長い舌

なにが面白いのか

みんなケラケラと笑っている

人だかりの向こうでひとりの男が樽の上に乗り

口から火を吹き

目を見開いているのがみえた

赤い奇妙な衣装を身につけたその男が

今度は槍をみんなに向けて突くマネをする

笑った顔から突き出た長い舌は真っ白で

白目に血管が浮き出ているのが遠目にも分かる

そんな大道芸が

最近町のあちこちに現れては人目を惹いては

人だかりができるのだ

僕はあの火を吹いた男を以前見たことがあるが

それが何処だったか

とんと思い出せない

なぜだか嫌な予感がして

背筋に悪寒が走った

部屋に戻ってテレビをつけると

見慣れない男と女が裸で絡み合っている

男が横になった女に呟いた

「愛しているよ…」

直後に男がカメラに振り返り

ペロっと長い舌を出した

その薄汚れた灰色の舌には

冗談というシールが貼られていた

僕はなんだか息苦しくなり

窓を全開にすると

いままでかいだこともない異臭が鼻をつく

遠くで何かが炸裂する音がしている

窓下の通りを数人の男達が走りながら

「やっちまえ、やっちまえ!」と絶叫していた

胸騒ぎが起きて

洗面所に走って行って顔を洗うと

赤く濁った

いままで見たこともない液体がとめどなく流れ

僕はその場で卒倒してしまった

どのくらい経っただろうか?

うなるような轟音の音で目が醒めると

外はどんよりと暗くなっている

窓に近寄り空を見上げると

見知らぬ飛行体が上空を埋め尽くしている

咄嗟に逃げようと駆け出すと

今度は足元から地鳴りがして

部屋全体がガタガタと揺れ

僕は立っていられなくなり

そのまま窓の枠にしがみつく

窓下を

あの大道芸に集まっていた人達が

悲鳴をあげて逃げ惑っている

僕はあの大道芸の男の顔を

やっと思い出したのだが…

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併読のススメ

藤沢周平の「回天の門」を読みはじめたのが、

かれこれ一ヶ月前だったろうか?

