気持ちの良い日が続きますが…

3

寒くて風邪気味ですが、外の空気は澄んで爽快です。

例年と違うのは、景色に邪魔が入ること。

夏に飛蚊症を発症しまして、晴れた日に顕著に出現します。

青空に蚊が飛んでいる…イラッとします。

加齢による眼球の異常らしいのですが、

検査の結果、緊急性はないとのことでほっとしました。

年をとると、ふっとした景色に感動できます。

それが近所の何気ない日常だろうと、

街の雑踏であれ、イルミネーションであれ。

さて、なんでだろうと考えるのですが、

その答えはいまだみつからず、

ただなんていうか、そうすることで

いいなぁって思う訳です。

2

愛おしいといっても過言ではない。

こうして歩いている、独りで動いている。

家に帰ればなんか食える。

そして屋根のある寝床で寝ることもできる。

健康そして基本的文化生活って尊いです。

それすら叶わないひとたちが、世界中にごまんといる。

自ら病気をし、友人知人の死や闘病を聞く度、

いまこうしていることの不思議に、

やはり人生の垣根はできるだけ下げたほうが良い、

というのが私の辿り着いた、理想の価値観です。

いつもその基本を忘れて、つい欲を出しています。

何かを差別しています。

知らぬ間に差別することって、思えば割と怖いことです。

きれいごとをいくら述べたところで、

同じ過ちを幾度となく繰り返しています。

1

こう考えると、人って本来性善なのか性悪なのか、

よく分からない。

聖書もお経もコーランも、

良いことが書いてあるハズなのですがね。

やはり人ってその通りに生きられない。

この広い宇宙には

ブラックホールとホワイトホールがあるそうです。

またある説によると、この世界は必ずふたつあって、

それが対になっている。

パラレルワールドもそんな考え方が元になっているらしい。

太陽と暗黒。

白と黒、右と左。男と女。

そして善と悪。

どうもこの世の成り立ちが、

私たちの歴史にも関係があるのかも知れない。

そう思うと平静を保てます。

赤ちゃんが教えてくれた

赤ちゃんが泣いている

手足をひっしに動かして

全身で泣いている

ぎゅっと掌を握っているし

赤くなってるからだでいっしょうけんめいだから

赤ちゃん

ずっと狭いとこにいたから怒ってるのって

だまってきいてみたけれど

こんなに辛い世の中にとび出しちゃったって

怒って泣いているわけでもないよね

なんだか一人っきりで産まれてきたから

悲しくて泣いているの

これから生きてくのは悲しいこともいっぱいだから

とにかくまず泣いちゃおうかって

だけどね

君の全身から溢れ出るエネルギーをみて取ったら

それはワタシが産まれましたよって

なるべくたくさんの誰かに知らせているようでもあるし

「無事に産まれましたよ神様」って

とても遠いところに声を届けているのかな

そのみなぎるほどの生命って

お母さんとお父さんにやっと会えた

やっとだよと

とてもうれしいんだって

全身からほとばしる歓喜だって

そう思えたら

僕はようやくほっとした

誰も信じちゃいない

前の記事は、ホントの話です。

誇張なしのつもりだが、

何人かにブログ記事の真偽について聞かれた。

「ホントですよ」とキッパリ断言すると、

なんだか余計に嘘くさくなってしまった。

まあ、書き方が胡散臭いという反省もあるが、

これはどうしようもない。

こんな書き方しかできない訳だから。

で、この事件があった直後も数人に熱く話したが、

一様に「へーッ」って返答するんですね、みんな。

しかし表情は結構冷静。

或る方は「まぼろしでも見たんじゃないの?」

「………」

これが本音でしょう。

日が経つに連れ、

こちらも「まぼろしだったのかなぁ」と。

こうした話って本人が熱く語るほどに、

聞き手は落ち着きはらう傾向があることは分かっていた。

僕は中学時代にも「鬼火」というものを目撃したことがあるが、

(ほら、もうあなたは疑っているでしょ)

