直感マーケティング

某百貨店のポスター撮り他諸々。

サマーセールの前撮りなので
芝浦の撮影現場には続々と新作衣類や小物が
運ばれる。

眠い目をしたスタッフたちが続々と集まる。
「おはようございます」の声だけは、皆元気。

Sスタジオのトップカメラマンがスタジオ入りすると
皆いっせいに「おはようございます!」と気合いが入る。

このカメラマンを選んだ私としては、かなり危険な予算組を承知の上で、
勝負に出るつもりだった。

片隅では、ヘア・メイクさんが今日のモデルの髪を触りながら
何か真剣に打合せをしている。

ファッション雑誌でちょくちょく名前が売れてきたスタイリストのB子さんも、
アシスタントのふたりに、商品のチェックを細かく指示している。

外は、昨日の夜から激しい雨が降り続いている。

倉庫を改造したスタジオの屋根がうるさいなぁ、と思う。

「今日の撮りは夜だね」とアートディレクターのFが呑気そうに話しかけてきた。

「だろうね」

テスト撮り。
照明の位置や小物などを、それぞれ万全に最終チェック。
値札も職人技できれいに外された。

撮影は、順調な滑り出しですすんでゆく。

私はガムを噛みながら、屋根の雨音を聞いている。
飽きるとスタジオを出て、岸壁に出入りするトラックの行き来や、
そこで働く人たちのことをじっと観察する。

いろんな仕事をしているひとがいるんだなぁと、どうでもいいようなことを
ぼんやりと考えていた。

遠くで、カメラマンの助手のO君が私を呼んでいる。
何か嫌な予感がする。
私が呼ばれるときは、何か問題が起きるときと決まっている。

スタジオに戻ると、みんなの動きが一斉に止まり、私は多くの視線を感じた。

ライトの当たるモデルにみんなが目を移す。

「どうしたの?」
「いや、サイズが合わないんですよ」
「だって彼女の申告サイズはチェックしてるでしょ?」と私。
「いえ、それがどうも誤魔化したらしくて」

水着の彼女はスパニッシュ系の顔立ちで、先ほどの笑顔とは打って変わって
下を向いたままだ。

彼女の前に立った私は、彼女の何がいけないのかが、よく分からない。
見たところ、別に問題もないようだし、事態がよく分からない。

浮き袋の上に座ってポーズをとっている彼女は、相変わらずうつむいたままだ。

「あのお腹、見てくださいよ。水着もパンパンだし」
よく見ると、浮き袋に座っている彼女のお腹がぶくんと出ている。

こういうときは、いままでの経験と勘を頼りに一瞬して解決策を見出さなければ
次にすすまない。

洋服や小物はどうにでもなるが、水着は誤魔化せないなぁ、と私も考え込んでしまった。

時計を見ると、もう11時を回っている。

「ちょっと休憩! いやちょっと早いけど昼飯にしよう」と私。

仕出しのハンバーグ弁当を食べながら、アートディレクターのFとカメラマンと私の疲れる話が始まる。

「あのお腹、まずいじゃないの?」とF。

「絵的にどう思います?」と私がカメラ氏に聞く。

箸を止めて氏が「あのお腹バッチリ写っているよね」と参った顔をしている。

私は、箸を置いて、それぞれみんなの座り込んでいるところを回る。

照明の責任者が私の顔を見るなり「どうします?」と口を動かしながら立ち上がった。

「どうだろうね」と私は考えながら、スタイリストと一緒にカウンターに座っている
モデルに近づいた。

スタイリストさんが私に目で何かを訴えている。

カウンターに座っているそのモデルは、まだ、弁当に何も手を付けていない。

「食べなきゃ」とポーズをとっている私。

彼女はじっと下をむいたまま、片手にオレンジジュースの入ったコップを手にしている。

「何も食べたくないって」とスタイリストのB。

私は、反響の良い広告とは何か?を考えていた。

外人の均整のとれたプロホーションと百貨店の商圏内にいるであろう
年頃の女の子たちの顔を対比し、考えあぐねた。

ネイティブの英語が話せるBに、ハンバーグ半分でもいいから
食べないと、という趣旨のことを、モデルに促してもらう。

椅子に座って私が紙コップのコーヒーを飲んでいると、
やがて、なにやら彼女が食べる仕草をみせた。

「そうそう!」

彼女は上手に箸を使ってハンバーグをつまみ始めた。

外の雨は相変わらず激しく屋根を打ち続けている。

私は、飲みかけのコーヒーを持ち、元のFとカメラマンのところへ戻る。

「このままいくよ!」

「なんで?」とF。

怪訝な顔をしているカメラマン氏。

「あの子、どこから来たの?」と私はFに聞いた。

「中南米じゃないの」

「あのお腹でいこう!」

昼からの撮影は、私がモデルに付きっきりになった。

お腹を気にしているモデルにグッドグッド、オーケーオーケー
スマイルスマイルと言い続ける私。
ただ、ちょっとした笑顔ではなく、徹底的に崩れるような
笑顔をモデルに要求したので、みんながうんざりするくらい
その撮影は長引いた。

