雨上がり必死隊

雨の土曜日は

残務整理に適してはいるけれど、

雨が上がってサッと陽がさすと、

もうじっとはしていられない。

その2

街は街で田舎は田舎で

きっと素敵な映像がアチコチで

観られるに違いない。

その4

そう思うと、

買い物もそこそこに切り上げて、

郊外へとクルマを走らせる。

その6

冷えた大気、

湿った景色、

沈む夕陽、

照らされる木々のシルエット

その10

実はこの日の夕方は、

まるで水墨画のような映像が披露されたのだが、

安いレンズは答えようもない。

その7

自然のひとときも止まらない美しさは、

いつ観ても、

やはりアートだ。

その8

その9

紅葉におもうこと

晩秋あるいは初冬の紅葉、

あれはあれで綺麗で美しいが、

ちょっと寂しくもあるのは、

己の年齢や

行く先を暗示しているようでもあるからだ。

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いきものは、滅する前にもういちど華開く。

紅葉は、きっとそのようなものなのだ。

冬は、思うに季節で眠りにつくとき。

または、いきものの死を意味する。

だからこの季節は美しく、

もの悲しいのだ。

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永く生きていると、

或るときから死を意識する。

さて、残された時間をどのように過ごすかと、

とてつもなく大きな難問にぶつかる。

活き活きと生きている先輩諸氏がいて、

さっさとあの世に行ってしまう友人がいたりする。

死は身近なものとして、

いつも私のまわりをうろついている。

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若ぶるか、しっかり老け込むか?

分岐点に立つ人間は、それが問題なのだ。

死ぬ前にひと花咲かせるとは、

まさに晩秋に色づく老木の紅葉の如きである。

紅葉には、死のにおいがする。

紅葉があれほど美しいのは、

生きてきた生への賛歌であり、

グッドバイこの世、

というメッセージが込められている。

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こんなことを考えてしまう私はいま

まさに生の分岐点に立ち尽くす

迷い旅人に違いない。

丹沢の尻尾を歩く

病も癒えてきて、体力もだいぶ戻った。

朝、窓を開けると晴天だ。

週末だし、溜まっている仕事を放りだして、

奥さんと再び山歩きを再開することにした。

写真 1

写真 2

写真 5

写真 3

丹沢は奥が深い。

が、今回は足慣らしで、その尻尾と呼ばれる

低山をめざす。

その昔、山伏が修業で歩いたという途を

ひたすら登る。

山体が龍に似ていることから、

この辺りは龍伝説も残っている。

前回歩いたときは野猿に出会ったが、

今回は一匹も見かけず。

木漏れ日が心地よい。

写真 4

写真 3

写真 1

写真 4

どんぐりがいたるところで

転がっている。

山頂の展望台から、

遠く都心のビル群と、

横浜のランドマークタワー辺りが、

見渡せる。

写真 2

写真 3

写真 4

東京大空襲のとき、

米軍のB29爆撃機は、

相模湾から低空飛行で姿を隠し、

この山を越え、

一気に東京をめざしたという。

まあ、曰く付きの山ではある。

帰りは、神奈川の名湯と呼ばれる

湯に入って汗を流す。

写真 5

お陰で夕飯がうまい。

ぐっすりと眠りました。

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どうわ「ボウのゆめ」

ふかいうみで

そだったポウが

ちかくのうみのそこで

いつものんきにおよいでいる

ちょうちんアンコウのじいさんから

きいたはなしでは

うみのうえには

イルカという

げんきないきものがいて

いつもひかりのあたる

あたたかいうみのうえを

とんだりはねたりして

くらしているらしい

それからポウは

いつか

イルカのようになりたいなと

ゆめをみる

しんかいは

いつもとてもしずかで

ときどき

サメがいじわるにやってくる

けれど

みんななかよくくらしていて

とてもへいわなまいにち

しんかいぎょのポウは

それでも

ちょうちんアンコウの

じいさんからきいた

あのまぶしくて

きれいなひかりのなかをおよぐ

イルカのことがわすれられない

ポウはゆめをみる

そこはキラキラとひかる

せかい

ポウはおもいっきり

うみのうえをはねてみた

そらには

おひさまがかがやき

なみがゆれて

キラキラとまぶしい

とおくに

ふねがうかんでいる

しかしポウは

しんかいぎょだ

うみのそこでしか生きられない

しかたがないな…

ポウは

ゆめのくににすむことになり

イルカにすがたをかえて

ひかりのなかを

とびはねることにした

しょうがないよね!

