記憶の海を漂う

あなたの人生を振り返ってみてください、

如何でしたか?

こんな小難しい質問を誰かに投げかけられたら…

うーん、皆さんかなり戸惑うことになるでしょう。

ところが、こうした質問に対する回答は皆、

同じ思考を辿ってこたえるらしい。

それは「記憶の集合体」を語ること。

言い換えれば、覚えている過去の記憶を総合的にまとめ、

それを主観で言い表す、とでもいおうか。

NHKのEテレで毎週「TED」という番組を放映している。

アメリカの番組をそのまま持ってきたものだが、

毎週、その道のプロ・専門家が、広い会場でプレゼンテーションを行う。

別称「スーパープレゼンテーション」と呼ばれる所以は、

登場する方々のプレゼンがとても感動するものばかりだからだろう。

最近では、記憶力の世界チャンピオンという方が登場。

物事の覚え方のコツなどを話しているのだが、

これはめずらしくつまらないなぁと思いながら観ていた。

まず記憶力の素質は皆たいして変わらないということ。

そして記憶しておくポイントは、物事を関連づけて、

物語として、または立体的に覚えてゆくこと等々。

こういうことに一切興味がない私は、

フムフムと寝転がって観ていたのだが、

最後の3分という話の総括の頃だろうか、

彼が目からウロコが落ちるような、

ハッとすることを口にした。

曰く、

「人は人生を振り返るとき、それは記憶しかない。

だから皆さん、忘れずに覚えておきましょう」と。

この言葉がやけに気になった私は、

体を起こしてひととき、うーむと考え込んでしまった。

その人の人生がどうであったか、

それは覚えている事以外は当然のことだが、語れない訳だ。

この至極当たり前の事に私はハッとさせられた。

そして私たちは、それが良い思い出だろろうとなかろうと、

月日が経つうちに記憶は変化し、ときに編集され、

更に記憶は進化しながら積み重なってゆく。

この過程での記憶の変化、編集には、

主観が多いにかかわっているので、

それがどのような記憶であろうと、

その人の心理状態というか性格なども大きく影響している。

よって、例えふたりの人間が同じ経験をしても、

それが良い思い出となるのか否かは、

それぞれのパーソナリティにより、

記憶の形態も掛け離れたものになる可能性がある訳で、

そこに後年、記憶の編集などが加わることにより、

それぞれの歩んできた道が大きく異なるように語られる、

ということとなる。

おおざっぱに言えば、

それがどんな事柄であろうと、

記憶とは本人が良しと記憶していれば、

それは良い思い出となるであろうし、

その逆もまた然り、なのである。

なんでもポジティブに、とかいう人がいるが、

私はこういうのがあまり好きではない。

が、こと人生における記憶に関しては、

この考え方を採り入れたほうが良さそうだと、

「TED」を観て以来思うようになった。

これは、私がいままで見落としていた、

とてもシンプルかつ重大な発見だった。

一度きりの人生だと思うからこそ、

やはり振り返るときくらい肯定したい…

