけの

せめて私が考えた

アドリブの台詞を

私に語らせて欲しいのだ。

拝啓 元気です!

いまの俺が親父に初めて

ホントは親父の事

好きだったんだよと言った。

それを聞くと親父は俺に近づいてきて

俺のアタマに手を乗せてくれた。

その瞬間に俺のカラダは急に小さくなり

小学生の頃の俺に戻っていた。

ああ、やっと言えた。

小学生の俺は泣きじゃくっていた。

朝方にふっと目覚め

いまのは夢だったのかと

ぼぉっとしていると

今度はホントに

涙が止めどもなく流れてきた。

まだ眠いのに

涙が止まらない。

オヤジ、いるんだろって

思わず口走ってしまった。

永年の確執があって

俺とオヤジの仲はうまくなかった。

小学生の頃から

オヤジは俺を無視していた。

俺はオヤジを避けていた。

いろいろなものが絡み合い

男同士の話なんていうものも

遂に最後までなかった。

だからなにも解決なんかしてはいない。

だけど、いまはオヤジの気持ちが痛いほど

よく分かる。

オヤジも俺のこと、見抜いていたんじゃないのか?

オヤジが死んで四年強。

あの日

オヤジはあの世からやってきて

俺と話そうとしたんだろうな?

ホントの気持ちが言えて良かった。

伝えたいことは思い切って

伝えなくては。

心底そう思った。

いま、俺は息子と娘を育てている。

決して同じ繰り返しはないようにと

いつも考える。

考える。

だって

オヤジの孫だもんな!

毎日が新鮮!

最近はなにかと忘れっぽいので
メモは欠かせない。

そもそもどんどん忘れる質なので
それに拍車がかかった。

夕飯にカレーライスを食べても
翌日もカレー、カレーでもOK!

なにしろ忙しいと、おやっ?とさえ
思わなくなった。

「おーカレーか、美味そうだなー!」
で終わり。

ラーメン、ラーメン、ラーメンでもイケル。

しかし
おじや、おじや、おじやっていうのは
流石に嫌だね。

私はおやじだから、語感が似ていると
即座に反応してしまうので、おじやは
かんに障る。

けんか腰になったりして(笑)

で、
仕事柄、やっていることも毎日違うので
ルーティーンワークというものがない。

案件というものは、ほぼ総て違うので
オーダーメイドと同じ。

流し仕事というものがないので、
疲れると言えば疲れますがね。

とこうして書いてみると
「毎日が新鮮!」
と言いたいところだが
いやいや、違う。

ムカシ、いろいろな所を訪ねて
取材し、写真なんかパチパチ撮っていた頃が
懐かしい。

これはホントに毎日が新鮮でした。

ところが旅ばかりしていると
やはり家が恋しいのね。

勝手な奴だな、とお思いでしょうが
人間、こんなもんです。

寿司屋の息子は寿司が嫌い。
肉屋の娘は肉が苦手。
八百屋の嫁は野菜以外が大好き。
なんだなー!

人間は社会が成熟してくると
贅沢になる。

どんどん嫌な奴になってゆく。

「縄文人が懐かしいな」

とつまらないオチで
この頁を終了します。

(このボケが!なんて怒らないでくださいよ。
時間ができたら真剣に書きます。ハイ!)

アメリカ

大っ嫌いなのに気になる奴っていますよね?

