スローなブギにしてくれ

キザな台詞のような、いや、この素敵なフレーズは、

かなり昔の角川映画のタイトル。

覚えています?

80年代の幕開けにふさわしいというか、

ちょっとイカしたタイトルだと思った。

僕は社会に出て、真新しいウォークマンを身に付けて品川まで通勤。

学生時代によく聴いていたソウルミュージックを聴く機会はメっきりと減り、

この頃から山下達郎、YMO、エボ、南佳孝など、

ニューミュージックと呼ばれるものを聴くようになっていた。

━音楽を連れて街へ出る━

そんな新しいライフスタイルが定着したのが80年代の初頭。

「スローなブギーにしてくれ」という映画の出来に、僕はあまり興味はなかった。

ただ、原作者の片岡義男がとても気になった。

この作家の書くものは都会的で、

そこには、いままで僕の全く知らない洗練された世界があった。

以前のブログにも書いたので、

いまこの人の書く世界というものは端折るが、

後に続く村上春樹の作品の幾つかがどこか片岡義男に似ているなと思った。

村上春樹が片岡義男を意識していたこと、

そんな事を書いたものを僕はいままで読んだこともないが、

ほぼ間違いないと勝手に思っている。

どこが…と言われるとこたえに窮するが、要はその空気感とでも言おうか、

ひとことではあらわせないような何かが、共通項としてある。

あえてあげるなら、このふたりの作家は、

共に英語に堪能であり海外の作品を数多く、

それも原書で解釈していたのではないか。

文体が日本語のそれとは違い、翻訳的とも思われる文体を駆使すること、

僕がまず気がついたのは、そうした箇所からだが。

音楽に話を戻すと、

僕はとりわけ南佳孝の歌い方と歌詞が好きで、

彼の「日付変更線」という作品においては、

遠くパラオの名もない小島でほぼ半日くらいの間、

ヤシの木の下に寝そべって青い海を眺めながら、

ぼおっと浸ったことがある。

もちろん、ウォークマンと一緒に。

ニューミュージックなんて軽めに書いたが、

彼の楽曲にはジャズに精通したものもかなりあるし、

詞には早くから松本隆も参加している。

やはりそうなると大御所なのかねって。

で、今年の夏、なぜか南佳孝への興味が急速に再燃、

それではということで急きょライブへ行くことにした。

32度超えの8月の初旬、私と家内は早めに家を出た。

そして、会場近くのパーキングに車を止め、

レストランで軽めの食事とアイスコーヒーをとる。

で、ネットで調べた住所を頼りに、

目的のビルの地下のライブ会場へと急いだ。

これは失礼な話になってしまうが、

客観的に考えて、

いまどき南佳孝ライブなんて私たちのマニアックな趣味であり、

もうみんなは忘れているアーティストという認識だった。

会場もかなり空きがあるものだと勝手に想像していた。

が、ライブ会場は満席、というか当日もライブを聴きたくて来た、

という人もかなりいて、開場前からすでに熱気に包まれていたので、

私たちは面食らってしまった。

やはり南佳孝って根強いファンがいる。

まわりを見渡すと、僕とほぼ同年代のファンが多数を占めているが、

若い人もかなりいるではないか。

という訳で、認識を新たにした次第。

さらに驚いたことに、彼はいまもラジオ番組ももっていること、

相変わらず楽曲をあれこれと歌い手たちに提供していることを知る。

ああ、知らぬは僕たちだけだったということが判明した。

いまさらながら恥ずかしい思いをしたのは、

私が好きなアーティストをしっかり見守っていなかった、

そうした薄情さに由来するのだろうと思う。

ここ30年の間、私はなにをみて何を聴いていたのか。

彼のピアノが響き渡り、あの独特のハスキーボイスが会場に広がると、

思わず心の中でうわああと叫んでいた。

モンロー・ウォーク、憧れのラジオ・ガール、

風にさらわれて、涙のステラ、羅針盤、SCOTCH AND RAIN…

どれも想い出がいっぱい詰まった素敵な曲ばかりが続く。

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当然、見た目はおじいちゃんになってしまった南佳孝だが、

それはお互いさまのことである。

しかし声に張りがある。

ギターの指使いの切れも相当いい。

そして音楽が好きで好きでたまらないという、

エネルギッシュさに溢れている。

湘南の大磯在住。早朝に目覚めてしまう。

趣味は散歩ととぼける。

いや、杉山清貴と新曲もリリースしているし、

斉藤和義とも仕事がらみか親交があると話していたし、

バリバリの現役じゃん。

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その後数日、僕の心身には快い余韻が残って、

相当浮かれていたと思う。

過去の忘れ物を取りに行くのも、

たまには悪くない。

地下鉄13番B出口

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地下鉄13番Bの出口を出ると

ひゃっとする風が首筋をなでて僕は覚醒する

そういえばずっと寝ていたんだっけ

ぼおーっとするような生暖かい車内では

誰もが居眠りをしていた

僕は角がくすんで折れた文庫本をずっと読んでいたんだけど

いつの間にか寝てしまったんだ

ふと目が覚めたときも車内は僕以外みんな寝ていた

その古い本はとても面白い物語で