割と分厚い本。ページ数にして、550ページ強といったところか。

それまで、アウトドアのMOOKなどを中心に読んでいたので、

ビジュアル中心に目が慣れたこちらとしては、

ちょっと細かい字が辛い。

しかし藤沢周平の作品は、

私の大好きなストーリー、テンポ、時代感なので、

かれこれ20冊以上は読んでいる。

主人公は江戸時代の武士または町の職人が多いが、

市井のひとばかりで、有名人とか大物は皆無に等しい。

登場する女性がとにかく美しい。

顔立ちだけでなく、心根の美人が多い。

この時代ならではの人の機微が、物語を分厚いものにしている。

と、ブックオフにふらっと立ち寄ったところ、

椎名誠さんの未読の本に出会ってしまい、即買い。

これが枕元に並んでしまって、交互に読んでいる。

「ごんごんと風にころがる雲をみた」というこの本は、

椎名誠さんが世界の果てで体験したものをまとめたエッセイ集。

寝る前に読むにはワクワク度が高く、

面白くて少し良くない。

ある時間でキッチリ本を閉じないと翌日に響くので、

そこら辺のケジメが難しいのだが。

で、昼とか夜の空いた時間は、当初「吉野弘 詩集」をぺらぺらとやり、

感動に浸っていたのだが、あるときお笑いの又吉直樹の本を手に入れ、

冒頭をチラ読みしたところ、かなり面白いので、そのまま続行。

こちらも併読となった次第。

このくらいなら、まあこちらのアタマさえ切り替えれば、

キャパの範囲内なのだが、

あるとき、

先輩の編集者のブログで紹介されていた池田晶子さんの本が無性に欲しくなり、

アマゾンで短絡的クリック買い。

到着早々、こちらにもハマってしまった。

で、吉野弘の詩集はなんというか、ことばの力をみせつけてくれて、

こちらとしてはこうべを垂れるしかない。

後はため息か…

そして又吉の、

いや正確には、せきしろ×又吉直樹の「まさかジープでくるとは」は、

かなり実験的な試みも入った意欲的な本で、

七五調や季語を無視した俳句っぽいものを載せたり、

意味深なエッセイや写真が満載である。

が、やはりこの人たちは光る何かがあるなと、

実感させられる一冊。

で、池田晶子さん。

もう亡くなられてしまった方だが、

哲学を平易な文で語ってくれる希有な才能の人。

さらっと凄いことを書くところが魅力である。

タイトルは「暮らしの哲学」。

この平凡な名前の本に、人生とか時間の観念とか、

無、無限、意識、無意識の話がさらっと書いてある。

しかし、難しいのではなく、深み。

季節感溢れる情緒豊かなエッセイとしても、

異彩を放っている。

さて、これら五冊を併読していると、

たまにアタマのカクテル状態に陥ることがある。

特にビジネス中心の昼間など、

あるセンテンスなどが不意に浮かび上がり、

手が止まることもしばしば。

企画書は完全にストップ、

コピーライティング低迷。

見積もりは間違いだらけ、は良くないけれど。

思うに、これらの併読は、

ある意味「毒」ではある。

仕事を阻害する要因としては、

金欠、恋愛に等しい邪悪な環境を作り出す。

が、

♪やめられないとまらない♪

併読は、ムカシ流行ったかっぱえびせんのコマーシャルの如し。

お陰様で、休日も仕事をしている有様です!

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スマフォサイトのすすめ

Googleが、スマフォサイトがないと検索順位が落ちますよ。

そんなことをアナウンスしています。

それも4月某日と期日指定していますので、

Googleにしては希有なことでして、

これは早急に対応した方が良いと思います。

スマフォサイトは、PCサイトをそのまま表示しても、

これはもう重すぎるし、アレコレと項目も多すぎる。

まず、直帰されてしまいますね。

スマフォ版は、シンプルイズベストをめざします。

PCサイトの基本項目をピックアップすることから始めます。

それを核に構築を考える。

いわば、店に例えると本店がPCサイトとすると、

スマフォサイトは支店。

またはアンテナショップ。

そんなイメージでしょうか?

逆に、モバイルの方が売上げ、

反応率が良いという業種の方は、

この際、考え方をひっくり返し、

スマフォサイトから構築し直してみる。

そしてPCサイトを後追いさせる。

こうしたモバイルファーストのケースもある訳です。

この際、あなたの業種、商品の特性を改めて点検し、

自社のサイトを徹底的に分析してみるのも、

良い機会かも知れません。

クルマに関する転向動機

アクセルを踏んでエンジンが唸る。

そういうのをちょっとカッコイイと思うのは、

もうすでに過去の人なのだ。

ドリフトとかタイヤを鳴らして加速するなんぞは論外。

そんな時代は、もうとっくの過去に過ぎ去った。

そんな美学にすがりつくオヤジというのは質が悪いので、

時代は更にオヤジを置いてけぼりにしてしまうのである。

目を覚ませ!

で、最近のクルマはというと、

そうですね、

何の音もせず、スッと加速し、

瞬く間に姿が小さくなる、

という具合。

新型は、静か、かつ速いのだ。

ハイブリッドとかEVとか、

その仕組みは私にはよく分からない。

というか、興味はないが、

とにかくそんな類いのクルマが

相当の勢いで増えているのは確かである。

対して、旧車を愛する方々も相当数いるらしく、

ミニクーパーとかカブトムシ、

レビン党、スカG党他、

いまだかなり生息しているのは確かだ。

現在、私の乗っているクルマはごく普通のVWゴルフだが、

それだってバックモニターやら、

なんとかオーディオシステムとか、

しゃべるナビとかいろいろ付いていて、

操作に一苦労する。

というかうるさい!