ポスター、チラシ、新聞広告のすべてに
私はそのカットの掲載を決めた。

後日、広告の効果測定。
売上げ集計で、その水着は
予想外の売れ行きをみせてくれた。

私なりのマーケティング手法が初めて実感できた
ひと昔まえの話である。 

羽虫

もう、四日ほど鳴き続けている羽虫は

そろそろ死んでくれるだろうと甘くみていたが

羽虫は死ぬどころか、数が少しずつ増え

僕のアタマの中で休み無くジージーと鳴く

気晴らしにスタンダード・ジャズを聴いてみたが

ボリュームを絞っても上げても

羽虫が鳴き続けるので

その演奏を豊かな気持ちでは聴くことができない

しかたなくテレビを点け、ぼぉっと観ていると

また羽虫はやってきた

僕はクルマに乗り、高速で西へひた走った

やがて海岸線が見える海沿いを走る頃

また羽虫が鳴き始めた

駄目だな、と思い

今度は高速道を降り

山へと向かい

静かな湖畔をみつけてクルマを止める

駐車場は人影も少なくクルマも疎ら

僕はひとり水辺に立って小さなさざ波を眺めていた

さざ波のざわめきは静かな湖畔によく響き

僕の耳ざわりはほどなくさわやかなのだが

ふと気がつくとあいつ等がやってきて

羽音をたかぶらせて、相変わらずジージーと鳴いていた

しかたなく駐車場に戻りキーを回す

と、前方でひとが争っているのが見えた

なにかわからないが

若いオトコと中年のオンナが言い争っているのが見えた

お互い駐車場が空いているので気が緩んだのか

接触事故を起こしたらしい

ちょっと近づくと
双方のクルマが傷ついているのがみえた

そして不思議なことに

僕の眼に

彼らのアタマの上に

見たこともない虫が一匹づつ羽音を鳴らして飛び続けているのが見えた

そのキラキラ光る羽根は玉虫色をしていて

僕が近寄ると聞き慣れた音をたてている

あっ、羽虫だ

ふたりの言い争いは次第に激しくなり

すると
オンナのクルマからサングラスを掛けたオトコがさっと降りてきて

いきなり相手の若いオトコを殴り始めた

サングラスのオトコのアタマの上には

例の虫が何十匹といて

もうその音はジージーと凄い音で鳴いていた

僕は驚いて彼らに近寄り

サングラスのオトコをなだめながら

羽交い締めにして止めに入った

羽音がうるさくて仕方がないのだが

僕はやめなさいやめなさいと

さかんに叫んでいた

アザだらけになった若いオトコは

口から一筋の血を流していた

羽音が響いている

サングラスのオトコは興奮が止まらないようで

今度はぼぉっとしているオンナに怒鳴ってた

オンナのアタマの上にも例の虫が飛んでいた

気がつくと疎らな駐車場にも関わらず

ひとが集まっていて

クルマの回りをぐるっと取り巻いている

好奇の眼で見ているニヤニヤしている
その取り巻きの中のひとりのオトコの頭上には
例の虫がブンブンと何匹も飛んでいた

機敏そうなひとりの観光客らしきオンナが

ケータイで警察らしきところへ事の次第を

セカセカと話している

もういいだろうと

僕は自分のクルマに引き返し

服の埃を払ってから気を取り直し

再びキーを回した

あの日から、もう半年も経つだろうか?