そのときは夜中にひとりで見たこともあり、

結果、やはり誰にも信じてもらえなかった。

翌朝、母に興奮気味に話したのだが、

母は笑顔で「そうなの」と言ってから、

くるりと向きを変え、表情も変えずに、

テレビのなんとかモーニングショーに見入っていたし。

サンプル例はまだある。

大学のとき、朝方に友人3人でいたときのこと。

横浜のとある開発分譲地のてっぺんあたりの草むらに

車を止めていた。

車中で、話は盛り上がっていた。

新潟から船でウラジオストックへ行き、

旧ソ連(ロシア・東ヨーロッパ)を横断、そして南下して…という

世界ヒッチハイクのプランを練っていたところだった。

ふと、徐々に近づいてくる空からの光の異様さに気づき、

3人で一目散に逃げ出したことがある。

逃げ出すほど驚いた訳は、

朝方の4時頃、夜明け前なのに、

音もなく空から私たちに近づいてきたかと思うと、

至近で強烈な光を浴びせられたからである。

この正体不明のオレンジ色の光は、

いま思い返しても、私たちを狙っていたとしか思えないのだ。

逃げながら振り返ると、それはブルーへと色を変化させ、

あっという間に相模原方向へと去っていったのだった。

翌日3人で、大学で他の友人たちに

興奮気味に語ったのだが、

やはりなんとなくしらーっとした空気になった。

余談だが、

後に、この「世界に飛び出せヒッチハイク計画」はやむなく頓挫した。

理由は3人が次々に病を発症したからだ。

僕が急性肝炎、他は十二指腸潰瘍、結核…

後にこのときの3人が顔を合わせると、

まずは挨拶代わりに、

「あれってホントだよな。だれーも信じないけどな」

であった。

ちなみに冒頭の或る方から、

「もっと凄いのがいるよ。レオタードおじさんって知ってる?」

「いや、知りません。初めて聞きました」

帰って早速ネットで検索すると確かにいました。

画像付きですげぇ変なおっさん。

そして原宿にはセーラー服おじさんがいる。

大阪にはブルマおじさんが…

うーん、これはなんというか、分析が難しいなぁと考えるも、

どうも僕の話とは種類が違うなと思い始める。

全く別の話題に擦り替わっている。

摩訶不思議な事って、

体験した本人でないとなかなか人には信じてもらえない。

そう語りたかったんだけど。

やっぱりレオタード…のあたりから、

この話はねじ曲がっている。

だから僕の話はやはり、

薄々あやしいんです。

黒づくめババアの恐怖

そろそろ話してもいいだろう。

今年の夏。

蒸し暑い或る夜のこと。

私は奥さんと小田急線某駅から10分ほどのところにある、

格安のイタリアンレストランで、

ピザとかスパゲティとかサラダとかをたらふく食い、

幸福な気分で車を止めておいたコインパーキングまでを

だらだらと歩いていた。

赤信号の交差点に立っていると、

いつの間にか後ろに人の気配を感じた。

まあ、交差点なので当たり前なのだが、

異様に至近距離にいる気配を感じた。

イヤーな感じがしたので、奥さんにひと声かけて、

速足で歩くことにした。

安心するのもつかの間、

後ろの気配も速足でついてくるではないか。

まだ、私たちは後ろを振り向いてはいない。

何者が後ろにいるのか振り向くほどでもなかったからだ。

しかし、ずっと至近距離でピタリとついてくるので、

いい加減に私たちは足を止め、

とぼけて脇にあった自動車展示場の車を眺めることにした。

と、驚くことにそのイヤーな気配もピタッと足を止め、

私たちの後ろにくっ付いて立っているではないか。

振り向くと、背の低い老婆とおぼしき影。

「何かご用でしょうか?」

私が話しかけると、その影が言うには、

「私は足が悪いんですよ。それでね、

誰かの後について歩こうと思ってね」

「うん?」

どうも理解しかねる返答だった。

この影をよくよく観察すると、

真夏だというのに、黒い頭巾を被り、

長袖の黒い衣服を身にまとい、

引きずるような丈のスカートに、

黒い手袋をはめている。

口をマスクで隠している。

そして雨も降っていないのに、黒い傘をさしていた。

夜だというのに大きなサングラスをかけたその奥に、

得体の知れない不気味なものを感じた。

先ほどからの事を振り返えってみた。

この人は途中から、相当の速足で私たちについてきたのだ。

話しながら老女らしき人は膝をさすっている。

上目づかいで、こちらの様子を伺っているのが分かった。

(この人って本当に老婆なのか?)