でも

ボウはいま

とてもしあわせです

写真4

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落ち葉を掃くひと

この季節になると

必ずみかける光景が

落ち葉を掃いている姿だ

落ち葉を掃いている様は

とめどない

それがどこか空しく

終わりのない作業のように思えるも

永いひとの一生の

日々の暮らしのようにも思えてくる

累々と降り積もる落ち葉

が、どのひとも修行僧のように寡黙で

それは

なにかを分かっているようでもあり

それが運命だとあきらめ

うなだれた気持ちを

丸まった背中で語っているようにも

思えてくる

掃くそばから

無情にも葉が止めどなく落ちるが

ひとは構わず掃き続ける

こうして冬が深まり

皆、暖の支度を終え

景色は色を落とし

空は澄み

キンと張り詰めた季節が

今年も始まる

逝ってしまったひとよ

もの悲しいこの季節に

僕はよく思うのだが

あなた方の時間は

やはり

日々

落ち葉を掃くように

過ぎてゆくのですか?

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時代なんか、パッと変わる。

ベルリンの壁が崩壊したのが、

確か1989年だった。

これに遡ること5年。

鬼才コピーライター秋山晶さんは、

サントリーのウィスキーのコピーを、

こう表現した。

―時代なんか、パッと変わる。―

シルキーという商品の性格上、

その思惑は想像できるが、

私は後に、彼はある意味で、

時代の予言者ではないかと思った。

当時、仕事で鬱屈していた私は、

このコピーを、赤坂の喫茶店で

目にした。

坂の上あるその店で新聞を広げ、

赤坂の街を眺めながら、

そうだ、

時代なんか、ひっくり返ればいいんだ。

そう思ってうなだれていた。

が、次の瞬間、何かがピピっときた。

この広告は、凄い!

出版社を辞め、幾つかの編プロを渡り歩き、

いい加減に疲れ果てていた私に、

かすかな光が灯った瞬間だった。

いままでの職歴をとりあえず捨て、

的を変え、

翌日から新聞に掲載されている求人欄を、

丹念に見入った。

出版社の編集者から広告会社のコピーライターへと、

急きょ進路を変更したのだ。

ゼロからの出発に賭けた。

まあ、しかしよく落ちた。

それも履歴書の段階で。

「コピーライター経験者限」

「コピーライター経験3年以上」

コピーライター未経験の私が入る余地はなかったが、

何社か面接に来ても良い、という返事をいただいた。

結局、

その何社かのなかの一社に

私は奇跡的に入れていただいたが、

後年、その会社の社長に、

なぜ私を入社させたのか、

くだらない雑談の中で、その答えを聞いたことがある。

「あのねぇ、人っていろいろいるから

そもそもからして、

ちょっとやそっとじゃ分からないんだよね。

まして経験者なんていっても、

つまんない経験ばかりしている者もいる。

そういう奴って、ホント面白くないしね」

「………」

「あっ、そうだ、お前のことだろ、

なんで取ったのかって?