こう考えるのは私だけだろうか。

小説と枕の快楽

枕元にいつも一冊、長編小説が置いてある。

寝る前のひとときに、

現実と全く違う世界を歩く楽しさは、

やはりとびっきりの物語でなければならないと思う。

あるとき、それは藤沢周平の小説から始まった。

彼の小説は、江戸の町が主な舞台で、

それがあるときは市井の下級武士だったり、

或る問題を抱えている町人だったり、

傘張り浪人、職人、嫁入り前の娘とか、

いろいろな江戸の住人が主人公となって、

その人を取り巻く世界がくるくると動きだし、

主人公の息づかいが伝わるほどに、

物語がいきいきと描かれている。

その物語の舞台である江戸の町を、

藤沢周平の小説を元に地図をつくった読者もかなりいると聞く。

それほどに、彼の小説には人を引き込む魅力がある。

いや、で今回の話題は枕なのである。

小説に引き込まれる興奮と相反し、

こちらとしては寝る前のひとときとはいえ、

現実は、明日やらねばならない事もある。

要は寝なければならない訳だ。

そこで、ワクワクさせる物語に負けないほど、

こちらを最高級の眠りに誘う心地良い枕が必要となる。

それがあるときは、

イトーヨーカ堂で買った980円のパイプ枕だった。

その枕は、それ以前に買った通販生活の1万2000円の枕より、

数倍深い眠りを約束してくれたので、

ヘタっても薄汚れても数年使っていたのが、

最近になって、どうも体に異変が起きてしまい、

買い換えを考えていた。

異変は突然訪れた。

朝、洗面所でうがいをしようとガラガラと上を向くと、

とたんに首が痛んで、以来、数日にわたって

上を向くことが苦痛となってしまった。

私はその痛みの原因が分からず奥さんに話したところ、

「枕よ、枕に違いないわ!」と即答した。

思えば、この奥さんは枕にとてもうるさい人で、

ここ2.3年のうちに、なんと枕を5回も換えている。

しかし、理想の枕にはいまだ出会っていないとのことだ。

この頃、私の枕元の小説は村上春樹のものに変わっていて、

「海辺のカフカ」上・下巻を読み終えていた。

とても面白かったのだが、振り返るに、

やはり眠りはさして深くはなかったように思う。

それは、小説の中身が面白すぎで眠りが浅くなったのか、

はたまたその原因が枕によるものだったのか、

そこはよく分からないのだが、

やはり枕の替え時とは思ってはいた。

で、あるとき別の用事で丸井へ行ったとき、

ふとした衝動買いというべきか、

西川の「もっと横楽寝」という枕に手を出す。

横楽寝とは、横を向いて寝る人専用に設計された枕、

とのことで、おおそれは私ですと、

まずネーミングに惚れてしまった訳。

早々に売り場のベッドで試すと、

確かに良さげな感触を得たので購入となったのだが、

以来、以前よりどうも深く寝ているようだと気づいたのは、

数日経ってからで、

朝なかなか起きられない自分に驚いてしまったからだ。

現在、興奮しながら、かつ淡々と読み進めている小説は、

スティーヴン・キングの「シャイニング」下巻。

物語は佳境である。