私の場合、アメリカなんですね。

アメリカ嫌い。

アメリカ本土になんか行こうとも思わないし
カリフォルニアもニューヨークもTVで観る度に
へぇと思って観ている程度。何とも思わない。

アメリカ圏には行ったことがあるが
嫌な記憶が蘇ってきた。

レンタカーを運転していて道に迷い
たまたま辿り着いた所に
米軍のゲートがあったのだ。

で、いきなり白人の女兵士から自動小銃を向けられ
怒鳴られたのだが
コイツ等本気で戦争モードなのが分かった。

アメリカはいつも傲慢だ。

自由と平和の名のもとに、数多くの殺戮を繰り返したし
それが対共産主義といえども見過ごす訳にはいかないものが
多すぎる。

ベトナム戦争は、その象徴だ。

世界の警察ともいえるアメリカだが
仲良くするには金がかかりすぎる。

MDシステムなんかは、その最たるもののような気がしてならない。

日本政府はアメリカに従順だ。外交で劣る日本政府はもう少し
目を凝らして世の中を見た方が良い。

世界は生きものなのだ。

アメリカ一本槍の片想いは、もうふられたようなものだ。

アメリカは日本を飛び越して、いま中国に熱心だ。

かように、アメリカという国は義理に欠ける。
打算で動いているだけだ。

と、かなり辛辣にアメリカ批判を書いたが、しかし
私は小さいときから学校でアメリカ配給の脱脂粉乳を
飲んで育った。

チョコレートといえばハーシーズが好きだったし
ディズニーのダンボの絵本は、私の宝物だった。

日本のマクドナルド1号店で、必死にフィレオフィッシュに
食いついていたのも昨日のことのようだ。

なんかイライラしてきた。
政治とカルチャーがゴチャゴチャだからか?

いやいや、
こうして、私たちは侵略されているのだ。

私はその昔、つまんねー歌ばかりが聞こえる頃
スゲーッと思った曲がある。

その歌は斬新でリズミカルで、なんだか自然にカラダが
踊り出すようなパワーをもっていた。

弘田三枝子が歌っていた「バケーション」だったのだが
私はこのとき、幼いながらアメリカの臭いを嗅いでいたような
気がする。

アメリカンポップス。R&B、ロック。映画では「風と共に去りぬ」
でスカーレット・オハラに恋をした。

こうして私に染みついているアメリカよ!

お前はホントに嫌な奴なのだが、なんだか気にかかる、
私には近くて遠い国。

この曲を聴くと、私の幼い頃の心象風景が鮮やかに蘇るのは
みんなアメリカのせいなのだ!

風の詩

飲み干したジンのグラスから

こぼれて溢れる言葉は

踊るように庭を飛び出し

外気に乗って

風になった

風は言う

私はこれから世界を巡るけど

もうあなたの所へは

帰れない、とね

風は旅人だという

二度と帰らない旅人だと

構わない

せめてこの言葉を

誰かに届けてくれ

世界の何処かに、誰かに

風は海を渡り

草原を越え

そして

果てしなく続く砂漠に

降り立つ

遠い遠い国の風は
年をとった

もうあれから
どの位の時間が
経ったのだろう

やがて

誰もいない砂漠で

風は命を閉じた

砂の上に

言葉だけが転がっていた

誰にも届かない言葉

風は旅人

決して戻ることのない

旅人

今夜もまた

言葉はグラスに溢れ

カーテンを伝い

窓際から表へと

消えてゆく

言葉は

風に混じり

そしてまた

世界を巡る

きっと私も

一夜の旅人なのだろう

ロンサムカーボーイ

決して沈まない太陽が
山肌に垂れ下がり
ほおづえをつきながら

笑う

ちりちりと枯れ草が焦げ

溶けたアスファルトが
悲鳴をあげる

ロンサムカーボーイ

赤い土を蹴飛ばす
傷だらけの
凹んだ皮ブーツ

「ここで
純白のドレスをまとった女神に
出会うことなんて
まずないぜ」

総ての想いが干上がり
そして
オレのアタマの中は
無に帰るのか?

ひび割れた唇から
懐かしいメロディーがひとつ

それは消えてなくなる
最後の言葉

ロンサムカーボーイ

あのオトコが
わかれ際に吐いた台詞が
笑わせる

「また会おう!」

土埃を舞い上げ
やがてオレは
ここから消えてゆくのだろう

一匹のサソリが
穴から這い出て
言うには

オレという人間は
ロクデナシ
らしい

ロンサムカーボーイ

裏切り者は
遠い町で女と恋に落ち
水をたらふく飲むことを
夢見る

ここは掟の町

なにも変わりはしないのだ

なにも変えたくないのだろ?

死人の町の秩序は
いつだって
こうして

保たれているのだ

ひまわり

何故

あなたでなければダメなのだろうと

アタマを冷やして

考えてみる

行きがかり上だよって

つぶやいてみる

でも

思いつく他の誰かを

幾つもの生活のなかに溶け込まそうとしても

無理があるのは

オレの想像力の限界なのか?

時計を逆回りにしてみても

ホントは何も変わらないんじゃないか?

みんなそう信じて生きている

だから愛っていうのは

喜劇なんだ

あなたでなければダメなんだという気持ち

だから

愛っていうのは面倒くさくできている

だから

愛っていうのは

切ない

切ない

悲劇なんだ

お家へ帰ろう

景色が泣いていたら
ひとりぼっちの証拠だ

心は嘘をつかないし
あなたを映し出す

孤独が好きだと
いつか想った

ひとりは気兼ねがなくていいねと
話したこともあったっけ

でも
どこまで歩けるだろう

ときどき感じないかい?