あのね、お前が面接に来ただろ、

そのときね、部屋がパッと明るくなったんだよね」

「それだけですか?」

「そうだよ、それだけ」

「………」

「あのね、

お前は信じないだろうけれど、

ホントはそういうことって、

とても大切な事なんだよ」

「………」

かくして私は、その会社で、

コピーライター一年生としてのスタートを切れたが、

その事を思い出す度に、

人生ってホントに分からないなと、

いまでも思っている。

なので、

あまり先の計画は立てないようにしているし、

無計画的計画というのが、私の基本姿勢でもある。

まして他人任せの世の中なんぞ、

もっと分析不能で分からない。

これは断言できるナ。

という訳で、

当然、私には明確なライフプランがない。

あるのは、感。

自らのアンテナのみ。

こうした自分に満足ではあるが、

ときに呆れられたりすることもよくある。

良くも悪くも、

時代なんか、パッと変わるのだ。

人生も然り。

私に影響を与えた秋山晶さん、○○社長は、

実はそのなんたるかが、見えていたのだろう。

それが

優れたクリエーターに欠かせない資質であると、

いま頃になってやっと分かってきたのだが…

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秋散見

写真 3

北海道の仕事仲間と、気候の話になった。

曰く、向こうはもう紅葉も終わり、

朝は氷が張っているところもあるとか。

写真 3

「そっちの気候も、なかなか厳しいね?」

「いや、慣れているから…

それよりそっちのゴチャゴチャした

都会のなんていうか、

そういうのが私、駄目なんだよね」

写真 1

そう思います。

写真 2

後日、同じく東京の仕事仲間と話していたら、

「いい加減、こっちへ戻ってこいよ」

「いや、遠慮するよ。

そっちのゴチャゴチャした

都会のなんていうか、

そういうのが私、駄目なんだよね」

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オトコ心と秋の空

前項で書いたが、愛車とわかれた現在は、

代車を走らせている。

ガタガタのVWポロだが、なんだかんだ良く走る。

先日、東京へ行くために東名を走ったが、

なかなか安定している。

が、メーター読み110キロ付近で、加速が鈍る。

レーンチェンジにも、少し足回りが甘い。

精一杯走っています状態なので、

やむなく真ん中の車線を90キロで巡航。

これで全然、問題ない。

環八は、常に渋滞。

加えて、一車線の幅が狭いので、

こういうところでポロの強みが出る。

まず、車幅があまりないのでラクチン。

燃費がが良いので、渋滞も気にならない。

思えば、前出の我が愛車、VWボーラは、

とにかく早かった。

120キロからやっとやる気を出すクルマであった。

よってガスも猛烈に喰った。

車幅もそこそこあったので、隣車に気を使う。

ああ、今度買うなら、

こんな車でいいなと、つい思ってしまった。

つい先日、未練たらたらと書いたのに、

いつのまに…

切り替えの早い人間ではある。

私は、こういう自分を、

あまり信用していない。

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愛車とのわかれ話

約7年、私のアシとなって走り続けてくれたVWボーラが、

先日不調をきたし、泣く泣く手放すこととなった。

この手の欧州車に多いのは、

私の経験からして、ちょっこっと壊れ始めたら、

恐いことに、結果がかなりの重症なこと。

で、今回の不調というのは、

このクルマにとっては、やはり致命傷だった。

まずスピードメーターが突然動かなくなり、

うん?とは思っていたが、

次にワインディングを走ると、

ガス欠でもないのに、突然警告音が鳴るようになった。

スピードメーターの故障だったら、

そこのみ直せば良いことなのだが、

コンピュータ診断で、まずその疑いは晴れた。

ということは、

そこに繋がる大元のセンサーの異常が考えられる。

で、そのセンサーがどこにあるかというと、

エンジンルームの前部をすべてばらし、

ミッションまで辿り着かなくてはならないので、

そこでかなりの時間と費用が発生する。

が、万が一そこで辿り着いても、

センサーが壊れているのかどうかが、

不明なこともあるそうなのだ。

これがひとつ。

次に、カーブ時の警告音だが、

この警告音は、ガス欠を知らせるアラームで、

私の場合は、

ガソリンがかなり入っているにも係わらず鳴るので、

まず燃料ポンプを交換して試したが、

結果は芳しくない。

あとはガソリンタンクの交換になる訳だが、

このタンク代が、工賃抜きで9万円とのこと。

しかし、次に新たな疑いが浮上した。

スピードメーターの異常とガソリンタンクの警告音の鳴る症状が

同時期に起きたということは、