寝床に入るとワクワクが止まらない。

ストーリーの急展開に、結末がまるで検討がつかなくなってしまい、

これはとんでもない最後を迎えそうであるが、

そこは「横楽寝」が難なく阻止してくれるのでありがたい。

小説で上気した私をおだやかな睡眠へと誘い、

果てはさわやか、かつ満足に充ちた、

けだるい朝を約束してくれる。

恐るべきは、西川の枕「横楽寝」である。

そして、その心地よさに拮抗するS・キングの「シャイニング」も、

なかなかの強敵ではある。

おもうに、幸せだなぁと思える最短の近道が、

私の場合「良い枕と傑作小説」ということに、

ごく最近気がついた訳だ。

時代遅れ

大学時代の友人と20年ぶりに再会した。

奴が私を見て第一声「老けたのう」と言った。

そう言う奴も白髪頭を恥じるように、

相変わらずボソボソと

何か言い訳のようなことをつぶやく。

九州の大分で小さな工場をやっているが、

最近では息子さんを社長にして、

自らは第一線を退いていると言う。

歩き方に元気がない。

聞けば、心臓の手術、糖尿と修羅場をくぐってきたようだ。

しかし、息子さんが後を継ぐというので、

工場の設備費に6000万円位を費やしたとのこと。

「なので、退いたと言ってもまだ仕事はやめられんけん」

なんだか嬉しそうに話す。

「そっちはどうじゃ?」

ああ、そう言えば、この話し方で思いだした。

奴は結局、学生時代から東京で暮らしていても、

九州弁で通していたっけと。

皆が都会に馴染もうと地元の言葉を封じていたのに、

奴は一切お構いなしに方言を貫いた。

なんというか、古い男なのだ。

ムカシ、奴と横浜のキャバレーに行ったことがあるが、

うろ覚えだがロンドンとかそういう、

いまとなっては懐かしい店だったような…

そこでさんざん飲んで騒いで、

帰路、奴の口からはっとするような名言が飛び出した。

「最近のキャバレーには愛がないのう」

「………」

まあ、店の子が金金金と見えたのだろう。

奴曰く、

「ムカシの店はどこも人情も情緒もあってな、

そして気遣いも、愛もあったのに、

もうのうなったわ」

石原裕次郎の名曲「銀座の恋の物語」のような時代は、

その頃でさえとっくになくなっていて、

世の中はほぼ拝金がまかり通っていたことを

奴は痛烈に批判したかったようだ。

あれから30年以上が過ぎたいま、

疲れ老いてしまった中小企業の親爺が二人で、

懐かしの中華街で飯を喰いながら、

もうツベコベ言っても仕方がないのに、

次から次へと世相の話が尽きない。

翌朝、ホテルをチェックアウトし、

お互いの無事・安泰の言葉を掛け合う。

私が横浜みやげを渡すと、

奴もすかさず九州のおみやげを私に手渡した。

「お互い、少しは気が利くようになって、

ようやくオトナらしくなったのう」

奴をみなとならい線の駅に送り、

そのまま山下公園までとぼとぼと歩いて、

ベンチに腰かけ、快晴の海を眺めた。

(ああ、あの頃と何も変わっていないや…)

老いた俺たちだけど、

相変わらず青春の只中にいるんじゃないだろうか?