あの日から

僕のアタマの中の羽虫は何処かへ行ってしまった

もう、あのジージーと鳴く鈍い羽音を聴くことはない  

軽井沢

軽井沢

失恋のようなさみしい底冷え

白い国道沿いに立って

碓氷峠をみつめる

吐息のような煙を吐いた

トラックが1台

やっと故郷に帰る旅人のように

それは哀愁の姿

軽井沢

氷にまみれた中から顔を出す雑草は

何にもすがらずに

耐えている

雪の幻想の国のように

垂れかかる木々

暖かい暖炉が待っているのかいないのか

こっちを向いて猫が鳴く

軽井沢

その事はもう忘れてとあのひとは

私の胸のなかで

ひとときうずくまる

私は雪を振り払い

凍える手を握る

これからもっと北へ行くのだと

私は曇空に語るのだ

ひとり遊び

ひとり遊びができない子だった

いつでもお父さんかお母さんが
私のそばにいてくれた

友達もできて、いつも誰かと
遊ぶようになり

恋人と呼べるような人も現れ

私は幸せだった

いまでも変わらず
ひとり遊びはできないけれど

ああ
ひとり遊びを覚えなくては

それは

葉が散るように
大切な人が
私から消えていったから

そして
追い打ちをかけるように

恋人もだんだん遠い人に
なってゆく

さみしさも悲しみも
いっぱいだけど

誰かを想いながら
泣いてばかりいるのは
辛いこと

ひとりでなにもできないで
泣いてばかりいるのは
悲しいこと

だから
ひとりが忍び寄る
その前に


心が負けないように

ひとり遊びを覚えなくては

冬物語

色づいた葉が心を揺らす

風に剥がされるように落ちてゆく

残された葉は冬空の快晴とのコントラストを描く

僕はコートのポケットに手を入れ
そのはかない木立を眺めるのが好きだ

冬の恋物語が詰まったその情景は
「落葉の物語」を思い出し
「風」のメロディーが胸で踊る

グループ・サウンズもフォークも
みな冬のロマンスを奏でてくれた

冬にうまれた恋は純心で密やかに

想い出深くいつまでもいつまでも

やがて枝の不思議な曲線が
月夜に照らされ浮かぶ頃

僕の想いはさらに深く深く

それは影絵の木立が呼びかけるように
冬の景色は僕をヨーロッパへと
旅立たせた

アルプスおろしと呼ばれる
横から降りてくる雪片の向こうに映る
ベローナの街はとても寒いのだが
想い出のなかではあたたかい

月と木立
それは漆黒ではなく
ブルー・バックに浮き出た
静脈のように綺麗な曲線を描き
イエローの光に映えて美しく
僕の心を捕らえて離さない

こうして僕の冬物語は始まるのだが
あなたの胸に迫る冬物語を

そう
僕に聞かせて欲しいんだ

悲しいときは

悲しいときはオープン・ハート

この世界はひとりじゃないぜ

泣いて狂って脳みそなんか吐き出しちまえ

おとななんか信用するな

分かったような顔に回し蹴り

説明なんかすることはない

みんなのなかで生きてゆけ

悲しいときはオープン・ハート

この世界にたったひとりだとしても

この想いを宙に聞いてもらおう

おとななんか信用するな

訳知りの言葉に毒を吐け

説明なんかすることはない

夜露も結構あったかいこともある

悲しいときはオープン・ハート

あとは時の神様に頼むのだ

心はじつにタフなのだと分かる

ニヤニヤしたおとなに唾を吐け

説明なんかすることはない

あとは

ほろ苦い想い出が胸にポツンと残るだけだ

だから
悲しいときはオープン・ハート
悲しいときはオープン・ハート
悲しいときはオープン・ハート

荒野で吠える狼となれ

ブルーシャトーを君だけに

雨が激しい中、渋滞を抜け、やっと会場へたどり着く。
すでに、会場の入り口では、人がごった返していた。

あっちこっちでオジサンやオバサンがなにかペチャクチャやっている。

今日のコンサートの特徴は、若い人がいない、というところか。

腹の出たオッサンやら禿げたの、皺の目立つ厚化粧のオバサンも
みんなにこにこしているのが可笑しかった。

ドアの近くではムムッ、ペンライトを配っているではないか!

そこをスルッと抜けて、ウチのオクさんと最後部の席に座る。

ベルが鳴り、会場が徐々に静かになる。
と、カラフルなライトに照らされ、いきなり現れた生ワイルド・ワンズ!

往年のヒット曲「青空のある限り」や「花のヤング・タウン」からいきなりヒート・アップ。
ペンライトが左右に揺れる。会場は凄い熱気で、やや引きづり込まれる。

ドラムの植田君は、今年59才になり、白髪にはなったが声もドラムの勢いも、当時のまま。

うーん、いつの間にかあの懐かしい中学校時代に、私もタイム・スリップ。隣のオクさんは
口をぽかんと開けて、ステージをじっとみつめている。

曲の合間は、ステージのおしゃべりのうまさに会場も沸くが、当時と違うのは
彼らがコミック・バンドに近いという、素が見えたことか、はたまた時代の流れか?

