ネット依存

ネットは、鏡の世界だ。

実生活と別の世界だが、

リアルな生活と似た世界、

いやそれ以上の途方もない世界が

広がっているようにも思える。

底なしだ。

欲しい情報は、ほぼ手に入る。

が、そこが怖い。

例えば、ネット以前。

本などで学んでいた時代は、

そこで分からない、不明なことは

本屋や図書館にでも行って調べるか、

人に聞くかとか、

まず行動を起こした。

それでも解決しないことは、

答えを求めて悩んだり、

さらに動いたりしたものだ。

また、あきらめるという選択肢もあった。

ネットは、いわゆる知識の宝庫なので

いまやネットを操る人は皆、知識人だ。

(どうでも良いものや間違った知識も満載だ)

知識は人を物知りにはするが、

そこに経験が加わらないと、

何の創意工夫もないままの

あたまでっかちが出来上がる。

ついでに、カラダだって鈍ってくる。

いつまでもパソコンの前にいる抑制のない人間は、

それこそ大切な時間の総てを注ぎ込んで

ネットに見入る。

なにしろ鏡の世界だから、

ネットの海原に漕ぎ出したら

帰ってこない人間は数知れない。

事の程を知ってる大人は、

生活の総量と時間のバランスを考える。

ネットの特性を知った上で、

夢中になっても、

心の陽が沈む頃に引き返し、

あとは、誰かと会話を楽しんだり、

散歩でもしたり、料理をつくったり、

スポーツでもやったりするのが

まっとうな人間というものだろう。

バランスを崩したネットの達人は、

パソコンやケータイの前であたまでっかちになり、

鈍ったカラダをもてあまし、

もはや鏡の向こうの世界の住人になってしまう。

いまや、こうした人間で溢れかえっている。

いろいろな事を知っている達人の知識は

たいしたものだと思うが、

五感は正常か?と言いたくなるような輩も、

最近、多々見かけるようになった。

例えば旅行。

ネットの達人は、実際の旅行なんかしないんじゃないか。

パソコンの前で、行く先の総てを調べた挙げ句、

もう旅行へ行ってきたような錯覚で、行動しない。

恋愛なんかも同じような要領で、

ネットの上で真剣な交際相手を探し始める。

付き合い始めたとしても、一度も会わずに別れたりする。

私たちはいま、ネット情報に支配されている。

テレビ、新聞などの情報には限界があるが、

ネットの中の情報は、途方もないコンテンツが仕組まれている。

そろそろSOSを発するべき時が来たのではないか?

ネットはいわばハサミと同じように語れる。

使い道次第で、私たちの生活も仕事も快適にしてくれる。

しかし、ネット依存人間などにみられるように、

使い方を間違えると、

生き方そのものが破壊されると思った方が良い。

そもそも、人が生きてゆくというのは、

毎日の生活一つひとつのリアルな行為の積み重ねであり、

行動と思考を繰り返すなかで、いろいろなものを学ぶように仕組まれている。

そこで五感が活動し、喜怒哀楽を繰り返し、実感を掴むものなのだ。

人は経験から学び、知識も経験を踏まえてはじめて、

知恵をものにする。

現代人は、バランスを崩してしまった。

私たちはいま、

知恵も肉体もおろそかにしてはいないだろうか?

さて、この文章は、自戒を込めて書いた。

毎日毎日、パソコン漬けネット漬けの私たちの仕事は、

一体何が実体で何がバーチャルなのかが、

一瞬見えなくなる時が、多々ある。

何処に線を引くか?何が境目なのか?

いつも気をつけながら歩いてはいるが、

危ない山の稜線をふらふらと歩くことも、時としてある。

今後、リアルな体験の少ないバーチャル人間は、

ますます増殖する。

生活実感のない人間、知恵なし人間が集まって

これからの社会を形成してゆくことになるのだろう。

そこに、確かな感情は機能するのだろうか?

血の通う社会は築かれるのか?

他人の痛みが分かる思いやりがあるのか?

