冬のことば

ピンと張りつめた夜明けの気配

かすかな陽に向かい今日という日を考えるとき

昨日までの総てを忘ると思うも

やはり脳裏で輝くあの光景に惹かれ

どうしたたものかと倦ねても

心は躍るものだ

冬に出会い春が訪れることもなく

ふたりに別れがきたこともあった

それはもう善いにしても

冬に流す涙のなんと熱いことか

胸いっぱいの呼吸もできず

吐息の白さが痛いと教える

考えることよりいまはただ歩くことだと

陽に染まる赤い山が諭すように

ただ茶の枯草を踏む

高台に立って空を見上げると

私という存在の小ささよ

言葉というものを通り越して

胸に迫る深遠の絵物語

下弦の月はかすかに笑うが

うっすらと見える星はそれを誘うように

夜明けの空を満たす

春を待つも冬に遊び

夏を恋しがるもその面影

想うことなく

秋を過ぎたり冬にいる

冬は想うもの

冬は黙るのみ

冬は過ぎた日と

或る日あの日を

映し出す

冬は透明で美しく

せめて気持ちすがすがしく

辿り着けないもの

世界は本当に変わるのですか?

あなたが変わると思うのなら
世界は変わります

しかし、まずあなたが変わらなければ
世界は変わらないでしょう

で、あなたは自由ですか?

いや、いろいろありまして、と言うのなら
あなたは不自由のままでいましょう

自由は心の在りか

まず、あなたがイメージしなければ
自由は
永遠にあなたのものにならないでしょう

幸せになれますか?

あなたはあなたに聞いてください

それがよく分らないと思うなら
あなたは、幸せなのでしょう

幸せはどこにでも落ちています

ただそれを、拾いさえすれば良いのだから

青い鳥は
いつもあなたに捕まえられることを
願っています

願っています

こんな簡単なことなのに
誰も辿り着けない

誰でも分かることなのに
答えがみつからない

ああ、私たちはいま
とてもやっかいな時代に生きているだ

私たちは
かなり面倒くさい生きものとして
進化しているんだ

いや、
進化という退行の道を
突っ走っている

コピーライター事始め

コピーを書いてもうだいぶ経つが
最初の頃は、全く書けなかった。

何をどう書いていいのか?

オーダーがきても、どこを抽出してどう表現するか
そのコツが私には分からなかった。

加えて、書き始めが、からきし難しく感じる。

もう、ここから萎えてくる。

良いものを書こうとする気負いが
益々その趣旨と核心をみえなくしていた。

元々、私は出版社にいたので
原稿を書くのは慣れているハズだった。

が、事はそんなに甘くはなかった。

いまは、出版物の文章もかなり広告チックなものもあり
広告コピーといっても普通の原稿のようなものも増えている。

当時は、この両者の中身にかなりの隔たりがあった。

広告コピーの世界は、かなり特殊な文で組まれていた。

ある時は詩的であり、短文のなかに優れた世界観があった。
ある時は、あり得ない言葉の組み合わせにより
とんでもないフレーズを生み出す方もいた。

私は、そのどっちも書けなかった。

まず、キャッチフレーズが浮かばない。
どう考えても、出てこない。

しょうがないので、ボディコピーから
なんとか書き始めるのだが、出来が
これでよいのかどうかも分からない。

上司からは、イマイチといわれ、
その理由が怖くて聞けないこともあった。

悩みの日々が続いた。

後から徐々に分かったのだが、ここに第3者の目が
加われば、そのコピーの出来具合は、ほぼ分かる。

他人の目を自分がもてば、自ら書いたものも
ある程度は評価できる。

決め手は、やはり「もし自分がお客さんだったら?」という
視点だろう。

いま思えば当たり前のことなのだが、これがいまでも結構難しい。

当時は当たり前のようにまるで駄目だった。
しかし、そのことを意識するようにして書き始めたら、
客観性が少しずつ身に付くようになり、
少しずつコピーの出来も上達するようになってきた。

問題はキャッチフレーズだ。

これは、もうコピーライティングの肝ともいうべき
代物なので、私の場合はかなりの時間を要した。

キャッチフレーズは、広告文全体のコンセプトを
担うものなのだが、私はコンセプトという言葉自体が
当初よく理解できなかった。

よほど出来の悪い、遠回りしてきた新人だった。

私は日夜、このコンセプトとはなんぞや?という答えを
みつけるため、図書館に通い、本屋でその筋の本を買い、
しまいには、恥ずかしさも忘れて年下の同僚に

「ねえ、コンセプトって何?」と聞いたこともある。

ところが、この年下の同僚が上手い言葉を発した。

「ううん、なんていうか、人間に例えるとヘソのようなものじゃないの?」

嘘のような話だが、私はここから一気に視界が明るくなった。

どの本よりも、この言葉に救われたような気がした。

きっと、頭で理解したのではなく、この時の同僚の言葉が
私のカラダ全体で反応したのだと思う。

感覚で分かったのだ。

以来、何となくこの道を歩いている。

というか、喰えていると言ったほうが正しいのか?