世界が突然消えてしまうという

恐ろしいけれど

最後の最後にヒーローが現れて

僕らをユートピアへ導いてくれる…

いや いまはまだその結末は分からないけれど

きっと助けてくれる

そう信じていままでこの本を読んできた

地下鉄13番Bの出口は

以前は大通りの角にあって賑やかだったけど

いまはもう驚くことにすべてが草原になってしまった

一体なにが起きたのだろう

なにがあったんだっけ

地下鉄13番Bの出口

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そのことはもう誰も知らないし

誰に聞くこともできない

まわりを見渡しても誰もいない

みんなどこかへ消えてしまった

そういえばあれから3度目の冬だ

凍るような風がひっきりなしに吹くので

僕の体温はみるみる低下している

見わたすとあたりに高い建物はなにもない

葦(あし)が群生するその向こうには寒々とした草原が広がり

その遙か先に煙がのぼる火山がみえる

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僕はあの約束どおり

約束の年 決められた日に

地下鉄13番Bの出口に辿り着いたんだ

息を整える

拳をぎゅっと握ってみる

そして僕は

角がくすんで折れた文庫本をぎゅっと握りしめ

葦のなかを歩きはじめた

めざすはあの遠い火山の麓のまち

いま僕がいくところはそこしかない

ところどころがかすれた文字

あやうい物語

なのにいま頼るものはそれしかない

この結末はまだ分からない

けれど僕がこれからつくるストーリーは

きっとやさしいに違いないのだが…

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夏の夕暮れのウスバカゲロウ

ある夏の夕方のどしゃぶりのあと

新しくオープンしたホームセンターへとでかけた

天候のせいか、店内は人もまばらで

広大な建物のなかはがらんとしている

巨大ホームセンターの周辺はまだたっぷりと水田が広がっている

確か以前ここは見渡す限りの水田だった

店はその真ん中に鎮座する

蛍光灯の強い光りのもと

広い売り場をとぼとぼと歩くが

溢れる商品の多さに

目的の探し物が何だったのか忘れてしまった

誰もいない膨大な商品棚の通路を

なにを間違えたのか

ウスバカゲロウがひらひらと浮遊している

不安定で頼りないその飛行は

徐々に高さを失う

心許ない命の終さえ予感させる

ここはもう水田じゃない

そして君の帰る場所などもうないのに…

ウスバカゲロウは

プラスチックのキッチン用品にとまり

次第に飛ぶ力も果てて

テカテカに光っているタイルの上ほぼ10㎝あたりを

彷徨っていた

あれから僕もいろいろなことがあって

季節はすとんと

まるで手品みたいに移り変わる

あちこちに赤とんぼが現れたススキの頃

涼しい風に吹かれて

高い空に吸い込まれるように

心地よく歩いていると

やはり秋は思索を誘うから

あの夏の夕暮れに遭遇した

巨大ショッピングセンターのウスバカゲロウの行く先を

つい考えてしまうのだ

「人間なんて所詮は

この世の窓辺にとまるウスバカゲロウみたいなもの」

作家ケストナーが放ったことばが刹那的だ

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空萌ゆ。

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夕焼け評論家の冬景色宗助です。

昨日は朝から雨、そして曇天の重たい空。

街も憂鬱そうでした。

夕方の打ち合わせが終わり、外へ。

と、雲が切れ始め、その隙間から

溶けて流れ出したミントアイスみたいな薄水色の空が徐々に広がり始め、

街にも薄日がさすほどになりました。

9月も半ばなのに、まだ暑い。

皆汗をかきながら、しかしなんだか気が晴れたようにみえます。

車を運転しながら、見晴らしを求めて山のほうへ。

刻々と日暮れが近づいています。

途中、空を眺めながら、薄水色のそれは、

やがて透明な空気を見透かすように濃度を上げ、

鮮やかなブルーへと変色し、

やがてオレンジの絵の具が混じるようになりました。

夕焼けは、こうしてぱぁっと空一面に広がり始めたのです。

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月影、日陰、夕焼けの陰影。そして影絵…

これらはどれも美しい。

━陰はその実体を消し、

カタチとしてのみ認識される不思議な存在であるし、

だからこそ光あるものを浮かび上がらせ、

実体を実体として強調し知らしめる役割を果たす━

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昔、ある占星術の方に、

「太陽よりも月がいいですね」と話したところ

「陰」なのですね、と言われた覚えがあります。

ふむふむ、陰気な性格とでも言いたかったのでしょうか。

ホワイトホールにブラックホール。

太陽と月。

洋歴と陰暦。

光と影は常に「対」の存在であり、

この世の真理としての象徴なのかも知れません。

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さあ、明日は晴れだ!