そして彼らが、いや、グループ・サウンズがみな影響を受けたビートルズナンバーの演奏を織りこむ
親切さも忘れない。

ラスト、「想い出の渚」を聴く頃には会場が一体となり、全員ヤング(古い言葉だなー)に
戻って、黄色い声とペンライトとみんなのノッてる背中が印象的だった。

しかし、この後がさらに凄かった。

いまは亡き井上忠夫を欠いたブルー・コメッツが、三原綱木をメインボーカルに
ジャッキー・吉川の迫力のドラムで、いきなりあの「ブルー・シャトー」だ!

会場は、いきなりさらにヒート・アップ。

空気は、昭和40年代半ばへとみんなを連れて行く。

この力は、同時代を過ごした人間にしか分からない独特の郷愁なのかもしれないな、
とも思うのだが、私の脳裏は、当時のクラスメイトや部活の様子などが生々しく
蘇る。

三原綱木は、今年62才。ジャッキー・吉川は、なんと70才を越えているという。

彼らが、こう言う。
まだまだ夢を追いかけている、と。

そして唄ってくれたのが「夢の途中」という、初めて聴く曲。
私はブルコメより、いやワイルド・ワンズのメンバーよりまだまだ年下なのに
なんだか、最近年寄りじみた自分が恥ずかしくなってきた。

そして、グループ・サウンズが生んだナンバーワンバンド、タイガースの曲で
会場の熱気は頂点に達すると
なんだか、オジサンとオバサンたちが、若い若い学生たちに見えてしまったのは幻か?

みんな、どんな時代を過ごし、今日この会場に来たのか?

まだどしゃ降りの会場を後にして、オクさんと蕎麦屋に入ったのだが
お互い、言葉が途切れ途切れ。

ため息とともに「良かったネー」という、単純な感想しか出てこなかったのが可笑しい。
やっとボソボソと会場の様子やら当時のG・Sの話に辿り着き、冷静さを取り戻してゆっくり
蕎麦を食べる。

熱も程々に冷め
蕎麦屋の外に出る頃には、雨もやみ、冷たい空気がとても新鮮でうまい。

そして思うのだ。
生きてゆくってこの年になってもよく分からないが、きっとこうゆう事だと。

いろいろな事があって、泣いたり笑ったり、悲しかったり感動したり。

それが幾重にも重なって、時間が流れてゆく。

そして思い出は悲しく、美しく。

ムカシの運転を思い出して
いつもよりちょっと飛ばして、静かな夜の国道を、中年のカップルが疾走する。

さくっさくっと歩くたびに
黒ずみがかった砂は沈み込み
振りかえると
私が辿ってきた足跡が
曲がりくねって
どこまでも見えなくなる位に
伸びている

カモメが上空をふわぁっと泳いでいる

あいつは足跡も残さずに
どこから来て明日に飛んでゆくのだろう?

私はかすかに見えるあの岬の突端あたりを
めざしているのだが
そこに果たしてどんな景色が広がるかなど
行ってみなければ分かりはしない

この頃になると少々息も乱れ
カラダも汗ばんでくる
しかし歩かないことには
ただ、浜に打ち寄せる波の音ばかりが
耳に残るばかりで
なんにも変わりはしないではないか

気がつくと
遠くにもあの突端の方向に歩いている人が
ちらほらといることに気がついた

同じものをめざすひともいるのだな
当り前のようにふっと笑ってしまった

心地よい浜風が耳を首を撫でてゆく

やがて岬の付け根まで辿り着いたとき
空の色は変わり
いまにも降り出しそうな雲行きになってきた

もう引き返す訳にはいかないし
そこで雨宿りを探すほど
呑気なことも言っていられない

さらに強く
カラダに力を込めて私は歩いた

<夢など
所詮夢だと思っていた頃
私の歩みはきっと歩調が乱れ
手をぶらんとした重い歩きだったのではないかと
いまは分かる>

果たして
あの岬の突端から何が見えるのか?

降り始めた雨は次第に頬を強く打ち
首筋に流れた雨が服のなかに垂れてゆく

遅れた足取りは私の神経を逆なでし
時間だけが冷静に時を刻む

泥だらけの細い道
うっそうとした松林の先に
その岬はあった

予想外の時間の経過は
景色を一層暗いものにしていた

雨は一向に収まりを見せず
辺りは薄い暗闇で覆われていた

私はここから映る景色に何を期待していたのか?