得体が知れないと思った。

はっきりしているのは、この人は多分女性で、

背が低い、ということ。

それしか認識できない。

日曜の夜の10時過ぎ。

繁華街の一本裏通りである。

人通りはまばらだった。

この至近距離でついてくること自体、

最初から不自然とは思ってはいたが。

私はとっさに手を振って、

「なんだかよく分からないけど、

どうぞお先に!」とジェスチャーをする。

「そうですか?」

この黒づくめ、不満そうなのだ。

少し間があく。

重い空気が張り詰めている。

黒づくめはようやく諦めたらしく、

しぶしぶと歩き出した。

歩く後ろ姿をみると、普通に歩いているではないか。

この場合、目が悪いのであれば、

私も少しは納得したのかも知れない。

いやしかし、いろいろと首をかしげるような印象から、

やはり不気味なことに変わりはない。

黒づくめの後ろ姿が徐々に遠くなり、

ようやくその姿が小さくなるまで、

私たちはなにかよく分からない恐怖感にさいなまれた。

あの人は一体何が目的で私たちの後ろについてきたのか、

歩きながら考えを巡らすも、全く分からない。

もし、あの老婆が、万一何か悪いことを企んでいたと考えると、

私たちは二人でいるので、相手も分が悪い。

それなら一人で歩いている人間を狙うのではないか。

やはりあの老婆の目的が分からない。

たださみしいのではないかとも考えたのだが、

であれば、人の嫌がるような行動をとるだろうか。

幸福な満腹感が、息苦しさに変わっていた。

車が止めてあるコインパーキングは、

鉄道の高架下のかなりの暗がりにあった。

あたりは人家はなく、田園が広がるのどかな一帯だ。

丸1日止めてもたいした料金ではないので、

そこにしたのだが…

汗を拭きながらパーキングに入ろうとすると、

高架下のずっと遠くから

小さな影が小走りでこちらに近づいてくるのがみえた。

目を凝らすと、なんとあの黒づくめババアではないか。

とっさの事で頭が混乱する。

私たちはコインを入れる余裕もなく、

低くしゃがんで車に滑り込んだ。

心臓がひどく鼓動しているのが自分でも分かるほど、

私たちは気が動転していた。

その恐怖の正体は、

相手の目的が不明だからなのか、

いや、あの姿なのかは、

いまでもよく分からない。

シートに深く沈み込んで、

恐る恐る外をちらっとみると、

あの背の低い黒ずくめが

私たちの車のすぐ横の道をゆっくりと歩いている。

まわりを伺うように用心深く歩いているのが

その姿からすぐ分かった。

一体あいつはなんなんだ。

本当に人間か?