箱根―ピカソとシャガールと…

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先々週、行ってきました。

箱根はいまとにかく混んでいます。

特に、湯本と芦ノ湖。

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観光地の起点と終点と考えれば当然でしょう。

日、月曜と行ったので、初日は当然混雑に渋滞です。

いや、月曜日も混雑に渋滞でした。

いまは平日も混んでいますね。

大涌谷付近は一部通行止めがあります。

その後噴火がどうなのか知りませんが、

晩夏の箱根は気持ちがよくて美しい。

今回の目的は、まずポーラ美術館。

そしてガラスの森美術館。

あと芦ノ湖の成川美術館でした。

仙石原にあるポーラ美術館はいま

「ピカソとシャガール」やってます。

ピカソは過去数回観ていますので、

おおっという感激はやや薄れました。

シャガールは新鮮だったので、

ほほぉという驚きと魅力の交錯です。

ポーラ美術館は、国立公園内にあるので、

付近の景観を損ねないよう、とても低く、森に沈み込むように、

しかし純白に光り、かつ個性的なフォルムでたたずんでいます。

ここは幾度となく足を運んでいますが、

今回は鑑賞のあと、

美術館の裏手の森を歩きました。

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ちょっとひんやりとした遊歩道をゆくと、

ヒメシャラの木々からの木漏れ日が、

きらきらしている。

ふっと肩の力が抜けるのが分かりました。

そうそう、

ピカソとシャガールって、友人同士だったらしい。

私は初めて知りました。

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ピカソの初期の絵はとても好きですが、

キュビズムに入ると、うーん理解しようとすると難しくなる。

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シャガールはとにかく夢のような絵を描く。

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そうした作品がたくさん展示してあるので、

まさに夢遊病者のように絵のまわりをうろうろしてしまうのです。

期待どおりでした。

ポーラ美術館には、モネ、ルノワール、セザンヌ、

マティス、ゴッホなどの作品も所蔵されてるので、

鑑賞後は怒濤のような感情が押し寄せ、

胸いっぱいお腹いっぱいになってしまいます。

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一息吐かないことにはと思い、

館内のカフェをのぞくとやはり混んでいました。

という訳で、アイスコーヒーを諦めて、森を歩いたのですが…

クールダウンにはうってつけでした。

ここからガラスの森美術館へは、車で10分ほどの近さ。

ここもやはり混んでいました。

館内はどこも絵葉書のような風景がひろがります。

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ここへ来た目的は、ずばりヴェネチアン・グラス。

所蔵の数は、きっと東洋一ではないかと思います。

クラシックなものから現代のものまで、

ズラッと展示されている。

園内の木々にはスワロフスキーとおぼしきガラス玉が惜しげもなく飾られ、

陽光と風を受けてあちこちでキラッと光る。

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レストランではイタリア人歌手によるカンツォーネのライブ。