<金か、賞賛か、名誉か、ある種の成功か?>

しかし、私の眼に浮かぶその先には
時折光る雨の糸と
暗闇の向こうに広がる
遠いかすかでわずかな明かりだけだった

雨音と切り裂く風の声
そして小さく遠くに波音だけが響いていた

それでも岬は私を際立たせた

この時間、この天候に
岬に私ひとり

誰もいないのを確かめてから
私はその達成感とさみしさのなかで
何故だか涙が止まらなかった

ひとりの男が本当に確かめたかったもの

それは
やはり私の予想したように

ひとり人間の孤独だったのかも知れない

ビー玉

プールの帰りは
決まって風船型ミルク氷をかじりながら
炎天下のなかを近所の仲間とだらだらと歩いて帰る
大きな鉛筆工場を過ぎたあたりから
小さな工場の町並みが続く

いつも気になっていたのだが
冷えた体も温まってきた頃
炎天下以上の熱気の工場が僕らの目を惹いた

中ではおじさんたちが口に鉄の棒をくわえ
あれよあれよという間に
色とりどりのガラスが膨らんでいく

真夏の炉は一層の熱を帯びているようで
暴力的といえるほど僕らを近づけなくしていた

おじさんたちは一生懸命に炉に鉄パイプを突っ込み
次々にガラスを膨らませてゆく
それをじっと見ている僕らに気がつくと
「向こうへ行け」と怒鳴るのだった

仲間はひとりふたりと工場を離れてゆくのだが
僕はその工場の隅に山のように置かれている
ガラス玉に目を奪われていた

気がつくと僕以外に工場の前には誰もいない

僕がそのガラス玉を見てじっとしている様子が
おじさんたちも気になったのだろう

鉄パイプをそっと置くとひとりのおじさんが
僕に近づいてきた

僕は頭を両手で覆いおじさんに叩かれないように
後ずさりをして腰をかがめた

いまと違ってむかし大人は怖かった
悪いことをすると誰構わずひっぱたくのが
常だったので
僕もそのときは叩かれると判断したのだ

おじさんは白いヨレヨレのシャツに作業ズボン姿
赤黒い皮膚に玉のような汗がにじんでいたのをいまでも憶えている

少し間があった

僕を見下ろすと
「坊主、これが好きなのか?」

おじさんの大きなしわしわの黒ずんだ手は
なんともたとえようのないきれいな色をしたビー玉をみっつ
握っていた

それは透ける緑と透明のグラデーションだったり
赤と白が混ざり合ったカラフルな配色だったり
オレンジ色が扇状になって向こうの景色がみえるビー玉だった

気がつくと僕はすっかりその不思議な彩りに気を取られ
おじさんの手のひらに乗っているビー玉を手に取り
空に向けて一心にそれに見入っていた

おじさんは無造作にそのビー玉を僕によこすと
「帰れ」とにこにこしているのだった

こうして僕の夏休みは毎朝ビー玉を転がすことから始まった
ビー玉をいろいろな角度から眺め
顔を近づけたり遠ざけたりしながら
その透明感に浸っていた

あれから何十年

いまでも街を歩いているとデパートで駅で雑貨屋で
ガラスの装飾、オブジェ、工芸品などが目にとまると
必ずそれに見入ってしまう

クリスマスの彩りもそれなりに素敵だと思うし
夜空の花火もそれは美しくはかない趣があるのだが
僕の想いは
遠いむかしのその透明な色の不思議さに辿り着く

あの人工的で不思議な透明感と偶然がもたらす
色の混ざり具合は果たして僕の美の原点だ

こうしているいまも
エビアンのペットボトルの水の向こうに映る
テーブルにひかれたインド更紗(さらさ)を
じっと眺めている
僕がいる

社会不適応

10代の頃、友達数人で集まり
よく夜中まで政治や将来のことについて
とめどもなく話し合ったことを覚えている。

コカ・コーラにポテトチップス。煙草はまだ吸っていなかった。

将来何になりたいか?という誰かの質問に答えるべく
一人ひとりが、そのときまじめに答えていた。

「社長」「弁護士」「会社員」などなど。
皆、真剣に答える。
いよいよ私の番が回ってきた。

不意に思いついたのだが、吟遊詩人という言葉が、
つい口を突いて出てしまった。

みんなが笑う。

自分でもふざけるなよ、真面目に答えろよと思うのだが
いくら考えてもそれしか思い浮かばなかった。

その後、あの答えは何だったんだろうと自問自答してみたのだが