自然に帰れ、とは

まさにいまの時代に叫ばなければならない

スローガンなのかも知れない。

アバターは痩せていた

先日、遅ればせながら「アバター」を観てきましたが、
感想は、なんというか、うーんと言わざるを得ないです。

映像なんか、とても頑張ってくれたんですが、
ストーリーがイマイチ納得いかないな。
というか、古典的で、ベタ過ぎ。

良くも悪くもハリウッド・ストーリーは、
テンプレートの使い回しで、この映画も
あっと驚く展開には程遠い。

がしかし、どんなにベタでも、やはりラストの
主人公とアバターの○○のシーンは、
こちらも織り込み済みなんですが、
ちょとカンドーしました(涙)

これ、映画のいいとこなんです。

で、全編、不思議な花や植物やとんでもない生き物の
オンパレードは、こっちも観ていてワクワクもの。
しかし、神聖なところや、
神のような存在のいる不思議な森の設定は、
うーん何かに似ているなと直感しました。

そう、ストーリー的にも、宮崎駿の「もののけ姫」と
被っているところが随所に見られましたが、
ジェームス・キャメロン監督は、
それを知ってか知らずか、
ビジュアル的にも似すぎている。

これは駄目だよー。

しかし、なんてったって、こちらは3D映画だ。
とんでもないメガネを、300円も払って
借りてるんだ!

飛び出す絵本ならぬ、立体映像なので、
違うんだなーと自らを無理に納得させる。

すげぇーって言えば勿論そうではある。
が、とにかく私は、
あのメガネにちょっと文句を言いたい。

あのメガネは、どの辺の人種を想定して
型どりしたのか知らないが、
あれ程、顔面に合わないものもめずらしい。

オレの鼻を潰す気か?

気が散って性がない。
途中、我にかえって回りを見渡したら
みんなのメガネ顔がウスラに見えて
そっちの方がイケテルと思った。

みんなの鼻がアバターに近づく。
そうだ!お前がアバターだ!なんてね。

で、この映画は、要するにどういう話かというと
非常に簡単ではありますが、
悪い土建屋と、のんびり暮らしている村人との戦いなんです。

これ以上語ると、ストーリーが透けて見えるので
言いませんが、文明と自然との対立物なのです。

で、注目のアバターというキャラについてなのですが、
私はいろいろ驚きましたね。

この方たち、実は人間の2倍くらいの背の高さなんですね。
知らなかった。でかい。

運動神経も半端なく、崖なんかずんずん駆け上がっちゃいます。

何を食ってんだろー?
我々人間としては、興味深々ですよね?

で、アバターはみんな痩せています。
太っているアバターは皆無です。
ウラヤマシイ!

何を食ってんだろー?
我々としては、興味深々ですよね?

で、最も特徴的なのは、あの顔。

鼻が平たく、目と目の感覚が離れ
目は、猫のような目をしています。

あれは、人相学的に言うと、
おおらかな性格の持ち主。
眉間があれだけ離れていれば
了見も広いというものです。

猫目は、勘の鋭さと感受性の鋭さをあらわし、
アバターとして、ふさわしい人相だと思います。

で、話しはズンズン逸れますが
映画館って、なんであんなに食い物や飲み物が
高いんだろ。
行く度に思います。

ポップコーンだってジュースだってボリ過ぎだろ?

あんな商売やってたら、そのうち誰も来なくなるぞ(怒)

値段だけじゃなく、メニューもイケテナイ。

お馴染みの洋物ばかりのメニューは、
きっとハイカラな映画館のイメージを崩したくないのは分かるが、
そろそろ、日本独自のうまいもんがあってもいいんじゃないか?

私個人の好みとしては、おにぎりやおでんが食べたいが、
なかには、焼き鳥や冷や酒を飲みながら映画、という方も
いらっしゃるのかも知れません。

はたまた、うどんや蕎麦を食いながら、なんていう方も?

ちょっと言い過ぎました。
しかし、いま映画館というのは
いや、映画そのものも含めて変わらなきゃいけないのかも知れません。

なんてったって、高いお金を払って行くのですから、
最高のコンテンツと空間、美味しいものがなくては、と思うのです。

いまや、各家庭で、好きなものをポリポリゴクゴクやりながら、
ハイビジョンやブルーレイ画質で、好みのコンテンツが観れるのです。

都合の良い時間に都合の良いものが鑑賞できる。

時間差さえ気にしなければ、レンタルで済ますこともできます。

敵はテレビであり、ゲームであり、ネット、アイフォンだったりと、
映画産業にとっては、難しい世の中となりました。

映画のライバルは増えるばかりなんですね。

すぐ観たい魅力あるコンテンツ、また行きたくなる映画館!