仕事は、何にでも通ずることだが、
まず人まねから始まる。

しかし、いつまでもまねている訳にもいかない。

ある程度経験を積んだら、いつか自分の道を探す時がくる。

来ない人は、ちょっとまずい。

コピー人間のままで終わってしまう可能性がある。

自分だけの道を探さないと、
自分にしか出せない味という強みが出ない。

「道は、星の数」とは、かの糸井重里のコピーだが

みんな自分の道を探さなくてはいけない。

オリジナリティは、人それぞれの持ち味のように
なくてはならない大事なものなのだ。

コピーライターの場合、特にオリジナルな文が要求される。

新人時代、私はこの要求に翻弄された訳だが、
良い意味でも悪い意味でも、
それは性格にも反映されるようになった。

私の友人のなかには、お前は元々そういう奴だったという
のもいるが、私は後天的と勝手に思っている。

曰く、
良い場合は、個性的とか、
ものの見方が変わっているなどと言われることがある。

その逆は、まあ
変人とか、へそ曲がりとか、
その他はもうぼろくそに言われているので
これは、職業病ということにしておこう。

おかげで、
かなり図太く生きる訓練をさせて頂きました(笑)

水底で考えること

水面を流れる風に

さざ波を立てて

その底に眠る魂のことなど

いまはもう誰も知らない

あるきっかけで私はその魂を

深く沈めることにしたが

最近になって

それは生きている間に何とかしようと

その魂は叫ぶので

私は立ち行かなくなった

秋燦々の早朝

そのホテルの部屋の目前に

湖は佇んでいた

湖面はゆらゆらと

湯気のようなものに覆われ

早朝の釣り人の船が

すっと滑ってゆく

ミネラルウォーターをひとくち

シャワーを浴びてまた窓のカーテンを開けると

先程まで曇っていた空に

すっと陽が差し

雪に光る冨士が輝いた

いまだと、思った

私は

素早く着替え

湖面に突き出す船着き場に立つ

対岸の森に鳥居があり

湯気のようなものの上に浮かぶように

その景色も揺れている

切れた雲から差す朝日に照らされ

その上の尾根も光り

足元に寄せるさざ波に

あの頃が蘇る

元々うちの家系は水軍の出だと

父は言った

三河の水軍

それがどうしたと私は思ったが

父の気概がその朝に分かったような気がする

戦後になっても帰れなかった父は

シベリアで生きていた

どんなに叩かれ

喰うものがなくても

ふるさとに帰りたかったと言っていた

脱走した日本兵は即座に撃たれ

皆死んでいった

運良く脱走した者でさえ

あの広くて極寒のシベリアの大地で

どうやって帰るのか

その人間たちでさえ

待ちかまえる狼に喰われてしまったと言う

父は昭和23年に本土の土を踏んだ

村でたったひとりの帰還兵だった

なぜ生きて帰れたのか俺にも分からないと

父はよく言っていた

私はいつも平和に生きたいと

思っている

いまでもそれは変わらない

私自身の戦争も

遠い昔に終わっている筈だった

湖の底に眠る魂は

私の戦争だった

私は戦うことに飽きている

湖の底に眠る魂は

私の戦争だ

私は戦うことを

避けて生きてきた

血筋をどうこう思う者ではないが

なにか近頃

父の言葉が気にかかる

これは私の戦争なのだ

これは私の戦争なのだ

父が笑っている

あまり見せたことのない

笑顔で

父が笑っている

戦争が始まる

戦争が始まる

再び私の戦争が始まる

水底の魂が

私を呼んでいる

私は、水面を流れる風になりたいのだが

水底の魂は、このさざ波ではなく

湖を

地の底から動かすことを考えていた

純喫茶「レア」(リメイク完結編)