私は初めて生で聴きましたが、嫌いじゃない。

なんというか、日本の歌謡曲のようなものでしょうか。

私は過去にも一度経験したことなのですが、

食事中にテーブルに近づいてくる生歌・生演奏って、

まあとても疲れますね。

食しながらアーティストに気の利いた笑顔と拍手を送る―

どっちか一方にして欲しいですね。

この前日には芦ノ湖の成川美術館に行ったのですが、

ここはここで素晴らしい。

特に、平山郁夫の絵がいいんです。

芦ノ湖を見下ろす景勝の地に立地しているので、

やはりガラス張りのカフェは人気でしたね。

さて、感想として連日の美術館巡りは、

やはり疲れます。

もっとじっくりと

もっとゆったりと

さらに味わうと

描いたひとも観るひとも本望なのではないか。

そういうのをホントの贅沢というのでしょう。

紅葉の頃にまた尋ねたいと思いました。

マグロ少年

イルカにのった少年、

オオカミ少年ケンときて、

マグロ少年という流れで書こうかと思っている。

鳥になった少年というのもあった。

この歌はファンタジックなとてもいい歌だった。

いつでも少年は お祈りしたのです

大空自由に 飛べる羽根

ぼくにも下さいと

父も母も どちらもいない

とてもさびしい 身の上だから

いつでも少年は 夢見ていたのです

地上の悲しみない空へ 自由に行きたいと

1960年代にヒットした歌。

とても素敵な歌詞です。

で、少年つながりで、

まずイルカにのった少年ですが、

これは昔よく聴いていました。

歌うは、城みちる。

そこそこのヒット曲だった。

城みちるも人気があったなぁ。

最近、どこかの番組で観たが、

童顔が裏目に出て妙な爺さんになってしまった。

で、この歌はいつもあちこちで流れていたので

かなり聴いているハズだが、

いま思い出しても、なんで少年がイルカにのっていたのか、

それが分からない。

いまも分からないが、調べようとは思わない。

ただ頭に浮かぶのは、

イルカっていつも濡れてツルツルしているじゃないですか?

イルカにのった少年って、

座ってしがみついていてもキツイ。

立っては絶対に乗れないと思いますがね。

狼少年ケンは日本の初期のアニメで

狼に育てられて大きくなった少年の物語。

勇敢で困った人を助け、正義の味方を貫く。

そのキャラに心酔したね。

日に焼けた顔に長い髪がトレードマーク。

腰みの一丁の半裸姿で沢山の狼を引き連れているヒーローである。

テーマ曲は、ボバンババンボンボンバボンバボン…

この曲は、最近では佐々木希、佐藤健、渡辺直美が出ているロッテのCM

フィッツという商品に盛んに使われていたので、やはり名曲なのだろうか?

きっとCMプランナーだかクライアントに私と同世代のおっさんがいたのだろう。

じゃなきゃ、こんな古い曲を知る訳もない。

きっとその人も狼少年ケンが永遠のヒーローなのだろう。

幼い日に刻まれた記憶は生涯色褪せない。

という訳で、ちょっと話の似たジャングルブックと話を被せたかったが、

そんな知識もないのでやめようと思った。

しかし気になったのは、狼に育てられた少年だか少女だかが、

海外にいた、というテレビを過去に数回観たこと。

うーん、嘘だと思う。

ただ、ジャングルブックの冒頭だったかに、

 ―ジャングルの掟は青空のように古い真実―

というフレーズがある。

この一節はとても素敵だ。

さてこの話、前の話と前振りが長かったが、

ようやくマグロ少年の話である。

マグロ少年は、いまからざっと20年前に見た、

当時小学生のガキである。

元気なら、現在は30才くらいの若いおっさんに育っているハズだが、

とんと見かけない。

というか、見かけたところでいまさら判別もつかないが。

彼は当時、ぷくっとした肥満したお腹を抱え、

父親に連れられてウチの近所のこじんまりとした回転寿司屋に現れた。

かんぴょうだかセコい寿司をコネコネしながら食っていた私の横に

彼はどすんと座ると、突然せっつくような力のない声で、

「おじさんマグロ!」とカウンター越しの板さんに、

お願い事のように声を絞り上げたのだった。

うーん、こいつ相当腹が減ってバテているなぁと、

私はこの少年を本気で心配した。

それは他の客も同様で、

一瞬寿司屋店内がしーんと静まりかえったのを覚えている。

そうだ、この少年の腹を満たしてあげることを優先しよう、

我々は少しオーダーを控えて静かにしていよう、

どうしても食いたいのなら

ベルトで流れてくるカッパ巻きとか玉子でも食っていようっと…

ガキは、それから「おじさんマグロ、おじさんマグロ、おじさんマグロ

………これをずっと繰り返して、

ざっと10皿くらい食った後だったか、

突然「おじさんイクラ!」とオーダーしたのだ。

この頃にはその少年も正気を取り戻したようで、

さらに悠然となりつつ、どんと座っている。

目も座っている。

おお元気が出たのかと、

ずっと押し黙っていた私や他の皆さんも、

血色が戻った余裕の少年が、

「イクラね」と偉そうにオーダーをしたのを機に

だんだんとイライラとしてきたのだった。

一方、その少年の父親はというと、

華奢な細い体で肥満した少年の横にちょこんと座って、

なんだか薄ら笑いを浮かべているだけ。

でこの二人、なんだか全然似ていないのである。

が、少年は彼のことをパパと呼んでいたので、

それに従って親子として話を進めるがね。

エヘン!

で、この父親は終始何のオーダーもしないで、

我が子の食いまくっている姿をみては目を細めている。

なんだか店内に妙な空気が漂ってきた。

そろそろウニの軍艦巻きを食いたいなぁと思っていた私も、

連続で板さんを拘束しているその少年にムカつき始める。

思えば、そもそもの話になるが、

私の小学生時代なんぞ、寿司は年に一回のみの摂取だった。

正月しか食えなかったんだぞ!