ひどい汗をかいている。

息づかいが荒くなる。

時間がどのくらい経過したのか、

それさえよく把握できなくなっていた。

勇気を振り絞って上体を起こし、

ガラス超しに恐る恐る外の様子を伺う。

黒づくめは高架下に沿って続く道を

きょろきょろしながら歩いている。

「いまだ!」

外に飛び出した私は精算機まで走り、

なんとかコインを投入した。

もう高架下の不気味な姿はあえて確認しなかった。

車のストッパーが下がると同時にキーを回し、

エンジンをかけ、窓を閉める。

冷房を最強にする。

車内がむせるように暑いのを、

このときやっと認識する。

黒づくめは、私の車のライトに照らされ、

遠くからちらっとこちらを振り向いた。

わずかながら、あのサングラスが一瞬反射した。

その映像を、いまでも私は忘れることができない。

夢でみる情景

初めてその夢をみたのは、

確か20代の頃だったように思う。

その後、幾度となく同じ夢をみる。

その風景に何の意味、教え、警告とかがあるのだろうかと

その都度、考え込んでしまうのだ。

30代のあるとき、友人と箱根に出かけ、

あちこちをGTカーで走り回っていた。

心地のいい陽ざしの降り注ぐ日。

季節は春だった。

ワインディングロードを走り抜ける。

とても爽快だった。

が、カーブに差し掛かったとき、

私はこころのなかで「あっ」と叫んだ。

そのカーブの先にみえる風景が、

私が夢でみるものと酷似していたからだ。

夢で、

私はアスファルトの道をてくてくと歩いている。

どこかの山の中腹あたりの道路らしい。

それがどこの山なのか、そんなことは考えてもいない。

行く先に何があるのかも分からない。

陽ざしがとても強くて、暑い。

しかし不思議なことに、全く汗をかいていない。

疲れているという風にも感じない。

カーブの先の道の両脇には、

或る一定間隔で木が植えてある。

その木はどれも幹が白く乾いている。

背はどれも低い。

太い枝を付けているのだが、

葉はいずれ一枚もない。

そのアスファルトの道が、

どこまでも延々と続いていることを、

どうやら私は知っているようなのだ。

夢でみた風景が箱根の道ではないことは、

その暑さやとても乾いた空気からも判断できた。

現に箱根のその風景は、

あっという間に旺盛な緑の風景に変わっていた。

夢のなかのその風景は、

メキシコの高地の道路のような気もするし、

南米大陸のどこかの道なのかも知れないと、

あれやこれやと想像をめぐらすのだが、

私が知った風景ではないことは確かだった。

つい最近も、仕事の合間のうたた寝の際、

夢の中にその風景が現れた。

立ち枯れた木がずっと続くその道の先は、

きっとその山の頂上に続いているのだろうと、

ようやくこのとき私は想像したのだった。

なんの怖さも辛さも感じない。

ただ、暑さと乾燥した空気が心地いい。

相変わらず強い日差し。

それが身体にエネルギーを与えるようにも感じられた。

あたりに風は一切吹いていない。

とても穏やかで静かだった。

覚醒した私は思うのだ。

頂上にたどり着いた私は、

やがて、空へと続く一本の階段を発見する。

そして、誘われるように、

その階段をてくてくと昇ってゆくのだろうと。

もちろん、その階段は天まで続いている。

初冬のキャンプ

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初冬なので、軽めのキャンプに行ってきました。

軽めとする理由は、寝るとこが一応トレーラーだからです。

テントは、ホントに寒いです。

以前、晩夏の山中湖でテントに挑戦しましたが、

山中湖は夏でも夜は気温が急降下します。

Tシャツにヨットパーカーという軽装では、

震えがきました。

今回は相模湖近くとはいえ、初冬なので、

テントではなく、トレーラーにしました。

一応、ユニクロのダウンを持参しましたが、

結果、ペラペラのダウンではこの時期が限界でした。

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夜はまあまあ寒いという程度で、

火も使っているし、なんとか凌げました。

なんといってもキャンプ場近くのスーパーで、

奮発してステーキ用の肉を仕入れて来たので、

ガツガツ食いまくっているうちに寒さが遠のいた、

という表現が適当でしょうか。

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問題は朝方。

やはり寒さで目が覚めてしまいました。

時計をみると4:50。

トレーラーのなかの息が白い。

歩き回ると床がぎしぎしと響いて、

車体が揺れます。

固定されてるとはいえ、下はタイヤですから。

ちなみにこのぎしぎし音って

ホントに憂鬱な気分にさせられます。

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ひんやりとしたカーテンをめくって窓ガラスに手を触れると、

外の風がスースーと入ってくるのが分かる。

四方の窓がほぼそんな感じ。

天井の換気口をよくよく凝視すると、

空が見えるほどに開いています。

閉めようにも中央の換気口のみ閉まらない。

ここから結構冷気が入ってくる。

ほほぅ、これじゃテントと変わりないじゃないか。

プレハブの建物よりまずいかも。

山の頂上付近には、昨夜から強風が吹いている。

スマホで現在の気温をチェックすると6度だ。

6度で強風は、やはり寒いよなぁ…

恐々と表に出てみると、月明かりに照らされた山並みが、

深い群青色で漆黒の空とは異質の存在感を示している。

まだ昨日の炭がくすぶっているあたりで

がさがさと物音がする。

反射的にライトを照らすと、

なんと大きなトラ猫が昨夜の焼き肉のたれらしきものをあさっている。

ビックリするし寒いし。

すぐにトレーラーに引っ込んでありったけの布団を被って

猫のようにうずくまる。

(さっきの猫は丈夫です)

