初恋

かいがらを拾って

耳にあてると

遠い日の音がした

ずっと水平線のあたりを

ながめていたら

遠い日のあの日がみえた

僕はドキドキしながら
手の汗を制服の裾で拭いて
そっと確かめるように
君の手に触れてみた

君がうつむいて
みるみる顔が赤くなる

なんだかゴメンね

春の田園はのどかで
小川のせせらぎが聞こえていた

分かれ道までいくと
さよならをしないといけないので
僕と君は
ゆっくりゆっくり歩くんだ
いつもいつも毎日毎日

あたりにいっぱい咲いていた
レンゲ草の色が風に揺れて

そして
僕は君の長い髪の先に触れてみる

うつむいて、また赤くなって
そしてふっと笑って

君はもう天使なんじゃないか

モンシロチョウが不器用に
のんきにひらひら飛んでいて
霞がかった遙かむこうに
山の桜がぼんやり色づいていた

あのきもち、あの心。

かいがらを拾って

耳にあてると

遠い日の音がした

ずっと水平線のあたりを

ながめていたら

遠い日のあの日がみえた

by鎌倉にて

みそ汁をつくる

割と早起き、というか仕事柄、朝まで起きていることもしばしばあるので、まず、台所に立ち、石けんで手を洗う。これは、私の朝のケジメをつける儀式でもある。次に一杯の御神水を、まっさらな湯飲みでありがたく頂く。普段は普通の水道水なのだが、この御神水に関しては、後日、占いのお話で詳しく書く。
いや待て、その前にご先祖様に備えるお水を、五つのコップに注ぐのを忘れていた。この儀式も済ませないと、私の朝は始まらないのだ。
いろいろと朝は、儀式の行列なのだ。
まず、お茶を飲むため、ケトルでお湯を沸かす。さて、ここからが今日の本題だ。
男子厨房に入らず、というしきたりは、ウチでは死語だ。掃除だってなんだってやるのだ。これは、修行といってもいいだろう。特に掃除は、仏道では基本中の基本といってもよい。掃除を終えると気持ちも体もスッキリするのは、なにか異空間の空気が流れ込むからだろうか、実働以上にすがすがしい。
話が大きく逸れた。次。
我が家も、トーストとスクランブルエッグなどと、格好いい朝食の時代もあったのだが、アレコレ試行錯誤の上、いまでは玄米入りのご飯とみそ汁に漬け物などのおかずが少々、というスタイルに落ち着いた。子供たちも同様だ。誰も文句は言わない。朝食とはこういうものなのだ、という不動の信念が家中に漂っているのだ。
で、みそ汁なのだ。
まず、鍋に適当に四人分であろうと思われる水を入れる。私の場合、あくまで目分量。それをレンジの上にのせるのだが、間違っても火を入れてはならない。まず置いておいて、冷蔵庫を開け、全体をチェックする。そろそろ傷みそうだな、などと思われる大根などがあると、ちょっと微笑んだりする。不気味ではある。
というわけで、今日の朝飯は、大根のみそ汁に決定。
おもむろに、大根を10センチぐらいの長さのところで、ザクッと包丁を入れ、ぶった切る。そしてまわりの皮は、0.5ミリぐらいの厚さで、包丁で均一にかつら剥きにして
捨てる。このかつら剥きだが、コツは、包丁を上下に動かしながら大根をゆっくり回してゆくとうまくできるようになる。
で、ザクザクと大根を輪切りにしてそれを重ね、これも均一に切ってゆくとあーら不思議、マックのポテトのような大根の具の出来上がりなのだ。パチパチ
これを鍋に入れ、はじめてレンジのスイッチを押す。要するに、水から茹でると美味しい大根のみそ汁が完成するのだが、ふぅーなどと気を抜いてはならない。
大根のみそ汁には、いとしい恋人のように、油揚げが寄り添うことを忘れてはならない。油揚げは、適当な時間になったら鍋に放り込み、大根と混ざり合うのをじっと見届けるのだ(変だよなー)。
私の場合、グズグズと沸騰する前に、生協のダシの素を大さじに一杯とちょっと入れる。ここで「あなたはなぜ生協のダシの素なのか?」という疑問が生じるだろうが、ここでは語らない。話が長くなるので、この事柄も後日にまわす。
さあ先を急ごう。沸騰してきたら3分は暴れさせよう。大根と油揚げのディスコタイムだー! 大根に芯まで火が通るまで、ともかくこの間だけは先を急いではならない。その間に味噌とおたまを取り出し、この量だ!という強い意志の元で味噌の塊をおたまに乗せる。
鍋の大根が適当にしなっとしてきたら火を止め、味噌の乗ったおたまを鍋のなかに浸し、さいばしでゆっくりゆっくりと溶かしてゆく。
ハイ、お疲れ様。これで大根のみそ汁の完成なのだが、確認のため、最後に小皿にみそ汁を少量入れ、味をみる。そして「うん」などと、ひとりでうなずいたりするのだが、時を同じくしてケトルもけたたましく湯気を出したりするので、油断がならない。
こうして私の朝は始まるのだが、ぼぉーっとしているオヤジとはほど遠く、ときおり気の抜けない日々を送っている。事はみそ汁なのだが、気持ちを引き締めてかからねばならない。眠い目をこすりながら新聞をふんぞり返って読むなんぞ、私にとっては夢のなかのお話なのである。
だから、みそ汁をつくり終わった後の、熱くて香ばしい緑茶が、よりいっそう美味いのである。