やはり、メーター機器そのものに異常が発生したのではないか、

という疑いである。

が、これはコンピュータ診断でもみつからないので、

人的判断だが、

さあ、どこから手をつけたら良いかが分からない。

が、その筋の専門家に言わせると、

メーター機器主犯説に賭けてみてはどうかと。

理由は、同時多発で起きた症状が、

どうしてもメーター機器に起因しているとのこと。

しかし、メーター機器そのものの交換は、

かなり面倒である。

他社のことはよく知らないが、

VWの場合、現在は、メーターの不正改ざんを防ぐため、

ドイツ本国ですべて統一管理されていて、

日本においても、メーターの交換は

VWの正規ディーラーのみで許されており、

他の業者が手を付けると不正行為とみなされるらしい。

ちなみにその際の費用が、30万円は下らないとのこと。

しかし、この修理でさえ、我が愛車が蘇ってくれる、
 
という保証はない。

こうなると、迷路である。

例えば、これらをつぶさに追求すると、

軽く100万円近くの金が吹っ飛ぶので、

私も徐々に後づさりを始めた。

さて、オトコにとって、

クルマの扱いは女性のそれに似ていると、

ムカシからよく言われる。

クルマの好みも、同様と言う。

私は派手でも地味でもない普通のクルマが好みだか、

やはり他とひと味違うものを、よく乗り継いできた。

ということは、そういう女性が好みなのか?

で、一端乗り始めると付き合いは長い。

うん…そういうことなのか?

同じ視点で考えると、

同性でも、しょっちゅうクルマを変える輩を、

私はあまり信用しない。

理由は判然としないが、

きっと深層心理だろう。

今回の愛車の件は、

ある意味、わかれ話に似ている。

こっちとしては、未練タラタラである。

これはフラれたと解釈すべきか、

はたまた相手の不幸と考えるべきか?

そこが、

クルマ=女性という都市伝説のようなものになぞらえると、

思案のしどころではあるのだが…

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東京の女の子

ユーミンはそのムカシ、

「中央フリーウェイ」という曲をヒットさせたが、

それを初めて聴いた私は、

そんな洒落た道がどこにあるのだろうと悩んだ。

(中央フリーウェイって道、走ってみたいな…)

が、ほどなく中央高速のことだと分かり、

なあんだと思った。

モノは言いようである。

また「天気雨」を聴いていたら、

そのシチュエーションに、

いちいちカッコイイなと感心したが、

なんのことはない。

ユーミンが住んでいた八王子から横浜線に乗り、

橋本で単線の相模線に乗り換えて、

茅ヶ崎の浜で、

もう分かれてしまいそうな彼と、

サーフィンを楽しむというような詞だった。

当時、私は横浜線の沿線に住んでいて、

茅ヶ崎へはよく通っていたので、

やはりここでもなあんだと、

割とガッカリした。

が、しかし、

やはり私のなかで、

ユーミンは東京の女の子の代表である。

ムカシから東京の女の子はいちいちカッコイイと、

その幻想は後年まで拭えなかった。

あの人のママに会うために…

で始まる彼女の「ルージュの伝言」という歌があるが、

詞のなかで、

ママから叱ってもらうわ

マイダーリン

なんていうのがあって、

なんだか奇妙な気がしたことがある。

この曲のなかのふたりが、

すでに結婚しているようにも思えるが、

私は勝手に、

東京の女の子は男の子とつき合うと、

相手のママとも懇意になるのか?

あと、彼のことをダーリンなんて呼ぶんだ…

そして若い頃、

単純な私がユーミンの歌を聴いて、

東京には、

まず金持ちと上流階級のご子息やご令嬢だけで、

不良なんかいないのだと勝手に決めていた。

その頃の私の遊び場は横浜のみで、

多摩川を渡って東京へ行くことは数えるほどしかなかったし、

東京はよく分からない、

金ばかりかかって面白くない、

東京の連中とは話が合わない、

そうしたイメージで固まっていた。

そんなこんなで、

東京の女の子はとにかく敷居が高かったのであるが、

或るとき、

その東京の女の子から、

幾度か東京の短大の学祭に誘われ、

おめおめと断ったことがあった。

いま思えば、

あのときのビビリが我ながら笑えるのだが、

若いときのローカルな気持ちは、

いまもどこかで引きずっているような気がする。

ヤンキーとかマイルドヤンキー論なるものが、

いま世間にまき散らされているが、

私もその一人なのかと、はっとする。

ヤンキーなるものがどんなものなのか、

私にはそんなアカデミックな話はどうでもいいのだが、

少なくとも、

私がローカライズされてしまった一因が

ユーミンにあることだけは、

間違いない!

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