やがてあたりがうっすらと明るくなる頃、

いやいやながら湯を沸かしてコーヒーをすする。

そういえば、昨日も今日も平日なので、

まわりのトレーラーハウスには誰もいないようだ。

今度はしっかりと着込んで再び表に出てみる。

快晴。

東のほうからゆっくりと陽が昇ってくるのがみえる。

遠い山並みが紫がかった色に染まる。

そこに陽の光がすっと一直線に走るのがみえる。

山間の谷間には、白いもやが大きな塊となって

ゆっくりと風下に流れている。

見上げると、月もその姿を次第に消そうとしている。

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さきほどまで、私のアタマのなかで、

ピーターの「夜と朝のあいだに」が流れていた。

いま、この希少な景色を眺めていたら、

いつの間にか岸洋子の「夜明けのうた」に切り替わった。

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遥か彼方に街らしきものがみえて、

人の日々の営みを思う。

そして我が青春の歌が流れている。

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丹沢の秘湯とたたかう

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連休の中日、神奈川・丹沢の秘湯へと向かうも、

最初の温泉は泊まり客優先ということで断られた。

かぶと湯温泉。

この宿の露天風呂は、川にせり出すような位置にある。

ちょっと熱いけれど、下に流れる渓流のせせらぎが良い響きで聞こえる。

木々の揺れる音も相まっていいんだよなぁ。

鳥のさえずりもなかなかいい。

残念!

まあ、こういうことには慣れているので、次をめざす。

広沢寺温泉。

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ここの宿は、泊り客とは別に湯場がもうひとつあるのですっと入れる。

夕方に行ったので、気温がだんだんと下がってくる。

さっさと湯に浸かろうと思ったが、

やはりというか、すげぇ熱くてどうしても浸かれない。

元々ぬるい湯が大好きで、熱いのが苦手。

着替えも外の吹きさらしなので、早く浸かりたいが、

どう頑張っても入れない。

体温がかなり低下しているのが分かる。

風がさらに冷たくなってきた。

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頑張って腰まで浸かったが、肌が痛い。

湯が痛い。

かっぷくのいいおっさんが目をつむってじっと浸かっている。

顔が上気している。

その姿はまるで修行僧のようにもみえる。

他のふたりの中年もなんとか肩まで浸かっている。

こちらからは我慢しているようにみえる。

しかし、こういうときの自分がなんか許せない。

気合を入れても入れない。

しょうがないので洗い場でシャワーをずっと浴びる。

かなり危険なシチュエーションだなぁ。

身体がやけに冷えている。

そういえば、と思い出す。

今年の初めもここへ来て同じ目に遭っていた。

同じ過ちを繰り返すとは…

学習機能が働いていない己にあきれる。

シャワーをずっとかけていたら、

身体が慣れてきたのか、再チャレンジで胸まで浸かれた。

余裕。

外の笹の葉のすれる音に気づく。

近くの川の流れる音が聞こえてくる。

なかなかいいではないか。

見上げると、夕刻とはいえまだ青空が残っている。

ここで、ふーっと気が抜け、

いまさらリラックスですよ。

体温が徐々に上がってきたようだ。

己に笑顔と余裕の表情が戻る。

にしても、いい年をして熱い湯にも入れないことを、

自問自答する。

思えば、

自宅の風呂においても奥さんの後は熱くてそのままでは入れないし、

水をがんがん入れると後で娘に怒られるしなぁ。

丹沢山塊がシルエットになる頃、

湯を出て中庭でコーヒーをいただく。

やはり水が違うとコーヒーもひと味違う、

などとちょっと優雅かつ満足なひとときを味わう。

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しかし、それにしてもである。

先ほどからまだあの熱い湯に浸かっている

修行僧のようなおっさん、

なんかかっこいいんだよなぁ。

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若い奴にはわからない格言

年をーとると…

年をとると、

歩くのがどうも遅くなるようだ。

ようだ…との曖昧な言い回しは、

たまたまビジネス街を歩いていて、

気がつくとまわりのみんなにドンドン追い越されていくことに、

後になって気づくのだが、

ビジネス街のあの人たちって、どうも速歩のような気がするなぁ、

という訳。

飲み込みが悪いというのは、理解するのが遅いの意でなく、

文字通り口にほおばる食品類を嚥下するのが遅いということである。

嚥下力の強さは、若さの象徴である。

年をとると、この力が低下する。

ときにむせたりもするから、食品摂取は命がけだ。

嚥下力のUpにはカラオケが良いということで、

先日カラオケに出かけるも、連続して歌ったら酸欠になる。

いずれ、危険!