気持ちも一緒だったらって?

喜んでくれるひとがいる

悲しんでくれるひとがいる

ただそれだけで

人生って奴は

豊かに実るもの

さあ

笑って笑顔で

お家へ帰ろう!

私を育ててくれた?会社

私も最初から会社を興した訳ではなく、
コピーライターとして幾つかの会社を渡り歩き
育ててもらった。
そのなかで、とてもユニークな会社があったので、
ちょつとご紹介しておこう。

その広告制作会社は表参道にあり、取引先も一部上場の会社をはじめ
名だたる企業がクライアントだった。

いま考えると不思議なのだが。

私は制作チームにいた。
コピーライターとデザイナーは、部屋が分かれている。
お互いに用のあるときは、自らラフを持ったりして相手を訪ね
喧々囂々やり合う、と言いたいところだが、
何故かこの職場に気難しい奴はひとりもいなかった。

その頃、「気まぐれコンセプト」という本が売れていた。
広告代理店を舞台にしたマンガなのだが、タイトルどおり
かなりいい加減な会社が描かれている。

私のいた会社が、まさにそういう会社だった。

夏のある日、気温がガンガン上昇していた昼下がり。
私は食後ということもあって、眠気を催していた。
やる気がでない。と、ふと隣をみると
コピーライターのE君が、いきなりお香を焚き
何かを唱えだしてた。
彼のデスクには、白紙の原稿用紙が置かれている。

わぁーと思って席を立ち、隣のデザイナーの部屋へ行くと
ロックの音楽が大音響で鳴り響いていた。
「うるさいな」とわめきつつ、ヘッドチーフデザイナーと
午前の案件の話をしようと思ったのだが、彼がいない。

その部屋の入り口には、通勤に使われているサイクリング車が
2台置かれていた。世田谷から通勤しているデザイナーのものだ。
このふたりは、いつも遅刻していたように記憶している。

さてヘッドチーフだが、灼熱の屋上にいた。しかも短パンひとつの
裸。カラダにオリーブオイルを塗り、甲羅干しをしている。
ラジカセからレゲェの呑気な音楽が流れている。

結局、私も服を脱いで甲羅干しをすることになるのだが。

で、経理の女性を除いて、この会社はほとんどいい加減な人間で
構成されていた。

営業のB君は、なにかにつけ意味不明な用をつくり、愛車のアルファロメオに乗って
どこかへ出掛けて行った。帰社はいつも夜中。
何処で何をしていたか?なんて聞く人間は、誰もいない。

上司は上司で忙しいのだ。と言っても、自らの離婚問題やサイドビジネスの
ねずみ講のようなものにはまっていて、仕事どころではないのだ。

ある時私は難しい案件に悩まされ、最後の手段と思い、社長を尋ねた。
この人は、早稲田を出て、広告界では天才肌と呼ばれている凄い人だった。
彼はコピーも書き、一瞬にしてラフも起こしてしまう。
結果、ほほぅと唸るような広告の素ができあがる。

マルチな才人だった。

私がある案件について、コピーの表現方法が分からない箇所を
社長に相談しようと話しかけた。
社長曰く
「いま僕はモーレツに忙しいんだよ! 君と話している時間は30秒しかない」
と言ったと同時に私のラフに目をやり、殴り書きをして何処かへ消えていった。

まあ、よくよく後で考えるとこういうキャッチフレーズに落ち着くんだろうな
と納得できたが、社長はすでにその頃、仕事に意欲を無くしていたらしい。

じゃあ、何に忙しいのか?

笑っちゃうのだが、結局この会社は最後は潰れた。

社長は、その頃流行の「愛人バンク」なるものにはまっていたのだ。
若い女性に夢中になり、ほぼ骨抜き状態の社長が会社を経営していたのだ。

いま思えば、あの会社のダルい感じは、社長自らが醸し出す空気なるものが社内にまん延し、
社員の一人ひとりに伝染していったものなのだろう。

経営的にみれば、いま考えても恐ろしい。

私としては、後学のいい勉強にもなった。

しかし不謹慎だが、ああいう会社が存在していたこと自体が不思議だ。

いまでも時々思い出すのだが、やはり笑っちゃうのだ。