こういう、中身と器の同時発展形は、
どういう着地点が理想なのか、私には分かりません。

しかし、映画産業は、何か良い手を早急に
考えなくてはいけません。

風雲急を告げております!

映画ってホントに大変なんですね!

桜の頃

満開の桜が、風に散る。

この頃になると

私は、新しい教室と、

初めての職場の頃を思い出す。

転校してきて、私が見知らぬ仲間の前で

紹介される。

そして、緊張したのも束の間、

授業中の居眠りの癖が出るのもこの頃だった。

思い出したかのように、遅刻も始まる。

何処へ行っても怠惰な習性が抜けなかった私も

さすがに社会人になってからは遅刻が減った。

が、居眠りは続いていた。

これはどうしようもない。

病気だなと思った。

が、会社を辞め、独立してからは

遅刻も、仕事中の居眠りもなくなった。

調子がいいというか、現金な人間だ。

人は、自覚が生まれると頑張るものらしい。

お客様との待ち合わせも

約束の場所へは、遅くとも10分前には行く。

仕事中の居眠りは皆無。

我ながら、当たり前のマナーを身につけた。

自らを振り返って思うに、

自身の自覚がないと、人は流されるものらしい。

目的もなく彷徨っていると、やる気など出る訳もない。

その昔、飛行機で隣あわせたインドの青年と

どちらともなく話すことになり

お互い片言の英語でやりとりする羽目になった。

彼は、これからアメリカに渡って働きながら勉強をし、

絶対にアメリカン・ドリームを掴む、と私に話した。

そういう大きな事を考えもしなかった当時の私は、

軽い衝撃を受けた。

いま思い返しても、彼の鋭い目が印象に残る。

先日、花見の帰りに中国人が経営している店で

夕飯を食べた。

この店には、

中国のモンゴル自治区から来ている女性の従業員がいて、

行く度に、愛想を振りまいてくれる。

店のリーダーとして、彼女の他の従業員への指示も的確だ。

決して安くはないメニューだが、味は良い。

いつも繁盛している。

店が暇なときに、彼女と一度話しをしたことがある。

彼女は、家は貧しいらしいのだが、

親にかなりのお金を工面してもらい、

相当の覚悟で来日したそうだ。

そのはつらつとした笑顔からは想像もできないものを

彼女は背負っている。

絶対に失敗は許されないということらしい。

まして、つまんないとか飽きたなどという甘いものなど

あるはずもない。

彼女の目的は、日本のサービスを学ぶことだと言う。

中国に、つい最近までサービスという概念はなかった。

私も、彼女を見るまで、中国の女性の無駄(?)な笑顔は

見たことがなかった。

曰く、キメ細かい日本のサービスは凄いし、これを中国に

持ち帰ればビジネスになる、ということらしい。

決心の違いは、ここ彼処に現れる。

昨日、両脇が満開の桜の道を、クルマで走り抜けてきた。

風に舞う桜の花びらが、日差しのなかで踊る。

春の色模様だ。

春眠暁を覚えず

つい居眠りをしてしまいそうな陽気だが、

思えば、桜の散るこの時期ほど

身の引き締まる季節もない。

私が会社を興したのも、春だった。

長い髪の少女

長い髪の少女は

泣いた

ディブ平尾が

いなくなってしまった

アイ・高野が死んじゃったって

朝まで待てない

鈴木ヒロミツが

ある日突然いなくなった

「マドモアゼル」って

声をかけてくれた

岡本信が

二度と笑うことのない

眠りについた

長い髪の少女は

おとなになって

結婚して

子どもも大きくなった頃

ふと思い出した

嵐を観ても

GLAYを聴いても

いや

ミスチルでも

サザンでもなく

忘れかけていたもの

長い髪の少女が

長い髪だった頃に

唄った歌は

童謡のように優しかった

長い髪の少女が

長い髪だった頃に

唄った歌は

初恋の

あの人の歌だった

Sail On

怒ったり泣いたりも

もうやめて

考え事も困りごとも

投げ捨てれば

いいんだ

歩みを止める

積み重ねてきた

あらゆるものを