キーを差し込むと同時に、いろいろ機器が、

アレコレと一緒にしゃべるので、

車内がホントに騒々しい。

でですね、

最新のクルマはというと、

これがもう宇宙船状態なんですね。

あるとき、

これは新型のボルボですが、

そのキャビンを見せてもらったところ、

私は唖然とし、

よく分からないスイッチ類がズラッと並び、

持ち主にアレコレ聞いたのだが、

恐ろしいことに、実は私にも分からない、

というではないか。

人間置いてけぼり…

こういうクルマの進歩を見ていると、

運転のみに集中している時代ではないな、

それが返って危ないのではないか、

などと私なんぞは危惧してしまうのだが、

聞けばいろいろな安全装置とか安全システムが搭載されていて、

それはそれでよろしいらしいのだ。

ふーん。

とまあ、最近のクルマに割と失望していたのだが、

半年ほど前あたりから、

気になるニュースを耳にするようになった。

それは何を隠そう、

「自動運転」というキーワードであった。

私はこの類いのニュースが痛く気になり、

いろいろ調べたのだが、

実用化へのメドは立っているとのこと。

インフラが整えば、、

かなり近い将来の実用化も可能だという。

日産、ボルボなどがその技術の最先端をいくようだが、

いわゆるソフト系のGoogleとかAppleも触手を伸ばしているという。

こうした傾向は、市場がかなり有望であることを示している。

ただ、問題は万が一事故を起こしたときの責任とか、

そうした類いの法整備が遅れているのが現状らしい。

で、私が興味を示した発端は、

現役を引退したら何処へ住もうかという悩みだった。

いつまでも若者ぶってはいられない、

いつまで運転できるのかな、

そんな心配事を想像すると、

やはり駅近とか街中とか、

便利な場所への引っ越しを考えザルを得なくなる。

が、最近の自分的趣味からして、

あまり人の多いところとか繁華街に住むのはゴメンだ、

というのがあった訳で、

郊外に住みつつ何か良い移動手段があったらな?

と考えている最中だったのである。

そこに「自動運転」というキーワードが飛び込んできた。

私にとっては、かなり魅力的な近未来を想像させるニュースだった訳だ。

そう、

じじぃになったら、いまより更に静かな所で暮らしたい、

陽当たり良好、風光明媚。

小さな畑を耕し、近くには川とか湖とか海とがあって…

そんな希望を叶えてくれるのが、自動運転なのである!