ホントに痩せるのか?

昨日から、朝晩と納豆を食わされている。突然だ。納豆自体は別に嫌いではないのだが、急に唐突に納豆なのだ!
納豆を出すウチの奥さんは真剣である。聞けば、原因は数日前のテレビにあった。あるあるなんとかという番組で、朝晩納豆を食えば痩せる、と断言したらしいのだ。僕にして思えば、なんで納豆を余計に食って痩せるのか? 食い過ぎなんじゃねーの? なのだが、ともかく痩せるらしい。
奥さんは、今日もせっせと近所のスーパーに出かけ、納豆を大量に購入、お陰で冷蔵庫は全国で生産された納豆でいっぱいだ。
こうなると、もう「納豆」である。朝食の納豆はいつものように自然に摂取するのだが、その量のノルマが倍以上にアップ。参った。「他の食い物減らせっていうことじゃないの?」と僕がボソボソ言うと、オクさんはノーノーというオーバーアクションで僕を牽制する。
聞けば、その番組内で、いわゆる太めの方々が、朝晩納豆を摂取して二週間後に体重を計ったところ、なななんと平均して3キロぐらいの減量に成功したのだそうだ。パチパチパチ、スゴー! 奥さんに聞いても、科学的な根拠は全然不明である。ただただ納豆なのである。納豆。納豆はいま、とてもエライノデアル。
昨晩は不意を突かれた。紹興酒を飲みながらマグロの赤身をつまんでボーッとテレビの「銭形金太郎」を観ていると、突如として僕の目の前に、大量の納豆が差し出された。紹興酒に納豆かよ、とギョッとしていると、奥さんがニコニコしている。こうなると、えーい納豆なのである。納豆を食って痩せよう!
いつもダイエットに関しては無反応な奥さんなのだが、今回のこの納豆は、彼女をエラく感動させたらしい。思えば、奥さんは今月、何十年ぶりの会社時代の同僚たちが集まる同窓会に行くことになっている。そんな折に、例のあるある、である。ツボにハマったとはこのことだ。
まあ、僕も奥さんも、若いときから比べると、お腹まわりなんかべらぼうである。いわゆる、いま流行のメタボリックなんとからしいのだが、よーく調べると、僕は、そのメタボリックなんとかの境界線上に位置する。しかしウチの奥さんは、いわゆるスレンダーな体型なので関係なさそうなのだが、お腹がしっかりしているから一大事なのだそうだ。
いま、こうしてブログを書いている最中、とってもおいしそうなプリンを冷蔵庫でみつけてしまった。とりあえず食してみたのだが、とてーも美味い! しかも恐れることはなにひとつないのだ。なぜなら、僕は太らないのだ! 夜中になにを食おうが、怖いものはない! 
あと数時間もすれば朝食だ。その間に仕事を片付けて、一風呂浴びて、朝刊を広げて、えーい、殿のお出まし、水戸の黄門様の印籠とその威力の凄さでは双璧を成す納豆の登場なのだ!
怖いわけがないでしょーが。だけどホントかな?