脱いでしまえば

心残りも

ないさ

この空を飛べたら

僕はもう帰らない

この空を飛べたら

みんな君にあげるよ

なけなしの金

なけなしの思い出

欲しいものは

何もない

あなたに告げるものも

ない

誠実であること

誠実であること

そんなもの

僕は裏切るだろう

そして

見損なって欲しい

いまはただ

この空を舞う

鳥のように

天に昇る

勢いのある

翼が欲しいだけなのさ

19歳の旅

言葉のかけらが降りてきては

それらがまとまらず繋がらない

ため息を吐くとふっと消える

窓ガラスの向こうの夜の空に

言葉がぶら下がっている

超能力でその言葉と交信してみたが

どうもいまの心境じゃない

違うんだよな、と思った途端

そのぶら下がりが地に落ち

きらきらとした都会の夜景は

色あせた

今度は時空を越え

あの頃のクラスメイトと会話を

交わしていると

やはりお前もかと言い

舞台はあの夏の日の話になる

あの夏の日

地元のチンケなガキが

アロハシャツをはだけて

喫茶店からたばこをくわえて

かったるそうに出てくる

もう何もやることがないな

蝉さえ鳴かないようなこの暑さ

この街

人もまばらな通りに

ふたりの目を引く張り紙があった

「豪華船旅でゆく沖縄」

アジア航空という会社がどういうものなのか

ふたりには興味がなかった

店内

話を聞いているうちに

どうせ暇だし、行ってみようかということになり

書類にサインをする

次の日から金を工面するため

横浜の港ではしけの荷運びの仕事をする

カンカン照りでの昼飯はビニール袋に入っていた

白飯とお新香と梅干し

コーラを飲みながら腹に飯を詰め込み

夕方ふたりはぼろぼろになって

金を手に電車に乗る

出発

竹芝桟橋で新・さくら丸に乗船する

本州の陸地に沿ってずっと航行を続ける

デッキで潮風にあたり

ビールをラッパ飲みしていると

吐き気がしてきた

初めての船酔い

船室に戻って寝込みながら

考えた

この先、俺たちは何処へ行こうとしているんだろう

一体、何をしようとしているのか

考えたが目眩がして

寝るしかない

ふたりで吐くのをこらえて

寝ることに集中した

二日目の朝

ふたりが船室の窓から

見たものは

いままで見たこともない

海と空の色

それは

夢のような夏の色だった

19歳の旅はこうして始まったが

あのチンケなガキの片割れはいま

川崎のとある会社の社長をしている

先日、半年ぶりに奴と話す機会があった

コスト、対中国市場の可能性と半導体デバイスの

展望について

「いまオレが社員のリストラ計画を作っていて

リストに出す名前を見る度に

うんざりするんだよな」と話し

もう嫌だよと吐き捨てた

戻りたいよな

あの頃に

相づちしか打てない

「19歳の旅」

そして

地元じゃ負け知らずのふたりが

横浜を出たのは

調度同じ頃だったような記憶がある

それから連戦連敗

やはり世間は広いと思った

東京で毎日続く他流試合

仕事そして子どもを育てて

生きてゆくということ

外の辛さが身に染みた

2杯目のコーヒー

なんとなく言葉がみえてきた頃

道に足音が聞こえる

夜が明け

いつもの喧噪が始まるのか

窓の外には

もう消えそうもない言葉が

浮かんでいる

洗面所でうがいをして

デスクに戻っても

たばこの煙を眺めていても

ついにその言葉は

消えることがなかった

コートを羽織って

外に出ると

暗がりの街並みの向こうに

薄い紅の空が

少しづつ

ゆっくり

広がりはじめ

星はうつろい

月はぼやけて

言葉だけが

輝いていた

もう一度だけその言葉と

テレパシーを試みてはみたが

憂鬱になることもなく

気が削がれることもない

それは

ビルの屋上の上にあっても

山の頂にあっても

色褪せることなく

私を魅了する言葉

19歳の旅

私の物語

19歳の旅ははこうして始まった

19歳の旅はここから綴られるのだ