老眼っていうのは簡単に言ってしまえば、

たとえば文庫本を読もうとするも、

眼鏡なしの裸眼だと、

活字が蚊の死骸がズラッと並んでいるようにみえるから、

ちょっと憂鬱。

だけど、いいところもある。

見たくないものは見ない、読まないで済む。

年を取るとは、いらぬ話を持ち込まないこと。

老眼の効用なんである。

禿げるとは、鏡を見てあっと気づいた時から

額やツムジに強烈な自意識が集中する。

これってある意味、老化する己の確認でもあるからして

或る人は頭痛持ちとなるも、

年々ひどくなる一方の物忘れが幸いして、

そのうち他人の禿げ頭を冷静に眺めるようになる。

これは嘘である。

では性欲はとなると、

3ヶ月前の忘れ物を何かの拍子でふっと思い出すようなもの―であるからして

若い頃のように毎日いっときも欠かさず意識するような面倒な事態に陥ることなく、

イキノイイ若い奴のように、

息荒くあからさまに、焦って忘れ物を取りに帰ったりはしないものである。

 

↓若い頃大好きだったゾンビーズの「ふたりのシーズン」
 歌詞の内容はヒドイけど…

怒涛の船上結婚式

素人タクシードライバー

問題は台風直撃の予想のなか、船上結婚式に行かねばならない、

というプレッシャーにあった。

ほぼ決行というので、行くしかないね。

どしゃ降りの霞ヶ関からタクシーを探せど、

週末の土曜なので、官庁街は人気もなくがらんとしている。

当然、行き交う車も少なく、

たまに通り過ぎるタクシーも「迎車」の赤いライトばかり。

そこへモサッと走ってきたタクシーをやっと捕まえた。

「浜松町まで!」びしょ濡れの服をわさわさと拭いていると、

「浜松町ってどこですか?」とこのタクシードライバーが驚くことを聞いてきた。

車はすでに走り出しているではないか。

「うーん、いまあなた何て言ったの?

山の手線の浜松町駅。知らないってホント?」

まっすぐ前を直視している彼は、見たところ働き盛りの40代と踏んだ。

「ええっ、知らないんですね」

「だってナビがあるでしょ?」

結局、このタクシードライバーはナビの使い方も知らないらしく、

私が「次の交差点を左! で、○○を過ぎたら右ね、そうそう、でね…

おっと、そのあたりをゆっくり走って」

気が気じゃない。

そんなやりとりでぐったりびしょびしょのまま、

浜松町の海沿いの通りで降りる。

このタクシーをよーく思い返すと、彼の日本語がたどたどしい。

地理をよく知らない。

タクシー会社の名は忘れたが、ドライバー名は確かに日本名だった。

ビジュアル的には日本人にみえた。

あいつホントに2種免許持っているのかな?

うーん、よく分からない!

大雨の湾岸国道

明日の結婚式の会場となるシンフォニーとかいう船が停泊する

日の出桟橋あたりの道路に私たちは突っ立っている。

雨は相変わらずどしゃ降り。

(問題はホテルだよな、予約してあるホテル)

「確かこのあたりだと思うんだけど…」

スーツケースはずぶ濡れ。

午後9時。ほぼ人っけなしの国道に車が水しぶきを上げて走り抜ける。

iPhoneでグーグルマップを出して目的のホテルをマーキング。

結局トボトボと15分も歩いてめざすホテルに辿り着いたときには、

服はベッチャリ、身体ぐったりで、もう船上結婚式の前にバテる。

ホテルは山手線やら京浜東北線、

新幹線がまとめて通過する横に建っていたので、

絶対に終電までは眠れませんでした 笑

と同時にテレビでは首都圏に台風直撃間違いないという予想、

選挙報道もがんがんやっている。

あー憂鬱。

朝食はめちゃくちゃ美味かったけどね!

嵐の日の出桟橋

姪の結婚式当日は日曜日。

鬱陶しい東京の景色は重たく、冷えているなぁ。

超大型台風はどうも関西あたりを通過している模様。

話はそれるが、この日は弊社ディレクターは大阪でイベント運営の最中だったが、

電車は止まるはなんだかんだで相当ひどかったらしい。

前日にホテルに前乗りしたのは、

奥さんのヘアセット他が早朝予約してあったからだが、

式は午後3時からと待ちが長い。

久しぶりにホテルのテレビをザッピングしたりして時間を潰す。

午後2時乗船。親類初顔合わせ。式、披露宴、なんだかんだで

下船は午後7時頃の予定となっている。

100%暴風圏内での船上結婚式。

これって無事に終わるのかね?