奴と今度はいつ会えるのか、

それが少々不安になってしまったのだが…

NHK朝ドラのテーマ曲に想うこと

NHK朝ドラ「とと姉ちゃん」の主題歌である

宇多田ヒカルの「花束を君に」が流れると、

なんだか急にしんみりしてしまう習慣が身についてしまった。

朝のぼーっとしているときに困った事だが、

ストーリーが始まるとちょっとづつアタマが切り替わる、

そんな心理状態の流れが固定している。

この歌に秘められたしんみりが一体どこからやって来るのか、

いろいろ想いを巡らすのだが、

行き先、このドラマがそうした方向へ行くのか、

とも考えてみた。

しかし、現時点に於いてこの主題歌は、

ドラマのテイストとは異なるように思う。

本編のとと姉ちゃんだが、

話はかの有名な家庭誌である「暮しの手帖」を創刊した

大橋鎭子(しずこ)のストーリーであるらしい。

私的には同誌の元編集長であった花森安治という人の方が身近であり、

彼の功績ばかりが有名である。

今回は同誌・同社の創業に携わった大橋鎭子さんを中心に、

ストーリーが展開されるようだ。

時代的に考えれば、やはり戦争が絡んでいるし、

今後いろいろな展開が予想されるのだが、

このドラマの底流に流れるテーマは、

「さささやかな気使い」である。

これは数編前にドラマの中で語られていた。

そして暮しの手帖という雑誌も、

確かそうした方針でつくられていたように記憶する。

更に言えば、NHKの朝ドラの主人公はいずれ、

いつでも相変わらず強くて元気で快活。

ととネェチャンもそこは外さず、過去を踏襲しているのだが…

だからよけい、

宇多田ヒカルが歌う詞が気になる訳だ。

過去、この帯のドラマの主題歌は本編を支える、

または、あくまで物語に付随する役目にあったように思う。

が、今回の宇多田ヒカルのこの「花束を君に」は、

ドラマとは違う、他のベクトルを指しているような気がするのだ。

歌がすっと独り立ちしている。

そしてドラマを観ようとするこちらに、

何かまるで違う感情を提示しているのだ。

その妙にもの悲しい彼女の歌は、

スローで流れるようにスムーズで淀みがないメロディー、

それに乗せられ、静かに語りかけるように、

こちら側に詞を届けてくれるのだが、

それがひとつのストーリーとして、

ほぼ完結しているように思えるのだ。

普段からメイクしない君が薄化粧した朝

始まりと終わりの狭間で

忘れぬ約束した

花束を君に贈ろう

愛おしい人 愛おしい人

どんな言葉並べても

真実にはならないから

今日は贈ろう 涙色の花束を君に    

こうした歌詞から始まる意味深、かつもの悲しい歌は、
次にこう展開する。

毎日の人知れぬ苦労や淋しみも無く

  ただ楽しいことばかりだったら

  愛なんて知らずに済んだのにな    

これは、相当悲しい出来事がなかったら

考えつかない詞である。

花束を君に贈ろう

言いたいこと 言いたいこと

きっと山ほどあるけど

神様しか知らないまま

今日は贈ろう 涙色の花束を君に     

上の詞の「神様しか知らない」という箇所。

ここまできてやはり皆気づくのだ。

ああ、宇多田ヒカルは、

やはりお母様のことを歌っているのだな、と。

そこで思うのだが、悲しみを癒やすのは、

励ましでも同調でもなく、

やはり「時間」しかないのだろうなと…

天才宇多田ヒカルが満を持して送り出した新曲は、

何もNHKの朝ドラの為に書き上げた詞でなく、

現在の彼女のあるがままを表現した歌である。

だから感情を引き込む引力がとても強い。

それがいずれの方向だろうと、

彼女のつくる世界観はやはり魅力的である、ということ。

これはもはや、NHKが依頼した朝ドラのテーマ曲ではない、

彼女しかつくり得ない心の世界の提示、なのではあるまいか。

※カバーバージョン

ギジンテキ自販機論

よく使う有料駐車場がありまして、

そこは長時間駐めていても割安なのですが、

精算機に千円札を入れるといきなりひったくるので、

当初は背後に人がいるのだろうと

ちょっとアタマにきたことがありましたね。

(大人げない)

去年の暑い日に街を歩いていて

喉がカラカラになってしまい、

目の前にあった自販機に小銭をいれたのだが、

冷え冷えの富士のミネラル水が全然出てこないんです。

もう喉がゼイゼイしていまして、

しょうがない諦めるかと返金操作をしても、

なんと小銭も戻らないんですね。

で蹴っ飛ばそうとしたら、

警報器が付いていますよステッカーが貼ってあって、

荒い鼻息のままどうしてくれよう、もう小銭ないし…

あとは一万円札のみ。

と故障の際の電話番号が書いてあるステッカーをめっけまして、

この怒りをどうしてくれようと力み気味に電話を致しましたところ、

いつまで経ってもだぁれも出ない。

ここで怒りマックス!