そう

誰だって過去に生きられる

誰だって未来を夢見る

その言葉は

生きていることが

愛おしいことを

さも当たり前のように

語ってくれる

沈殿

土壺の深い底で

這い上がることのできない

おとこがずっと見ていたものは

世間のつまらない縁取りだった

ざわつく欲望と札束で

頬を叩かれた

人前で

またある時は

あの人と向きあっって

それしらい事を話さねばならぬ

振る舞いも嘘だらけだ

と思った

「ならぬ」が追いかけてきて言うには

お前は完璧だろ?とつまらない事を聞く

あなたの眼は節穴ですか?

何も話したくないですね、

と「ならぬ」に返す

私は閉じこもっていたいと

思った

なんどきも自分の周囲をグルグルと廻っている

汚いサタンを葬り去らない限り

きっとこのまま

真っさらな自分という人間とは

出会えないような気がしたので

いっそ、サタンを殺すことにした

土壺の深い底に立ち

縁を見上げると

空が見える

風が吹いていて

長い枝から伸びた新緑が

のびやかに揺れている

這い上がる力がない訳ではないことは

誰より自分が知っている

孤独が好きだと言えるほど

強くもないし

望んでもいないのだが

しかし

語るものがおとぎ話ではいけない

せめて血と肉と

私の体を通り過ぎたものが

欲しい

じっと

座して伏して

暗闇のなかの正体を知る

いまは

目をつむって眠りにつこう

果たして

消えた夢

沈殿した夢のなかの風景は

いつもいつも

一点を凝視している

悲しいくらいに愚直な

18歳の私だった

普通である、ということ

今日は天気がいいので

窓の外が明るい。

パソコンを前にして

なんだか、そわそわする。

外が気になる。

「どう、今日は暖かい?」

買い物から帰ってきた奥さんに

さらっと聞く。

「そうね、もう春ね。向こうの山も

ちょっと霞がかかっているみたい。

動いていると汗ばんでくるわよ」

「ふーん」

気のない返事はしてみたものの

内心穏やかではない。

貴重な土曜日だというのに

朝から残務整理だ。

「まだ、かなりかかるの?」

「うーん、いや何とかするよ」

12時を回ったので、奥さんが

トーストとハムと卵のペースト、

そして簡単なサラダと紅茶を用意してくれる。

テレビをつけると、カウントダウン・TV。

まあ、私はどうでもいいんだけど、

東京の新トレンドスポットなんかを紹介している。

奥さんが、「ふうーん、ふうーん」と頻りに

関心している。

「美味しそうだね?」

私が水を向けると

「でもやっぱり高いわね。東京は」

「そうだね」

カーテンの向こうがまぶしい程にきらきらしている。

庭に、鳥の鳴き声が聞こえる。

「散歩、行こうか」

「いいの、仕事?」

「月曜日に早く起きて片付けるよ」

食事を済ませて、

一応、家の中の主な家電のスイッチを切る。

スニーカーを履いて表に出ると

私の頭の仕事のスイッチも切れた。

近所の家の屋根や外壁が

日差しで照り返っている。

「なんだか、牢獄から出てきたような

感じだな」

私がつまらない感想を言うと、奥さんは

ケラケラと笑った。

住宅街の西は、高い丘の上のようになっていて

下の国道が見える。

その向こうに山が連なり、

ゴルフ場の辺りの緑も、

心なしか色づきが濃くなったようだ。

空に、雲がぽかんと数えるほど浮かんでいる。

ふたりで、雲のかたちについて、

山の色づきについてや、

たわいない話をいくつか交わして、

住宅街の家々の前を歩く。

ひとの家の庭先の花を見て、奥さんが

「綺麗ね」と言う。

散歩のときは、なぜか実家の話や

子供のことや、リフォームしようか?

なんていう話題も飛び出したりする。

大方、どうでもいいような大事なような

そんな話ばかりだが、こうした時間が、

最近、私には愛おしいと思える。

普通の家に住み、何のことはない普通の生活。

普通に家のローンが残っていて、

人並みの預金残高なのだろうか?

