コピーライター社長の広告&メディアななめ読み

きょうの短歌

 

 

立ち枯れた夢捨てろただ走るんだ裸のままで時代がかわる

 

 


 

 

長野県の最強パワースポットをめざして(その3)

 

 

 

霧ヶ峰、白樺湖、そして山梨・忍野八海へ

 

諏訪湖を後にして、茅野から大門街道をグングン登る。

むかし、冬のスキーシーズンに通ったとき、

この道のどこかでタイヤチェーンを履かせた。

キツいカーブが増え、タイヤのきしみ音が聞こえる。

山の木々が陽光に照らされて美しい。

豊かに実っているであろう田畑が、

丘陵に沿って、贅沢に大胆に広がる。

真夏の空の下で、やはり一面、輝いている。

 

白樺湖経由で車山へ。

クルマをとめ、休憩。

天候を確認してヴィーナスラインに入る。

以前、この道はバカ高い有料道路だった。

通行量をみて引き返したことを思い出した。

なぜか、現在は無料。

料金所の跡のような建物が残っている。

ヴィーナスラインというからには、

きっとこの美しい道をドローンでみれば、

萌え立つ山々を縫うように

なかなかすてきな曲線を描いているのではないかと

想像する。

 

 

 

 

 

 

同じ目線の高さに、そして眼下に雲が浮かんでいる。

夏の雲は白くとても軽そうで、

確かにふわっと浮かんでいる。

霧ヶ峰の駐車場はほぼ満車。

みな、この美しい景色に笑みがこぼれている。

 

平和だ。

少なくともいまここは平和なのだ。

下界?で起きていることを思うと、

いまここは別世界だ。

確かにそう思えた時間だった。

 

 

 

 

 

 

パンをかじりながらコーヒーを飲み、

しばらくあてもなく高原の道を歩く。

 

この晴天はしばらく続いた。

 

それは女神湖でも白樺湖のホテルでも

高原にしては暑く、風は涼しく、

真夏の透き通る景色は続いた。

 

 

 

 

3日目は帰路へ。

八ヶ岳を横断し、原村あたりの広く舗装された農道を

ゆっくりと走る。

去年も訪れた小淵沢の道の駅で休憩し、

中央高速を一気に走る。

が、山梨で寄り道を思いつき、

河口湖インターを降りて、

忍野八海へ。

 

 

まぁ、家に帰りたくない、

そんな帰路だった訳。

いちおうの目的は、

ここのおいしい水を手に入れたい、

そう思ったからだ。

が、現地に着いてみたものは、

人人人の混雑。

 

やはり富士のまわりは人気がある。

水なんて安いものはどの店でもみかけない。

飲食店は人でごった返している。

おみやげものの値段も高め。

 

忍野八海は、どこも外人観光客で

溢れていた。

 

 

 

 

 

 

ひとつひとつ見るものが増えるたびに、

現実が迫り来る。

 

もうすでに日常の領域に戻ったようなのだ。

 

やはりね、

夢はいつかは醒めるものなのだ。

 

 

 

きょうの短歌

 

 

揺るる燃ゆ溢れ流るる暑い夏ひとの命はいづれの秋へ

 

 

 

※歌に合わせAIで絵も描いたのですが、こちらが示したプロンプト(指示)の問題でしょう、仕上がった絵がどうにも不快なものばかりなので、今回は差し控えることとしました。ごめんなさい、乞うご期待!

 

長野県の最強パワースポットをめざして(その2)

 

 

諏訪湖へ

 

諏訪大社から諏訪湖へクルマを走らせる。

湖畔に宿をとって、湖岸をぷらぷらする。

 

水面を撫でた風が身体を吹き抜ける。

盛暑だが汗も引っ込むほどの涼しい風だ。

 

かつて、この湖はかなり汚れていたと記憶している。

松本の帰りに立ち寄ったことがあるが、

波打ち際に白い泡がたち、

いろいろなものが浮いていた。

 

 

 

が、いまは違う。

湖面を眺めながらそう思った。

 

 

諏訪湖は、長野県のほぼ中央、諏訪盆地に位置する。

諏訪市・岡谷市・下諏訪町の2市1町にまたがる

長野県で最も大きな湖だ。

 

周囲の山々から流れる多くの川の水が集まり、

湖から流れ出す水は天竜川へとつながっている。

 

 

諏訪湖は断層の運動によって地面が沈み込んでできた

断層湖と考えられている。

諏訪大社は中央構造線の上に建っている。

 

それは歴史上、土偶がつくられる以前のできごと。

 

この日本列島の成り立ちに関する鍵のようなものが、

この地には多数存在している。

 

 

そして、諏訪湖の冬は湖面の氷が盛り上がって筋のようになる

「御神渡り(おみわたり)」である。

 

これは厳冬期に凍結した湖面が、

昼夜の寒暖差による氷の膨張と収縮を繰り返すことで、

轟音とともに裂けて山脈のようにせり上がる自然現象。

諏訪大社上社の男神が下社の女神のもとへ渡った跡とも伝えられ、

古くから諏訪の人々に大切にされてきたとのこと。

 