あとは、誰かが死んだときに寿司が振る舞われる。

いわゆる精進落としのときだけしか食えなかったのになあ、

と考えると、さらに頭にきた訳だ。

これは他の客も同様らしく、

皆さんもみるみる不機嫌そうな顔になっていくのが分かった。

ああ、寿司食って不機嫌はよくないなぁと私は思ったね。

なのに少年がイクラを頼んだあたりから雰囲気最悪。

父親はというと相変わらずなんも食わないでニコニコしている。

これには輪をかけて頭にきたね。

しびれを切らしたか、客の一人である職人風の兄さんが、

「中トロ3皿握ってよ」と捨て鉢に言うが早いか、

その少年が後追いでデカくてパワフルな声で

「おじさんマグロ3皿ね!」と発した途端、

店内には凶悪な風がビュービューと吹きましたね。

さて彼は今頃どこでどうしているのだろう?

地元のジュース工場で働いているのだろうか?

いや、良い大学を出て、東京の商社にでも勤めているのだろうか?

あれから恋なんかして、少しはスマートになったのだろうか?

あの華奢で痩せたお父さんはいまもご健在なのであろうか?

気になるなぁ、

いろいろと下らない事を思い出しては想いを巡らせる、

今日この頃ではある。

ひょっとして私は年を取ると発症するという、

あの過去完全再現型妄想心配症候群なのであろうかね。

インスタ映えってなんすか?

都内のプールへ女の子が自撮り棒をもって集まっているらしい。

我ながら、テレビで見てインスタで再確認という後手ぶり。

(確かに素敵な写真がズラッと、で、美しい方ばかりでした)

で思った。

海じゃないんだ。

きったなくてクソ暑くてじゃりじゃりになる砂浜じゃなく、

夜のホテルのプールでなきゃイケない訳ね。

「イマドキ海なんて古いですよー」

といういきさつで、演出ばっちり化粧映えのする

夜のホテルのプールなんである。

が、そこは男子もおじさんもおじいさんもおばさんもおばあさんも負けてない。

インスタだけでなくSNSを眺めていると分かることだが、

どの年齢層にも、これみよがしにカッコつけたがりがいる。

結構優雅ですとか、金持ってますよとか、

生活充実していますアピールとか、

必死なのがいるわいるわ。

これってなんなんだろうと考える訳。

が、とりあえずこうした現象を経済面から検討するに、

ポケGOもそうだったが、とにかく流行るとみんな即動くのは分かりました。

ここで経済的効果は、なかなか良いとなる。

人があれこれ動くだけでも、波及効果は生まれるから。

特にインスタグラムのようなSNSって、

形成される市場も結構大きいんである。

具体的にはカメラが売れる、スマホも撮影機能高めに移行、

で、みんなインスタ映えする場所に出かけるから、

交通機関の利用も当然発生する、

ファッションを気にする、あれこれ食す、演出する等々、

ちょっと考えただけでも経済効果抜群の流行りではある。

で、撮影に関する技術もスキルも切磋琢磨するから上達する。

ツイッターやフェイスブックはコメント力がモノを言うので、

ワンフレーズ作成テクニックの腕も上がる。

こうなるともうデザインも写真もテキスト作成も、

頑張れば誰でもできるんじゃねえの域まで達するので、

これはこれでベンキョーの賜物だから、

学びとしても、とてもいいんじゃないかと思える。

美的感覚やそうした意識も養えるから、

巡り巡って文化らしきものの発展に寄与するかも知れない。

が、ここでチョット気になるのは、

比較的控えめな私たち日本人という定説が、

大きく覆ったってこと。

SNSで目立ちたがり屋さんや自慢屋さんが結構多いこと、

判明しましたよね。

時代が変わったんすかね?

いや、そもそも潜在的にそういう人っていたのか?

そこがよく分からない。

直球で申しますが、

ホントに充実している生活を送っている人って、

わざわざSNSで自慢の写真とかをアップしたりしますかね?