思えば、何もかも普通なのだが

さて、この普通ということは

一体どういうことなのかと、ふと考える。

この定義は、割と考える程に難しく、

意外と奥が深いことに気がついた。

思えば、結婚して子供が生まれ

独立して、もう駄目だ、ということも

何度かあった。

家族の病気も危機も幾度かあった。

数年前に父がいなくなり、奥さんの母親もまた

いなくなってしまった。

が、いまはふたりの心もだいぶ癒え、

とりあえず普通の状態に戻った。

上をみれば切りがない。

下をみてもきりがない。

私がこの頃ぼんやり思う

「普通」というこの毎日の繰り返しが、

とみに愛おしいのに気がついたのは

つい最近のことだった。

光る海

ベランダの戸を閉めると

ひだまりと静けさ

FMから懐かしいサーフィンU・S・A

ふと仲間のことを思い出す

今頃どうしているのだろうと

急に気にかかる

元気で働いているだろうか

結婚したのかな

お子さんは

もうこの海に裸で入ることもないが

あの頃の夏は

いつも仲間と泳いでいた

あどけないみんなの笑顔だけが思い浮かぶ

まだ海が透き通っていたあの頃

ソファに腰掛け小さな漁船を追いかける

二艘みつけたところで

光る海のまぶしさに目をつむる

ゆっくりと溶けてゆく時間

消えない思い出

取り戻せない時

静かなソファに

白いあの夏が

宿っている

自分も仲間も

埃ひとつなく

悩みも美しく

この海のように

そこにはただ夢だけが

輝いていた

冬景色宗介、現る!

どうも!

景色評論家の冬景色宗介です。

お久しぶりです。さて

横浜の観光スポットであるみなとみらいの夜景は
一体どこから見ると最も綺麗で美しいか?

この一年の間、私は仕事でこの辺りに来る度に、
常にこの課題に果敢に取り組んで参りました。

端からみれば、つまらない事やってるな、とお思いでしょうが
本来、研究というのはかなり地味なものです。

そこをご理解頂きたいなどとは申しませんが、
結果としてかなり興味深い内容となりましたので
ご一読頂きたいと思います。

まず最初に、
私は新しい横浜を少し引き気味で見てみようということになり、
山下公園前の幾つかのホテルに泊まり、横浜港の夜景を満喫したのですが、
みなとみらいを眺めるには、ちょっと遠くに引きすぎた感がありました。

みなとみらいが見えることは見える。が、ちょい遠いので、ランドマークや
観覧車も迫力がない。良いんですが、海を正面とすると、
みなとみらいは、港の左に位置しているので、ちょうど視界の
端ということもあり、画面的には鶴見辺りの工業地帯がメインになる訳です。

この景色もなかなか捨てがたいものがあり、
やはり日本の高度成長期の礎を築いた京浜工業地帯を見るにつれ、
幼い頃、この辺りに住んでいた私の遠い記憶が呼び起こされる訳です。

あっ、済みません。皆さんには関係のない私事でございました。

で、この山下公園辺りは、夜になると人通りもかなり少ないので、
スターホテルの1Fにあるイタリアン・レストランが
静かで空いていてムードも満点。オススメです。

うめぇ、うまくないは別です。私の感想を言わせてもらえば、
パスタなんかはフツーでした。
しかし、山下公園沿いの道路に面した窓際のテーブルで、
キャンドルなんか点けてくれる店内の雰囲気は、上々と申せましょう。

しかし、オトコ同士はキモいので、ヤメテ頂きたい。

さて、この並びには、老舗ホテル・ニューグランドの他ホテル・モントレや
ゆうぽうとなんかがありますが、私はいまはなきバンドホテルに
一度でいいから、泊まりたかった。

バンドホテルは、私の伝説のホテル。
私がまだ若かりし頃、おにいさんやおねえさん世代が集まり、
生バンドが入って踊り語る、横浜でもハイセンスなポイントでした。

ニューグランドは、何といっても旧館がオススメです。
シックで落ち着いた部屋と使い込んだ家具類は、
クラシック・ホテルでしか味わえない気品と優雅さがあり、
ゆったりとしたときの流れを満喫できます。