街中などに用のあるときは、行き先をインプット。

私はクルマに乗っても、ハンドルは握らない。

で、景色を楽しみながら、いや読書ですか、

そんなことで時間を潰し、

めざすスーパーなり役所なりに自動で辿り着くという、

理想的なストーリー。

じじぃの入口に立った私が、

いまさら時代の流れに逆らったところで、

結構無理が祟っていたのは確かなことではある。

そこで、過去のこだわりを一切捨て、

今後の方針を一挙に180度切り替え、

時代の波に乗るというイージーな人間に変身することにした。

これが私の現在の姿なのである。

裏切り、罵倒、卑怯者。

そう、ムカシの仲間連中からは非難ごうごうだろう。

うーん、だが何と言われようと、

いまは自動運転の実現を切に望む。

ここは譲れない現在の私なのでありました。

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リフレッシュ農園

あ

う

疲れると、ときどき立ち寄る憩いの地。

近所のTさんという方が営まれている農園です。

すべて無農薬・有機農栽培。

Tさんの農業歴は15年だそうで、

現役時代は東京の建設会社にお勤めされていました。

元々は江戸っ子。

現在は都会が嫌いだそうです。

ふーん。

き

さて、農園の広さは何反だったか忘れましたが、

とにかく広い。

奥の方には、栗の木も桃の木もたくさんある。

そもそも、一人で面倒をみる広さではないんですね。

素人目に見ても、広すぎる。

作物の種類も多いのですが、

単一作物で効率良くやらないと、

農業というのは儲からないらしい。

Tさんの決算書を見せてもらい、納得。

儲かる農業の概略は私にも薄々分かってきた。

が、Tさんは金には全然困っていないので、

至ってマイペース。

利益は度外視していて、

つくる楽しみのみを追求している。

Tさんは毎日毎日、黙々と作業する。

休憩小屋には、農業に関する本がびっしりと並ぶ。

雨の日も、当たり前に畑に出る。

そして雪の日も太陽がぎらつく真夏も…

農園にはいまどき、

冬だというのに、いろいろな作物ができる。

農薬を使っていないので、

寒いのに、虫も鳥も結構飛んでくるのだ。

そうそう、

湧き水の流れのなかにクレソンがなってる。

飲めそうな清流なんです。

え

鶏は平飼いで、皆のびのび生活している。

ストレスのない鶏が産む卵は、

近くの市場に卸すと、即完売してしまう。

私もいただきましたが、黄身の張りが違います。

白身の弾力が強い。

そしてなにより旨い。

さ

この日の差し入れは、

コーヒーとバームクーヘンにした。

そういえば、前に来たとき、

TPPと農協のことを話したのを思い出した。

Tさんは、割と議論好きであったのを、

またまた私は忘れていたのだ。

か

で、予定通りというか、

畑で作業中のTさんに声をかけると、

にこにこして作業を中断、

休憩となったが、

程なく、

「○○さん、日本の人口って、

やはり減ってはいけないのですかね?」

旨そうにコーヒーを飲みながら、

畑を眺めている。

Tさんは、まず謎かけのような質問から来ることが多いのだ。

「ええ、まあ世間ではそういうことになっていますね。

福祉なんか特に…」

当たり障りのない私の受け答え。

「ふーん」

Tさんが続ける。

「あの、かんぽの宿の支出と、昔の社会保険庁から

消えたお金ってどこへ行ったのかね?」

うーん、やはり気を抜いている場合ではないな、と思う。

Tさんの言わんとすることがなんとなく理解できた私は、

「とにかく不明朗で無駄なものが多すぎますね」

し

と、たばこを一服しながらコーヒーカップを手にしたTさんが、

ニタッと笑う。

「人工増加が前提の税の仕組みとか介護って、

よくよく考えてみると少しおかしいと思いません?」

「………」

ついでに咄嗟に思いついたことを私は口にした。

「資本主義って、そういうもんなのではないですかね?」

「うーん、だけどね○○さん、

それだけではないおかしなことが、この国には多いんだよね。

私はそこんところが解せなくて…」

「ええ、明朗会計ではないことだけは確かですね」

「そうです、

北欧のように小さな政府ってどうですかね?