これ、疑問。

流行とはいえ、そこはなんというか抑揚というものが働く。

自分とまわりの距離感とか間合いといったものもある訳で…

誤解して欲しくないのは、

ホントにいろいろチャレンジしている方、

趣味とか仕事なんかでいろいろ頑張っておられる方というのは、

SNSでも理解できるものであるし、応援もしたくなる。

こちらも勘というものが働くし、人って微妙な何かを感じ取るから、

その辺りって自然と分かるんですね。

「この人、結構無理してタイヘン、カワイソーだわー」

って感じてしまうのは、こちらもちょっと辛い。

こうしたものを流しているテレビというものも、

すでにネットやSNSの後追いであるし、

テレビ独自のコンテンツ力は迷走しているしね。

それはコマーシャルを見ていても感じることだし。

そんなテレビがいち早くSNSを取り上げて、

あえて時代性をアピールしているようにも映るのが、

衰退している王者であるテレビの悲しいところではある。

個人的には、

テレビが大好き、テレビがなんでも教えてくれた、

テレビで育ちました、

あのコマーシャルいまでも覚えています、

という人間なので、

4K、8Kという技術の進化だけでなく、

さすがテレビ映えするなぁというコンテンツを

ぜひつくっていただきたいのだが。

更にいえば、

テレビって良くも悪くも強者の論理で動いている訳で、

SNSがなければ相変わらずの一方通行のみの情報となってしまう。

いわば衰退しているとはいえ、

依然強力なテレビの対抗ツールとしてSNSのパワーは、

バランサーとしての役目も果たしている。

だからインスタ映えなんていうのは、

ほんの過渡期の一使用法であって欲しいというか、

これをきっかけにあらゆる可能性を伸ばすツールとして、

更に発展していただきたいのである。

(だって写真って饒舌ですから)

おっと、インスタで頑張っている皆さん、

出汁(だし)にしてゴメンナサイネ。

2017 お盆どきの話

その1

現地到着が遅かったと後悔。

陽は既に沈んでいるが、まだ空は明るい。

山中湖畔から別荘地帯へ。

車で奥へ奥へと上ってみると、

ちょっと異様かつうっそうとした森に出くわす。

薄暮ではあるが、先が暗くて全くみえない

(この空気、普通じゃないなぁ)

そのまま進んだら、ひょっとして異次元に入り込んでしまうんじゃないだろうか。

躰がスッと冷えたのが分かった。

こういうところって、各地に確かにあるんだよなぁ。

その2

今日の織田裕二にインタビュー

今回の大会はいかがでした?

 「とにかくオレ、

はしゃぎませんでしたよ、ねっ」

まだ興奮は続いているようですが?

 「まだ寝てませしぇーん、イェーイ!」

そういえば腰、大丈夫ですか?

 「もうね、ダメ。オダねぇ、もう年なんだよ」

とんでもない織田さん、相変わらずエネルギッシュですよ!

「だってね、記録は現場ででるものなのね、現場!

テレビ局ではないんだ!」

記録は現場で生まれている?

