もう、四日ほど鳴き続けている羽虫は
そろそろ死んでくれるだろうと甘くみていたが
羽虫は死ぬどころか、数が少しずつ増え
僕のアタマの中で休み無くジージーと鳴く
気晴らしにスタンダード・ジャズを聴いてみたが
ボリュームを絞っても上げても
羽虫が鳴き続けるので
その演奏を豊かな気持ちでは聴くことができない
しかたなくテレビを点け、ぼぉっと観ていると
また羽虫はやってきた
僕はクルマに乗り、高速で西へひた走った
やがて海岸線が見える海沿いを走る頃
また羽虫が鳴き始めた
駄目だな、と思い
今度は高速道を降り
山へと向かい
静かな湖畔をみつけてクルマを止める
駐車場は人影も少なくクルマも疎ら
僕はひとり水辺に立って小さなさざ波を眺めていた
さざ波のざわめきは静かな湖畔によく響き
僕の耳ざわりはほどなくさわやかなのだが
ふと気がつくとあいつ等がやってきて
羽音をたかぶらせて、相変わらずジージーと鳴いていた
しかたなく駐車場に戻りキーを回す
と、前方でひとが争っているのが見えた
なにかわからないが
若いオトコと中年のオンナが言い争っているのが見えた
お互い駐車場が空いているので気が緩んだのか
接触事故を起こしたらしい
ちょっと近づくと
双方のクルマが傷ついているのがみえた
そして不思議なことに
僕の眼に
彼らのアタマの上に
見たこともない虫が一匹づつ羽音を鳴らして飛び続けているのが見えた
そのキラキラ光る羽根は玉虫色をしていて
僕が近寄ると聞き慣れた音をたてている
あっ、羽虫だ
ふたりの言い争いは次第に激しくなり
すると
オンナのクルマからサングラスを掛けたオトコがさっと降りてきて
いきなり相手の若いオトコを殴り始めた
サングラスのオトコのアタマの上には
例の虫が何十匹といて
もうその音はジージーと凄い音で鳴いていた
僕は驚いて彼らに近寄り
サングラスのオトコをなだめながら
羽交い締めにして止めに入った
羽音がうるさくて仕方がないのだが
僕はやめなさいやめなさいと
さかんに叫んでいた
アザだらけになった若いオトコは
口から一筋の血を流していた
羽音が響いている
サングラスのオトコは興奮が止まらないようで
今度はぼぉっとしているオンナに怒鳴ってた
オンナのアタマの上にも例の虫が飛んでいた
気がつくと疎らな駐車場にも関わらず
ひとが集まっていて
クルマの回りをぐるっと取り巻いている
好奇の眼で見ているニヤニヤしている
その取り巻きの中のひとりのオトコの頭上には
例の虫がブンブンと何匹も飛んでいた
機敏そうなひとりの観光客らしきオンナが
ケータイで警察らしきところへ事の次第を
セカセカと話している
もういいだろうと
僕は自分のクルマに引き返し
服の埃を払ってから気を取り直し
再びキーを回した
あの日から、もう半年も経つだろうか?
あの日から
僕のアタマの中の羽虫は何処かへ行ってしまった
もう、あのジージーと鳴く鈍い羽音を聴くことはない