会計もすべてオープンにすることが基本ですからね」

「確かにおっしゃる通りです」

二人して、ぬるくなったコーヒーをすする。

そして農園をぼおっと眺める沈黙の時間が、

延々と続く。

こんなひとときが私は大好きだ。

帰りにTさんが、

椎茸を採って袋にいっぱいくれた。

こ

け

「いやぁ、こういう作業をしていると、

一日誰とも話さないこともあるんでね」

「そうですね、ではまた来ます、

お邪魔しました!」

良い景色を眺めると、疲れがとれるな~

帰りはいつも心が軽くなる訳です。

しかし、稚拙な我がアタマがフル回転しても、

何故か疲れないのが可笑しい。

その要因を探すも、

いまだ明快な答えはみつからない。

まあ、普段と違うアタマが、

突然目を覚まして活動するのだろうと、

私は勝手に解釈してはいるのだが…

お

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オルゴールの記憶

ジブリの音楽をオルゴールの音で聴くと、

なんだか仕事がはかどる。

そして安らぐんだな。

最近はずっと聴いている。

ジブリ映画が特別好きという程ではないが、

ほとんどの作品は観ている。

最初の「となりのトトロ」が、

やはり何度見返しても、一番いい。

次が「もののけ姫」か。

後、「アバター」という映画を観たとき、

モチーフはもののけ姫じゃないかと、

私は思ったのだが…

で、オルゴールの音色だが、

なぜあの音が好きなのかを自問自答してみた。

結果、三つの記憶が蘇った。

小学生の夏休みだった。

三浦三崎の親戚の家に泊まりにいって、

けだるい午後を居間に転がってダラダラしていたら、

どこからともなくオルゴールの音色が流れてきたのだ。

とても暑い日で、午前は近くの浜で泳いでいたのだが、

グッタリして細い坂道をやっと登り切ると、

あの親戚の家の赤い屋根が見えた。

その家は洋館で、古いがとても洒落ていた。

親戚も仕事上の関係で、この家を借りていたらしい。

玄関に、金色のカラクリ時計がクルクル回っていた。

海辺町の夏の午後はとても静かで、

そのオルゴールだけが生命を宿していた…

二つ目は、横浜駅近くのスカイビルだった。

当時、私は中学校の水泳部に所属していて、

冬は温水プールでインターバルの練習に明け暮れていた。

その頃、温水プールは横浜駅の東口側にしかなく、

そこへ毎日通っていたのだが、

或る日、隣のスカイビルという所へふらっと入ってみた。

1Fではホットドックやコーラの売り場があって、

私たちは、やがて練習後の時間をそこで費やすようになった。

好奇心の強い私は、みんなに黙ってエスカレーターに乗り、

上の階を覗いた。

そこの売り場は、舶来物ばかりがギッシリ陳列されていて、

それを初めて目にした私はホントに驚き、

下階のみんなを呼び寄せた。

まだ外国の事なんて全く分からない私たちは、

驚き、そして感嘆の声を上げた。

そこにはオルゴールの木の小箱が幾つも置かれていて、

蓋をそっと開けると、「乙女の祈り」のメロディーが、

その不思議な空間に流れた。

ビルの屋上から見えるものは、海。

すべて異国の薫りがした。

三つ目は、

大学生でバイトに精を出していた頃。

お歳暮の配達をしていて、

私の担当は、田園都市線の多摩プラーザあたりだった。

年末の配達はとても忙しく、朝早くて夜は遅く、

毎日とても寒かったが、いい収入にはなった。

クリスマスも近いこともあって、

街はどこもクリスマスソングが流れて華やかだった。

この綺麗な街に私は違和感をもっていて、

いまひとつ馴染めなかったが…

ある荷物を届けるため、私は或る店の扉を開けた。

するとふわっと暖かい空気が、冷えた躰を覆った。

店内には、

北欧の雑貨やカラフルなキッチン用品がズラッと並んでいて、

外の雑踏はシャットアウトされ、

加湿器の煙が静かにたなびいて、

オルゴールの音楽だけが静かに店内に流れていた。

メロディはもちろんクリスマスソングだったが、

私はその言い知れないやさしい音色に、

思わず笑みが溢れてしまった。

そういえば、初恋の人に贈ったプレゼントも、

木箱のオルゴールだった。

箱の底に、

そっとハートのペンダントの片方を入れた。

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さおだけ屋さんの正体

最近、また、さおだけ屋さんの声を聞くようになったが、

なんだろう、

あの人たちの仕事にも流行廃りがあるのだろうか?

立て続けに

「20年前のお値段でご奉仕しております」のアナウンスを流すクルマが、

家の前をよく通り過ぎる。

ふーむ。

ウチの奥さんがそれを聞いて、20年前も同じ事を言っていた、と言う。

となると、さおだけの値段はざっと40年前とほぼ同じことになる。

なんだかうさん臭いな!

そもそも私は、さおだけの適正な価格なるものを知らないので、

一本? 一竿300円位のような気もするし、

3,000円でも納得できる気がするのだが、

誰~も買っていないような気がする。

いや、買っている人はいるのかも知れないが、

さおだけ屋さんにしてみれば、

人件費はかかるしガソリン代もバカにならないし、

どうしても割に合わないなぁなどと私は思うのだ。

以前「さおだけ屋はなぜ潰れないのか」という本を買って読んだことがあるが、

そのつぶれない理由を、私はとうのムカシに忘れている。

確か、税理士さんか会計士さんが書いた本で、

答えはたいして面白くなかった記憶はある。

だからたいして覚えていないのだ。

推測するに、きっとこんな答えだったと思う。

安いさおだけをアナウンスしておいて、徐々に高いさおだけをすすめる。

こうした売り方をしていれば商売になる。

だから潰れない。

そんなような事が書かれていたような…

しかしである。

私の直感として、まるで他の理由が浮かんだ訳だ。

それは、まず

さおだけ屋は実はGoogle社員説。

Googleは現在、より詳細な地図づくりに取り組んでいるのだ。

これは将来有望なビックデータになるので、

膨大な利益を生む訳である。

いまは、そのための先行投資であり、

Googleは、密かにさおだけ屋として日本中を走り回っている、

というもの。

まるで説得力がないな~。

次は、さおだけや公務員説。

公務員、特に税務署関係が住宅地をうろうろしていると、どうもうまくない。

そこで、特定の家庭事情の調査のためにさおだけ屋を装い、

ターゲットの生活の様子から、脱税等の調査をしている、というもの。

どうだろうか?

イマイチ?