「そう、次回もオレ、やるから!」

ありがとうございました。

その3

少し、出っ張ったお腹を凹まさなきゃと、

目の前にある饅頭を食うか食うまいか、

じっと眺めながら思案する。

が気がつくと、

日本上空を飛ぶかも知れないミサイルを打ち落とすか否かという問題に

すり替わっていて、

それは集団的自衛権の範囲内なのか、

いや打ち落とすのは集団的自衛権の拡大解釈となるのか、そこが難しいところではあるな、

という問題を思案していた。

最近、もう少し腰を据えて物事を考えた方が良いと、

自らの腹を叩く。

その4

なじみの床屋へ行き、

座りざま、マスターにとにかくかっこいいヘアスタイルにしてくれと、

そのままウトウトして座っていると、

そんなボクを退屈と思ったのか、

「うちの奴が変な写真撮っちゃってさ。見る?」

「うんいいよ、見ようよ、どれ?」

少し背を起こす。

スマホをいじりながらマスターが突き出した写真は、

浜辺の神輿祭りの写真だった。

見物人がかなりの人数映っていて、

そのなかの一人の男の人の首から上が映っていない。

他の画像になんら異常がない。

いろいろあって、その日の夜に蕁麻疹が出た。

風になびく人々

いま、国会議員の不倫が騒がれていて、

まあみんな同じ人間だから

政治家といえどもたいして変わらないや、

という私の安直な感想などもってのほからしく、

世間は、絶対に彼らを許さないのであった。

昨日まで全く知らなかった政治家でも、

テレビを観て初めてその人間を認識すると、

途端、絶対に許さないのであった。

にしても、遡上に上がった人たちの政治手腕というものは、

この際一切語られないし、

ネガティブな報道一辺倒。

あたり前といえばそのように思う。

実際、たいした実績もなければ、

風当たりはすさまじく激しくなるのである。

とにかく 徹底的に叩かれる。

イマドキ、政治家だけではないですよ、

有名人だけではないですよ、

いずれは私たち市井の人間も、

キッチリと品行方正でなくてはならない、

というような風潮にすり替わるから、

今後一層世の中は厳格になります。

イマドキの風潮ってそんな感じ。

まあ、先の政治家の件は、

そもそもそんなところでつまずく事自体甘いけれど、

わざわざテレビで大々的にやるって、

なんだか時間の無駄でもあるように思うんだけど、

或る方たちにとっては放ってはおけない事柄らしいのだ。

これに繋がって、

連想ゲームのようにアタマに浮かんだのが、

イマドキの潔癖症ブームなんである。

社会の底流に流れているのは、

きっと同様のメンタルなんじゃないか。

風呂もテーブルもマナ板もですね、

菌が少しでもいたら不潔。

イケマセン。

こうした許しませんよ的潔癖さについてですが、

実際はゼロ無菌などちょっと無理だと思うんですよ。

しかしテレビコマーシャルなんかを観ていると、

清潔、真っ白、ピカピカ、除菌99.○○%とかね。

こんなのばっかり。

こうした啓蒙(?)って、いわば企業の経済活動の一環だから、

そのうち知らぬ間に、私たちの生活習慣として

定着するようになる。

で、環境が整うとこうした製品って売れるんですねぇ。

こっちの勝手な理屈を言わせてもらえば、

こうしたケミカル商品ってなんかあやしい。

成分的にもホント大丈夫なのかとほぼ疑っている。

さらに、こっちとしては無菌活動反対で、

ほどほどの菌たちとは常日頃から共存したほうが良いと

考えるので、意見相反ですな。

これはある本の記事で知ったのだが、

インドに行く観光客で、最初に体調を崩すのは、

まず日本人であるらしい。

それも腹痛、下痢が多いそうである。

原因は、明白ですね。

話を先の政治家の件に戻すが、

事の中身は完全にワイドショーネタである。

だから、しょがないといえばそのような気もする。

みんなで袋叩きにされて、

この人たちは、もう終わりである。

とにかく、事はテレビ局の意向に沿って

動いてゆくのである。

いや、民意を忖度(そんたく)して動くと言ったほうが、

正確か。

とにかく、事の本質に辿り着くことはまずない。

そんな事は誰も望んでいないかのようだ。

こんなくだらないブログを読んでいる間にも

蛇足論争、横道報道のおかげで

時間の超無駄遣いは続いているわけで、

それがわたしたちにとってどうゆう時間なのか、

それを考えるのが、

実は知性というものなのかも知れませんね。

国の重要な政策・案件など、数々の報道も、

池上さんがなんでも説明してくれるとは限らないし。

俯瞰してまわりを見渡せば、

外交、経済、福祉等々、

どれも待ったなしの時代が来ている。

いつか身に降りかかる問題である。

というわけで、もっとしっかりしてくれよ、

政治家、マスコミ、メディアと言いたいが、

実は私たちがその元凶なのかも知れない…

そう考えると腑に落ちることが幾つもあるから、

本当に怖いのである。

六本木ケバブ

●友人の画廊バーを探す

南北線六本木一丁目を降りると、

さてそこがどこかよく分からない。

南北線ははじめてだ。

なので、地下にいる時点で現在地が分からないのは

織り込み済みなのだが、やはり不安だ。

地下から這い上がるように

エレベーターをグングンあがる。

と、どうも全く知らない真新しいビルの中にいるらしい。

(どこだ、ここは?)

地上に出ると、車の喧噪が飛び込んでくる。

真新しい巨大ビルが林立している。

しばらくあたりをキョロキョロし、

改めてビルを見上げていると首が痛くなった。

なんとなく場所の検討をつける。

もうあたりは暗い。

ビルの窓からこぼれる明かりがきれいだ。

帰りのビジネスマンが足早に通り過ぎてゆく。

みんな身なりがきちっとしているなぁ。

男も女も若くてかっこいいのばかり。

どうもIT系企業とかが多いような気がすると、

勝手に解釈する。

場違いな居心地の悪さが加速する。

昔の記憶を頼りに、

飯倉方面と思われる方向に歩き出す。

自信はないが、飯倉は溜池方向から歩いて

坂のてっぺんだったしな。

坂道をテクテク歩いていると、

見覚えのある古い町並みの一角を、

道路の向こう側に発見。

あの路地の先に曲がり角があって、

どうもその先にあるマンションだろうと推測する。

ポルシェだのベンツだのアウディだの高級車が

普通に走っている不思議。

なんだか凄いぞ、ニッポン!