再び返金レバーをガチャガチャやりまして、

全く小銭を返す意思がない涼しい姿の自販機に

遂に蹴り! を入れようと思いましたが、

ハタとまわりを見渡すに、

私を不審の目で見るオバサンが約一人、

横のマンションの3階から見下ろす学生らしき兄さん約一人を確認致し、

なんと炎天下に冷静を装い、

何もなかったの如く歩き出す私なのでありました。

いま思いだしても腹が立ちます。

そしてですね、

以前の事ですが、お客さんとの打合せが長引きまして、

やはりぐったり歩いていますと、

またまたここで自販機が目に入りまして、

めざす私好みの缶コーヒーを購入したところ、

この自販機がなんと「今日もお疲れ様でした!」と

若い女性の声でささやくのでした。

これが結構情のこもった声でありまして、

思わず自販機を振り返った私は微笑んでしまい

騙されそうになりました。

後日、この日は午前中でしたが、

この自販機で再び缶コーヒーを購入したところ、

「いってらっしゃい!」と声をかけられた私は、

なかなかよくできた自販機だなぁと感心しきり。

時間帯でメッセージを切り換えていることを知りました。

さて遡ることムカシムカシなのですが、

まだ自販機がしょぼい頃に

我がいなか町に画期的な自販機が登場しまして、

お金を入れると程なくしてあったかいうどんが出てくる。

これには皆驚きまして夜中によく喰いに行きました。

で、ここでやはりちょっと気味が悪いと思ったのは、

うどんが出てくるときのこの自販機の動作なのですが、

どうも誰かが後ろからそっと差し出すような感じで

いつのまにかうどんがすうっとあらわれる。

とですね、いろいろな体験を経て、

もうすでに私のなかの自販機は擬人化しておりまして、

次回より小銭を投入したにもかかわらず商品が出てこない、

または返金にも応じず涼しい姿をしているときは、

躊躇することなく蹴飛ばしてやろうと思います。

そしてあたたかい声をかけられたら、

なんのためらいもなく微笑もうと…

気持ちのいい場所

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その景色は、晴れ渡る5月の限られた或る日にしか成立しない。

なぜなら、山の緑が陽に輝き、

花が咲き、鳥がさえずり、

適当に暖かく、そよ風が吹いて

すがすがしいと思えてはじめて成立する。

景色において、風や鳥のさえずりは

かけがえのない要素のひとつである。

それがたとえ見えるものでなくても、

やはり景色には欠かせない。

空気感とはそういうものなのだろうと思う。

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宮ヶ瀬湖は神奈川県の奥まった所に位置するダム湖だが、

観光地としていまひとつ人気がない。

理由はいろいろ考えられるが、まずあまり知られていない、

ここがまず第一のポイントだと思う。

箱根や湘南のように、見所がいろいろあって飽きさせない、

いろいろなルートがある、という訳ではないし、

気の利いたお店がある訳でもないので、

いまひとつ吸引力に欠けるのも確か。

だが、季節と天候さえ整えば、

とても気持ちのいい場所である。

これは先日行って改めて分かったことである。

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最近、観光地の嗜好も、

人それぞれに変化してきたように思う。

私は、箱根に例の噴火のことがあってから、

他に行けるいい場所を探したのだが、

結果、辿り着いたのが埼玉の秩父だった。

このことは知人何人にも聞いてみたが、やはり同じような意見だった。

また、できすぎた観光地・湘南ももはや面白くない訳で、

きっと千葉の名もない海岸沿いあたりに、

とてもいいところがあるような気がしてならない。

気持ちのいい場所の開拓、発見は、

やはりきっかけがないと気づかない。

名もないというか、人気がない、

または地元の人しか知らない

気持ちのいい場所というのは、

まだまだいっぱいあるのだろう。

先の宮ヶ瀬湖も、

季節と天候さえ整えば、

とても気持ちのいい場所なのである。

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初めての山、高原、砂浜そして街並み…

知らないところへ出かけてみるというのは、

とりあえず小さな冒険のはじまりともいえる。

とにかく、まずでかけようでぱないか。

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丹沢の秘湯

秘湯などと謳うとなんだかあやしくなるが、

要は宣伝不足、露出していないということか。

楽天トラベルにもじゃらんにもるるぶトラベルにも載っていない。

よっていつも空いているのか?