で、私の妄想は警察犯罪調査説、私立探偵説、スパイ説など、

延々と続くのだが、

どれもこれもどうもスッキリせず、疲れ果てた。

まあ、仕事も山積しているし、手が付かないのも困るので、

そろそろヤメにしようかと思っている訳。

先日も隣町の○○ですと訪ねてきた人が、

実は宗教の勧誘だったのを思うに付け、

もうなんでもアリだなと、私の耐性もできつつあるので、

実はさおだけ屋の正体なんぞ、

ホントはなんだって構わない訳ではあるが、

さおだけ屋さんの事を、

こうしてツラツラと書いている自分がいる。

難問。

答えのない問題。

出口の見えないトンネル。

そんな訳で、さおだけ屋さんの問題は、

かなり私を疲弊させる。

ああ、ホント、眠れませんよ!

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対岸

小学校3年のとき、

両親に、初めて山下公園に連れて行ってもらった。

僕がいつも丘の上から見ていたところ。

それが山下公園だった。

山下公園から見る僕の町は、

工場と煙突だらけ。

空はスモッグですすけていた。

こっちは氷川丸が停留してかっこいいけれど、

向こうの岸壁はいつもゴミが浮いていて、

船で仕事をしているおじさんが、

僕らをみつけると怒鳴る。

× × × × ×

夢のように時が過ぎて、

老いが見えはじめた私は、

懐かしさから、

みなとみらい線で山下公園を訪れる。

高速道路ができて、造船所が壊され、

臨海部は再開発されて、

高層ビルや観覧車が映える美しい街になった。

× × × × ×

しかし、ここから見る夕暮どきのこの景色は、

相変わらず昔のままのように思うのは何故だろう。

夢のように時が過ぎて、

あの頃の僕は、

老い先の知れたおじさんの「私」になり、

それでも変わらず、

工場の煙は、

やはり天をめざすのだなぁ…

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恋唄

あの日から、

思えば12年も過ぎてしまった。

最近、またあの日のことが気にかかる日々が

続いている。

出張に託けて、再びこの駅に来てしまった。

吹き下ろす北風が胸を刺すように冷える。

線路の脇に植えられた木々の向こうに、

田園地帯が広がる。

ところどころに根雪が残り、

午後の陽を浴び、照り返している。

コートの襟を立て改札を出ると、

田舎町独特の駅前広場に出る。

人影はまばらで、

タクシー乗り場には暇そうなタクシーが2台、

客待ちをしている。

あの店のくすんだ壁紙が浮かんだ。

ロータリーを左へ曲がり、商店街を歩く。

朽ちていた薬局が新しく建て直されたらしく、

知らない若い女性が店の前を掃いている。

娘さんかな?

そんなことを思いながら足を速めると、

見慣れた店の看板が遠目に見えた。

真新しく拡張された歩道を歩きながら、

あの人のことを考えるが、

仕草、そしてはにかむような笑顔は、

もう、遠い日に封印されている。

大きなコーヒー樽が置かれた見覚えのあるドアをあけると、

静かなジャズが暗い店内の足元を這うように流れている。

ぼんやり見える店内の奥を覗くと、

目当てのボックス席が空いていた。

私は入口で手にしたライブのチラシを握りしめ、

そのボックス席に腰を下ろしてから、

「モカをください、ブラックで」

と代替わりしたと思われるマスターらしき人に、

何食わぬ笑顔で声をかける。

あぁと、ふと、ため息がもれた。

タバコに火を点け、

暗がりでチラシを見るふりをしながら、

やがて俯いて目をつむった。

私は、あのときの情景を、

丹念に蘇らせてみた。

それはとても些細なすれ違いが、

事の発端だったように思う。

「やはり東京に行くことになったよ」

「………」

佐恵が一瞬うなだれ、じっとこちらをみつめていた。

「どうする?」

佐恵の目に大粒の涙が光る。

「行きたい、だけど…」

「籍のことだろ、そのことなら心配ない

入れてから行こう、そうしよう」

「………」

「お父さんか、いやお母さんも駄目って?」

「何度話しても、

絶対に駄目だって…

頑として許してくれないの」

「…それで佐恵の結論は?」

「………」

俯いた佐恵の長い髪が一本一本光っている。

尖った赤い唇が震えている。

何度も話合った話題だったが、

やはり佐恵から快い返事を聞くことはできなかった。

今日が最後の話合いになることは、

あらかじめ、お互いの認識のなかにあった。

長い時間が流れたように思う。

冷めたモカをひとくち飲み、

僕は「分かった」とだけ答えた。

これが最後に交わしたことばだった。

それから3年ほどして、

地元の友達から、

佐恵が地元の名士の息子と婚約をしたことを知った。

しかし、後年、佐恵はこの名士の息子と離婚し、

ふたりの子を連れ、この町を出たという。

その後の足取りは、誰に聞いても分からなかった。

あの頃、まだ佐恵は私の連絡先を知っていただろうし、

住んでいる都内のアパートも教えてあった。

なぜ、この私を訪ねてこなかったのだろう?