高校が終わると、すぐに席を立ち

走って校門を駆け抜ける。

小田急線に飛び乗り、町田で降りると、ため息が出た。

ぐーぐーと鳴る腹に、いつもの立ち食いそば屋で、天ぷらそばを流し込む。

そして、チョーランをはためかせ横浜線で地元に帰る。

駅前でいつもの地元の仲間を見かける。

自分でも、すっと気持ちが解けてくるのが分かる。

まだ、時間があるので「キリン」に飛び込んで学ランを脱ぎ

セブンスターに火を付けて、台を見て回る。

別に出ても出なくてもいいのだが、この儀式をしないことには落ち着かない。

玉を打っている時間が、本当の自分に戻るために必要な時間だった。

C・C・Rの「コットンフィールズ」が大音量の割れた音質でがなり立てる。

出なければそれで良し。

たばこをくわえながら、そのまま「シルバーレーン」に向かって歩き出す。

顔見知りに会うたびに「よう!」とお互いに手を合わせる。

「シルバーレーンだろ」と言われる。

そこしかねえだろう、と思う。

通りを曲がると、大きなピカピカの建物が鎮座する。

扉を開けると、ピンが倒れる乾いた音が響いてくる。

なかは人の熱気でかなり暖かい。

自動販売機でペプシを買い、ふっとひと息つく。

プラスチックの椅子に腰掛け、前のカウンターに足を投げ出す。

セブンスターに火を付ける。

ボーリングは俺にとってどうでもいいのだ。

ジュークボックスをのぞいて100円玉を入れ、

いつもの曲をチョイス。

そして、椅子に戻ってペプシを飲む。

「イエロー・リバー」が流れると

どこからともなく、いつもの顔が集まってきた。

「アキラ!今日は学校行ったのかよ?やけに早いじゃん」

「行きましたよ!」とおどける。

立ち上がって振り返ると、ヤスが笑っている。

目が充血していた。

コイツ、最近明らかにオレを避けている。

「ヤス、やっただろ?」

「何を?」

「ええ、とぼけるなよ! ボンドだよ」

「やってネエよ、なんちゃって」

彼の足元はふらついている。

「あのよ、おまえホント骨ボロボロになるよ!」

ヒロシとサトシにも聞く。

「ヤスさぁ、例のあのオンナに振られたらしいよ。で

こないだ決めたばっかりの掟破りっていゆう訳!」

「ああ、そう」

真剣に答えるほど、オレは暇じゃない。

心なく答えると元の場所へ座り込み、前を見た。

男女4人でボーリングをしているグループを眺めていた。

オトコ2人は髪の毛をキッチリ短く切り

ボタンダウンのシャツにステッチの入った

ピシッとしたスラックスをはいている。

オンナの2人組も、最近よく見かけるミニスカートに

派手な色のトレーナーを着ていた。

「アイビーのにいちゃんとねえちゃんか、けっ」

俺はつぶやきながら、なあ、とヒロシを呼び止めた。

「なあ、ヒロシ」

「ああ?」

「あのさ、レアって店、知ってる?」

「ああ」

「あそこ、どうゆうとこよ?」

「純喫茶じゃねえの?」

「純喫茶って何よ?」

「うーん、わかんねぇ」

「コーヒーでも飲むとこなのかね?」

「わかんねえ」

「バッカー!」

俺はイライラしてきた。

ペプシを飲みきると席を立ち

じゃーなとみんなと別れて

再び駅のほうへ向かう。

ポケットの千円札を確かめる。

俺は考えながら歩いた。

駅が近づいてくる。

電車がくる時間だ。

俺はたばこを投げ捨てると、ある迷い事についての腹を決めた。

改札から出てくる大勢の人の顔を見ていると

なんだかアタマがズキズキしてきた。

手のヒラが汗ばんでいる。

遠くのほうから女の子のふたり連れが歩いてきた。

ふざけながら歩いてくるのが分かる。

白いブラウスにプリーツの入った長い紺のスカート。

「来た」と俺は心のなかでつぶやいた。

ふたりは俺と目が合うとふざけるのをやめ、

やがてひとりがこっちへ目配せをして

「うまくやんなよ」と言い

バイバイと小走りに改札を抜けて

エンジンがかかっているバスに飛び乗った。

「よう!」

「待っててくれたの?」

「いや、ちょっと用があったんだけど

時間をみたらなんかさ、いるかなって思って」

「ありがとう」

「いいとこ、あるんだ」

「どこ?」