のんき、閑散としていると思いきや、

マニアはどこにもいるもので、

そこそこ人が出入りしているし、

泊まり客もしっかりいるから営業している訳らしい。

小田急線本厚木駅からクルマで30分くらい。

丹沢山塊の東の端、芽吹いた木々に覆われた山々を走ると、

綠がやたらと濃くなる。

あたりは七沢温泉。

ここは何度となく通っているが、

今日は更にその奥をめざす。

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広沢寺温泉は、深い山あいのなかにひっそりと佇んでいた。

クルマを止めると、清流のせせらぎがきこえる。

竹林が旺盛に育った小径を歩くと、

一軒の宿に辿り着く。

要はここしかない。

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玉翠楼の古い看板を括って宿に上がると、

初夏の暑さだというのに館内はひんやり。

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建物は昭和初期かはたまた大正、明治か。

古いといえばその通り。

レトロといえばそうも言える館内。

私は、「立ち寄りの湯」のみなので、

風情を楽しんで1000円ポッキリは安い。

更に割引券をくれるので、次回は500円ですむ。

ありがたいなぁ、また来よう。

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露天風呂は脱衣所も完全オープン。

丸見えなので、同性でもそういうのが嫌な人には向かない。

私はどうでもいいタイプ。

さて湯に足を浸けると、

柔らかくてちょっとぬるっとしている。

天然の化粧水のような感じか。

熱っ!

と、奥にぬるめの湯があるのを目視。

やっと腰を沈められる。

ちょっとほっとするなぁ。

岩風呂に寝そべってあたりを眺めると、

竹林が風にそよいでいる。

横を流れる川の水音が心地よい。

なんだか平和な気持ちになれる。

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と突然、自撮り棒をもった若いのが二人、

洗い場で記念写真を撮り始めたので、

アタマを洗っていた私が「おいおいおい」と発すると、

驚いた二人がへらへらしながら、なんだか謝っている風。

よくよく耳をすませると、どうも韓国語らしいので、

こっちは意味不明。

にしてもよくこんなマニアックな温泉をみつけたもんだ。

思わず笑ってしまいましたね。

この兄ちゃんたちとは、お湯が「熱い」という話しかしなかった。

だってそれ以外、お互い言葉も通じないしね。

で、しっかり浸かって露天から上がると、中庭で一休み。

池の茂みからひらひらとしたトンボが飛んでくる。

飛び方が下手だなぁ。

これってもしやガキの頃に見た、あの糸トンボか?

あまりの珍しさにちょっと感激、

フツーに飛んでいる様に私は驚きました。

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コーヒーを頂いて再び館内に入ると、

至るところにイノシシの置物が置いてある。

よーく眺めていると、有名人のサイン入りの色紙も、

ズラッと飾ってあるではないか。

もしかして、ここってかなり有名?

メジャーな旅館なのかと思い直すも、

この温泉の立ち位置がよく分からなくなった。

あっ、吉永小百合の色紙をみっけた!

おいおい、ここは丹沢の秘湯ではないのか?

いまもってよく分からないのです。

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ニッカポッカで考えた

回転寿司屋で、ニッカポッカに身を包んだグループが、

ひと皿100円のぺらぺら寿司を喰いながら

大声で騒いでいたのだが、

皆、その服に汚れひとつない清潔さが不自然で、

察するに、

どうもニッカポッカファッションが流行っているらしいのであった。

ニッカポッカといえば、とび職さんであるとか、ペンキ屋さんだとか、

そうした職業の方たちの制服のようなものだが、

まあ、あの奇抜さに目をつけた人間がいたのであろうね?

そういえば地下足袋を履いたガイジンさんを見かけたことがあって、

ちょっとカッコイイなぁと思ったことがある。

不思議…

ファッションって不思議(重ねて言うが…)だと思うのは、

例えば警察官だが、かつて私の同級生の警察官姿を見たときは、

なんというか、地元の元不良があーら不思議、

正義の味方にみえてしまったことである。

その元不良は、自分の偽善さに嫌気が差したのか、

しばらくして職を投げ出し、パチプロへと転身した。

それでいいのだ!