さて、
山下公園あたりからの新スポットの景色が遠いということもあり、
後日、私は宿泊場所を関内へと移動いたしました。
まず、横浜球場の横にある横浜ガーデン。ここは関内というより中華街寄り。
ここの部屋の窓からの眺めはカナリイケテルのですが
目の前の横浜球場のライトがかなりキテイマス! まぶしい。
構図的には、ランドマークタワーとそれに連なるビルの感じがほどよい重なり具合で
みなとみらいの近未来を醸し出しているんですがねぇ。

で、今度はぐっと近づき、馬車道辺りのホテルからの景色をチェックすることに
致しました。ホテルルートインからの景色はまあまあ。というより、私はいつも
高層階を取るのですが、夜は目の前の横浜歴史博物館の、まるでドーモのような
屋根を見るにつけ、イタリアのフィレンツェで見たドーモにそっくりなのに驚き、
ここは外国か? と自分に突っ込みを入れてしまいました。

で、このルートインの近くにホテル・リッチモンドがあり、ここから見上げるみなとみらいは
なかなかグッドなのでした。眼下に馬車道のにぎわいがあり、
みなとみらいもかなり近景なので、ビル群と観覧車の明かりの競演も美しく
見いいて、かなり絵になります。

しかし、もっとズームアップのすげぇ景色はないのか、という方のために
ホテル・ナビオスがオススメです。ここでは街側のお部屋をリザーブしてください。
横浜コスモワールドが目の前。観覧車なんか、窓枠からはみ出てしまう迫力なので
近景を好まれる方には、絶好のホテルです。

ところで、あなたは気づきましたか?
お前は、どのホテルからみなとみらいがよく見えるのかという話ばかりじゃないか、
という、この私のレポートを?

そうなんです。
もっと、表に出て、ぐいぐい歩き回り、がんがん走り回って汗をかいて、
まるで記者がスクープを取る如く、猛獣のようなハングリー精神はないのか?
といわれそうです。

ベストポジションを探るという努力を、私は全然しないんですね。

なぜなら、いつも疲れているからです。
しかし、ちょっと外出して、凄いポジションもみつけたのでありました!

それは、馬車道から港方面に歩き、5分くらいのところに万国橋という橋がありまして
ここへ来ると視界がぐっと広がり、海と高層ビル群が一気に視界に飛び込んで参ります。
吹く夜風は海風で、いつ来てもホントに心地よい。
で、眼前に色とりどりにライトアップされた観覧車がズームアップされ、
背後にインターコンチネンタルホテルやクィーンズスクエア、パシフィコ横浜、
万葉倶楽部、パンパシフィックホテル、そしてランドマークタワーが
にょきにょきと天をも突くようにそびえ立っております。

そうです!
ここが、現在の横浜の観光スポットみなとならいを最も綺麗かつ美しく見せる
ベストポジションなのです。
しかし、真冬は死ぬほど寒いので、まあ、3分が限界でしょう。
さっさと帰ってください。

で、これまた偶然なのですが、みなとみらい限定でなければ、さらに美しい景色を
私は発見致しました!

それは、この万国橋より先にあるワールド・ポーターズという
戦艦のようなショッピングモールがあるのですが
偶然ここの上階の駐車場にクルマを止めていたことがあり、夜クルマに戻ろうとすると
なんと、ここから見える横浜港の夜景が絶景!

港の湾に沿ってオレンジの明かりが、もう満点の星の如く煌めき、
その明かりが遠く本牧の辺りまでにじんでいる。
眼の先には、ベイブリッジが架かり、この橋のライトアップの美しさも必見です。

遠くは、川崎の鹿島田辺りだろうか?
その向こうは都心のビル群までかすんで見えるのであります。

こうなると、私こと冬景色宗佑、景色評論家冥利に尽きるのであります。

ここ地元横浜に生まれ、早半世紀。
東京の世田谷にも15年ばかりお世話になりました。
現在は、丹沢山系の片隅で、仙人のような静かな暮らしを営んでおります。

しかーし、我が生を授かりました横浜の地を忘れたことなど一時たりとも
忘れたことなどないのでございます。

「街の明かりがとてもきれいね横浜」なのです。

さて、次回は山梨県か静岡県辺りのお話を書きたいと思いますので
また、お会いしましょう!

景色評論家の冬景色宗介でした。