「うん、最近できた喫茶店なんだけどさ」

「ふーん」

ふたりはとぼとぼ歩き出した。

本屋の角の脇道を入り、少し行くと

白くまぶしい建物が目に入った。

店の入り口にはお祝いの花がいっぱい飾ってある。

ここか、と俺は思った。

白い壁には銀色の流れるような文字で

「レア」と書いてあった。

その上には青いプレートが貼ってあり

純喫茶と書かれていた。

「ここなんだけど、入ってみる?」

「うーん、どうしよう。高校生がこんな所へ入っていいの?」

「わかんない。けどいいんじゃん!」

俺が意を決して入ると、彼女も後についてきた。

店内は広く、壁、天井、すべてが白で統一されていた。

四隅には小さな噴水があり、小さな天使の彫り物が飾ってある。

「いらっしゃいませ!」

白いワンピースを着たウェイトレスが、

俺たちを大理石のテーブルへ案内してくれた。

革張りの白いソファーに腰を下ろす。

「なんかすげぇなー!」

「いいの こんな所へ来て?」

「いいと思うよ。だって純喫茶なんだもん」

「純喫茶ってなに?」

「うーん、知らないんだよね」

「なにそれ!」

「あっ ゴメン! 俺もよく分からないんだけど

コーヒーかなんかそういうもの、飲めるみたいよ」

「そう」

彼女は、あたりをキョロキョロと見ている。

まわりをみると、俺たちが最年少の客だとすぐに分かった。

俺の嫌いなアイビー・ルックのカップルが多かった。

みんな慣れた仕草で、夢中で話している奴もいるし、

黙ってお互いを見つめ合ったりしているカップルもいる。

「未成年がこんな所へ来ていいのかな?」

「もう入っちゃったモン、な?」

「まあ、そうよね」

「いらっしゃいませ!」

ウェイトレスが真っ白いメニューを私と彼女に差しだし

水の入ったグラスをふたつ、テーブルに置いた。

「何に致しましょう?」

どっと冷や汗が出てきた。

メニューを開くとしばらく何が書いてあるのかよく分からなかった。

(落ち着け)

やっと、コーヒーという文字が見えた。

やったね、と俺は思って

「コーヒーちょうだい、知子は何にする?」

「レモン・スカッシュ」

案外、知子のほうが落ち着いている。

「知子、ここ初めて?」

「うん、そうよ。何で?」

「いや、ふうん」

俺が、しばらくまわりをキョロキョロしていると

知子が切り出した。

「話って何?」

「いや、たいしたことじゃないんだ。

あの、ほら、俺達ってなんていうのかな

こうやってたまに会ってるじゃん?」

「うん、そうね。会っているわね。やめる?」

「いや、そうじゃなくて、うーんとそうだ

つき合うっていうのどうよ?」

「うーん」

大きなテーブルと白い革張りのソファーが

カラダに馴染まない。

イライラしてきたので、靴を脱いであぐらをかいてみた。

しばらくするとウエィトレスがやってきて

「コーヒーはどちらですか?」

俺の足をじっと見ている。

「あっ、こっち」

足を下ろすしかない。

知子がクスッと笑う。

そして、細く背の高いグラスが知子の前に置かれた。

「これ、レスカよ」

「レスカ?それってうまいの?俺、そういうの

飲んだことないんだよね」

知子がまた笑いながらストローを吸い、

そしてグラスをオレに差し出す。

「おいしいよ、飲んでみて」

「えっ?」

なんだか緊張する。

俺達の初キスはちょうど一ヶ月前。

近くのあぜ道でしたことはしたけど、

あれっきり知子はなにもなかったように振る舞うので

こっちが面食らっていた。

ストローを持つ手がビビっている。

ノドがピリピリするようで味がよく分からない。

「結構イケルね!」

自分で、全然違うことを言っている。

よーくあたりを見回すと、みんなこの場所に慣れているのか

とても落ち着いた顔をしている。

クラッシックが流れているのに今更ながら気がついた。

「あっ、なんか鳴ってんじゃん」

「なに言ってるの? さっきからずっとモーツァルトよ」

「モーツァルト?」

「そうよ。落ち着くわね?」

「うん、まあ」

知子が笑う。

俺の前に置かれた白いコーヒーカップの横に

小さな金属のカップが置いてある。

(あれ、なんだろう?)