横浜の外れの小汚い街の一角のビルの2階に、

或る日、パブ・エアーラインというのがオープンして、

カウンターの中にズラリと揃ったスチュワーデス姿

(いまはこうした呼称ではない)の若い女の子が、

鼻の下を長ーくのばした男どもに酒を注ぐのであったが、

そこが連日押すな押すなと大繁盛となり、

恥ずかしながら私もそこの常連と成り果て、

3ヶ月ほど経った頃だろうか、

なんだかくだらないなと突然気がつき、

通うのをパタリとやめた事を思いだした。

さて、茅ヶ崎市役所は皆アロハシャツ姿だが、

これがなんというか、似合わないんであるからして、

アロハって結構着こなすのが難しいと知ったのは、

どっと時代を遡った学生の頃だった。

伊勢佐木町の裏手のショップで

めざすアロハをやっと手に入れたのだが、

鏡に映る己の姿が、なんか変。

それがサイズ感なのか柄からくるものなのか、

アレコレいろいろ検討するも、

その原因はどうも雰囲気というか、

空気感みたいなものだろうという結論に至り、

アロハをやつれさせて風合いを醸しだし、

くたくたかつ穴のあいたジーパンを用意し、

潮焼けした茶髪と日焼けした全身を用意するに至るも、

これが過剰演出ということでまわりから疎まれ、

遂にそのアロハを着るのを諦めたことがある。

こうなるともはや、

ファッションを語っているのか制服を論じているのか、

私もいまひとつよく分からないのだが、

制服も含め、まあまあ「らしいもの」を皆身につけるのは間違いない、

らしいということは分かった。

言い換えれば、その人の深層心理に則して、

おのずと好みのものを身に付けている、

または、これがおかしいのですが、

服に従ってそれらしくなってゆく、

とか、そういうことなんですね。

かようにファッションとは魑魅魍魎、

不可解、正体不明なものなのだが、

人生にいい加減疲れてくると、

そんなバカなことはどうでもいいとなってくるから、

またまた不思議なんである。

街中で、はて、いま自分は何を身に付けているのか?

と思うほどいい加減になると、

これはしめたもんである。

それが本来の自分らしさだったりするので、

堂々と己のダサさを誇示するのも良し、

斯くなる上は、いっそ裸になって、

一日中温泉に浸かっているのも、

一興。

これも、ニンゲンの初期型ファッションと言えなくもない。

それも自信ナシとあらば、しょうがないね、

流行りのライザップにでもお出かけください!!

夜空を仰いで

ガキの頃、プラネタリウムを見て感激したことがある。

確か、桜木町のとある施設だった。

暗くなったホールの天井を見上げると、

そこに無数の星が瞬いている。

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一同から、ため息が漏れた。

日常でも、

見上げれば当たり前のように空があるのに、

皆忙しく暮らしていたので、

わざわざ夜空を見上げることもなかった。

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時たま、流れ星が光ると、願い事を口に出す間もなく、

それが幾度となく続くと、

ああ、願い事というのはなかなか叶わないんだなぁと。

真夜中の夜空、

冬の夜空、

七夕の頃の天の川、

そして満天の星空…

ムカシ、坂本九の「見上げてごらん夜の星を」という唄が好きだった。

このブログのタイトルは加山雄三のヒット曲。

「銀河のロマンス」という歌もヒットした。

皆、けっこう夜空が好きではないか…

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写真家をめざしていたので、高校を卒業すると、

日吉の写真専門学校に願書を取りに行ったが、

その授業料を見て驚いた。

他に機材や暗室の用意などを含めると、

膨大な金額だった。

家に帰って父親に話すも、即却下。

到底バイトで賄える金額ではない。

カメラマンの夢は消えた。

当時、カメラマンは金持ちしかなれなかった。

これ、ホントの話。

結局、大きく進路変更し、

大学へ入り直して編集の道をめざすのだが、

その理由はまずコストパフォーマンスの良さだった。

コピーライターへの転向も、

機材に頼らない、

更に独りでやりたい、

そんな勝手な理由からだった。

後に仕事の関係上、

結局カメラマンとはよく仕事で絡むこととなったが、

私の進路変更は正しかったという他ない。

彼らの作品の出来を見て、

やはり凄い奴が何人もいた。

同じものを見ていても、

何かが違う仕上がり。

それが数値だけではない、

何か得体の知れないものが介在しているような

魅力ある作品。

それを才能とでもいうのだろうか?