このことは古事記にも書かれている。

 

さらに、神話から導かれているのであれば、

興味は尽きることがない。

 

やはりこのあたりは、

謎が謎を呼ぶ不思議なところなのである。

 

 

 

(次回、霧ヶ峰・白樺湖・車山へと続く)

 

 

 

長野県の最強パワースポットをめざして

 

 

去年は中央高速の山梨県・小淵沢インターで降りて

八ヶ岳をめざしたが、

今年はその先の長野県・諏訪をめざす。

途中、八ヶ岳サービスエリアで軽い昼食とコーヒーをいただく。

諏訪インターを降りて、ちょっと分かりにくい道を、

カーナビを頼りに走ると諏訪大社にたどり着く。

 

 

 

諏訪大社は初めて。諏訪湖も過去には通り過ぎていた。

が、今回はこのあたりが旅の第一目標。

 

近年、諏訪大社は御柱祭だけでなく、

その歴史や成り立ちが注目されている。

 

全国に約25,000社ある諏訪神社の総本社。

旧称は「諏訪神社」。

通称として「お諏訪さま」「諏訪大明神」とも呼ばれる。

 

 

 

 

境内に入ると、まず風を感じる。

この日の気温は34℃あったが境内は涼やかな風が吹いて、

すっと汗が引く。

境内の景色がうっすら霞がかってみえる。

山の冷気が降りてきてそんな気配を作り出すのだろうか。

参拝を済ませて神社のあちこちを歩き回るも、

たいした暑さを感じない。

それは不思議な感覚だった。

 

 

 

そういえば、このあたりは日本列島の中央構造線上にある。

このライン上には、伊勢神宮や鹿島神宮、石鎚神社、

天河大弁財天社など、多くの有名な神社や聖地が並んでいる。

 

中央構造線は、要するに大きな断層。

そこにかなりの神社が建っていることになる。

それはやはり地震の多いこの日本で、

大地を鎮めることを目的に建てられたものなのか。

 

さらに諏訪地方の古代信仰とも相まって、

雨や風を司る竜神信仰や、黒曜石の出土をはじめとする

縄文土器の縄文遺跡が見つかっており、

自然崇拝やアニミズムといった縄文の精神世界や祭祀のかたちが、

現在に至るまで色濃く受け継がれている。

 

 

 

 

 

私的にではあるが、このあたりから出土された土偶を

以前から幾度となくネットで眺めているけれど、

なんだか宇宙からの来訪者というイメージ。

 

 

縄文のビーナス、仮面の女神等、その名称も神秘的。

とりわけ仮面の女神は、その風貌に異星の雰囲気が漂う。

 

縄文時代の遺跡から見つかったもののなかで、

このあたりから出土された土偶が、初の国宝に指定されている。

 

※上記土偶はAIにて作成。実写がなくてごめんなさい。

実物はとんでもなく美しいのですが…

 

 

(次回、諏訪湖の話に続く)

 

真夏の寒川神社へ

 

ときどきだけど、方位・方角が気になることがある。

いつもではなく、ときどき。

旅行に行く前に、気になるとそうしたものを調べたりする。

 

8月の初旬に信州・諏訪あたりへ出かけるので、

吉方とか凶方位とかチェックしてみたら、

あまり良くないので、ではということで、

寒川神社へ出かけた。

 

真夏の神社はなんというか

幼い頃を思い出す仕掛けがいくつもあって、

まず蝉の声があたりに響き渡る。

どこかで鈴の音がシャンシャンと聞こえてくる。

濃く黒く伸びる社殿の陰。

 

夏祭りの頃なのだろう。

僕は小学生で、近所のクリーニング屋さんに丁稚奉公にきた

おにいさんと一緒に一之宮の階段をのぼっている。

集団就職の16才の坊主頭のおにいさんは、

当時8才の僕にとても良くしてくれた。

 

 

 

 

おもちゃの出店で小さな鉄砲を買ってくれた。

金属製で重い。

甘い水飴の梅も食べさせてくれた。

おにいさんはきっとわずかな給金しかもらっていない。

それはいまだからわかる。

実家に仕送りもしていたのでないか。

もう名前も思い出せない。

僕はあのおにいさんのやさしさに、気づいていたのだろうか。

心からありがとうって言えたのだろうか。

 

 

なんだか、消えてしまった灰のなかから

ふたたび火がついた記憶なんていうものもあるのだ。

寒川神社の帰路、そんなことを思いながら走っていると、

自分はあれからとても遠いところへ来てしまったのだと、

改めて自覚する。

 

夕暮れの丹沢山塊が陽を浴びて光っている。

圏央道のインターのクルマの渋滞がみえる。

 

僕は、あの日からとても遠いところへ来てしまった。

 

その時間軸の方向、

過ぎ去った日々の方角はと、訪ねる自分がいた。

 

―すべからく、そんなことはすべて、実はどうでもいいこと―

 

行きたいときに好きなところへ。

やりたいことに時間を使う。

 

そういうことではあるまいかと