そっとのぞき込むとミルクが入っている。

「これ、こんなことやっちゃったりして」

「そうよ」

そうなんだ?俺はそれをコーヒーに入れた。

次に角砂糖をふたつ入れる。

カップをそっと持って口に運ぶ。

なんだか苦い。こんなものがうまいのかどうか

自分でもよく分からないが、黙って飲む。

「どお?」

知子が笑顔で俺に感想を聞いてきた。

「うまいよ」

また知子が微笑んでいる。

そのとき、店内のライトが少し暗くなる。

そして徐々に店内のあちこちが妖しくなってきた。

俺は何なんだと思うが、何でもない振りをして

手をアタマの上で組んだりしていた。

「何? なんで暗くなるの?」

「知らないの 純喫茶?」

「知らないわよ!」

店内がすっかり暗くなり、歩く足元の小さな明かりと

噴水だけがグリーンにライトアップされていた。

やっと落ち着きを取り戻した俺は再びあぐらをかいた。

さっきのレモンスカッシュに再び手を伸ばす。

「ちょーだい」

「うん」

とても酸っぱい。こんなものがどうしてうまいのか、

いまひとつ分からない。

俺がちょびちょび飲んでいるコーヒーにしても

苦いばっかりでちっともうまくない。

なんだこの店は、と思うのだが

この暗さはチャンスだと思った。

「あのさ?」

俺が切り出すと、かすかな光に浮かんで

知子の顔が、ぐっと最高の表情に見える。

広い額にくっきりとした眼。すっと通った鼻筋に

とても小さなおちょぼ口が俺をドキドキさせるのだ。

「何?」

もうどうなってもいいや、と俺は切り出した。

「ちゃんとつき合わないか? 俺達、ずっと!」

「………」

しばらく彼女の沈黙が続いた。

暗い店内に噴水の水の音とクラッシックだけが聞こえる。

じわっとまた汗が出てくる。

「もうそのつもりよ。あたし達、つき合ってるのよ」

意外な答えに、俺はとまどい、そしてうれしさが爆発した。

「知子、あのさ俺って全然ダメじゃん? 何やっても続かないし

ほら、吹奏楽だって辞めちゃったし、学校タバコでいまヤバイし。

で、将来さ何かやるっていっても俺、才能何にもないしさ」

「いいのよ、これから頑張ればいいのよ」

「俺、パチンコ止めるよ。あとこの街ヤバイよ。

みんなラリってるし、このままいたらヤバイよ」

「なんで? 大丈夫よ! あなたがしっかりしていれば

関係ないじゃない。 あなた次第だと思うの!」

ふたりは夢中で話していた。

「分かった。俺、高校だけは卒業するよ。で

ホントはカメラマンになりたいんだ!」

「すごいじゃない」

「カメラマンになって、ホントは世界中をまわってみたいんだ」

「大丈夫よ、なれるわよ。私もピアノ頑張って先生になりたいの。

そしたらふたりで世界を回ろう!」

「おう!」

オレは知子の手を握って、彼女の額にキスをした。

知子は眼をつむっていた。

そして、ふたりでひとつのソファーに座り

クラシックの流れるほの暗い店内で、

いつまでもキスをして抱き合った。

終わり

(ふたりが通ったこの喫茶店は

1970年代に姿を消し、街はさらに姿を変えた。

私は、いまでも時折その街へ行くことがあるが、

再開発されたその通りに、もうその面影はない)

神話的人生論

よく

人は幸せになるために生まれてきたと

言う人がいる。

果たして、大抵がそのようになっていないのではないか?

人は幸せになるために生まれてきた。

とても魅力的な言葉だが、ちょっと綺麗事に過ぎる。

私は、人は出会いと学びのために生まれてきたと

思っている。

まず、生んでくれた母親と出会う。そして

父親と出会う。

ここでまず、父親と出会わない人もいるだろう。

兄弟姉妹と出会う。近所の同世代と出会う。

そして

恋人と出会い。生涯の友と出会う。

伴侶と出会う。

この出会いのない人もいる。

子供を産まない、産めない夫婦だっている。

ここで、すでに人生のドラマは様々に枝分かれしてゆく。

そして出会いは

良い出会いだけでもない。

不幸な出会い、かかわり。

争うために出会うこともあるだろう。

こうして、めくるめく出会いの積み重ねは

人を幸にも不幸にもする。

そうした中で、人はいろいろなことを学ぶのだろう。

学びは人を堅くする。

それを知るがために、人は生きるのかも知れない。

だから幸せか否かというのは、人それぞれの学びによる。

幸せか否かは、個々が考えるものなので

そのバロメーターはかなりの振り幅があると思う。

では、我々はこうして生きてゆくと、何処へ向かうのかと

思う向きもあるだろうが、当たり前のように

私たちの向かう先には、死しかないのだ。

生まれてくる意味、生きている意義を疑問に思う日々。

私は若い頃、常々このような疑問に苛まれたことがある。

いろいろな哲学書や宗教関係のものも読みあさった。

人生訓や偉人の言葉など数多くのヒントも手に入れたが

どうもこの時点で、私の血となり肉になるものはなかったらしい。

しかし、こうしたものは潜在意識として私の何処かで眠り続け

いろいろな出会いや学びのなかで、発酵することになる。

こうして年を重ねる毎に、少しは堅くなってきているのだと

自分に言い聞かせるのだが、まだまだ分からないことだらけだ。

ただ、私がそれなりに最近感ずることがある。

幸せは人を内外から輝かせる。が、こうしたものに限って

いつまでも続くものではない。

良いことは、長続きはしないのだ。

何故続かないかという疑問は愚問になる。

人は、なかなか辛いことや悲しいことから

いろいろなことに気づくという習性があるからだと

私は思うことにしている。

気づきは、人を考えさせる糧となる。

その学びは、人生に於いての杖となり

食糧となり、自らを助ける。

だから、人は気づくために出会い、学ぶのだ。

この気づきが足りないと、いつかとても登れそうにもない山を前に

早気迫で負け、そこで力は尽きてしまうだろう。

私たちは、来るべきものを乗り越えるために学ばなくてはならないのだ。

こうして考えると、我々はひょっして苦労するために生まれてきたのか?