ようやく最近になってその魅力に取り憑たので、

晴れた日、裏山から夜空を撮ったりしている。

程々が良い、というのも分かり始めた訳で…

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森を歩く

朝、ベランダから鳥のさえずりがきこえると、

あっ今日は晴れだなとさっさと目が冴える。

(我ながらゲンキン!)

やり残しの書きものとかデスク仕事だとか、

そういう野暮なものは後回しにして、

どこへ出かけようかとウズウズしてしまうのが、

最近の晴れた休日の朝の傾向。

居間からキラキラとした朝の日射しがまぶしい。

ソワソワと朝食を摂る。

とにかく歯を磨いてヘアスタイルを整え、

出かける支度を急ぐ。

水のボトル、シリアルバーなどをザックに入れ、

帽子を被り、トレッキングシューズを履くと、

なんだか晴れ晴れとした気になる。

今日は、最近オープンした自然公園へと出かける。

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麓の坂を歩いていると、

途中の小径に切り通しがあって、

そこは意図的に地層がむき出しにしてある。

ある箇所の地層の色が、他と異なる。

説明の看板を読むと、

それは富士山の噴火でできた地層らしい。

こうしたものから歴史を探る仕事って、

結構面白そうだなと思う。

振り返れば、若い頃の就きたい仕事のひとつに

考古学者というのがあったのを今更ながら思い出す。

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森を進むと奥地に水田が広がる。

アメンボがスイスイと水面を滑っている。

沢山の蛙がゲコゲコと鳴いている。

これは幼い頃と同じ景色、

同じ風景だ…

あの頃は一年中半ズボン。

いつもナイフを手に何処へでも入っていった。

そういえば竹ヤブに丸一日いて、

親に怒鳴られたことも幾度かあった。

ナイフ使いはその頃に覚えた。

竹と笹をうまく組み合わせて、

刀のようなものをいつも夢中でつくった。

山から下りると手も足も傷だらけで、

オキシドールをかけると、これがとにかく痛い。

傷口から泡がボコボコと噴き出していた。

いま、その消毒薬は使用禁止らしい。

うっそうとした木々の間から、

野鳥があらん限りの力を振り絞るようにさえずる。

どこでそれをきいているのか、

呼応するように鳴き返すから、

森じゅうがカン高く美しく響く、

コーラスのステージと化す。

春だなぁ、森はいま恋の季節だ。

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強い日射しが新緑に照り返り、

それが風に乗って揺れるので、

刻々と彩りが変化するその様が美しい。

この視覚効果は、最新のCG技術なんかもかなわないだろうと

確信をもつのだが、いま思うにちょっと自信はない。

「山ガール」という言葉ができるほど、

最近はハイキングブーム。

「ランドネ」という山登りの本が売れているらしい。

アウトドアショップに行っても、

閑散としていたムカシと違い、

いまは老若男女の人でいっぱいだ。

バーベキューにハイキング、

カヌー遊びに焚き火のどれもが、

いまの若い人には新鮮だろうが、

田んぼの蛙を焚き火で焼いて喰い、

石油の一斗缶を紐で繋いでイカダをつくり、

それに乗って川遊びをしていた私には、

これらすべてがノスタルジーの再現だ。

が、すべてがスタイリッシュでカッコ良くなり、

いちいち金がかかるようになったなぁと思う。

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そういえば、都会のコンクリート・ジャングルも、

なんだかんだと過ごしているうちに金がかかる。

皇居のまわりや多摩川べりを走っている知人、

横浜の本牧埠頭で釣りを趣味にしている友人に聞くと、

アレコレと金がかかると言う。

面倒なのでその明細を聞いた訳ではないが、

なんだか世知辛い。

「ムカシは良かった」と実感するのは、

やはりそんな時だ。