私といえば、やはり一度結婚に失敗している。

それも佐恵より早く。

彼女はそのことを知っていた。

これは知人の女性から後に聞いた話だが、

佐恵は私の離婚の話を聞くと、

顔を伏せてすすり泣いていたという。

「どうぞ」の声に起こされ、

私は現実に引き戻された。

思い出のコーヒーカップに並々と注がれた

モカが運ばれてきた。

「あっ、どうも」

マスターらしき人の笑顔が

「ごゆっくり」と語っている。

ひとくち口に含んだモカの味は、

あのときより薄く感じられた。

そして、あったかいものがカラダを巡ると、

私はあることに思いを巡らした。

それは、まだ会ったことのない佐恵の

親御さんに会うことだった。

確か、佐恵の実家はまだこの辺りにあると、聞いていた。

彼女の親御さんは、

まずこの私を不審がるだろう。

しかし、私が事のすべてを話せば、

佐恵の手かがりが何か掴めるかも知れない。

こんな思いは、先ほどまで思い浮かばなかったのに…

モカの澄んだ苦みが、私の冷えた心に、

幾ばくかの勇気を添えてくれたようだった。

伏し目がちに笑う佐恵の笑顔が蘇る。

そして、動揺するとちょっと尖る小さな唇。

ふたりの子供か…

(佐恵なら、まあいいか、

良い子だな…)

レシートを握りしめ、

冷えた夕暮れの通りを更に奥のみちへ…

胸の迷いを打ち消すように、

大きくため息を吐くと、

私は佐恵の実家の方向へと歩き始めた。

(つづく)

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最後のアドベンチャー

先日、NHKの金曜eyeという番組で、

「ひとり死」という内容を取り上げていた。

正直、観ていてだんだん憂鬱になり、

遂に耐えられずにチャンネルを回したが、

いまでも、どうもあのインパクトが消えない。

両親を送り、子供もとっくに成人しているし、

さあこれから気楽に生きよう、

とも考えていたがしかし、

現実に横たわるのはこういうことか、と自覚する。

私は配偶者も子もいる。

いわゆるおひとりさまではないのだが、

この私だって、

未来の事は神さましか分からないのである。

配偶者に先立たれ、

子供は訳あって遠くに行ってしまうとか…

そういうことが無いとも限らない。

そんなことを考えさせる

不安な時代でもある。

気分の悪いイマジネーションは、

人を果てしなく陥れる。

おひとりさまという環境は、

ひとり死という選択が、かなり身近となる。

ひとり死は、選択するものなのである。

そしてひとり死は、いわゆる孤独死とは異なる。

ここで、ひとり死の詳細を書こうとしたが、

更に憂鬱になってきたので、

詳しく知りたい方は、検索して調べていただきたい。

日本も、これからますます単身高齢社会となる。

この場合、孤独死はとにかく脇に置いておくとして、

ひとり死に関しては確実に増えてゆくと思うが、

正直、私にはちょっと怖い話であった。

思えば、

死とは想像でしか語れない、

誰も知らないところへ、

初めて一人っきりで、

旅に出かけるようなものである。

もちろん旅の仲間はいない。

まして、

ひとり死は、

見送りさえ誰も来ないということか。

さてこう考えると、

翻って、

単身でアフリカやアマゾンの奥地へ行くことなんか、

全然たいしたことはない訳である。

月へ行くのも、なんということはない。

更に金星や水星へ飛び出すことでさえ、

厳しいツアーだな、と思えてくるくらいである。

要するに、年をとると、

もっと凄い旅が大きな口を空けて待っているのだ。

まさに人生の最後は、

アドベンチャーというしかない。

さて、見送りが何人くらい来るか、

いや一人も来ないかは分からないが、

誰もが、

この旅には例外なく参加しなくてはならない。

ここは万人、変えられない。

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