という疑問も生まれてくる。

これには、或る理由がある。

そもそも、私たちは母親の胎内に宿る前に、この世に出るための

或る契約書にサインをしている。

そんなの知らない、と言われそうだが、その契約書にサインをしなければ

この世にあなたは現れない、と私は思う。

そして、この世へのパスポートへのサインは

いつかあの世へ戻る、という約束を踏まえた契約書でもあるのだ。

だから、我々はいつか死ぬのだ、と私は解釈しているのだ。

私たちは、生きている限り、山を登るの如く

苦労が尽きないのは、このサインに起因しているのではないかと

私は考える。

このサインこそ、次のステージでまたひとつ何かを学ぶことにより

天上界へ近づく。

天上界へ昇るための唯一の道が、生きるという行為だからだ。

だから私たちは、死のサインにも署名できるに違いない。

死して、人はまたひとつ、天上界に近づくことができる。

では、天上界とは如何なるところか?

天上界は、いうなれば楽園とでも形容できようか。

人はここで永遠のやすらぎと平和と万能を約束される。

天上界に争いはなく、怠惰はなく、病や事故はなく、

だだ幸せな毎日とやすらぎの日々が流れる。

ということにしよう。

(でないと、辛くて悲しい毎日が続くと、人はやりきれないではないか!)

だから、天上界へ行くため、人はその世界にふさわしいものを

身につけるため、幾度となく生まれ、苦労し、

また死して生まれ変わろうとしているのだ。

こうして辿ってゆくと、なぜ私たちは苦労するようにできているのか

というメカニズムが見えてくる。

苦労することにより、精神性を上げ、人間であることの尊厳を学び

そして、徐々にではあるが

楽園の住人にふさわしい人間になろうとしてゆくのではないか。

だからこの世での幸せは、はかない。

幸せは駆け足で過ぎてゆくのだ。

辛い、苦しい、悲しいことばかりだが

人はそれでもある目的のために生きてゆくのだ。

人は幸せになるために生まれてきた。

この言葉はある意味で詭弁であり

また、実は人間の本質を言い当てている

深遠な真実でもあるのだ。

(この項終わり)

スウィーツオヤジ

数年前まで、酒を飲んでいた。

が、何故か突然飲まなくなった。

酒が嫌いになったと言うより

飲めなくなった

いや、酔うのが嫌なのかな?

いまは、ビールはコップ一杯程度で

酔ってしまうので、ちょっと辛い

仕事上、酒席があるが、最近では

ウーロン茶やノンアルコールビールで

勘弁してもらう事にしている

それでもダメなときはもうどうなってもしらんけん

という事でその場を乱す事にしている(タチが悪い)

で、若い頃は全くダメだった甘いものに

いまは目がない

これは自分でもよく分からないのだが

私が思うにカラダが糖分を要求しているのだろう

と勝手に解釈している

スウィーツ男子?

いやいやオヤジ!

オヤジはよく、フレッシュネスなんかで

チーズケーキとチャイを飲む

オヤジはよく休憩時間にタイ焼きを喰っている

オヤジは朝起きるとまずはちみつをなめる

できればアカシアから採った国産が美味い

最近知ったみかんの花から採ったものもイケル

オヤジは数年前からチョコを摂取する

チョコはいろいろなものを試した結果

ベルギーものが一番イケルということを

発見した

お金のないときは明治の板チョコとガーナチョコで

落ち着くが、この辺りのチョコは香料が入っていて

それが分かるような気がする

砂糖は精製白糖

これもいけないなぁ

自然のものを使用して頂きたい

この辺りの敏感さには

自分でもあきれている

先日スタバでコーヒーを飲んだら案の定まずいので

口直しにジョナサンであんみつを食した

(つながりがあまりない)

まあ、上をみれば銀座の名店のあんみつなんか

スゲェ美味いがしかし千円位するんだな

で、ジョナサン

ここは安価な割にハイレベルなあんみつを提供してくれる

他のファミレスも試してみたがどれもみんなアウト!

特にロイヤルホストはあんみつをバカにしている

サイドメニューなのであんみつをなめている(舐めているのではない)

あんみつの神髄を知らないのだ

全然イケテナイのだ

あんみつは寒天と蜜がいのちなのだが

彼等はここを甘く見ている(コレって洒落か)