いや、TOKIOか。

と同時に運転している奴らの顔が

皆あやしく見えてくる。

………

まあいいかといい加減に邪推をやめ、

横断歩道をとぼとぼと渡る。

路地の一角にコンビニがあったので、

そこでアイスコーヒーを買い再びてくてくと歩き出す。

細い路地の角に

○○坂の木の目印があったのでひと安心、

スッと胸を撫で下ろす。

このあたりはだいたい坂に名前が付いているので、

地番より分かりやすい。

古い友人がマスターをやっている画廊バーは、

この角を過ぎたすぐ横のマンションの半地下にあった。

敷地に黄色い花が旺盛に咲いていたので、

それが目印だった。

「黄色い花が目印だぜ!」

友人の渋い声が頭の中で響く。

なんだか不似合な感じがした。

●ノンアルコールでもリラックス

階段を下り重厚なドアをあけると

古い友人はカウンターの向こうで、

満面の笑みを見せてくれた。

相変わらずやさしく味のある顔をしている。

スキンヘッドと白いヒゲが奴のトレードマーク。

かつて同じ会社で、コピーライターとして机を並べていた。

そういえばこの友人は、

書くコピーもなかなかあったかいものが多かった。

やはり文って人柄なんだと、ふと思う。

ドリンクそしてとりあえずピーナッツをかじりながら、

昔話に花が咲く。

もう酒はのまないので、

久しぶりのカウンター席がどうも馴染まないけれど、

しばらく座って話に高じていると

カウンターの居心地もまんざらでもない。

これも奴のパーソナリティーの力なのか。

ソフトドリンクでかなりリラックスできるのだから。

お互いの近況を報告し合い、

なぜか同時に最近の仕事の依頼は面白くないな、

そして安いなぁとの意見で一致をみる。

さらに話は広告から映る社会論に発展し、

この世知辛い世の中で

果たしてコピーやデザインやアートはどこへ行くのか?

まあ、結論はほぼ同意見だったのが面白い。

ところでお互いが最後に会ったのは、

いつだったっけと二人して首をひねる。

記憶を辿ると、30代の半ばだった。

それが中目黒の寿司屋その日はどしゃ降り説と、

奴がオートバイ事故を起こして私がお見舞いに行った説と、

ふたつ出たが、もうお互いにどうでもよくなってしまって、

笑うしかない。

私は彼の結婚披露宴が、

恵比寿のディスコだったのを思い出した。

山梨出身のこの松山千春似は、昔から派手。

で、いまもって派手だ。

そして根は相変わらずまじめでやさしい。

●業界人の隠れ家か

先にボックス席で飲んでいたカメラマン氏二人を紹介され、

次に美人だけれどひと目見て不機嫌そうな女性を

友人が私に紹介しようとするも、

この美人は最後までニコリともしないで、

完全無視を貫いてくれた。

(挨拶って最低限のマナーだぜ、というか友人に失礼だろう)

友人も苦笑いで首を振る。

まあどうでもいい。

聞けば、この美人さんは某大手出版社の、

とある月刊誌の編集長らしい。

あの突っ張り具合に、

昔からの知り合いの女性たち数名を思い浮かべる。

分かりますよ、この世界の女性諸氏、

そうやってみんな頑張ってきた訳ですから…

●六本木名物って何?

2時間ほどで店を後にする。

次回、会うのは錦糸町。

訳あって錦糸町とあいなった。

友人がカウンターから笑顔でさけんでいる。

帰りは、ケバブを食って帰れよと。

ケバブ?

来たときとは別の道で帰ることを、

彼に話したからか?

六本木六丁目のロアビルの前に出ると、

突然、喧騒が襲ってくる。

このビルは、いまはもう古びてしまったが、

なかなか思い出深いので、記憶に留まっていた。

かつてこのビルは、

一階から上階まですべてディスコだった。

若かった私も足繁く通っていたので、よく覚えている。

通りは人も車も渋滞気味。

人波が歩道に溢れている。

ドライバーがいらいらしている。

平日の夜なのに…

ネオン看板がチカチカとあちこちで光って、

歩く傍から呼び込みが次々に声をかけてくる。

ここは昔から外人が多かったが、

現在はこの通りに限っていえば

外人のほうが多いように思える。

それも結構まともな感じがしない方々が多い。

ドンキの前で人混みがピークに達する。

友人が叫んでいたケバブの店があった。

後、客引きが割と強引だったなぁと振り返る。

イマドキの六本木の名物はケバブなのか?

こういう場所では弱気で歩いていると、

その虚を先方はすかさず突いてくる。

逃げ腰だと返って嫌な目に合う。

その合い間を縫うように、

妙にセクシーな格好をした若い女性たちが、

道行く男に媚びを売っているのを見かけた。

(実にあやしい街である)

日比谷線の六本木駅近くまで辿り着くと、

少し息が上がっている。

そしてさすが六本木、いろいろと進化しているなぁと、

イナカモンは感心する。

さて後日、ニュースでこのあたりのケバブ屋が

強引な客引きで逮捕されたと報じていた。

だろぅなぁ。

ケバブ、やはり食っておけばよかったかな?

友人も推薦のイマドキの六本木名物を。