昼過ぎに日の出桟橋に向かおうとホテルにタクシーを頼むと、

全く繋がらない、または1時間待ちという回答。

またしてもひどい降りのなかをテクテクと歩いたね。

礼服びしゃびしゃ。冷たーい!

しかーし、日の出桟橋待合室には人人人で溢れかえっていた。

待合室前には、はとバスがずらり。

東京湾クルーズの予約客の一群はどうやら台風なんぞ関係ないらしい。

乗船前とあって皆ニコニコ興奮気味。

老いも若きもポテトチップスとかビールとかを摂取しながら

満面の笑顔なのである。

ほほう、こっちの常識と真逆の一団をついに発見した。

そうこうしているうちに親戚の連中がパラパラと集まり始めた。

一様に濡れた礼服の水滴を払いながら「大丈夫かね」と口々につぶやく。

やはり不安かつ難しい顔を皆しているではないか。

思うに、あの楽しそうな一団はいまから東京湾クルーズを楽しんで、

まあ午後2時には下船。で、さっさと家路を急ぐのであろうと。

こっちは、その後の夕方、暴風圏のなかを乗船。

で、わいわいなのかどうなるのかよくわからないが、

夜まで宴会のようなものが続く訳なのである。

雨降って地固まるか

乗船して、まず親類写真の撮影となったが、

どうも岸壁に停泊していると結構揺れるので、

なかなか皆一様にポーズが決まらない。

なんだか皆緊張気味に足を踏ん張っている。

当然私も踏ん張る。

ずっと震度2という揺れ状態が続く。

この揺れに逆らうと余計に疲れるし酔うのであろうよ。

早速、海底で揺れる海藻を思い出し、

なんとなく揺れるがままにしていると少し体が楽になることを発見。

以降、そのスタイルを貫くことにした。

東京湾のクルーズ路線は台風のため変更・縮小され、

お台場あたりをふわっと進行している。

高層ビルが霧でかすんでいる。

どこも灰色がかったモノクロームな景色一色である。

が、船内はというと若い連中で盛り上がっているではないか。

酔っぱらって気分が悪くなって甲板に出ようとしている若者をみかける。

その蒼ざめた顔をみてなんだか笑ってしまう。

こっちも次第に、嵐のなかを楽しむのもなかなかのもんで

なんか悪くないんじゃないかと思えてくる。

シャンパン、ワイン、ビール、フォアグラ、ローストビーフ。

ガンガンと食いまくる。

久しぶりにアルコールを摂取してみる。

窓の外を眺めると、嵐はさらにひどくなるも、

船内の熱気はさらにヒートアップ。

歓声の連続が響き渡る。

みんな心底からふたりを祝福しているのがみてとれる。

こうなると若い連中に乾杯ですね。

やはり若いってひとつの特権だと思う。

この世知辛い世の中だけど、まあそのくらいのパワーがないとね。

誰かが例のつまらないスピーチをしていた。

「雨降って地固まる…」

頼もしいふたり

新郎のスピーチでも今日という台風の最中の結婚式を、

皮肉ではなく一生思い出に残ります、

そして今日のように嵐のような状況から出発するのも悪くないと、

かなりポジティブな発言をしていた。

彼は本気でそう思ったのだろうよ。

姪よ、幸せになってくれ。

下船は夜の7時を回っていた。

待合室には誰もいない。

昼間の喧騒がうそのようだ。

風雨がさらに激しくなる。

みな満足げに下船してきたものの、

あまりの激しい雨に呆然としている。

やはりタクシーが全く捕まらない。

しかたなく、誰もが覚悟を決めて、

暴風のなかを燦々囂々散ってゆく。

港では作業員がせっせと建物を囲むように土嚢を積み上げている。

やはりギリギリの船上結婚式だったらしい。

秋の雨の日に想うこと

人の背丈のほんの少し上のあたりを

とてもやさしいことばが流れるように浮かんでいるのを感じて

僕の呼吸はなんだか楽になり

首筋から肩から力がすっと抜けて

知らぬ間にちょっと笑えるようになったら

雨音も穏やかに軒に落ちてきて

濡れた葉一枚一枚が妙にいきいきとして映り

知った顔が何人も笑っては消え

世界が突然色づいたんだ

こうして僕の世界と僕を取りかこむ世界は繋がり

ああ もう一度やってみよう 歩いてみようと思ったんだよ