ジョナサンはこの辺りをどう上手くクリアしているのか知らないが

庶民の期待を裏切らず、かつ量もそこそこに入っているので

合格とした

さて、話を杏仁豆腐に移そう

杏仁豆腐もいろいろ試したが、インスタントでは

横浜聘珍樓のものが他の追随を許さない美味さだ

これに生協の沖縄黒蜜をかけて食すともういけない

という位にハッピーになれる

セブンでもたまにイケテルものがあるのだが

よく売り切れているのが玉に瑕

中華料理店でも当然このメニューがあるが

本場の中華街より地元の中華料理屋のオッサンのが

ダントツ美味いのが最近分かった

て、最後はスウィーツの王様、アイスの登場だ

ここは私本場イタリアにてジェラードなるものを

食していたので当時はぶっ飛んで驚いた

で、その後多摩川高島屋の地下にて

イタリアンジェラードがオープンしたとき

即摂取したのだが僅差で本場に負けていたことを

覚えている

いまはハーゲンダッツだの彩だのいろいろ出ているが

味が今ひとつだ

先日、横浜のワールドポーターズにて

アイスを鉄板にてフルーツと混ぜ合わせ

包丁みたいなものでトントコトントコ

パフォーマンスみたいなのをやっているのを見たの

で、コイツを喰ってみたのだがなんだか

違うんだなぁー

時代もここまでくると

やはり昔が懐かしくなってくる

私はホームランアイスという

もういまとなってはどうでもいいアイスが好きなのだが

これって何処に行ってもなかなかないんですね?

で、ヨーカ堂の地下なんかでソフトクリームなんかを

食すことになるんですが

年のいったおばさんはそういうオッサンを許しませんよ

という目でこっちをジロジロ観察しているんですね

シワシワの顔で

ボディラインもすっかり消えたおめぇに

そんな目つきで見られる覚えはないねぇと

こんなときは私も大人げなく妙に意固地になってしまいますが

基本的にひとが何喰おうと勝手なんですね

大きな御世話ですと申し上げておきましょう(キッパリ)

しかし、こんな私の嗜好に回りはかなり気になるようで

私自身の体型もかなりヤバイものとなり果てている

おばさんのリアクションを気にしている場合ではないのである。

で、近頃意を決してダイエットを決行しようと

奥さんに高々と宣言!

どうしたらいい? と言ったところ

「あなたの場合は簡単じゃない、甘いものをやめればいいのよ」

と軽くいなされたので

そうかぁ、と深くため息をつく私でありました!

あーあぁ、今度はキムチとか漬け物にでも凝ろうかなぁ?

おっと、今度は塩分か!

(終わり)

真夜中の楽団

デコレーションケーキのような
素敵な円形のステージが
深夜の港にぱあっと浮かび上がったんだよ

きらきらしたその華やかなステージは
ウサギさんやクマさんのぬいぐるみに混じって
遠い国の村の人たちも
タキシードにハットやドレス姿で
トロンボーンやクラリネットを
それはそれは
楽しそうに演奏している

いきなり現れたその大きな舞台は
カラフルなライトに照らされ
地上からは離れて揺れているんだ

赤と白のストライプ姿のピエロたちが
舞台の前に躍り出て
輪投げや一輪車乗りで笑顔を振りまいている

曲はどれも初めて聴く
不思議なものばかりで
でもどこかで聴いたことのあるような
あったかくて軽やかでにぎやかなもの

見ていて聴いていて
誰もが踊り出したくなるような
楽しい曲が次々に繰り出される

真っ暗闇のなかの演奏会は
とても派手で目立って
夜の空に向かって飛び出すようで
楽器の音は
遠く何キロも先にまで届くような
それはとてもにぎやかな演奏だ

が、不思議なことに誰も気がつかないし
会場には誰一人として駆けつけない

観ている人は一人もいないんだ

なのに
演奏会は楽しそうで
演奏しているみんなはとても満足した様子で
顔にはいっぱいの笑みがこぼれている

やがて青筋だった東の空から
一羽のカモメが飛び立った

先程まで輪郭がはっきりとしていた
月の姿が少し薄くなると
星たちもひとつふたつと
姿を消してゆく

もうすぐお日様が昇るのだろう

ステージの音が徐々に小さくなってゆく

そして
その浮かんでいる舞台が
港から海の上へすっと動いて
そして徐々に遠ざかってゆくんだ

舞台はどんどんちいさくなって
やがて水平線の上の点となり
そして姿を消していった

あたりが少し明るくなる

新聞配達の少年の自転車が
港を疾走してゆくのが見える

貨車が動き始めた

はしけの汽笛が聞こえる

お日様がすっかり昇ると
いつもの港の姿

はていったい
あのにぎやかで素敵なコンサートは
今度はいつどこで開かれるのだろう?

あのにぎやかな楽団のみんなは
今頃どこでどうしているだろう?

光に照らされた海を見ながら

僕は独り

途方に暮れるのだった

訳があって泣くんじゃない

泣いて流れる涙のその訳を

初めて知ると

止めどなく涙がこぼれた

いままで抱えてきた

干し草のように絡まった

ひとつひとつの辛さを

薪のように積み上げて

火を放つのもいいんじゃないかと

思った

その燃え上がる炎に

青白いものが見えたら

空を見上げて

さよならを告げる

想いは

その揺れるもののように

熱したものだったが

青白い悲しみは

凍りつくように燃える

炎はくっきりと

その訳を揺らす

なにが悲しくて

なにが辛くて

なにが悔しくて

なんで泣くのか?