やはり吟遊詩人はいいなぁ、と思っていた。

国語の成績が良かった訳ではない、詩を書きためていたでもない。

ただ、生き方としてその頃ジョルジュ・ムスタキという髭を生やした
仙人のようなフランスのおっさんに憧れてしまったことがある。

ここでも私のいい加減さが出ているのだが、このおっさんの著書を
何十年も経た現在でも、一冊も知らない。

結局、ムスタキは本を出版していたのか否かもいまだに知らない。

ただ、彼は何者にも束縛されず自由に世界を旅し、即興で詩をつくり
わずかなお金で気ままに暮らすことをスタイルとしていたらしい。

これが私の解釈なのだが、これは私の願いにすり替わっている、とも思う。

後、私は出版社に入るのだが、どうも居心地が良くない。
いろいろ自分なりに頑張り、経験もそれなりに積んでゆくのだが
どうも何かが違うような違和感にさいなまれていた。

社会不適応を意識し始めたのもその頃だ。

服装は自由。みんなもいい人だし、普通のサラリーマンと違って
毎日違った仕事をしているというのが魅力的だった。

ただ、会社の入り口にあるタイムカードを押すのは抵抗があった。

自由な企画、音楽評、新刊の紹介等々、いま思えばかなりゆるい
会社なのだが、それでも駄目なものは駄目なのだ。

入社4年目にして、私はこの違和感から抜け出す算段をする。
いろいろ先のことを考えて、すすめられる原稿などは準備しておいた。

辞表を書くため、その中身を調べるにつれ、文面の体裁のつまらなさも
そのときに初めて知った。

こうして私は退社するのだが、後悔の微塵もないというのをいまでも
鮮烈に覚えている。

これから何をするということも考えないまま、私はこれまた脳天気な
オクさんと旅行に出かけてしまった。

さて
自分の生立ちだが、私は公務員の家庭で育った。
父は無口。話をしたことは数えるほどしか覚えていない。
まじめ、というより早い段階から、私は彼の二面性に気づいていた。

母は口が達者で働き者。口癖は「悪いことをしてもお天道さまが見ているよ」。

ただ、この二人の共通点は、私に無関心だったということだろうか?

上に姉がいるが、4人で家族揃って旅行に出かけたと

みんなでコタツを囲んで団らんのときというのも
皆無だった。

いつの頃からか、私は外ばかりをみていた。
楽しみを家の外に向けていた。

捨て猫を学校の床下で育てる。
友達と、食料とおもちゃの刀を手に、山奥へ探検。
迷子2回。
行くあてもなく電車に乗り、遠く離れた知らない駅でうろうろしていたら
不審に思った駅員につかまり、交番に連れて行かれたことも何度かある。

一方、クラスで私は学級委員に選ばれ、果ては学校の児童会議長という
これまた私に似つかわしくない立場にも選ばれてしまった。

夏休み前、学校の要請で全校児童会を開くこととなった。
その趣旨は、夏休みを有意義に過ごすには、という議題と共に
いかに休み中の事件・事故を防ぐかという事をみんなで話し合うためでもあった。

私は議長としての采配を振るわなければいけないのだが
興味は全くなかった。

そんなことは自分で考えるのが当然と、私は考えていたからだ。

議会では切れ味のいい提案がいくつも出され、その度ごとに
私はその案の良さを皆にアピールし、次々と可決へと持ち込んだ。
結果、かなり素晴らしい?夏休みの過ごし方というプリントが
全校に配られるのだが

それを一切守らなかったのが私だ。

まず、行ってはいけないとされる遠方にある山へ
私は毎日ひとりで出かけていった。

海を眺めるためである。

そこは、遠方であるばかりでなく崖っぷちがあり
当時は、かなり危険な所とされていた。

私は崖の淵に足を投げ出し、横浜港を眺めるのが
大好きだった。
オレンジと白のツートンカラーのマリンタワーの横に
氷川丸が鎮座する。

その横に視線を動かすと、遠くに霞んだ海が
どこまでもどこまでも光っていた。

あのずっと向こうに私の知らない世界が広がっている。
そんなことを考えながら、夕方までぼぉーっと過ごして
家路に着く。

その想いは毎日寝る前でも心に染みつき
ときどき気がつくと
私は夢のなかまで現れ

私はあの水平線の上でニコニコしている
もうひとりの私を眺めているのだった。