理由を背負って

きのうからきょうへ歩いてきた

もういいんじゃないか
と自分に話かける

だから泣いて泣いて

また泣いて泣いて

涙を拭いて

立ち上がる

空を見上げて

立ち上がる

そしてまた

明日をめざして

歩くだけさ

ただ

歩くだけさ

格好いい爺さんになろう!!

誕生日を機に、ふとアタマがひらめいて

格好いい爺さんになろうと思った。

格好いい爺さんが、派手なスポーツカーから降りてくる。

格好いい爺さんが、イタリアンスーツで歩いている。

これ、イメージもシチュエーションも、ベタ。

格好いい爺さんのビジュアルは、例えば誰か?

私のアタマには、すぐにあの007のショーン・コネリーと

名優スティーブ・マックィーンが浮かんだ。

格好いい!

が、私には遠すぎる存在なので、

話をもう少しフォーカスすることにした。

格好いい爺さんは、歯が丈夫だ。

格好いい爺さんは、ももひきなんかはかないのか?

格好いい爺さんは、シワが少ない。

格好いい爺さんは、エネルギッシュ!

分かんないなー?

きっと、格好いい爺さんは、禿げてない。

きっと、格好いい爺さんは、小走りできる。

きっと、格好いい爺さんは、姿勢が良い。

おっ、なんかだんだん見えてきたぞ!

格好いい爺さんになるには、まず

健康でなければいけないのだ!

タバコ、やめようかな?

いやいや、格好いい爺さんは葉巻なんかが似合ったりするので

まだいいや。

この案件は、棚上げにしよう。

ときどき、スーパーなんか行くと

独りで寂しそうに買い物をしているお爺さんを見かける。

身なりは適当なのはいいが、暗い表情でうつむいてコロッケなんか

じっと見ている姿を見ると、身につまされるものがある。

ポイントはこの辺りだろう。

落とし所が少し変なのは分かっているが

この辺りを研究することにより

格好いい爺さんを考えることにした。

その格好いい爺さんは、

レモンイエローのフォルクスワーゲンから

颯爽と降りてきた。

髪は白髪。

まぶしいほどのざっくりとした白いシャツに

綺麗なシルエットのジーンズが印象的だ。

青いスニーカーに見え隠れするのは

なんと素足ではないのか?

彼は、姿勢良く大股で店内へ入ろうとするが

前方目線を動かさずに、サッと片手でカゴをゲット!

運動神経もまだまだ若者に負けていない。

その格好いい爺さんは店内をパッと見渡し

野菜と肉を少々カゴに入れると

例のコロッケ売り場の前で立ち止まる。

興味なさそうにちょっと手に取るが

こんな揚げ物はカラダに悪いだろうと

嫌悪の表情を見せながら、

その揚げたてのコロッケを元の位置に戻す。

が、そこで爽やかに笑みを浮かべながら

「しょうがないな」と言い

姿勢を崩さずにサッとそのコロッケをカゴに入れ

その場を立ち去る。

うん?

格好いい爺さんって大変そうだな?

どこかに無理がある。

嘘くさい感じもするな。

ここまで書いて気がついたのだが

人間やはり外見だけではどうにもならない。

やはり格好いい爺さんになるには

上辺だけでなく

まず内面を磨くしかない。

やはりそこに辿り着くのだ。

で、考えた。

格好いい爺さんは、人生のなんたるかを知っている。

格好いい爺さんは、経験則から発する言葉をもっている。

格好いい爺さんは、哲学がある。

格好いい爺さんは、自然を愛する。

格好いい爺さんは、人を愛する。

格好いい爺さんは、自分の人生を後悔しない。

おっ、格好いい!

なんだか、器に身が入った気がしてきた。

カッコいい爺さんは

そもそも人生の達人なのだ。

心がともなって初めて

格好いい爺さんになれるのだ。

しかし、ここまで書き進めて

格好いい爺さんになるのはかなり大変だ

と言うことが分かってきた。

格好いい爺さんになるには

常日頃の心身の鍛練が必要なのだ!

という訳で

今日からいまから

格好いい爺さんをめざして

頑張りたいのだが

まず、このお腹をなんとかしなければならない。

そろそろ健康診断の季節になったが

今年の血圧は大丈夫か?

最近、物忘れが多いが

アタマはまだ大丈夫なのか???

格好いい爺さんへの道は

まだまだ険しい。

その前に、目の前の仕事を

なんとかしろよと、

自分で自分に突っ込みを入れて

お茶をすする

午前5時のオッサンの姿がありました。